>>533
それまでビンスシニアとの付き合いでWWFのレスラーを看板にしていたけど
ビンス・ジュニアが父のシニアから興行権を買い取って実質的に代替わり
したのが82年の6月。

その頃から>>521にあるように新日とWWFの関わり方が変わってきて、新間の
追放&シニアの死で決定的になって、85年10月に提携を完全に切るんだけど、
代わりに新日がブッキングルートとして頼ったのが国際の外人供給役だった
カルガリーの大剛鉄之助。

国際プロレスが技とスピードの井上路線から金網流血のラッシャー木村路線に
変わった一役を担った大剛が新日の外人ルートになったから、国際の常連だった
アレックス・スミルノフやキラー・ブルックス、稲妻二郎ジェリー・モローらが新日に
参加するようになった
(おかげて大剛と仲の悪かったヒトがキッド・スミスを全日に送っちゃうんだけど)

ハンセン、アンドレ、ローデス、ホーガン、ボックらがいた81年の新日ファンに
「数年後にはスミルノフやブルックスがIWGPに参戦するぞ」と言っても信じて
もらえなかったろうなあ

昭和時代のプロレスは結局こうやって団体の地下水脈で繋がってるし、アメリカの
動向に簡単に左右されるから、団体の中のことだけ見ていても物足りなくなる
国際やWWFの歴史はやっぱり新日との絡みで見ても面白い