問題は我々の社会に、「事故である」からには「誰かが悪い」という発想が強く残っていて、
それが新人ナースを押し潰すことである。

事故があると「犯人探し」が始まり、再発防止より犯人処罰が優先される、
というのは、例えば柳田邦男先生が、日航ジャンボ機墜落事故などを例に指摘されている。
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嫌なことを言うようだが、自分が現場から離れているほど、すなわち患者の世話をしていないほど、
当事者ではないことが明かな分、安心して責め立てられる。
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それでは納得できない、「犯人」は必ずいるはず、となって、強いて誰のせいか、と考えると、
「神様のせい」にせざるを得ない。よってやはり神様は必要なものなのだ。
だからこそヴォルテールも、「もし神が存在しないのなら、発明する必要がある」と言ったのだろう。

いくら努力しても報われない。社会は自分に冷たい。これを「誰のせいだ」と思い詰めると、
「社会のせい」で、「自分は被害者」で、となって、無差別殺人に走ったりする。
「それでも神様は見ていてくれる」とでも思わなければやってられないことを、
マルクスばりに「民衆のアヘン」と嘲るのは簡単だが、だったら他に解決策はあるのだろうか。
「神様はお見通し」の代わりが「やればできる。努力は報われる」のスローガンではあんまりで、
イスラムの「インシャラー(アラーの思し召し)」の方が、よほど現実的である。
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まして現代の日本では「神様」はそうそう見つからない。そんなことは私も知っている。
だがその代わりに、「誰のせいだ」「誰が悪いのか」と犯人探しに血道をあげてどうなるのか。
里見清一