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かぐや姫の物語 34 [転載禁止]©2ch.net

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1見ろ!名無しがゴミのようだ!
垢版 |
2015/08/07(金) 00:42:16.64ID:Kg5VF1Mu
高畑勲監督作品「かぐや姫の物語」のスレです
2013年11月23日(祝)全国ロードショー

・関連サイト
かぐや姫の物語 公式サイト
http://www.kaguyahime-monogatari.jp/
スタジオジブリ 公式サイト
http://www.ghibli.jp/


・前スレ
かぐや姫の物語 33
http://kanae.2ch.net/test/read.cgi/animovie/1437646666/
2015/08/15(土) 11:54:42.55ID:Hr+x9z/G
>>310
いい加減にシネよキチガイ
2015/08/15(土) 16:14:13.73ID:BtRtHA9r
姫は無邪気に育って、養父の為に高貴の姫を演じて、誠実であれば貴公子からの求婚も受けようとしてた。だが、そこに男の誠実さが無かったり不幸の為に結婚は成立しなかった。もう自分を曲げない代わりに幸せも諦めると決めたのに姫にとっての誠実さが無い帝からのお手付き。
姫は姫なりに自分の信条を曲げる選択をした挙げ句思いっきり曲げられている。
「バチが当たった」だなんて血も涙もない言い方だと思うな。
しかし元の竹取物語をどう読んだらそういう解釈が出てくるんだ
高畑の映画に影響されすぎてると思うぞw
こうなれとかこうなるなとかは、あくまで映画を見ているからの感想であって
元々のかぐや姫は、話を聞いた子供が真似したり反面教師にしたりできるような存在じゃあ無いよw
基本的にかぐや姫って、何考えてるのか分からない共感不能の存在で
そこに共感しようなんて考えたのは高畑ぐらいのもんだw
大昔、この世のものとは思えない美人が居て人間不信に陥っており、
月には死後の世界があると信じてそこへ逃避しようと自殺した
はい、これでFA
しかし
竹取物語自体監督みたいな人が反権力をしたかったみたいな分析が
あるがアレンジの一つくらいに思えばいいよ
もともとはもっとすっきりした形で伝えられていたと考えよう
あまり長いと覚えられんし、いって聞かせるにも意味不明な部分が増えるからな
2015/08/15(土) 16:15:15.40ID:3mrvGDjE
高畑演出の上手さは細部に精神が宿ることだな
花見の帰りに着物の裾を持ち上げて歩くタケノコ
あんなに走り回ってもう汚れてるはずなのに…
その意固地さに姫としての生き方に従う決心と悲しみと悔しさが伝わってくる
表面上は大人らしい上品な振舞いに見えるし成長したといえるかもしれない
でも内心は子どもっぽい姫らしさを犠牲にしてるとわかるから悲痛なシーン
セリフのない短いカットにこれだけ繊細な感情を込める演出には目を見張るわ
高畑の言ってことが今日わかった気がする
何も描かない余白が想像力を刺激するというのは体感としてはわかっても理屈としてはいまいちわからなかった
で、ふと思い出したんだが子どもの頃は夜に周りが真っ暗になると怖かった
そこにあるものは昼間と同じはずなのに闇に包まれて見えなくなることで
オバケがいるんじゃないかとか恐怖心が勝手にはたらいてしまうから
闇という文字の中には音が含まれてるように特に音に敏感になってアナルがビクビクしてしまう
かぐや姫もそれと同じ理屈だと思う
闇ではなくで空白だから恐怖心ではなく想像力で自由に世界が広がっていく
効果音もすばらしいからそれを手がかりに周りの景色をどんどん補完していける
それはびっしり描きこんだ背景より豊かな表現だろうと
昔の人はそれを視覚的な「けしき」と五感的な「けはひ」の違いとして認識していたらしい
高畑は西洋の文化を吸収してるから自国の戦争物や時代劇するにしてもある程度客観性を保てる
間違っても無批判にホルホルするだけの内輪向け映画にはならない
火垂るの墓もそうだしかぐや姫も当時の権力者の醜悪さを描いてる
今の時代こういう映画監督はもはや奇行種だな
竹取物語や平家物語は現代人には書けない作品だから原作を生かして作ったほうが映画としてのオリジナリティが高くなるという
高畑のTVアニメ作品なら子供向けだし、映画作品に比べると軽い感じかなって思って見始めたら全然そんなことなかったでござる
ハイジもアンもマルコもクソガキだしでもひどい目に遭いすぎだし背景もいろいろヘビーだし
高畑いわく、違うけどそういう風にとらえてもいい
西村いわく、明らかにそうですよね
もともと自然の中で生きていく喜びを描いたシーンだったけど
脚本家の意向もあって男女の愛という意味にもとれる場面になったとかだったような
まあどっちでも自由に解釈したらいいさ
2015/08/15(土) 16:15:57.90ID:1EiMFKBD
いっつもコンビ打ちしてるペアがこーなーいww
2015/08/15(土) 17:49:04.15ID:XdfBkFRL
不倫に問題の焦点が当たっている側面があるが、人間は汚い面もある、それは分かる。
でもそんなのそこらの映画やドラマで散々テーマになって来ているものでしょ。
あえてアニメでしかも竹取物語で表さなければならないものだったの?

高畑はそうだと答えるだろうね。
1000年以上の歴史と誰もが知ってる古典、日常の予定調和を壊すためには、対象が「何らかの歴史を背負っているもの」である必要があった。

竹取物語が存在し続けていた1000年間、そこまで不倫は悪だという窮屈な道徳文化が日本にあったのかね?
壊すべき窮屈さというのがあったわけ?結構大らかだったんじゃないの?
人間の善悪それぞれの側面には神が宿る、そういう八百万の文化だったでしょ。
竹取物語には相応の社会の中での部分的役割があった、それだけ。

竹取物語という一神教を相対化するためにその中に不倫を入れてみました、って高畑自身、全く日本の信仰や神々のことを理解していない人間であることが分かった。
普段から祭事とか神事とか宗教とかそういう類のことを一切避けて通っている人間であるということが。
2015/08/15(土) 19:43:49.28ID:xSP1zEta
世界に誇る日本の最高傑作かぐや姫の物語について更に追求していきたい。
恋と命の熱さが無い(御門と男をバカにしている)
「かぐや姫の物語」豆知識A
この作品がどれくらいすごいかというと、
当時まだ痩せたり太ったりペラペラよくしゃべるクソ野郎だけど人間的にはそこまでのクズじゃないだろうと思われていた時代の岡田斗司夫が作品の美術を絶賛するだけでフェミニズム的テーマにはほとんど触れなかったくらい凄い。
まあこの映画何も感じない人には確かに「かぐや姫のストーリーをそのまま延々なぞるだけの駄作」として見えるように、
そうでない人には「うわああ、『あの感じ』をよくここまで描いたな、大丈夫か」ってなるように作ってある。
そう仕掛けたのが女性監督ではなく渥美清に似たおっさんという奇跡。
紫綬褒章まで受け取っておいて「おい帝のアゴ長くしようぜ」と平然と提案する巨匠高畑勲。
桑田佳祐も今の50倍くらいアナーキーになっても罰は当たらない。
高畑勲「かぐや姫の物語」についてのCDBさんのツイート - Togetterまとめ

↑は????


帝 ※正式名称は御門(みかど)
声はなんと「中田七之助」さんが担当。
下顎の尖った容貌をしている。漢詩の屏風を飾り、椅子に座るなど「中国かぶれの人物」として描かれている。
「ソックスの十戒」”中国人を登場させてはならない”
別に、まあ、中国は良いんだよ。それまで平安時代っぽく描いていたけど、まあ、ギリギリ遣唐使廃止前なんだろう…。
アカのパクさんがミカドを中国かぶれにしても、まあいいんだよ・・・。そう言う財宝を集めるのも王族だし。東映動画も初期は中国民話の白蛇伝だったし。


あごは何だよ・・・。ハプスブルク家関係ないやろ…。
2015/08/15(土) 23:13:58.24ID:e+J2r53k
おじいさんの屋敷に狩りをしに行く振りをして帝は忍んで来る。
姫が警戒心を解いている所を捕まえるのは、セクハラと言うより「八岐大蛇退治」や「日本武尊」のようなものだ。
鬼退治や鬼婆征伐に帝が手ずから赴いているわけで、戦争です。
2015/08/15(土) 23:14:46.05ID:e+J2r53k
アニメの御門はどうも他の貴公子と同じような求婚者の一人として描かれているが
原作は国家を率いてる高貴な天皇が新しく渡来し人心を惑わす他国の貴族と対決する話なんです。
演出助手:高畑勲にとっての「わんぱく王子の大蛇退治」なんだが。
なんか、権力に対して権力で対抗する「安寿と厨子王丸」みたいな話は高畑勲監督はやりたくないみたいだった。
だから、かぐや姫も高貴で人心を惑わし掌握する女王としてではなく
孤独な箱の姫君で田舎者によそ者扱いされるだけで傷つく少女として描いている。アニメは器が小さくなっている。
そして原作の帝は後ろからいきなり抱きすくめるのではなく、袖をつかんで顔をちらりと見る
いきなり抱くアニメの御門の方が嫌悪感が大きいしバカっぽい。
かぐや姫、『おのが身は、この国に生まれて侍らばこそ使ひ給はめ。いと率ておはしまし難くや侍らむ』と奏す。
帝、『などかさあらむ。なほ率ておはしまさむ』
かぐや姫は『私がこの国に生まれた人間であれば、陛下の思い通りにすることができるでしょう。しかし、そうではないので私を無理に連れて行くのは難しいですよ。』
と答えて申し上げた。
帝が、『どうしてそんなことがあるだろうか。このまま連れていくぞ。』と言って
御輿を呼び寄せると、かぐや姫はぱっと姿を消して影になってしまった。
2015/08/15(土) 23:15:18.22ID:e+J2r53k
顔を見るとか、国の生まれで支配するとか、かなり呪術的な要素が濃い。
男が腕力や権力で女性を支配するって言う話じゃなくて
姫のクニと帝のクニのどちらが主導権を握るか、という緊迫した政治的場面なのである。
なんですけど、政治的場面で恋に落ちるって言うのも日本神話的なんですよね。
国産みという、カミがクニを産むという神話の色が濃い平安時代前期なので。
というか、女性に対して天皇が身一つで対峙して主導権を争うのは、
籠もよ み籠持ち 掘串もよ み掘串持ち この丘に 菜摘ます児 家聞かな 名告らさね 
そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居れ しきなべて われこそ座せ われこそは 告らめ 家をも名をも
美しい籠やヘラを持って、この丘で菜をお摘みのお嬢さん、君はどこの家のお嬢さんなのか教えてくれないか。
大和の全てを私が治めているのだ。
私こそ教えよう、家柄も名も。
という万葉集の巻頭を飾る第二十一代天皇雄略天皇を連想させる。

「今は昔」で始まる竹取物語なのだが、いろいろな言葉の語源がかぐや姫から生まれたと主張するのは神話の体裁にのっとっている。
雄略天皇も大和朝廷のクニを武力で制圧するとともに、和歌の言葉の呪術で万葉の言の葉を始めた文武に猛った人だ。
西暦478年、高句麗を除く韓半島全域の軍政権を求めて、当時の宗主国であった南宋に上表文を送った倭王・武に比定される天皇。

