かぐや姫の物語 34 [転載禁止]©2ch.net
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あれは捨丸の夢でしょ
かぐや姫が故郷を思うように捨丸も考えてたと >>810
夢じゃなくて月の力>>4
2人で舞空術してた時にかぐや姫が月に向かって何と言ったか見直してみ 人生に絶望した人が死ぬ間際に言いそうなセリフだなーと思った >>3
リンク先が見れなくなってるからテンプレから外せば? この映画の主題歌のセンスは
ゲド戦記〜かぐや姫〜この世界の片隅で
と繋がってるよね
血圧低そうな女のボーカルソングの系譜
曲はいいんだがこれを流されてなんか表現した気になられてもな、というのは感じる
どれも一部分しか見てないけどな
曲聴いたらもういいや、みたいになる 捨丸は、姫に話した事を自分からは実行に移そうとしなかったところも重要ではないかと。
本気で妻子を棄てるつもりなら、まるで白昼夢のような体験をした後で、姫の元に駆けつけても良かったわけで。 月の使者が迎えに来た時に
かぐやが使っていた機織りや琴に何か施していたのはなんの意味? 最後にブッダが出てくる意味がわからん
しかも台詞なし
面白かったけど、、、
天皇をまったく尊敬してないのはわかった
思想的に引っかかる
男を醜く描き女を美化してないか
かぐや姫って公家と結婚するために京都に出てきて美しい着物着て
るのに求婚されたら拒否る
都に出てきたのが間違い
親父がかぐや姫の敵でしたという話やないか
親父がバカでしたという話 >>820
昨夜の岡田斗司夫先生の解説は圧巻だったな
・かぐやが媼の横に座って歌いながら思い浮かべる富士山が見える海岸は三保の松原。
・かぐやは羽衣伝説に出てくる天女の娘。月の世界で地球を見ながら泣いている人はかぐやの母親。
・波打ち際まで追いかけてくる漁師と子供は、かぐやの父親と弟。
・あれはかぐやが母親に抱き抱えられながら月に帰って行く時に実際に見たシーン。
・飛翔シーンでの抱擁は性交の暗喩。かぐやは月へ帰る時、捨丸の子供を身籠っている。
・ラストで月にオーバーラップする赤ちゃんは、かぐやの娘。 抱擁シーンの暗喩を否定して安心というか自己解決してる奴が居るけど、
映画の文法をまるで分かってないな
抱擁の後で地面近くまで落下するのは、オーガズムの表現であると同時に
月世界人としての血が薄まる、つまり捨丸とかぐやの子供が生まれる事を意味している
元々かぐや自身が地球人と月世界人のハーフだからな
だいたい高畑監督が「あれはSEXシーンです」なんて言うわけがない
そんな事を関係者が告白したら映画の公開やテレビ放映に影響するだろw 一生懸命考えて読み解いた結果がセックスの暗喩のみとかwww 映画でもマンガでも誰でも自由に解釈する権利があると思うけど
その解釈は鏡のようにその人の人柄を表す だから、テーマは
めーぐる、めーぐる、めーぐる♪
だろ
初め輪廻転生かと思ったけど
違ったけど
歴史(あやまち)は繰り返す 飛翔シーンは、プロデューサーがそういう事ですよねって言ったのを、高畑監督が違うよ、そう見えるかもしれないけどねって否定してるのになぁ
まぁどう解釈しようがその人の勝手だがね 岡田斗司夫の信者っていうかどうせ本人だろうけど岡田斗司夫みたいなバカが見たらなんでもsexの暗喩だろうからなw 女と見るや全てセックスしか思い浮かばないのは、ハッキリ言って精神病んでるからな
病院行ってこい でもさ、実況版でも
飛ぶシーンは、やってるって教えてもらったけど
飛ぶシーンはだいたいそうやろが!
