歩隲さんはこれじゃないと

★歩練師無双伝https://www.youtuberepeat.com/watch?v=N30wgZexGOY
歩練師(182年-243年 61歳没)
無双では182年生-243年没として、孫権と同年、孫尚香より年上と設定
歩一族は、中原での戦乱を避け会稽で貧しくとも慎ましく暮らしていた
歩練師は歩隲を兄のように慕い、瓜売りを手伝いに家に通っていた
あるとき歩練師は「私は母一人子一人の身の上。この乱世においては私が母を守らねばなりません」と歩隲に武芸を習うことを懇願すると、歩隲は女でも扱えるものとして鴛鴦鉞と弩の使い方を教えた
●会稽騒動戦 198年 16歳
やがて歩一族は生活に困窮すると、歩隲は歩練師と親友の衛旌を伴い会稽の豪族の焦征羌を頼った
しかし横暴な焦征羌はそれを乞食と見下し冷や飯で招く
衛旌は腹を立てたが、歩隲は「我が祖、韓信も冷遇を耐え忍んだのだ」と冷や飯を食らい、歩練師もそれに習った
その帰路で、焦征羌の食客らが歩練師を襲うと、歩隲は「援助の代金は瓜であり義妹にあらず」と剣を抜くとたちまち騒動となる
事ここに至ると歩練師は「韓信の故事を反故にしてしまいましたね」と言うと、歩隲は「そういえば韓信は、故の因縁に固執しすぎたため道を誤り滅びたのだ」とそれを一笑に付した
歩練師は「会稽の民は皆焦征羌の横暴に反目しております。それを味方に付ければこの場を切り抜けられましょう」と、人目のある大通りに食客らを招くよう計ると歩隲らもそれに続いた
衆目の中で歩練師は威風堂々と事の道理を食客らに問うと、食客らは答えに窮し、町人たちは皆歩練師らに味方するようになる
面目を潰された焦征羌はさらに追手を放つが、歩練師らに味方する町人たちが少しづつ偽報を盛ることで行き先を見失った
会稽を出ると、追手を巻くために歩練師と歩隲らは二手に分かれた
別れ際に歩隲は「世は乱れ、焦征羌のような不条理が民を苦しめる。私はそれを正したいのだ。会稽の民はみな家族のように暖かかった。私は、王と民が家族のように暖かな世に変えていきたい」と言い残す