竹取の翁の説話も万葉集に収められており、古事記にある迦具夜比売命(かぐやひめのみこと)は第十一代垂仁天皇の妃の一人。
2015/08/15(土) 23:16:13.58ID:e+J2r53k
なので、竹取物語の帝とかぐや姫の関係は、雄略天皇そのものではないにしろ
平安時代から万葉の[今は昔]を振り返っての民話や実話を交えた神話なのだと思う。
また、五人の貴公子のモデルが奈良時代だが
帝のモデルや行動がさらに古い万葉様式だとすると神話性も高まる。
そして、雄略天皇の「女よ、われは大王なり!」と言う恋と権力を賭けた和歌に帝の行動が似ているとすると
かぐや姫を見初めていきなり恋に落ちた帝の情熱のワイルドな熱さも感じられる。
だから、僕はアニメのかぐや姫の物語に対して「熱く恋をしていない」と思ったのだ。
女と国を自分の器量で抱える!って言う王の器な。国を惑わす魔女を折伏して国を交わらせて新しい秩序を作るって言う。
そういう豪族の熱い血潮がほとばしる戦いのような恋!
決して帝はアニメの御門のような「中国かぶれの成金の延長線上の勘違いイケメン」ではないのだ。
でも、雄略天皇は百済と同盟して高句麗と戦争して新羅に負けたりしたので
左翼の高畑勲監督は描かないんだろうなー。
対して、出崎統監督は源氏物語千年紀-Genjiで熱く戦い舞い踊り恋をする皇子を書いたね。
2015/08/16(日) 08:12:30.19ID:VJJtG+lt
かぐたんと結婚するお\(^o^)/
みなさんお祝いに駆けつけてくださいお\(^o^)/

かっぐたーん\(^o^)/

たけのこ♪たけのこ♪たっけのこ\(^o^)/
たけのこ♪のこのこ♪たっけのこ\(^o^)/
のこのこ♪たけのこ♪のっこのこ\(^o^)/
のこのこ♪のこのこ♪たっけのこ\(^o^)/
2015/08/17(月) 22:58:55.06ID:iZWQLxBm
今まで観た中で一番ラストで評価がひっくり返った映画
勿論良い方に
2015/08/19(水) 08:24:44.93ID:CMKWIigQ
結婚式のお返しは月の砂だお\(^o^)/
2015/08/19(水) 13:05:29.78ID:b63gbN9R
男の監督で、娘を持つ男親と女親の関係をよくここまで描ききったと思った
娘に最高の栄誉=地位の高い男=申し分のない男に嫁いで苦労しない暮らしをさせるっていう男性の出世欲に準じながら、お姫様と愛でて崇める最大限の父親の愛情と
寄り添い、同じ女という立場で共感してやりながら、女という立場ゆえに無力である母親の二人の愛情を痛い程分かっているからこそ、
縛られて動けないかぐや姫の娘と親子のすれ違いとままならなさをよく描ききった
監督のことはよく知らないが、娘がいるんじゃないかと思った
2015/08/20(木) 10:12:32.84ID:yASPaXh3
みなさんにお知らせだお\(^o^)/
いよいよかぐたんと結婚の儀をすることとあいなったお\(^o^)/

むふふふふ

かっぐたーん\(^o^)/
2015/08/21(金) 09:26:44.06ID:+NgoLj/j
初夜だお\(^o^)/
セクロスするお\(^o^)/


かっぐたーん\(^o^)/
2015/08/22(土) 02:51:58.48ID:ekosNpss
高畑がどういう意図で作ったかわからんけどあんま宗教的な背景とか意味みたいなのは感じなかったな
もっと普遍的な話に思えた
天人の存在や輪廻転生を認めている時点で、唯物論では無くなってるなw
宗教的というより、原作の持つ宗教的世界観を掘り下げた気がする
原作者は、こんな宗教観を持っていたんじゃないか? みたいな
天人って仏さんのことかと思ってたら、天人は人間でも仏でもないんだな
俺も、この映画とその解説で初めて知ったよw
古典の先生、そんなことまで教えてくれなかったし w
涙は弱いものの後悔じゃなくて
変わらない強い想いの証明にもなる。
最後に悪者を殴る蹴るでやっつけて終わりにはせず
余韻の残る涙で終わらせたラストに姫の可
まー興行としてはダメなのは分かってたからいい
でも俺としては滅多にないけどブルレイ買うつもりだし関連書籍はもう買った
こんな採算度外視の作品もう日本では作られないだろうが、誇らしいからなという負け惜しみ
いや金がすべてだろ
宮崎を祭り上げてつまらん映画で儲けてきたのがジブリだろ?
アメリカでの風立ちぬの大コケと日本でのアナ雪の大ヒットがすべてを物語ってる
宮崎商法は日本にしか通用しないがディズニー商法は世界中に通用する
金儲けではディズニーのほうが上手だっただけ
ジブリはディズニーに敗北した
関係ないから売れなかったんだろ
詐欺紛いの宮崎商法でしか売れない時点で日本アニメは終わってる
ディズニーは技術革新や若手の育成をしてきたが
ジブリは時代遅れのセルアニメを売るために
宮崎商法に頼りっきりで引退詐欺までやりだす始末
だからアメリカの風立ちぬ3億という方が妥当な評価
あんな映画が120億も売れるほうが異常
つまらん映画でも客が入るような殿様商売やってるから
ろくな映画が作れなくなる
主題歌もよかったね
かぐや姫の環境音のよさって、たとえると目が見えない人が音に敏感になる感じに近いと思う
音だけで普通の人が見えないものまで想像して見えるような・・・
背景を描きこんでないから自分の記憶のなかの風景が呼び起こされるんだよね
パヤオはダイナミックなカメラワークとか大味な演出が多いけど
高畑は効果がわかるかわからないかぐらいの
繊細で奥ゆかしい心情演出が好きだよね。
アクションならパヤオ、人間ドラマなら高畑。
真後ろに英語が母国語の母娘が座っていて、歌のたびに2人で英語で歌って
たのには苦笑しました。妻の横の女子高校生が嫌そうにしてました。
海外では映画館では大人も一緒に歌うことが多いと聞くので、この手の
ミュージカル映画が受けるのだと思います
ラストの月は実写にしようという案もあったらしく
かなり悪戦苦闘した形跡がうかがえるね
同じ使い回しなら赤ちゃんになる前の小さい姫のほうがループ構造がわかりやすくなるけど
そんな理屈よりもかわいらしい幼子の姫のほうを選んだあたりが
地球で生きたことを肯定する作品のテーマ性を際立たせてると思った ジャップはアホだから仕方ないねw
2015/08/22(土) 02:52:33.55ID:bgjBge0+
まずは原作読んでみるといいと思うよ。
どれも現代訳は丁寧だし、アニメの脚本もすごく丁寧に原作をそのまま
なぞっているから、原作をゆっくり読むことで、そのままアニメのお話
も明瞭になってくると思う。

かぐや姫は、自信がない。それでも子供ながらの強さで、自分の心に入り
込みかねない人の心を強情に拒否するタイプの子。だからこそ、周り
に溶け込もうと努力しながらもいつも傷つき、さらには周囲に棘を立て
暮らしてる。それでもかぐや姫は必死にその苦しさの出口を探して、いつも
自分の中では無理をして人の輪に溶け込もうとしたり、勝手な思い込み
の中で「普通に」暮らそうとしてる。それでストレスが多かったけど、
かぐや姫には、こうあるべきとは言わず、好きにさせていた。それ
である程度ストレスがとれたというのがまずはかぐや姫が心を開く一歩。

自分の思いの通じる一人遊びの中で、本当に心を開ける友達を見つけ、
自分の思いのままにならないことに憤慨し、でも友達だって自分と同じ
く心があって自分の思い通りにはならないまでも、ちゃんと自分のこと
を想ってくれていたことに気づいて、やっと他人と自分の都合の折り合い
を付けつつ、心を開き真っ当に人と付き合うことに目覚めた。

さらにその幻が(自分の重荷になっていた)自分のルーツに関する懸念
を払しょくしてくれたことで、自分に閉じこもって意固地になることもない
ことに気付いた。その過程で、同じ歴史を共感できる友達にも出会い、
そのまま付き合っていけるようになった。

自分と他者の違いや思いやりを感じられるようになって、今までは拒否
感が強かった育ての母への感謝も感じるようになった。

一般論だけど、いろんな事情が重なって当たり前に他人と付き合うこと
ができなかった子供が、友達との出会いや自分の心の中に閉じこもる
言い訳になってた出自を知ることを通し、他人との付き合い方や、それ
まで持てなかった他人への感謝を知り、心を開いていくお話だと思うよ。
2015/08/22(土) 02:53:26.06ID:bgjBge0+
自分がつまらんと思った事には文句も言わんし、それを一意見としてこのスレに書き込むのも俺は文句は言わない
なぜなら絶賛意見も所詮は一意見に過ぎないしな
ただし単純に一意見として否定的意見だけ書いとけばいいものを何でわざわざ肯定意見まで「信者」とか言う
うさんくさい一言でレッテル貼りして否定しようとするのか
この一語で一気にその発言全体までがうさんくさくなる
単純に清浄だが殺風景な死の世界ってことで、ビジュアルと内的な両方の面で
月世界と冬世界が結びついたんじゃないのかな
ビジュアル的には月面も雪世界も白くてまっさらという大きな共通点があるし
プレスコにしろ人物背景同時描写にしろ効果的に働いたとは言い難い
前者は能力のないアニメーターが絵で追っかけるより
基本的な動作である喋りによって吹き込んだ方が録音時も作品としてもスムーズだろう

後者は一体として描いたからって必ずしも質が上がるわけじゃなくて
やっても画面上、大きな変化はないってのが本当
そりゃいつかは誰かがやったろうが、言うなれば一緒のロマンチシズムであって
むしろ作業的に困難になって、今作みたいに抜いた絵柄じゃないと厳しいんだから、成功したとは言い難い
と言うか逆にあれをしたかったから抜いた絵柄にせざるを得なかったんではないか
里にいた頃の姫は、まさに「憧れた地球」を満喫してる、捨丸兄ちゃんも然り
そしてその後姫が都へ行き、地球の黒い部分を知っていくのと平行して
捨丸兄ちゃんも盗みや不倫(姫は知らんが)を描かれる
んで、最後の全部ひっくるめて素晴らしい!に繋がる
確かに象徴だよね、姫にとっては自然の象徴だし、観る人にとっては地球の象徴でもある
そういえば蒼き鋼のアルペジオという深夜アニメをたまたまニコニコで見たのだが、
どうにも耐えられなくなり、なぜかかぐや姫の物語をもう一度見たくなってしまった。
最近のアニメに出てくる女の子って、みんなあんな感じのとってつけたような演技なのか??
あのアニメの中にかぐや姫を一匹放り込んでやりたくなったわ。
2015/08/22(土) 02:54:04.10ID:bgjBge0+
かぐや姫が泣きながら「同じ国に生まれなくてすみません。月を見たら私を思い出してください」って手紙を書くの、めっちゃ泣ける。あれかなあ。朝鮮との戦争で引き裂かれた異国の恋人や家族の伝説も入れてるんだろうか。


で、天人が姫に天の羽衣を着せようと急く。アニメのかぐや姫はおじいさんとおばあさんと泣いているばかりで特に抵抗するでもなく、着せられて記憶を失う。

だが、原作では貴い身分なので天人を制止する。


その時にかぐや姫、『しばし待て』と言ふ。『衣着せつる人は心異になるなりと言ふ。もの一言いひおくべき事ありけり』と言ひて文書く。天人、『遅し』と心もとながり給ふ。

かぐや姫、『もの知らぬことな、のたまひそ』とて、いみじく静かに、朝廷に御文奉り給ふ。あわてぬさまなり。


翁と媼に対しては泣きながら手紙を書いたのに、いみじく静かに、朝廷に御文奉り給ふ。あわてぬさまなり。 高貴だ…。最後の文通だが、それは高貴な者同士の政治文書として贈る。

ここで恋心に乱れるのではなく、高貴な姫君として帝に対している態度は本当に貴族。
2015/08/22(土) 02:54:42.56ID:5v4+RCKO
高畑がどういう意図で作ったかわからんけどあんま宗教的な背景とか意味みたいなのは感じなかったな
もっと普遍的な話に思えた
天人の存在や輪廻転生を認めている時点で、唯物論では無くなってるなw
宗教的というより、原作の持つ宗教的世界観を掘り下げた気がする
原作者は、こんな宗教観を持っていたんじゃないか? みたいな
天人って仏さんのことかと思ってたら、天人は人間でも仏でもないんだな
俺も、この映画とその解説で初めて知ったよw
古典の先生、そんなことまで教えてくれなかったし w
涙は弱いものの後悔じゃなくて
変わらない強い想いの証明にもなる。
最後に悪者を殴る蹴るでやっつけて終わりにはせず
余韻の残る涙で終わらせたラストに姫の可
まー興行としてはダメなのは分かってたからいい
でも俺としては滅多にないけどブルレイ買うつもりだし関連書籍はもう買った
こんな採算度外視の作品もう日本では作られないだろうが、誇らしいからなという負け惜しみ
いや金がすべてだろ
宮崎を祭り上げてつまらん映画で儲けてきたのがジブリだろ?
アメリカでの風立ちぬの大コケと日本でのアナ雪の大ヒットがすべてを物語ってる
宮崎商法は日本にしか通用しないがディズニー商法は世界中に通用する
金儲けではディズニーのほうが上手だっただけ
ジブリはディズニーに敗北した
関係ないから売れなかったんだろ
詐欺紛いの宮崎商法でしか売れない時点で日本アニメは終わってる
ディズニーは技術革新や若手の育成をしてきたが
ジブリは時代遅れのセルアニメを売るために
宮崎商法に頼りっきりで引退詐欺までやりだす始末
だからアメリカの風立ちぬ3億という方が妥当な評価
あんな映画が120億も売れるほうが異常
つまらん映画でも客が入るような殿様商売やってるから
ろくな映画が作れなくなる
主題歌もよかったね
かぐや姫の環境音のよさって、たとえると目が見えない人が音に敏感になる感じに近いと思う
音だけで普通の人が見えないものまで想像して見えるような・・・
背景を描きこんでないから自分の記憶のなかの風景が呼び起こされるんだよね
パヤオはダイナミックなカメラワークとか大味な演出が多いけど
高畑は効果がわかるかわからないかぐらいの
繊細で奥ゆかしい心情演出が好きだよね。
アクションならパヤオ、人間ドラマなら高畑。
真後ろに英語が母国語の母娘が座っていて、歌のたびに2人で英語で歌って
たのには苦笑しました。妻の横の女子高校生が嫌そうにしてました。
海外では映画館では大人も一緒に歌うことが多いと聞くので、この手の
ミュージカル映画が受けるのだと思います
ラストの月は実写にしようという案もあったらしく
かなり悪戦苦闘した形跡がうかがえるね
同じ使い回しなら赤ちゃんになる前の小さい姫のほうがループ構造がわかりやすくなるけど
そんな理屈よりもかわいらしい幼子の姫のほうを選んだあたりが
地球で生きたことを肯定する作品のテーマ性を際立たせてると思った ジャップはアホだから仕方ないねw
2015/08/22(土) 02:55:06.79ID:WdjwhPqF
かぐや姫にあった水飛び込みのシーン。

あのシーンは、何のために存在するのか、初見から不思議だった。今もってわからない。
だって、かぐや姫はなんの感情も無くただ飛び込んでるだけで、
見ていた子供達はちょっとびっくり顔しただけ。
なんなの?それ?ただの不思議ちゃんで終わってるじゃん。

ももの水飛び込みシーンのほうが、よほど丁寧によく出来てるよ。

水飛び込みってのは、コミュニティに参加する儀式なんだよ。
だから、簡単にクリアされても困るし。
こわごわ飛び降りて、成功したらみんなで褒めるってのが、セオリーでしょ。
飛び込みに対する反応でキャラクター付けに厚みが出るし、ドラマも広がる。
かぐや姫はせっかくの良いシークエンスをあっさり流してしまった。意味がわからない。
ハダカを出したいだけだったんちゃうんか?
ハダカを描くにしても、まったくエロい見せ方でもないし。ハダカ出せばいいってもんじゃないんだよ。
かぐや姫は、全身を見せながら着物を脱いでいたが、ももは、足元を見せながらスカートを脱いでいた。
細田監督のほうが、よくわかってるよ。
どうしてあのシーン(じいさんがヒーメおーいでと泣き喚く)が不快に思えたのか、
「もも」と見比べるとはっきりわかった。
自分の(おそらく多くの人々の)子供の頃の原体験と全くリンクしないからなんだ。

ある地域の子供達の前に、よそ者の子が現れたとき、どう反応するか?
子供達が、みしらぬ子を大声で呼び寄せようとするか?そんなわけがない。
たがいに警戒して壁を作るものだ。そして保護者が「友達になってあげてね」と子供達に声をかける。これが、自然の流れだ。
高畑のかぐや姫は、全く真逆の演出をしてる。だから、斬新とかいう以前に、ストーリーに入り込めないのだ。

子供が仲良くなるきっかけはイロイロだが、遊びに誘う、互いの家を訪問しあう、これは外せない。
ももは、きちんと描けていたが、かぐや姫は友達になる段階がばっさり抜け落ちてる。
それどころか、「いのししに襲われそうになったところを助けられた」ですよ?
で、あっさり仲良くなってるんですよ?
なんのギャグですかね?ありえません。
これで、子供時代を丁寧に描いたつもりだというのだから、お笑いだ。
2015/08/22(土) 03:05:36.72ID:25BFhX64
主人公が異邦人として、ある世界にやってきた、という話しがあるとする。

作劇的に、2種類に別けられる。
A.主人公が、予期しない出来事や、なりゆきで、その世界に放り込まれた。
B.主人公が、自分の意思でその世界を選んでやっきた。

ここで、過去の映画、アニメを思い起こしてもらいたい。
主人公が突然、それまでと違う世界に飛び込んでしまったという場合、
Aパターンの設定のほうが明らかに面白く、作品数も多いだろう。
Bパターンで面白い作品というと、あまり思いつかないが、無くは無い。

かぐや姫の物語は、冒頭はAパターンを踏襲しつつ、実際はBでしたという、
作劇的に掟破りをしている。

面白い話しになるはずのAパターンから、あまり面白くないBパターンに移行したわけ。

推理小説で、主人公の探偵が、ラストで実は犯人は探偵でしたと明かすようなもの。
それって、意外性っていうより、どっちらけですよね。
主人公を苦しめていた物語の起因が、主人公の意思であった、では、同情もできないよ。
主人公がこうするって決めたら、そのように話が終わるんだから。

かぐや姫は「地上で暮らしたい」と願って地上に来た。
「月に帰りたい」って願ったら迎えが来るという。
それは、月が、かぐや姫にしかけた罠だという。
しかも、「かぐや姫は月に帰った後、何か不幸になるわけではない。」ということ。
月の世界で、穢れの無い清らかな生活に戻るだけ。
よく考えれば、基本的に同情の余地はなく、わがまま女の一人芝居が終わっただけ。
でも、別れ際に感動して欲しいから、かぐや姫に後ろを振り向いて涙を流させた。

かぐや姫は、自分で話を始めて、自分で話しを終わらせたのに、ぐだぐだと話が終わらないようにもがいてるだけ。
滑稽だねえ。ぶざまだよねえ。見てられないよねえ。
2015/08/22(土) 03:06:23.62ID:YMdFgI1N
かぐや姫の物語は古典落語を楽しむのに近いと感じてました。
古典のお話を高畑監督がいかに表現して追うのかを楽しむ、竹取物語であり高畑勲を見る映画でもあったなぁと言うのが最初の感想
絵も雰囲気も良かったけどー。最後こわかったな。
かぐや姫の物語の正直な感想としては、キャッチコピー負けしてるな…ってトコかな…
キャッチコピーで期待したものではなかった。ただなんの先入観もなく竹取物語を期待して見たら最高だった!
幸せってなんだろうと考えさせれれました。元々、ハッピーエンドではないお話ではありますが・・・なんか、悲しいというかむなしいというかそういう感情が強いですね。
絵は自分は好みでした、女童がかわいかったです
宗教的な話になるけど、
命が尽きるという事は、生きた喜怒哀楽の全ての記憶から解放されるが、この世との別れはやはり悲しいものなんだなと思った。
男がこき下ろされてるのは原作からしてそうなので気にならなかったが、帝のキャラデザはいったいなんなのか、あんなん絶対笑ってしまう。
2015/08/22(土) 07:18:18.79ID:PEqe8reI
かぐたんは色白で凄い美人だお\(^o^)/

かっぐたーん\(^o^)/
2015/08/23(日) 09:05:16.24ID:kPPwks5b
かぐたんと月で結婚してくるお\(^o^)/

かっぐたーん\(^o^)/
337見ろ!名無しがゴミのようだ!
垢版 |
2015/08/23(日) 10:13:05.64ID:z499W+5M
やっぱりあのラストは許せん!!
勝手に独断の月の女官は永遠に眠らせてしまえ!!!
2015/08/24(月) 20:52:15.62ID:mYT36kMS
ディズニーの3Dも嫌いじゃないが、
ジブリ風2Dアニメの方が好き
ディズニーもライオンキングあたりの2D絵の方が好みだし
それよりもっとジブリ風の絵の方が好き
なので実は、かぐや姫も
今回のような水墨画風ではなく、いつものジブリ風、つまりセル調キャラ+リアルで美しい背景
で創ってくれて構わなかったのに、と思った
そりゃ、水墨画風の絵が動くのは、珍しくて面白いし、アニメとしてすごい挑戦だということはわかるんだけど、
それにするために、どえらい時間とお金がかかったんっしょ?
私がかぐや姫で感動したのは、赤ん坊の動きその他の、動画のすごさと、
登場人物の感情描写、それを説得力を持って描く演出の凄さだから、
それは、トトロ風のセルアニメ、完成されたオーソドックスなジブリの絵柄で、
充分できたと思うんだ そっちだったらここまで時間も金もかからなかったのではないかと

