【竹宮惠子】発言検証スレ【コロコロ】
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京都精華大学元学長の竹宮惠子先生の発言が
話す時期や相手によりコロコロ変わるという噂を検証するスレ
約束:出典を明記する
「私は漫画に興味を持ったのが遅くって高校生の頃でした」(1976年)第5回人
気まんが家BIG対談 里中満智子VS竹宮恵子
「(小学生の)K子ちゃんは漫画を読むのが好き」(199?年)小説JUNE
「コマを割って物語として描き出したのは中学に入ったばかりの頃でしょうか」
(2008年)手塚るみ子Earth Dreaming-ガラスの地球を救え
VIPQ2_EXTDAT: checked:default:1000:512:: EXT was configured >>37
どの作品についての話?ミラージュ?
変奏曲に関しては原案レベルじゃないよね。増山さんが子供の頃から温めていた作品だし 増山さんがきちんと紹介して欲しいと言ったのに該当する名称がないからと紹介しないのも変だった
原案やアドバイスなどしてもらっている製作になくてはならない人ですとかそのまま正直に言えばいいだけの話
「地球へ…」の巻末(総集編)には製作協力に増山さんの名前が出ているのでまったくクレジット出来ないわけではなかったと思う >>37
変奏曲は後で原作者として増山さんの名前も併記するようになったのでストーリーは全て増山さんが考えてたんだと思う 音楽のことなんて竹宮さんは分からないから音楽の知識も全て増山さん
後から増山さんの名前を出さなくてはならなくなったのは、
変奏曲の続編を竹宮さんが描く気がなくて増山さんの小説として出すのにあたって誰コレ?ってなるから仕方なく出したみたいだけどね >>34
本人は考えを改めたとは言ってないし
原作者がいたことを隠していた言い訳として
当時の読者の考えを語ってるだけ
ただの言い訳だから「私が考えがかわったわけではない。ただ悪いのは当時の読者の偏狭なモノの見方」って言ってるだけにすぎない >>24
それも別に竹宮さんが初めてではない
編集とかなりの部分を一緒に考えたりするのは当たり前だし
ブレーン、原案者、協力者として外部の人間を編集部がよこしてきて考える、みたいなことは少女漫画では当たり前に文化としてあった >>38>>40
変奏曲は例の『口頭で伝えて共同作業する』で出来たのではないのですね
ノルディスカの原案なのは変奏曲よりずっと遅れて私設サイトのBBSで話の流れで事実ではなく増山さんの案だと発表
わざわざこの話はこうだったと表立って言わないので本人の言う通り音楽の話は増山さんと皆が思ってますが
ファラオではこういう話にしたらいいと助言されてますし
他の作品の口頭でのストーリー作りがどこまでどうだったのか判らないと思っています >>43
変奏曲は、最初に出た豪華本の後書きによれば小学生の頃から温めてた話みたいだから
ストーリーはほぼ増山さんの創作なんじゃないかな?
変奏曲(昭和55年2月発行13版)後書き↓
https://i.imgur.com/InFYBPM.jpg
https://i.imgur.com/UYjHTSK.jpg >>29
> (後に考えを改めた)
> 全然、矛盾しない
自己愛はこれを真顔で言うんだよな
こっそり考えを改めました
さっきまでの私は私ではありません
みたいに >>46 続き
さっきまでの私の主張で他人を縛っといて平気で抜かすんだよ
恐ろしいわ オープンソース云々も、自分があそび玉を堂々とパクって批判されたから
「考えを改めました」なんだろうねw
萩尾さんをマンションに呼び出して2人がかりでボコった時とは考えが変わりました
設定や小道具やプロットはパクってもいいんです
すべてはオープンソースです
でも考えが変わったことは誰にも言いません
萩尾さんに「私が間違ってました」とも謝りません
そんな話が通用すると思うのか? >>30
>「あそび玉」と「地球へ…」の類似が指摘された時に
>「私とその人が別人である以上は別の話になるはずだからしばらく黙ってろ」というような反論をしてる
ソースは? 他の作品に似てるように見えても、もう少しストーリーが進行すれば
違いがはっきりするから見てなさいって意味では?
それと、「何々の作品」って『スラン』のことじゃない?
「さんざ、S・Fマニアのこわいことを聞かされ」から考えても >>53
スランと地球へ…は超能力者が迫害されるって設定と
主人公の名がジョミーという以外はたいして似ていないよ スランの主人公は両親を超能力者狩りで殺されてスラムに住んでる
地球へ…の主人公は血縁関係のない両親に引き取られて育てられている
超能力者だとばれると通報・逮捕
コンピューター管理社会
ある日超能力に目覚める
異変を感じた親に通報される
↑ほとんどあそび玉と同じ。スランとは全然似てない
また、SFマニアの間で地球へ…が叩かれていたのは「あそび玉」に似ていたから
スランをパクったと叩かれていた記憶はない 設定だけじゃなくて両親、特にママのおかしな様子とか、子供に隠れてこそこそ、ああいう描写がソックリなんだよなぁ、あそび玉と マンガナビ2007年
――その共同体から少女マンガ界に革命を起こそう、という構想みたいなものがあったんですか?
