かぐや姫の物語 35

1見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/06/13(水) 23:09:18.43ID:gqTV+R3m
高畑勲監督作品「かぐや姫の物語」のスレです
2013年11月23日(祝)全国ロードショー

・関連サイト
かぐや姫の物語 公式サイト
http://www.kaguyahime-monogatari.jp/
スタジオジブリ 公式サイト
http://www.ghibli.jp/


・前スレ
かぐや姫の物語 34 [転載禁止]c2ch.net
http://medaka.5ch.net/test/read.cgi/animovie/1438875736/

29見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/06/22(金) 16:16:39.89ID:4F/Mc8j3
たけのこのようにすくすくと育ち美人の大人になったが
そのためちやほやされ勘違いし超高望みをし
世界有数の高級ブランド買えない奴は嫌とか
3高じゃないと嫌とか年収1000万ないと嫌とか
この程度の地位(長者どころか帝もw)では釣り合わんから
もっと地位の高い男がいいとか
アゴが出てるやつは嫌とか言ってるうち
ついには羊水がくさ…お迎えの時間が来て結婚できないから
娘よそうならないでねってのが主題だ

後半最後の推理は甘かった、月は死より別の時間制限と直接関係がある線が
浮上した。これで月を使うことが決定的に重要になる。
これを穢れとみなし隠語で言う風習で難解になっていったのかもしれない
元の竹取物語の話って、かぐや姫は帝ですら及ばない月の世界の姫であって
翁が悲しもうが、本来の場所へ目出度く帰っていくだけのこと。
かぐや姫は、貴公子や帝や木地師みたいな地上の男なんぞと
家庭を持って暮らすような存在ではない
この動画を見れば、かぐや姫が婚期を逃した女性みたいな話では無いと分かる
これが長きにわたって日本人が抱いてきたイメージだよ
https://www.youtube.com/watch?v=UrxbQz9R9VQ
婚期がどうたらこうたらよりかぐや姫イラン人説の方がよっぽど説得力ある。
月=未知の世界=イランの都
この世の者とは思えない美しさってのも異人種なら納得。

30見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/06/24(日) 00:09:09.06ID:s04l70zU
高畑が伊勢物語やるんなら三時間とか四時間くらいの長さでやってほしいな
ほんと超大作って感じで 高畑なら出来るだろう
平安貴族は、官位は男のものだが、
家は女のものなんだよ
財産あるから基本的に強い
女は自分の家で、通ってくる男を待ってて、男が通ってこなくなったらその男との結婚は終わりだけど
そのあと別の男が通ってくる、ってもあることで
貴族の男は同時に何人のもの女に通ってること多くて、その意味では一夫多妻だが、
女も生涯通して見れば、一妻多夫ともいえるかも
の紫の上なんかは、あの時代の高貴の姫としちゃ例外的で
実家から切り離されてるから(源氏が実家から拉致して自分で育てたため)
自分の家がない 実子もいないので源氏にすがるしかない立場
それが紫の上の苦悩を深くしてる
紫の上の立場は、女が財産権を失くし、また神道道徳がいきわたって江戸以降普通になった「女三界に家なし」のさきがけ。
家を相続するのは娘だから、
親も娘を大事にして、教育に力を入れたんだね
書道、音楽、文学の教養を授けて「あの家には素晴らしい娘がいる」という評判を立てさせ
いい婿をgetする いい婿っていうのはなるべく高い官位に上れる男
最初から身分が高くて その上さらに出世しそうな男
そういうのを捕まえて、家に誉れをもたらしてくれることを期待する
女の家はそのための資金援助をする 男もそれ目当てで金持ちの家の娘をめとって後ろ盾を得ようとする
金がなく野心のある男にとっては、女は顔より金!だったりすることもあるし
身分は低いけど金のある男にとっては、美しい高貴な姫のヨメがステイタスだったりもするだろし
かぐや姫の時代背景はそんなんだな
かぐや姫の原作自体は、シンプルでおとぎ話的、心理描写もあまり深くないけど、
高畑版かぐや姫には、原作人魚姫にプラスして源氏物語の影響も見られる気が 
姫の心理は、平安物語に出てくる女君たちの苦悩とかぶるとこある

31見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/06/25(月) 19:50:49.66ID:QTe1Qn7i
不倫が悪なのは普通の感覚だからねえ周りが不幸になるしな
国同士の結びつきのために嫁いだお姫様が年頃になって真に愛する人を見つけてしまって不倫してしまうっていうお話もあるが
それも倫理的には許されない悲恋の恋だからねえ
誰にも悪意はないし帝も翁もその時代の常識にのっとって行動してるだけなんだけど
その常識とは違うところで生きてるかぐや姫にとってはそれが苦痛で絶望的な展開になってしまうんだよな
誰も悪くなくても、絶望的な終わり方をして結果的に死を選ぶことになってしまっても
それでも生きてることに価値はあるよという映画なんだと思った
まず軽蔑云々前に、なぜ盗みをするのかがハッキリとわかっていないはず
炭火焼き職人から木地師の素性を知ってはいたが、移動した土地で上手く行けたのかどうかはわからない
軽蔑よりも先になぜ盗みをするのかが浮かぶはず。
そもそも突拍子な出来事に制御が利かなくなって飛び出してる時点で、姫は軽蔑とか疑問とかよりもまず、救いとして捨丸を求めた
そして花見の出来事を思い出して車に隠れた

32見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/06/26(火) 01:01:46.38ID:x0NBT5Pe
で、原作の帝が格好いいのは姿を消したモノノ怪そのものであるかぐや姫を討伐するのではなく、和歌を交わしたところ。

和歌はそれまでの貴公子とも何度か送っていたが、姫から送信したり何度も返歌を送ったのは帝だけ。

ここで、それまでの貴公子で恋愛をテストしてきた姫の伏線が生きるし
帝が姫を引き付ける力が権力や腕力ではなく「気高さ」や「言の葉」として描かれているのも感動的。


かへるさのみゆき物うくおもほえてそむきてとまるかぐや姫ゆ
(行幸からの帰り道は憂鬱な気持ちでいっぱいだ、これも私の命令に背いて一緒についてきてくれないかぐや姫のせいなのだよ。 )
御返事を、
葎はふ下にもとしは經ぬる身のなにかはたまのうてなをもみむ
(雑草が生い茂る貧しい家に育った私などが、玉で飾り立てられた宮殿で過ごすのは身分違いというものですよ。 )


和歌を送られた後かぐや姫の美しさに他の女性に興味が失せた帝はかぐや姫の御もとにぞ
御文を書きて通はさせ給ふ。

御返りさすがににくからず聞こえ交わし給ひて、おもしろく木草につけても御歌を詠みて遣はす。
「雑草が生い茂る貧しい家に育った私などが」と自分を卑下しているかぐや姫に対して
帝は植物の話題で三年間文通するんですよ!
アニメの御門は草木花から遠い成金趣味として描かれたけど
原作の帝はおもしろく木草につけても御歌を詠みて遣はす。
尊い!!!国の長でも、草木花を愛する心があるのだ。
で、割とラブラブになったところで、(帝とはその後一回も再会してないのに)
かぐや姫は月を見ては憂鬱そうになる。


かやうにて、御心を互ひに慰め給ふほどに、三年(みとせ)ばかりありて
春の初めより、かぐや姫、月の面白う出でたるを見て、常よりももの思ひたるさまなり。

ある人の、『月の顔見るは、忌むこと』と制しけれども、ともすれば、人間にも月を見ては、いみじく泣き給ふ。
七月(ふみづき)十五日(もち)の月に出で居て、切にもの思へる気色なり。
これでかぐや姫が月に帰る前兆となるのだが。

『月の顔見るは、忌むこと』がなぜなのかと言うとそのまま歳月の移り変わり
すなわち死の予兆を意識することだからだ。


八月十五夜の帰る時に、かぐや姫は養父母に「かの都の人は、いとけうらに、老いをせずなむ。思ふこともなく侍るなり。
さる所へまからむずるも、いみじく侍らず。老い衰へ給へるさまを見奉らざらむこそ恋しからめ」と「自分は老いることが無いのだが老いるあなたたちを看取れなくてつらい」と言った。

求婚者が現れた時に「何で人間は家族を作って子孫を残すの?まずそこがわからない」と言った姫が「老いを看取れないのは辛い」
と言うの、本当に成長を感じさせるし泣ける。

アニメ版は「子供時代が尊い!大人はクソ!」みたいな描き方だったのに
原作だと「人は死ぬからこそ大人になって子をなすのだ」ということを不死の宇宙人が学習する話になっている。


そして、かぐや姫が月に帰ることになった理由がアニメ版と全く逆だとわかる。

アニメ版は「帝に抱きすくめられて、大人になりたくない!ここに居たくない!帰りたい!」とテレパシーを送ったからと高畑監督は言うのだが。
原作ではむしろ「歳月の流れ、老いていく人を止められないから辛い。翁と媼と、そして御門の命が縮まるのを待つのが辛い」
という短命な時代の人らしい哀しみを感じたんじゃないか?それを実感させるのが姫に対する罰だったのではないか?と私は思う。だから姫は帝に再会せずに文通だけにしたのではないか。

