【ローラン・ボック】昭和の新日本プロレス7【オットー・ワンツ】
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ビガロみたいなナイスガイを嫌うとは
アンドレを見る目が変わったわ 猪木ってブッチャーもブレンバスターをキレイに投げてるし、アンドレのスラムもホーガンとかよりスムーズだし
非力に見えてパワーあんだな パワーじゃないだろ、息を合わせるのがうまいんだよ。 パワーじゃなくて、相手の協力(体重移動やジャンプ)に絶妙に合わせられるタイミングの巧さだろう。 俺、ちょっと柔道やってたけどメッチャ投げられるの上手いぞ
[バチンッ!」って
女子の昇段審査の時とかよく投げられ役やった >>326
入場時に上田と肩を組んで上田が何やらシンに耳打ち、のおなじみのシーンも
あれ実は上田がどのあたりにヤクザが座ってるか事前に教えてたらしい
こそこそと何か話してる上田はいかにも姑息な悪党っぽく見えるし一挙両得という
>>328
第2回IWGPの時か
あの時はクインたち共々新日名物?土壇場でのギャラ値切りにあい素でやる気が失せてたそうな >>324
所詮は鹿児島の田舎ヤクザでしかなかったからね
ヤクザと仲間の右翼団体の街宣車が外人勢の宿舎に押し掛けてきたから騒ぎになったけど
大怪我を負わせたとか周囲の器物を壊して問題になったとかのトラブルにまでは発展していない
警察の事情聴取でもオートン側の言い分の殆どが認められたからその後も来日出来たんだろうし
>>326 >>333 >>342
いや小鉄だったか東スポの長田基記者だったかな?まだ来日回数が少ない頃は何度かヤクザと喧嘩沙汰にまで発展する事があったと話していたのは
一応シンが来日するシリーズでは予め警官に会場へ来てもらったり弁護士や医者をすぐ呼べる様手配していたそうだけど >>336
第三回IWGPではみんなアンドレについたからバンディがぼっちになっていたみたいだ >>344
途中帰国したよね〜
翌シリーズのブロディ、スヌーカ、アレンらとは仲良くやれたのかなぁ… ヤフオクで昔のワープロ買って見てるけど飽きないよ
ブッチャーでさえ若いから動きがキビキビしていて今と変わらず面白い アドニスがスパイビーを気に入らなくて控室でスパイビーに喧嘩を打ったら
スパイビーにタコ殴りにされて返り討ちにされたって話だね
ホーガンもテリーも証言している >>338
マクガイヤーを投げたくらいだから力は間違いなくある
しかもマクガイヤーに乗られてブリッジしたんだから身体能力は凄いよ 猪木と藤波
パワーを比較すると
単純な腕力、脚力等の筋力ならは藤波が上
体全体のバネを活かしたパワーなら猪木が上
かなり前に雑誌に掲載されていた。 >>335
ビガロってのが意外。
見た目とは裏腹に、性格的に人畜無害そうなんだが。
フリーバーズと言うか、ゴディなんかもトンパチと言われるが、誰とでも上手くやれそうなイメージだし。
>>338
マードックなんかもブッチャー投げた時、タイミング外したのかも?だが、ゴロンと転がる感じだった。
まぁ本来の垂直落下は、どっちみち無理かw ドゥーガンがタイミング良く来るから段取り通りにも見えるけど
メキシコでアンドレとビガロは和解したみたいね、ビガロが言うには。
https://www.youtube.com/watch?v=wJvXFaR-HjI アンドレとビガロの対決は日本で見たかった。
新日では入れ替え。
その後90年はビガロは新日でアンドレは全日。
日本では接点がなかった。 83年の猪木ホーガンが優勝するのは最初から見えていて、
あんなタッグリーグつまらんて言われてたな。
「全日のハンセンブロディだって」と反論したヤツいるが、
全日がどうだろうと新日のタッグリーグがアレだったのは変わらんよ。 >>356
