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1976年3月28日の全日本プロレスとの全面対抗戦でジャンボ鶴田と戦うための準備として、
ラッシャー木村は2ヶ月ほど前からロシア(当時・ソ連)の国技「サンボ」を特訓。
本場・ソ連でサンボを習得し、日本をはじめ西側諸国に普及させた”無敵のサンボ王者”ビクトル古賀(古賀正一)から、
直々に関節技や投げ技を学んだ。普段は、「自分が目指す正統派のストロングスタイルに合わない」からと、
関節技はほとんど使わなかったが、現役の間はずっとサンボの練習を続けていた。
「でも、オックス・ベーカーに足を折られてからは、走り込みができなくなってしまって。
あれがなければ、猪木さん以上になっていたかもしれませんね」
力道山をはじめ、ジャイアント馬場、アントニオ猪木と名勝負を繰り広げ、
国際プロレスのマットでも活躍した“鉄人”ルー・テーズは
「ジャイアント馬場、アントニオ猪木、ラッシャー木村の3人のなかで一番強いのは誰か?」と訊ねられると、
「もちろん、木村だ。アイツは相撲とレスリングをマスターしているから」と答えている。