2人が早く結婚できるように、俺も横やりを入れるよ。酔った勢いだから違ったらごめん。

ハードの限界を考える というのは、「ハードで実現可能かどうかを考える」ということ。
非現実的なROM容量があれば移植できる! というのは 非現実的だけどできる!と言っている。
それは、 できない と言う意味だ。

カセットROM自体が進化し続けてきた歴史があるため、ROM容量の増加を条件にしても異論を唱える人は少ないのだろう。
では何倍まで増やしてもOKだろうか?
2倍?3倍?100倍はいいだろうか?では1万倍は?
50の「製品化」という表現は、俺が思うにその部分を指摘している。
その容量の範囲を現実的な内容に落とし込めば、矛盾のない主張になるということだ。


ところが、この主張は49には伝わらない。それはなぜか。
彼は移植できるかどうかについて彼が考えたことの話をしたいのだ。そしてそれがハードの限界の話でもあると勘違いしている。

それらはどう違うのか。
 ・移植できるかどうか? → SFCの容量の”現実的な限界を超えた”PCEについて、ある条件ならばSFCに移植できる =そもそも限界を超えている
 ・ハードの限界はどこまでか? →SFCの”現実的な性能に基づいて”、PCEに近いこと等ができるかを考える =限界について考える

移植はハードの限界の話ではない。移植できたからといって、それで?という感じ。
50はそこを妥協して、
 じゃあ「ある条件」の部分を現実的な範囲(製品化)に落としこめばハードの限界について話していることになるよね
としてしまった。

49視点
 49「こうすれば移植できるよね」
 50「製品化は無理じゃね?」
 49「はぁ??」

50視点
 49「非現実的だけどできるよね」
 50「それはできるとは言えなくね?」
 49「はぁ??」


2人は永遠の愛を誓いますか?Yes or Yes?