>>143
中村元さん監修は覚えている。
中村さんは比較宗教学の巨人で懐が深い研究者。
監修がついてるくらいだから、大きなプロジェクトとして描いたと思う。

それとこの年が山岸さんのスランプの始まりなんだよね。

山岸さんはその後、ツタンカーメンやジャンヌ・ダルクで
「個人的な想像に寄せて描くのではなく、この人物は史実に忠実に描かないと申し訳ない」
という態度を取って、初期の構想を変えている。

想像だけど、聖徳太子を真面目に信仰の対象としている人々がいるのに、
そうした面に思い及ばず、安易に人格破綻者として描いてしまったのでは、という反省があるのではと思う。

毛人や母との関係まではまだ「ある視点からのフィクション」として評価できると思うけど、
知的障害者である橘大郎女しか女性を相手にできず、
生まれたこどもたちもほとんど知的障害者という結末は、
山岸さん本人も言っているが、かなりひどい。