って言われたwwww
えー、千と千尋も飛ぶシーンあるけどって聞いたら
それ以上は危ないって
返事が帰ってきたけどwwwww だからさ、飛翔シーンがセックスの暗喩だったら何だって話
物語が飛翔シーンだけで構成されているわけでは無いだろ? 拾ってきたけど
プロデューサーも言うとるやんけwww
審議の程は分からんけど、一般的な意見やないかな
インタビュア むしろ逃避行のような。
西村 で、なぜあそこで飛ぶかと言ったら、それはもう……性の象徴でしょうね。男性と女性の、結びつきの象徴でしょうから。
── 高畑さんも「あれは性の象徴だ」とおっしゃっていたんですか。
西村 いや、本人は明言しないです。僕は言いましたけどね。「これ、そうですよね?」って聞いたら、「まあ、そういうふうに捉えることもできるでしょうね」って(笑)。でも、明らかにあれはそういうことですよね。
── グッとくるシーンでしたよ。
西村 うん。画も、音楽も、どんどん上昇していくじゃないですか。上に上に、高まって高まって、最後はバーンと落ちる。明らかにメタファーですよ、あれは。
http://animestyle.jp/2014/02/10/6854/ あのシーンはあの描写自体に意味があるのであって、性交渉の暗喩かそうでないかは瑣末な事だと思うがね
そう思いたきゃ思えば良いし、そう捉えない人だって居る。監督もそういうスタンスだろ。 飛翔シーンが男女の結びつきではないというのならば、
笑顔である理由、お互いが全てを受け入れているような表現は必要でしょうか。
幸せの頂点、恋愛の達成である事は明白だよ。 >>823
此処に書いてあるんやけど、
最後の月の子供はかぐやの子供の顔
捨丸の子供って事やから、意味はちゃんと繋がる
かぐやは身ごもったまま月に帰ってしまったらしい セックスなんて人生のごく一部だぞ?
あんまり夢見てんなよw >>840
最後の赤子はかぐや姫の魂であって、また生きたい、また産まれることを意味しているんだと思うよ。
つまり、確かに生きた、生きる喜び、生きる幸せを感じて死んだ事を意味しているんだよ。
この世にまた帰りたい、帰ってくることを意味する。 妻子居るのにかぐや姫と浮気するDQN捨丸
公家や帝には興味なくDQNに惹かれるかぐや姫はビッチ >>845
生きる幸せだな
浮気は世間の問題であって、幸せとは無関係。
例えば、自身の親が自身の為に浮気や離婚を我慢して、親自身の幸せを無くされたら自身も幸せではない。
愛とは他人の幸せを願う事であり、恋愛とは異なり恋愛は自身の幸せ、及び人生である。 >>839
恋の逃避行に浮かれた気分を現してるならまさにああだと思うけど
なにもカップルが手繋いだら即セックスでもあるまいに
御門の抱擁をあれだけ嫌悪した娘がもっと抱き締めてって懇願する様をそのまま受け止めた方が成就しようのなかった恋愛の悲しみが分かる気がするよ >>848
そんな軽い事ではないよ
恋の頂点とは、姫の告白及び、捨丸のプロポーズ。
今までは、互いに仲間と思っていて、また、姫は親の為に、かつ無意識にそう信じるようとしていたのだ。
恋愛とは人生であって生きる幸せ、お迎えが来る前に、その無意識のままではなく、恋愛をしてから死にたいのは当然の事。
姫の「死にたくない…、このままでは」というセリフを感じてほしい。
その幸せを2人で共有、交わっているのですからその様に見えて当然。
即ち、幸せの絶頂、人生の絶頂、生きる幸せの絶頂であり、単に性行為と言う訳ではない。 本当はエロいかぐや姫ww
@蛙の包摂を追いかけて立ち上がる
A村の男と爺の両方から呼ばれて成長
B捨丸兄ちゃんに抱かれて成長(うり坊)
C村の男に裸を見せて成長(池に飛び込む)
D茂みの中で、2人っきりで瓜を食べる(破瓜)美味いなwww
E捨丸兄ちゃんに抱かれて成長(キジ事件)
たけのこは女の子の輪には入らず
男の子達と遊ぶ=オタサーの姫状態
かぐや姫は最初から男達の欲望の対象として描かれている かぐや姫の物語はどういう物語だったのか
月に帰らないと行けないと分かった後ですね
糸紡ぎをお婆さんとするんですね
かぐや姫は天女の歌を歌うんですね
めぐれ、めぐれ、めぐれ、遥かな時を
廻って心を呼び返せ、々
人の情けを育みて、待つ年きかば、いざ帰えりこむ
(本当にあなたが待っていたら、すぐに私は帰ってきます)
で、そのシーン変な物が映ります
これ今回のテーマです
雁が飛んでいて、松が描いていて、向こうに分かりにくいですけど、富士山が見えます
富士山から煙が出てるんですね
富士山は西暦1010年頃1回噴火活動したので、平安時代の頭あたりですね
その海岸になんか男の人と子供が走っているシーンがあるんです
次のシーンで松の木の下で、男の人と子供が月を見ているというシーンです
これ何か?
