1984年の新日プロ興行との提携は確か上半期の5月か6月あたりだと思ったが
あの時点では維新軍が移籍してくるのを馬場は知ってたんだろうか?
それとも単に興行のテコ入れ(もちろん新日への当てつけも)で大塚氏の手腕に頼ったんだろうか?

あの年は新春の時期は鶴田がAWA王者、天龍がUN王者
後に鶴田が防衛で米国サーキット、5月にはNWAへの挑戦
そして馬場がハンセンからPWF奪還など
上半期は間違いなくvs世界というか、オーソドックスな外人路線の中の鶴龍エースの路線だったはず
しかし二代目タイガーの登場、ジャパン軍が移籍、R木村らの登場で空気が変わってくる
間違いなく世界路線からvs日本人へシフトチェンジした感じ
といいつつ、、その過程の中にテリーの復帰、最強タッグで生中継の大会場のメインがファンクスvs超獣組がメインだったり…

なんか自分ごときが推測するのもなんだが、馬場自身がメンバーの充実さに反してあまりにも全方位で顔を立てていたのでは?