そもそも最初は今でいうお経みたいなものはなく、普通に修行の方法とかの話を口伝で伝えていただけ。
しかも釈迦本人は何も残そうとしていない。だから「如是我聞」(私はこう聞いた)で始まる話が多い。
その他、色んな人が創作した話が激増。キリスト教とかみたいに経典を聖典にしてなくてただのお話に
なっていたのでそれでも特に問題視されることなく増え続けた。その代わり「私も読んでいておかしいと
思うこともある。なんだったら直そう」みたいに言い出すダライ・ラマみたいな人がたまに出て来るが、
それも特に問題視されない。