かぐや姫はジブリの中でも1、2を争う大傑作だと私は思うけど、
絵柄だけならアリエッティの方が好き(庭の絵など宝石のようだった)
しかし、こんだけ完成された手法があるのに、
それを使わず、絵的に新しい挑戦を続ける高畑監督の気力はすごい、とも思う
「おもひでぽろぽろ」の顔のしわとかさ(あれは成功かどうか微妙だが)…いろいろ考えるよね
あれも、
今回のかぐや姫の線も、今まで誰もやらなかったし、大変すぎて追随者も出そうにないけど
高畑監督はやるんだよな…絵描きじゃないからかえってできるのか
『かぐや姫の物語』5点中1点。
地井さんの名演をプラスしても2点。オリジナル作品の方が良かったんじゃないかな?
見当違いな屋敷や身分に金をつぎ込んで幸せに出来なかった翁と、金の使いどころを間違えた高畑監督が被ってしまいました。
六本木で『かぐや姫の物語』。
普通にかぐや姫w いや、表現に極端な縛りを設けてアート世界を成立させるのはアリなんだ、が、それが最高なのか、最良なのか、っていうと
ねぇ。これが大量の資金とアニメーターと下請けスタジオ投入して作るべき世界なのか?と。疑問。とりあえず長え。
『かぐや姫の物語』本当にほぼただの竹取物語だった。本当にただのかぐや姫アニメーションにしましたってだけ。
罪と罰も俗世は穢れてるものだからっていう昔からありがちなアレで特にオリジナリティなし。もうちょっとアレンジすべき。
2015/08/24(月) 21:06:51.69ID:tX24hQ7h
「かぐや姫の物語」は、子供っぽい大はしゃぎから、物質主義の愚かしさと美のはかなさについての洗練された寓意へと姿を変える夢のような傑作である。
絵は綺麗だし赤ん坊可愛くて、褒めるとこもいっぱいあるんだけど、すっごい退屈だった。
5人の求婚者が出てきたところで
「なにこれ一人ずつ順にやるの?みんな知ってる話を忠実に?」
ってびっくりした
姫の心情に迫る部分、オリジナルエピは面白かったけど
見るのは現代人なんだからストーリー展開のスピードに考慮して欲しかった

一方で、ほとんど自分自身で充足したようなたわいもない子供時代から
思春期の悲しみに沈んだ状態へのかぐや姫の変貌は、伝統的に考えられた
「少女の幸せな人生」に対するフェミニズム的な批判の説得力のある描写である。

美しくアニメ化され、爽快な想像力に満ち、胸が張りさけるほど悲痛なこの映画は、
昨今のどの映画よりも”もののあはれ”―あらゆるものに宿る哀愁(pathos)―の美学を見事に体言している。
私の人生のなかでもっとも悲痛な映画である「火垂るの墓」を観たときのようにこの映画は私を打ちのめした。
これはただの日本文化の表現なのではない。かぐや姫の悲劇は我々みなが共有するものなのである。
「姫の犯した罪と罰」というキャッチコピーはそれについての手がかりを与えてくれる。
原作は姫の罪について何も語っていないため、高畑はかぐや姫が犯した罪を探り当てたいと語っているからだ。
ただし高畑の探索は直接的なストーリーとはあまり関係がなく
むしろかぐや姫の罪と罰のすべてはこのヒロインの感情的および精神的な旅路と、それがいかに終わるかに関わっている。
かぐや姫の物語見て来た。
原作に何かプラスαがあると思ってそこに期待してたら、本当にまんま竹取物語だった。姫の犯した罪と罰とは何だったのか…。
2015/08/26(水) 10:37:03.92ID:IN0o1hOs
かぐたんに会いに月へ行ってくるお\(^o^)/
今日はA運行だから各駅列車だお遅くなるお\(^o^)/

かっぐたーん\(^o^)/
2015/08/26(水) 19:16:21.37ID:Po2OXf0k
一人二役コンビ打ちで伸ばしてた人が居なくなって伸びなくなったね〜w
2015/08/27(木) 00:08:49.42ID:gmyYYZoo
平和が戻りつつあるんだからいいことよ。
約一名まだ変なのが居着いているがな。
2015/08/27(木) 09:15:22.47ID:eVdes8Xd
かぐたんと海水浴しに月へ行ってくるお\(^o^)/
かぐたんはスク水だお\(^o^)/

かっぐたーん\(^o^)/
2015/08/30(日) 21:13:19.12ID:m2s8Axs+
かぐたんが留守で水泳できなかったお\(^o^)/

かっぐたーん\(^o^)/
2015/08/31(月) 09:28:39.04ID:zIcTdAob
ああん、もう早くかぐたんに会いたいお\(^o^)/
いつ行っても留守だお\(^o^)/
脇をクンカクンカしてあげたいお\(^o^)/

かっぐたーん\(^o^)/
2015/09/01(火) 01:20:16.44ID:90W9vGpk
月は時間と空間を操作できる
しかしそれは人間が存在する次元からは理解できない現象だから夢として処理される
月パワーにふれると人間は能力の限界を超えて眠ってしまうから
疾走シーンではかぐや姫はまだ完全には月の力に目覚めてなかったから
元の時間と場所に戻ってしまったこと対して夢なのか現実なのかはっきりとは理解できていない
飛翔シーンではかぐや姫は時間と空間を飛び越える月の能力を使えるようになっている
(帝のシーンで月に呼びかけてしまいはっきりと悟る
さらに不可思議な水平移動をする)
だから飛翔は捨丸にとっては夢でもかぐや姫にとってはもはや夢ではなかった
事実月に向かって止めないでと要求している
飛翔は空間を飛び越える力で満月の夜まで一気にタイムリープしているのは時間を飛び越える力
捨丸を呼び寄せたのも同じ能力だろう
しかし本家の月にはかなわないからまた元の場所と時間に戻された
ただかぐや姫はあれは夢ではなかったと知ってるから
最後に月に対してあんなにすばらしい地球はやっぱり穢れてなんかいないとはっきり言うことができた

ちなみにラストでおきなとおうなが飛べたのも同じ理屈だろう
月の全面介入であの場全体が月世界=夢になってる
だから一端眠った後で起き上がりふらふらと飛んでいった
(月に対抗するわらべ唄の力と姫への強い想いで月パワーが一瞬ゆるんだ)
そして最後には雲の上にいたはずなのに月が去ると地面に崩れ落ちていた
かぐや姫の視点でなら月への強制送還は悲劇だが
天人たちからしたらんなもん知ったこっちゃないことだし
悲壮な音楽ではなく極楽浄土のような軽やかな音楽でお迎えに来ることが
ものすごく象徴的で衝撃を受けたんだが何だこりゃと思う層もいるんだな
その観点からみるとほんとに細田は素晴らしいな
2015/09/01(火) 01:20:45.51ID:kslJyIiy
もののけ姫におけるタタラ場は一種の独立国家のようになっていて
さらに大規模な工業化都市という近代の象徴のような役割を果たしている
(タタラ場というよりむしろ山岡銅山などを彷彿とさせる)
しかし室町時代にあそこまでの壊滅的な自然破壊が行われていたのだろうか?
以前鳥取県のタタラ場と資料館をたずねたことがあるのだが
そこの語り部がもののけ姫に触れて「自然の力を残しておけば森は蘇る」
「だからあんなことにはならない」と言っていた
実際にそのタタラ場の周囲は森に覆われていた
(そこのタタラ場は工房といった感じでもののけ姫ほど大規模ではなかった)
そのことを思い出すとやはりかぐや姫の炭焼きの言葉に一理あると思う
木地師たちが自然を搾取し利用していたのは確かだが
近代の自然破壊のように再起不能な破壊を行うことはなく、自然の摂理を尊び共存していた
そうした人間の営みというものは決して否定されるべきものではないだろう
もののけ姫では人間対自然という構図が明確にあるが
人間側の代表者がタタラ場のエボシ、自然側がサン、その仲介者がアシタカと、おおむねそう位置づけられる?
こう考えると重要な役割の三人がすべて歴史におけるインサイダー(および想像上の存在)になっている
朝廷という公権力が絡んでくるのは師匠連という闇組織を通してだけ
つまりものののけ姫という映画は裏日本を舞台にしている
それはファンタジー作品という非現実的な性格上やむをえない構成だったのだろう
しかしもう一つの理由として実際の日本史とは位相をずらすことによって
室町時代には存在しなかった20世紀的な大規模自然破壊というテーマを盛り込むためであろう
もののけ姫は神話的古代から合理的近代までをつめこんだ擬似中世社会に
文明論的な自然と人間との対立関係を壮大なスケールで描いた
かぐや姫においてはタタラ場のような近代合理主義も原始の森に生きる神々も登場しない
つまり人間による自然破壊というテーマは直接的には描かれていない
しかしその代わりに一人の少女における内なる自然の喪失がテーマになっている
ありのまま〜自然に生きられたおとぎ話のような子供時代から
所有と支配により内なる自然を抑圧され心を閉ざしてしまう大人時代まで
眉を抜かれ、薄力粉とお歯黒を塗るかぐや姫の姿は
イノシシの戦士たちの皮をはぎ、血で顔に塗りたくる師匠連の姿に重ならないか
一方は女性を宝物として所有し支配するための宮中作法への服従として
他方は神々を服従させ、人間の欲望を成就するための道具として
平安時代には自然破壊は行われていなかったが女性への抑圧は現在よりはるかに深刻だった
これがいかに文明的暴力でもって内なる自然を抑圧しているかは当時の日記文学などを読めばわかる
つまりもののけ姫はミクロ的な歴史観で文明と自然の対立を描いているのに対して
かぐや姫はマクロ的な視点でかぐや姫というひとりの人間の歴史の中に自然と文明との対立を描いている
2015/09/02(水) 12:08:14.48ID:BrBOzxey
ちんぽこ ぽろぽろ かぐや姫

全部好き
2015/09/04(金) 22:43:48.79ID:KNy7SnXH
原風景のような美しい自然。
都での優美な生活。
求婚者をばっさりとはねのけるところ。
劇中に歌われる「わらべ唄」などなど、
みどころは満載。
このかぐや姫の物語ってのはある意味残酷な話だと思う、どこがと言うと「うかうか周りに流された結果、
周囲の要求を拒否し続ける事しかできなくなった人間」を描いている点だ

タケノコ(かぐや)は花見の帰りに牛車の中から捨丸を見かけた時点で飛び出して行って捨丸と一緒に
行けばよかった、行くべきだったはずなのにそうしなかった
そもそも山でキジと茸を取った日に翁の言うとおりにせず、いっそ捨丸たち木地師と一緒に行けばよかった

けどいくら成長が速いからとはいえまだ子供のタケノコに自分が何を欲求しているかなんか自覚できるわけがない
翁にしてもタケノコに良かれと思って行ったことだったし、だからタケノコも従わないわけにはいかなかった

しかし理由はどうあれ、自分の気持ちをごまかして自分の真の欲求を実現できる道を自ら閉ざしてしまったことには
変わりないし、その時点でタケノコ=かぐやの不幸は決定づけられていた

「罪と罰」という謳い文句は鈴木Pの考案らしいが、ある面ではこの映画の核心を確かに突いている
要するに「何が何でも自己を貫くべきだったのにそうしなかったこと」が姫の「罪」であり、「そうしなかった」事に伴う
後悔が「罰」そのものであるという見方もできる
視聴者をバカにしてるな高畑は!
終盤での捨丸との「駆け落ち」を「不倫」と切って捨てる事は簡単だが、捨丸があの時点で妻子を持っているという事によって
「それでもタケノコは捨丸と一緒にいたかった、いるべきだった」というタケノコの欲求の強さと、月の力で仲を引き裂かれる
その後の展開も相まって「そうするべきだったのにもうできない」というどうしようもなさ、そして「もっと早く自分の欲求に
気付くべきだった」という「生き方の問い直し」を同時に行うという展開上の意味は押さえておくべきだろう
2015/09/06(日) 01:56:16.23ID:oPf7Q8i3
さらに素晴らしいかぐや姫の物語は「天皇が女を抱く」事の生理的な拒否感を描くために
「それ以外は完璧でも、あごが長いからダメ」って、天皇制差別に反発しながら「性格は見た目に出るから、見た目が悪い奴はダメ」という容姿差別になってるよね。
「生きろ、そなたは美しい」って言うもののけ姫と同じ轍を踏んでるよね。

違うのか。求婚されることが嫌なのか?
女の子を薔薇の花嫁のように所有しようという結婚制度自体が嫌なのか?
その「イエ制度」の頂点である「王子様」とか「クニ」が嫌なのか?
はあ。
だったら少女革命しろよ!走れよ!
って、アニメのかぐや姫も成人式の夜に疾走したけど、なんかよくわからん炭焼きジジイに会って「春を待ったらいいんじゃないの?」
って雑なコメントを言われてぼけーっと過ごして、五人の貴公子を追い散らした後、
雑に田舎に帰って違う人が住んでるってだけで勝手に不貞腐れて、帰り道で捨て丸が盗人をしてボコボコにされていたら、
カッコ悪いと思ったのか助けなくて、貴公子は三年間放置して、貴公子が帰ってきて失敗して、
御門に言い寄られて抱かれて人生を否定して、また適当に田舎に帰って
「捨丸兄ちゃんとなら私、幸せになれた」と雑なことを既婚者に言って
夢落ちで逃げて、迎えが来たので羽衣を着せられて、原作では養父母と御門にきちんと落ち着いて手紙を残したのに
そんなことも無く、雑に従って帰る。

クズじゃん。

強さと気高さが無いので少女革命をする気力もないクズじゃないですか。
そんな女に、僕は憧れたりしませんよ!

