昭和45年小学校入学の給食の記憶。
アルミか何かの金属製のトレイ、食器、先割れスプーン。
数年後に食器はプラスチック製になった。
当然米飯はない。(50年代に入ってから)
食パン、コッペパン、たまにぶどうパン。
ジャム、マーマレード、マーガリンは普通に出ていた。ごく稀にチョコクリーム。
(タカ食品、カセイ食品(耳輪黒人マーク)、丸和油脂製)

牛乳は脱脂粉乳ではなく、ビン入りの還元乳(加工乳)。(全粉乳だか脱脂だかわすれたが、キャップの原料に○粉乳の記載あり)

2週間にいっぺんくらいミルメーク、ベビーチーズ(QBB),チーカマ(マルゼン)が出た。

割烹着は個人所有、三角斤、マスクも必須。
児童数は1000人、市の人口3万弱で大都市通勤圏ではない農業主体。センター調理。
社会科のテレビや「小学一年生」とかの雑誌では校内調理がデフォのように扱われていたので、わりと先進的だったのかも。