FF、オレンジロード、キン肉マン……脚本家・寺田憲史ができるまで|『コドク共有』寺田憲史インタビュー|cakes
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2015/07/30

> ──:
> 寺田さんの経歴の中で、一番大きく扱われて出てくるのが、FFだと思いますが、
> こちらはどういった経緯だったのでしょうか?
>
> 寺田:
> スクウェアの創業者の一人が、僕の高校時代の友達だったんですよ。
> ファミコン時代なので、ゲームの現場は、アニメよりもひどい状況でね。
> 友人が集めた学生のゲーム開発者は、みんなアニメのファンで、
> 僕がシナリオを書いていた「スペースコブラ」や「キャッツアイ」を夢中になって見ていたのだそうです。
> それで、ぜひ会いたいと。そのときにいたのが坂口だったんです。
> あとは、デジキューブを作った鈴木とか、スクウェアの初期の代表作を作った連中もいましたね。
> それで後日、坂口が
> 「ゲームで人を泣かせたいんですけど。力を貸してくれませんか」って僕を訪ねて来たんです。
>
> ──:
> あれだけ大きなヒットになりましたが、FFを書く前と書いた後で、なにか変化はありましたか?
>
> 寺田:
> 正直にいうと、一作家ということからいくと悪いことの方が多かったかもしれません。
> FF3まで関わったんですけど、結局どこに言っても“FFの寺田”になってしまって。
> アニメ業界からは、ゲーム側の人間だと思われてしまっていて、
> かといってゲーム業界ではスクウェアの社員だと思われてしまっていたんです。
> それで38歳くらいのときには、ほとんどアニメの仕事がこなくなってしまいましてね。
> 生意気でしたからね、たぶん、やっかまれたんでしょう(笑)。