まあ、親近感を覚えるフェミニストの女性はそれでも仕方ないのかな。
僕もNHKにようこそ!とかライムギ畑で捕まえてとかボンクラの男がボンクラのまま終わっていく小説が結構好きだし
そういうクズの女バージョンだと思えば、まあ仕方ないかなー。

でも、そこには強さも気高さもないよね。
WEBアニメスタイルより
── この作品の捉え方として、ある1人の若い女性が、
男性から物扱いされることにショックを受けて、反発しているうちに婚期を逃す、
みたいな類型を描いているようにも見えますよね。それは想定してるんですか?
西村 う〜ん、婚期っていう視点で観ちゃうと違いますね。結婚というのは、
この映画のなかで言えば、あくまで小道具ですよね。それが物語の本質ではなく、
求婚譚を通して見えてくるものが本質なわけで。
女性の婚期というものを物語の中心に据えているとは思わないです。
 ただ、女性を物として扱う男性への痛烈な批判は含まれてるでしょうね。
いまの社会でも、多分そうなんじゃないんですか。男性ってやっぱり支配欲もあるし、
権威主義だし、
そういうことに対する批判は確実にある。それはこの映画に含まれた普遍的なテーマのひとつだし
女性観客の多くはそう感じてくれているらしいですから。
多分、男性からすると観ていて居心地悪いでしょうね。出てくる男は、どいつもこいつもろくでなしですから。翁だって、
悪気がないとはいえ、結果的には姫を追いつめたわけだから。
── あの愚かなところがいいですよ。
西村 うん。だから、みんな人間っぽいんですよね。捨丸もそうだし、
求婚者たちもそうだし。ヒーロー、ヒロイン像を描いてないんです。だから、ファンタジーの枠組みをまとってますけど、やっぱりこれはリアルなお話なんですよ。

何が権威主義への痛烈な批判なんだよ?かぐや姫もろくでなしのぼんくらでクズじゃん!

クズが自分を物扱いするなって言うんだ。容姿だけでちやほやされてた女が、
「御門はいろいろ持ってるけど、あごが変だしキモい」って。
「相手の顔も知らないで結婚はできません」って言ってた女が相手の顔を自分から見ようとはせずに。

「ちやほやされるのが嫌だから逃げます。処女でいたいっす。美しいものは子供時代だけです。赤ちゃん人間でいたいっす」

クズじゃん。いや、俺もクズの独身男性なんだけどさ。だからこそクズの気持ちはよくわかる。

まあ、それを「リアルなお話」って言ってしまうのは仕方ないのかな。リアルは地獄!
2015/09/06(日) 01:56:45.21ID:oPf7Q8i3
うーん。なんか、9世紀(源氏物語が描かれる以前)から8世紀の奈良時代を批評的にユーモラスに伝奇的に見つめる原作があって
それをアニメ化する際にざっくり平安時代を舞台にして
9世紀も12世紀もいっしょくたにしたのだろうか。

「雑」。。。。。。

雑な割に木地師の作業場のディテールが異様に細かかったり
平安時代の宮廷をクソリアルに描いていて、ファンタジックなおおらかさが無い。
色んな時代をいっしょくたにするんだったら、それなりにおおらかな雰囲気を印象付けるための演出が必要だったと思うけど
それをやらないで竹が光るのどうのと言う些末な所にこだわるのがダメ。

原作は
「最近みんな夜這いしてるけど、その元ネタはこの話なんですよー。”恥を捨てる”っていう流行語の元ネタもこの話ですよーw」と、
教養を元にしたおおらかなユーモアがあった。が、高畑勲監督版は全般的に張りつめた感じで、原作のおおらかさを殺している。


ああ、女の童っていうパタリロみたいなのが出てましたね。で?

そういうオリキャラで原作を崩したバランスを取ろうとしても浮いてるだけに見えたなあ。
だいたい、あの女の童ってかぐや姫以上に存在が謎の異形の生物じゃないの月人の攻撃にも耐えてたし。
すごくテキトーな便利キャラって感じがするんだよなー。


また、「虫愛づる姫君」の時点で「お歯黒や引き眉はめんどくさいよね」という、文化を相対化する視点はあった。
(お歯黒は一応虫歯予防に成ったらしいんだが)

「竹取物語」の原作でも慣用句の語源を物語の中に置くことで
当時の恋愛習俗を相対化して見る視点があった。
そういう習慣の中に身を置きながら絶対視しない態度と言うか。

なんだが、高畑勲バージョンでは「笑ったり走ったりしない高貴な姫君は人間じゃないのね!」
って「絶対的な貴族の習俗に立ち向かう現代人思考」を繰り出していて、しなやかさがない。だいたい「人間」を「ヒト」の意味で使うのは江戸時代以降では???

平安時代全体を書きたいのか、平安時代のいつの何を描きたいのか、
それを利用して現代を批判したいのか、もう、ごっちゃごちゃで整理されてなくて良くない。
2015/09/07(月) 10:07:10.38ID:SKkj1jZG
今日はかぐたんに会いに月へ行くお\(^o^)/
お土産はひよこだお\(^o^)/


かっぐたーん\(^o^)/
2015/09/07(月) 19:45:18.88ID:MhZHaabX
研究するために研究している科学者のように
理屈まみれの奴に喜ばれる映画か
2015/09/08(火) 23:54:12.67ID:OWvy6dyw
研究者2人(実質1人のコンビ打ちw)の再登場まだー?
2015/09/09(水) 14:44:21.89ID:Ncefa718
まんが日本むかし話のかぐや姫で十分だった
2015/09/10(木) 21:48:48.37ID:iPgszcmF
経験MAX な美人若妻マヂ最高すぎるww
こんなオレでも受け入れてくれたwww
金も出してくれて言うことナシだ(涙)

sn麗n2c@.net/s13/69nana.jpg
麗を削除 @をhに変換
2015/09/12(土) 15:32:30.01ID:EHtaxT0s
>>68
ほんとに自演てやっかいだよな

過去スレを見ればわかるけど
連投8回制限
テンプレは10

いつもスレを立ててくれていた信者が8回目のレスをすると
ドンピシャ待ってましたと登場する合いの手w
そのおかげで滞りなくまたテンプレを貼れる

一人二役コンビ打ちで伸ばしてたのになぁ〜
最近来てくれないなぁ〜

自演がばれちゃって恥ずかしいのかなぁ〜w
2015/09/17(木) 10:39:36.16ID:zYpKLWCN
信者2〜3人が伸ばしてたと思ってたけど一人の自演だったかw
2015/09/19(土) 23:13:34.09ID:p/4OC6vj
本当に一人だったんだな
2015/09/20(日) 20:50:13.42ID:rhD2ILrF
打てば響く打ち合わせ済みのような信者たちだと思ってたら
1人の自演だったのかwなるほど息が合ってたわけだw

どおりでしたらばも閑古鳥なわけだw
2015/09/21(月) 00:13:11.93ID:4Pv5xt40
明後日花巻で高畑勲にお目にかかれるかな。
一応行く予定。
でも来月も花巻に行くんだよね。
2015/09/24(木) 20:57:52.15ID:U4hRj8+B
基地外信者が居なくなったら荒らしもいなくなったねw
もしかしたら同一人物?
2015/09/26(土) 09:58:08.25ID:YZHV3ind
結婚の儀式の打ち合わせに月へ行ってくるお\(^o^)/
かぐたんのどろっと経血のお土産をもらいたいお\(^o^)/


かっぐたーん\(^o^)/
2015/09/27(日) 21:02:42.73ID:QAxUJu89
二度目の中秋の満月だ
2015/09/28(月) 00:06:20.04ID:y/ZApPkn
東京じゃ見事な月だったな。
天人の音楽が流れてくるのを想像するとやっぱり怖いが。
2015/09/28(月) 08:09:37.57ID:OdvlNrGY
昨日はまん丸の月から地球を眺めたお\(^o^)/
かぐたんは地球へ行ってしまっていたお\(^o^)/

かっぐたーん\(^o^)/
367見ろ!名無しがゴミのようだ!
垢版 |
2015/09/28(月) 19:30:00.15ID:AurFwpq5
かぐや姫のブルーレイが欲しいのだがなかなか安くならんね
北米版がDVD付で最安だった
何で国内向けが高いんだよ
しかし高いなぁ...
アニメヲタでないからわからんが
アニメって安くならないよね なんでや
2015/09/29(火) 20:31:18.93ID:CWj9Pzrc
月から見る地球はとても美しいお
スーパー地球だお\(^o^)/
かぐたんに早く会いたいお\(^o^)/


かっぐたーん\(^o^)/
2015/10/01(木) 06:58:01.36ID:Tr4b3Hr9
スーパーかぐたんのどろっと経血はレアな品だお\(^o^)/

かっぐたーん\(^o^)/
2015/10/05(月) 08:22:47.13ID:sOFqi8gp
かぐたんに会って経血を貰いに行ってくるお\(^o^)/


かっぐたーん\(^o^)/
2015/10/06(火) 13:37:07.31ID:712E7dbQ
スーパームーンの時はスーパーかぐたんになったお\(^o^)/


かっぐたーん\(^o^)/
2015/10/06(火) 15:56:30.11ID:hBls3i2o
福島みずほのどきどき日記 「かぐや姫の物語」(高畑勲監督 日本 2013)
http://mizuhofukushima.blog83.fc2.com/blog-entry-2402.html
2015/10/06(火) 16:02:13.18ID:NHtbPSqH
ぬるぽ
2015/10/07(水) 16:50:41.71ID:HXGZ8WER
ガッ
2015/10/07(水) 19:58:11.66ID:2FLlCXb1
アニメーターの間でかぐや姫の物語の表現を取り入れようという動きが起こっているらしい
2015/10/07(水) 21:04:38.86ID:MIO33JpK
みずぽ
2015/10/08(木) 00:05:07.70ID:AUOi3w7M
>>376
ガッ


?みずぽ
2015/10/08(木) 01:05:34.71ID:PTuals9y
キチガイ信者が死んでからかっそかそになってしまったなw
2015/10/09(金) 23:45:20.87ID:Aze9dOvQ
キチガイ荒らし長文がスレを焦土にした癖に何言ってんの
>>378お前の事だよ
380見ろ!名無しがゴミのようだ!
垢版 |
2015/10/11(日) 09:55:22.85ID:Mn4V4tHp
かぐや姫が求婚者を追い返したあとで、
「集まってた人みんなどっかへいっちゃったでしょ」と言う場面があるだろ
あそこはツヤを込めて描いている。高畑も年寄りらしく年季の入った作り方をしている
2015/10/11(日) 13:00:44.48ID:Zs6d90UN
>>379
キチガイ信者したらば誘導大失敗で涙目www
2015/10/11(日) 18:38:22.42ID:5WRq9jl7
自演コンビ打ちで伸ばしてたキチガイ信者涙目wwwwww
2015/10/12(月) 00:55:41.01ID:3dugxcgc
叶精二氏によると、『マーニー』に田辺修は原画として参加していたらしい。
その理由というのが、『マーニー』作監の安藤雅司に『かぐや姫』のときに
ずいぶん助けてもらったので断れなかったということみたい。

https://twitter.com/seijikanoh
2015/10/12(月) 07:27:41.45ID:G+bIvM1Q
絵柄がいいよね。特に姫の顔の作画がいい。
ジプリヒロイン顔とは全く違う。
眼の輪郭線が曲線部と直線部で構成されて
いて、毛筆のような線の太さ加減の繊細さ
も加わって非常に端正な造形になっている。
可愛いらしくもあり、
鋭い美しさも感じられる絶妙な描画だと感じた。
古典の文章ってこういう無慈悲な物語多いよな
ストーリー自体は知ってたけど、姫の赤さんから成長していく姿や人間味溢れる姿をあれほどまでに見せつけられると観終わった後の心のダメージが原作より大きい
気分の高揚の表現方法としてならおもひでぽろぽろでも空を飛んでるよ
上の方のレスでかぐや姫がつまらなかった人が
細田作品・まどマギが好きでおもひでぽろぽろが合わないと書いていたけど
私は逆に細田作品は全く受け付けず、おもひでぽろぽろがジブリ作品の中で一番好き
風立ちぬも大好きだけど、かぐや姫と比べるなら僅差でかぐや姫に軍配をあげる
細田・パヤオと高畑では女の描き方が違うなと思う
女の私にとって細田・パヤオの女はこんな女おらんがな夢見てんなよとイライラするが
高畑の描く女はものすごく腑に落ちる
ものすごく個人的な意見だけど、まどマギでまどか・ほむたんが好きな人は本作を受け付けにくく
マミさん・さやか・杏子が好きな人は受け付けやすいんじゃないかな
「帝」はただの男じゃなくて、名誉、権力、富、そういうものの象徴なんだよほむらたんとせくろすしたい。
そういう存在が求めるものは「不老長寿」
秦の始皇帝が不老長寿の秘薬を求めて日本に道志を送っただの
嫦娥という女が西王母の不老不死の薬を盗んで月に行っただの、
中国ではそういう伝説がうんこ盛りだよ
それをあっさり燃やしちゃう日本の帝って、ストイックだよね
「穢れてない」というセリフはかぐや姫の未熟な清廉さを表現していると思った
もしかぐや姫が成熟した大人だったら「清も濁もあるがそこがいい」と穢れも肯定してたと思う
かぐや姫の清廉潔癖な感性では人間世界は無理で、どうやっても結局は月に帰るだろうな
一応かぐやは清濁併せ呑んでそれでも肯定する意味で「穢れてなんかいない」
と言ったんじゃないの。アゴホールドされて脊髄反射的にSOSが出ちゃったけど。
月としてはそりゃ許されざる事なんだろうが
不便で生活きつい山にでも送ってやればすぐ音をあげて帰ってくると思ったら
意外に馴染んでこりゃいかんっつって嵌めたんじゃね
過保護だろ父王って。翁と別ベクトルの毒親
永遠の生命ってのは、薬を燃やした活火山の富士山(不死山)みたいに、
噴火したりして恐ろしいものでもあるよね
そこんとこ、中国人とは感性が違うよね、ってことで日本の「物語の祖(おや)」なんだよ
2015/10/12(月) 07:28:09.36ID:gwV+rOYQ
モモへの手紙と、ゼロ・グラビティについて。

ゼロ・グラビティでは、ラストで水中から浮かび上がり、大地に感謝していた。
ももへの手紙では、ラストで空に感謝し、海にダイブして浮かび上がった。
偶然とはいえ、どちらも同じシークエンスを採用している。
魂の再生と感謝の気持ちを表している。
これが、近年、映画芸術がたどりついた、精神性をモチーフとした場合の観客に語りかけるべきテーマである。

かぐや姫はどうか?
ラストの別れのシーン、じじばばが、「一緒に連れてって」と泣いて懇願するところで、
かぐや姫は「お許しください」とだけしか言わない。
そこは、どう考えても「今まで育ててくれてありがとう」じゃないの?
やっぱりね、ちょっとずれてるんだよね。感性が。

別れを惜しむかぐや姫に、天女は「月に戻れば、この世の穢れも拭い去られましょう」と諭し、
かぐや姫は「穢れてなんていない!」と講釈をたれる。
「この世は彩りに満ちている……(うんぬんかんぬん)」
果たして、その言葉に説得力はあるのか?
観客に何が伝わるというのか?
かぐや姫が言い終わると羽衣を強引に着せられるかぐや姫。
監督もいっぱいいっぱいだったんだね。
監督自身も「この世は穢れてなんていない」なんて、かぐや姫の言葉は信じていないんだよ。
天女のほうが正しいと思ってるわけだ。
でも、一応映画としてまとめるために、オチをつけるしかなかった。
その苦肉の策の結果が、あのトンチンカンなラストシーンですよ。

もう一度、簡潔に言うよ?
かぐや姫が「今まで育ててくれてありがとう」と感謝しないのは作劇的に間違ってる。
そして、じじばばが「かぐや姫のおかげで、幸せなひと時を過ごせた」と感謝を返すべきなのに、それも無い。
上記の台詞が、あると無しで、どちらが美しいドラマと言える?

観客は、ただ後味悪いものを見せられただけ。酷い駄作だ。
監督は他人に感謝するということを日常的にしない人なんだろう。
だから違和感も感じず、こんなラストシーンを作ってしまうわけだ。
かぐや姫には感謝の気持ちが無い。
どうも、かぐや姫を見ていて、違和感を感じていたのは、つまりそういうことなんだ。

自然に対して人の心を育むうんぬんと賛美するような台詞は多いが、
具体的に人に対して「ありがとう」という台詞が、かぐや姫では無いんですよ。
いのししから助けられたときも、かぐや姫は「ありがとう」とは言わないし。
最初に言葉として言わなきゃいけない場面だろうが?
男がケガをして包帯まいてもらっても、ありがとうとは言わない。

「ありがとう」という言葉はとても重要なのに、普段から意識しないで言えるような人間は少ない。
だからこそ、他の映画では重要なシーンで「ありがとう」と印象的に言わせている。
観客に感謝の気持ちを表すことの重要さを思い起こさせている。
かぐや姫も、そのモチーフから考えれば「ありがとう」という言葉を印象的に使わないといけないのに、
無いってのが、ダメダメだよなあ。
そもそも「ありがとう」という言葉によってドラマが帰結するものなのに、それが無いってことは、
ドラマが無いというのと等しい。
高畑は、根本的に作劇をわかってないんだよなあ。

「ありがとう」が何回出てくるか数えてみたけど、
屋敷で、自然を象徴する庭をもった時、桜の枝をもらった時、の2回か。
そんなに自然(自然を慈しむ自分)が大事か?この脚本はちょっと歪んでいる。
脇役の口から発せられる感謝の言葉は、全て皮肉でしかなく、観客は共感できないよね。

「かぐや姫の物語」に違和感を感じなかった人は、
監督と同じく普段から他人に対して「ありがとう」と言わない人なんだろう。
2015/10/12(月) 07:28:40.39ID:YvPTMHYk
竹取物語自体が二元論に収まってないからね
常世は清浄な世界で現し世は穢土という価値観に対し
かぐや姫は清浄な世界になんか戻りたくないと言って否を突き付けている
だけど天の羽衣を着せられた瞬間
彼女の霊魂は『エジプト死者の書』でいうところの「バー」の状態になって
現し世との縁が切れてしまう
これを魂魄思想に当てはめて考えると
現し世に執着する姫は魄の象徴であり
月の住人としての彼女は魂の象徴であるということになるが
竹取物語は二元論的に魂的なものを善および光とし、魄を悪および闇とするものではなく
地上的なものに対する前者の圧倒的な優位性を描きつつ
同時に非情かつ理解不能な恐ろしいもののように描写する
つまり清浄なものが光であり同時に
(無明の人間にとっては)底知れない闇である存在として描かれている
これは叛逆の物語でほむほむが円環の理に導かれるのを拒絶した動機の一つだと考えられる
竹取物語とよく似た話が伝わっているチベットの死者の書では
世間一般的にはジブリ作品=宮崎駿っていうイメージだと 思うんだよね。
高畑の強烈なフォロワーとかで一部宮崎駿嫌いみたいなのが
いるけど。今作だって風立ちぬがある程度ヒットしてなかったら企画の段階で
ポシャるでしょ
2chでだって名無しがムスカのセリフになってるけどやっぱりヒットメーカーの
宮崎駿がいて初めて作品が作れるんじゃない
もちろん高畑勲がいて初めてジブリは成立するのはあるけど
高畑の作品は生真面目というか排他的というか
ファンタジー要素が少なすぎ
それに言っちゃあなんだけど高畑作品はストーリーもそんなに面白くないのに
キャラのタッチも線も手抜きにしか見えん

死に臨む凡夫が解脱できないのは、この世とあの世の中間世界であるバルドゥにおいて
凡夫が仏の光を恐ろしく脅威に感じてそこから逃げ出し、より低次元の輪廻の世界へ
自ら赴くからであるとされる
(仏の世界は常に開かれているのに、人間の方がそれを嫌だと感じて避けるのだ)
かぐや姫は元々そちら側の存在だったので嫌がりながらも宿命により本来的自己に還元されたが
死に臨むほむらは凡夫として低次の世界に自ら落ち込んだ。デミウルゴスよろしく仏の光を道連れにして
『竹取物語』のかぐや姫は嫌々円環の理に導かれたほむらであるわけだ
2015/10/12(月) 15:04:50.31ID:4ZSxaUlJ
専門的でもなく難しくもない。誰でもわかる
それが国民的童話ってもんじゃないかな。

トピック的にも作品的にも日本人が千年以上にわたり
重要だと考えて引き継いできたテーマを無視するのはいかがなものか
アレンジするにしてももとのテーマに対する応答であるべき

これじゃただの原作破壊 有名作品の名前だけ欲しかったか
最後に月に帰ってく話だろwくらいの読み込みレベルだった
そこまで自信もって言うんだったら、
高畑勲が企画書として書いた「竹取物語とは何か」は
読んでいるんだろうね?
(ロマンアルバムとか『アニメーション、折にふれて』に
収録されてるから読もうと思えば読める)
その上で、あなたのいう「重要だと考えて引き継いできた
テーマ」が欠如している、という点を具体的に書いてくれないと
説得力ないよ。
Wikiとかネット調べてもエヴァオタとかトトロ死んでる説みたいな
キモイ話しかないな
子供に聞かせるレベルの話なのに現代日本にはアホしかいないのか
作者のいいたいことはなんでしょうで×もらうレベルだな
複雑で意味不明な話が1000年も語り継がれるわけないだろ
アスぺっぽい逸話の多い作者だし細かい所にまどわされて
考えすぎて変な方向にいってしまったのかもしれんが…。

しかしまだテーマについては書かん
答えを聞くのは無粋、そもそもこの話は察する所が重要だし
難しい話ではないからだ、ネットにも乗ってるだろうから
自分で読んで心ゆくまで考えてくれ
どうしてもわからないならヒントくらいならやる
2015/10/12(月) 15:05:26.82ID:4ZSxaUlJ
先月刊行の鈴木Pの新刊『仕事道楽』増補改訂版(岩波書)から
『かぐや姫』に関する記述。

・今までのジブリ作品は公開前に興収の予測がある程度見えたが 『かぐや姫』は読めなかった。

・25億という興収は映画としては厳しい。
熱狂的なファンはいたが、人気が広がらなかった。

・高畑さんが遺作として想いをぶつけた作品だから、興収の結果については ショックを感じた。
むしろ見た若い世代から「月に帰って しまうんだ」という感想が複数あったことが
「ストーリーしか 追わず、表現を見ていない」という点でショックだった。

ジブリとしては興収は25億という見解ということか。
大コケとまではいかないだろう。
2015/10/12(月) 15:51:34.20ID:jwCTT+c7
輪廻に引きずり込むっていうのは、女の神かなんかがいてそいつがやってるんだろ
2015/10/12(月) 17:17:22.62ID:FuyzBACs
かぐや姫をアニメ化したい、でもいざ作り出したら、テーマをどうしたらいいかわからなくなった、
自然崇拝&現世を穢れた地として警鐘を鳴らしたい、でも、映画としてオチをつけたい、
という高畑監督の迷いと自信の無さの表れが、ラストシーンに集約されてるよね。

かぐや姫が天女の衣を着て、天に帰る

ふと、われにかえって地球を振り向いて涙する

月をバックに赤ん坊のかぐや姫

いやあ、だらしない演出だ。なんだこの素人なコンテは?
ラストをどういう風に締めたらいいかわからないものだから、
思いつくかぎりの絵を継ぎ足したってことが丸わかりでしょ。テーマがブレブレじゃないの。

ただ、まっすぐ前を向いて月に帰って行ってくれたら、なんぼかマシだったのになあ。
なんであんな蛇足をつけたしたのか
「かぐや姫の物語」が、いかに作劇的に破綻しているか、
いろいろ書きたいことは多いが、まず一番にあげなくてはいけないことがある。

物語中の「月」がどういうもので、「月から来た人」がどういう存在なのか、
映画の中で全く語られていない。
少なくとも、人間の世界より清浄で高貴な人々が住んでいる世界=月ということを、
脇役の誰かにきちんと語らせておくべきだ。

日本人なら語らなくても暗黙の了解でわかるから不要とでも思ったのか?
しかし、月の設定を明示しなければ、かぐや姫の立ち位置が全くぼやけたものになってします。
かぐや姫にとって月は住みやすいところなのか、地獄のようなところなのか、
それさえも判然としないままで、地上で生きていたいと言われても、かぐや姫の切実さなど共感できない。
「月は清らかな世界だが、地上で暮らしたい」と、
「月がどのような世界かわからないけど、地上で暮らしたい」とでは、全くかぐや姫への見かたが変わってくる。

その「月から来た人」である自分は、何者なのか?
生まれつきの貴人なのか、地上の人と同じ普通の人なのか?
それも曖昧なままにしているから、前半で「自分は偽者!」などと卑下していたことの、
回答が用意されないままになってしまっている。

作劇上、かんじんなトコロは「昔話」だから、「原作通りだから」と逃げているようにも見える。
2015/10/12(月) 18:13:20.60ID:jwCTT+c7
だいたい生物じゃない意識だけの存在っていうものがどういう感じなのかもわからない
2015/10/12(月) 18:44:26.18ID:CC3sR3+d
竹取物語はおおよそ10世紀くらいだと推測されています。
現代人が竹取物語を見て仏教的なエッセンスにいまいちピンと来ないのは、当時は浄土教が広く普及していて、浄土信仰が人々の死生観に強く影響を与えていたからだと思います。
そして浄土信仰の死生観から竹取物語を見た時に、
まさしく今回のジブリの「かぐや姫の物語」のような悲しいストーリーが浮かび上がってきます。
かぐや姫の罪と罰、穢土と浄土、生と死。
かぐや姫の髪上げの儀の際の夢では、非人間的な速さで里山へ帰りますが、そこでは山は冬を迎えています。
山が死んだと思っていたかぐや姫が春の準備をしているだけと知り、まさしく「流転の相」に気付き、そこで夢から目が覚めるのですが
あそこで絶望していたら月からの迎えはあの時に来ていたのではないかと思うのです。
ここで面白いのは物語終盤までは登場しない月世界の概念、地上世界と月世界の対比を
「里山」と「都」
で表現しているところでしょう。
都は穢れのない高貴な人を目指す場所であり、かぐや姫が真に求めているのは穢れ(人間らしさ)に満ちた里山での生活でした。
かぐや姫は女であることを喜んでいいんだか疎んでいいんだか女をどう扱えばいいのかどう扱われたいのか分かんなくなってイラっときたり
不安になったりしたので性未分化の性別:女は見ちゃダメだとおもった ていうか女にしか分かんないだろうシーンいっぱいあった
『かぐや姫の物語』捨丸との再会シーンからのアレは馬鹿馬鹿しくて見てられなかった。
月からのお迎えも「え、結局その程度の解釈と表現かよ」とガッカリしたなあ。
今50億もかけて竹取物語をやる意義をこの作品からは何も感じられなかった。
もう結論から言うと、月は死者の国であり、仏教・浄土信仰における極楽浄土です。
先の歌でもある通り、命を象徴するのは「お日さん」であり、月は夜を意味し「死」を象徴しています。
作中でも実際にかぐや姫を迎えに来たのは、すげえパンチパーマの効いたそっくりさんでもない限り、阿弥陀如来その人です。
2015/10/12(月) 18:44:43.21ID:nw9DaOBu
実際、かぐや姫つまんねーからw
てか、そのつまんねー原因もじつははっきりしてんだけどな
観客は誰もがかぐやが月に帰ることを知っている
なのに高畑はそれを利用しなかった。これがなによりデカい

正直、捨て丸で登場したときには「やっぱその手でくるか」と思って俺もけっこう期待したのよ
なぜなら竹取物語は捨て丸とかぐやが仲良くなればなるほど、ラストシーンが盛り上がるからだ
そして、その意味ではかぐやと育ての親との関係でもまったく同じ事が言える
ようは地上人とかぐやの結びつきが強いほど「別れ」がドラマチックなるって寸法だな
前にタイタニックを例にだしたのも俺だけど、これはなにも特別な事じゃなくて、
あるていど定石を踏まえた作家や監督なら一番最初に思いつく定番の手法なんだな
「タイタニック」も船が沈むという宿命を上手に使用して、物語も面白くしているだろ?
竹取物語とタイタニックは、主人公らが悲劇を受け入れて終わる点で、ほぼ同じコンセプトの物語なんだよ
遡れば古典中の古典ロミオとジュリエットも同じジャンルといえるな
ここで思い出して欲しいのが「火垂の墓」だ。これも悲劇で終わる話だけど、当時
頭脳がキレキレに冴えてた高畑は、やはりラストの悲劇を上手に利用して脚本を仕上げている。
火垂の冒頭が駅構内でボロクズのように倒れる主人公の場面からはじまってるのもそのためだ。
観客に主人公の死を示唆する事で、これから始まる物語に一種のサスペンスを効果的に与えているわけだな。

対して今回のかぐや姫はどうか
物語の序盤から「別れ」への前フリはきちんと行われてるだろうか?
かぐやは物語上でかけがえのない存在、人間関係を構築してるだろうか?
捨て丸は? いったん捨てちまって、都合のいいときだけ会いに行くだけ
翁は? 「死にます」なんていって喧嘩売ってたよな
媼は? まあ、母親として普通ってレベルかな
求婚者たちは? 露骨にあしらって人死にまでだしてる。まるで貴族嫌い、人間嫌いの男嫌いのようだ
御門は? もちろん相手にすらしない。思いっきり拒絶してる

ようするにさ。
この映画のかぐやは、地上の人と誰とも仲良しになってないのよ。
(それどころか個人的に何か大切な物を見いだしてたようにもちょっとみえない)
それゆえに、地上に残りたいようには全然見えないんだな(ある意味原作通りだが)
むしろあらゆるものを投げ出して、どこか別の土地に逃げてしまいたがってる印象のほうが強いぐらいだ
そしてこれこそが、この映画がちっとも面白くない最大の原因だ。
観客としては「そんなに都の生活が嫌なら、月でもどこでも別の場所に行けばいいじゃん」ってなるわなw
なにに映画内のかぐやはしらじらしく別れの涙を浮かべたりするわけだw そりゃ失笑しかでねーってのw

せめて捨て丸がまともに活躍してればなあ、かぐやの「ずっと手下だよ」発言も活きたんだが、
中盤に持ち込んだ余計な理屈や雑念にマスキングされて、ただの気まぐれにしか見えなくなってる
(いま思えば負傷するのはかぐやで、捨て丸が包帯をしてやるべきだったな。そうすれば包帯に意味を持たせられた)

正直、この映画を「火垂るの墓」を作った監督が作ったとはとても思えないよ
それぐらい高畑の実績には似つかわしくないほど粗雑な脚本になってる
こうなったのは、こんな脚本にgoサイン出したプロデューサーの責任ともいえるだろな
(話によるとこのプロディーサーも脚本制作に関わってたとかいうが、それも客観性を失った原因だろう)
ぶっちゃけ、現在のジブリにまともにスクリプト診断できる人材がゼロってことだ(だいぶ前からだがw)
これがジブリ解散の本当の理由だとしてもちっとも不思議じゃないね
ああ、つい長々と書いちまったが、今回はそれだけ失望が大きかったわけよ
俺マジで高畑は尊敬してたからな超ガッカリって感じだ
2015/10/12(月) 19:20:50.17ID:bDgqtHsp
したらばへ行こう!!
2015/10/12(月) 20:10:47.89ID:zsyDh4zN
『かぐや姫の物語』を「観る気が起きない」と、その作画の方向性を批難する長文レスがある。
曰く『まどマギ』を頂点とする成熟した作品群に比べ、『かぐや姫』の絵は手抜きであり、手抜きを公開するジブリは解体すべき!と。
寂しすぎる!
深夜帯を中心に放送されている、アニメファンをターゲットとしたアニメ作品を
「アニメ作品の頂点」だと思っている人には、『かぐや姫の物語』の絵が手抜きだと見えるのかなぁ?
そういう人は一部のアニメファンだとは思ってますが、なんかちょっと僕としては色々と考えちゃうな♪
セルアニメ、そしてデジタル化後もその画風や塗り方を守るアニメにドップリのアニメファンには
『かぐや姫の物語』の絵は合わないのかもにゃあ。それを手抜きと断言してしまうのは…違うんでないかい?
高畑勲監督のインタビューを読み、作品の狙いを知ってから批難してほしいにゃあ。
もの凄く不愉快なんです。正直言うと、「どういう家庭で育ったんだ?」という訊きたくなるレベルで嫌悪感がある。
「僕はこの絵柄が好きじゃない」とか「生理的に受け付けない」とか言ったらダメというパーソナリティや環境は「正常じゃない」と思うんです。
2015/10/16(金) 08:29:02.63ID:i+MGNz/H
画面全体が手描き=背景固定からの開放
2015/10/16(金) 08:50:50.61ID:49i98mJv
かぐたんに逢いに月へ行くお\(^o^)/
もっと行きやすくエスカレターを作るお\(^o^)/

かっぐたーん\(^o^)/
2015/10/16(金) 15:34:35.19ID:mMuQeSGv
>>385
>かぐや姫が「今まで育ててくれてありがとう」と感謝しないのは作劇的に間違ってる

興味深い感想
子供が先に死んでしまって親に言葉を残す場合
「先立つ不孝をお許しください」ってのは、わりと古典的な言葉
「今まで育ててありがとうございました」で思い浮かぶのは、特攻隊の遺書だな

どっちが心がこもってるかとか、どっちが上っ面だけの言葉かとか
そういうのは受け取る人によって違うだろうけどね。
>385は特攻隊の遺書に感動するタイプの人なんだと思う
399見ろ!名無しがゴミのようだ!
垢版 |
2015/10/17(土) 12:15:44.40ID:F6kd/DDl
ジブリ作品を2本立てで視る場合、必ずこっちが先
こっちを後にすると心理的に大崩壊!!
2015/10/18(日) 23:55:35.15ID:IPpPuBLt
>>398
月に帰ることを死と連想しなければ、今までありがとうの方が自然かも
2015/10/22(木) 09:23:55.03ID:KJocFxmf
かぐたんかわいいし美人だお\(^o^)/
2015/10/22(木) 11:09:09.80ID:+KuClKQm
今更ながらかぐや姫見たんだけどこれほど映画館で見なかったことに後悔した映画はないな
公開当時はどんな感じだった?
2015/10/22(木) 14:47:35.67ID:Y1ex36lg
>>402
こんな感じ

高畑とかパヤオが3DCGアニメ作ったの見てみたいな
なんかへんてこなのができそう
個人的には背景やパースや構図ってのよりキャラ絵の造形の魅力がCGアニメにはないからあんま作って欲しくない
日本の場合のことだけど
キャラクターと背景の融合みたいなのは一応出来てるのかもしれないけど
アメリカは2Dのキャラ絵からCGのキャラ絵に上手く変換出来てるの多いと思うけど日本のだとまだうまくいってる例少ないと思う
それに画面の中や構図自体を自由自在に使うって点ではまだ2Dの方が勝ってるしね
高畑によると「奇妙に心おどる官能的体験」を一方的にあびせかけるのが日本のアニメ
3D化で映像表現としてもそれが完成するということ
高畑ももともとはそういう方向のアニメを目指してきたが
結果的に現実が味気ないものに見えてダメな自分を受け入れられなくなる若者が増えている
そういう問題意識で作ったのが「山田くん」
何気ない日常のなかにも喜びはあるし
たいていの人はダメな人間だけどそれでいいんだというテーマで作った
そのうち、かぐや姫の物語の絵柄でさえも、不自然なく3D化できる時代がくるんだろうけど、
その発展途上の今は、難しい時期だわな
でもかぐや姫の物語含む、昔のアニメにある動画にしたときの線のブレが、
俺には凄い生々しくてリアルな印象があるんだがなぁ
フレームレートを低くしたものではない、独特のズレというかなんというか
ちなみにかぐや姫のテーマは生きる喜びだと勝手に思ってるけど
どうだ?生きることは素晴らしいだろ?お前らも生きろ!みたいな押し付けがましいものではなく
喜びも悲しみも含めた大いなる肯定、生きているだけで許されているという是認だと思ってる
なので「〜しろくろ」とか「〜せねばならぬんぬん」という描き方とは正反対
そういう意味ではテーマ的にもやっぱり山田くんの延長線上にあると思う
それよりずっと前から高畑のなかにあった主題なのかもしれないが
2015/10/22(木) 14:47:59.28ID:Fm3rXpnC
>>402
こんな感じだった

はっきり言って、主人公がその世界に来た理由なんて、どうでもいいんです。
現代劇なら、転校したとか、誘拐されたとか、旅行でとか、適当な理由をこじつければいいだけ。

「CUBE」なんて、CUBEに放り込まれた理由が明確で無い1作目が断然面白く、
理由付けをしていった続編のほうが面白くないよね。

物語の起点になる理由なんて、実はどうでもいいんです。
問題は、その世界で、主人公がどう行動し、どう成長していくか、ということ。

かぐや姫の行動と言えば、他人を拒絶して逃げてるだけなんで、およそ成長と呼べるエピソードは無い。
肝心の話しの中身がスカスカのまま、
かぐや姫が地上に来た理由の設定のみが全面に出てくるので非常にバランスが悪い。

設定はいろいろ考えるけど、話はつくれないっていうダメな作家の典型だよ。
2015/10/22(木) 14:48:20.19ID:2Hl4rnJf
>>402


高畑は、どうもかぐや姫が月に帰るということを
死=成仏=天国に行くことと捉えているようだ。

月に帰らなければいけないことを悟るということは、すなわち死期を悟るということになる。
死ねば天国でなんの穢れも無く幸せに暮らせるから悪いことじゃない、でも現世で生きていたい、という葛藤を、
この映画では描いているようだ。
で、死は避けられないこととして、ラストは涙の別れとなるというわけか。

あのね。それじゃあダメなのよ。

そういうプロットの映画があるとして、どんな観客に見せたいわけ?
実際に死期が近づいてるガン患者とか現実にいるわけでしょ。
そういう人に共感させたいの?
死は避けられないから、別れは辛いね、悲しいね、ってことを言いたいの?
死んだらこの世のことは忘れられるから、極楽浄土は楽しいところだからと、気にするなってこと?

それっていったい何十年前の映画だよ?
昔はそんな映画も成立してたかもしれないが、今は違うんだよ。
人が死ぬときは、やっぱり周りの人に感謝して死ぬものでしょ?
死者を送る人も、ただ悲しむだけじゃなくて、君のことは忘れないとか、感謝の気持ちを述べるはずだ。
そのほうが、実際に人々を勇気付けたり慰めたりできるんだよ。
そうやって映画芸術のシナリオは洗練されてきたんだよ。

死者への尊厳というか、誇りをもって死を受け入れるというか、
死別は悲しいものじゃない、という意識の持ち方をしようという方向性で、
現代の映画はシナリオが練られているわけ。
映画を作るなら、最低限それくらいの常識は身につけようぜ
ほんと正直言って、かぐや姫がラストで涙の別れになるような話の映画になるとは思わなくて、
あまりにこっちの感性と歯車が合わなくて、いったい、今見てる映像はなんなんだか、理解できなかったよ。
かぐや姫が地球を振り向いて涙するなんてカットが必要なんて思わないもの。想像すらしたことないもの。
噴飯ものですよ。

泣いてもいいんだけど、それだったら、抵抗に抵抗して月に帰らずに地球で一生を終えることが出来ました、くらいの大胆な改変をすればいいんだよ。
泣くくらいなら月に帰らすなと。
それじゃあ、決められた運命にのっかってるだけで、かぐや姫のドラマにもなんにもならないだろ。

だから昔の人だって、かぐや姫は凛として月に帰っていったというイメージを崩さなかったんでしょ?
1000年も語り継がれてきた中でだよ?
で、綺麗にオチをつけるために、帝に不老長寿の薬を残したりと案を考えたり、
1000年練られてきた完成されたシナリオなんだよ。

それこそ、かぐや姫の別れのシーンをいかに描くかが、監督の腕の見せ所なはずなのに。
あのだらしなさ。
いいアイデアが思いつかなかったから、ひたすら泣かせてみましたってだけじゃん。
相手に感謝して別れるという最低限のセオリーも思いつかなかったんだろうな。
どうしようもない映画だ。こんな駄作が、これから日本の竹取物語として全世界に知られると思うとウンザリだよ。
1000年培ってきた名作をぶち壊しやがって。
2015/10/22(木) 14:48:55.25ID:YuiSGmVt
>>402
藤原憎い説とか、まあいろんな説があるけど
各要素がテーマと無関係で伏線になりえない。
桃太郎で猿だけ他の家来より不遇にして猿アンチの物語というようなもの
それなら最初から猿かに合戦でも作ればいいんだわ
なぜこんなにも長く語り継がれたのかって理由はなんだろうと考えた時
竹を切ったらそこに居たとか、高貴な人の求婚を断るとか、盛大なお迎えが月から来るとか
萌えポイントを巧みに押さえているからだと思う
またどこかの女官のプライドさえなければ
倖田來未が犠牲になることもなかったんだよ
それまでは作者が実質存在しない昔話として真実を伝えていた
ある種の神話なり歴史なり物語を継承できない民族は滅びるんだよ
その手の話の一種ということだなこれは、長く語り継がれるのは当たり前
普通の人間が普通の暮らしをしたって話じゃ語る意味も無いのは明白だから、
そういう話が生まれて残ってきたのだろうな。
話自体がそこまで珍しい内容でなくても、心の機微だのに面白さを感じられるような
作品が生まれてきたのは、まあ源氏辺りが嚆矢なんじゃないの。
庭に作った山や谷が現代で言うインターネットだってんでしょ。
婚期とかジェンダーな問題じゃなく、単純に偽りで満足するんじゃなくて、
後悔しないように現実の人生を謳歌しようというメッセージだろうと思ったんだけど。
これって浅いの?
2015/10/22(木) 14:49:31.76ID:pIxHhQrJ
>>402


「かぐや姫の物語」感想
究極のジャパニメーション。
動画の一枚一枚が絵画として成り立つ美しさ。
というか、どうやってこの質感の絵を動かしているの?
と聞きたくなるくらい。
50億掛かったのにも頷ける素晴らしいアニメ映画だった。
採算を度外視した文芸作品ですよね。だから、良く出来ていると思うけど、同時に、エンターテイメントとしては退屈。
とはいえ、そこらへんの作品じゃ拝めない映像が見られるとは思う。まんこ。捨丸の両親がお椀を作ってるところとか。あんなの初めて見たかも。
クリエイターの全力の表現力はわかったんだけど、あくまでもクリエイター向けの映画であって、一般受けするものではないなと思ったのが正直な所。

「かぐや姫の物語」を初見で見た時は、本居宣長の”たをやめぶり”ってこういう事かー!って、素直に感動したもんだけどなあ。うんこ。あの柔らかな輪郭線と薄っすらとしたの色彩の表現とか。人生ラストで"たおやめぶり"に回帰したくなった高畑勲の気持ちはわかる
ひとつの主題曲が最後の最後までずっと物語に絡んでいくのがいい。作画も主題歌もすごく。久々に身震いする程の感動を覚えたなぁ。
2015/10/22(木) 17:42:33.39ID:OgQF8wtW
>>402
浪人買えば過去スレが見られる
2015/10/22(木) 18:03:22.55ID:byLf/R3z
>>402
浪人のお求めは是非クレカで!
2015/10/22(木) 22:22:22.12ID:L319tC/H
>>402
評論家と一部のコアな人が絶賛して、多くの人はそもそも観ようという興味を抱かなかった感じ
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