33見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/06/27(水) 13:37:26.34ID:irQ7n065
2018年06月27日07:00
『かぐや姫の物語』解説 補足 「高畑勲の作家としてのホームポジション」
http://blog.livedoor.jp/okada_toshio/archives/51548727.html

 5月にやった『かぐや姫の物語』の解説について、こんなお便りが届きました。
――――――
 実はわたし、大学、大学院で古典文学を専攻していました。
だから高畑さんの「かぐや姫」は公開当時からとても興味深かったです。

 とくに「これはすごい!」と思ったシーンが姫が琴を弾く場面です。
岡田さんは、「姫は異性の前ではスキルが上がるので、翁がやってきたら琴を弾きこなせてしまった」
と解釈してらしたのですが、わたしは別の解釈をしました。

 姫が弾いていた琴は、琴は琴でも、“キン”(琴)の琴という、古典文学の世界では、
天人の末裔であるとか皇族とか、要するに特殊な血筋の人間でしか弾くことができない、
ある意味で幻の楽器みたいなもので、我々が「琴」と聞いてイメージするような“ソウ”(箏)の琴とは全然別の楽器なんです。

 それを姫がさらりと弾きこなしたというのは「姫が天女の生まれ変わりだ」ということを暗示する演出だと、わたしは思いました。

 「いやー、すごい。さすが高畑さん」と、感心するのと同時に、
「王朝文学を学んできた自分にはかろうじて分かったけど、一般の人には絶対分からない、えげつない演出をするなー」
と映画館でぞっとした思い出があります。

 本当に高畑さんの映画はえげつないですね。そこがわりと好きですが。
――――――
 そうなんです。僕らが「琴」と言われた時にイメージするのは、正しくは“ソウ”という楽器なんです。

 つまり、琴には、“キン”と“ソウ”というのがあり、元々のキンというのは、
もう僕らは、ほとんど見ることができないんです。

 いわゆる女の人がやっているようなあの楽器は、
弦の間に橋みたいなのが入って、音階を調節する楽器なんですけど、
かぐや姫が弾いてるのは、1枚の板に真っ直ぐな糸だけが張ってあり、
それを胡座をかいた足の上に乗せて弾く、キンという楽器だそうです。

 これについては、『かぐや姫の物語』のメイキング本の中にも書いてありました。
 録音の時に、ミュージシャンの人が来たんですけど、そこに用意されていたのが“ソウ”だったんですよ。
いわゆる、現代でも使っている普通の琴が置いてあった。

 なので、高畑さんに、アニメの監督だから知らないんだろうと思いながら
「これね、実は違う楽器なんですよ」というふうに言ったら、高畑さんが「そうなんですよ。
これは違うんですよね。“キン”でなければ」と言ったそうなんですよ。
 「わあ、すごいな、この監督。知ってるんだ」と思って、その後、二人で相談したそうです。

34見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/06/27(水) 13:38:25.46ID:irQ7n065
この2つの楽器の何が違うのかと言うと、現代も伝わっている“ソウ”という楽器は、音が響きすぎる、
鳴りすぎるそうなんですね。それに比べて、かぐや姫が使っていた時代の“キン”というのは、もっとくぐもった音だそうです。

 なので、結果、しょうがないから弦の下にタオルを何枚か敷いて、音があまり反響しないようにして、
かぐや姫が琴を鳴らすシーンを作ったそうなんですけども。

 それをちょっと思い出して、「本当にすごいな、あのオッサン」というふうに思いました。
 高畑アニメに関しては、本当に研究すればするだけ深みがあるんですよ。
・・・
 今のアニメの作り方、映画の作り方、たぶん、小説も漫画もそうなんですけども、二極化してるんですね。

 つまり、“高畑さんっぽい”というか“わかる人にはわかる”というような、深みというのをずーっと作っていくような、
作者としても「まあ、ついて来れる人だけついて来てくれればいいよ。初心者にもわかりやすくはしてるけど、
実はその奥にもいろいろと考えて用意してるんだけど」という作り方。

 意外にも、『進撃の巨人』はそういう作り方をしてるんですよ。あとは『約束のネバーランド』もそうかな?
他にも『HUNTERXHUNTER』なんかもそうなんですけど。

 それに対して、「漫画とかアニメの役割というのは、とにかくわかりやすいことであって、テーマとかも、
できるだけセリフとして直接表現するし、とにかく間口を広げて、できるだけ沢山の人にわかって貰おう」という作り方。

 このどちらかに二極化してるんですね。
・・・
 映画作家というのは、どちらかというと前者のタイプが多くて「わかる人にわかればいい」ってしがちなんですけども。
 テレビドラマって逆なんですよ。「とりあえず見てる人全員にわかってほしい」という文法で作るんですね。
 なので、結果として、テレビで活躍している人が映画を撮ると、ほぼ失敗するんです。

 これはもう、「ほとんど例外なく」と言ってもいいくらいです。僕も好きだったテレビであんなにイケてた人が、
映画を作ると深みがなくなってしまう理由は、テレビと映画が本質的に持っているものが違うからです。

 テレビというのは、全てを明らかにして、わかるようにして、
そのわかるものの連続で何話も何話も話数を掛けて、ゆっくり見せて行くものなんです。
『真田丸』もそういう作り方ですよね。

 しかし、そういうやり方は、こと映画に来ちゃうと「含みがなくて面白くない」ものになってしまうんです。
 宮藤官九郎にしても誰にしても、とりあえず、僕がテレビで好きな人っていうのは、
全員、映画に行くとダメなんですけども、そこら辺が原因じゃないかと思っています。
・・・
 そういう意味では、高畑勲に関しては「映画ではやり過ぎになる」んですよ。
 でも、テレビアニメとして『赤毛のアン』とか『アルプスの少女ハイジ』とか
『母をたずねて三千里』をやった時には、ドンピシャなんです。

35見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/06/27(水) 13:39:08.52ID:irQ7n065
“高畑ボリューム”っていうのかな? それが映画になると、もう、カルピスの原液状態で、
「いや、高畑さん、そこまで作っておいて、『かぐや姫の物語』って、
お話はクソつまんないですよ」というふうに思っちゃうんですけども(笑)。

 作家によって“ホームポジション”というのがあると思うんですよね。
 すみません、つい「つまんない」とか言っちゃったんですけども。
いや、高畑さんの『火垂るの墓』にしても『かぐや姫の物語』にしても、ストーリーだけ見れば絶対に弱いんですよ。

 だけど、それをテレビシリーズに持ってくると、ストーリーが弱くても、何話も何話も使えるから、すごいものを伝えられる。
 例えば、『母をたずねて三千里』なんて、言ってしまえば
「イタリアのジェノバにいた、10歳にもなっていないような少年のマルコが、大好きなお母さんに会いたい一心で、
一生懸命に海を渡ってアルゼンチンまで行って、さんざん苦労してお母さんに会えた」というだけの話なんですよ。

 だけど、これをテレビで50回に分けてやったらどうなるのかというと、ものすごいことになるわけですね。

 本来、高畑さんというのは、そっちに向いてる作家なんですよ。
それなのに、50話掛けて、1年連続のテレビシリーズに使うような情熱を、たった2時間くらいの枠の中に込めてしまうと、
『かぐや姫の物語』のような“沼”みたいな作品が出来ちゃうんですよ(笑)。

 やっぱり、正直言って、僕は「高畑さんはテレビの作家であった」と思います。
 その点、宮崎駿はテレビでも映画でもどちらでもいける、ちょっと稀有な才能を持っていたというふうに思ってます。
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この記事は『岡田斗司夫ニコ生ゼミ』6月17日(#235)から一部抜粋してお届けしました。

36見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/06/27(水) 22:30:24.22ID:/Av/pY35
すごいと思ったのはすごい技術で作ってるのにあざとくないとこ
例えば鉄コン筋クリートとか湯浅系とか特徴的な線で描くアニメっていくつかあるけど
なんかあざとくて鼻につくところがある
原作の漫画は感じなくてもアニメでやられるとなんかこれじゃないんだよなあってのと技術の見せびらかし
みたいなのがあって拒否反応が起きちゃうんだけど
かぐや姫の物語は技術的にはもっと上を行ってるのに全然あざとく感じない
なんでなんだろうか
キャラデザのおかげなのか演出の問題なのか
松本大洋の漫画もあれくらい金かければ原作の絵の魅力を再現できるのかしら
かぐや姫は押しつけがましいアニメじゃなくて
観客が自由に想像して楽しめるアニメだからね
技術的にも塗り残しや線の途切れを作って
余白を楽しめるようにしてる
あの場面、喜怒哀楽を露わにすることを否定されて
「高貴の姫君は人ではないのね」と言っているのだけど、
実は天人である自分は本来喜怒哀楽を持たないはずの
存在だった、という結末が来るのはやはり哀しいね。

公達を退散させたあと眉が復活する描写はなぜかと思っていたら、
高畑勲はロマンアルバムのインタビューで演出上の「ウソ」である
ことを認めているね。
自分は「姫は天人なので眉が一瞬で生えそろった」と解釈する
ことにしてる。
かぐや姫が地球に憧れるプロット自体は50年前のものだしなぁ
ポニョと似てると言われてもたまたまとしか…
まー何十年もお互い刺激しあってきたわけだから
いろんな影響があるのは不思議じゃないけどね
そういえばポニョ路線のアニメはもうやらないのかな?
ポニョは実験作だったのに風立ちぬでは前のスタイルのアニメに戻ってたよね
短編もいろいろ作ってたけど風立ちぬに生かせたのは声の効果音ぐらい?
宮崎さんもいろいろ迷ったみたいだしかぐや姫見てようやく進むべき道が見つかったのかも
かぐや姫がそういうジャップポジティブな刺激になってくれるなら全然いいと思う

37見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/06/27(水) 22:42:02.78ID:ItACBZ1p
へー、産まなかったんだ。
で、上がっちゃったんだぁ…。へー。

38見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/06/28(木) 20:50:38.42ID:jQn1Lelt
捨丸集団は自然の中で自由に暮らしてる
つまりたけのことは馬が合う

貴族集団は息が詰まるような都で虚飾にまみれた生活をしてる
だからたけのことは価値観が違う

それはたけのこの勝手な価値観だと文句言っても仕方ない
そういう前提の映画だし前半でなぜそうなったかははっきり描いてる

ということで貴族が好きになれなかった理由ははっきりする
嫁に行ってもどうせ籠の中の鳥のように屋敷の中に閉じ込められるだけ
唯一どこか遠くへ行こうと言った石作には心動かされたが嘘っぱちだった

捨丸となら鳥虫けもの〜のように自然のなかで自由に生きられるかもと思った
生きている手応えを得られて幸せになれると思った

欲望のままに生きる貴族も一緒だろ?ってのは貴族側しか考えてない発想
たしかに貴族は都でも欲望のままに自由に生きられるかもしれない
でも貴族と結婚してもたけのこは監禁されて自然のなかで自由に生きられない
貴族的な自由や欲望は他人や自然を抑圧、搾取することで成り立ってるから
まあ、天女は未来人だから古今和歌集でもいいんです。アニメ版は平安時代が舞台ですからね。
作中でかぐや姫自身が嘆いていましたが…かぐや姫は地上に降り立ってきてから、地上の人たちに何一ついい影響を残していない。
多くの人たちの人生を狂わせたばかり。これは明らかに狙ってからの演出なわけですが、それが人によってはなんとも後味の悪い感じになってしまったんでしょう。

39見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/06/29(金) 21:38:46.57ID:5fuJIEK+
「私は誰のものにもならない!」というのが結構好きなセリフだ
自然のままに生きるというのはそういうものかもしれない
瓜ドロボウをしてなんのお咎めもなしというのは
教育上よくないと真面目人間なら怒るかもしれないが
誰かのものになる=所有というテーマにつながってたんだな
そして子供が瓜ひとつ盗んだところで
おっさんもそんなに怒ってなかったし
まあ捨丸兄ちゃんはあとでひどい目にあってたけど
「誰のものにもならない」というのは
かぐや姫を宝物として所有しようとする求婚者とは結婚しないという意味だと思った
でも物語全体を見ると自然のままに生きるということを言っているんだと気づいた
命というものは誰かがモノとして意のままにできるものではなく
つねに自らに従って変化し流転していくなかで循環している
最初から最後まで鳥虫けもの草木花、そして人をそう描いている
普通はただの恋愛論として終わってしまうところを
この映画では自然観や文明観と重ねて描いてるわけだな
しかもそれをかぐや姫の成長を通して丁寧に物語ってる
だからこそ説得力があるし二重三重に共感できてしまうわけだ
物語としても演出としてもよくできてるし
なにより人生上の教訓というか誰の身にも起こり得ることとして共有できる
九死に一生を得るような体験をして一度死を身近に感じると
何気ない毎日のことでも感謝したくなる
そういう経験をしたことがある人は少なくないはず
かぐや姫の場合は余命何日と宣告されたようなものだからもっと深刻だけど

40見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/06/29(金) 21:39:03.64ID:2boEyIXF
竹取物語自体が二元論に収まってないからね
常世は清浄な世界で現し世は穢土という価値観に対し
かぐや姫は清浄な世界になんか戻りたくないと言って否を突き付けている
だけど天の羽衣を着せられた瞬間
彼女の霊魂は『エジプト死者の書』でいうところの「バー」の状態になって
現し世との縁が切れてしまう
これを魂魄思想に当てはめて考えると
現し世に執着する姫は魄の象徴であり
月の住人としての彼女は魂の象徴であるということになるが
竹取物語は二元論的に魂的なものを善および光とし、魄を悪および闇とするものではなく
地上的なものに対する前者の圧倒的な優位性を描きつつ
同時に非情かつ理解不能な恐ろしいもののように描写する
つまり清浄なものが光であり同時に
(無明の人間にとっては)底知れない闇である存在として描かれている
これは叛逆の物語でほむほむが円環の理に導かれるのを拒絶した動機の一つだと考えられる
竹取物語とよく似た話が伝わっているチベットの死者の書では
世間一般的にはジブリ作品=宮崎駿っていうイメージだと 思うんだよね。
高畑の強烈なフォロワーとかで一部宮崎駿嫌いみたいなのが
いるけど。今作だって風立ちぬがある程度ヒットしてなかったら企画の段階で
ポシャるでしょ
2chでだって名無しがムスカのセリフになってるけどやっぱりヒットメーカーの
宮崎駿がいて初めて作品が作れるんじゃない
もちろん高畑勲がいて初めてジブリは成立するのはあるけど
高畑の作品は生真面目というか排他的というか
ファンタジー要素が少なすぎ
それに言っちゃあなんだけど高畑作品はストーリーもそんなに面白くないのに
キャラのタッチも線も手抜きにしか見えん

死に臨む凡夫が解脱できないのは、この世とあの世の中間世界であるバルドゥにおいて
凡夫が仏の光を恐ろしく脅威に感じてそこから逃げ出し、より低次元の輪廻の世界へ
自ら赴くからであるとされる
(仏の世界は常に開かれているのに、人間の方がそれを嫌だと感じて避けるのだ)
かぐや姫は元々そちら側の存在だったので嫌がりながらも宿命により本来的自己に還元されたが
死に臨むほむらは凡夫として低次の世界に自ら落ち込んだ。デミウルゴスよろしく仏の光を道連れにして
『竹取物語』のかぐや姫は嫌々円環の理に導かれたほむらであるわけだ

41見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/07/01(日) 21:13:08.72ID:DPP9LwSc
「かぐや姫の物語」は、子供っぽい大はしゃぎから、物質主義の愚かしさと美のはかなさについての洗練された寓意へと姿を変える夢のような傑作である。
絵は綺麗だし赤ん坊可愛くて、褒めるとこもいっぱいあるんだけど、すっごい退屈だった。
5人の求婚者が出てきたところで
「なにこれ一人ずつ順にやるの?みんな知ってる話を忠実に?」
ってびっくりした
姫の心情に迫る部分、オリジナルエピは面白かったけど
見るのは現代人なんだからストーリー展開のスピードに考慮して欲しかった

一方で、ほとんど自分自身で充足したようなたわいもない子供時代から
思春期の悲しみに沈んだ状態へのかぐや姫の変貌は、伝統的に考えられた
「少女の幸せな人生」に対するフェミニズム的な批判の説得力のある描写である。

美しくアニメ化され、爽快な想像力に満ち、胸が張りさけるほど悲痛なこの映画は、
昨今のどの映画よりも”もののあはれ”―あらゆるものに宿る哀愁(pathos)―の美学を見事に体言している。
私の人生のなかでもっとも悲痛な映画である「火垂るの墓」を観たときのようにこの映画は私を打ちのめした。
これはただの日本文化の表現なのではない。かぐや姫の悲劇は我々みなが共有するものなのである。
「姫の犯した罪と罰」というキャッチコピーはそれについての手がかりを与えてくれる。
原作は姫の罪について何も語っていないため、高畑はかぐや姫が犯した罪を探り当てたいと語っているからだ。
ただし高畑の探索は直接的なストーリーとはあまり関係がなく
むしろかぐや姫の罪と罰のすべてはこのヒロインの感情的および精神的な旅路と、それがいかに終わるかに関わっている。
かぐや姫の物語見て来た。
原作に何かプラスαがあると思ってそこに期待してたら、本当にまんま竹取物語だった。姫の犯した罪と罰とは何だったのか…。

