アジャイルが日本で流行るようになって、発注側はウォータフォールとアジャイルのそれぞれから、発注者側(ビジネスサイド)にとって
メリットのある大義名分や考え方だけを切り取った、ウォータフォールでもアジャイルでもない、何か曰く言いがたい第三の開発形態を
受注側(開発者サイド)に押しつけようとする。
受注者側もまた同様に、ウォータフォールとアジャイルから、受注者側にとってメリットのある大義名分や考え方だけを
寄せ集めて混ぜ合わせた何らかの、ローカルルールの集合体で進めようとするので両者の溝は深まるばかりだ。

しかし、欧米からいかなる方法論を持ち込んでも、メンバー間やメンバーとリーダーとで衝突することなく表面上はうまくいってるテイを保つ様式美だけは脈々と
(それこそ「失敗の本質」に書かれている大本営の時代から) 引き継がれており、欧米から輸入した方法論やそれを構成する諸概念や用語は、日本的様式美を
維持するためだけに利用される。

英語圏の文脈で agile と呼ばれるものが、「日の丸アジャイル」に変質されて濫用されてしまう。
しかし、それでも発注者側、受注者側の双方ともに、自分たちはアジャイルなる最新の開発形態を取り入れているという自己満足に浸りたい、という点では一致しており、
一団(スクラム)となってみんなで地盤沈下していく。