分からなかったですよね 何でこれがあるのかって言うと
これは高畑勲からすると、
日本人だったら全員分かるはずだと
富士山があって、松があるから三保の松原でしょ
三保の松原で月を見て待っているって言ったら
天女伝説に決まってるじゃないですか
三保の松原で、ある漁師が天女が水浴びしているのを見たと
その時に羽衣を隠したと、そのおかげで天女は天に帰れなくなって
男の女房になって、やがて子供ができた
その後、漁師が隠した羽衣を見つけて
天女は天に帰ってしまった
漁師と子供は三保の松原に残されて
天女がまた帰って来てくれるんじゃないかと待っていると言う悲しいお話ですね
富士山と松原で三保の松原でしょ
それで男と子供が待ってるでしょ
天女伝説分かりますよね?羽衣ですって
分かる訳ねえよwwwwwって思うんですけど
これがクライマックスシーンで見せる映像なんです
この後、続けて流れるのが月の貴婦人です
月の貴婦人が歌いながら泣いている
これを見てかぐや姫は地球に対して憧れるようになった、ですね
(月の貴婦人)
これコンテにですね、いなくなった子供を抱くようにって書いてあるんですね
つまり、この人はですね、子供がいたんでけども、その子供がいた記憶さえ奪われてしまっている
記憶をずっと奪い続けているのが、この周りにいるティンカーベルですね
妖精達が奪っているので、だから何が悲しいのか分からなくて泣いていると 何かって言うと、もう一度子供に会いたいから泣いているんですね
だから、この手だけが赤ちゃんがいた空間を示している訳なんですね
で、それを見てかぐや姫は何故か地球に行きたくなったと
変なんですよ、何でかぐや姫が地球に行きたくなったのか以前に
何でかぐや姫が月にいたのかです
かぐや姫ってその時にちゃんと少女として月の世界で描かれているんですね
少女が子供が月の世界にいるはずがないんですよ
月の世界は不老不死なんですから月の世界は大人しかいないんですね
その世界で子供のかぐや姫がいるって事は何かって言うと
恐らく二人目の子供なんですね
三保の松原の漁師の
かぐや姫は
で、この女の人の子供で、月に来て生まれちゃったんですよ
だから、自分の母親とも分からないんですね
自分の母親とも分からない人が、もう一回地球に帰りたいと思って泣いているのを見て
同じ気持ちだーって分かるんですけど
かぐや姫は自分がそうい存在だと知らない
だからかぐや姫は地球に憧れちゃうんですよ
別に月の人が地球に憧れたんではなくて
当たり前なんですよ、地球人とのハーフなんだから
地球に憧れたって言うだけの話なんですね
でも、月で生まれたから不老不死になっていると でどうなるかって言うとですね
じゃあかぐや姫は地球に降りて来た
辛い事もありました、良い事もあったんですけど
捨丸兄ちゃんと空を飛ぶシーンがあります
抱いて!強く抱いて!って言います
包容って高畑勲監督ですね77才になって
包容と言う言葉を使うとは思わなかったって言って照れていて
コンテにも77年生きていて包容と言うのは初めて書きましたって書いてありましたけど
あの空を飛ぶシーンは、はっきりあれなんです(自主規制しましたよw)
あれしてそれを見つかったので罰を受けたって言うのがその〜、堕落
月に見つかって堕ちるシーンのメタファーなんです
あそこで、抱き合っているのがあれだって言う事は
だいたい見ている人の中で、そういう事が分かる人はだいたい分かると思うんですけど
その結果を考えない
かぐや姫の罰と言うのは何かって言うと
もう一回、月に帰る時にお腹の中に子供を宿している事なんですね
だからラストシーンでこれが出る訳ですよ
(月に赤ちゃん)
なんで、ラストシーンでこんなもんが出るのかって言うと
もう一回同じ過ちを繰り返すんですね
もう一回同じ過ちを繰り返して、かぐや姫と捨丸兄ちゃんの間に出来た子供は、又地球に行きたくなるんですね
だから、めぐり、めぐるって言うのがずっとつづくと言う話なんですね
めぐり、めぐると又同じ事がある めぐり、めぐって又地球に帰って来ますとうのは、何かというと
かぐや姫が帰って来ますと言う事じゃないです
この過ちは永遠に続いて、それは又地球人にとっては散々だったか分かんないですけど
なんで最後に赤ちゃんが出てくるのかって言うと
同じ様な存在が又地球を見ています
そして、彼女は地球に来たがるでしょう
なんでかって言うと、その子供は元々地球に憧れるべくして生まれた様な子供だから
月の世界の人間だから地球に憧れたんじゃないんですよ
かぐや姫だから憧れたんではなくて、元々地球人との間は生まれて
地球の血を継いだ子供だから、地球に憧れてかぐや姫は来たくなってしまっている
これを絶望と捉えるか、希望と捉えるかなんですね
そうやって、やっぱり出会うべきものでないものも出会ってしまった
そして、そこに何かある事が命だと
それを悪い事だと考えるのが月の人で
それは悲しい事かも知れないけど
私達の世界の出来事で語り継いで行こうというのが日本人の発想だ
だから又会える、同じ過ちを繰り返すとあの歌が出来ているですけど
これってマドカマギカなんじゃないのかなってwwwww アニメだと、ガって振り向いて、月にバーーーン!って赤ちゃんが浮かぶじゃないですか。
原作はあはれが消えたのか消えてないのか分からない、というふわっとした表現なのが沁みる…。
で、アニメはおじいさんとおばあさんが兵士を集めてたけど、原作はもちろん帝が二千人派兵した。
本当にアニメの御門は何にもして無くてヤバい。というか、御門が抱きすくめたおかげで記憶が戻ったっぽい。
原作は帝に会う前から高貴な異国の代表という意識があったようだ。
そして、不死の妙薬を天人から授けられるのだが。
原作のかぐや姫は「(自分が不死なのに)愛する人が老いる様を見るのが辛い」と言う気持ちだったのに、別れる時に翁と媼と帝も不死の薬を得る。
ここですれ違いの演出をするのが憎い。
だが、翁と媼はかぐや姫を失った悲しみで血の涙を流し、薬も飲まず、病になった。
帝は
あふことも 涙に浮かぶ わが身には 死なぬ薬も 何にかはせむ
と、読んで富士山の頂上で薬を燃やさせた。
このラストは色んなものが重層的になっている。
アニメでかぐや姫が好かれたのは「回春」で寿命を延ばそうという気持ちだった。
(実際おじいさんとおばあさんは元気になった)だから不死の薬は本当にみんな欲しいし、かぐや姫自体が不死の薬のようなものだった。
だから、アニメでは不死の薬そのものは天人から与えられない。
逆に、原作だとかぐや姫は「歳月は過ぎてみんなは老いて自分は取り残されていくのだなあ…」という天人の哀しみがあった。その哀しみと引き換えに不死の薬を天人から人間に与えられるのだが。
帝は「かぐや姫に会えないのなら不死でも仕方がない」と薬を焼き捨てる。
これには仏教の「極楽浄土に転生すること」の否定でもある。
いや、天人の世界が六道の天道なのか、極楽浄土なのかははっきりしないのだが。とにかく「永遠の命を持つものに解脱したい」という仏教徒の願いを放棄している。
仏教以外にも、日本には常世の国と言う概念があるのだが、こちらは海の向こうの世界なので、月の世界とはまた違う気がするが。
ともかく、成立年代が平安時代初期とすると奈良の大仏以降で仏教信仰の勢力が強い時だ。
そこで、オピニオンリーダーの帝に「浮世のわが身には死なぬ薬は意味が無い」と不死を捨てさせるのは非常に反体制的だし政治的意図を感じる。
皆が仏教を信じて永遠の命や成仏を願っている時代に、「そんなものより、愛が大事だった」と死を選ぶことで、ラブストーリーが結実している。 数か月の間に、女の子はすくすくと成長し、年ごろの娘になりました。
お爺さんは「竹から生まれたから、竹姫でいいだろう」と
言いましたが、女の子は「そんなダサい名前は絶対イヤ」と言い張り、
「赫(かがや)き映(は)えるほど美しい」から「赫映姫(かぐやひめ)」だと自分で名乗りました。
確かにいまやかぐや姫となった女の子は、この世のものとも思えぬほどの
美しさを持っていました。しかし、天は二物を与えなかったのか、
性格はこれ以上ないほどのビッチになっていました。
お爺さんの家の周りには、かぐや姫とハメようとする男どもが
たむろするようになり、真っ昼間から嬌声が響くありさまでした。
お爺さんお婆さんは、なんとかそれをやめさせようとしましたが、
ビッチなだけでなくものすごいワガママで傲慢なかぐや姫は
「貢がれたカネを家に入れてるんだから文句を言うな」と言い放ちました。
それでも、男どもの中にはまともなものもいくらかいました。
誠実な男たちはかぐや姫と結婚したいと願い、お爺さんに
その旨を伝えました。お爺さんはよろこび、
「わしも婆さんも、もう先が長くはない。おまえにも
まだ多少なりとも孝行の気持ちがあるなら、早く結婚して
孫の顔をみせておくれ」と言いました。かぐや姫は、
「なんで結婚なんてしなきゃいけないのよ」と嫌がりましたが、
ふっと楽しそうな顔でにやりと笑い、「そこまで言うなら、
わたしのお願いを聞いてくれた人と結婚しましょう」と言いました。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています