留学生、高3、人間不信寸前のなんとかなれ嘆き話
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大分サムネホイホイみたいなタイトルが出来あがったんで最初に言いますと嘘はありません。全て本当のことだけを書くつもりです。
まだ留学2年目なので日本語の使い方が怪しくてもご了承お願いします。 背景説明から行きますと何故わざわざアメリカとかではなく日本に留学しに来たのか、それは夢があるからでした。
僕の夢は小説家になること、日本で小説家になりたくて中学校卒業後、高1から留学を始めました。
小説家ならおめぇの国にでもできるだろうがーって感じですね。そこを今から話していきたいと思います。
一つ、ズバリ言いますと僕は元の国で小学校の時、いじめに合いました。今の時代になってはもうベタな展開かもしれませんね。
まぁ、でも何とか耐えられそうで親にもいじめについてばれずに卒業できそうだなと思いましたが
いじめと関連するある事件をきっかけに僕の心は一気に崩壊してしまいました。 そしてそのとある事件のせいで今までの全てが分かった親は仕事のこともあるし、僕もこれ以上その街にはいられなくなったから引越しをすることになったのです。
その時の自分って本当酷くてですね。もう一歩も部屋から出なくなったり、何も悪くないお母さんに質の悪いクソみたいな理由をつけて面と向かって悪態をついたり、
そうやって一生許されない罪を犯した後はそんな自分の不甲斐なさに吐き気がして益々部屋から出られなくなる、完璧な悪循環の連続でした。
でも人間って本当にいつかは変わるもんでして、中3が終わる頃にようやく僕の心は落ち着き始めました。
三年ぐらい経ったから今の僕のことを高3のくせに20超えてるおっさんって思う人も少なくないと思いますので言いますと留年とかはしてません。ちゃんとした時期に卒業することはできました。
日本はどうかは知りませんが僕の国って365日中240日かそこら辺の数字の出席日数が決まっていましてその日数を満たして定期テストを受けることさえすれば何とか進級はできると覚えています。
そして部屋から一歩も出られなくなった絶頂期が中1の秋の終わりから中2の春の終わりぐらいでありましたから色んな休み期間を挟んでぎりぎり進級することはできました。
でも終業式とか始業式とか一切行ってないから高学年になったぞーって感覚なんか全くありませんでしたがね。
ともかくそれでようやく世界の激流に乗り出そうと心を固めた時、自然と僕は小説家になりたいと思いました。
なぜなら僕が世界から自分を閉じ込めていたあの時期、土日感覚はとっくに消えてしまって、ご飯なんか適当に冷蔵庫の牛乳をがぷがぷ飲むことで済ませていたあの時期、僕に唯一救いになってくれたのが日本のラノベだったのです。
ちなみにタイトルは「オーバーロード」です。皆さん知ってると思います。 僕も丸山くがねさんみたいに面白い小説を書きたい、そんな思いでいっぱいでしたが僕の国ってラノベどころか本さえ読む人が少なく、彼らは常にウェブサイトやYouTubeで余暇生活をしていたため、小説家になったとして誰も読んでくれないとこの時気付きました。
だから僕は馬鹿なことだとは分かっていますが夢のためにこの留学生活を始めたわけです。
しかし小学校はいじめと中学校は学校さえまともに通わなかったためコミュ力なんかゼロに等しい状態、今まで普通の人間関係を築くことのなかった僕にいきなり外国人の友達作りなんか無理に決まっていました。
それに重ね重ねで僕が選んだこの高校って留学生の多い学校でありまして、どれぐらいの多さかっていうと日本人と留学生の比率が4:6であるぐらい留学生が多い学校です。
そのせいで日本語のできない留学生はいつも同じ国の人としか遊ばないし、日本人の留学生への偏見もそのまま残っていたため、日本人と一緒にいる留学生なんか一人もいない、日本語の上達が必須の僕にとっては正に絶望のスタートでありました。
現実を知ってしまった僕は同じ国の友達を作りつつ、日本人とも遊びたいという僕の計画の非現実性にめまいを覚えながら即座破棄。
そしてその後僕は早速沸き起こってしまった泣きわめきたい衝動を必死にこらえ、残量HP0のスライムのように寮の机の上に突っ伏して半液体化し、昔の自分を呪うことでありました。 春のお散歩で誤食に気をつけたい、犬に危険な植物とは?(いぬのきもち WEB MAGAZINE) - Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190505-00007918-inumag-life
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