42見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/07/07(土) 19:54:09.21ID:sy1oBFVl
苦しみを知らない天人からしたら穢れた地球に落とされるだけでも罰だろうし
かぐや姫の場合は月の監視で不幸になるように誘導されてた
地球人からしたら罰じゃなくても月人からしたら立派な罰だろ、姫の罪と罰ではないんだよ
だから重要なテーマだと勘違いして考察しちまうとおかしなことになるわけで
高畑はヤメロと言ったのはそういうこと
でも観客の何割かは罪と罰を考察する気まんまんで劇場に向かってる
たしかに 地球人とは価値観が真逆の月から見た罪と罰なんだよな
発想の転換というか頭を柔らかくして考えないと
言葉のイメージにとらわれて混乱する
天動説から地動説ぐらいの逆転の発想をしないと
罪と罰の意味も理解できない
月から見た罪と罰であり、なおかつ月の価値観が、
かぐや姫の「穢れてなんかいない」の一言で無効化される話
罪と罰にこだわると、突っ込みどころ満載なのは当然
個人的に罪と罰よりジブリ史上最高の絶世の美女というキャッチコピーのほうがとってつけた感がひどい
かぐや姫は別に美人になりたかったわけでもないし
美人という風に品定めされたり対象化されるのが嫌だった
かぐや姫を1人の人間として描くというテーマから完全に乖離してる
確かに
初めてみた時にまずあの絵が動くことに驚き、ラストのお迎えのシーンで度肝を抜かれたわ
アニメなんてあまり見ない方なんだが、こんなに素晴らしいアニメが見れるのか!!と感動した。
涙よりも先に完成度の高さが素晴らしくて最初は涙が出なかったよウルッとは来たけどね・・・
地球に落とすだけが罰なのか
それとも地球で不幸のどん底に落とすのが罰なのか
月は要所要所で姫に干渉してきてたから
やっぱり意図的に不幸にするつもりだったんだろうな
仕送りとか善意で干渉してたとすると
姫は地球で快適に暮らせてしまうから逆効果になるし
はじめから不幸になるとわかっていて金や衣を与えたと考えないと矛盾する
断ったり嫌すぎて卒倒したりした女の子は多かったらしい
今の感覚では拉致監禁に近いし親に売られるようなもんだ
現実に死ぬほど辛かった人がいたんだし
その気持ちを想像すれば甘えなんて言えない
少なくとも当時よりはいろんな面で恵まれていて自由もある現代人よりはよっぽど気持ち的にしんどかっただろう
うーむどこに感動すればいいのか全然わからなかった。動物大好きな型破りな女の子、好青年・少年とのピュアな恋、人口と自然と生きろ、みたいなジブリお家芸に竹取物語をはめたという趣。父親の自己満足がしつこい。絵本のようなアニメーションは見る価値があった
かぐや姫の物語、少し退屈。話は普通に竹取物語で目立った変更はない。映像的に派手な場面は予告編が全て。

43見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/07/07(土) 19:54:30.80ID:yvSvmHDI
たしか原作でも月に帰るってわかるのはかなり後だぞ
あと求婚エピソードについては石作の軽口でも
姫の心を半分いいあてたことになってるから
あれは最後の方に回さないと意味がないんだろうな
宝物ではなく真心が〜っていう
それすら嘘だったってわかるのが残酷だが
逆にそれぐらいじゃないと月を呼ぶ必然性がなくなるから
うまく並び替えたなぁと思う
感想 嫌なとこ
・赤ん坊がケツ丸出しすぎ(おしめを替えたって途中で言うけど、
この映画の赤ん坊全員丸出し)
・姫見つけた直後のジジイの反応が、キモオタのようで実に不快
・出てくる男がキモ男オンリーで実に不快
物語を引き伸ばし過ぎ。宮崎アニメやほたるの墓に比べると大分薄い
姫は良い子なんだけど、ちょい生活が根暗
絵も物凄く綺麗ってわけじゃないし… 古都の華やかさが全くない;

・いいとこ
ただあの〜両親愛と自然愛、「生きてるって感じたい感」は伝わった
教育係の女性は仕草も話し方も嵌ってた 貴族って感じ
クソみたいな生活でも、
天から迎えが来て、スッと全てを忘れてしまうのは悲しいなと思った
人間どうせ死ぬから、生きてる感大事にして、ごまかさず生きろ!と
姫が言っている
原作でもかぐや姫は大人になるまでへんげの者=別世界の人間だと自覚してなかった
映画では宴の席で「バケモノみたいだったりして」と言われてショックを受ける
それまでも捨丸に「また大きくなった 遠くにいってしまう」みたいなことを言われてるし
(そのときは「なんでそんなこと言うの?」とまったくピンとこない感じだが)
だんだん自分は普通じゃないと自覚してきて「バケモノ」と言われたときにハッとわかってしまったんじゃないか?

44見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/07/19(木) 23:36:08.32ID:YAyrPBFx
アンチが暴れているようなのでかぐや姫の素晴らしい点をあげていこう

まず和歌の使い方が
『万葉集』巻十六の第三七九一歌には、「竹取の翁」が天女を詠んだという長歌がある。
で、竹取物語の作者(平安時代前期の人)はおそらく、その万葉の頃(759年まで)を参考にしながら、竹取物語を作ったと思われる。
んで、竹取物語は五人の貴公子のエピソードのラストに「○○の語源は〜〜なのです」
って入れるなど、本文はかなり文芸としてテクニカルに作ってある。
駄洒落というか、掛詞の手習いのような感じで書いている。
ですが、割と作中の和歌のレベルは低く
そんなに掛詞や枕詞などの技巧は使っていない。
一番テクニカルなのがかぐや姫が中納言に宛てた
「年を経て 波立ち寄らぬ 住の江の まつかひなしと 聞くはまことか 」
くらいでしょうか。
作中の設定時代が万葉時代なので、それに合わせているのか素直な歌が多い。
で、作中の人物も平安時代よりはちょっと古めのメンタリティで貴族も割と単純に生きている感じがする。
対して、アニメ。
天女の歌「まつとし聞かば今帰り来む」
在原行平(818〜893)「古今和歌集」だーーー。
「立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む」(小倉百人一首16首)
万葉じゃないなあ…。っていうか、迷い猫のおまじないじゃないんだからさあ…。
原作は平安時代の視点から万葉の奈良時代を「今は昔」と言って見据えて、
素直な歌を載せつつも本文はテクニカルな語源駄洒落を入れて、
「ああ、今は昔のような素直な歌は減ってしまったなあ。
時代が変わってしまったなあ…。
昔は素直に呪いを信じていたのに、今の俺はこういうシニカルな宇宙人SFを書いちゃってるんだよなあ…。
夢が無くなったなあ…。末法だなー」
と時代の移り変わりを月に託してじんわりと描写したのがとても”あわれ”なんですが。
まあ、天女は未来人だから古今和歌集でもいいんですかね・・・。
まあ、アニメ版は平安時代が舞台ですからね。ていうか、作曲・高畑勲、楽器・初音ミクだし・・・。
未来感を出したかったんだろうか・・・?
ラストの女童の
「せんぐりいのちがよみがえる〜〜〜」
で翁と媼がはっと目を覚まして天人に対抗するのは笑うしかない。
なんで、原作にないオリジナルキャラクターで何の説明もない単なる下女に過ぎない女童が
天人の洗脳に屈しないで歌を歌っていられたのか?は???
ふざけているのか?
「ヴァン・ダインの二十則」端役の使用人等を犯人にするのは安易な解決策である。
その程度の人物が犯す犯罪ならわざわざ本に書くほどの事はない。
あーーーあれですか?
純粋な子供には汚れない純粋なパワーがあるっていう理屈ですか???偉いねえ〜〜〜???
っていうか、かぐや姫が成長するにつれて汚れてしまって
捨丸も別に家庭を持ってっていう時間経過を描いているのに
なんで下女の女童は純粋な子供のままなの???幽霊なの???
節子なの???かぐや姫よりもヤバい存在だろそれ!
あー、あと、原作でのかぐや姫は竹取の翁と媼に「老後の面倒を見てやれなくて哀しい…。
月の都の人たちは老いることを知らないので、老いた親の面倒を見るということを分かってくれないんです…」
(親たちの顧みをいささかだに仕うまつらで、まからむ道も安くもあるまじき。)
(かの都の人は、いとけうらに、老いをせずなむ。思ふこともなく侍るなり。
さる所へまからむずるも、
いみじく侍らず。老い衰へ給へるさまを見奉らざらむこそ恋しからめ)
って言う。
原作ではかぐや姫の成長とともにおじいさんとおばあさんの衰えも描いている。
(設定年齢は50歳から70歳)
アニメではおじいさんとおばあさんはずーーーーっとおんなじくらいおじいさんとおばあさん。
原作の方が老人介護とかに踏み込んだ描写があるよね。
その点、∀ガンダムのロランはディアナ様を介護していて偉いよなあ…。

45見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/07/20(金) 21:01:07.26ID:0j+MVFoF
絵柄が独特ですよね。
でも、この作品自体が昔のお話を扱っているだけあって、作品の雰囲気にすごくあっています。
かぐや姫が満開の桜の木の下でうれしそうに笑うシーンなんかはすごくきれいだったんですが、お気に入りは姫が走り去って行くシーンです。
今までの色々な感情がドバっとあふれ出したあの表情。
着飾っていたお着物を脱ぎ散らかしながら走っていく場面はとても印象的です。
林の中を全速力でかけていくときなんか、もう人の形をしているのかってくらいの作画。
でも、だからこそがむしゃらに、ただ無我夢中でそこから抜け出して山に帰りたいという気持ちが伝わってくるように思いました。
なんとも力強い映像でしたよね。
それとは逆に、つらいことなんて下痢便以外なんにもない月からのお迎えはとてもやわらかい線で描かれていました。
苦しみなど無縁な月の住人たちは、なんとも陽気な音楽を演奏しながらやってきます。
なぜお釈迦さまなんだろうと思いながら、悲しいシーンなのにぽけーっと観てしまいました。

46見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/07/21(土) 15:46:10.83ID:OOHRuzZp
具体的に不満点を指摘するために、いやいや見返してみたが、
かぐや姫が「自分はにせもの」と悩むところと、
それが実は「本物の月の人」とわかって、
帰らないといけなくなったというプロットが噛みあってない。

具体的には、以下のような流れがあるが……
A「自分はにせものと悩む」

B「自分は月の人と悟る」

C「月に帰らないといけなくなったと悩む」

D「月に帰る」


Dでは「育ての親に感謝する」が無く、Bも唐突に台詞で言うだけで何のドラマも無い。
はっきりいって、破綻したプロットだ。

セオリーでは、自分は本物の月の人と悟った時点で自信を取り戻し、明るく元気になるというシークエンスが必要。
そして、Cでまた落ち込むという流れでドラマの起伏が生まれるのだ。
セオリーでは、なんとか月に帰らずにすむ方法を探すものだが、この映画の出した答えは「不倫」。
どうなの?それ。それでいいの?本当に?

高畑は、ドラマ作りが本当に下手だなあ。
というか「生きたい」とかいいながら、「自分が大好き」ってシーンを描こうとしないんだからダメなんだよ。
常に自分が嫌い状態で、生きたいとか自然が好きとか言っててもダメなんだよ。
高畑は、どうもかぐや姫が月に帰るということを
死=成仏=天国に行くことと捉えているようだ。

月に帰らなければいけないことを悟るということは、すなわち死期を悟るということになる。
死ねば天国でなんの穢れも無く幸せに暮らせるから悪いことじゃない、でも現世で生きていたい、という葛藤を、
この映画では描いているようだ。
で、死は避けられないこととして、ラストは涙の別れとなるというわけか。

あのね。それじゃあダメなのよ。

そういうプロットの映画があるとして、どんな観客に見せたいわけ?
実際に死期が近づいてるガン患者とか現実にいるわけでしょ。
そういう人に共感させたいの?
死は避けられないから、別れは辛いね、悲しいね、ってことを言いたいの?
死んだらこの世のことは忘れられるから、極楽浄土は楽しいところだからと、気にするなってこと?

それっていったい何十年前の映画だよ?
昔はそんな映画も成立してたかもしれないが、今は違うんだよ。
人が死ぬときは、やっぱり周りの人に感謝して死ぬものでしょ?
死者を送る人も、ただ悲しむだけじゃなくて、君のことは忘れないとか、感謝の気持ちを述べるはずだ。
そのほうが、実際に人々を勇気付けたり慰めたりできるんだよ。
そうやって映画芸術のシナリオは洗練されてきたんだよ。

死者への尊厳というか、誇りをもって死を受け入れるというか、
死別は悲しいものじゃない、という意識の持ち方をしようという方向性で、
現代の映画はシナリオが練られているわけ。
映画を作るなら、最低限それくらいの常識は身につけようよ。な?高畑。

47見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/07/21(土) 16:31:00.59ID:9sK9EOMP
知恵遅れがまた来ているのか
幼児向けアニメでも見てろよ

48見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/07/21(土) 18:32:57.68ID:H6ExlF7m
あの明るくて空気の読めないメロディに
「仏は人の心がわからない」っていう俗説をなんとなく思い出した
(完全に悟ってしまった「仏」は、もういろいろ超越してしまい
人間の卑小な欲望とか、苦しみとか哀しみからは遠い、逆に言えば人間の心がわからない
だからお釈迦様は、あえて完全に悟る前の姿に留まり、人間の悩み苦しみに同情を寄せた
上で救う活動もしている、それが「観音」である…っていう解釈)
「火の鳥」みたいなもん?
人間が泣いてもわめいても「どうかあともう少し」って懇願しても
全然意に介さず、「はい時間切れ―」って連れて行く感じが 。。。
諸行無常っていうか、やっぱ「死」の例えなんだろうねアレ
お迎えのシーンはなんでこんな場違いな明るい曲が??
と唖然としたけど
後からあそこは天人達の考えからすれば
清浄月に復帰できるというおめでたい場面で、
だからああいう明るい音楽なのかな?
と解釈した。
迦陵頻伽(かりょうびんが)という魚をイメージしたんだろう
浄土に住み如来の言葉を奏でるといわれる半魚人
だからお迎え=死という解釈は間違ってない

49見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/07/22(日) 19:39:22.52ID:Ky7PJI5S
かなり仏教よりに描写されてるから、
天女やかぐや姫始め、あの世界が六道の天だとすると、天の住人は長生きだけど、
天には釈迦みたいな悟りを広める人も、修行する機会もないから、最期は地獄の
16倍の苦しみを味わったあげく、他の六道に輪廻転生するのは免れない。
翁も媼も捨丸も輪廻転生を繰り返すだろうし、姫もそう。
だから、「いつかまた会える、命の記憶で」ってことらしい。
高畑はガチガチの左翼=唯物論者だから
月に還る=死ぬってことなんだろうけど仏教的解釈が可能なように作ってあるんだろうな
月の連中は死人とか仏じゃなくてあくまでも天人
かぐや姫も天人五衰という地獄の苦しみを経て死んだら地球にまた転生できると思う松本
私的にはもっと輪廻ネタは押し出した方が良かったと思うけど、仏教とはいえ宗教色押し出すのは高畑的にはアレだったのかな
ハイジでも原作にあったイスラム教色ほとんど消して
ピチャピチャした平面しゃべりの声優と棒読み俳優が一人もおらず、声は安心して楽しめた。
最後、捨丸と飛んでるのはセックルの比喩と思われ。
自分の人生がみじめだからといって不倫してんじゃねーよ。
不倫で生きる喜びとかふざけんな。
金と地位に目がくらむじいさん。
メンヘラで偽物の箱庭に逃げ込む娘。
人間の個性を殺し型にはめようとする教育係。
生きるために泥棒する男。
噂の美女に鼻の下をのばす馬鹿男ども。
汚れた人間界がよく描かれていた。
まともな心を持ってるのはばあさんだけ
イデオロギーうんぬんいうやつは
『太陽の玉子ホルスの大冒険』をいっぺん見てこい。
どんなに「らしい」表現があっても、高畑さんは全部超越してることがわかる。

50見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/07/23(月) 16:25:01.78ID:kATrhTjt
都合よく「親子愛、涙の別離」という設定が原作に現れていたから、そこだけ使って利用しただけ。
それで映画的な物語は何とか保たれた。一応は感動を出すことが出来た。
本質は高畑のスケベ根性丸出しの講演会みたいなもん。
高畑自身それを知ってるだろ?

自分の講演会に人を呼びたいから、1000年以上の歴史や竹取物語という誰もが知ってる古典や帝さえ利用した。それだけですよ。
ぽんぽこのラストの「イタチさんやうさぎさんはどうなります?」というセンスのかけらもない終わり方、あれが高畑の持ってるもの。
政治アニメやりたいなら、それに特化させればまだ彼の人生で何か花開き賞賛された可能性はある。
自分の政治発言のために古典や情緒を利用する、最低のやり方だよこれは。

51見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/07/23(月) 23:28:25.36ID:kiVukVtJ
幼少期のかぐや姫はぐんぐん成長していきます。これは竹の成長スピードが凄まじい事から来ていて、村の子供達と遊んでいくうちにぐんぐん成長して追い抜いて行きます。
仏教的というよりかは神道的なものかもしれませんが、竹は榊さかきと並ぶ神聖な植物です。
僕は月の住人であるかぐや姫が他でもない竹から生まれるのはなんか意味があるんだろうなと思って調べてみたところ
土葬時代は「息つき竹」というのがあって埋葬した後に生き返った時のために息が出来るように竹を立てていたようです。(ニンジャが水中でやってるアレ)

死者が蘇ったときの息継ぎ説以外にも息つき竹については様々な解釈があって、実際に棺までぶっさすことはしないから生き返っても呼吸はできないよねということで
死者に語りかけるための通路であったり、霊魂が通るための通路であったりと様々な説があるようです。
いずれにしても神聖な植物である「竹」が葬儀など死の場面で「復活再生を願う習俗」として定着していることは注目しておくべきだと思います。
そして地上は穢れのある土地、すなわち「この世」です。作中でも月の使いは地上世界を「穢れた」と形容しています。舞台となる地球と月という2つの惑星は、そのままこの世とあの世、浄土信仰における穢土と浄土を表しているのです。
輪廻転生という考え方は実は仏教においては「苦」です。極楽浄土に行くためには輪廻から解脱しなければなりません。
月の都の住人が心(悩みや悲しみ)を持たないのは、解脱して心身から解き放たれているからです。
そして、かぐや姫は月の都の住人が天女の歌を歌いながら涙を流すのを見て穢れた地に行ってみたいと思ってしまいました。
かぐや姫に与えられた罰とは、物理的には地上であるが、その本質はほかならぬ輪廻に戻されてしまうことです
かぐや姫の物語を見てきたけど、ストーリーが平坦過ぎて微妙だった…。かぐや姫の性格はヒステリーかと思ったわw
『かぐや姫の物語』観ました。(-_-;)コレジャナイ姫でした。僕は正直な性格なので有名な監督が制作した映画でも、面白くない映画は、面白くないと言い切りまする。この映画に8年もかけたのか。(;´д`)俺も制作費欲しい。これより良いかぐや姫作るよ。

52見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/07/24(火) 00:23:33.35ID:gWBTTVID
うーん。なんか、9世紀(源氏物語が描かれる以前)から8世紀の奈良時代を批評的にユーモラスに伝奇的に見つめる原作があって
それをアニメ化する際にざっくり平安時代を舞台にして
9世紀も12世紀もいっしょくたにしたのだろうか。

「雑」。。。。。。

雑な割に木地師の作業場のディテールが異様に細かかったり
平安時代の宮廷をクソリアルに描いていて、ファンタジックなおおらかさが無い。
色んな時代をいっしょくたにするんだったら、それなりにおおらかな雰囲気を印象付けるための演出が必要だったと思うけど
それをやらないで竹が光るのどうのと言う些末な所にこだわるのがダメ。

原作は
「最近みんな夜這いしてるけど、その元ネタはこの話なんですよー。”恥を捨てる”っていう流行語の元ネタもこの話ですよーw」と、
教養を元にしたおおらかなユーモアがあった。が、高畑勲監督版は全般的に張りつめた感じで、原作のおおらかさを殺している。


ああ、女の童っていうパタリロみたいなのが出てましたね。で?

そういうオリキャラで原作を崩したバランスを取ろうとしても浮いてるだけに見えたなあ。
だいたい、あの女の童ってかぐや姫以上に存在が謎の異形の生物じゃないの月人の攻撃にも耐えてたし。
すごくテキトーな便利キャラって感じがするんだよなー。


また、「虫愛づる姫君」の時点で「お歯黒や引き眉はめんどくさいよね」という、文化を相対化する視点はあった。
(お歯黒は一応虫歯予防に成ったらしいんだが)

「竹取物語」の原作でも慣用句の語源を物語の中に置くことで
当時の恋愛習俗を相対化して見る視点があった。
そういう習慣の中に身を置きながら絶対視しない態度と言うか。

なんだが、高畑勲バージョンでは「笑ったり走ったりしない高貴な姫君は人間じゃないのね!」
って「絶対的な貴族の習俗に立ち向かう現代人思考」を繰り出していて、しなやかさがない。だいたい「人間」を「ヒト」の意味で使うのは江戸時代以降では???

平安時代全体を書きたいのか、平安時代のいつの何を描きたいのか、
それを利用して現代を批判したいのか、もう、ごっちゃごちゃで整理されてなくて良くない。

53見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/07/24(火) 17:51:16.11ID:8pUbhWVE
西村Pが言ってたことを思い出した。
「風立ちぬ」は少年が大空に憧れる話
「かぐや姫」は少女が大地に憧れる話

それで今思いついた。
「風立ちぬ」は飛べない少年が空とひたすら美しいものを愛し
生命エネルギーの限りを尽くして
知らず知らずのうちに世の醜い事に
関わりながら美しい飛行機を作り続ける。
そして美しい女性と出会い、
その女性が死んで空に住む人となった彼女が
地上の男性の助力をすることで
初めて飛行機が飛ばすことができた。

「かぐや姫」では月に住む美しい少女が
大地の生命に憧れて地上に降りてくる。
そして世の中の醜い事、苦しいことを
存分に味わいながら生きて、
それでも地上で多くの生命と共に生きたいと願う。
その願いは叶わないが
姫とは逆に生命と共に生き続ける男性と出会い
分かち合い、生命の歓喜に満ちた飛行をする。
なんかこの二つを見ると
空にある美しいものと
地上にある醜くもエネルギーに溢れるものが
融合することでなんかすごいものが
生まれることを表してるような
試写見てからずっと考えてるけどこれやばいわ
話の流れがうんこすぎる
たとえば捨丸との再会シーン
盗んだ鳥を抱えてるがこれは別れの日に捕まえたキジと形式をそろえるため
捨丸が転んでケガをするのと殴られてボコボコにされるのも同じ形式
このことで別れの日には捨丸を助けた姫と
再会シーンでなにもできない姫の心情のコントラストが際だってる
こういう巧みな演出技法があらゆるシーンに張り巡らされてる
それを一つ一つたどっていくととんでもないことに気づいてしまった
この話全体がわらべ歌になってる
いや、涅槃説だとつじつまが合わない
にわか知識だが涅槃は煩悩が一切ない永遠の静寂の世界
それだと姫が罪を犯す余地もないし天女が歌を覚えてるのも不自然
さらに天女がかなり老けていたことからも月の人も不老不死ではないとわかる
生老病死を超越した涅槃では涙を流したり物事に憧れたり年を取ることはありえない
しかし月世界=天上界と考えると全ての謎がとける
天上界は人間界より上位の享楽の世界で天人や天女が住んでいるが煩悩を完全には消し切れてない
だから天女は歌を覚えていてかぐやはそれに憧れてしまった
天女が老けていたのも天人は不老不死ではないから
天人に飛行能力があることもかぐやの飛翔シーンと一致する
あえて天女の羽衣伝説を挿入したのは月は天界であるとわからせるためだろう

それで月世界がもっともおそれることは輪廻転生なわけ
涅槃ではないから天人は死んだ後に人間や動物など下位世界の穢れた存在に生まれ変わる定めにある
なんの苦しみのないはずの天上界もこの輪廻転生という不都合な事実が広まってしまえば秩序が乱れてしまう
だから輪廻転生を歌うあのわらべ歌を忌み嫌い

54見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/07/30(月) 13:25:46.12ID:PCechL/J
2018年8月金曜ロードshow夏ジブリ

8/10ハウルの動く城
8/17となりのトトロ
8/24猫の恩返し
8/31メアリと魔女の花(初放送)

55見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/07/31(火) 08:24:04.11ID:vGmpeFzI
>>54
…メアリって3月に円盤発売されたばかりだと思ったけど

56見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/07/31(火) 19:25:27.97ID:e+spZ1nc
まんが日本昔ばなし並みには面白い

57見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/08/01(水) 09:11:12.10ID:Lo6984CJ
>>54
コクリコ、また見たいなぁ

58見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/08/02(木) 20:12:48.46ID:tz3POAJW
帝もかぐや姫のうわさを聞き、風紀紊乱の根源として
じきじきに討伐にやってきましたが、かぐや姫の
甘言とテクニックに翻弄され骨抜きにされてしまいました。

帝をも虜にしたかぐや姫でしたが、ある日彼女のもとに、
「今度の満月の日に、あなたを連れ帰りもうす。
 これ以上、月の民の名を汚すことはできぬゆえ」
という月からの手紙が舞い降りました。
かぐや姫は、「ふざけんな。わたしはまだまだ楽しんでやる!」と
意気込み、帝に兵を出すよう命令しました。

満月の日、一万の軍勢が駆り出され、
いまやすっかりあきらめたお爺さんとお婆さんの家を囲みました。
しかしついに月の兵たちが現れると、不思議な力で軍勢は
へなへなと気力を無くしてしまい、つわものがなんとか放った矢も、
勢いなく地に落ちるばかりでした。月の民は言いました。
「姫よ、もう少しまともに育ってくださると思っておりました。
 せめておとなしく帰ってくだされ」
「月では、男たちとファックできるの?」とかぐや姫は聞きました。
「貴女が節度を守ったうえで、婚姻した相手とならできます」
「それじゃ、こことたいして変わらないじゃないの。
 なら、帰るなんてヤダ!!」
かぐや姫は断固として拒否するや、不思議な力を発揮して兵たちを鼓舞し、
月の民をさんざんにとっちめました。その後、捕らえた
民たちへ命じ、自ら故郷の月へ凱旋帰国したかぐや姫は、そこでも
ヤリ放題の生活を送り、月の不埒な夜の女王として君臨しました。
こうして、かつて月にあった文明は崩壊したのでした。
お爺さんお婆さんは、仕送りとして送られてくる莫大な金銀財宝の前で、
娘の傍若無人っぷりをただただ見ていることしかできませんでした。

めでたし、めでたし。

59見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/08/09(木) 23:57:12.40ID:OY2AqN/k
文春ジブリ文庫・ジブリの教科書の「かぐや姫の物語」が出ていたので買ってきた。
新録ネタも複数入っているが、鈴木敏夫のインタビューでは高畑勲の「怖い一面」を
かなり赤裸々に語っている。

60見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/08/10(金) 15:06:58.17ID:6oDDXLSp
「なぜ高畑勲さんともう映画を作りたくなかったか」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #1

http://bunshun.jp/articles/-/8406?page=1

61見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/08/10(金) 22:59:55.93ID:qvRxafCl
誰も居なくなっても長文アンチ君が未だに書き込み続けていることに驚きを隠せない

62見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/08/11(土) 19:22:06.74ID:+bW4Z/1k
姫が薄い布を羽織って駆け回り、立ち止まって
下女?たちにお辞儀したシーンは、映画観たときに
気にいってた。これが、修正によって生まれた演出
だったとは(つまり最初は姫にお辞儀させる予定
じゃなかった?)。
確かに姫の体が沈むタイミングが下女のお辞儀と
同時(修正前)ではお辞儀に見えない。後ろにずらすと
お辞儀に見える。
時代背景の紹介番組かなんかを見たときに
当時の女は位の高い男に誘われたら、殆ど断る事が不可能だったと聞いた。
この作品が出来た頃は断り続ける女というのが痛快だったんだろう。
そんな女は宇宙人じゃないと描けないのではないかな。
月人は地球人を野蛮な奴らと見下してて、関心を持つことすら禁忌。ところがそれに憧れを持つ不届き者がいつも現れる。
お釈迦様(?)は不届き者の問答の挙げ句賭けを提案。
「それほど地球人の世界が素晴らしいというならば、そなた自ら向こうで暮らし証明してみよ。
ただし…一度でも嫌だと思ったら、即連れ戻す」
月側がいらんもん送らなけりゃかぐやの勝ちだったんだがw

63見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/08/11(土) 19:22:45.58ID:XRKTsHdL
かぐや姫にとってなにが幸せだったのか、どうかなんて
はっきり言ってこっちにゃどうでもいいんだよ
「無垢さと田舎暮らしとの決別を表しました」と言うただそれだけのために
不自然に登場させられた母子たちの存在が可哀想だ
原作の姫が月に帰りたくないのは年老いた爺さん婆さんの世話ができないで
2人を置きざりにしなければならないのが辛いからだけどね。いわば人の為。人の為と書いて偽!つまりは偽善者。
映画は地球に居たい月ヤダって自分のためなのがなんかね。
原作は道教とかの影響もあって
結構世界観が適当
それはあの時代で仏教も深く理解されず
同じようなものとみなされていたから
薬で不老不死になれるという思想は道教のもの
それまで全然世話をしてないし
むしろ親の意思に反して求婚を断り続けてきたのに
突然世話しないととか言い出すのは不自然
というようなことが書いてあっった
親のためになんていうなら親の望む結婚をしてたはず
かぐや姫のアイデンティティ問題に
人間と自然、生と死、男と女、親と子というテーマを重ねてる
一人の人物の人生を通して普遍的な葛藤が描かれてる
「生きるテーマ」みたいなのは自分はああしたいこうしたいって自我の話になるから
多少自己中に見えるのは当たり前

あと年齢的に大人として成熟しないまま終わった感じ
どうすれば幸せだったのかはたぶん本人にも分かってない

64見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/08/11(土) 19:23:16.43ID:HRLR54Xy
高畑がどういう意図で作ったかわからんけどあんま宗教的な背景とか意味みたいなのは感じなかったな
もっと普遍的な話に思えた
天人の存在や輪廻転生を認めている時点で、唯物論では無くなってるなw
宗教的というより、原作の持つ宗教的世界観を掘り下げた気がする
原作者は、こんな宗教観を持っていたんじゃないか? みたいな
天人って仏さんのことかと思ってたら、天人は人間でも仏でもないんだな
俺も、この映画とその解説で初めて知ったよw
古典の先生、そんなことまで教えてくれなかったし w
涙は弱いものの後悔じゃなくて
変わらない強い想いの証明にもなる。
最後に悪者を殴る蹴るでやっつけて終わりにはせず
余韻の残る涙で終わらせたラストに姫の可
まー興行としてはダメなのは分かってたからいい
でも俺としては滅多にないけどブルレイ買うつもりだし関連書籍はもう買った
こんな採算度外視の作品もう日本では作られないだろうが、誇らしいからなという負け惜しみ
いや金がすべてだろ
宮崎を祭り上げてつまらん映画で儲けてきたのがジブリだろ?
アメリカでの風立ちぬの大コケと日本でのアナ雪の大ヒットがすべてを物語ってる
宮崎商法は日本にしか通用しないがディズニー商法は世界中に通用する
金儲けではディズニーのほうが上手だっただけ
ジブリはディズニーに敗北した
関係ないから売れなかったんだろ
詐欺紛いの宮崎商法でしか売れない時点で日本アニメは終わってる
ディズニーは技術革新や若手の育成をしてきたが
ジブリは時代遅れのセルアニメを売るために
宮崎商法に頼りっきりで引退詐欺までやりだす始末
だからアメリカの風立ちぬ3億という方が妥当な評価
あんな映画が120億も売れるほうが異常
つまらん映画でも客が入るような殿様商売やってるから
ろくな映画が作れなくなる
主題歌もよかったね
かぐや姫の環境音のよさって、たとえると目が見えない人が音に敏感になる感じに近いと思う
音だけで普通の人が見えないものまで想像して見えるような・・・
背景を描きこんでないから自分の記憶のなかの風景が呼び起こされるんだよね
パヤオはダイナミックなカメラワークとか大味な演出が多いけど
高畑は効果がわかるかわからないかぐらいの
繊細で奥ゆかしい心情演出が好きだよね。
アクションならパヤオ、人間ドラマなら高畑。
真後ろに英語が母国語の母娘が座っていて、歌のたびに2人で英語で歌って
たのには苦笑しました。妻の横の女子高校生が嫌そうにしてました。
海外では映画館では大人も一緒に歌うことが多いと聞くので、この手の
ミュージカル映画が受けるのだと思います
ラストの月は実写にしようという案もあったらしく
かなり悪戦苦闘した形跡がうかがえるね
同じ使い回しなら赤ちゃんになる前の小さい姫のほうがループ構造がわかりやすくなるけど
そんな理屈よりもかわいらしい幼子の姫のほうを選んだあたりが
地球で生きたことを肯定する作品のテーマ性を際立たせてると思った ジャップはアホだから仕方ないねw

65見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/08/12(日) 04:46:00.39ID:E3gK9Gz8
ジブリがつぶれたのは高畑のせいだろ
あれだけ時間と金かければ誰だって映像クォリティの高いもん作れるわ
でもつまらねえのはどういうわけだ?
死んだからと言って、俺は絶対に高畑を許さない!

66見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/08/12(日) 05:33:02.31ID:PJ/oWI5Y
「高畑勲監督解任を提言したあのころ」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #2 - 鈴木 敏夫

http://lite.blogos.com/article/317088/

67見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/08/12(日) 07:43:40.90ID:+3Hf5Ldk
田辺さんが滅茶苦茶キツそうな現場だったんだなあ

68見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/08/12(日) 08:37:30.10ID:mOEp3b/7
それには同意する。
ただ、『ロマンアルバム』の小西賢一のインタビューでは、田辺さんの
側にも(商業作品に携わる人間としては)問題がある、ということを
話していたりするんだよね。

69見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/08/12(日) 16:25:18.24ID:+Up9OOzp
また、オリジナルキャラクターの捨丸は木地師です。
轆轤(ろくろ)を用いて椀や盆等の木工品を加工、製造する職人。
轆轤師とも呼ばれる。

9世紀に近江国蛭谷(現:滋賀県東近江市)で隠棲していた惟喬親王が、周辺の杣人に木工技術を伝授したところから始まり
日本各地に伝わったと言う伝説がある。
(ソースはウィキ)
やっぱり奈良時代じゃない…。
奈良時代には木工用のろくろは無い!

平安時代を描くぞ!という確固たる意志があって捨丸を出したんだろうか?

しかし、惟喬親王から木工技術を伝授され
また木々を伐採することも許可されていた特殊技能一族の木地師の捨丸が
都で盗人をするほど落ちぶれたりするのも説得力が無いし。
落ちぶれた後にまた木地師の一族に復帰しているのもおかしい。


まあ、十歩譲ってかぐや姫の物語のアニメ版は平安時代が舞台、ということにしましょう。

だが、ここで問題なのは平安時代が長いってことです。

原作が書かれた9世紀ころが舞台とします。

ですが、姫がお歯黒や引き眉を嫌がるのは『堤中納言物語』の「虫愛づる姫君」から来ている。

で、『堤中納言物語』は平安時代の後期、12世紀ころに成立したものなんですね。虫愛づる姫君の(父親の)モデルは蜂飼大臣と呼ばれた藤原宗輔(1077〜1162)太政大臣なので平安時代の最後の方の人。

いったいいつなんだよ!!!

70見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/08/12(日) 19:32:26.98ID:YlJAwvkt
「緊張の糸は、高畑さんが亡くなってもほどけない」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #3


http://bunshun.jp/articles/-/8408?page=1

71見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/08/14(火) 07:33:44.47ID:2KvbQlxa
「山田君」「かぐや姫」のように凝った映画というのは見えないところでスタッフが犠牲になっていることがよくわかった
でも2作ともつまらない

72見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/08/14(火) 14:32:19.14ID:Njadao/K
宮崎が変人で仕事の鬼みたいに言われてるけど高畑はその上を行くっていう

73見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/08/18(土) 00:59:51.56ID:IlzEVfI3
捨丸のあれは高畑のアイデアなのか脚本家のアイデアなのか
なかなか心に刺さるシーンだった
山田くんではわりと理想的な日本家族を描いたのに
かぐや姫では家族の抑圧というか個人の意思を描いてるような?

山田くんはどこにでもある家庭という設定
今ではそれすら珍しくなってしまったのかもしれない
かぐや姫はあの作画でかなり時間かかったみたいだが
山田くんあの作画でもそこまで時間かかってないのはなんで?
かぐや姫はあの作画でかなり時間かかったみたいだが
山田くんあの作画でもそこまで時間かかってないのはなんで?
不倫が悪なのは普通の感覚だからねえ周りが不幸になるしな
国同士の結びつきのために嫁いだお姫様が年頃になって真に愛する人を見つけてしまって不倫してしまうっていうお話もあるが
それも倫理的には許されない悲恋の恋だからねえ
誰にも悪意はないし帝も翁もその時代の常識にのっとって行動してるだけなんだけど
その常識とは違うところで生きてるかぐや姫にとってはそれが苦痛で絶望的なてんかいになってしまうんだよな
誰も悪くなくても、絶望的な終わりかたをして結果的に死を選ぶことになってしまっても
それでも生きてることにかちはあるよという映画なんだと思
まず軽蔑云々前に、なぜ盗みをするのかがハッキリとわかっていないはず
炭火焼き職人から木地師の素性を知ってはいたが、移動した土地で上手く行けたのかどうかは
軽蔑よりも先になぜ盗みをするのかが浮かぶはず。
そもそも突拍子な出来事に制御が利かなくなって飛び出してる時点で、姫は軽蔑とか疑問とかよりもまず、救いとして捨丸を求めた
そして花見の出来事を思い出して車に隠れた

74見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/08/18(土) 22:31:31.01ID:EBqIp3S4
かぐや姫は簡単に言えば
親から娘へのメッセージ→娘は美人である→???→老衰死亡バッドエンド
という構造を持ってる。???はあえて伏せる。
これはある意味、超現代的テーマであり
20年前の日本人よりここ数年の日本人の方に親和性が高い
正確に分析できていればもっと話題になったろう。ジブリも惜しいことをしたわ
ジブリ映画っていつもその手だよね
インタビューとかみると作者自体が話まとまる前に動き出してて
俺はアニメーターだアニメが動かせればそれでいい
ストーリーは適当だ。信者はバカって(だいだい意訳)監督自ら言ってるわ
この物語は婚期が明確なテーマである
姫の出す難題、身分の高い男が出てくることが何をほのめかしているか
わかってない
いや、婚期は明確なテーマで無くて小道具の一つってのが制作側の説明だし、
俺もそうだなとと思うよ
求婚を断ることや王侯貴族の暮らしを拒否することも道具立ての一部でしかないので
そこにあんまりこだわらなくてもいいんじゃないかなあと
ただ待ってるだけで行けるほど浄土への道はぬるくない
悪いこと?(人生をどう生きるかは人のかってだが親の願いとしてはね)
をしたかぐや姫には罰が当たったんだよこの映画風に言えば
制作側は思想信条からか男=悪にしたくて必死だが
主役かつ、この物語の唯一の悪役がいるとしたらそれはかぐや姫自身なんだな

75見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/08/20(月) 18:28:38.52ID:wasnst3U
竹取物語は当時の権力者批判の為に書かれた要は憂さ晴らしでしょ。
かぐや姫というキャラは藤原氏を小馬鹿にするためのただのツール。
そんな崇高なファンタジー作品じゃないと思うよww
その程度のもんなんだから高畑流でどう作ろうとまあいいじゃないの。
捨て丸たち木地師の登場はよかったね。
あれがなきゃほんと味気ないつまらない作品になってたと思うよ。
だから崇高なもんじゃねーってば
本当のテーマがわかれば他の部分はそのための構成要素だとわかるんで
藤原批判なんて全然重要じゃないことは明らかになる。様々なアレンジ
バージョンがあるってだけだわ。もともとの
民間伝承のテーマが藤原批判のわけもなく。
だいたい藤原批判説は批判できないから書に隠したとか、批判書を焼いていた
とか矛盾だらけだw焼きまくってたんなら批判書でまくりで
批判できまくりってことじゃねーかw
最後の迎えのシーンが来迎図そっくりなの知らないの??
高畑もそう認識してるってことだよね
全体的に仏教色だし
https://www.google.co.jp/search?q=%E6%9D%A5%E8%BF%8E%E5%9B%B3&oe=utf-8&hl=ja&um=1&ie=UTF-8&tbm=isch&source=og&sa=N&tab=wi&ei=5ehbVcesJczn8AWe9IDoAQ#imgrc=_

76見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/08/20(月) 20:00:40.92ID:Uhs01O2h
律令制のもとではすべての土地と民は天皇の所有物であるとされた
だからこそ「この国のものであれば帝の言うことに背くことはできない」
しかしこの公地公民制から逃れ独自の生活様式を守っていた漂白民と呼ばれる人々がいた
木地師たちはそのなかのひとつの集団だろう
所有と支配に文明の暴力の根源があるとすれば
漂白民たちはまだそこに染まりきっていない原初の人間たちの姿か
「誰のものにもならない」生き方がそこにはわずかに残されていたのかもしれない
律令制のもとではすべては天皇の所有物であるとされた
だからこそ「ジャップのものであれば帝の言うことに背くことはできない」
しかしこの公地公民制から逃れ独自の生活様式を守っていた漂白剤と呼ばれる人々がいた
木地師たちはそのなかのひとつの集団だろう
所有と支配に文明の暴力の根源があるとすれば
漂白民たちはまだそこに染まりきっていない人間たちの姿か
「誰のものにもならない」生き方がそこにはわずかに残されていたのかもしれない

77見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/08/20(月) 22:46:43.40ID:E6t6ED0p
「となりのトトロ」や「もののけ姫」でも美術を務めた男鹿和雄さんです。
高畑勲監督の「この映画は虫と草の映画です」という説明のもと男鹿さんが丁寧に描きこんだ植物や生物の美しさは必見!

男って押し付けがましくて気持ち悪いよねって話には見えますよね。
こんなんなら飛行機馬鹿の方がよっぽどマシだよねってくらい次から次へと残念なやつしか出てこない。それはもう、そういうもんなんだっていう高畑監督の基本設定なんだろうなと思った。
だって捨丸に関して言えば所帯さえ作ってなけりゃどうとでもなるところまでイイセン行ってたじゃないですか。
もちろんわからんけど時代設定的にあの捨丸の年齢で所帯がないって設定は異常だとかそういうのはあるかも知れないですけど
そこはもう無視してさえおけば気兼ねなく二人は一緒になれたはずなのにってことに一旦できたじゃないですか
最終的に月に帰っちゃうにしてもちったぁ良い話になるんじゃねえのとか思うんですけどそうはしないわけですよね。
多種多様な気持ち悪い男のラインナップを取り揃えようってコンセプトで考えた時
そりゃ純粋な気持ちではあるんだろうけど後先考えず所帯を捨てて添い遂げようとする男っていうのも気持ち悪い男どもの品目の一つとして絶対必要だったんだろうなって思う
と同時にかぐや姫が最後にちゃんと添い遂げたいと思った相手の男が何の後ろめたさもなく身軽すぎるのもあかん、かぐや姫が苦しんでるぶん男も何かしらの業を背負ってないとかぐや姫に申し訳が立たんみたいな
そういう高畑監督の気持ち悪さもあるのかなぁとか感じました。

78見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/08/21(火) 10:04:39.91ID:FJ67fVBi
原作かぐや姫は1000年以上の審判に耐えてきたんだから、これも少し時間を置けばいい。
政治思想を持ち出そうとしたあまり、作劇がデタラメで原作は辻褄合わせと高畑本人の権威づけのために利用されていただけというのが分かる。
こんなの長年の審判には耐えられんよ。宮崎の90年代作品に匹敵する失敗作。

なぜ制作にここまで時間がかかったのかが分かった。
アレンジしようがない原作であるにも関わらず手を出してしまったこと。
途中で気づいたが、後戻りできない中周囲に対し社交辞令的に無理に進めねばならなかったこと。

高畑は卑しい男だね。自分の主義主張を出したいなら、オリジナルを本来作るべき。
原作を踏襲するにしても、せめてマイナーな物を選べよ。
1000年の歴史に対し喧嘩売れると思ったのか。その根性自体が左翼的スケベ心丸出しで嫌になった。
この「かぐや姫の物語」は明らかに竹取物語に対する喧嘩であって、リスペクトを持った原作アレンジなどではない。

79見ろ!名無しがゴミのようだ!2018/08/21(火) 15:43:22.49ID:BSGG8pUS
かぐや姫の物語は古典落語を楽しむのに近いと感じてました。
古典のお話を高畑監督がいかに表現して追うのかを楽しむ、竹取物語であり高畑勲を見る映画でもあったなぁと言うのが最初の感想
絵も雰囲気も良かったけどー。最後こわかったな。
かぐや姫の物語の正直な感想としては、キャッチコピー負けしてるな…ってトコかな…
キャッチコピーで期待したものではなかった。ただなんの先入観もなく竹取物語を期待して見たら最高だった!
幸せってなんだろうと考えさせれれました。元々、ハッピーエンドではないお話ではありますが・・・なんか、悲しいというかむなしいというかそういう感情が強いですね。
絵は自分は好みでした、女童がかわいかったです
宗教的な話になるけど、
命が尽きるという事は、生きた喜怒哀楽の全ての記憶から解放されるが、この世との別れはやはり悲しいものなんだなと思った。
男がこき下ろされてるのは原作からしてそうなので気にならなかったが、帝のキャラデザはいったいなんなのか、あんなん絶対笑ってしまう。

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