竹宮:私と萩尾さんにはそういう大きな考えはなにもなかったですね。
単純に生活するうえでの理由です。
ただ、増山さんには最初から少女マンガ革命というプランが具体的にあったようですね。
↑ここから10年後のジル本では学生運動に見切りを付けて「マンガで革命を起こそう」と決意
増山さんに大泉に引っ越して「トキワ荘」みたいにしないかと誘われて
「そうだね!私と萩尾さんで、少女マンガを変えるようなものを描こう!」と答えたとある
話コロコロコロリンコどこまで転がってくのケーコタン 「竹宮惠子カ レイドスコープ50th Anniversary」展[スペシャル対談]西炯子 ×竹宮惠子
竹宮:私自身は最初から注文されて描くものという漫画家の形態に、基本的に、はまっていこうとしたタイプ。
だから、注文があることに対して応えようという方向性しか最初はな くて、
周りの人が内発的なものをたくさん描くようになったので慌ててしまったというか。
そうでなきゃいけないんだ、作家というのはそういうところがなければという気持ちに、途中でなったのです。
竹宮:デビューして3、4年ぐらいしてから、そういうふうになったのです。内発的なものを持って出てきたわけではないのです。
基本的に生活に不満というか、何かイライラしているとか、 何かに怒っているとか、
そういうものを持っているわけではないタイプだったので。
別に普通に、社会的にもというか、家族の中でも別に何の問題なく過ごしてきたので、不満もなかっ たから、
叫びたいことというのもなかった。逆に言うと、自分の中にそれはないのかとわざわざ探す、
そういう感じでした。だから、今聞いていて、普通はそうよね、私、変だよねって(笑)。
竹宮:私は逆にそれを自分の中で探したのです。だから、本を読むことが足りなかったの かもしれない。
他の人はもっとたくさん本を読んでいたりして、いろいろ内省的なことを考え ているということがあったのだろうけれども、
私は幸せに過ごしてきたのでなかったみたいな ところがあって、後から勉強しましたみたいな。
だから、「風と木の詩」とか「地球へ・・・」 を描いている頃には、ようやくそれをどうやって出せばいいのかが
分かってきたという感じで すね。プロになってから1、2年でそういうことに悩みはじめて、そのあと3年間くらい、
出すも の、出すもの、気に入らないわという時代を過ごしたので。
だから、その頃は「自分の内面って何?」みたいな状態だったんだと思います。
竹宮:作家になるために、どこかしらでそれは必要なのだろうなと思います。でも、それを 持っていることが
普通なのに、自分が持っていないということに気付いて慌てる人は、あまりいないかもしれないなとは思います。 >>60
文字起こし。また他人の発言を入れてパクる側のときは気にしないでパクる、というダブルスタンダード発言。
こんなふうにいろんなものから影響を受けるのは危険じゃないかと言われるけど(誰から言われるのか?は不明)すごく気にする作家もいますよね
だれかの真似しちゃったんじゃないかしら、どう思う?
って聞いてくる人もいっぱいいますが(「いっぱいいる」の中身は不明)
私はそれにかんしてはあまり怖れを感じていませんね
例えば誰かが「あの部分の真似でしたね」と言っても「私にはまったくそれが意識にない」ので
比べてみたらそうだったかもしれないと思うこともあったりするけれど
それを危険だと思わないようにしています
それを危険だと思って自分の創作意欲を抑えちゃう方がもっと怖いんで
(語尾等は適当な文字起こしです)
自分を抑えて頭で作ってしまう方がやっぱりイヤだなと思っている 本スレより転載
ぱふの「拝啓 中島梓様」の中で竹宮さんは
中島さんの「正攻法の作家」との指摘が嬉しかったと言っています
(一部引用)
「私のデビューしてきた時代は、正攻法の嫌われる時代、
マイナーという訳ではないにしても、マニア的評価が力を持っている時代だった」
「だから、十把ひとからげに扱われたくなければ、
ある程度特殊な部分を見せなければ評価されなかった」
「そのためにずいぶん無駄なツッパリをしてきた。逃げの一手」
「でも、いつかは日の当たる所に戻ってきて、
ハッキリ自分の主張をするんだと思いながら逃げてきた」
「流れの中に大石を投じて流れを変えることは絶対しない」
「革命しない、というのは、ホントぴったりな言い方でした」
「正攻法って言葉は、まっとうな道のようだけど、イヤハヤ違うのよ。
満足するのは自分だけ、人は後指さすようなシロモノなのです」
(引用終了)
「マンガで革命を起こす」と決意して大学を中退なさったのはどなたでしたっけ? 増山さんはあちらに逝かれたらしい
Tさん余計なこと言う人がいなくなって安心してるんじゃないかな
増山さんのことが公表されないのはなぜかな
身内がいないから誰も手をつけられないのかな
編集業界内では緘口令が敷かれているようなこと聞いたし
その編集さんも絶対名前出さないでくれとか言ってたようだし
というウワサ 「SFマガジン」10月号でけっこうきっちり検証されてたね 増山さん逝去
正式に発表すればすっきりするのに
責任者がいないから発表できないのか 増山さんも悔しくないのかな
しにんにくちなし
T宮さん姉妹はブログやツイターで何も言わないし
業界内ではすでに知れ渡っているのに
だれひとり事実をつまびらかにする人がいない
大泉での出来事をありのままに語ってほしかった
T宮さんの思う通りの24年組神話が
正しい歴史として残ってしまうよ >>69
> 生きてるのに何でそんな噂を流すの?
なんでこんなレスしたの? 他のスレから転載
トーマの心臓が掲載されてる頃の週刊少女コミックが一冊だけ見つかったけど、同時代の少女漫画家と比べると中の上か上の下くらいの画力な気がする。
それに掲載されてた飛鳥幸子氏とかのちょっと下くらいかなあ?ま、個人的感想だけどw
ちょっと竹宮氏と絵に似てるな、と思ったら生年非公表なんだけど1949年生まれとの情報があるので竹宮氏の1歳上でほぼ同世代なのね。
まだ観れてないけど二人でオンライントークショーをやってたみたい。忠津陽子氏ともやってたみたいだけど。
https://www.youtube.com/watch?v=JKTfbOpUhBg
https://www.youtube.com/watch?v=gk0u-8t3Rpw >>71
正式発表がない以上は生きてると思ってたから
なんで正式発表をしないで噂で流れればいいな、
なんて、竹宮側は望んでいたんだろう
掲示板に書いてたのも竹宮関係者なのかな? >>74
もともとは「ぱふ」竹宮惠子特集の男だけの対談に参加していた草場さんのmixiでの書き込みが発端だよ
それが大泉スレに流れてきた
7月頃だっけ? 過去スレ確認してないから時期はわからないけど
そのあとmixi内で公式発表じゃないという指摘があって草場さんが自分の書き込みを削除
10月になって竹宮惠子がブログで公表したので草場さんが再度mixiで事実であることを書き込んだ
てところかな 児童ポルノが問題視されてきたあたりから「少年愛はそんなに好きでもない」と言い出す竹宮恵子
まとめサイトに載ってる【竹宮恵子の世界(LOVELY COMICS)】
のライブインタビューで似たようなこと語ってる
発行日:1977年12月10日
ライブインタビュー「SFってすごく興味あるの…」(一部抜粋)
─好きなジャンルというのは?
好きなジャンルって別にないんですよね。
もう「風と木の詩」ばかり描いてるから、ああいうのが好きなんでしょうとか言われるけど、私は別に
森茉莉を熟読しているわけでもなければ、「少年愛の美学」を最後まで熱心に読んだってわけでもないのね。
ぜんぜん、よく知らないと言った方がいい。知ってなきゃ、きっと描けないなんて思われるんだろうけどね(笑)。
─少年のイメージというのは?
イメージってないですね。少年とはどんなものかみたいなものは。未完成品というか、可能性というか、
そういう感じのもので、特に何という形はないですね。
https://mototemplate.memo.wiki/d/%a1%da%c3%dd%b5%dc%b7%c3%bb%d2%a4%ce%c0%a4%b3%a6%a1%caLOVELY%20COMICS%a1%cb%a1%db でも竹宮恵子はマンガ学会のシンポジウムで「BLは私がはじめた」と主張 名前 恵子も載せてほしいわ
名前変えてるのなんて誰もしらんし ・中学時代は畳んだ藁半紙に鉛筆と消しゴムで漫画を描いていた
(週刊文春2000年6.1号「家の履歴書」164−167P)
・1965年 高1の夏発売の石森氏の本に「衝撃を受けてプロのマンガ家になることを決意」
(カレイドスコープ年譜159p)
・1966年 高2で同人誌「宝島」に「水鳥」「エスパーくん」寄稿(引用元は同)
・1967年 高3の7月、「ここのつの友情」がCOMの月例新人賞で佳作入選(扉を含む3枚のみ掲載)
・1968年1月「リンゴの罪」が週マ新人賞に佳作入選(引用元は同)
その後「徳島大学を受験するのでまんがはやめる」と集英社の倉持功氏に手紙を出す
(1982年ぱふ32P 倉持氏インタビューより)
決定版自伝、扉本にある「中2で講談社の第1回新人漫画賞に応募、名前が載った話」はどこに入るのか、不思議でなりません 2000年の週刊文春「家の履歴書」では、竹宮さんは
講談社新人漫画賞に応募したのは「里中さんの活躍を知ってから」で、
投稿作は「箸にも棒にもかからなかった」と述べています。
扉本との齟齬は明らかです このスレまったく活用されてない?
ケーコタンの検証もう終わったの? >>78
>「少年愛の美学」を最後まで熱心に読んだってわけでもないのね。
最後まで読んでなかったんかい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています