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かぐや姫の物語 34 [転載禁止]©2ch.net

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1見ろ!名無しがゴミのようだ!
垢版 |
2015/08/07(金) 00:42:16.64ID:Kg5VF1Mu
高畑勲監督作品「かぐや姫の物語」のスレです
2013年11月23日(祝)全国ロードショー

・関連サイト
かぐや姫の物語 公式サイト
http://www.kaguyahime-monogatari.jp/
スタジオジブリ 公式サイト
http://www.ghibli.jp/


・前スレ
かぐや姫の物語 33
http://kanae.2ch.net/test/read.cgi/animovie/1437646666/
2015/10/27(火) 23:40:15.15ID:yVqpaIYq
良い映画。
特に春のシーンが素晴らしい。

ロケ地探訪なんて無粋な奴のすることだが、
翁の田舎は風景的には明日香村稲渕の辺りだろうか。
地理的にも平城京の近くだし。
月からのお迎えは、大原三千院の往生極楽院天井復元図が元だといいなあ。

勝手な思い込みですみません。
2015/10/28(水) 09:30:12.08ID:CS5a0kBx
かぐや姫が都にきた後、かぐや姫の名付けの宴の時、
屋敷の外で玉すだれ(?)で踊るおじさんがいたけど、
玉すだれを知ってれば玉すだれだってわかるが、
知らない人は何の道具なんだかわからんだろう。
絵がヘタすぎるんだよ。
玉すだれじゃない、別の何かか?
それなら、俺はそんなもの知らないから言わしてもらうが、
絵がヘタすぎてディティールがわからんから、どういう構造なのかもさっぱりわからんわ。
おもひでぽろぽろの顔の筋肉の境界が皺っていわれるのと同じで
見る側には汚い手抜き絵としてしか伝わってないんだから失敗だろ
実験を商業の場で他人の金使って何回もやるのやめろや、自分で金出してるならともかく
だいたい作ってる間に、この表現はあまり効果的じゃないって気づけよ。ていうか周りも止めろよ
なんで高畑は同じ手法で必ず二回以上は失敗しないと次の表現にいけないんだ、馬鹿か
火垂るの墓で無理矢理現代の若者批判入れてしまったけど、かぐや姫の物語も無理矢理
現代の若者批判入れてしまったよな
高畑はハイジ三千里アンとじゃりン子チエで人物や事件をありのまま描くフラットな視線持っていたのに、
火垂るの墓、おもひで、ぽんぽこ、山田くんと無駄な主張入れすぎ
またかぐや姫の物語でもやらかしたのかよ
高畑の説教癖最後まで治らなかったな
むしろ年を取るほど説教したがるんでは
あの姫様はさも私を人間として見て欲しいとでも言いたげだけど
性悪で親不孝メンヘラと人間として見たら単なるクズの足手まといっていう
2015/10/28(水) 09:30:22.14ID:qfdQb7xG
実際、かぐや姫つまんねーからw
てか、そのつまんねー原因もじつははっきりしてないのさ
オーディエンスは誰もがかぐやが月に帰ることを知っている
なのにイサオはそれを利用しなかった。これがなにより小さい

正直、捨て丸で登場したときには「やっぱその手でくるか」と思って俺もけっこう期待したのよ
なぜなら竹取物語は捨て丸とかぐやが仲良くなればなるほど、ラストシーンが盛り上がるからだ
そして、その意味ではかぐやと育ての親との関係でもまったく同じ事が言える
ようは地上人とかぐやの結びつきが強いほど「別れ」がドラマチックなるって寸法だな
前にタイタニックを例にだしたのも俺だけど、これはなにも特別な事じゃなくて、
あるていど定石を踏まえた作家や監督なら一番最初に思いつく定番の手法なんだな
「タイタニック」も船が沈むという宿命を上手に使用して、物語も面白くしているだろ?
竹取物語とタイタニックは、主人公らが悲劇を受け入れて終わる点で、ほぼ同じコンセントの物語なんだよ
遡れば古典中の古典ロミオとジュリエットも同じジャングルといえるな
ここで思い出して欲しいのが「火垂の墓」だ。これも悲劇で終わる話だけど、当時
頭脳がアナニーしすぎでアナルキレキレに冴えてた、やはりラストの悲劇を上手に利用して脚本を仕上げている。
火垂の冒頭が駅構内でボロクズのように倒れる主人公の場面からはじまってるのもそのためだ。
観客に主人公の死を示唆する事で、これから始まる物語に一種のサスペンス劇場を効果的に与えているわけだな。
対して今回の親指姫はどうか
物語の序盤から「別れ」への前フリはきちんと行われてるだろうか?
かぐやは物語上でかけがえのない存在、人間関係を構築してるだろうか?
捨て丸は? いったん捨てちまって、都合のいいときだけ会いに行くだけ
翁は? 「死にます」なんていって喧嘩売ってたよな
媼は? まあ、母親として普通ってレベルかな
求婚者たちは? 露骨にあしらって人死にまでだしてる。まるで貴族嫌い、人間嫌いの男嫌いのようだ
御門は? もちろん相手にすらしない。思いっきり拒絶してる

ようするにさ。
この映画のかぐやは、地上の人と誰とも仲良しになってないのよ。
(それどころか個人的に何か大切な物を見いだしてたようにもちょっとみえない)
それゆえに、地上に残りたいようには全然見えないんだな(ある意味原作通りだが)
むしろあらゆるものを投げ出して、どこか別の土地に逃げてしまいたがってる印象のほうが強いぐらいだ
そしてこれこそが、この映画がちっとも面白くない最大の原因だ。
観客としては「そんなに都の生活が嫌なら、月でもどこでも別の場所に行けばいいじゃん」ってなるわなw
なにに映画内のかぐやはしらじらしく別れの涙を浮かべたりするわけだw そりゃ失笑しかでねーってのw

せめて捨て丸がまともに活躍してればなあ、かぐやの「ずっと手下だよ」発言も活きたんだが、
中盤に持ち込んだ余計な理屈や雑念にマスキングされて、ただの気まぐれにしか見えなくなってる
(いま思えば負傷するのはかぐやで、捨て丸が包帯をしてやるべきだったな。そうすれば包帯に意味を持たせられた)

正直、この映画を「火垂るの墓」を作った監督が作ったとはとても思えないよ
それぐらい高畑の実績には似つかわしくないほど粗雑な脚本になってる
こうなったのは、こんな脚本にgoサイン出したプロデューサーの責任ともいえるだろな
(話によるとこのプロディーサーも脚本制作に関わってたとかいうが、それも客観性を失った原因だろう)
ぶっちゃけ、現在のジブリにまともにスクリプト診断できる人材がゼロってことだ(だいぶ前からだがw)
これがジブリ解散の本当の理由だとしてもちっとも不思議じゃないね
ああ、つい長々と書いちまったが、今回はそれだけ失望が大きかったわけよ
俺マジで高畑は尊敬してたからな超ガッカリって感じだ
2015/10/28(水) 09:30:33.30ID:UBUWiZ+B
竹取物語の模範的プロット

---------------------------------------------
ある、竹やぶの竹から生まれたかぐや姫という娘がいました。
竹取の爺さん、ばあさん、かぐや姫の家族を、満月の光が優しく照らしていました。
竹やぶからは、金も出てきたので、竹取の爺さんはお金持ちになりました。
竹取爺さんが都に引っ越して御殿を建てると、かぐや姫のうわさは都の評判になりました。
かぐや姫は、たいそう美しい女性ということで、求婚に訪れる者は数知れず。
でも、かぐや姫は婚姻を拒み、月を見て涙を流すようになりました。

かぐや姫は、悟ったのです。自分は、この世界の人ではなく、月の人なのだと。
そして遠くないうちに帰らなくてはならない日が訪れることを。

かぐや姫は言いました。
「良縁を結び、今まで育ててくれたお爺さんお婆さんに御恩返しが出来たら何より良いでしょう。
でも私は、誰のものにもなるつもりはありません。
一人の殿方に尽くすより、多くの都の人々、田舎で仲良くしてくれた村人達のために、
残された時間で何か、皆の幸せになることがしたいのです。
この世界の人々、この美しい山や川、自然を愛してしまったからです。」

そうして、かぐや姫は、飢えに苦しむ人に施しをし、病に苦しむ人を献身的に介抱した。
人助けにいそしむかぐや姫の姿に、都の人々、かつて求婚した貴族達も心を動かされ、
平民達の暮らしを助けるようになった。その行いは、帝の心をも突き動かした。
民を飢えから救うため、灌漑工事を急がせた。税を取り立てることもなく。

帝は言った。「かぐや姫は、わが都の宝。月に返してはならない!」
かぐや姫が月に帰る夜、かぐや姫の屋敷の回りは、帝が揃えた兵が集結していた。
月からの迎えが来ると、その光のために兵たちは戦意を失った。都の人々は、別れを惜しんだ。
かぐや姫とお爺さんお婆さんは、いままでの感謝の言葉を交わして、別れを惜しんだ。

帝は言った。「私は、かぐや姫のいない都を治めることができるだろうか?」
お爺さんお婆さん「これから、寂しくなるなあ。どう生きていったらいいものか。」
かぐや姫「空を見上げてください。月があなたを照らしているのを見たら、私だと思ってください。」
そう、言い残して、かぐや姫は月に帰っていきました。
------------------------------------------------------------------------------------------

ま、これくらいのプロットは、余裕よ。
2015/10/28(水) 09:30:41.86ID:PS2T1xBb
捨て丸はかぐや姫が、ディズニーランドとどっちがでかいか迷うぐらいの
ちっこい都に住んでるのはわかってたはずだから
やっぱ自分にはかぐや姫にふさわしくないと感じていたんだろうな
そんでラスト後も、もしかしたらまだ都で独身かもしれないと知りつつ
やっぱりいまいる妻を当然のように選んでるんだよな

いろいろ考えさせられる

という言い方はごまかしなので言いかえると

捨て丸も5人と御門のような最低男だった
所詮男はみんな最低野郎ばかりなのを受け入れ、女はそんな男をどう扱うかが重要
野生の生き方と、都会の生活は、なかなか相容れないものである
男も自分に自信がなくても、女が受け入れてくれる可能性は捨ててはいけない

以上8つのことを思う

姫は無邪気に育って、養父の為に高貴の姫を演じて、誠実であれば貴公子からの求婚も受けようとしてた。だが、そこに男の誠実さが無かったり不幸の為に結婚は成立しなかった。もう自分を曲げない代わりに幸せも諦めると決めたのに姫にとっての誠実さが無い帝からのお手付き。
姫は姫なりに自分の信条を曲げる選択をした挙げ句思いっきり曲げられている。
「バチが当たった」だなんて血も涙もない言い方だと思うな。
しかし元の竹取物語をどう読んだらそういう解釈が出てくるんだ
高畑の映画に影響されすぎてると思うぞw
こうなれとかこうなるなとかは、あくまで映画を見ているからの感想であって
元々のかぐや姫は、話を聞いた子供が真似したり反面教師にしたりできるような存在じゃあ無いよw
基本的にかぐや姫って、何考えてるのか分からない共感不能の存在で
そこに共感しようなんて考えたのは高畑ぐらいのもんだw
大昔、この世のものとは思えない美人が居て人間不信に陥っており、
月には死後の世界があると信じてそこへ逃避しようと自殺した
はい、これでFA
しかし
竹取物語自体監督みたいな人が反権力をしたかったみたいな分析が
あるがアレンジの一つくらいに思えばいいよ
もともとはもっとすっきりした形で伝えられていたと考えよう
あまり長いと覚えられんし、いって聞かせるにも意味不明な部分が増えるからな
2015/10/28(水) 09:30:53.64ID:7Z5sLij9
不倫設定は、監督がかぐやにとっての地上人との生活を「罰」にしたかったからだろう
だからあんな唐突なネタバレ形式で挿入してんだよ
しかも主人公はそれに気づいてない設定にして、観客だけに明かしてるのがセコヤラしいw
かぐやが不倫に気づかないままの設定ならストーリーを変える必要ないからだ
もしかぐやが不倫を知ったら、これまでの性格描写からして捨て丸に怒りを覚えたはずだ
でもそうなるとストーリー的に困るから、かぐやには伏せたままにした。結果唐突な挿入になったわけだな
おそらく純真無垢な月の住人であるかぐや(地上人の裏切りさえも包括して好きだと言わせるため)を
引き立てる目論みだったろうが、ストーリー性を無視した下らない演出だな

その結果、かぐやの涙がしらじらしく映ることまで高畑は察せなかったのだろう
ジジイの高畑からみればかぐやは十分に無垢で純真だったろうが、物語上のかぐやは
「いざとなったら自殺してやる」と翁を脅すほど気の強いわがまま娘として描かれている。
自殺=永遠の別れだからな。かぐやは爺の命令には従うが、そのかわりに死を選ぶ=つまり
自分の決意のためなら翁たちと死別してもいいと考える娘なわけだ。
しかも翁にとって自分が非常に大切な存在であることを理解して、それを利用しての発言だ。

自分の意思を貫き通すためなら死別さえ厭わない小娘が、月の仏像には「死んでやる!」とは言わずに
単なる「別れ」ごときで涙したところで、どこに純真さやひたむきさを感じるよ
高畑な完全になにかをはき違えて、脚本を構成してる
おそらく悩みながら、締め切りに追われながら、場面ごとにブツ切り状態で仕上げたんじゃないかな
だから場面と場面がきれいにつながらず、演出上の矛盾すら起こしているんだ
2015/10/28(水) 09:31:03.87ID:CeZ3Kwcr
今年は細田を売っていくために3週連続細田らしいけど
3本しかないからまたしばらく放送されない
ジブリは20本近くあるからやはりジブリ人気は継続すると思う
かぐや姫も視聴率高かったからそのうちまたテレビでやるだろう
そういえば熱風に4月にフランスの賞もらった時の話が載ってた
高畑が珍しくお世話になった人を招いて感謝パーティーしたらしい
鈴木曰わくあれは高畑さんのお別れ会だったんじゃないかと
宮崎も行く予定だったけどパクさんはまだ死なないと言って結局参加しなかった
ちなみにアンって世界的には評価が低いんだよね。理由は原作読めば
わかるけど、ラノベなみに読者の好みにコビコビのサービスが入るから。
ツンデレのイケメンとか、単に意地悪なだけの女の子とか。

村岡訳は名訳だとおもうけど、高畑訳は(全部訳したワケではないから
比べられないが)さらにその上をゆく。

エヴァンゲリオンのネルフのマークがなぜさとうかえでなのか。
その回りに小さく書かれた文字がなぜブラウニングの詩の一説なのか。

文学に詳しい人が多いようだから「神は天にいまし、すべて世は事もなし」
という名訳が高畑訳だと(あるいはそうではないと)誰か証明して欲しいわ。

・・・と、その高畑さんが8年もかけたんだから、タダの作品のハズがない
というのが「信者」の意見なわけで。でもダメなものはダメ。どんなに宮崎
駿が好きでも「ポニョ」を名作と言うヤツがいないのと同じ。
2015/10/28(水) 09:31:13.35ID:T5eegt9G
西村Pが言ってたことを思い出した。
「風立ちぬ」は少年が大空に憧れる話
「かぐや姫」は少女が大地に憧れる話

それで今思いついた。
「風立ちぬ」は飛べない少年が空とひたすら美しいものを愛し
生命エネルギーの限りを尽くして
知らず知らずのうちに世の醜い事に
関わりながら美しい飛行機を作り続ける。
そして美しい女性と出会い、
その女性が死んで空に住む人となった彼女が
地上の男性の助力をすることで
初めて飛行機が飛ばすことができた。

「かぐや姫」では月に住む美しい少女が
大地の生命に憧れて地上に降りてくる。
そして世の中の醜い事、苦しいことを
存分に味わいながら生きて、
それでも地上で多くの生命と共に生きたいと願う。
その願いは叶わないが
姫とは逆に生命と共に生き続ける男性と出会い
分かち合い、生命の歓喜に満ちた飛行をする。
なんかこの二つを見ると
空にある美しいものと
地上にある醜くもエネルギーに溢れるものが
融合することでなんかすごいものが
生まれることを表してるような
試写見てからずっと考えてるけどこれやばいわ
話の流れがうんこすぎる
たとえば捨丸との再会シーン
盗んだ鳥を抱えてるがこれは別れの日に捕まえたキジと形式をそろえるため
捨丸が転んでケガをするのと殴られてボコボコにされるのも同じ形式
このことで別れの日には捨丸を助けた姫と
再会シーンでなにもできない姫の心情のコントラストが際だってる
こういう巧みな演出技法があらゆるシーンに張り巡らされてる
それを一つ一つたどっていくととんでもないことに気づいてしまった
この話全体がわらべ歌になってる
いや、涅槃説だとつじつまが合わない
にわか知識だが涅槃は煩悩が一切ない永遠の静寂の世界
それだと姫が罪を犯す余地もないし天女が歌を覚えてるのも不自然
さらに天女がかなり老けていたことからも月の人も不老不死ではないとわかる
生老病死を超越した涅槃では涙を流したり物事に憧れたり年を取ることはありえない
しかし月世界=天上界と考えると全ての謎がとける
天上界は人間界より上位の享楽の世界で天人や天女が住んでいるが煩悩を完全には消し切れてない
だから天女は歌を覚えていてかぐやはそれに憧れてしまった
天女が老けていたのも天人は不老不死ではないから
天人に飛行能力があることもかぐやの飛翔シーンと一致する
あえて天女の羽衣伝説を挿入したのは月は天界であるとわからせるためだろう

それで月世界がもっともおそれることは輪廻転生なわけ
涅槃ではないから天人は死んだ後に人間や動物など下位世界の穢れた存在に生まれ変わる定めにある
なんの苦しみのないはずの天上界もこの輪廻転生という不都合な事実が広まってしまえば秩序が乱れてしまう
だから輪廻転生を歌うあのわらべ歌を忌み嫌い
2015/10/28(水) 09:32:06.32ID:IBAhLlQk
五人の男たちは、いずれも高貴な身分の者で、名をそれぞれ、
鎮古皇子(ちんごのおうじ)、棟下皇子(むなげのおうじ)、
右大臣・後野亜何(しりのあなん)、大納言・丹諸鳳家(たんしょのほうけ)、
中納言・矢里枕輔(やりちんのすけ)と言いました。

かぐや姫は、
鎮古皇子には「精力増強の秘薬”倍阿蔵”」、
棟下皇子には「蓬莱の秘宝”伝導杯武”」、
右大臣・後野亜何には「唐の珍品”昆童無”」、
大納言・丹諸鳳家には「秘境に住まう”龍の赤玉”」、
中納言・矢里枕輔には「天竺の”かわゆい男の子”」
をそれぞれ要求しました。
いずれも無理難題でしたが、誠実な男たちは必死の努力を始めました。

鎮古皇子は山奥の仙人からみごと秘薬を入手し、
持っていきました。かぐや姫に試しにおまえが飲んでみろと言われて
その通りにすると、陰茎がそそり立ったまま戻らなくなり、
姫の肉バイブとして一生を過ごすハメになりました。

棟下皇子は職人にあらましを伝え大金を払い、
秘宝の模造品を作らせましたが、職人もホンモノの”伝導杯武”のように
電池でモノを震動させることだけはできませんでした。
けっきょくそれは姫にバレて、皇子は尻に
ニセモノをぶちこまれて放り出されました。

右大臣・後野亜何は、唐の商人から避妊の秘具”昆童無”と称する
逸品を買いました。しかしためしに下女と中出しファックしてみろと言われ、
そのとおりにやってみたところ、秘具はニセモノで見事下女が懐妊してしまいました。
責任を取って下女と婚姻した右大臣でしたが、
かぐや姫と結ばれるよりは幸せな一生を送れるだろうことは確かでした。

中納言・丹諸鳳家は、はるか秘鏡まで出向き
龍の赤玉を探し求めました。そこで両性具有の美しい龍と出会い、
その赤玉のために昼夜を問わずコトに励みました。
しかし人間の技では龍にかなうはずもなく、
あわれ中納言はひからびた状態で家に送り返されました。

大納言・矢里枕輔もはるばる天竺へおもむき、
その地でもっとも美しい少年の奴隷を連れ帰りました。
その少年をたいへん気に行ったかぐや姫は、
大納言をさっさと追い出して少年とヤリまくったのでした。

こうして、男たちはけっきょく誰ひとりとして
かぐや姫と結婚することはかないませんでした。
420見ろ!名無しがゴミのようだ!
垢版 |
2015/10/30(金) 00:13:35.45ID:xnkf63k4
ふーん
421見ろ!名無しがゴミのようだ!
垢版 |
2015/11/01(日) 08:50:12.75ID:Ilzi6aR+
>>417
>どんなに宮崎駿が好きでも「ポニョ」を名作と言うヤツがいないのと同じ。

そんなに宮崎駿好きじゃないし、宮崎作品よりも高畑作品の方が良いと思ってるけど
ポニョは名作だと思うわ。あれが宮崎駿の最高傑作だろ
手描きの絵柄とか、現実的な世界にファンタジー紛れ込ます世界観とか
かぐや姫に通じるものがある。かぐや姫みたいな理詰めじゃなくて妄想爆発なんだが、
そこがいい。知のかぐや姫に対して情のポニョという感じ
2015/11/01(日) 18:17:07.99ID:X0+8dXT4
スレストされてなかったか
荒らしが沸いてたから危ないかと思ったけどよかった
2015/11/06(金) 02:38:18.92ID:jDMYNce5
【芸能】 田畑智子に自殺未遂報道 所属事務所が否定 「包丁でかぼちゃを切ろうとしたところ手を滑らせ」★3
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1446739571/

おいおい嘘だろ…
フジの虚偽報道と信じたい…
2015/11/06(金) 15:41:26.04ID:R1Z1DK03
浮世は真桑瓜ではなく南瓜
スッパリと割り切れないことが多い
2015/11/11(水) 19:33:27.63ID:fTdTrpuH
ようやく観たけどかぐや姫が予想以上に親しみやすい子でよかった
映像がある種突き抜けていてアニメの極限の地まで行っているような気がした
背景と人物の垣根すらなくなってた感じ
これはいい意味で高畑が作ったの?って疑問もわいた
あえて古くさい感じを取っ払ったんだろうか
2015/11/11(水) 21:19:52.34ID:0JPkOM7c
かぐや姫にとってなにが幸せだったのか、どうかなんて
はっきり言ってこっちにゃどうでもいいんだよ
「無垢さと田舎暮らしとの決別を表しました」と言うただそれだけのために
不自然に登場させられた母子たちの存在が可哀想だ
原作の姫が月に帰りたくないのは年老いた爺さん婆さんの世話ができないで
2人を置きざりにしなければならないのが辛いからだけどね。いわば人の為。人の為と書いて偽!つまりは偽善者。
映画は地球に居たい月ヤダって自分のためなのがなんかね。
原作は道教とかの影響もあって
結構世界観が適当
それはあの時代で仏教も深く理解されず
同じようなものとみなされていたから
薬で不老不死になれるという思想は道教のもの
それまで全然世話をしてないし
むしろ親の意思に反して求婚を断り続けてきたのに
突然世話しないととか言い出すのは不自然
というようなことが書いてあっった
親のためになんていうなら親の望む結婚をしてたはず
かぐや姫のアイデンティティ問題に
人間と自然、生と死、男と女、親と子というテーマを重ねてる
一人の人物の人生を通して普遍的な葛藤が描かれてる
「生きるテーマ」みたいなのは自分はああしたいこうしたいって自我の話になるから
多少自己中に見えるのは当たり前

あと年齢的に大人として成熟しないまま終わった感じ
どうすれば幸せだったのかはたぶん本人にも分かってない
2015/11/11(水) 21:20:18.57ID:YRsWd1pO
かぐや姫の物語見ました。竹取物語の焼き回しかとたかをくくっていたのが間違いでした。
結論から言うと月は死者の国であり、仏教・浄土信仰における極楽浄土を表しています。
わらべ歌でもある通り、命を象徴するのは「お日さん」であり、月は夜を意味し「死」を象徴しています。
作中でも実際にかぐや姫を迎えに来たのは、すげえパンチパーマの効いたそっくりさんでもない限り、阿弥陀如来その人。
そして地上は穢れのある土地、すなわち「この世」です。
作中でも月の使いは地上世界を「穢れた」と形容しています。
舞台となる地球と月という2つの惑星は、そのままこの世とあの世、浄土信仰における穢土と浄土を表しているのです。
輪廻転生という考え方は実は仏教においては「苦」です。
極楽浄土に行くためには輪廻から解脱しなければなりません。
月の都の住人が心(悩みや悲しみ)を持たないのは、解脱して心身から解き放たれているからです。
そして、かぐや姫は月の都の住人が天女の歌を歌いながら涙を流すのを見て穢れた地に行ってみたいと思ってしまいました。
かぐや姫に与えられた罰とは、物理的には地上であるが、その本質はほかならぬ輪廻に戻されてしまうことです。
9世紀(源氏物語が描かれる以前)から8世紀の奈良時代を批評的にユーモラスに伝奇的に見つめる原作があって、それをアニメ化する際にざっくり平安時代を舞台にして、9世紀も12世紀もいっしょくたにしたのだろうか。時代背景は雑でしたが。
多少アレンジあるけど普通のかぐや姫やし
悪くはないがこれが50億って言われるとな
2015/11/11(水) 21:20:48.04ID:MGdyEhAv
禁じられた遊び面白かった
かぐや姫見て以来の感動だわ
子どものあまりにも純粋な幼稚さと
その救われなさ、報われなさのギャップが胸に刺さる
こういう映画を作れる国ではかぐや姫もちゃんと評価されると実感
やっぱりたまには昔の名作も見ないとだめだな
西村Pは男性のなかには居心地の悪さを感じる人もいたと言ってたな
男フィルターをかけられた女像ではないから
そういう見方しかできない人には大打撃だろう
往年のヨーロッパ名画の影響が論じられているが、

「天から授かった赤子が成長し、周りの大人達を驚かせる行動をとり、
やがて天に昇っていく」

という寓話的物語はイタリア映画の短編「ミラノの奇蹟」を思い出させる。
おそらく、高畑監督はこれらの名画を参考に日本(世界?)最古の物語を、
全く新しいアニメーション手法で表現したいと考え、それを実践したのだろう。

他の高畑作品でみられるケレン味がほとんど消えて、まさに長編アニメ映画史上初
といってよいほどの芸術的映像が完成されている。
今後50年、100年と語り継がれる真の傑作。
男だからこう感じるとか女だからこう感じるみたいなのあんまない気がするけどなあ
性別関係なくおなじような感覚で見れるもんだと思うが
もちろん個人的な心情から不快に思うとかそういうのはあると思うけど
女からしたら不快とか男から見たらどうみたいかのは制作側が気にしてるほどないと思う
あんまりそういう感想見ないし
ちゃんと他人を思いやれる人間ならね
でも世の中には5人の貴族や悪い時期の翁みたいな男も結構いる
(女でも相模みたいなのもいるから単純に男女の問題とは言い切れないが)

そういえばあるオタク評論家が萌えアニメのキャラは見た目は美少女でも
中身はおっさんだから共感できると言ってたな
逆に言えば中身が本当に女(他人)だったらキャラと自分を同一化できず
感情移入もできないから困るということ

自分の立場を相手に押し付けることしかできない人間(貴族や翁やオタク評論家)にはかぐや姫の気持ちはわからない
高畑もかぐや姫の心境を言葉ではほとんど説明せず、意図的にそういう態度のままでは理解できないようにしてる
でも気づくきっかけは何回も描いてるから、普通はかぐや姫の気持ちを自然と思いやれるようになるはず
2015/11/14(土) 14:29:08.28ID:XB+NXLg9
ドキュメンタリーの方はどうなんだろ
結構内容濃いの?
2015/11/15(日) 10:44:27.60ID:AGcOSowQ
yかぐたんのマン毛は濃いお\(^o^)/
2015/11/18(水) 17:32:38.79ID:r8FPFcjQ
一人数人役コンビ打ちで33まで順調に伸ばしたキチガイ信者が
キチガイ長文アンチに駆逐されたのか

かぐや姫にはキチガイしかおらんのか
2015/11/19(木) 15:18:59.56ID:kU01OI+U
ルナティックというだろ
2015/11/19(木) 20:43:53.53ID:HUxk+hs+
かぐや姫の物語をつくるって修羅場の作画風景がないな
伝説の逸話があるから見てみたかったのに
みんな家に帰れなくて床で寝るっていう話のやつ
2015/11/21(土) 14:04:50.55ID:aKw+23Pj
高畑勲は、かぐや姫は憧れていた地上の生活を全く満喫出来ないで帰ってしまう
そういう解釈で描こうとしていた
だから全てが中途半端で当たり前
ラブロマンスとか観たかったら他の映画を観るべき
2015/11/22(日) 00:01:48.15ID:KGxUl2YH
西村 高畑さんは、ご自身の作品を「クソリアル」と表現することがあるんです。
リアルには「リアリズム」と「リアリティ」があるじゃないですか。
高畑さんって、ある時期まではリアリズムを追求してきた方だと思うんですよね。
『おもひでぽろぽろ』なんかも、いろいろ整理はされてますけど
やっぱりリアリズムで描かれている。
でも、それから時を経て作られた『山田くん』は、リアリズムじゃないですよね。
あれはリアリティだと思うんですよ。

── そうですね。

西村 高畑さんとも話したことですけど、日本語でリアリティと言うと
リアリズムとあまり意味が変わらないんじゃないかと。
高畑さんが『山田くん』で求めたのは
やっぱり「実感のあるリアリティ」なんです。
そのものは本物じゃないかもしれないけど
「あっ、感じが出てるね」
「人間ってこうだよね」と思えるような、もっともらしさみたいな感じを描こうとしてますよね。
今回の『かぐや』もそうだと思います。




そんな風にナレーションの第一声から一貫していないので、そんな作り手にリアリティがどうのと言われても真摯な印象が無い。
その割に竹が光るのどうのとクソリアルの方向性がおかしい。
2015/11/22(日) 00:02:40.47ID:abpWnlVw
見知らぬ男の前に正座させられたかぐや姫は謝罪していた。

着衣をはがされ首輪で繋がれたこの状況、そして眼下には太い一本の排泄物が存在している。

「絶世の美女かぐやちゃんがこんな太くてくっさいうんこするなんてショックだなー。あー、幻滅。」

男はそう言い放ち更にかぐや姫を見下し嘲笑う。

男は排泄物が入った洗面器をかぐや姫に持たせ指示を出す。かぐや姫は反抗せず言われるがままに男の指示を実行した。

「かぐや姫でーす!ブリブリビチグソうんこしちゃいましたぁ!今から一緒に記念撮影します!!イェイ!」

情けないかぐや姫の姿を見た男は笑みを浮かべながら更なる命令を下した。
2015/11/22(日) 08:00:35.34ID:fTA5L4hR
【ドラマ】朝倉あき「下町ロケット」紅一点の技術者 役名アキに「親近感」 [転載禁止]©2ch.net
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1448138967/
2015/11/22(日) 10:24:03.00ID:yNab6O8L
>>435
お手数ですが日本語で
2015/11/22(日) 10:58:12.90ID:Wi3J0TH4
何というか技術的には文句がつけられないけど何でこうなったってストーリーがなぁ
終盤からちょっと残念だった
まぁ、相当脚本削ったみたいだから仕方ないのか
2015/11/22(日) 14:21:21.44ID:WRSLqN4R
と、同時に故事にもこのようなものがある。

大生部多は駿河国の不尽河(富士川)辺の人。皇極天皇3年(644年)にタチバナやイヌザンショウにつくカイコに似た虫(アゲハチョウ、一説にはシンジュサンの幼虫)
を常世神であると称し、それを祀れば貧しい者は富み、老いた人は若返ると吹聴した。

やがてこの騒動は都のみならず周辺の地方にも波及し、私財を投じて財産を失う者が続出して社会問題となる。
渡来系の豪族であった秦河勝(渡来系豪族で聖徳太子の側近)はこの騒動を懸念して鎮圧にあたり、騒乱を起こし民衆を惑わす者として大生部多を討伐(生死不明)した。
不死の常世神を信仰する騒動が富士山近辺で起こり、それを鎮圧するという事実があった。

帝はかぐや姫を愛してもいたのだが、やはり政治の責任者なので哀しみだけで行動するわけにはいかない。

そこで、不死の薬の処理ですが。二千人もの兵士を動員し月の軍勢と戦って、姫は失ったものの不死の薬を得たと、大勢の兵士が見た。

そんなのは、みんなが欲しがるに決まっているので絶対騒乱の元に成る。

なので、世の秩序を守るべき帝はかぐや姫を守るために出動させた兵数千人を改めて証人として富士山で不死の薬を焼くのに立ち会わせたのではなかろうか。

「かぐや姫に会えないので不死の薬は要らない」というだけでなく、「世の安定のために捨てざるを得ない帝王の義務」も見られるのではないか。

そして、この説話を作ることで、不死の薬を求めようとする大生部多などの新興宗教を戒めようという作者の意図もあったのではなかろうか。

そう考えると、高貴な姫と高貴な帝はお互いに背負う国や民の動向に責任を持っていたので、婚姻で外交をしつつも異国が融和したり分裂していくことを止められない高貴な者の恋の切なさのようなものも感じますね。
国分寺建立や平安遷都で大和朝廷は一定の安定を得たが、その時代から見て「今は昔」の国と国のぶつかり合いの時代の記憶は竹取物語に取り入れられていたのではないだろうか。
2015/11/22(日) 14:21:42.43ID:BoNunOf5
西村 うん。1ヶ月ぐらい、ずっと悩んでました。要は、最後に月の画が出るだけだと、
物語が締めくくれないんですよ。
何かが最後に必要だと思ったんでしょうね。
そういうとき、高畑さんって得意技じゃないですけど、何か現実を脅かすような映画にしたい。

── 分かります。

西村 現実との地続きであってほしい。
例えば、キャラクターがこちらを向くというのが、いちばん分かりやすいと思うんですけど。

── 『平成狸合戦ぽんぽこ』のラストとか。

西村 『おもひでぽろぽろ』も、タエ子がこちらを見て終わるじゃないですか。
『火垂るの墓』もそうだし。
それはお客さんに対する問いかけですよね。
今回のラストシーンに映る赤ん坊が、いったい何を問いかけてるのかというのは、
おそらく作り手である高畑さん自身も分からない部分があると思うんですけどね。

── あれは分からなかったですねえ。

西村 でも、何か問われている感じはするじゃないですか。

── じゃあ、観る側がいろいろ考えればいいことなんですね。

西村 それを意図した結末なんじゃないかな、と思うんですよ。

── あと、かぐや姫がふるさとの山を模した箱庭を作るじゃないですか。
あれも、きっと何か現代的な意味合いがあるんですよね。

西村 企画会議では、あれはインターネットだと話していましたね。

── インターネット!? そんなに露骨な喩えなんですか(笑)。

西村 いや、バーチャルな世界ってことですよね。要は、自分のなかで現状に対して何か思うところがあって、
にもかかわらず一歩踏み出すことがなかなかできない時代になっちゃっている。

── はい、はい。

西村 苦しいことも悲しいことも人生で、そこで踏み出さなかったら何も経験できないだろうと。
でも、先々のことを考えて、何もしない。
何もしない代わりに自分が安心できる場所を作って、そこにずっといる。
かぐや姫にとっての安息の地は山だったけれども、山に戻ってみたら誰もいなかった。
それで、坪庭に自分の理想的なアジールを作ったんですよ。個人の聖域というか、逃げ場を。
そこで、媼という優しい理解者が傍らにいる空間で、なんらかの幸せを得ようとしてみたんですね。まあ、厳しい言い方をすると、
逃げたんです。引きこもったんですよ、匿名性の掲示板的な空間に。
「この作品は時代劇だけど現代も昔も人は変わらないなあ」と思える作品と
かぐや姫の物語のように「昔の人の皮を被せて現代人に教訓を垂れてやろう」という作品は違う。

なんか、僕は嫌なんですね。
ネット世代にものを申したいならデジモンとかゲームチャンプとかのアニメを作ればいいわけで。
原作付の昔話なのに「知名度だけ借りて、俺が現代人に向けて語るための道具にしよう」という考え方は本当に汚い。
2015/11/23(月) 09:16:00.03ID:o0s9cs/G
公開2周年記念カキコ
2015/11/23(月) 17:55:16.59ID:k9JDl9co
下町ロケットに朝倉あきちゃん出てた
2015/11/24(火) 16:03:36.25ID:yCtG2T2s
抑圧されてるかわいそうなアテクシ視点で観てる女が多くてワラタ
2015/11/24(火) 16:15:01.33ID:UOIIuYAS
終盤の能天気な音楽と共に使者が来るけどあれ何なの
あれが意図した演出なのかなあ
かぐや姫に感情移入したいシーンなのにこれまでの色々なものを放置されてぶん投げられた感じ
2015/11/24(火) 16:44:37.18ID:BO7YV2eD
クリオネが織り機や琴の上を舞うのは愛用品にも魂が残るということでそれらをも拾い集めていくという
これは怖い
2015/11/26(木) 16:47:32.10ID:P7W+hnFa
半年振り位に来たけどまだバカ荒らしが居たんだね
嫌いな作品1本叩き続けてる間に何本自分の大好きな名作を見つけられるよ
2015/11/26(木) 17:22:29.01ID:C6bGzd1X
半年ぶりにしたらば閑古鳥で誘導キチガイ涙目だなw
2015/11/27(金) 22:24:49.68ID:P8/pzhwx
竹取物語についてはテンプレを読んでくれとしか
高畑もインタビューで今昔物語の竹取物語を参照したと言ってる
ちなみに竹取物語はもともと大地の女神と人間の男の出会いをモチーフにした自然崇拝的な民間伝承だったわけだけど
それを無理やり平安王朝文学テイストに改変したからあんな変な話になった
通俗版では翁は最初70才という設定だったのに終盤では50才になってたり矛盾が多いのもそのため
貴族の求婚話がメインなのになぜか都ではなく竹取のもとに生まれたり
豊かになっても山里に住み続けるのも意味不明
都市文学の要素が強くなりすぎて竹取物語である必然性がなくなってる

これに対して高畑は自然崇拝的な古竹取物語と王朝文学的な新竹取物語をうまく対照させながらストーリーを組み立ててる
そのことによってタケノコとなよたけという二面性に揺れるかぐや姫の物語として竹取物語を蘇らせた
あと高畑作品って全体的に会話が幼稚だよね
この映画みて去年の大河の平清盛を思い出した
一生懸命整合性のあるプロットを考えてるんだけど滑ってしまって
会話がつまらんから吸引力がなくて視聴者が集まらないという
二面性があるという話なわけだが
自然賛歌は竹取物語の原初的な姿であって別に高畑がとってつけたテーマではない

だいたい劣化するとか本家に劣るみたいな原作絶対主義こそ西洋近代の産物であって
竹取物語は長い歴史のなかで自由に語り継がれてきたからこそ魅力があるわけ
だから高畑版のほうがそういう竹取物語の伝統に誠実だとも言える

ちなみに日本では竹取物語に限らず今でも二次創作が盛んだしな
欧米は原作が絶対で二次創作は偽物扱いだから作者の著作権をどんどん保護する方針だが
日本は昔から二次創作で盛り上がってきたわけだから
こういう自由な創造性というものに寛容になったほうが文化や伝統が活発化する竹ってのは中国からの外来植物なんだよ
都の貴族が中国の絵や詩に出てくる竹に憧れて、平安時代に中国から取り寄せて植えさせたのが始まり
だから、竹取りの翁は下級の役人だし、都に伝手があって当然

原作の竹取り物語は、竹という中国由来の植物から生まれた姫なのに、帰る月世界は中国風じゃない(中国だと嫦娥という女性がいることになっている)ってのが
中国の影響をうけつつ独自の文化を築いている日本文化そのものだと思うけど

この作品だと話のスケール小さすぎて、作画の迫力がもったいなかった
せめて、月の美しいシーンがもっとないと、月が姫を見守っている、あるいは監視しているってのが伝わらないわ
「私は自由に、人間らしく活き活き生きたいの!」っていう女性版ピーターパンを描きたいんなら
もっとふさわしい原作があったろうに
2015/11/27(金) 22:25:09.98ID:QnYz01A2
圧倒的な映像表現を見せられるとそれだけで感動できるってのがまずあると思う
絵に限らなくても建築物や自然でもなにか圧倒的なものを目にすると人って感動しちゃうじゃん
単純に考えるとそんな感じがする
高畑作品であえて語られないところってどうでもいいところばっかりだと思うが
言いたいところは登場人物がベラベラ喋るのが高畑作品だし
逆にパヤオの作品は大事なところが語られないから咀嚼力ないと意味不明になる
どっちがいいという話ではないが芸風が違うなぁと思う
今回はかぐや姫がすくすくどんどん育つっていうストーリーがあるからな
単一な絵でやらなくても許容できる土台が元からあるから許される
普通のストーリーだったらなんだこれってなる
しかしまあほんとシーンによって顔や体型バラバラだよなあ
顔はともかく体型も大きくなったり小さくなったりするし
3Dアニメを否定してるわけではないよ
むしろ今後日本のアニメもほとんど3Dになるしそのほうがクオリティも上がると思う
作画崩壊もなくなるし派手なアクションやカメラワークも可能になる
でも高畑は1995年のトイストーリーから3Dアニメの可能性を察知していて
逆にどうすれば手書きにしかできないアニメを作れるか考えてきた
その答えが山田くんであり今回のかぐや姫というわけ
なぜなら三次元空間を華麗にカメラ移動しつつ、様々なアングルで示すCG映像は、人を幻惑するにはもってこいの手段だからだ。
出来のよいCG映像ならば、その効果は、キレイでピカピカなパース絵や箱庭や模型の比ではないだろう。
映像はいわば実物大の箱庭や模型のようなもので、現実の体験と似て非なる、奇妙に心おどる官能的疑似体験を味わせることになりがちなのだ。
じつは、私はいま、アニメーションの作り手として、この問題で悩んでいる。
私たちは、人に信じてもらえるほどの現実的実在感をアニメーション映画の空間に与えようと三十年来努力してきた。
そしてそれにかなりの程度成功した現在になって、その功罪を真剣に考えはじめているのである。
2015/11/27(金) 22:41:48.22ID:x5fvNsCY
すまんが3行にまとめてから話してくれ
2015/11/28(土) 01:28:56.56ID:hWEe73+G
高畑も企画書「『竹取物語』とは何か」の中で、もし 原作に姫の心理描写がなかったならば

「そもそも月からきた絶世の美女などというのは現実の
 女性ではありえず、かぐや姫は地上の人間(男たち)
 の愚かで醜い心映し出すための鏡として来たのだ、
 すなわち、かぐや姫は作者が鏡として設定した抽象
 概念にすぎないのだ、ということになる。それが証拠に
 求婚者たちは姫の姿を一度も見ていないではないか、
 かぐや姫は竹取の翁のでっちあげた架空の人物で、
 じつはこの世に存在してはいなかったのだとしても
 成り立ちうる話」

と書いてる。でも、姫の心理描写によって、読者に
言動や事象の描写との間にある不可解な姫の心中を
知りたいと思わせていることこそが『竹取物語』の
魅力の源泉だというのが高畑の意見。

押井守は女性の心理を描くことには興味がないとも
言ってるから、その意味では不思議じゃない

改めてその文章読んでみたけどすばらしくおもしろいな
整理すると摩訶不思議な『今昔』と比較して『竹取』は姫を人間らしく描いてるが結局つじつまが合わない点が多い
結果的に「人間として」姫を描くことでむしろその心中が不可解なものになったが、それを知りたいと思わせるのが『竹取物語』の魅力でもある
で、高畑の目標は『竹取』の裏にある本当の物語を描き、姫をさらに人間らしく描き、物語にも整合的を与えること
一方で『竹取』の魅力である姫の不可解さ、知りたいと思わせる魅力も残さなければならない
要するに一見『竹取』そのままに不可解に見えて、知りたいと思えばちゃんとわかるようにするということ
この高畑の二面的な意図についてもう一度具体的に原作と本編を比べながら検証してみる必要があるな
今までは人間らしく描く、わかるように描くという
2015/11/28(土) 01:30:50.45ID:na6LkqIh
存在しない敵と必死にシャドーボクシングして息切れしている様に見える。
この姫は「生きる事自体に失敗して自殺」を幾度と無く繰り返し、現代ではグダとして(もしくは母として)転生している。
自己嫌悪もしくは母への憎しみが長文を書かせているのであって、
フェミニズムも左翼もとんだとばっちりだ。母は死に、グダが死んだ後も転生は繰り返されていく。そしてディアナとなる。
ディアナだって同様に無数の失敗と死を繰り返す(コールドスリープ)のだ。
しかし、その最後についに「生」を獲得する(死の世界、月へは帰らない)。
ディアナが美しく高貴に見えるのは、その勝利の瞬間だけを抜き出しているからだ。
ではディアナは真には醜いのか? もちろんそんな事はない。グダも母もかぐや姫も、
むしろ全ての失敗の中に美しさは内在していたのだ。後はただディアナとして生きるだ
かぐや姫の劇中の台詞、「高貴の姫君はヒトではないのね」が正しいです。
人間という単語は全編で使われていなかったように思われます。
また、冒頭の梅が咲くシーンは、
リアリティで言えばありえないスピードで咲いているが、
あれは月のマジカルパワーというよりは、地球の自然に触れることで赤ん坊のヒメが喜ぶというシークエンスなのだから
媼の「梅がもう…」は単に咲いたことの感嘆であり、不思議なできごとと受け止めて発した台詞ではないと観てよい範疇ではないかと思います。

ところでグダさんはかねてよりクズを自称しているので、
嫌な事は拒否するが好きな事もなにもできずに自殺するタイプのクズとしてのかぐや姫に共感してボロ泣きする派かなと思ってましたが、意外でした。
原作の竹取物語への先入観を排除し、姫や帝といった高貴さへの憧れを無視してみたら、この物語やヒメというキャラクターにはどんな感想を抱いたでしょうか?
2015/12/01(火) 18:38:42.05ID:Pz2XmQeG
かぐたんの月経の日だお\(^o^)/
かぐたんは月経の日は少し機嫌がわるくなるお\(^o^)/
2015/12/03(木) 08:29:49.35ID:f0LKGEHM
古きよき「手描き漫画」の魅力を取り戻すマイクロソフトの新技術
http://wired.jp/2015/10/22/ms-autocomplete-for-drawing/
2015/12/03(木) 08:36:17.10ID:f0LKGEHM

SIGGRAPH Asia 2015 - Autocomplete hand-drawn animations
https://www.youtube.com/watch?v=w0YmWiy6sA4
2015/12/03(木) 23:43:14.89ID:7ZIVLyUh
高畑勲、アニー賞の「ウィンザー・マッケイ賞」を受賞。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151202-00000169-jij-n_ame
2015/12/04(金) 19:28:11.13ID:lnK5MhSa
興収だって20億だっけ?いったんじゃないの。大コケってレベルかなあ。???
こんだけ評価が高きゃ、DVDやなんかも世界中で細く長く売れるだろうし、かかわったスタッフはみんな
名をあげて次の仕事の条件がよくなるだろうし、長い目で見りゃいろいろ元はとれるんじゃ?
ゲドやアリエッティは宮崎駿も企画、脚本で参加してるだろ
同じジブリでも条件はさまざまだから単純比較はできない
それに高畑はおもひでとぽんぽこである程度稼いだから全体では十分黒字
他人にとやかく言われる筋合いはない
いやそうか?
おもいでもぽんぽこも赤字だよ
パヤオが風の帰る場所ってインタビュー本で言ってた
本当に高畑の映画で稼いでたら、鈴木はもっと積極的に高畑に映画作って貰ってたよ
かぐやは大スポンサーの氏家の命令だしね
まあその後の山田くんの大赤字でパヤオは引退撤回する羽目になったわけだけど
かぐやは山田くん超える超赤字だから大変だろうね
本当に他に迷惑掛けっぱなしな爺さんだよ
いやいやおもひでやぽんぽこって年内興収邦画で1位なのに赤字?
しかし無難にやってればパヤオと並ぶ興収叩き出してたかも知れんがな
ホルスやゴーシュやパンダコパンダみたいなのジブリで普通のセル画調で作ってれば百億余裕で行っただろう
どの作品も好きだけど
でもさ高畑さんの作品が好きだし、
かぐや姫で改めて素晴らしいと思ったので、興行成績は気にならん
予告編みた時からこれはコケるだろうな、と思ってたしw
それより見た人の感想をたくさん聞きたい w
それからさフランス語なぞわからんが、
監督、鼻音の発音がとてもうまい…ような気がする
仏文科卒だっけ?昔取った杵柄なのか
にしても昔の人は、音声教材とか今みたいにそろってるわけじゃないから、
英文学専攻でも、発音はさっぱり、って人も多いのにね
高畑監督、やっぱ耳いいんだと思う
「禁じられた遊び」に影響を受けているのは「火垂るの墓」の方だろう。
日本では反戦映画の名作ととらえられている「禁じられた遊び」は、実はキリスト教カトリックに対する強烈な批判的メッセージを投げかけた、ルネ・クレマン監督渾身の問題作。
「火垂るの墓」への反戦映画というレッテルを否定した高畑監督に通ずるものがある。
ちなみに、「かぐや姫の物語」に雰囲気が似ているのは、スペイン映画の「汚れなき悪戯」だと思う。
2015/12/04(金) 19:28:53.95ID:obBtgk/s
禁じられた遊び面白かった
かぐや姫見て以来の感動だわ
子どものあまりにも純粋な幼稚さと
その救われなさ、報われなさのギャップが胸に刺さる
こういう映画を作れる国ではかぐや姫もちゃんと評価されると実感
やっぱりたまには昔の名作も見ないとだめだな
西村Pは男性のなかには居心地の悪さを感じる人もいたと言ってたな
男フィルターをかけられた女像ではないから
そういう見方しかできない人には大打撃だろう
往年のヨーロッパ名画の影響が論じられているが、

「天から授かった赤子が成長し、周りの大人達を驚かせる行動をとり、
やがて天に昇っていく」

という寓話的物語はイタリア映画の短編「ミラノの奇蹟」を思い出させる。
おそらく、高畑監督はこれらの名画を参考に日本(世界?)最古の物語を、
全く新しいアニメーション手法で表現したいと考え、それを実践したのだろう。

他の高畑作品でみられるケレン味がほとんど消えて、まさに長編アニメ映画史上初
といってよいほどの芸術的映像が完成されている。
今後50年、100年と語り継がれる真の傑作。
男だからこう感じるとか女だからこう感じるみたいなのあんまない気がするけどなあ
性別関係なくおなじような感覚で見れるもんだと思うが
もちろん個人的な心情から不快に思うとかそういうのはあると思うけど
女からしたら不快とか男から見たらどうみたいかのは制作側が気にしてるほどないと思う
あんまりそういう感想見ないし
ちゃんと他人を思いやれる人間ならね
でも世の中には5人の貴族や悪い時期の翁みたいな男も結構いる
(女でも相模みたいなのもいるから単純に男女の問題とは言い切れないが)

そういえばあるオタク評論家が萌えアニメのキャラは見た目は美少女でも
中身はおっさんだから共感できると言ってたな
逆に言えば中身が本当に女(他人)だったらキャラと自分を同一化できず
感情移入もできないから困るということ

自分の立場を相手に押し付けることしかできない人間(貴族や翁やオタク評論家)にはかぐや姫の気持ちはわからない
高畑もかぐや姫の心境を言葉ではほとんど説明せず、意図的にそういう態度のままでは理解できないようにしてる
でも気づくきっかけは何回も描いてるから、普通はかぐや姫の気持ちを自然と思いやれるようになるはず
2015/12/04(金) 19:29:15.49ID:6ztooekN
はっきり言って、主人公がその世界に来た理由なんて、どうでもいいんです。
現代劇なら、転校したとか、誘拐されたとか、旅行でとか、適当な理由をこじつければいいだけ。

「CUBE」なんて、CUBEに放り込まれた理由が明確で無い1作目が断然面白く、
理由付けをしていった続編のほうが面白くないよね。

物語の起点になる理由なんて、実はどうでもいいんです。
問題は、その世界で、主人公がどう行動し、どう成長していくか、ということ。

かぐや姫の行動と言えば、他人を拒絶して逃げてるだけなんで、およそ成長と呼べるエピソードは無い。
肝心の話しの中身がスカスカのまま、
かぐや姫が地上に来た理由の設定のみが全面に出てくるので非常にバランスが悪い。

設定はいろいろ考えるけど、話はつくれないっていうダメな作家の典型だよ。
2015/12/05(土) 18:50:32.13ID:6mrBkQtP
地域研究所主催公開講座
第530回 「アニメーション、折りにふれて」
【日 時】
2015/12/05 14:00〜16:40
【会 場】
3号館101教室
【講 師】

高畑勲(スタジオジブリ アニメーション監督)
http://www.okinawa-u.ac.jp/chiken/ex-lecture

行ってきたが、いわば日本人の中の「アニメ遺伝子」みたいなのの話をしたい監督に対して
基地問題と絡めたい主催者側がどうにもうざかった
意識高い系ばかりの座席の中では、作曲家についての質問もしづらかったぜ

アニメ監督呼んでおいてアニメの質疑応答できないとは何ごとぞ
2015/12/05(土) 21:47:17.16ID:2sPc4h1a
更に素晴らしいのは大衆は帝の顎を馬鹿にする雑なコラを作って帝の高貴さをバカにしている。
本当の高貴さや国を統べることの意味を知らないからこういうことをするんだ。
なんというか、かぐや姫も貴公子も御門も、アニメ版はちゃんと恋をしてないよね。
恋って言うか大人になる、交わる、自分は死ぬけど子孫を残すって言う。
まあ、その補完として「せんぐりいのちがよみがえる〜〜〜」って言う女童のラストの歌を付け足してるんだろうけど。
蛇足だよ。
何の伏線もない下女にテーマを語らせるとか、下手くそすぎるだろ。

で、「結婚とか結局、所有欲や権威主義にすぎないっしょー」
「捨丸は雑に子供を作るけど、美女が現れたら雑に家族を捨て丸っしょー」
「永遠の処女で所有されない不細工の女童は超人的なメンタルで新曲を月人にぶつける。
理由はない」とか。

なんか、みんなちゃんと生きてない感じがします。
いや、まあ、僕は「俺の遺伝子は俺が食い止める!!!」
って思ってるメンヘラだから確固たる信念をもって結婚しませんけど。
で、ちゃんと生きてないし命を繋ぐために家族を作るって言う「恋」が描かれていないので
かぐや姫が地球で体験したかったであろう「鳥虫獣草木花人の情け」
すなわち生命観の熱さが伝わってこない。友達も作らないし、婆と箱庭しか作らないし。
枯れた竹で編んだ細工のような乾いた感触しかしない。

でも、フェミニストは
「あの時代の女性は抑圧されていたから自分で友達を作ったり恋したりできないんですよ。仕方ないんですよ」
みたいに言うのかなー。女性天皇とかいたし、清少納言も紫式部も小野小町も恋愛してたんですけどね…。

いやーターンエーガンダムのディアナ・ソレル様は竹取物語がモチーフなのに洗濯もしたし、マロングラッセも作ったし、
猟銃も振るうし、戦争にもけじめをつけたし、妹もケンカ友達もできたし、人生をエンジョイできてよかったですね!

やっぱ、かぐや姫の物語の最大の汚点はガンダムがいないから、、、なのでは?????
2015/12/05(土) 21:48:04.26ID:2CEfj1vu
生死の観点はバックグラウンドに抑えられてるからな
阿弥陀二十五菩薩来迎図があの中では特に強くそのバックグラウンドを出してる部分。
だから「なぜ仏様?」って疑問が出るのは普通だし、「なぜ?」って思わせることがこの作品全体の色。
絵が淡く、簡略化されてるのも、疑問からの答えを見いだすための、想像力を促すためのもの
2015/12/05(土) 21:48:17.61ID:mfjY/dZ6
久石譲は観客を煽ったり登場人物の心情を説明するような音楽は一切いらないと言われたらしい
これがかなり衝撃的でそういう演出の考え方もあるのかと
普通はテレビでも映画でも音楽は煽りと心情描写のためにあるのに
高畑としては作り手の意図を観客に押し付けず観客が自由に映画に入り込めるように作ってるんだろうな
監督失格だよな
受け身の観客が多い昨今ではハードルが高い要求だろうが陳腐な発想だったわ
2015/12/05(土) 21:48:34.96ID:RnXWDgzM
多摩丘陵の開発を進める人間に「化け学」を駆使して挑戦する狸たちを描いた高畑監督作品『平成狸合戦ちんぽんぽこ』が公開されたのも、この年の夏であった。
そして、この頃から毎年のように日本各地の博物館や美術館で、妖怪画を中心として妖怪文化に関する展覧会が開催され、多くの人々を集めるようになった。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150802-0004307-gend
2015/12/05(土) 21:48:48.29ID:Wgga8fNC
普通は外出するときに化粧をするもんだがかぐや姫は化粧を落としてから外出するんだな
いかにも姫らしくて好きなシーン
高畑はやはり素晴らしい才能の持ち主だよ。
高畑監督ボロクソに言われてて笑った
人格破綻者、誰も彼の事なんか信じてない、作品を完成させる気ないとか…
西村さん顔が疲れてたわ
駿「人格破綻者」
西村P「誰も彼のこと信じてない」
鈴木「作品を完成させる気がない」
2015/12/05(土) 21:48:59.14ID:DK3YANEd
それでいろいろ本を借りてきて調べてみたらかなり面白いことがわかった
例えば竹取の翁はもともとプレイボーイという設定だったとか
原作は残ってないらしいが逆にいろんなバリエーションがあって面白い
のある描写のギャップがよかったな
おてんばだった姫が眉を抜かれてじっと我慢しながら涙を流すシーンとかゾクッとした
相当つらかっただろうがあの毅然とした振る舞いには胸を打たれたわ
高畑監督は素晴らしいな
2015/12/05(土) 21:49:10.67ID:cm2u2hHJ
それと花見であんなにはしゃいだ後でさっと日よけ帽をかぶってしまうシーンとか
悲しくて仕方ないときほどあっさりとした無感情な態度になってしまう
赤毛のマンコがこの家にいられないなら外の木々と仲良くなっても仕方ない
と言うシーンがあるが高畑はこういう演出は本当にうまい
2015/12/05(土) 21:49:26.11ID:Nl55wAuB
「バケモノの子」初日好調スタート 「おおかみこども」対比162%で興収70億円視野

2015年7月11日に公開初日を迎えた細田守監督による長編アニメ映画『バケモノの子』が、好調なスタートを切った。配給によれば、初日15時までの興行収入は、細田守監督の前作『おおかみこどもの雨と雪』の対比162%、約6割増しとなった。
2012年公開の『おおかみこどもの雨と雪』は最終興収42.2億円の大ヒットになったが、これを大きく上回る勢いだ。配給は、今後は興収70億円も視野に入るとしている。2015年夏を『バケモノの子』が席巻しそうだ。
細田守監督は、独立後最初の長編アニメ『時をかける少女』(2012年)で大きな注目を集めた。小規模公開でスタートした本作は、当初の予想を大きく超える2.6億円のヒットになった。
この成功を受けてより大きな興行目指した『サマーウォーズ』(2009年)は16.5億円、さらに『おおかみこどもの雨と雪』が42.2億円と新作が発表されるたびに記録を伸ばしてきた。『バケモノの子』では、さらにその記録が伸びることになる。

http://animeanime.jp/article/2015/07/11/24083.html

細田が完全に高畑の後釜に座っちゃったなあw
2015/12/05(土) 21:49:45.44ID:ZLdZfJT6
宮崎は蝦夷(朝廷外部のアウトサイダー)を描いたが
高畑は木地師(朝廷内部のアウトサイダー)を扱ったということか
もっとも高畑もホルスの時代からアナル文化等に興味をよせていた
奈良時代以降に西日本に蝦夷が残っていたとするのはなかなか難しいため
高畑は漂白民である木地師を選んだのだろう
2015/12/05(土) 22:05:07.76ID:8SfeerHS
コピーペーストはもういいよ
2015/12/05(土) 22:44:36.74ID:IZJpXpgm
またキョーレツ信者の自演でスレ伸ばそうぜ!
2015/12/14(月) 00:03:58.87ID:peRP6hcc
かぐたんの為にスポーツジムに通うおん\(^o^)/
2015/12/14(月) 18:58:30.84ID:peRP6hcc
かぐたんのお婿さんになるんだおん\(^o^)/
かぐたんは色白のホワイティ美女だおん\(^o^)/
2015/12/18(金) 18:17:14.29ID:CZVkYoVQ
かぐたんはウェディングドレスとウェディング着物をお着替えするおん\(^o^)/
2015/12/26(土) 00:07:33.05ID:neseeQq8
かぐたんとメリークリスマスしてきたおーん\(^o^)/
月でジングルベル歌って踊ってきたおん\(^o^)/
2015/12/31(木) 18:12:46.24ID:EAUILX9l
今年はかぐたんと年越しするおん\(^o^)/
これから列車で月のかぐたんのおうちへお邪魔するおん\(^o^)/
2016/01/01(金) 00:13:10.49ID:jELk6T2l
かぐたんと結婚する約束をしたおん\(^o^)/
2016/01/01(金) 10:49:30.91ID:jELk6T2l
今年はかぐたんと結婚の儀をするおーん\(^o^)/
みなさん参加してもいいおーん\(^o^)/
お祝い金沢山ちょうだい\(^o^)/
2016/01/02(土) 08:38:03.05ID:DUkzQDlS
かぐたんと年越しするお\(^o^)/
2016/01/07(木) 14:46:52.99ID:WRWhnD3W
あけましてかぐたんお\(^o^)/
年末年始はかぐたんとむふむふしたおん\(^o^)/
2016/01/13(水) 11:18:20.83ID:1UhaLNnA
キチまだいるのかよ死ね
2016/01/18(月) 16:40:28.79ID:tauZHjwX
かぐたんのふわふわおっぱいを触りたいおん\(^o^)/
2016/01/20(水) 10:24:36.66ID:Jc3Kp56d
かぐたんの今日のオパンチュは真っ白だおん\(^o^)/
月の雫で編み込んだ高貴なおパンチュだおん\(^o^)/
2016/01/21(木) 08:58:36.66ID:e9ANYT4i
かぐたんに会いに月へ行ってくるおん\(^o^)/
お土産もらってくるおーん\(^o^)/
2016/01/25(月) 07:46:41.80ID:NRy1UFs5
月でも雪が降ったお\(^o^)/
2016/01/28(木) 09:43:55.32ID:vWUHmkXr
かぐたんと結婚するから結婚の印の指輪を買ってくるお\(^o^)/
金額は秘密だお\(^o^)/
年収の3倍だお\(^o^)/
2016/01/29(金) 23:56:50.03ID:0LsBnDKk
かぐたんのお誕生日にはダイヤの雫を買うお\(^o^)/
489見ろ!名無しがゴミのようだ!
垢版 |
2016/02/01(月) 13:48:59.70ID:trAjGdOd
かぐたんと結婚してくるおーん\(^o^)/
2016/02/09(火) 21:48:56.53ID:MRKNhWzO
クソ書き込みで埋めたくないので、高畑功のアニー賞・ウィンザーマッケイ賞受賞関係
記事を貼っとく。
今回は現地に行かなかったんだね。

高畑勲監督、ウインザー・マッケイ賞受賞&インタビュー紹介
ttp://animaga-info.hatenadiary.com/entry/2016/02/07/045215

アニー賞功労賞に高畑勲監督喜び 有能な周囲の協力があってこそと感謝
ttp://www.cinematoday.jp/page/N0080171
2016/02/19(金) 18:58:15.57ID:V4SPJHlW
おもひでぽろぽろ最近アメリカで公開
2016/02/20(土) 00:19:12.97ID:t2YZDDYk
アメリカメディアに掲載された高畑勲インタビュー
ttp://variety.com/2016/film/awards/studio-ghiblis-isao-takahata-to-receive-life-achievement-honor-1201696320/

"I have several projects that I still have in mind that I am currently working on to get closer to realizing."
(新作を準備中)というコメントがある。
2016/02/21(日) 14:06:21.19ID:lvWy7lcz
かぐたんはスーパー美少女だおーん\(^o^)/
2016/02/27(土) 14:26:02.95ID:Dj0BOIYN
>>492
新作かあ。見たいけど今度は何十年後だろう?
2016/02/27(土) 16:12:49.81ID:4Uzlf+a8
本人が生きてる間に間に合うかね、という疑問がふと。
2016/02/28(日) 20:41:26.06ID:YZE7xR27
パクたんは101歳くらいまでいけるお\(^o^)/
2016/03/04(金) 00:57:53.23ID:85wnDFXd
BDで見たんだけど、劇場で見たときから修正されてる気がした。
ラスト、月の羽衣を着せられて記憶が無くなるところ。違うかな。
2016/03/04(金) 23:51:03.33ID:Xurum6U+
えっ、どの辺り?
2016/03/04(金) 23:52:27.54ID:a/TsV+Q0
メキシコ、ワンシントポスト紙の記者も太鼓判を押したかぐや姫の物語。

ジョージ・メヒコ記者:
”かぐや姫の罪とは地球の生命、つまり月とは異なる生に憧れたことである。月はまずかぐや姫を心が自由な少女のままにしておき、自分で物事を決め、生きたいように生きる幸せを与えた。そしてその後それらをすべて奪い去ったのだ。
このことは最初からそうした幸福に恵まれなかった場合よりかぐや姫に一層の不幸をもたらすのである。”

かぐや姫の物語、観てきた。日本最古のお伽話を、マルクス主義的疎外論で矮小化した骨董品とも言うべき駄作。これに比べたら、宮崎駿はこの20年で思想的に転回したし、風立ちぬも冒険してた。よくこんな話に膨大な時間と金と手間をつぎ込んだもんだわ。

水彩の繊細さと、いきいきとした線画によって極めて美しく描かれ、この映画は日本の尊敬に値する民話のなかに独特に揺れ動く感情の波を見出す。
ストーリーが平坦過ぎて微妙だった…。かぐや姫の性格はヒステリーかと思ったわw

面白くないとは言わないけど、話は竹取物語ほぼまんまでしたよ。映像も賛否分かれそうだと……。姫の罪と罰はどれを指すのか、受け取り方によって違うかも。観ても損はしないと思うけど、過度な期待はしない方がいいかと。特に物語の新解釈とか。

したがってかぐや姫の物語は日本アニメ至上最高傑作であると言える。
2016/03/04(金) 23:52:52.03ID:SQ8mS+pm
かぐや姫の物語はジブリ至上最高傑作、ジブリの枠を超えて日本一の最高傑作映画であると思う。

帝は翁に「官位を授けるのでかぐや姫を宮仕えさせよ」と、命じるとかぐや姫は「官位が授かった後に死にます」と翁に断る。
「あまたの人の、志おろかならざりしを、空しくなしてこそあれ、昨日今日帝ののたまはむことにつかむ、人聞きやさし」
(私は多くの男性の熱心な求婚をことごとく断ってきたのです。
それなのに、昨日今日で、帝がおっしゃっている事に従ってしまったら、世の人に悪く思われる)

ここで姫は「私は世論の代表であり周りの人間に悪く思われないために、
帝には従わない」と、反政府勢力の代表のようなことを言う。

ここで、原作ではかぐや姫は帝には難題を出さなかったように見えますが、
よく読むと帝に「私に国譲りをするのなら」と、超壮大な難題を出しているとも見える。
2016/03/04(金) 23:53:17.26ID:3w6N+3Dz
普通は外出するときに化粧をするもんだがかぐや姫は化粧を落としてから外出するんだな
いかにも姫らしくて好きなシーン
高畑はやはり素晴らしい才能の持ち主だよ。
高畑監督ボロクソに言われてて笑った
人格破綻者、誰も彼の事なんか信じてない、作品を完成させる気ないとか…
西村さん顔が疲れてたわ
駿「人格破綻者」
西村P「誰も彼のこと信じてない」
鈴木「作品を完成させる気がない」
2016/03/04(金) 23:53:47.58ID:RZdpBkQv
かぐや姫つまんねーよな。
ごく一部のキモヲタが異常プッシュしただけ。
その原因も実はっきりしてんだけどな。
観客は誰もがかぐやが月に帰ることを知っている
なのに高畑はそれを利用しなかった。
これがなによりデカい
捨て丸で登場したときには「やっぱその手でくるか」と思って俺もけっこう期待したのよ。
なぜなら竹取物語は捨て丸とかぐやが仲良くなればなるほど、ラストシーンが盛り上がるからだ
そして、その意味ではかぐやと育ての親との関係でもまったく同じ事が言える
要は地上人とかぐやの結びつきが強いほど「別れ」がドラマチックなるってことさ。
前にタイタニックを例にだしたのも俺だけど、これはなにも特別な事じゃない
ある程度定石を踏まえた作家や監督なら一番最初に思いつく定番の手法
「タイタニック」も船が沈むという宿命を上手に使用して、物語も面白くしているだろ?
竹取物語とタイタニックは、主人公らが悲劇を受け入れて終わる点で、ほぼ同じコンセプトの物語なんだよ
遡れば古典中の古典ロミオとジュリエットも同じジャンルといえるな
ここで思い出して欲しいのが「火垂の墓」
これも悲劇で終わる話だけど、当時
頭脳がキレキレに冴えてた高畑は、やはりラストの悲劇を上手に利用して脚本を仕上げている。
火垂の冒頭が駅構内でボロクズのように倒れる主人公の場面からはじまってるのもそのためだ。
観客に主人公の死を示唆する事で、これから始まる物語に一種のサスペンスを効果的に与えている。
対して今回のジブリ至上稀に見る大失敗作、かぐや姫はどうか
物語の序盤から「別れ」への前フリはきちんと行われてるだろうか?
かぐやは物語上でかけがえのない存在、人間関係を構築してるだろうか?
捨て丸は? いったん捨てちまって、都合のいいときだけ会いに行くだけ
翁は? 「死にます」なんていって喧嘩売ってたよな
媼は? まあ、母親として普通ってレベルかな
求婚者たちは? 露骨にあしらって人死にまでだしてる。まるで貴族嫌い、人間嫌いの男嫌いのようだ
御門は? もちろん相手にすらしない。思いっきり拒絶してる
この映画のかぐやは、地上の人と誰とも仲良しになってないのよ。
(それどころか個人的に何か大切な物を見いだしてたようにもちょっとみえない)
それゆえに、地上に残りたいようには全然見えないんだな(ある意味原作通りだが)
むしろあらゆるものを投げ出して、どこか別の土地に逃げてしまいたがってる印象のほうが強いぐらいだ
そしてこれこそが、この映画がちっとも面白くない最大の原因だ。
観客としては「そんなに都の生活が嫌なら、月でもどこでも別の場所に行けばいいじゃん」ってなるわなw
なにに映画内のかぐやはしらじらしく別れの涙を浮かべたりするわけだw そりゃ失笑しかでねーってのw
せめて捨て丸がまともに活躍してればなあ、かぐやの「ずっと手下だよ」発言も活きたんだが、
中盤に持ち込んだ余計な理屈や雑念にマスキングされて、ただの気まぐれにしか見えなくなってる
(いま思えば負傷するのはかぐやで、捨て丸が包帯をしてやるべきだったな。そうすれば包帯に意味を持たせられた)

正直、この映画を「火垂るの墓」を作った監督が作ったとはとても思えないよ
それぐらい高畑の実績には似つかわしくないほど粗雑な脚本になってる
こうなったのは、こんな脚本にgoサイン出したプロデューサーの責任ともいえるだろな
(話によるとこのプロディーサーも脚本制作に関わってたとかいうが、それも客観性を失った原因だろう)
ぶっちゃけ、現在のジブリにまともにスクリプト診断できる人材がゼロってことだ(だいぶ前からだがw)
これがジブリ解散の本当の理由
戦犯は高畑なんだよ。

俺マジで高畑は尊敬してたからな超ガッカリって感じだ
2016/03/04(金) 23:54:09.86ID:T5mr+WIb
そう言えばどこかで
溝口健二の『西鶴一代女』や『近松物語』(この二作品は俺もイチオシ!)と比して
『かぐや姫の物語』はダメだと言っている方がいたが
俺は決してそんなことは無いと思う
溝口は情念の人でとことんまで人間の本質に没入し人間とその人生を
これ以上ないくらい奇跡的に描ききるほとんど唯一の芸術家だ
(ブレッソン映画同様、役者をギリギリまで追い詰める人権無視が可能な時代ならではの仕事でもある)
その彼の集大成である『西鶴一代女』は史上最高の映画の一つだと思う
一方、高畑勲は人間そのものは突き放し、人間が構成要素の一つとして存在している
時間と空間そのものに没入し、その時と場所の空気を描ききる
もちろんその空気(時間と空間)は「田舎」や「里山」同様人間が作り出したものなので
結果として溝口のような没入でもタルコフスキーのような俯瞰でもない
平田篤胤の幽世のように現し世から隔絶しつつも同時に重ね合わせの関係にあるような
独自の(幽霊的な)位置から人間を描くことに成功している…と俺は思う
監督は登場人物に寄り添いもしていないし一体化もしていない
もちろん上から(高く広い視点で)見下ろしているのでもない
姫がキョンシーに見えた。
両腕をピーンと前に出して。
そうした曖昧な(多面的な…というより非面的な)視点のリアリズムを探求した高畑作品は
一見掴み所がなく強烈な個性やポリシーを(他の優れた作家達に比べ)見出し難いかもしれないし
はたまた退屈なリアリズムであると感ずるかもしれないが
あれは、死後硬直から来てるんだってさ。
ようするに、いっけんなんでもないような描写にもきちんと裏づけがあっておもしろいよね。
本当に退屈な単なるリアリズム作品と比べてみたら、明らかに別物であることがはっきりわかる
単なるリアリズム作品ではこれほどの時空への没入感を決して生み出し得ない
平安時代を描いた作品はたくさん見てきたが、観終わった後
自分が実際に平安時代から帰って来たかのような奇妙な(時差ボケのような)感じを味わった作品は
本当にこの『かぐや姫の物語』だけだ
溝口映画は主人公の人生(主体)に観客を没入させるが
高畑作品は時代と生活(客体の総体)に没入させる
そうなるとラブストーリーになっちゃうけど
この映画はそうじゃないから
確かに完成度の点では絶好調時の溝口映画には到底及ばないかもしれないが
天上界は天上界としか言いようがないんじゃないのかなあ
あれを死のメタファーとかそうでないとかいうふうには作ってないと思うけど

『かぐや姫の物語』が稀有な作品であり、本当に素晴らしい映画であるという事もまた揺るぎない
2016/03/04(金) 23:54:30.58ID:Zd4zqRWM
そもそも当時、女があんなふうに身分の高い男からの求婚を蹴る事なんて出来たのかなあ
下手したら死罪じゃない?
あ、死罪か。
結婚断って処刑されましたとか子供には言えないわな確かに。
天皇拒否れる奴なんて男女共にいない
諸君らが愛してくれたかぐや姫は美人であるにもかかわらず
結婚できずに死んだ!何故だ!
まあとんでもないとはいわなくても、あまりよくない行いと考えたのだ 
語り手たちは。なぞがわかれば、なるほどこれは
全然不条理じゃない筋が通った納得の展開なのだ。
姫の難題とか、帝の求婚は現代の女性でもよくあること
(だから広く普及し普遍的で永遠の物語になったのだ)
を指していてそのままストレートに受け取っては駄目だよ。
これくらい簡単なもので謎を考えてみればいいよ 
なぞなぞと同じでひらめかない人はひらめかないかもしれないが
2016/03/05(土) 00:20:30.38ID:c+G9kM8T
>>498
姫の記憶が無くなって、レイプ目になって驚いたんだけど、
BDで見直したら自然な感じだったんで。
2016/03/05(土) 00:59:38.53ID:hu7IAmXH
そうなんだ
チェックしてみる
2016/03/05(土) 09:53:40.02ID:zConf2Ny
おもひでぽろぽろって高畑がなに描きたかったのか未だにうまく解釈できてないや個人的に
自然讃歌や文明讃歌的なところと主人公の成長物語ってのはあるけど
それ以外でもテーマがあると思うんだけどなんだろう
ただのノスタルジーものってわけでもないし
過去と現在みたいなとこに高畑自身がどんな思いを込めたのかというと
「おもひでぽろぽろ」は、小津映画の影響を受けていることは有名だが、
小津作品で最も似ているのは「麦秋」だと思う。
「麦秋」の主人公は、亡き兄の親友だった男性の母親から懇願され、
周囲の反対を押し切って、自分の意志で子持ち男性との結婚を決意する。

「おもひで―」でも、農家の男性の母親から「嫁に来てくれ」と頼まれて
はじめて自分が男性を愛していたことに気付いて求婚を受け入れる。
どちらも、男性の知らないところで結婚が決まるというストーリーになっている。

「麦秋」との大きな違いは、同作が日常生活の一断片を描いているのに対し、
「おもひで―」は主人公の少女期を交差させて描写している点。

能楽の芸術性を取り入れたのが「麦秋」なら、アニメという表現手段を用いて
同様のテーマをまったく新しい手法で作り上げたのが「おもひでぽろぽろ」だ。
高畑監督の高い見識がみてとれる秀作といっていい。

「かぐや姫の物語」は、自分の思いを遂げることができない平安末期の女性の
哀しみを描いている点においては、衣笠貞之助の「地獄門」を想起させる。

「地獄門」で横恋慕された主人公は夫を救うために死を選ぶが、「かぐや姫―」では、
求婚する貴族に無理難題を吹っかけた挙句、月からの「お迎え」を受け入れる。
自死をこのような詩的な描写で表現した物語には感動する外国人が多いのもうなずける。

高畑はおもひではレトロではないと書いてるな
過去を振り返ることで前に進むのが目的であって
昔は良かったという

そもそも当時、女があんなふうに身分の高い男からの求婚を蹴る事なんて出来たのかなあ
下手したら死罪じゃない?
あ、死罪か。
結婚断って処刑されましたとか子供には言えないわな確かに。
天皇拒否れる奴なんて男女共にいない
諸君らが愛してくれたかぐや姫は美人であるにもかかわらず
結婚できずに死んだ!何故だ!
まあとんでもないとはいわなくても、あまりよくない行いと考えたのだ 
語り手たちは。なぞがわかれば、なるほどこれは
全然不条理じゃない筋が通った納得の展開なのだ。
姫の難題とか、帝の求婚は現代の女性でもよくあること
(だから広く普及し普遍的で永遠の物語になったのだ)
を指していてそのままストレートに受け取っては駄目だよ。
これくらい簡単なもので謎を考えてみればいいよ 
なぞなぞと同じでひらめかない人はひらめかないかもしれないが
おもひでのノスタルジー的なのって高畑アニメの中ではけっこう異色だよな
ノスタルジーというよりかはほんとに思い出って感じだけど
まあ原作があるからそういう内容なのかもしれないが
近いといえばおもひでの子供パートはじゃりン子チエに近いかな
2016/03/05(土) 09:53:49.99ID:8mgnJW8C
アンチがどんなに暴れても日本のアニメで最高傑作であることにかわりはないからなぁ。
やっぱり高畑はすごい人だよ。

かぐやには求婚者たちをトンチで煙に巻く小賢しさはあるのに、
月に帰ると判明してからのドラマがぜんぜんないんだよな、原作もだけど

ぶっちゃけ、帰還イベントが判明するまでのペースが遅すぎんだよ
たしか真ん中へんでかぐやが都でお稽古してた覚えがあるけど、
これがパヤオ映画なら一度目の月の使者を撃退して、罪だの罰だのと騒ぎだしてるころだなw
んで追い返された月の使者は、超強力そうな本隊と合流
まちがいなく究極破壊兵器とか超巨大要塞とかが浮上しちゃうね
んで「愚かな地上人め、我が裁きを受けるがいい」とかいって、いきなり京都の山ひとつ吹き飛ばしちゃうw
スガドガーン! こ、こりゃヤベー、捨て丸じゃ絶対勝てねーみたいなw
あ〜もしパヤオが参加してたら、そういう場面も見れたかもなあ
2016/03/06(日) 12:17:32.28ID:65Ch1hx9
かぐや姫前半ちょっと長く感じる
でも最後の10分のシーンのために二時間耐えられるわ
2016/03/06(日) 13:34:30.24ID:yvG1SmnZ
それと花見であんなにはしゃいだ後でさっと日よけ帽をかぶってしまうシーンとか
悲しくて仕方ないときほどあっさりとした無感情な態度になってしまう
赤毛のマンコがこの家にいられないなら外の木々と仲良くなっても仕方ない
と言うシーンがあるが高畑はこういう演出は本当にうまい
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