新日のタッグリーグ戦は第一回MSGタッグが超豪華だった。
あれもタッグリーグ戦の醍醐味。
ハンセン、シン、アンドレ、バックランド、ホーガンが顔を揃える。
タッグリーグ戦の主旨っちゅうより超豪華なメンバーの集結。
夢のカード続出。
そちらに重点を置いたのがわかる。
特にシン絡み、シンと大物外人の絡みが最大の注目で。
しかし第二回はまだしもそっから豪華外人を集結できなくなり。
日本人中心の流れというのもあったし。
第五回なんか夢も何もなかったし。 第一回はすごかったよねぇ
外人勢では唯一パワーズ組が残念だったくらいか。 ハンセン、ホーガン
↓
ハンセン、マードック
↓
マードック、スーパースター
だんだんと格が落ちていく外人トップコンビ >>358
あそこはパワーズ、スーパースターにして。
あとベーカーはエンフォーサーと。
そうしたら更に盛り上がったと思う。 なんでアンドレ・ハングマン組なのにレネ・グレイが居るのかと思った。
マネージャーだったの忘れてた。さすがにこの頃の記憶怪しくなって来た。
https://youtu.be/gjCAlYxImD0 >>362
ハンセン、マードックを基準に、という事では?
マードックはハンセンと組みスーパースターとも組んで。
アドニスとも組み。
アドニスとのコンビが一番しっくりするが。 >>362
マードック、スーパースターは第三回(1982年)の参加ですよ。 第1回めのMSGタッグリーグだけはは全日の80年代の最強タッグリーグに負けてなかったよな >>365
夢の対決では最強タッグを上回ったはず。
MSGタッグでは数多くの夢の対決が組まれた。
公式戦もシングルも特別試合も。
最強タッグは主力がそれまでとほぼ変わらず。
ファンクスとブッチャーが軸であとはブッチャーとシーク。
最強タッグは翌年はガラリと変わって夢の対決が数多く実現。
新日の第一回MSGタッグは最初だったという事もあった。 新日本はたまに『スーパーファイト』とか称した特別興行をやってたよな。あれが凄く良かった。プレミアム感あるスペシャルマッチの数々 >>359
組んだタイミングで言うならハンセン&マードックよりハンセン&ホーガンの方が格低くね?
当時まだホーガン期待の若手だろ。 >>367
スーパーファイトは80年〜82年は記憶にある。
80年9月30日 武道館
猪木のデビュー20年記念日でもあった。
この武道館大会から90年11月1日まで新日は10年も武道館を使用せず。
カードは四大マッチ
★猪木 対 パテラ(NWF)
★バックランド 対 ハンセン(WWF)
★藤波 対 スター(WWFジュニア)
★木村 対 チャボ(NWAジュニア)
81年6月24日 蔵前
★猪木 谷津 対 ハンセン ブッチャー
★カーン 対 戸口
★タイガーマスク 対 ビシャノ3
82年4月21日? 蔵前
★猪木 対 ベンチュラ
★藤波 対 ブッチャー
★タイガーマスク 対 ブラックタイガー
嗚呼、良き時代だった。 82年1月1日はスーパーファイトではなかったのかな? >>365
観客動員では84年を除いて最強タッグに勝ってる。
ただし都内大会場では81年以外は全敗。 >>369
猪木vsパテラがメインの武道館て本来はオールスター戦のために押さえてたんだっけ? >>372
確かそう書いてあったね。
実際にはどうだか。
でも万が一オールスター戦開催を睨んだのはあっただろう。
9月30日は猪木と馬場のデビュー記念日でもあるし。
そんでオールスター戦開催が無理なら自分達で興行すればいい。
結果的に開催されなかったから新日単発の興行に。
あの頃の新日ならあれだけのカードも提供できたし。
当時の新日の自信が伺える。
昔の雑誌を見ると新間が『今の日本マット界は新日が中心』とか言ってるし。 武道館には鶴田が観戦に来てたんだよな。月刊プロレスに観戦記があった。ハンセンとも対談してたと記憶してる 間違えました…
81年頃は一度も動いてる姿を見ずに帰国した外人レスラーが結構いたなぁ…
ザイールビコ、ミッシェルナドール、フランクサベージなど見てみたかった >>369
81年の谷津国内デビュー戦ハンセン ブッチャーと
82年のベンチュラが急降下延髄斬りで負けた試合は
ワープロとは別枠のスペシャル放送だった記憶がある
80年のパテラ戦もスペシャル枠での放送だったのかな 谷津の新日入団会見を見た時、「猪木の後継者としては無理だ」と思ったね。理由はタッパがなかった。
当時の新日ファンが全日に嫉妬してたのは、「NWAを独占してた」「後継者に鶴田がいた」「華のある外国人がいた」
だいたいこの3つでしょ。
猪木は40代に突入してたし、とにかく後継者問題が一番のネックだった。
藤波、長州は最初から眼中になった。のちにタイガーが出てきたけど、これも違うと思った。
あとは前田しかいない状況だったけど、凱旋帰国第一戦のポール・オンドーフ戦で会場が凍り付いてた。
試合があまりにもつまらなかったから。本当にひどかった。
オンドーフをチョイスした新日フロントに問題があったのかと思ったが
前田はその後、全然進歩せずUWFへ移籍した。 × 藤波、長州は最初から眼中になった
○ 藤波、長州は最初から眼中になかった 81年は「スーパーファイト」とは謳ってなかったが、幾つかのスペシャルマッチを開催、創立10周年記念興行という名分もあったな。
9月の伝説の田コロ、10月の例の蔵前決戦(猪木VS木村〜全日興行合戦)、12月のMSGタッグ特別興行(アウトローズ復活他)・・。
まさに親日黄金時代でした。。 \(^o^)/ 後々にスーパーファイトシリーズってのがあったね。
あと90年2月10日の全日参戦のドームは“スーパーファイトin闘強導夢”。 >>369
80年9月30日武道館では一昨日長州vs前田で話題になったピコピコハンマーマッチ坂口vsS小林もあった >>383
81年9月23日の田コロでも坂口VS小林のシングルがあった。
これが結果的に小林の最後の試合かな? https://www.toudoukan.com/shop/goods/$/id/2140680/
80ファン感謝スーパーファイトはバックランドvs長州の予定だった
しかしパテラやスターがこんな扱いのポスターは最初で最後だろう >>387
それ懐かしい。笑 あと、がまかつとかな。 >>377
ナドールはテレビマッチで観たはずだけど、試合ぶりは記憶にないw >>379
>「猪木の後継者としては無理だ」と思ったね。理由はタッパがなかった。
> あとは前田しかいない状況だったけど、凱旋帰国第一戦のポール・オンドーフ戦で会場が凍り付いてた。
> 試合があまりにもつまらなかったから。本当にひどかった。
谷津が「ダメなヤツ」呼ばわりされて期待外れ扱いだったのと前田が推されていたのは事実だけど
“前田しかいない”と思い込んでいたファンなんてそんなにいなかったんじゃないのかな
あの頃はジョージや平田に期待するマニアも多かったし俊二もまだボロが出てなかった
他に新倉仲野高田山崎と将来を有望視されていた若手がいたし「ポスト猪木」関連で心配している人は少なかった感があるけどね オレは初観戦でナドールのサインボールをキャッチした 82年だとデビーオハノン、ビッグレッドジョン、ホセゴンザレスあたりもテレビに映らずに帰っていった気がするなぁ… >>386
それは次の闘魂シリーズの11月蔵前戦だな。 397(女の股を)裂くな だが、
テレビに映らなかった外人は確かに印象に残らないな。 398咲くわ だが、
ブッチャーですら何週間もテレビに映らなかった時があった。 前田がオーンドルフを一蹴した時に格を上げておけばなぁ。
長州はまだオーンドルフとドローだったから、すでに前田>長州で決まりなんだわ。
それを長州や浜口みたいなのを格上げしたのが新日終わりの始まり。
サマーでも、前田がまだマードックには負けてもアドニスと互角で藤波長州より上、
くらいの扱いだったら、くだらない軍団抗争によるマンネリ化は回避できただろう。 401姉妹だが、
維新のせいで潰された外人は沢山いた。 当時の前田は試合に説得力がなかったからね
オーンドーフを秒殺しても観客は「?」でしかなかったし
その後の藤波と長州の試合が完全にさらってしまった
当時から口はデカかったのに、大きな試合ではいつも
不完全燃焼の内容
イギリスに行く前、ファイトでゴッチ道場で鍛えられていた
報道があったころから凱旋時の期待感が、帰国後は
萎んで行くのが自覚できたわ >>390
ちょっと後だけど黒人のはずが来たら白人に化けた欧州代表
「ヤング・サムソン」もすごかった。
82年の第三回MSGタッグにウエイン・ブリッジとのコンビで参加、
後楽園ホールでタイガー戸口とシングルが組まれたんだけど、
巨漢同時ののっそりした試合のあげく、戸口の逆水平チョップ
一発受けてそのままフォールされ、館内がどよめいたw 前田よりも長州や浜口が大型外人との対戦避けられていた方が全く説得力なかったしw 三沢・川田と藤波・長州を比べると
全日と新日の育成能力の違いがよくわかるな。 猪木のすぐ後に前田後継なんてありえないな
何も見てなかった奴が言うことだろうw >>390 >>405
ミッシェル・ナドールは国際では英語読みのマイケル・ネイダー名義だったね
ボックのパートナー要員という触れ込みだったが国際への来日からブランクが開いて
もう盛りは過ぎていた 前田凱旋時は猪木の後継者は藤波、
馬場の後継者は鶴田でファンもメディアも一致していた
当時前田凱旋に注目していたのは所謂濃いファンだけだったし
そもそもあの時点で前田はTVマッチに殆ど出たことなかった
大部分の会場やTVの前のファンにとっては下手したら名前も顔も知らない若手
あくまでファンの間では「藤波の後は前田で安泰」であって
決して猪木の後継を一足飛びに前田って思ってた人間なんか殆どいなかった
で、当時の問題は猪木馬場がいつ藤波や鶴田に完全にエースの座を禅譲するのか?
猪木馬場の衰えが言われだしてからけっこう経つのに
猪木はもちろん馬場でさえ未だに完全にはエースの座は鶴田には譲ってない
さあ、どうするの?ってかんじ
この時代のエースの座禅譲渡は要するに鶴田が馬場に、藤波が猪木に
シングルマッチでピンフォールを取るってことだからね
後年、猪木や新間が
「自分の後継に藤波を考えたことは無かった」
「自分の後継は早い時期から前田と思っていた」
的なことを話すからって当時の前田が猪木の後継なんて
当時観てなかった人間が後付けで得た知識からでしょ ビクター・リベラって猪木のお気に入りだったんだよな
どこがそんなにいいのかよくわからんが >>412
初期の新日は創設期の金無しルート無しの頃から
坂口加入テレ朝放送開始で経営的に一息ついた時期になると
米マットでも比較的メジャーなテリトリーとの招聘ルート開拓に努め
その中ではロスのM・ラーベルが一番ルート太かったから
ロス・マット(メキシコ国境部)で人気のラテン系選手ということで
リベラやチャボ・ゲレロ、エル・ゴリアス&ブラック・ゴールドマンあたりがよく呼ばれた
これはひとつにはM・ラーベルがNWA加盟プロモーターの中でも
所謂反主流派だったので可能だった
リベラについては当時のロス地区のスターで
体格的にも(坂口以外は)比較的小柄な選手揃いの新日に釣り合う上、
ドロップキック等を得意としたきびきびした動きができるのが評価されたと思われる >>405
この当時のアンドレけっこうイケメンだな。 前田が帰国した時って、ブリッジは柔らかいし、鶴田の三倍の数のスープレックス使えるし、190超えてるし、ニールキックは斬新だったし、と期待感しかなかったけどな。
結局失速したけど。
あの当時は、他に谷津がいて、平田高野兄弟がいて、前座で高田仲野山崎がいて、と層の厚さが半端なかった 82年ごろプロレス見始めた自分は、ビクターリベラといえば
全日でジュニアの大仁田厚にブロックバスターホールドで負けたイメージしかないw >>418
同じシリーズだったかな、タッグマッチで鶴田のダブルチョップでのびてしまいそのままフォール負けしたこたあったと思う。
鶴田も「いいの?」て感じて覆いかぶさってた。 >>419
石川、佐藤とのアジアタッグで試合中に腰を痛めて途中棄権したこともあったなぁ… >>420
あのアジアタッグ、リベラ負傷でパートナーの黒人が1vs2の状況でありながら1本目勝っちゃった。
でも2本目以降できないって不戦負けになったんだよね。 >>410
藤波を猪木の後継者だとはほとんど思ってなかったぞ
藤波はJr.のイメージが強くてあくまでも藤波は藤波、という感じだった
週刊ファイトだったかうろ覚えだけど猪木は藤波を後継者とは考えていない、とはっきり記事になってた
猪木が引退までシングルで決して藤波にピンされていないのもそれを象徴していると
猪木はプロレスとは意外性のドラマだから藤波のようなサラリーマンレスラーには後継者は無理だと思ってたんだろ
前田>長州>藤波だったと思う >>422
ルーファス・ジョーンズだね
「2VS1じゃ試合できない」とマイクアピールして
棄権で石川佐藤組の勝ちで終わり
ビクター・リベラもキラー・カール・クラップも最後の来日は全日で
中堅クラスの扱いで終わったのも面白い リベラとモラレスはMSGタッグリーグに呼んでほしかったな。 >>423
控室の茶番飛竜革命≠ヘ藤波が新日でトップに立つための必死のアピールだった訳か 藤波の必殺技は逆さ押さえ込みwだからな。
猪木の後継は無理だったんだよ。
前田は粗削りで豪快だから面白かった。
プロレスが下手だという評価は今だから言えることで、
単純に経験つめばすぐ藤波より強くなると思ったよ。 >>426
藤波が前髪切り出した途端、まてまてまては笑う。
サラリーマンレスラーが奇行するから恐くなったんだろうな。何言ってるかわかんないし ドラゴンリングインとか、ドラゴン体操とか、ドラゴン散髪とか、ドラゴン再チェックインとか
後年あんなにネタになって弄られるとは当時は思わなかった
後継者云々はともかく、新日のメインを走り続けたレスラーである事は間違いないと思う >>418
>>419
1970年夏〜71年春頃のMSGの試合を放送した
東京12chの「プロレスアワー」を見た者としては、
ビクターリベラは、WWWFの正規軍の若大将、
ダイナミックで活きの良いファイト。
つまり日プロの猪木だった。
王者のサンマルチノが衰えてきており(実際、71年の2月に陥落)
←それが峠を越えた馬場に匹敵した。
人気的にはリベラだったな。
最初に登場した時、WWWFのタッグ王者だった。
まぁWWWF王者にはなれなかったが。
当時は、次代のエースとして大いに期待されていたよ。 俺は藤波が後継者だと思ってたずっと。
長州前田は外敵というか、正規軍ではないから。 前田はUWFに行った時点で
猪木の将来の後継者候補からあっさり外れた
業務提携時代以降はUを捨てられなかったんだから
猪木の後継者には入らない 木村健や剛と名勝負できるんだから、藤波は天才だよ。
なにしろ長州前田は外人と好勝負できない。。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています