ここは俺の日記帳だ
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r;ァ'N;:::::::::::::,ィ/ >::::::::::ヽ
. 〃 ヽル1'´ ∠:::::::::::::::::i
i′ ___, - ,. = -一  ̄l:::::::::::::::l
. ! , -==、´r' l::::::/,ニ.ヽ
l _,, -‐''二ゝ l::::l f゙ヽ |、 ここはお前の日記帳じゃねえんだ
レー-- 、ヽヾニ-ァ,ニ;=、_ !:::l ) } ト
ヾ¨'7"ry、` ー゙='ニ,,,` }::ヽ(ノ チラシの裏にでも書いてろ
:ーゝヽ、 !´ " ̄ 'l,;;;;,,,.、 ,i:::::::ミ
::::::::::::::::ヽ.-‐ ト、 r'_{ __)`ニゝ、 ,,iリ::::::::ミ
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::::::::::::::::::::::::::::::! :|.\;::::::::::::::::::::::::::::::/ / 今週はヤンジャンが休みでなんか寂しい
アシリパさぁん
ミートボールのスパゲッティが食べたい(スパモン)
いつもはイシイのミートボールで作ってるけどミートボールから手作りしたい
毎日死ぬほど暑かったけど昨日からいっきに涼しくなってとても快適、来週またクソ暑いらしいが
5年ぶりぐらいにTwitter再開したけど本格的にやるかは別
やってもいいけど情報発信、収集、交換したいだけなので馴れ合うのが面倒なんだよね
だれだったか思い出せないフォロワーもたくさんいて対応考え中 昨今の情勢がアレなので過去の発言の一部をツイ消ししたが
ツイート数が多くて骨が折れた
その点5ちゃんは消せないからいいんだか悪いんだか
絡んでくる人をうまくあしらえないから
SNS向いてないんだろうなと常々思う 暑い
>>7
死にてー死にてーいってたら10年過ぎた 感情がおさえきれずこの年にも関わらず泣いてしまった
叫んでモノ投げてってとなりの家にはどう思われたか
今になって悔やむけどあとのまつり
久々セックスしたけどなんかむなしい 人付き合いできないのと違って
その場では友達もできるしつま弾きにされることもない
道化を演じ相手に合わせまくり本音も意見も言えないし自分から誘うこともない
ただ、結びつけてた関係(バイトとか学校とか)がなくなると
「本当は嫌われてるんじゃないか、迷惑なんじゃないか」ってなって
迷惑がかかるからと逃げるようになり縁が切れる
相手を否定せず、優しい(ように見える)からか
我が強い人、ちょっと病気な人にやたら好かれて疲れまくってきた
そういう人をうまくあしらえないし
なら全部断ちきってしまえになる 意見言えないのは昔からで子供の頃はとにかく無難な意見で済ませてた
正解はこうだろ?って感じの
大人になってディベートとか会議とかで意見を求められるととたんに苦しくなる
他人に自分の心を明かしたくないし、自分の意見に自信が持てない
司会(進行)とか書記になって逃げようとしてもできなかったり
他人の意見を集約した意見で済ませようとしても突っ込みが入ったり
とにかく苦痛だった 相手を否定しないのは人付き合いのテクニックだったはずが
高校の時も大学の時も社会人になったときも精神病の人たちに好かれ寄生されってなった
なんというエンカウント率
いずれもなんとか逃げられたけどかかわらないといけない日々はとにかくきつかった
入院したときはそれがずっと続いて
朝から晩まで気が抜けずリラックスできず
他の患者に話しかけられるのが怖くて怖くて
表面上仲良くしててもとにかく内心は疲れはて
病室からトイレに行くのすら周囲の目を気にしてて
最後個室から四人部屋に移ったときは音もたてず誰とも会話せず空気になってた
数日だけだとはいえさぞかし気味が悪かったろう 入院中と言えば診察待ちの時に廊下で待ってたら
見知らぬ異性の老人がその人たちに無差別で話しかけ握手を求めてた
気持ち悪いから嫌だったけど断るのが怖くて応じたら
それを見てた隣にいた人(この人は断った)が「優しいね」って言った
他人が怖くてうまくあしらえないだけで
相手を受け入れ自分を傷つかせて済ませてるだけ
本当は優しくなんかないんだよそれが本質なんだよ 目眩とか腫瘍で入院したときも一度も
同じ部屋の人たちとコミュニケーションとることなかった
辛くてそれどころじゃなかったのもあるけど退院直前ですら空気になりたくて
コミュニケーションとりたくないからベッドから出ることもなく、ラウンジや売店にも行かず
テレビも音もれが嫌なのと向こうの音が聞こえないのは不安で見ず
一日音もたてずに同じ姿勢
カーテンのなかで過ごしたいからポータブルトイレや尿瓶が欲しかったぐらい
筋肉注射してほしくてナースコール呼ぶのも迷惑じゃないかなって思ってしまいつらかった 例えば外食するとき「なんでもいいよ」「任せるよ」
「(相手が)食べたいものでいいよ」って言ってしまう
自分が言うときも「嫌じゃなければ」とか前置き必須
本当は絶対食べたくないものでも受け入れる
そんなこと繰り返してる 日常のゴミ捨てなんかも人と出くわさないようにするし
通勤のバスもあえて時間をずらしたり経路を変えたりして
顔見知りができないように、なるべく空気のように振る舞う
無論、お店で顔を覚えられれば足は遠退くし
こちらに何かあって(例えば社会の窓が開いてるとかで)誰かに話しかけられでもしたら
しばらく恥ずかしくてその場所、その時間には近づかない
知り合いだったら縁を切りたくなる
職場や学校でぼっちは生活に支障が出るから
あえて明るく振舞い、相手に合わせ、他人を否定する意見を言わずで凌ぐ
嘘を盛りまくり無言を作らず相手を喜ばせようとする
だから自己主張ができない、コミュ障とは思われてないのが痛い
明るく社交的だと勘違いされるから
意見を言わないのもまさかそんな裏事情があるなんて思われっこないし
そもそも意見を言わないなんて気づかれてもないだろう そして常に不安である
相手に嫌われてるんじゃないか変に思われてるんじゃないか
メッキが剥がれてやしないかと疑心暗鬼になり続ける
嘘も自分を大きく見せたり都合の悪いことを隠したりするだけではなく
道化としてありもしない失敗談や笑い話とかを話すから
もしそれが嘘だと知ったら皆は(なんでそんな嘘を……?)と思うことだろう 髪の毛を切りに行くことは難易度がとても高い
自分で切れるような器用でなく
髪の毛の量がやたら多いので仕方なく一月〜一月半で切っている
美容師に覚えられたりあまり話したくないので
カルテ?すらないとにかく安いところに通っている
毎回担当も変わるし店もコロコロ変えるので
切ってる最中の雑談は適当に嘘入れながらベラベラしゃべる
相手が静かなら話さないが
ついたことない仕事や、いもしない家族の話もする
お財布には優しいし予約もいらないから快適ではあるが
染めると耐えなきゃいけない時間が長くなるので
染めるのは家でやることとなる 昨晩から腹の調子が悪く夜中何回か暑いトイレにこもってた
もわっと暑くて居心地最悪な上に換気扇回してもくさいし
マンションのトイレは窓がないからつらい
朝起きて薬を飲むと胃が不快になり夜まで食欲がなくなるのだが
きょうは薬を飲んだのが遅かった
そこに気付かず腹が減って昼飯を食べてしまった
吐き気を催して上から下から最悪の一日である 食べ物といえば年明けぐらいから処方された薬の副作用で
朝起きて薬を飲んでしばらくすると胃が痛むし気持ち悪くなる
胃カメラもやったし胃酸を抑える薬を処方されているのにも関わらずだ
そうして気持ち悪くなったあと
夕方には治ってるからすっかり夜一食生活になってしまった
すると今までと比較すると食事の回数が突然半分になってしまった
(朝はもともとヨーグルトとか軽いものだったからノーカウント)
食べることが楽しみだったのでつらい
半分の回数しか食べられないと思い付く食品よりも
先送りにされるものが増える
あれこれ食べたいので少しずつ居酒屋みたいなところで食べるしかなくなる
それでも全体的にも食べられないので足りない 年齢も重ねてるので体重増加を抑えるという点では良いのかもしれないが
(もともとかなりのデブで標準体重+20キロ以上)
何分野菜不足を感じるし
胃への負担が凄そうで(それが余計悪化させてるような)
とりあえず標準体重(まだ15キロ近くおるが)ぐらいにまで
落とせたら医師に相談してみるのもアリかな
しかしリバウンドしたら嫌だなと思案する
若いうちに何度も太ったり痩せたりし続けてきたし…… 東京もなんで金もってるのかわからん奴(給料めっちゃ貰ってる奴も)多かったし
田舎もなんでか生活カツカツな奴って目に見えないってか
おれが底辺家庭出身だからなのかみんな豊かに見える
給料は同じぐらいなのに
親が金持ってるのか家に資産があるのか知らんけど
家買うときも頭金貰ってるの普通だし社会人なのに仕送り貰ってるのもいたし
若者ですら服とかカバンとか車とか普通に高いの持ってたりしてるし
スーパーではおばさんがカート一杯(一万円ぐらい)食材、日持ちしない惣菜や刺身だなんだと買ってるのも見る
隣の芝生が青く見えるだけなのかもしれんが
家計診断に出てくるような(食費二万とかの)家ってどんだけあるんだろと疑ってしまう ゴールデンカムイの人気投票
尾形勇作月島あたりの腐女子人気すげーなあ
おれは杉元アシリパ白石かなと思いつつ
マタギと勃起と嫌儲でさんざ見た(伍長ネタで)アザラシも入れようかな 今のってるばすの前ドアからへんな音がする
プーンプププーンみたいな
あんまり暑くなかったのは良かったんだけど
ムシムシして一応塗った日焼け止めとかなんの意味もなかった 自分らのミスだから良いと言われたのか
それとももともとそのとおりだったのか
まあ隣の類似品がそうだったから後者だったんだろうけど トイレのでかい鏡に写った自分の頭の頭頂部
目立つところに立派な白髪が生えててかなりしょんぼり
家帰って即座に抜いた
厨房のころから前髪のあたりには集中的に生えてるので
そこは定期的に見て抜いてるけど
別の場所も結構生えてくるようになっておれも老いたんだなあと思わせる 後ろとか見えてないだけで白髪いっぱいあるんじゃないかと不安になる
白髪ぐらい気にすんなって言われそうだけど
黒い髪に白髪ちらほらは眉毛が繋がってることや
鼻毛が出てることぐらい嫌なことなんだよね
心配で禿げそう
残尿感とかへんな感じはあったけど膀胱炎放置してた
別の検査で尿検査したら白血球出てるからと
(内科でも泌尿器科でもない医者に)クラビットもらった
ちゃんと最後まで飲んだけど、残尿感とかそのままで
治ってない感じしかしない 趣味の道具とか材料揃えたいけど金がない
多趣味だしそこそこ金のかかる趣味でかつ、我慢できない質だから困る
孤独にやってるので他人と比べてエスカレートってのはないから
そこは大丈夫なんだけど、なにぶん作りたいものがありすぎて
金使い果たしたら趣味できないのには耐えられない
死ぬしかないけどまあいいか 台風の前のさわやかな天気
風も涼しい
体温計ったら37ど7ぶあった
つらい 台風一過
うちはマンションだから雨戸がついてないことに気づいた
つまりなんかふっとんできたら即バリーンなんだと
それと換気口の風切り音がうるさいので
とめる方法考えようかな 大富豪ではないのでDVDやら漫画やらを
なるべくダブらず買いたいのだけど
もう何を持ってるのかさっぱりでリスト作成することに
しかしローカルに保存してて肝心なときに読めなかった デレマスのCM見た
岩沢さんは本当にただのそこらへんにいるおっさんだった
若作りしてるおっさんは更に悲惨な感じだった
マジで仕事選んでくれよ
ここのところファンなのがただただ恥ずかしいよ
今日は晴れてたので床にワックスを塗ったんだけど
塗り残し?が目立ってしまいなんか嫌な仕上がり 雨の金曜日
いつも昼飯は抜いているのだが
今日は猛然と食欲がわいてきたので
コピペ通りステーキとポテト・サラダではなく
冷凍ピザを食った
が、吐き気がすごい
食い終わるところまでは楽しかったけど今は最悪の気分だ
それにしてもメンタルの調子がよろしくない
なんでなのかはさっぱりなんだが
雨のせいなのだろうか 駿河屋から雑誌がいろいろ届いたけどまたダブらせたorz
箱に同じ本二冊入ってて本当に悲しかった
そして断裁して自炊するか悩む
断裁せずにスキャンすれば(クオリティは落ちるけど)本の状態だから売れて少しは金になる
自炊したらバラバラになってもう売ることができなくなる
(そのかわり欲しい部分だけずっと所有できるが)
無職だからもちろんお金はないし
300円ぐらいまでの本なら迷わずバラバラにするんだけど
一方欲しいページが五ページぐらいだと少額でもおかねにしたほうがいいのかと悩む 次の更新でも年金はきっと貰えるだろうけど
ここのところ溜まってた欲しいものをいっぺんに買いすぎてて
カードの請求が怖い
完全に収支がマイナスになってるんよ 激鬱期間になったのでここでだるまの「俺の人生」みたいに自分自身を振り返っておきたい
自殺するとき遺書にするための下書きでもある
子供の頃、まず生まれた場所の頃の思い出
父親はぜんぜんかまってくれず出張接待その他で家に帰ってこず
母親と二人きりで過ごす毎日
近所付き合いもなく母親はママ友もおらず
必然的に友達も少なかった(区がやってる幼児クラブで出会った子達が唯一の友達)
その頃の思い出で明確に覚えていることは
マンションの水道がたびたび水漏れして大変だったこと
弟が産まれる直前に祖母のところに預けられるその時も水漏れしてた
当時乗った地下鉄や私鉄の電車のこと盆踊りでもらった地下鉄のスタンプ帳も覚えてる
(スタンプ帳は紛失したが、大人になってから再度手に入れた)
廊下や台所の床がカーペット敷きだったこと
玄関にあった電話は黒電話
当時は景気が良かったから飛行船や飛行機雲がたくさんあったこと
夜に道路清掃の車が走り回ってたこと
和室の窓から隣の建物との隙間にビーチボールを落としてしまったこと
小学生ぐらいまでは本気で拾いにいくつもりだった
まだここまでの人生で後悔したことはなかった
当たり前だ、まだおのれの判断で動いてはいなかったのだから そういえばこの頃には簡単な漢字やアルファベットが読めるようになっていた
新聞とテレビしか娯楽がない家だったから(家を訪ねる人もいないし)
飲み込みが早かったのかもしれない
小学校入学のころには常用漢字はほぼすべて読めたと記憶している
そんなこんなで今に至るまで漢字の勉強はしたことがない
次に弟が生まれてからの記憶
産まれる前から弟が嫌いだった
だから生まれても可愛がるはずもなく
構わないし遊ばないしいじめていた
4歳の子供が弟を可愛がらないというのもなかなかすごい話ではあるが
子供だからこその素直な感情だった
弟が生まれたとたんに父親が転職すると言い出し、とても田舎に引っ越すことに
地元の幼稚園に入る予定でなにもかも準備してたのにすべてがパーになった
用意した学用品はすべて児童クラブの子にあげたらしい
そんなこんなで引っ越して5月に入園
もちろん馴染めるはずもない
その園は三年保育が多かったので尚更だが
放課後に遊ぶ友達もいないし(そもそも園が終わり次第母親が直帰させるからそんな約束すらできない)
新しい土地にも慣れず母親はママ友なども作らず(弟が新生児だからそっちで手一杯なのもある)
一般的な子供とは何か違っていた いわゆる「きかんぼ」で同じクラスの子とはトラブルを起こしてばかりだった
特定の仲の良い友達は存在せずひとりで遊ぶことも多かった
園バス(自分は徒歩通園だった)の運転手のおじさんや
園長先生、その他の先生とばかり話してた
やかんをもって階段を上がるときに階段の上から転げ落ちたり
生傷は絶えず膝はいつも怪我でじゅくじゅくになっていた
今でも足にはちょいちょい青アザがあるので30年近く経過しても同じままである
幼稚園のお弁当はほぼ毎日おにぎりだった
ひたすら同じものばかり食べるのも今もおなじである
前項にあるように漢字が読めたので絵本のお母さんへ欄も読んでいたし
幼稚園でやるワークのようなもの(簡単な算数とか図工とか)はさっさとやってしまうそんな子供だった 次は小学生
小学校デビューは他の子達と同じスタートだったので問題はなかった
ランドセルの色も母親の猛反対に合いながらも普通の色を選択
当時はカラーランドセルの出始めだったが田舎ではそんなの背負ってる人間はまずいないし
自分は目立たずみんなと同じが良い人間なので個性を出したくなかった
その頃から今までずっと目立ちたくないと思っている
学習机は当初は買ってもらえなかったが、二年生になる頃に買ってもらえた
しかしライティングデスクだったので望む「普通の」ではなく好きではなかった
結局、小〜高校までぜんぜん使わなかったし今も不満である 友達はできた、特に仲が良かったのは床屋の子とフィリピンハーフの子
他にもいろいろいたがもう名前も思いだせない(その小学校を卒業していないのでアルバムなどもないし)
フィリピンハーフの子は小さなぼろいアパートに住んでいて母親があまり付き合うなと言っていたのを覚えている
母親は自分の友達や好きな人、好きなものをひたすら査定する、なおだいたい否定される
母親は自分を甘やかすことも誉めることもしなかった
三歳ぐらいのころには「こいつは甘やかしたらダメなやつだ」と話していて
何をしても怒られるし否定されるしバカにされた
テストで100点をとっても字が汚いとか当たり前だとかそんな風に誉めてもらえることはなかった
「バカは死んでも治らないうちの(名前)はバカである」が口癖で弟にはそんなことは言わなかった
そんな小学校での生活だったが一年生のときには六年生の二人組と仲良くしていたのが自分でも謎だった
あの人たちのことはもう何も覚えていないから二度と会うこともできないし
よくわからない記憶のままだ ADHDであるから「きかんぼ」のままだったがまだそこまで狂暴ではなかった
ケガしまくり服を汚しまくりものをなくしまくりではあった
授業は聞いていなかったが別にテストは良かったので生活態度を指導される程度であった
二年生ぐらいになったときクラスメイト(別に好きではない)から
暴力で脅されてたびたびキスなどをさせられ始めた
報復が怖くて友達や親に知られたくないから表面上普通を装って
子供だからまあその程度で済んでいたがもうちょっと大きかったら性的なこともされてたのではないかと今でも怖い
そんな折、父親が家を建てると言い出した
場所は同じ市だけどけっこう離れた場所で学校の校区も異なる
自分はそのクラスメイトから逃れたくて賛成してしまったし
母親も何だかんだで父親に逆らわないので家は建ってしまった
そうして三年生のときに引っ越したが薔薇色とはならなかった ちょっと時系列は戻るが
小学校入学したころから
こっそりと人の家から物や小銭を持ち出したりと小さな犯罪をしていた
ある日友達の家の玄関に帰りがけにクレンザーを撒いたのだが
なんでそんなことしたのかは覚えていない
ただ、とにかく子供ながらに歪んでいたのは事実である
母親には毎日長時間叱られまくりだった
説教が長すぎて(説教されている理由をきちんと覚えていないので)また延長、謝罪の言葉が言い回しが気にくわないからとまた延長と何時間にも及び
殴る叩くは当たり前だったが鼻血が出やすい体質だったのでよく鼻血を出した、するとまた「被害者ぶって」と怒られる
家出を考えても祖母などは近所におらず、友達の家にお世話になろうものなら母親にさらに怒られるのが間違いないからできず逃げ場はなかった 校長先生と仲良くしていてよく部屋に行ったりしていた
在任中に亡くなってしまったのを覚えている
あと、最初の小学校での記憶は学校の前に用水路があって最初は笹舟を流したりしてたのにエスカレートして下敷きとかを流して回収する遊びになり失敗してなくしたり
自転車に乗ってるへんなババアがいたり山田がいたり歩道橋の段差を何段跳べるかやったり
こえだちゃんがある友達の家でホラー漫画を読んでしばらく夜になると思い出して怖かったこと
自分用にかってもらったはずのバッグを母親に使われ、結局お前は使わないと言われたこと
近所には駄菓子屋が二軒あって(足を伸ばせば他にもあった、通学路に一件、文化会館のほうに一件、二宮神社の近くに一件などなど)サエキというジジイがやってた店は品揃えもよく、今でも好きな凍らせたこんにゃくゼリーに卵の入ったもんじゃ焼きもあった
そこの孫(娘二人)は死ぬほど嫌いだったけど……
もう片方はババアがやってる店で冬はアイスのケースに鍵がかかる、コーラボールをよく食べたのとバニラブルーの蓋についたアイスが濃厚で死ぬほど美味しかったのが思い出(カップアイス)
ちなみに、おこづかいは一切もらえなかったし母親が駄菓子嫌いだったのでお金はもらえず、自販機などから拾った(たまに盗んだ)お金や友達から分けてもらった
まだあの頃はそこまで不景気でなかったので根気よく探すとお金はよく見つかった どんどん思い出す、だるまもこんな感じだったのだろうか
祖母は自分に甘く弟よりも自分を好きだったがいかんせん離れているので守ってはくれなかった
父親はその頃も出張ばかりで家におらず母親の独裁であった
母親は厳しく育てようとした
夏休みともなれば宿題でもないのに漢字練習帳を買い与えて漢字を書かせる
文字としては間違っちゃいないのにここのはらいがどーのこーの、線の右肩が下がっているとやり直し、と厳しいを通り越しヒステリックだった
結局文字はうまくならなかったが
夏休みといえば自由課題があるが、そんな抑圧された家なのでやりたいものは言えない
母親に叱られ否定されるのがおちなので適当に貯金箱を作るも母親の手が入る
結局自分の作品とは言えない何かを提出した
図工の時間に描いた絵が(特に優秀ということで)玄関に飾られた時もあーだこーだ言って素直に誉めなかったし
やりたいこと(習い事とか)を言ったところで全否定
音痴だ不器用だお前にはできない、無駄、ここがダメあれが間違ってるなどなど
そんなストレスで円形脱毛症がみられたがそれも母親からすると「被害者ぶって」なのだった 話は三年生に戻る(家を新築し転校したところ)
救いになるかと思った転校であったが
よそ者扱いされいじめられ馴染めずケンカばかり、転校数日で母親が呼び出される事態にまでなった
確かにもう暴力で脅されることはなくなったが
友達になってくれるのかと思いきや裏切られたり
転校生だからとからかわれたりで軽く人間不信になったし
トラブルばかり起こしては母親呼び出し→家で叱られるの繰り返しで荒んでいた
なお、家を建てた張本人の父親は家が建つとほぼ同時に単身赴任させられた(6年ぐらい)
母親との関係は冷えきっており、もともと浮気三昧だったので(幼少の頃家に不在だった中には不倫旅行とかもあるし)
赴任先でも相変わらず浮気し、家には年に一度も帰ってこなかった
まあ、同じ家に住んでた頃から育児なんか何一つしなかったし
学校行事にも来たことはなかったし遊びにもほとんど連れていってもらえず
家族旅行なんて伊豆に行ったのが最初で最後だったが ADHDであるがゆえにすぐ手が出るしカッとなるし
忘れ物落とし物は多くケアレスミスもたくさん
授業は全く聞いてないしじっとしてられない自分であったが
当時は普通に「問題児」のカテゴリーに入れられ、常に一番前の席にされていたが
成績は良かったので尚更放置された
算数はもともと超苦手で、分数でつまづきわからなくなったが他の教科でカバーしていた
結局今でも小学生レベルの算数は解けない、学習障害なんだろうと主治医は言っている
転校生いじめにあいつつもクラスに馴染むためなんとか場に馴染もうと道化を演じはじめた
母親からの度重なる人格否定で本当は自己表現とかはしたくなかったがキャラを演じた
おかげでとりあえず友達はできたが、腹の中ではまた裏切ってくるかもと疑いながら(転校当初に裏切った張本人だったし)のつらい日々だった
4年生になると部活が始まる、母親は「部活なんて無駄だからやるな、お金もないし」と言うが
田舎の小学校では強制加入がルールで(人数集まらなくなっちゃうし)逆らうことはまずできない
クラスでも入っていなかったのは中学受験する奴とスケートやってる子だけ
入らないって伝えればもちろん担任に加入するように説得される
母親は部活強制加入に対して文句を言うが、自分から学校や担任には言わないので
自分が板挟み状態、仕方がなかった
放課後はひとりぼっち、田舎のブラック部活だから土日も友達は部活、で
一人家で過ごすことが多くなった
母親が運動なんかしなくていいと言うもんだから
運動が苦手だったので実質運動部しかない部活をやれるとは思えないものの
孤独感はかなりのものであった そのうちに部活ドロップアウト組が現れて、そのなかの一人と毎日遊んだ
ケンカもよくしたけど孤独から逃れられた
小4か5のときから母親が働き始めた、一日五時間ぐらいのパートだけど家事をやることとなった
母親がパートの日は母親は食堂で食べるので自分が昼飯を作る洗い物もするし洗濯や布団干しもやる
大した内容ではないように見えるがたかがパートの母親が家事をサボり始めるのはちょっと納得いかなかった
でもそれが普通だと思ってたからこなしていた
その頃になると母親から叱られることは減り(悪いことは隠れてやるようになったし)
人格否定も直接でないものが増えたように思う(交遊関係とか趣味を批判したり否定したりこきおろす)
まあ、デブだチビだ目付きが悪いだなんだとは言われてたし
(なおチビでも目付きが悪くもないし当時はデブでもない)
弟を猫可愛がりしてるのは変わらなかったが
代わりに母親の愚痴や相談に付き合うようになった
小さい頃のストレス解消法が自分に対し感情をぶつけることだったとしたら
その頃は子供を放置して趣味をやったり自分に愚痴ったりがそうだったのだろう
無論自分の悩みは話せるはずもなかった そして中学進学が近づいた頃、学校生活に二つの悩みがでてきた
ひとつは掃除(縦割り掃除といって各学年混合で掃除の班を作る、組み合わせは運)
5年(自分)6年(Aとする)1年生2人の4人で空き教室と廊下担当
床に?謎の虫(ヒメマルカツオブシムシ?)が大量発生してて
毎日掃除しても苦痛で仕方なかったうえにAが全く掃除をしない
1年生は掃除するけど何の役にも立たないしでひとりで毎日掃除し続けた
当時は円形脱毛症はかなりひどかったらしい
次の悩みは転校前の小学校のクラスメイトと中学で再会すること
転校したばかりの頃は解放されて良かったとしか思っていなかったが
5年生の後半ぐらいになるとその事に気づいてしまったのだ
中学は3つの小学校が集まるので直接的にクラスメイトや近くの席などになる可能性はかなり低いものの
それでも同じ空間で三年間を過ごさねばならず
今度も暴力で脅されて何かさせられたらどうしようと恐怖が襲った
そうするかどうかは相手次第だからわからないのに
毎日毎日その事が頭を支配していた一年半だった その他小学校の思い出
転校当初絡んできたやつの耳を噛んだり(マイクタイソンかよ)からかわれてキレて机の上に立ったり
習字の授業で服を汚さないことがなかった、母親がキレて習字の日は必ずしまむらで買った服を着ていったがそれでも汚しまくった
服は母親チョイスで自分の意見は取り入れられない真冬でも長ズボンは履かせてもらえず髪型も決められた
当時流行ってた服も着れず貧乏なのに百貨店で買うから汚すともうカンカンだった
でかいスーパーとかデパートに行くと母親が買い物してる最中暇をもて余す昔は漫画が立ち読みできたけど
高学年になるころにはカバーがかかりはじめて
暇を潰せるところも少なくお金はもらえないからゲームコーナーのUFOキャッチャーを眺めて時間潰し
学校農園の嫌いな奴のじゃがいもに(男女四人で結託して)水をあげまくったら腐るどころか立派に育った
教職員用の冷凍庫に入ってた雪見だいふく(給食の)を勝手に食った
一輪車にはついぞ乗れなかった
帰り道、毎日川に石を蹴って落としてたらじじいに叱られ友達と親と謝りに行った
スーパーの駐車場に建つプレハブ小屋の焼き鳥が好きだった、たまに一本だけ買った
放課後はほとんど毎日友達の家に入り浸っていた
鍵っ子なのを良いことに農家でもないのに家でかくれんぼしたりしてた
屋根にあがる奴とかもいて屋根に足跡が点々としてたりめちゃくちゃしてた
お好み焼きパーティーみたいのもした
移動図書館では料理の本とかを借りていた
隣の家の飼い猫が黒白でとてもかわいかった。おじいちゃんに抱き抱えられて散歩?してた
弟の別コロに掲載されていた電撃ピカチュウを読んで衝撃を受けた
ゆずを好きになった 中学生になったのだが問題の奴とは違うクラスでほっとする
三年間クラスが同じになることもなく、向こうも気まずいのかなんなのか一切の接触をしてこなかった
それでもそいつのいるクラスに近づいたりするのはなかなか勇気がいるし
本人を見るだけで恐怖を感じてはいたが
(小学校の頃から中学を卒業するまでにそいつの夢を数えきれないぐらい見た)
隣の席になったやつがスゴい奴だった
勉強もけっこうできるし運動もそこそこ
マイペースで不真面目で小学生の頃からずっと同じ筆箱を使ってる変わり者
いとこが好きと公言し
授業中に教科書の表紙を(表紙に描かれてる図形の形に)切り抜いたりしてて担任に叱られたりするアホで
友達いないわけでもないのに班分けのときには進んでハブにされてる奴を入れるような奴
他にもいろいろあったはずだけどもう記憶が薄れててあんまり思い出せない
けどとにかくインパクトのある奴だった
そして自分はそいつが好きだった
二年になったらクラスが別れてしまって距離が離れてしまったけど
ラピュタの飛行石のキーホルダーをあげたら超喜んでたのが一番の思い出 そいつの進学先は(最初は地元高校の予定だったのに)親の意向なのか地元を離れてしまい
友達から連絡先を貰ったけど結局連絡できないまま
告白なんてできるはずもなかった
今は何してるんだろうな、もう16年も会ってないからどんなんになってるのか 中学では算数ができないので数学はすべて勘、おかげで18点とかとってたけど
他の教科でカバーし学年でもそこそこ上位に
(数学できてたら県二番ぐらいの高校行けてたろうなあ)
授業中は基本的に寝てるしノートもとらないテスト勉強なんてしたこともないし
宿題も一切しないけど浮きこぼれなので対策もされず
むしろテスト前には他人に勉強を教える始末
毎日テレホタイムにネットやってたので学校は飯食って寝る場所だった
その頃母親は夜になると出掛けてたので(男ではなくパート先で女友達ができて夜になると朝までファミレスとかでだべってたらしい)ネットやり放題
素行が悪くてもあまり何も言われないし(黙って深夜に帰宅しても何も言われないし、校則破ってたりしてても親は放置)
勝手に学校サボって川原で本読んだりして過ごしてる日もあった 数学が壊滅的なので後の人生がろくなものにならないにも関わらず
(高校に行ったとしても進級できないだろってぐらいの成績なのに)
親も自分も何も考えておらず
三教科の私立受験はせんとこー、ぐらいの呑気さで過ごしていた
当時から社会学に興味があったのでそっち方面に進みたいなあとおぼろげに思っていたぐらいのもんで
そのために内申点を良くしようだなんて思ってもなく素行は悪いまま(DQN方面ではないが)
部活は弓道部だったが半年で辞めて
朝起きたら菓子パン持ってノーヘル通学路じゃないルートで学校へ行き
菓子パン食って授業は全部睡眠時間
給食はご飯と牛乳はいつも二人前
食ったらまた寝る
学校が終わったら友達の家へ行き帰宅は夜8時とか9時
そこから飯と風呂、ラジアン聴いてテレホタイムになったらネット接続
すでに2ちゃん入り浸りの当時で言うところのリアル厨房で
アングラ回ったりして気がついたら朝の繰り返し 小学校のときの担任(4〜6年)が体育と国語の先生として中学に来て中2のときは体育の担当だった
弟の小1のときの担任も音楽教師としてうちの中学に来てた
中1のときの担任は肌が白くて寒がりで夏でも長袖で超病弱
はじめての担任クラスが自分たちだったけど
冬にインフルエンザこじらせて一週間入院して翌年には担任外されてた
たほいやとか爆発卵とか教えて貰ったしいい先生だったけど結局退職したんじゃなかったかな
中2と3のときの担任は結婚して結婚式に行くことになったのだけど
その担任が大嫌いで生理的に受け付けないから本当に嫌だった
生徒たちは披露宴でちょっと歌うたって別会場でうなぎ食ったような気がするけど交通費返せっての
典型的な脳筋で体育会系で話にならなかった 小学校のときの担任
1年 おばあちゃんに近かった、思い出はあんまないけど蛇口からジュースが出るって騙された
2年 若い女の先生、やや生徒になめられぎみなポニーテール。
クレンザー事件のときには最後まで認めなかったから困らせたかな。すみませんでした
3年(前半)中年男性、背が高かった、この人も記憶にない
3年(後半)すごい厳しいおばさん先生だった
4〜6 中年男性、常にキャプテンサンタの服を着ていて中古のベンツが愛車(中学のときに水風船ぶつけて遊んでごめんなさい)
子供になめられてもなかったけどそこまで厳しかったイメージもなかった
よく叩かれてたけど 学年主任が社会の先生で
自分が社会好きなのもあったし先生らしからぬ物言いで
すごく好きな先生だったし向こうもそれなりに目をかけてくれてた
高校落ちたあとにも何とかしてくれようとしたのもこの人
中学の友達関係は小学校のころの人間不信もありクラスでも特定のグループ依存ってわけでなく
いくつかのグループに適度に関わるコウモリだけどうまいことハブられないようにやってた
漫画好きだったけど小野敏洋にハマってたから主流とは違ってて変な奴だったんだろなーと
新聞連載から重松清にハマり図書館通って全部読んだりしてた
あとゆずだけでなくYOGURT-poohっちゅう超マイナーバンドも好きだったので少ない小遣い(月2000円)でCD買った
(レンタルなんかないし、ネットにも落ちてるはずもないので取り寄せて買うしかなかった)
お金はないし美容室が嫌すぎて自分で髪の毛切ってたが今見るとすげえ髪型 あとこれは外せないのだけど
小学校からずっと仲の良い友達がいたのだが(毎日のように家に行ってるぐらいの仲)
中学後半になるとそいつは近くの工業高校の連中やうちの中学の荒れてる連中とつるむようになって
酒やタバコやセックス覚えたりして(でもアオカンなのが中学生の悲しさ)
学校にもまともに来なくなってどんどん離れていってしまった
それを何とか食い止めたかったけどかなわず
むしろ自分の方が社会からドロップアウトする始末
その後に読んだ浅野いにおの漫画に自分とそいつのような話が載ってたのが印象的(ネコの王の最終回の号だったはず)
あいつ今何してるんだろう だるまの「俺の人生」を目標としてここまで書いてきたけど
あいつと違って自分は時が止まってない分(まだ折り返し地点にも満たない)覚えてもないんだなと感じるし
あんなに悪夢を見ていた小学生の頃の嫌な記憶も乗り越えてはないけど今は耐えられるし忘れかけてきてるし
中学三年を迎えたわけですが家には金がなく
家賃こそ会社持ちだけど単身赴任の父親との二重生活は金がかかるし母親は収支を聞かずに父親に金を使わせてたので
父親はどう暮らしてたかは知らんが母子は貧しかった
月2000円で正月に5000円しか貰えてない年収29000円生活では友達付き合いすらうまくいかず
さながらだるまのような感じになっていったが
明るい性格(を演じてた)のでさほど悲壮感はなかった
月のローン返済が13万でボーナス払いもあったように記憶してるし
自分は都合二回家を買ったけどどっちも中古の集合住宅なので父の建てた家よりもいい立地だけど月の支払いはるかに安い。
なお、父の建てた家は手抜き工事の欠陥住宅で(工事中ろくに見に行かなかったしいろいろ考えると当然だが)
3000万ぐらいしたはずだけどゴミみたいな物件だった さてはて年収29000円生活、でも漫画や音楽に興味がでてきた自分は
どうやってその欲求を満たすこととしたのだろうか
図書館にあるCDは借りたし当時は文教堂や地場の書店が立ち読みできたからそこでひたすら読んだ
当時はもちろん漫画村やe-hentai、dropbooksなんてなかったから
ネットでは漫画はあまり流通してなかったのだ
音楽はアングラで。パッと思い付く単語でもiria、らるちー、そ、猫缶、BA、うめーこのみかん、でんこ……(忘れかけてるけど)
懐かしのNapster、MXで相手が寝てる間にDOM逃げもよくしたっけ
でも、それだけじゃなかった
病気ではないので自分で稼ぐようになってからは一切やらなくなったけど…… さてそんな自堕落中学生活をこなし
数学が壊滅的で内申点なんかマイナスなのだから
進級・卒業できそうな地元のしょぼ高校に進学してそこから推薦なりAOなりで進学しておけばよかったのに
(この考えには最近たどり着いたけどね)
一応進学校の端くれみたいなところを志望してしまい
更に金がないのと三教科だと数学が足を引っ張ってどうにもならないので私立受験はせず
レベルを一段階落とすこともせず
(好きではないどころか粘着されて困ってた小学校時代の友達が推薦で入学決定してたので)
担任もどうでも良かったのか大して反対もしなかったからそのまま受験
当時住んでた県は公立高校の二次募集はなく一発勝負
結果は惨敗
自己採点でも試験の出来は悪くなかったはずで
今でも内申が響いたんだろうなと思っているが
当時のような複雑な感情にはもうならない 惨敗後中学に行って進路の話をする
担任とはろくに話もしなかったが
学年主任の先生が出てきて公にはなってない私立高校のα入試に推薦するから受けた方がいいと言われた
試験を受ければ合格するはずだとも
恐らく自分のような人用の救済試験だろう
期限は本当にすぐなのでとりあえず申し込んだが
家にそんな金がないことぐらいわかりきっている
制服も普通のときと儀式用に二着あるようなところだ年間いくらかかるのか考えただけで恐ろしい
通学も片道一時間以上かかるうえにアルバイトはもちろん禁止
親は「昼も夜も働いてお金は工面する」と言っていたが正直脅しにしか聞こえなかった
結局断念して県立の通信制へ
α入試の会場にも行かなかったので先生の顔に泥を塗ったのではと今も心が痛む
県立の通信制にとりあえず入学したものの高校浪人という選択肢を考える
ただ、住んでるところは田舎であるがゆえに同じ県で浪人するのは色々と複雑(絶対に年齢バレるし)
違う県ならうまくこなせるかもと
人生ではじめて他県に住む祖母にヘルプを出した
そっちの県立高校を翌年受験したい、三年間同居させてほしいと
結果はとりつくしまもなく断られて祖母は味方ではなかったと思い知らされた もう誰も助けてはくれないし選択肢もないと悟り
とりあえず入学した通信制へ通い始める
中一のとき同じクラスで登校拒否だった子がクラスメイトになった
自分は中一から教科書を全部学校に置きっぱなしにしていて机に入りきらない教科書をからっぽの彼女の机に詰めていたのでとても気まずかった
最後までその話には触れなかった
友達もできたがメンヘラばかりだった
授業はレベルが低すぎてつまらないので
スクールカウンセラーの部屋に入り浸っていた
夏にはクラスメイトの女子が殺されて海に沈められた
顔ぐらいしか知らなかったけど何気に衝撃だった
学校の自販機に今や全国区のあの飲み物が売っていてはまった
火曜日に通学すると全日制の人たちに会えるけどとてもみじめな気持ちになるのでつらかった 通信制でそのまま勉強してても良かったのだけど
メンヘラだらけのぬるま湯にいてると
なんか自分がダメになりそうで大検を受けることにして退学、時期は覚えていない
時期は前後するが高校入学したぐらいのときに
父親が単身赴任を終えて帰って来たが赴任先がなくなったからで
どうにも人員過多なのでリストラされそうな感じ
そして(業務上なのに)ケガをして自主退社
私立に行かなくて良かったと思った瞬間であった
父親はそのあと墓石屋の営業になる
三年間同居してたはずなのだけどぜんぜん覚えていない
ほんの少し覚えているのはみそ汁に人参を入れて激怒されたこと
デジカメを買ったからとパソコンに写真を取り込む方法などを教えたこと
ケガをしたからと一階のパソコン部屋に寝るようになったので
夜中にネットができなくなってとても不便だったこと
(やれないことはないが安眠妨害になるからトラブルになるしいびきうるせえ)
その後ADSLが開通してノーパソを貰ったあとは自室で夜通しできるようになって幸せだった
パソコンといえばよくわからん知り合いの知り合いからおんぼろを譲り受けたけど
本当におんぼろで日記ぐらいしか書けなかったのでしばらくたったらバラバラにして捨てた
(くれたのが誰だったのか、どういう経緯だったのかもわからん) 父親がなぜか買ったNECノートをもらってネットをしていたのだけど
最終的には上京後にバイトしてた店の社員にあげた(仕事中に到来したゲリラ豪雨でアパートが水没して何もかも失ったので)
話は退学後に戻る
退学後、進学しなきゃと某通信講座に金を払うも何もせず放置
昼前に起きてだらだら過ごし夕方に買い物して晩飯作っての生活をする
起きてる間はニュー速と二次裏に入り浸り
夜が明ける頃に寝る生活をしていた
進学しなきゃと思うけど何から手をつけていいのかという風で無為に過ごしているだけ
田舎だから人の目が怖くてひとりで外出はせず働くこともなく引きこもり生活をしていた
しかしその頃の記憶はあまりない
大検は数学以外は無勉一発だったけど数学はやはり手こずったが何回目かで合格
本屋で(大検関連の書籍を立ち読みしてたら)知り合った人と映画を見に行ったりカラオケに行ったりしたけど
多少ミスをしつつも縁を切った
今思うと映画と変な音楽の好きな人は地雷なのかもしれない
ナースのお仕事超つまんなかった このまま田舎にいたら腐ると母親に上京することを提案した
父と母の夫婦関係は弟が生まれた辺りで既に破綻していたし
父はどーせ浮気してるしパチンコで貯金を溶かしたり害しかなく
無職になったり再就職したりで家計は完全に赤字で
住宅ローンの借り換えをする事態に追い込まれていた
(自分が私立高校に行ってたら中退確定である)
母親は学歴も職歴もないのに子供連れてはキツいと言ったが私もバイトできるから
このままだと貯金ゼロになって何もできなくなるよと説得し
物件探しなどを手伝い18歳の3月頭に東京へ引っ越した
東京なのは母の強い要望だった
運命を変えるキャラクターに出会ったのもこの時である
引っ越したその日は布団すらなく家具家電もなく
とりあえず近くのスーパーで照明とガスコンロを買ってきた
肌寒かったが希望に満ち溢れていて
夜景が本当に美しかった
そこから物を揃え春休みに入るまでは上京できなかった弟を迎え
自分は宣言通り四月末にはアルバイトを始めた
母親は仕事がなかなか決まらなかったのだが(給料が安くて暮らせなさそうな案件に応募したり迷走していた)
アルバイト先にあった新聞の求人チラシを持ち帰り母親に勧めた
そこに就職し移籍はしたもののまだ勤めている……はず
もう五年連絡してないのでわからないけど はじめてのアルバイトは漫画喫茶だった
夜型だし給料が高いからと深夜勤務
厳しい先輩がいて接客のいろは?を叩き込まれたが
同時に自分が仕事ができない不器用な無能であることを思い知らされた
その代わりに遅刻をせず、要望があれば残業も連勤もした
漫画喫茶は当時から住んでる人とかいてさまざまな人間、さまざまな仕事を経験させてもらった
東京という街で目まぐるしく変わっていった
バイト先の先輩を好きになりかけるも彼は転落人生の人だったので踏みとどまり12月には退職した
春にはとある大学の二部に合格した
仕事は派遣に応募したところ、落ちた会社の別部署に声をかけられて行くことに
2ちゃんの大学のスレに自分のことを指す書き込みがあった
どうやら自分に惚れた奴がいて書いてるらしくちょっとした祭りに
書いた本人もリアルで接触してきて最初は知らんふりを装っていたが
書いた人はヤンデレの人でちょっと怖いしあのスレを見た人たちに認識されているということもあって心を病む
また、仕事も忙しく無能で体力のない自分には両立なんて無理で
毎日鬼ころしを飲んで寝る生活
昼間は仕事に身が入らず夜も勉強が手につかずで限界を迎え仕事も退職大学も中退
しばらくは貯金があるので心と体を休めることに
そして秋のイベントで最初の結婚相手と出会い友達に
再度進学したいと願うようになり貯金の中から少し使って願書を出した しかし金策の面などでやはり厳しく進学は断念
(一応は受験するも不合格であったし)
春にはコンビニのアルバイトを始めた
コンビニではそんなには人の足を引っ張ってはなかったと思っている
そして勧められて公務員試験を受験することに
一度だけ受けた模試はD判定で一次試験の筆記の出来も半分いくか怪しいレベルだったし
年齢制限から最初で最後のチャンスなのでいよいよ人生詰んだなと川を眺めて思ったがなんと一次合格
二次の面接では遅刻しそうになったり逆質問したり楽しく話したり部屋から退室するときにコケたりさんざんだったが合格
合格後の面接では高校の(全日制の)卒業生がいてちょっと変な空気になったりもした
コンビニは最終日まで勤めあげた
この頃同棲をはじめ千葉県へ引っ越す
そして春に公務員になった
希望する職場ではなかったが中卒からすれば人生逆転に成功したわけで
ちゃんと40年勤めるぞと気合いをいれた……はずだったが
最初の職場は自分以外の8人は55歳〜64歳という部署で翌年には部署ごとなくなる(だからそういう人事)
係長は人間の○○で自分だけ残業代を貰うようなみみっちい生き物
仕事のことなんか何も知らないのに上から目線でクズエピソードはここには書ききれない
当然退職する日にも誰にも祝われず逃げるように帰っていった
他の老人たちは良い人ばかりだったがいかんせん年齢が違いすぎてつらかった
そんな部署で毎日のように辞めたい辞めたいを繰り返し己の仕事のできなさに絶望し無気力になっていった 翌年度には部署はなくなり勤務地も変わることになった
そこで出会った意識高い先輩とは仲良くなかったし
新しい勤務地の同期とは仲良くなれなかった(こっちはなんとか避けてるのに誘ってきてとても迷惑だった)
相変わらず自分の無能さに嫌気もさしてたけど仕事自体は二年目三年目四年目と比較的順調にやっていた
二年目の時に結婚してその年の末の忙しい時期に入院・手術
通勤の時間に嫌気がさして家を買った
三年目もほぼ同時期に入院し(耳)退院直後には東日本大震災
そこから半年ぐらいは病気の後遺症に悩まされた
五年目は部署が変わり仕事は忙しくなり算数がわからない私には厳しい内容になった
人に聞けないようなことなので一人資料を見ては悩み
覚えられず怒られて職場で泣いたり大きなミスをやらかしたり
完全にお荷物扱いされて心はボロボロで
向いてない仕事を続けられないと
仕事を辞めたくて夫に相談するもダメだと言われ
四面楚歌状態が続いていた 確かに今は公務員として安定した?地位と安いけど確実な給料がもらえる
でも、辞めれば中卒になってしまう
ADHDで普通ではない自覚はあったし
仕事内容を理解できないこともうまくこなせないことも自覚していた
でも結婚相手も母親もADHDに対して否定的で診断を受けることすら同意しなかった
障害に認定されてどうするんだとも言われた(17歳ぐらいのときに自分がそうでないかと母親に相談したが否定され叱られた)
ADHDの診断をできる医者はどこも初診は何ヵ月も待たなければならないし
当時はコンサータ・ストラテラもなかったのでそれも医者にいく足を止めた
仕事辞めたくて仕方がない状態のまま何もわかってないまま仕事をやっていた 高校時代の覚えてること
頑なに前に通ってた高校の制服を着てきている子がいた
服装は自由、髪型も自由なので浮いてた
どんどん生徒が減っていき(ホームルームの時間にはわかる)自分が退学する頃にはもう半分いなかったんじゃないかな
今は亡き緑色の蝶の15円切手をたくさん買った
火曜通学に切り替えたり卒業まで長期間かかるルートにした奴とかもいるんだろうけど
一番仲良かった子は5つぐらい年上でエリート家系に生まれて自分だけ不出来なのがメンタルやられた原因のひとつ
高校は五校目とか言ってたな強迫神経症で手は真っ赤
一方出会い系でやりまくってて、でも将来はカウンセラーみたいな仕事に就きたがってた
あとそこそこ仲良くしてた人は数人いたけどあまり記憶にない
カウンセラー部屋ではよくペットボトルの飲み物をストーブで(上にお湯を張った金だらいが置いてある)暖めてたから
冬までは通学していたんだろうな
進級した覚えがないからたぶんその辺で退学したはず
もしかしたら大検で科目合格したからかもしれん
学内の文庫で借りた本がお気に入りで返せず今も持ってる
ジャージを買ってもらえず中学のジャージでごまかしてた
当時は小遣いはあんまり変わらなかった気がする
学校いく日に交通費とメシ代で1000円ぐらいじゃないかな(交通費は学割があるから半額になる。ただ、買うのに学校で証明書を出してもらわなきゃいけなくてめんどくさい)
500円弱だからコンビニでお茶とおにぎりぐらいしか買えなかった
日曜が通学日だけどたまに火曜にいくと知り合いかなり少ないし
全日制の人たちいるしで劣等感はんぱなかった
なお全日制は県で一番頭のいい高校 引きこもり時代のこと
中学の頃から服装は金銭的な面、母親の意向などもあって
ユニクロのスウェットとジーンズ
髪型はどうしてたんだっけかなあ覚えてない
体重は最初は53キロぐらいだったのが
最終的には70キロぐらいにまであがった
2ちゃんのオフ会とかにも行ったな
多人数で餃子食ったりオムライスで有名な店行ったりスナック行ったり
(参加者にスナックのオーナーがいて開店前に)
帰りの電車で参加者の前で泣いてしまったのが懐かしい
サシオフってのも行ったなあ、隣の県の人と遊んだ
東京行ったあとも数回会ったし。毎回小遣い貰ってた
別の人と池袋事件もあった
でも手当たり次第そういうことをしてたわけではなくてここに書いたそれだけ
ネットどっぷりで音楽聴いたりして楽しく生きてた
将来のことは先送りにして見ないことにした理想だけは高く
日々の生活のこととかは全く覚えていない、記憶が欠落してるようだ
オムライスが好きだったこと
よくブックオフなどに行っていたこと
眼科に見切りをつけて通院しなくなったこと
じじいが介護中の事故で死んだこと
でも、そのじじいに最後に会ったのは五年前とかだったしなんの感情も生まれなかった
ずっといとこが欲しかったのだけど10歳を越えて出来たが年代も違うしそういう場でしか会わないからぜんぜん仲良くなかった
友達のようにいとこと仲良くしたかったのにそれは叶わず
父方の祖母はもともと私たちに冷たかったがいとこができたらそっちに夢中だった 16ぐらいからADHDの自覚はあった
通信簿にずっと「落ち着きがない」と書かれ続けてたし
(本人は落ち着きがないということがどんなことかよくわかってなかったが
)
多動、衝動性、注意力のなさ、ケアレスミス……当時自覚してただけでもうそんな感じで
でも田舎に専門医なんている時代ではないから母親に相談した
そしたら「私からするとそうは見えない、障害ではない。」と一蹴された
今なら親がそうでも学校側から病院に行けと言われる時代だが
当時は発達障害なんてものは知られておらず
成績も悪くない「浮きこぼれ」だったから放置されていたのだ
こうして一度目の受診のチャンスを失った
二度目の受診のチャンスは社会人になってから
やはりかなりの無能である自覚から(仕事中に寝る、不器用、ケアレスミスだらけ、遅刻が多い)
そのときの夫に相談するも「障害だからって免罪符を貰ってどうするんだ」と言った風でやはり反対にあった
そのくせに仕事を辞めることは絶対反対で
追い詰められていった 上京したあとのこと
体力はなかったがそのうちに普通についた
70キロから60キロぐらいにまで落とした
リカルデントのシトラスミントが好きで一日で何本も食べてた
バス乗り場の前の立ち食いそばがお気に入りでよく食べて帰った
大学でも少ないながら友達はいて一緒にメシ食ったり映画の試写会行ったりと遊んだ
大学を退学したら誰とも連絡をとってはいない
成人式は行かなかったが
母の知り合い経由で着物を貸してもらい写真だけ撮影することに(母の着物はあるのになぜか)
着物の持ち主は金持ちの知り合いでエアコン貰ったりしたのも覚えてる
写真撮影のことなど気にせずオレンジの髪、しかも短かったが演歌歌手のような素晴らしい写真が撮れた
この時代は引きこもり時代とは異なり
日々の記憶の断片は豊富にあるがとりとめのないことなのでこの辺にする(書くとしてもごちゃんではなくローカルにする) 補足みたいなの
小学校高学年まではこれといった趣味はなかった
強いて言えば漫画を読み絵を書く程度だったが
母親からは才能なしの判定を受けていたので隠れてコソコソとだ
運動は「馬鹿のやること」と反対されていたし、何分自由になる金もなく
(そのせいで友達と遊びに行くことでさえ制限されていた)
歌を歌えば音痴、楽器を弾けばリズム感がないと言われ、自分は歌ってはいけないんだと思い込まされた
合唱でもずっと口パクをし続けた
ゆずは「コミックバンド」「キンキンするから」などとまぁ否定
他の好きなものも全否定し侮蔑し続けた
何をやっても自己表現しても叩かれ続けたので自己表現が苦手となり
夏休みの自由課題を自ら選ぶこともできず
学校の図工の作品は批評が怖くて持ち帰ったらすぐ隠した
水泳は30歳直前にようやくクロールっぽいものと背泳ぎができるようになったが
学校で習え、教えない先生が悪いと言い、スイミングスクールに通いたいと言っても学校で習えしか言わなかった
(部活と同じで直接言わないから私は板挟みになるだけ)
親に対しては攻撃的ではなかった、ひたすら体罰と暴力で子供の頃はむしろおとなしい方だったと思う
何をしても怒られるので親に逆らったりすることはなかっただけでもあるが
(親からすると反抗的だったというが、それは素直に従わなかったとみなされてただけ)
頭をグーで殴る、人目につくところではつねる、家に帰ってから何時間も説教、体罰を加える
父親も他の家族もいない家では母が絶対で母を止めるものはおらずの地獄だった 弟は母曰く「お前と違って手をかけてもらえなかったんだから可愛そうなんだ」
と、溺愛されており正直かなり気持ち悪かった
私が受けたような人格否定はあまりなく(ハゲとかはあったけど)絵を書けば褒められ
歌を歌っても否定されず、汚い字を書いても漢字練習帳に穴が空くほど書き直しさせられることもなかった
弟は幼稚園の時点で放課後に遊ぶ友達はいたし(文句は言ってたけど)
殴る蹴るを全く受けてなかったわけではないけどとにかく甘やかされていた
現におとなになっても家に金も入れずに居座っているし(家賃と水道光熱費を負担していない)
タバコや酒も私にだけあーだこーだ言うのに野放し
部屋を片付けなくても物が捨てられたこともない
誕生日プレゼントは希望のものを買ってもらったことはあまりない
幼稚園のときに買ってもらったキーボードはどう考えても子供用ではなく
母が自分の弾きたい曲を弾いた、ピアノ教室に通わせるわけでもなく、
自分が教えるわけでもなかったらねこふんじゃったしか弾けないのは当たり前でとても遊べないのは明白なのに
スヌーピーのポシェットだってそうだ、母が使っていてたまに貸してもらう程度だった
そりゃ一人(ないし友だちと出かける)なんてないんだから当然なのに
あたかも私が使わなくてもったいないから使っているんだと自己弁護していた
シルバニアもなんでも母のチョイスで選ばれて熱が冷めた、最後は母の飾り物となった
人生ゲームとかも別にほしくなかった、普通のゲームが欲しかったけど
目が悪いという謎の理由で買ってもらえなかった。弟には買い与えたのに
本当に欲しくて買ってもらえたのはスララとゲームソフトぐらいだったと思う 母は子供に自分の好きな服を買い着せ替え人形のように楽しんだ(髪型も決められており、痛いのに毎朝髪をぎゅうぎゅう縛られた)一方
当人は化粧もせずジーンズしか着ないような人間だったので
ファッションに興味をもつことはなく(胸が意味もなくでかいだの尻を振って歩くだのと)
性を否定するような母の意向に沿ってジーンズにスウェットで通した
上京してスカートをはくようになったら見苦しいだの大根足だの似合わないだのメチャクチャに言われたが
自分の金で買ったものなので文句は言わせなかった
母はいつも自分の容姿を蔑む「肌が黄色い」「顔が丸くない」「足が太い」「化粧が似合わない」などなど
モデルじゃあるまいし十分な容姿をしているのにもかかわらずだ。いわゆる自虐風自慢である
顔が薄いんだし化粧して派手になれば?とか思っても言ってはならないので静かにする
私の容姿については「二重なのにまぶたが重くて目付きが悪い」「昔は可愛かったのに」
「無駄な巨乳」「馬鹿の大足」「デブ」「丸顔・チビ(これは嫉妬か)」「尻を振って歩く」などなど
私が知っている以上、曾祖母から始まる負の連鎖である
曾祖母は私が誕生したときには他界しており、顔すらよく知らないが
兄弟の扱いに差をつけ祖母たち娘をこき使った(と祖母は語った)
祖母は自分のまつげを切ってしまったらそれ以上伸びなくなったと嘘をついていたり容姿に対してなんとなく歪んでいた
毎日のように電話をしながら、それでいて母に金銭的にも犬のことも頼る祖母
祖母に文句を言いまくるくせに縁が切れないでいる母の関係はなんだかいびつだった 虐待を受けていたと言いたいわけではないが
家族の話となるとどうしても母の話になってしまうし
甘やかさずに育てるという考えで育てたからこういう話が続いてしまう
母も姉弟で扱いがかなり異なっていた。出来の良かった母の弟は大学まで行かせてもらい、
家に引きこもってもおかしなことを言い出してもノーと言われず無自覚の差別を受けていた
それに祖父はアル中でそれまた世間に馴染めなかった(親族にすら絶縁されていた)
そして祖母も祖父も世間知らずで頼りなく人生設計などがとても適当だった
母は長女らしく振る舞わなければならず、父がいなくなってからは頼りない母親(祖母)の支えとなり
(自分も長子であるからその傾向はある)結局は世代間で同じことを繰り返しているだけなのだ
父とその家族についても語ろう
父方の祖父と祖母はどっちも読み書きすら怪しい小学校卒だった
母方の祖父は某私大、祖母は高卒だったはずなので雲泥の差がある
次男の父は高校進学の費用を自分で稼ぎながら卒業、就職してからは営業一筋
母親に対しては亭主関白(母が勝手にそうしてただけで本人に自覚はない)
結婚当初から浮気不倫は当たり前で自分は小学校中学年ぐらいに(弟含め)事実を知ってしまったので
そこからは家の中での地位がペットのハムスター以下となった
単身赴任をしていたときも(国内にもかかわらず)一年に一度も帰ってこないし
子供の世話などろくにしたこともない人間だったので思い出はあまりない
運動会に一度だけ来たが酒を飲んで昼過ぎには帰ってしまってたし
弟なんかただの一度もそういう経験はない ADHDは遺伝が多いので父のことを思い出そうにもどんな人間だったかがわからない
正直親戚のおじさんぐらいの間柄なので知ってるデータがない、顔が薄い女が好きだってことぐらいか?
単身赴任しているときに二回だけ父の赴任先を訪れたが部屋はあまりきれいではなかったし
浮気の証拠(留守番電話のテープ)を妻と子に送りつけてしまううっかりではあったが
仕事が著しくできなかったという話は聞かないのでおそらくは違うのだろう
(両親は職場結婚だったので超無能なら母は知っているはずだ)
なお、自分の顔は父に似ている(母と弟は同系統)母と離婚後半年もせずに再婚し、娘がいる。
人生無計画で何も考えておらず、その場のノリで家族に相談もせずに転職したり家を買ったり
勝手に貯金をパチンコに使いこんだり
高校生の弟の養育費を払うという約束だったが途中でストップした典型的クズ
三兄弟は全員男で次男がうちの父親、長男はそこそこ良い職業に就き住宅街の端にある
超オンボロ家(外壁波板だし家の中は歪んでるし床は今にも抜けそう)に両親と住んでいたが
三男は両親(特に母だとは思うが)の寵愛を受け、上の兄弟と違って高校の費用は出してもらったらしい
隣の町に住んでいたが、父親不在の状態の我が家であるから日頃の接点はなく家にお邪魔したこともない
自分たち姉弟は三男夫婦に子供が生まれるまでは親戚一同で唯一の子供だった
(三男夫婦の結婚式には新郎側には私達しか子供はいなかったし、祖父の葬儀のときも同様であった) 祖父は記憶がない、現役時なんの仕事をしていたのかも知らないし名前も思い出せない
写真はあるから顔だけは覚えてるだけでそれ以上何もわからない
死んだのは16歳ぐらいだったので記憶はあるべきなのに不思議である
祖母は典型的なパーマ頭のうるせえババア(当時の言葉で言えばオバタリアン)
祖母とはあまり仲が良くなかった。我が家は完全に冷遇されていた
母曰くかわいくないだの何だの言われてうんざりしてたらしい
だから小さい頃はともかく小学生ぐらいからは年に一度も顔を合わせなかった
(父親がいなかったから嫁と孫だけで訪問ってのも微妙だったし)
三男夫婦に子供が生まれたらもうその後はきっと孫としても見てくれてなかったと思う
友達はいとこやはとこがいて、親戚からたくさんお年玉をもらって
長期休みには祖父母の家に行って家族旅行や近隣にお出かけしていたが
うちはそういうのがまったくなくて羨ましかった
今考えると貧乏も理由の一つだが、父親不在で親戚づきあいもなくってのも理由だったんだなと
(我が家の世帯年収は一番高い時でも税引き前600万程度だった。
今の自分と配偶者よりは若干多いが家族もその分多いし、何より家のローンなどがとても高い) 家の状況で言えば結婚当初は月の手取りが13万とか言ってたので(家賃は含まない)
当時のボーナス水準でも年収400万には届かなかったと思われる
そこから転職だのやって年収は最高の600万に。酒もタバコもやるし
小遣いはいくらだったのか知らないけど5万円以下ってことはなかったはずだし
ゴルフやりまくってたし草野球や浮気旅行できるぐらいだから言われるがまま出してたことは想像に難くない
両親がちゃんと家計を管理していれば(父が従うとは思えないが)妻と子三人は苦しい生活をする必要はなかったのだが
最近の男性ではないのでこの異常な状態が当たり前だったのだろう
ボッタクリ住宅地の欠陥住宅(5年も経たずに雨漏り)は
3200万で2700万がローンだった(はず)当時小学生なので曖昧
バブル崩壊後(不景気って言葉が流行してた時)で今のローンではないので利息はかなりのもの
父親の収入はその後どんどん下がっていくが、単身赴任を始めて二重生活になる
両親はお互いの経済状況を知らないまま一定金額を生活費として渡していたが金額はおそらく向こうの言いなり
月の収入が30万円を切った頃には母親も働き始めたがあいかわらずカネがない状況
一日の食費は1000円で、外食はめったになく、旅行なんてものもできない生活だった だるまよりはまだマシじゃんとなるが(事実そうだ、自分の部屋は与えられてたしパソコンなんかも早いうちから家にあったし)
田舎でも全国有数の金持ち県で、周囲のみんなはカネに困っているフシがない
塾や習い事、娯楽、食事、好きなものを好きなようにやっていた
市営住宅に住む子たちもいるのだからたしかに自分と同等、それ以下の人間もいるのだが
下位に位置している自分はそこに劣等感を抱かずにはいられなかった
両親いるはずなのに母子家庭状態だし、長期休みもひたすら同じことの繰り返しで絵日記に書くこともない
花火大会には友だちと行っても予算が1000円なのでかき氷と〇〇すくいとあと一品食べたら終了
おもちゃやわたあめやお面などは予算オーバーなので諦めるつらさ
遊園地や海や映画に行きたいとは言い出せないし行くこともないそんな暮らしだった
小学生の頃はお小遣い自体がなく、お年玉2000円のみ自由なお金であとは親からもらう形式だったが
基本的にOKは出なかったから誘いはみんな断ったし買い食いも諦めた 母親の家族についてもまとめておくか
祖父は大学へ行くと上京するも地元に帰らず家を継がずで
(長男だから家を継ぐと思っていた)親族からは絶縁された
新聞社に勤め、祖母となんの縁が知らんが結婚し子供二人
その後なんの病気か知らんが倒れ仕事を辞めて入院生活に
(時系列がわからんのだが)家族に対してはアル中で暴れまくるので離婚される
その後私が生まれた直後に死んだ
遺骨は引き取り手がなく(親族は墓に入れることを拒否)祖母が引き取った
そのくらいしか知らないし存命中に会ったこともない
祖母の家はやたら兄弟が多かったらしいが(知ってる限りでも)どんどん死んでいったし結婚もしてないので血が途絶えちゃうんじゃないかな
祖母は世間知らずで家事も下手(特に料理がやばいらしい)でも自分にとってはまあまあ良い祖母だった
ほんの一時期を除いていつも遠くに住んでたから関わりは薄かったけど
犬、のちにハムスターを飼っていた
ハムスターをうちの兄弟はモロヘイヤって呼んでた
おじは頭は相当良かったがそれゆえ人生がめちゃくちゃで
進学・就職も一筋縄ではいかずいきなり変な土地を買ったり(処分できたのか?)
病院のお世話になったりと結構アレな人生を送っている
全角岩手よりはぜんぜんまともだけど普通の範疇にはない人
母親とはあまり仲が良くない(母が一方的に嫌っているのだが、それもそのはず借金は返さないし何かあると頼ってくるし)
45歳ぐらいのときに英語を話せるようになりたいと仕事を退職し
大学に行くと言っていたらしいがどうなったのだろうか 弟は幼少期から長髪にしてたり変なやつではあったが
中学三年のときに東京へ行き、中学では友達もできちゃんと通う、その後高校に進学する
母親からはアルバイトをするように言われ近所で働く
しかし学校に馴染めず授業にもついてゆけずアルバイトも両立できずで一年で退学
その後はニート暮らしをしながら進学もせずアルバイト生活
フルタイムでもなく家に金も入れずで気がついたら25歳(最後に会った時点)高認も持ってないし
ダラダラと母親と同居してるものの今後どうするつもりなのかさっぱりわからんやつ
友達は少数ながらいるみたいで孤独ではない、友達付き合いもできるが
バイトの面接に落ちる、働きはじめてもすぐ辞めちゃうし店長とかに「接客向いてない」とまで言われる
かなりの偏食で麺類ばかり食べる
幼少期から将来の夢がなく大人が助け船に(ゲームが好きだから)ゲームクリエイターとかはどう?と聞かれても
作るのは嫌だからと答える、達観してるというのではなく無気力?
割かし喋るけど誰にも心の内を明かさない
感情も出さないわけではないし読み取れないわけでもない
「北へ。」で有名なイラストレーターが好きでエウリアンみたいな複製イラストに大金をぶちこむ
こう纏めてみるとところどころ発達障害(ASD)っぽいけど
自分から見るとそうでもないようなそんな感じ 自分の性格は弟とは結構違う(発達障害が影響してるからもある)
心の内を隠そうとしても何かの拍子でしゃべりすぎるしポンポン嘘も交えちゃう
明るいと思われるがそれはADHDの多動性によるもので自分を抑えられないだけ、かといって暗いわけでもないが
道化なので失敗話とかをガンガンする、自分のことなら話題にするためいくら落としても構わない
目立ちたくないからスポットライトを避けるし普通でいたいから本当は変わり者評価も嫌で仕方がない
オタサーのなんとかはまっぴらごめん
回避性人格障害らしく人間関係は定期的にリセットかけちゃう(小学校の友達とオンゲーやってる弟とは大違い)
好意をもってくれてる相手以外とは不安にさいなまれるので仲良くしたくない
さまざまな事柄に恐怖心や抵抗を感じる、新しいことが苦手
孤立は嫌だけど人間関係が煩わしいので孤独も悪くはないと思ってたりする。孤高の精神は持てない
仕事は接客が向いているしあまり面接で落とされることもない 回避性パーソナリティ障害の診断基準(DSM-5)
(1)批判、非難、または拒絶に対する恐怖のために、重要な対人接触のある職業的活動を避ける。
(2)好かれていると確信ができなければ、人と関係をもちたがらない。
(3)恥をかかされる、または嘲笑されることを恐れるために、親密な関係の中でも遠慮を示す。
(4)社会的な状況では、批判される、または拒絶されることに心がとらわれている。
(5)不全感のために、新しい対人関係状況で抑圧が起こる。
(6)自分は社会的に不適切である、人間として長所がない、または他の人より劣っていると思っている。
(7)恥ずかしいことになるかもしれないという理由で、個人的な危険をおかすこと、または何か新しい活動にとりかかることに、異常なほど引っ込み思案である。
(以上の基準の四つ以上を満たす必要がある) 自分は全部当てはまってると思うけど、他人から見るとそうではないと言う
(元気で行動的、活動的でよくしゃべり、他人との交流も避けないし
それどころかしゃべりすぎたりして話題の中心にいたりする)と思われている
本当はぜんぜん活動的でも行動的でもなくおとなしく臆病
人と接するときには何とかしたくて道化を出してくるからそう見えちゃう
道化をセーブできればいいのだけど
できなくて嘘にしても喋りすぎにしてもついやりすぎちゃう
そんな相反する二つのものが同居してる 不安性(回避性)パーソナリティ障害の基本的特徴は、批判されたり、嘲笑されたり、恥をかいたりすることを恐れるがあまり、人との接触を過度に避けようとすることです。
その結果、職業上の機能を果たせない場合があります。例えば、責任ある役職を与えられそうになっても、同僚から批判されるかもしれないという理由で昇進を断る人がいます。
あるいは、スーツの着こなしが変だと思われないか心配で、就職の面接を断ってしまう人もいます。
基本的に内気で、静かで、常に目立たないようにしています。
自分のことを長所がなく、他人より劣っていると思っており、批判に対して赤面したり、泣き出したりすることを非常に心配しています。
自分が何かを言っても周囲に受け入れられないだろうと考え、言いたいことを我慢したり、親しくなりたい気持ちを抑えたりします。
周囲からは、内気で臆病で、孤独で、孤立した人だと思われがちです。
回避性パーソナリティ障害のある人は、本心では社交的な活動に参加したいと望んでいるのに、それができません。
誰かが少しでも批判的なことを言ったり、拒絶と受け取れる反応をしたりすると、過度に深刻にとらえ、とても傷ついた気持ちになります。
好かれていることや、批判されないことが確証されない限り新しい友人を作ろうとせず、繰り返し支持され、世話をされなくては集団活動には加わりません。
しかし、批判なしで受け入れられるという保証があれば、親密な関係をもつことも可能です。 DSM-5における注意欠如・多動性障害(ADHD:Attention Deficit Hyperactivity Disorder)の診断基準
A1:以下の不注意症状が6つ(17歳以上では5つ)以上あり、6ヶ月以上にわたって持続している。
a.細やかな注意ができず、ケアレスミスをしやすい。
b.注意を持続することが困難。
c.上の空や注意散漫で、話をきちんと聞けないように見える。
d.指示に従えず、宿題などの課題が果たせない。
e.課題や活動を整理することができない。
f.精神的努力の持続が必要な課題を嫌う。
g.課題や活動に必要なものを忘れがちである。
h.外部からの刺激で注意散漫となりやすい。
i.日々の活動を忘れがちである。
A2:以下の多動性/衝動性の症状が6つ(17歳以上では5つ)以上あり、6ヶ月以上にわたって持続している。
a.着席中に、手足をもじもじしたり、そわそわした動きをする。
b.着席が期待されている場面で離席する。
c.不適切な状況で走り回ったりよじ登ったりする。
d.静かに遊んだり余暇を過ごすことができない。
e.衝動に駆られて突き動かされるような感じがして、じっとしていることができない。
f.しゃべりすぎる。
g.質問が終わる前にうっかり答え始める。
h.順番待ちが苦手である。
i.他の人の邪魔をしたり、割り込んだりする。
B:不注意、多動性/衝動性の症状のいくつかは12歳までに存在していた。
C:不注意、多動性/衝動性の症状のいくつかは2つ以上の環境(家庭・学校・職場・社交場面など)で存在している。
D:症状が社会・学業・職業機能を損ねている明らかな証拠がある。
E:統合失調症や他の精神障害の経過で生じたのではなく、それらで説明することもできない 仲間が欲しいのに誰もいない「ひとり」が、「孤立」。
「ひとり」でいるのが寂しい「ひとり」が、「孤独」。
誇りのある「ひとり」が、「孤高」。
おまえは、
まだ自分の「ひとり」が
三つのうちどれに当てはまるのか、
わからないでいる。 上のは「疾走」からの引用。ラストにほんの少しだけ望はあれど、主人公は最後まで何一つ報われることもなく
どうにも救いのないこの話は得意ではないし読み返しもあまりしてない
重松清は「エイジ」からはまって初期から疾走までの大半とみぞれ、とんび、十字架を読んだ
この人の作品はあからさまなデウスエクスマキナ、超展開なんかがあってハッピーエンドとはいかず
なんだかんだフィクションだしその中の現実はリアルじゃない所も多々あるけれど
主人公達がそれと向き合いある程度の着地点に降り立つのが殆どで、そこが好きで読んでいた
だから疾走は描写があまりにもだしキャラや展開がテンプレすぎるとかいつも以上に色々粗が目立つ
それでも凄い作品ではあるのだけど
どうにもまたページをめくる元気はでない
そんな作品
(twitterにあったけど、「せめて漫画やゲームの中でくらい救いがあってほしいって願ってしまう」って感覚
だからゴールデンカムイも疾走のようなラストにはしてほしくない) 小説やドラマが基本的に嫌いなのはリアリティがなくて粗が目立つからなんだろうなあ
下町の工場がどうのこうのとかの作品も現実はボブスレー風の謎の物体になっちゃう訳でさ
気持ちよくなるためにはあり得ないものを描きますってのは気になってしかたがない
架空の外国人に日本を褒めさせたりとかもそうだな「日本にしかないスバラシイ!」って書かれてるものがその国でも当たり前だったり
(スッキリなんとかって番組が最たるもので気持ちよくなるために架空の話や登場人物を作ってるのがミエミエで白けるどころではない) それすら気にならない、もしくはリアリティを追求してる作品は凄いと思うし好き
ちなみに外国人の声を捏造しなくても日本にはいいところも糞なところもある
のに日本人は相変わらず「富士!桜!アニメ!寿司!」ばかり
例を出すと一蘭、日本人は海外に向けて豚骨ラーメンを奨めてたか?ってこと
彼らは自分達で良いものを見つけて共有できてる、よっぽど日本人の方が考えが硬直している
自分は旅行に行くときはバスツアーとか添乗員つきなんてもっての外で自分のいきたい所へ行く
ご飯もあからさまな観光客向けのところでは食べないようにしてる
地場の牛乳や醤油など目当てに現地のスーパーに行くけど
そこには観光客向けの土産屋にない、でもとても良い地域の商品があったりするけど別にプッシュもされてない
そういうところがズレているなといつも思う
でも日本人は添乗員つきの旅行で決められた場所を見て、土産物屋では他所で生産されたお土産を買い、地元民が愛する味でない物を食べって脳死してるから
押しつけ型が大好きなんだろうなあと
呆れる 昨日のニュース9でやっていた災害と観光を見て
災害時に日本人は声をかけるか?他人に干渉しない文化ではないか?
もちろん日本人が全員そうという訳ではない、英語やその他の言語が苦手だから
自分もそれどころではないから、などさまざまな事情もあるが
本当に分け隔てなく接せているのだろうか
(日本人と比較すれば避難生活や帰宅までの道のりも困難を極めるんだから)
うちの国はすぐIT技術に頼ろうとするのも悪い癖だ
(謎の機械で観光地を案内とか何ヵ国語もの音声ガイドとか、それ自体は素晴らしいが
他者に関わろうとしない性質がそこにはないだろうか?)
土産物屋のおばさんのようになれとは言わないが
(彼女たちは金のためであるが、そこら辺は貪欲だ)
話しかけられたら拒否したり逃げたりせずなるべく応じるようなそんな姿勢は必要だと思う
後半はまだ関空が元に戻ってないのだから「欠航してて行けない」「他の経路では目的を果たせない」からキャンセルが相次いだという内容
復旧するまで一時的に観光客が減るのは当たり前の話なのに
なぜ「大阪では観光客離れが起きている」ようにテレビでやったのだろうか
確かに観光で収入を得るのなら客の減少は死活問題であるが、そういう波は(災害に関わらず)あるものだし
キャンセルは相次いでいるが、また機会があったら来てください、その時までには復旧しますで良いと思う話 技術で災害自体を減らせるならともかく
自然の脅威は予測もできないしどうにもならん
それで観光客が増えたり減ったりするのは対処のしようもない
当然の結果なのだから受け入れるしかないし
それよりも前半のように(災害に遭遇した外国人達を映していた)実際に起こってしまったときの対応を考えるべきなのだ ↑こういうことを常に頭では考えているけど他人に披露はできない
自分に自信がなさすぎて意見とか感想を言えないお願いすることもできない
もちろん、なにか食べたときの「この刺身うめえ」とか「(エレベーターで)五階押してください」程度なら言える
表面上は取り繕ってるけど基本的には相手の出方を見る、共感したり相手のペースにさせて切り抜ける
繰り返したり言い換えたりしてごまかす、相手に決断を委ねる、そんな感じ
責任を負いたくないのはもちろん、否定されること
相手が不快になるかもしれないこと、バカが露呈するかもしれないことが怖い
率直な意見を言えと言われても畏縮してしまうし
作文や面接は得意だけど(そういった意味では)苦手
ただ、相手が求めているであろう正解はわかるからそれを話したり書いたりするだけ
(想定問答とかやらんでもパッと答えられるし)
だから、会議が辛かったなあ
そこで「言うべき答え」がわからなくてお茶を濁してばかりだと苦言をていされる 5ちゃん歴はかなり長い方でたどり着いたその日からずっとニュー速民だけど(今は嫌儲民)
(それにしてもいまだにネオ麦後は新参なのだろうか。それなら新参)
ほぼ名無しだし歴の割にはレス数文章量ともに書きこんでないと思う
mateで書きこみしたらいったんスレのログを消しちゃうぐらいで
(巡回するとレスがついた通知がくるのが怖い)もちろんレスバなんてしないし
尖ったことも書かないし
他人に対してレスするときは何かを教えてあげるときばかり
最近嫌儲で豆腐メンタルなことを話したら
「少し煽られただけで死にそうでかわいい」とか言われたけど実際そう
だから絡まれるようなことは書かない
単文の下らないことだけ書いてればまずトラブルにはならないし、トラブルは避けまくる
と消極的で匿名なのに遠慮して
現実でも同じ対応してるんだけど 現実で厄介な人ってこっちが拒否せず相手をするとグイグイやってくるんだよね
やさしくするとつけあがったり依存されたりもうめちゃくちゃ疲れるし困り果てる
(ここで言う「やさしい」は真にやさしい訳ではない、別に彼らに情はなく、本当は関わりたくもないし場合によってはタヒんでほしいが
ただなんともできないからやさしいふりをしているだけ)
かといってその人たちを逆上させずに拒否したりそもそも近づかないようにしたりができなくて
最終的にはこっちだけが疲弊して傷ついて
彼らのいるコミュニティから逃げる羽目にあう 思い起こせば未成年の頃から病んでる人に取りつかれてたし
街中でも突然話しかけられ追いかけ回されたりして怖くなったり
そこまで濃厚なかかわり合いにならずともなぜか気に入られることが多数だった
(いったいどこを見て彼らはやって来るのか知らんが……)
とにかくこっちは何もしてないのにトラブルはやたら多いし
変な人がやってくる「不幸引き寄せ体質」である
引き寄せ体質と書くとなんかオカルトな、病気の人(集団すとかー、とか)の妄想な感じがするがそれとは違う
大人しそうに見えるから?人が良さそうに見えるから?
初動を間違えてやさしくするから?
とにかくエンカウント率もそこから寄生される率も高すぎる人生なのだ
うまく生きる術を知りたい 最近は外出も他人との関わりも最小限にしてるのでそういう事例はあまりないが
昔は真剣に悩むほどだった そろそろイベント日なのでそこで会う方にLINEしないといけない
明日の夜だとギリギリすぎるし……
(と言っても別に何かを約束してるわけではないが……)
別にその人とは何年も前から知り合いだし変な人でもないから緊張する必要はないんだけど
どうにもスタンプですら送れなくて怖い
もう三十代の人間とは思えない悩みである
引きこもりって割かしネットとかメールLINEなんかは活発で濃厚な人が多いから
私のような何もかもってのはちょっと特殊なのかもしれない
リアルの付き合いがないとほんとうに孤立できるのになと思う
家族以外にLINE交換してる人は三人しかいないし
そのうち二人はもう連絡とってない
連絡帳もほとんどからっぽ
それでも一件もなくなることがなくて
苦しんでる 疾走の中ではひととひととの繋がりというものが何度も出てくる
架空の人物ではあるが孤独になり転落していく主人公はもちろん
孤独のまま強がって生きるエリもどこかで繋がりを求めている
(エリは三つのうちどれなのかについては私はそう解釈してる)
自分も孤立を望みながらも心の内はそうなのだろうかと考える
(自ら一人を望んでいたとしても、その状態は社会からはじかれていることに違いはないので孤立と私は考える。真に作中で言われる孤高の人なんていないんじゃないかな)
昔東京にいたころ、最初の一年は私を知っている(認識してる)人ってのはそれこそ職場の人たちだけで
その人たちとも仕事上だけの付き合いで、ひとりだった
ひとりで本当にただの一度も寂しくなかったのか?と言われたら肯定はできないけれど
その後のように人との繋がりができてしまった時よりとても楽だったし居心地が良かったのは事実である
誰も私を知らない世界にいられたのだから
例え話になるが、都会はすき間が多くて孤独な人たちを受け入れ、カモフラージュさせることができる
田舎は密度が低くすき間がなくて開けた空間だからよく見えるし隠れられない
疾走での街の描写にもそういう空気を感じた たくさんの人に紛れればひとりぼっちでもその日暮らしをしていても目立たない
情報の渦で都会らしく生きようと流行を追いかけるたくさんの人の目には映らないし
それこそ衝撃的な事件を起こそうが他の情報とともに目まぐるしく過ぎ去って誰も覚えていない
だから社会からあぶれた人間は都会が居心地がよい
私たち孤立してる人間の大多数は自らカブキモノになろうとしてた訳ではない
カブキモノになりたい人はどこかに承認欲求があると私は考える
前述のように社会は私たちを受け入れてくれないから孤立するとも
たくさんの人に囲まれ満たされた生活を送り、何の不満もないのにわざわざ抜け出て孤独を満喫しているわけはない
もしそういう人がいればそれは「孤独でないように見えるだけ」の孤独だから本来の形を選んだのだ
(変換しても出てこないからイエノモノみたいになっちゃった) 人間は孤独では生きられないというのも真ではないし
(社会のシステムという意味ではない、人間関係に絞った話である)
孤独になる人には何らかのきっかけがあるもので
孤独を自ら望み、社会と決別している人もいないのではないかと考える
たまに健全な社会生活を送っていたものの、ひとり山にこもった人などをテレビでやってたりもするが
テレビの取材を受けているだけでもう人恋しいのがわかるし
私のような他人との接触をなくそうとする人も
自分の望むかたちなら人間関係を構築しても良いと考えている以上
やはり完全には逃れられていない
人間関係のめんどくささと幸せを天秤にかけて傾いた方に進んでいるだけなのだろう
別に何の根拠もないけど 匿名の承認欲求モンスターなんかを見ていると
やはり自ら孤独を選択し、その状況を心から満喫している人はほとんどいないんだなとを感じてしまう
(名前を出して認めて!ほめて!はまだレベルが低い)
完全なる匿名で別に金にもならんのに
称賛やRT、フォロワー数、まとめブログの記事に載る……
そんなのが欲しくて嘘松を挟んでいく奴はモンスターだし、本当に寂しいのだなと思う
イエノモノはまさに典型例
孤独になってそれを受け入れることができない
どこかで他人とふれ合いたい、そして認めてもらいたい
それだけなら別に何かを装う必要はないはず
でも、リアルで孤独な人はネットでも(素のままでは)孤独を脱せない
だから何かしら嘘をついたり粉飾するけど
一度やってしまうと、その設定を守らなくちゃいけなくなったり
はたまた味をしめるのか何度も繰り返したりするようになってしまう
そんな姿を見てるととっても悲しく、むなしくなる
現実と向き合えよって Twitterで趣味繋がりで昔仲良くしてた連中が「安倍は独裁じゃない」とか「◯破は反日」「原発再稼働しないから」「辻◯コンクリ」とかそんなのリツイートばっかしてて
要は若いのは冷笑系、おっさんはネトウヨで(若いのは頭良いやつも多いんだけどなあ……そういう問題じゃないのか)
自分は嫌儲民だし、昔からそこまで右寄りでもなく、レイシストであったことはもちろんない
本当にネットは彼らに汚染され尽くしてるんだなあと改めて実感
自分はネットでもリアルでも政治と宗教の話題は避けているから何も言わないし
最悪ミュートしたりリストを使えばいいのかもしれないけど
アカウント作り直してスッキリさせたくもなってくる ちょこっと書いただけなのに頭の悪い奴に絡まれてつかれた
「限界に挑戦」しまくってる全年齢対象のエロが規制される前に
自主規制したほうがよくねー?と言いたかっただけなんだが
「過度なエロはどうかと思う」と発する人間はすべて敵と思っちゃうようで 相手はおれをフェミだと認識してるんだろうけど
フェミだとしたら男女同権だからゾーニングをきっちりしろという意見と
男尊女卑で公衆の場での全面的な女の露出を禁ずるイスラム教をごっちゃにする頭の悪さ
(おれもイスラム教には明るくないが、相手の認識もこんなもんだろう)
ある意味「男は全員性欲猿なので、女は誘惑しないように男のために露出すんな」ってイスラム教の世界に合ってる生き物だよなと(性欲猿だから) これだからくだらない話以外したくないんだよ……
政治の話も宗教の話もしたくない
まともに会話が成り立たない奴だらけすぎる 久々に出身県の県庁所在地に行った
今住んでるのも県庁所在地で、こちらのほうが人口は断然多いが人口密度はやや少ない
なのに夜に見た町の明かりの数、町の広がりがぜんぜん違う
ここは駅前でも暗いし人がいない
出身県に帰りたい 57 明石の尼君 ◆iIa39u97KA (アメ MMbb-RYRq) 2018/09/18(火) 15:44:39.47 ID:2Tftf1KlM
自慢話は最も浅はかな行為
小学生の頃、父親に言われたことがあります。
「人に自慢話だけはするな。そんな話は、誰が聞いたって絶対におもしろくないぞ。
おまえが巧くいった話、よかった話、得した話など、誰もおもしろがらない。
おもしろいのは、おまえが失敗した話、困った話、恥をかいた話だ。
そういうのはいっぱいあるだろう。これは財産だ。
自慢話をするにしても、それは全部笑い話にして言いなさい。そうすれば人は聞いてくれる」
(南直哉「なぜこんなに生きにくいのか」より) 今日はお出かけ日和
洗濯してシーツも洗うか悩みつつファブリーズにした
本当は朝からイベントに旦那と出かける予定があったのだけどキャンセル
(旦那が出展側と友達だけど、こちらはお客さんの立場)
なんでキャンセルなのかというと
昨日の夜出展側の人Aから明日使うものを作ってくれと意味不明な依頼が来た
(誰でもワードで五分で作れるのに、場合によっては手書きでも問題ないのに
いちいちこっちで作ってあげて、メールで送ってとか意味わかんねえ)
相手に合わせてメールアドレス聞いたりとかそんなことしてたら一時間以上経過して
追い討ちをかけるようにBから電話がかかってきて
Aに聞けば1分で終わる内容や(旦那も知らないから答えられない)
明日緊張するなあって下らなすぎる話を30分以上話し続けて
昨日の夜やりたかったこととか全部台無しにされたから 仕方ないから旦那はひとりで出掛けてったけど
会場には6年前に縁を切った知り合いがいて
何年もお互い触れないようにしてたのに突然話しかけてきたらしい
(向こうから縁を切ってきたのに困惑)
和解するつもりならいいんだけど、旦那の説明はアバウトすぎるし
現場にいたでもなくて真意がわからないからもやもやする
楽しみにしてたけどもう絶対に行きたくない
毎年恒例のイベントだけど出展側はそのままだし来年以降ももう行かない
最悪の気分だし最悪の週末だ 先週末から昨日までの日記
金曜夜出発、でかいサービスエリアで寝て、朝うるさいなあと思ったら高速バスの客がワラワラ
起きる予定の時間だったのである意味助かったのかも(真夜中だったら……)
相変わらず忙しくて目が回りそうではあったものの
目的はだいたい果たせたし、思いがけないラッキーもあって満足な結果に
欲を言えば体が三つぐらい欲しいけど仕方がない
金額とか全く考えてなかったから財布が空になるまで使ってしまい散財しすぎた(貯金がまた減ってしまう)
宿泊地へ向かおうとしたら車のエンジン警告灯が点いて
近くにあった車用品店?に行こうとしたらリニューアル工事中!
とりあえず土地勘のある方向の他の店に行き、見てもらう
故障してる箇所はあんまり重要な部分ではなく
走っても問題はないということで一安心
(パーツ交換しないとだけど)
晩飯は憧れだったロードサイド万世でハンバーグ。値段も味も満足
予定より二時間ぐらい遅くホテルに到着
あわただしくシャワーを浴びてベッドにたおれこんだ 翌朝(日曜)目が覚めたら思ったよりもいい天気
今回は食べ物目的での旅だし
天気予報が微妙だったので普通に観光しようかとも話してたんだけど予定を変更
おまけに今月末で某社が合併するとのことでさよなら某社も兼ねて(?)あちこち行った
大好きなオムライス食べて(ワンパターン)
夜は疲れたのでスーパー銭湯でご飯食べちゃったけど(今から考えると勿体ない)
最終日(月曜)住んでいたときから行きたかった道の駅で遊んでから地元へ
わざわざ来るほど食べたいものがあったのだけど
うっかり営業日を間違えていて撃沈
他に食べたいものはいくつかあったけど
同行者の好みで焼きうどんに、いつも通りにおいしい
その後山の方を抜けつつ途中自販機そば食べて、帰宅
立ち寄り先にお気に入りのプリン(スーパーで売ってる)の地元バージョンがあったので
買ってきて食べたけどラベルが違うだけで全く同じものだった 火 疲れて家で過ごす、家事はこなした
水 木曜から一泊旅行なのでダラダラしてる場合ではないのだけど
そういうときに現実逃避したくなっちゃうのが悪い癖
工作やりたくなったり、ゲームはじめたりしちゃう
木 一泊旅行、目的地に着いたら車から降ろしてもらって自由行動(五時間ぐらい)
ワンタンメンも食べられたし、無理ゲーだと思われてた目的も果たせたしでよきよき
旅館が凄まじいところにあるので駅から拾ってもらう
家族旅行とかいいつつも昔から子供達が中抜けしたり現地集合したりで
宿で飯食って寝るところだけしか家族一緒じゃないらしい
どんな家族や……と思ったが
今はきょうだいの家族が別部屋だし行き帰りも別の車、別行動で本当にバラッバラ
向こうの家族とは顔会わせてたの三時間もなかった気がする 家族旅行は一回しかなかったし
出かけることすらまともになかった家の子供だったから
素直に嬉しい反面、普通の家ならこうやって一泊旅行なんかしょっちゅうなんだろうなーと
(だからこそ自由行動しても怒られないっつーか、貴重じゃないっつーか)
きょうだいの方の家族はまだお互い打ち解けきってなくて
こっちはお互い自由すぎる物言いなので
はやくこの段階になれるといいねと思いました(小学生並みの感想)
私でもまだ遠慮することもあるのに
(時間の読みが甘いから文句言いたいけど言えなかったり)
お互い気遣ってるように見えるレベルだと相当だと思う 木曜夜、旅館がボロいし煙草くさい、大自然が豊かすぎて窓も開けられない
喘息もちなのに吸引不携帯なのでちょっと不安だったけどそこは大丈夫だった
(ただ、椅子生活に変えたり、フローリングになったからか
ここ最近は全く発作起こしてなくて、通院する必要もないのかなってレベルになってる)
きょうだい家族が泊まる部屋が旧館でさらにボロくて(ただしヤニくさくはない)
気を使ったきょうだいが私たちの部屋がマシなので交換したいと言い出したけど
向こうの家族が提示した条件は満たさないし(条件満たすために部屋変えてもらったら超ボロかったわけ)
こっちもこっちで結構ボロいし、向こうも断るにせよ受け入れるにせよ変に気を使うだろうからやめとけと説得
床はふんにゃり、ソファーはおんぼろだったけど
飯はうまかったし寝具は清潔だった めんどくさくて風呂入ってなかったので朝風呂。やはり全体的にボロいのは否めない
ただ、私が好きな宿も普通にこんな感じだからぜんぜん許せちゃうけどなあと思った(そこはとにかく料理がいい)
朝飯もまあまあだったし
帰りは別の県に寄り道(朝が遅かったのでそんなに時間はないのだけど、希望により)
毎度のことながら時間の読みが甘い……(時間の感覚がないお前が言うなって話だけど)
二時間半以上かかる行程を二時間でいけるといい放つし(休憩含めたらもっとかかる)
こちらの都合で帰宅時間厳守だったのでめちゃくちゃ急ぎ足で帰った
ウメスキーがうまかったから買ってくれば良かったなあ 昨日は疲れがたまったので家で過ごすことに(家族は出かけた)
夜にあったことのストレスから暴飲暴食
きょうはイベント行って15巻買ってあれしてこれして……と考えてたけど
昨日の夜の件があってイベントどころか
本屋に行く気も美容室も行く気なくして工作も捗らず(気が散る)で日記書き げつよーび
あさからだるい、微熱があるでつらい
いちじは37度をこえて顔が真っ赤に
めんたる的にも最悪で、安全な場所以外しばらくひとりで出かけるのは無理かなあ
日曜は件の人からちょっとしたおみやげを渡されて
私が好きなものが飾ってあったので来るのを待ってたのがわかった
和解したいんだろうなあ
でもさあ、今さらひとりでは会えないし
お互い無視しあってる状況だけは脱したいけどさあ
これだけ時間が経過してたらどう対処していいのかわからないよ
連絡しなかったらしばらく逃げられるけど
うーん 昨日の夜部外者の馬鹿な比較画像があってさ
地元民になったから妄想全開の内容に本当にアホちゃうかとおもってさ
いったんはツイッターに書いたけど発言者含めアホに絡まれたくなくて消した
○○○支持者とか脳死してるし改行前後ならともかく
今の時期は政治絡みだからなんも知らんやつが首突っ込みまくりだし
夜にそこを見るとどの時間帯にも人がすれ違うのがやっとの場所に20人以上の人が待ってる
彼らはだいたいがそこからさらに30〜40分ぐらいの場所に行く
すでに30分以上かかってるのにだ
待合室は冬でもなく、ひたすら立って待たなくてはならない
事情によりスムーズな接続ができないので所要時間は増えた
おまけに来るのは小型ときたら、座れるのは何人?って世界
そんな現実を見てきてるんだよ 番号が便利?→ここいらは誰もそれで覚えてません、東京のときはそれで覚えてる人もいたけど……
増えた→ソースは?(細かいデータは公表されてませんが)
中心部活性化、健康、環境などなど→全てが妄想なんですけど頭おかしいんですか?
妄想で話していいのなら真逆のことを主張すればいいんですか?
比較ってか褒めるのならまずよい部分(データあり)だけをピックアップすればいい話なんだけど
図にしたら鵜呑みにするキチガイがおおいんだろうな
もともとこの図を持ち出した奴も最も肝心なこの事業による「集約」を否定して自動運転とか抜かしてるレベルのキチガイだし Twitter見てるとフォロワーの頭の悪さに辟易する
自分も頭良くはないけど
ソース見ない、読めない、疑わない、考えないでRTに勤しんでる
そりゃ国信大や蛞蝓亭に騙されるわけだ
国信大のページにはあちこちに非実在であることが書かれてるし
教授のTwitterとか見たらネタなのは一発で分かるけど
見ない、読まない、考えない
飲食店の屋号にナメクジって変じゃない?と思わないのかなあ
ちなみにさ、上の例示したところ以外はというとさ
うちの近くを出たあともずっと住宅地だからどんどん客が減るんだよ
待合室もあるし、本数も多いしでそこまでの負担にはなりえない
上のやつはずっと住宅地通らないがゆえに
かなり先までみんな行くから問題なわけ
で、そのことを実際に乗ったことあるから知ってるんだよ とりあえずそういう頭が悪そうな奴はミュートしてる
不快なだけなので
でもさ、ミュートって(相手に通知されないだけの)ブロックだよね
その人が良いこと言っててもこっちは見えないのだから なんかさ、ネットって永遠に残るようなイメージだったのが嘘みたいだなあと
iswebとかその他もろもろ個人サイトも消えまくったし(ジオシティーズぐらい?)
waybackmachineも完全ではないからまあ…… デスクトップアクセサリーとか超懐かしいな
さすがにアーカイブにもなさそうだからHDDのどこかにあるといいんだけど 無事発見したけど
壁紙がjpgになってるのは前からなのかな
画質ひどすぎてもしかしたら以前はbmpだったかなと思ってしまう bmpだったー
でも新しいのはだめでjpgなんだな(なんか不思議)
古いアーカイブって無限にとっとくとすごいことになるのはわかるんだけど
まあこんなにも探すのが困難になるとは
本当にwaybackmachineがすごすぎてなあ 通院してきた
医者マジ忙しそうだったけどそこそこは話した
絡んでくる厄介な人は無視ができるようになるといい、って言われたけど
絡まれてるのに無視して逆上されたらとか思ってしまうので無理かなあ
デパスみたいので長持ちするのがほしいって言ったら(長時間効く抗不安薬ちょうだいって意味)
ジプレキサを処方された(違う)
大人の最低用量の半分なので認容性が低いことは加味されているっぽいが
それでも飲んだら倒れるように寝てしまったし
ぜんぜん不安解消してないしでリスパダールチューチューしたほうがマシ
本当はデパスがいいんだけど一応頓服となってるし
抗不安薬出すの抵抗あるみたいだから控え目にしてる 夕飯考えながら遊んでたら
固定がカレーを作るというので生放送動画を流し見
カレーは本格的?なのを作るというので気持ち悪いけど見てたら
かまってちゃんすぎて典型的ボーダーだなあと
肝心のカレーはママがトマト缶買っておいてくれなかったので完成しなかったし
他の食材とかも放置されてたからどうなることやら ここ最近腹の調子が悪い
一日一食、ドカ食いでジャンクなもの連発なことも影響してるのかな
乳酸菌飲もうかなと思う
今日は朝から自分自身が生臭くて、不快だったので昼過ぎにシャワーあびた
昨日ちゃんと風呂も入ったし服も臭くなかったのだが
月曜はたまってた用事をこなしに町へ
エンカウントしたくないからひっそりとする
田舎のアニメイトで書泉のカードを出したら困惑された
ずっとほしかったバッグを買ったが予想以上にものが入らない
荷物を小さくする必要が出てきた 今回も新商品出るらしく行く動機ができた良かった
ただ、こうやって小出しにされると交通費がマジやばい 127 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイWW 466e-iQvH) 2018/10/04(木) 09:41:34.30 ID:hj04PqEu0
伝統文化だし部族の風習なのはわかるけどさ
文化が時代の流れで廃ったり失われるのは
長い歴史のなかでは当たり前のことなんじゃないかなって思うのに
世間がそれを許さないだけで(観光だの部族保護だの)
他国の侵略による文化破壊、文明的な生活の強制は批判しないといけないけど
こういう自然的な衰退、消滅は受け入れるべきでは?って思うわ
無理に遺そうとしても部族アースに出てきた村のように歪な形で残るだけじゃないかと
130 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ 87c6-kgZC) sage 2018/10/04(木) 09:45:00.71 ID:5wGjAV+A0
>>127
これは俺もたまにそう思う
時代とともに価値観なんて変わってくんだからそれが原因で廃れる風習なんてそのまま消えるべき
人類の歴史文化が始まったのは12000年前と言われてる(最初の神殿らしき人工建築物の始まり)けど
その期間で風習なんて沢山現れては消えていったろ現代の人間に合わない風習は消えるべき ↑首長族がいなくなる?ってスレから
「伝統や生活様式その他を否定され、権力側のしきたりに従うように強制された」ならともかく
首長なんててん足と一緒で人体改造なのに無理に遺すものではない
幸い今の時代なら記録もたくさん残せるんだし
本人たちがやりたくなくなったらそれでいいじゃないかと
日本人がちょんまげ結ったり着物を着なくなったと同じ感覚でさ
やりたい人がいれば細々と続くかもってレベルでさ
観光のために廃ってしまった伝統の継承や見せるためだけの未開部族ごっこやったり
マサイ族のように電気もない、大自然での暮らしを強いられ、村や人間を襲うライオンを殺したら犯罪、なんてめちゃくちゃなことになってるのを見ると
その前に伝統がなくなってしまった地域のほうがマシじゃないのかって思ってしまう 時代によって倫理観もルールも人々の感覚もぜんぜん異なる
個人の権利がない、女や子供、その他弱い人々の権利はまったくない世界だったり
タバコを吸いながら仕事をして、書類を焦がしてもそれが普通でひどい職場だと酒もあったり
残業地獄ではないものの週休二日ではないし一方で職場旅行みたいなものもたくさんあって強制参加
結婚しない子供がいない家を建てない車がない……今では当たり前だけどちょっと前は落伍者
無能でもなんでも年功序列で給料はどんどん上がるし金利も良かったけど借金したら利息がマジやばかったし 上のは例だけどとにかく単一の物差しではかっちゃだめなんだろうなと
三角スケールみたいにいろいろな視点、立場、その他を考えないで一方向からだけで物事は語れない
上の例で言えば、そういう昭和の時代を知らずに「三丁目の夕日」をほめるなと
知識だけではない、視点を変えるのもできないといけない フェミvsミソジニーのたたかいがうざい
キチガイフェミは女の代表でもないし
ミソジニー拗らせたオタクもすべてのオタクの代表でもない
フェミ、LGBT、ポリコレ=とんでもないものって勘違いさせて
対立させて盛り上げて金稼ぎして喜ぶアフィその他に踊らされてるだけ
辻ちゃんの手のひらで踊る人たちと構図は一緒
そんなこともわからないのか 対立煽りなんてワセジョのホモがやってたように
焚き付けて燃え上がったところからネットの意見を(拾う人が恣意的に)抽出する、まとめサイトの農場なのに
(なぜ対立煽りをするのかというと、それをしないスレはつまらないし、全文自分で捏造するよりも楽に作れるから)
海外の反応だって同じ、そもそもそんな書き込み自体ないことも多いし
そんなの見たければGoogle翻訳で海外のサイト(掲示板やフォーラム)を見ればわかるのに、誰かが作ったものを見てるだけ
そして空想の韓国人を蔑んだりしてる
昔から2ちゃんやってるから、ソース主義で踊らされないこと、騙されないことに命かけてきたからかもだけど
頭悪い人って本当に救えないなあと思う さてはて日記
先週どようび あさいちの乗り物で都会へ
十時前に到着、特に高額なものは買わず。
おにぎり二個とゆでたまごをもらう。
落とし物をするもすぐに対処。
その後でっかいものと写真を撮り、イベントへいき、いちどホテルにいき、
よるはおいしいものをたべた
ホテルのロビーにむかしすんでたまちの古い写真集があって、中身を見て感動した
本当に小さかった頃の思い出がすこしよみがえった
翌日、あさはおきられず、コーヒーフレッシュがうめえうめえする。
昼になって会場入りしたら商品が最後の6つだと言われて購入
おいなりさんをもらう。
話しすぎちゃったかな、もうしわけなかったり。
あつくてもうなにがなんやらで、ぷらぷらしてはやめにきたくする。 げつよび
疲れがたまり温泉へ。身体中が痛いけど気持ちはそこそこ。
かよび
やっぱり発熱、そして土日にあった衝撃的なことでメンタルやられ。
すいよび
じぷれきさを半量にしたが一日中寝るし余計に攻撃的になってしまいもうめちゃくちゃ。捨てよう……
もくよび
イベントで買ったものであそぶ。あそぶのってひさびさだなあと。
きんよび
あまりにもまだらな色だったし、痛みもすごいので髪の毛を黒く染めた
放置時間をみじかくしたからか?そこそこ明るい色になった。あとはこれがどれだけ持つか あと、着替えたばかりなのに猫のケツ汁をぶっかけられて服を洗濯する羽目にあった
けっこう絞ったけどまだ出てくるのかなあと心配になる。 推しが武道館行ったらしぬって漫画がある
試し読みできる範囲しか知らないけど、地下アイドルの子にすべてを捧ぐ女の物語
男オタクを女の子に置き換えただけとも言われるが……
自分は主人公ほどすべてを捧げられてはいないし
遠すぎて完全に追いかけることは不可能になってるけど
(それに情報集めるの苦手だから失敗多いし)
それでもかなりの某ゆるキャラオタクであると自負している
ゆるキャラは地下アイドルよりも優しいけどきびしい(平等だし裏切らないし老化しないけど、どんなに愛してもレスポンスなんてない)
今回更新の話はアイドルが東京でイベントをやることになったのだが
地元のオタク達には直前まで知らされていなく、間に合わない状況
それでも翌日のイベントに間に合わせようと主人公は夜行バスで東京を目指す
いちいちイベントやグッズ発売だで、年間何回も片道数百キロ移動する自分の姿とダブる LINEの友達は家族以外だと数人しかいない
でも、スタンプが欲しくなったので
ポイントほしさにゲームやアプリや会員登録しまくったら
スタンプ五つ分たまった
で、問題はそのうちひとつのゲームがそこそこ面白くて(他も面白いけどゲームアプリの容量、挙動が重すぎるので消した)
操作性は悪いしゲームバランス糞なんだけどやってしまう
タイムラインに載るのが連絡してない人に見られちゃうから(こちらから友達解除するのも憚られてるだけの人)投稿しないを選んでもたまにミスるし
こういうゲームは時間泥棒だから困ったもの
ガチャでいいのを出しても作業しなきゃいけないし
楽しいけどやめといたほうがいいのかなあ メンテナンス以外ずっと触ってた
電池消費はんぱないしやめることにした
思い返せばピグライフもそうだった
回復まで時間のかかるパズルゲーならともかく(回復までの時間があるからそこまでやりっぱにはならない)
作業量の多い農園ゲーを無職に与えるのはだめだ
課金してないからではなく課金してもなんだかんだでやることがたくさんあるからはり付いてしまう
たとえイベントコンプを目指してなくても作物ができてればさわりたい
ピグライフでもさんざん学んだことだから、一日で撤退することにした
(ピグライフは一時期はまってて仕事をちょいちょい抜けて収穫と植え付けやってた。無職になってからはお察しの通りでほかのピグゲー含めて撤退)
好きなんだけどなあ、農園ゲー ぼやきとくだらない話で1000までうめるのさー
はじめてのスマホはWindowsだったけど
その後7年ぐらいAndroidつこててGoogleに魂は売り渡し済み
でも、最近の地域特化情報とか左にすわいぷするとでてくるオススメとかが
IPアドレスとか履歴から出してくれてるんだろうけど正直うざい
なにかを検索すると住んでる町の店や住んでる自治体のサイトを優先するから一般的な情報が欲しいときに迷惑だし
アフィまとめとかの糞みたいなサイトばかりおすすめしてくる
広告は切ってるから見えないけど
DDGに切り替えよっかなあと思いつつまだ使ってない DDG使ってみた
昔の検索エンジンって感じで悪くはないけど
検索精度も昔風で実用にはちょっとなあって感じ
トラッキングなどで個人に最適化された情報しか受け取れなくなる
こういうのをフィルターバブルっていうらしいが
最適化された情報以外も受け取りたい、目や耳にしたい人はどこへ行けばいいのだろう?
例えば役所の手続きについて調べたいとき、地元のが出てくるけど、知りたいのはほかの自治体のケースな場合
いちいちこちら側が忖度して検索しないといけないのか?
糞みたいなサイトを見て、同じ考えの人たちが固まって、エコーチェンバー現象のなかでどっぷりしてる人たちはそんなこと考えもしないんだろうな、幸せだな
https://www.kansou-blog.jp/entry/2018/04/07/173745
https://www.kansou-blog.jp/entry/2018/10/14/090558
関係ないけど面白かったので貼る。
この人の文章、昔のネットにありがちなわざとらしすぎる感じだからあれこれ読んでると飽きるのが難点 和塩がなくなるって話の時
http://itest.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1538371083/
スカスカおせちのまとめサイトが(当時はスレ住人がまとめサイトをつくるのが普通であった、勝手にまとめて金稼ぐアフィブログが出てきたら廃ったけど)
SEO対策なんかしてないから検索結果を10ページ見ても全然表示されない、出るのはぜんぶアフィの転載って話を見たのもそうだし
たとえば、同じ名前(愛称)の施設が、北は北海道、南は九州まで全国に存在するんだけど
ちょっと気になってこの名前って全国にどれだけあるんだろうと調べたら
頼んでもないのに住んでる県の施設ばかりを出してくる(その施設はもう存在しないので本当に不要な情報)
綴りを間違えてもokだったりするのはいいんだけど
検索結果もなんか意図的な感じがするし
お節介機能が多すぎるんだよね 今もまとめたwikiとかはあるけど
当時の2ちゃん由来サイトには過去ログ載せただけのサイトもあった
(昔はdat落ちすると今のように簡単には読めなかったので)
その手のは自分もやってたことがある
なにげなしに元配偶者のついったーを見てたら、ちょっと前にニアミスしてたらしい。
私も知らなかったし、向こうも私には気づかなかったことを願いたい。
(相互フォロー関係だけど) 好きなミュージシャンが先日のイベントで15年ずっと聴きたかった曲をやったらしい
死ぬまで生では聞けないと思ってたし
ここでやったということは
いつか聴けるかもという希望がでてきてうれしい反面
そういう曲ってたいていイベントとか小さい箱とかでしかやらないのはどうしてなのかと嫌になる
今回のイベントなんて懸賞でファンクラブイベントでもないから余計にもやもや
アリーナツアーはだいたい新アルバムを引っさげてだし
乱発したシングル曲や代表曲なんかの抜かせない曲も多いけど
最近ファンになった人、地方の人のことをあまりにも考えてなさすぎるなあと
アリーナでもそういう曲をもっとやって欲しいし
そもそも去年20周年なんだから(ホールだけでなく)そういうライブやればよかったじゃんと
あんなベストアルバムそのままやりましたライブなんてファンはもう聞きあきてるよと
それができないのならせめて映像化か音源化してほしい 10周年の時は裏ベストを出したのもあって
わりかしコアなコンサートだった
日替わりでセットリスト(とゲスト)が変わったから
一回しか行けなくて不満ではあったけど、まあ及第点
むかしの曲でよくやる曲ってのが固まりすぎてるのもいけないんだろうな
セットリストがワンパターンすぎて腐ってきてる
ファンから金まきあげたい、離れた連中に戻ってきてもらいたいなら
そういうコアなライブやりゃーいいんだよ
Kさん好きな最近きたファンもむかしの曲やったらそれなりに喜ぶよ
聞いたことない曲多いとおもうよ? たまたま手にとってパラパラ読んだ本が
誰の視点なのか
何の意味があるのか
さっぱりわからないまま
まるで深夜の環境映像のように
延々と風景の描写が続いた上
コロコロ場面が切り替わると
読む気がなくす ひさびさ
mp3の普及からはアルバムをとおしで聴くことがほとんどなくなった
(たまにアルバムを曲順で聴いてても飛ばしたりしてるし)
気に入った曲をプレイリストにぶっこむだけで
そのときどきでプレイリストは作り直されるし
カセットやMDのころのように曲順を吟味することもなくなった
KさんとIさんのグループの4枚目のアルバム(その前後)はちゃんとしたコンセプトや、まとまりがあったなと思う
充分な製作期間と、シングル曲だらけでないことがあるからかな
いまのアルバムはテンプレに沿って曲を並べてるだけで
各曲はバラバラで統一感もくそもあったもんじゃない
だから余計に聴かなくなる
こんなもん発表してるなんて恥ずかしいし
Iさんの曲とIさんの声があるからお金は払うけどさ 1650 423 y 30.1 留置
1658 426 tn 30.9 yに留置
1659 424 t 現
1661 427 i 30.7ぐらい?
1662 429 k 不明
1663 425 t 現
1664 428 o 28ぐらい?kに留置
1638 407 tn yに留置
1639 406 tn tnで倉庫利用 27.12
2412 s200k328子会社移籍 422 吉 不明 終了してもまだボディは残ってるのが多い
(部品🐔需要があるんだろうな)
一応全部捕獲はしてあるみたいだけど
不明の子が気になってしかたがない
明日にも見に行きたいけど手がかりないし遠い…… きんように通院して、土曜は町中に半日出かけて、日曜は車で近所に行っただけなのに疲労はんぱない。からだがつらい
きょうは眼科の日なのだが、どうしてこう日程を詰めてしまったのか……自分の甘さが目立つ 387:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です
(1/3) 2018/10/26(金) 20:19:10.85 Ob1eeOdW0
箱型ブランコやばかった
板のやつはマックスまでこぐと板の真ん中らへんで支点の棒がぶつかって音がなるからガッチャンって呼ばれてた
ガッチャンできたら上級生の仲間入りみたいな儀式があった
ケガ人が続出してたけどたいして問題にはならなかった
腹減っても近くに店なんか無かったから、友人と学校の裏山の森にはいってアケビとかグミの実とかをとって食ったりしてて、
よく実る木とかは仲の良い先輩から秘密に教えてもらって、それを気の合う後輩へ教えていく不文律のシステムがあった、他グループで場所の取り合いの争いがあった
いま思えば野生の山猿とさほど変わらない慣習だった 野生の山猿って表現がまさにぴったりだと思ったのでメモ
80年代生まれの自分が子供の頃は遊具だって箱ブランコもグローブジャングルも遊動円木もみんなあったし
子供らの遊びも爆竹鳴らしたり花火ぶん投げたり
屋根の上にのぼったり窓から逆さまにぶら下がったりコンクリ地面に向かってジャンプの高さを競ったり水風船爆弾にしてあちこち当てたり
とにかく他にも軽い怪我じゃすまない遊びが普通だった
そんな野生の山猿たちはいつの間にか絶滅し、今のクソガキたちはこんな遊びはしていない
ボール遊びにしても車にわざとぶつけてはいないのだ
私たちの世代は嫌いな先生の車にわざと当てていたのに
大人だってそうだ、こんな遊具を設置したのは大人だけど自己責任で誰も罪に問われることはなかった
人の命は軽く、今とは倫理観もあまりに違っていた(これについてはあとでまた書こう)
とにかく、人類が真に人類になったのはここ最近のことではないだろうか?
ポリコレやmetooがうざいと感じるのは自分達が山猿だからではないか? どうにも現代の日本人は近代社会(日本で言えば明治以降)になったら
今と同じような世界になり、それが続いていると勘違いしているように思われる
倫理観が決定的に違う
病気だったり障害があったら(戦争によるものでない限り)人間扱いはしない
貧民(市民)の命は葉っぱのようなもので山猿時代よりもさらに軽く
地方によっては長男(戸主)以外は奴隷で
女子供の権利なんかあるわけもなく
職業格差、地方格差、身分の格差も激しく
農家なんてひとたび冷害に合えば命すら危うくなる
富裕層、知識層以外は土地に縛られしきたりに縛られ、自由のない生活を送っていた
知識層(いわゆる文豪)が書き残したものは自分達の世界の話が多い
彼らはパトロンがいたり、その学歴で容易に仕事につくことができた
主に都会で暮らし、それなりに豊かな生活で創作活動ができたのだ
しかし、実際はそんな世界ばかりではないことぐらいみな知っているはずなのに チャカポコ地獄で断念したままだったドグラマグラを読了した。
感想についてはまたあとで記したい。
昨晩はニブフについて調べてたらエスペラントに飛び火して宮沢賢治を読んだ。
あのイーハトーヴォの……があるポラーレの広場、やまなし、注文の多い料理店、よだかの星、セロひきのゴーシュ、どんぐりと山猫、耕耘部の時計、ツェ、クねずみなど。
永訣の朝は教科書で見た気がするんだけど高校の時かな?今読み返すと慎重に撰ばれた言葉、しつこいまでに描写される景色。心情が伝わってくる。
童話も世界観、ストーリー自体はもちろん、擬音や多彩で独特な風景描写が気持ちいい。その反面読みにくさはあるけれど、難解というわけではない。
だいたいが再読だけど、通しで読むのがはじめてだったり、ストーリーをすっかり忘れていたり。
耕耘部の時計のしくみがいまいち理解できずにもやもやしつつ寝た。
きょうはうってかわって夢野久作。少女地獄と瓶詰地獄、キチガイ地獄と人間腸詰読了。瓶詰地獄はあの短さ、謎と矛盾をちりばめた内容が秀逸。解釈はいろいろだけど、私はもうアンサイの結論でいいような気もしてきた。
少女地獄の漫画版も見たけど、まあ、ああいう漫画じゃまともな資料とかもないからしゃーないんだろうけど
本文中と矛盾するところすらあってどうかと思った(これだけ読んだ人は微妙だなあと) 火星の女、腸詰とか米袋、童話の類のようなものは割かし素直に読めば良いので楽である。
「結局どういうことだったのかわからない。意図的にわからなくしていて、しかも、登場人物すら完全に理解しているわけではない」ほうが面白いが。
文学を読むにあたって、私は頭がよくないし、誰かと談義したこともない、学んだこともないから
やれ「主人公である一郎の表現に作者の(私生活における)焦りが反映されていて、それゆえこの描写となった。確定稿より前にはそれが色濃く残っているが、
発表するにあたり大巾に変更されたのは従兄が田舎に帰ったと聞かされて作者の心情が変わったから」とかぐだぐだやっているのはきらいだった。
今も他人のそういう文章は読むときの理解をたすける副読本として使うぐらいで、
誰かとそういう談義をしたいとは到底思えない。
ドグラマグラをはじめとする「わからない」夢野久作作品においては各々の解釈を話し合うのも良いのかもしれないと思った。
瓶詰地獄に関して言えばアンサイの「ロリコンの妄想日記」や他にも「村役場職員の自作自演」「妹は弟」「妹はおらず(もしくは亡くなって)発狂した兄の手紙」などのことである。 飼い猫の血液検査の数値が異常値をあらわした。
一週間後に再測定となり、結果は正常であったのだが
いつか別れが来ること、人間よりも寿命が短いことも理解していている。
そもそもが野良猫なので年齢の検討がつかないし(大人になってから拾ったから)
いまが元気なだけでいつまでも元気なわけではないこともわかってはいるが
心情はそうではなく、割りきれなどしない。
ペットは、たとえaiboであっても、そのいのちは私たち人間よりも短い。(例外で亀とかいるけど)
生き物を飼うということは、その別れともつきあわねばならない。
そのつらさを乗りこえられるのか、自分でも心配になる。
寿命は個体によってさまざまとはいえ、いま家にいる猫の年齢はあまり変わらない。
別れのラッシュがくるときがいまから心配になってしまった。 >>175に関連して。
宮沢賢治は、病弱であり、宗教に傾倒し、菜食主義に走り、最終的に病に臥したときに書いたものが「雨ニモマケズ」であった。
雨ニモだけを読めば、この人は清貧な生活だけをしてきており苦労人であるように思われるが
実際は理想を追求するためにそのような暮らしをしていた(実家は裕福である)
確かに理想主義(宗教的)な生き方を貫いた人間ではあったが
果たして常にこの作品のように生きていたのだろうか?
(死後、この詩とともに大政翼賛会などが「国民の心得」的に起用し「聖人」イメージをつくりあげた)
この文章を読み、清貧な暮らしをして、お国のためにと生きた人々と同じだったのだろうか?と思ってならない。 同じようなテーマでこの前考えたことだが、
人権とはなんなのかわかっていない人が多すぎる
自然人として擁する権利は何も「男女同権」とか「同姓婚の容認」「人種差別的な表現を受けない」だけではない
以下の例えは法律的に正確かはわからない。ただ、誰でもわかりやすいように書いたものである。
たとえばこの国では「正当な理由なく所有者から土地を取り上げる」ことができず、反対する住民の家がなかなか買収できないことはよくある話だ。
しかしながら最終的には「役所なら」立ち退きをさせることができるのは
所有者の権利は認められているが、一方で公共の福祉(必要性)によって制限されるからである。
役所がやっていたとしても必ずしもその土地でなければならない、必要性がないのであれば住民は立ち退く必要はない。
所有者というのは法人にしても個人にしても人であり、pepperには認められていない。
人間は生まれながらにしてたくさんの権利を持つ。 上の場合日本国憲法第29条があたるのかな?
ちなみに、同じようなものは大日本帝国憲法の時代にすらある。
人は普通に生きているだけでこうした人権の上にいるのにも関わらず、
自分が好まない、都合がよくない人権は認めたくない、なくしてほしいというのはただのワガママでしかない。
「痴漢をする権利」レベルの頭の悪さである。「痴漢をする権利」が認められる世界なら、自分が殺されたとしても
犯罪者の「人を殺す権利」のために仕方がないのだ。
微罪ならそこに被害者の権利はなく、大罪なら突然被害者の権利がでてくるなんておかしな話もないだろう。
「国益のためにならない」というのも同様である。
国が国民の権利を侵害してもよいのなら、人権などなくしたいという人間は真っ先に奴隷的扱いをされるべきなのだ。
高齢化社会に対抗すべく、弱者であろうがなんであろうが国民は国益のために休憩も報酬もなく死ぬまで働き、子供をつくるのだ。
子供が作れない身体の人間は同性愛者でなくとも用なしだ。「それはさすがにおかしい」なんて言うことは赦されない。
人権よりも国体を守ることが重要なのだから当たり前なのだ。
もちろん年金も生活保護もない。自己責任の世界であるが、義務だけは重くのしかかる。夫婦は4人以上子を成さねば非国民扱いであるし、税金を納めることができなければ非国民である。国のためになら趣味になどかまけている余裕はない。
病気になっても健康保険制度もあるわけないから自分でなんとかしなければならず、仕事を首になったら貯蓄のみでやっていかねばならない。
家族の誰かがそのような状況になれば扶養義務がつきまとう。
お金があるものだけは幸せに生きていく。 本当の人権教育をしないから、「私には関係がない」とか「虐げられてたひとは大変だなあ」とかそんな考えに陥ってしまう。
自分にも常に関係があるのに、自分には関係がないと思ってしまう。
話はかわるが、フランスのデモだって、貧困層直撃の法律が制定されそうになっていて
次の選挙まで待ってたら遅いと感じるからデモをするのである。
そこで混乱に乗じて破壊行為や略奪をすることは許されることではないが、
政治に対して行動を起こすことを「おかしい」というような体制側の人間のいうことを信じてはならない。
お上のいうことに反論せず、たとえ政治家がこちらを騙そうとも、
自分達の生活がどんどん苦しくなろうとも「支持したのだから文句は許されない」「ひいては国益のためなのだ」「痛みを伴わなければならないのだ」などと我慢し続けることは彼らのためにしかならない。
いいように飼い慣らされているだけだと気づくべきなのだ。 なんかいろいろ書きたいけど、発表されてからにしよ…… 腹違いのきょうだいがいる
わたしとはふたまわりちかく年齢も異なっている
面識もないし、こっちは戸籍でその事実を知ったのみである
父とは絶縁状態だから連絡もないし
名前を知っているので検索したら顔写真や動画があった
年齢も同じくらい、わたしの地元に住んでいて、名前もどんぴしゃ、間違いはないだろう
父の再婚相手は母に良く似た顔の女だった
半分は自分と同じきょうだいの顔は
似てるようで異なるけど
口が小さいところ、耳のかたち、雰囲気
目が違うから他人から見ても「そっくりだね」とはならないだろうが
なんとなく面影はある
どんな子なんだろう、って不思議な気持ちになる
父親とは絶縁していて顔も見たくない
母も私たち子供もずいぶんとひどい扱いを受けた
再婚相手の女性も(良くは知らないが)好感をもてるはずもない
なのに、その子供には好奇心なのか興味があって
子供には嫌な感情は何もなくて
元気に育ってほしいなって思うばかりで
なんなのかわからないでいる 母は別れた男の子供なんてなんとも思わないだろう
自分の血を分けた子供でもないし
弟はどう感じるのだろう。「あっそ」で終わるのかな
私は父とは15年近く絶縁している
母と父が離婚したときからずっとだ
母、弟とも5年ほど連絡をとっていない
離婚してから身を寄せていた実家から飛び出して以来
みんな(母と弟)元気してるのだろうか
と思うこともあるが
毒親な母からせっかく離れられたわけでと自分に言い聞かせている 離婚のはなしをしよう
初婚のときは10歳年上の人だった
性格は今の配偶者にも良く似ていて、自信家で仕事ができて、引っ張ってくれ、お腹が弱い
ただ、その人との未来はなかった
年下だからと対等に扱ってくれないこと
趣味が特殊で性癖も超特殊なこと(性生活?は破綻していた)
私のADHDも認めず、失敗に対して怒ったりなじること
仕事をやめたいという希望はつっぱねられた
休みの日の過ごし方などで私との意見が合わなかったなどなど
そういう不満があったけど、日々の暮らしは破綻しているというほどではなかった だんだんと私は一人行動が多くなり
今の配偶者(当時は友達)ともうひとりの友達と三人でメールをしていた
私が彼らの住む町へ行くときも、彼らが東京へ来るときにも一緒に会ったりと仲良くしていた
彼らが二回目に東京に来た夜にはもう気持ちは揺さぶられていたように思う
そして、秋田に二人で遊びにいったときになにかが決壊した
酒を浴びるほど飲み、あれやこれやと話しているうちに気持ちは抑えられなくなった
もちろん一線を越えるどころかなにもしてはないのだが(飲み過ぎて気を失ってた)
そのあと帰宅して配偶者に「別れたい」と切り出した
突然のこと、まさに青天の霹靂で相手も驚いただろう
しかし私はある意味素直で、そして誰に対しても嘘をついたり傷つけたくなかった
こうするしかなかったし、これでもひどい人間なのかもしれないけれど
約一ヶ月後に離婚届を提出した
その間、もちろん相手とは一線は越えなかった それから一年は実家に戻り(荷物はトランクルームに預けた。月二万弱でけっこう入る)
仕事は続けたが、行き詰まりを感じていた
前年春から仕事内容が変わり、職場で泣いたし、ミスばかりだし何がなんだかわからないしで暗闇のなかにいるようだった
こんなに毎日辞めたい辞めたいと思い続けているのは新採のころ以来だった 最終的にその職場からは逃げてしまった
年度末で退職したかったのだがそれすら待てなかった
心が半壊していて頭は動かなくなっていた
そして実家をとびだした まさかの炎上商法ってか、なりふり構ってなさすぎるというか……
解散はないと思ってたけど活動休止してくれたら良かったのにという感想です
最近流行りの「話題にさえなればなんでもいい」なやり方
ネットの力を利用するならその影響もちゃんと考えなきゃいけない
アフィなどのネットメディア発のデマも出てくる、ネタあかし後の世間の反応、そういう影響をさ
なんだか恥ずかしいなあと 弾き語りドームライブもやってるし
ドームツアーもやってるし
「弾き語りドームライブツアー」は初かもしれんけどさ
紳士服の閉店詐欺並みの「初」の安っぽさ
無料ですごい宣伝にはなるけど
一般人からのイメージは悪化するし
やり方ってのがあるでしょうと
本当にブレーンに恵まれないふたりだなあとつくづく思います
メンバー二人の意向うんぬんというより
どんどん嫌いな方向に進められて歪められてる ひさしぶりに帰って来た
冬季鬱が悪化した
なんか趣味のものをぜんぶ捨てたくなってる
引っ越して一年以上だけどいまだにリビングに段ボールが積まれたままなんだ
自室は埋まってるし
車持ってる家族に焼却場に持ってってもらいたいが
なんで捨てるの?と心配されかねないし
勝手に業者なんか呼んだらそれこそだし
なんか好きだったものがどうでもよくなってきたんだよね とある漫画家の色紙を買ったんだけど音沙汰がない
昨年9月予定なのに
いちど業者に問い合わせたけど、あまりにもテンプレ回答、期日を越えたからこちらから問い合わせたのに謝罪もない
そのうえ、自分への回答のコピペメールを全員に送る(わたしには同じメールが2通)とか適当すぎてうんざり
それからも4ヶ月近く経ってるから、また問い合わせるべきだろうけど
また同じコピペメールかなと思うともう送るのすら嫌気がさして
数万円払ったのにもかかわらず、なかったことにしたくなってきた
夏コミで本人と初対面したけど
こっちもテンパってて何も話せず感じもよくなく終わったのも拍車をかける
もう忘れて色紙のメールが来ようが放置して家にある本も処分したいぐらいだ あれこれやってる趣味のなかで
いま残したいのはふたつだけあるけど
それ以外は音楽も、漫画も、みんなやめてしまいたい
集めたものも処分したい
オタクごみの最終処分場である駿河屋に送るのすら面倒で
すでに出来上がってる段ボール2つも放置してるけど
中身を見るのがもう面倒で
そのままおいときゃいいんだけど現状置場所に困ってるから処分したい 最近「やりたいことがない」
昼間何も食べないからってのもあるけど
どこかに出かけるのが億劫だし何かしたいこともない
田舎だから街っても県庁所在地の繁華街ぐらいしかないから
同じ場所に毎週末行ってたら飽きるし
たかだか用事一件のためだけに100キロ移動するとかバカみたいだし
出かけたらいくつか用事こなしたいもの
地域情報誌読んでも「カフェ、ベーカリー」「ラーメン」「道の駅」「温泉」ばっか
カフェなんか都会の二番煎じばっかだし、引っ越してそこそこ経つからだいたい行ってるしで今さら興味をひくものなど何もない
ってか田舎者の休みの過ごし方って上の4つしかないんかと呆れる
都会は新しいものがどんどんでてくるし街がたくさんありすぎて週末に街巡りしてもしても新しいものに出逢える
買い物はネットが多いから特段欲しいものもない そもそも郊外型すぎてイオンモールばっか
ジャスコの何がいいんだか
田舎者は何をして過ごしてるんだろう
生きてて楽しいのかな
自分は平日に気になったものを見たり、食べたりしに土日に出かけてた
アウトラインだけ決めて街をぶらぶらし、新しい発見をしたり、なにかを食べたり、お買い物をして帰るのが楽しいから
去年、イベントでみなとみらいに行ったんだけど
寄り道しながら行き、帰りにも違う道を歩き、思いがけぬ買い物したりカフェに寄ったりして楽しかった
ついでに横浜にも寄って、もういない人との思い出の場所見たりしてさ
予め決めてなくてもその日の気分で動けるし、楽しいものだらけだからね
今はやる気ないから都会にいてもとじ込もってる気がするけど 育った町は今の家よりも田舎だけど
往復で県庁所在地には1500円、東京に3000円あれば行けたからさほどつらくなかった
県庁所在地も今住んでるところより栄えてるし
最近のように何もすることがないなあ、ってなったら東京行けばいいからね
日帰りでも充分遊べる時間もあったし
今は安く行こうとすれば日帰りは厳しい滞在時間だし
お金も最低往復10000円はかかり、快適にしようとしたら倍
なんでもない週末に気軽には遊びにいけない 東京が身近だったって話にこんなのがある
高校を中退してニートしてた頃、おこづかいなんてありえないぐらい定額で常にお金はなかった
そして、その日はチケットを持ってないにもかかわらず
ライブを見たかったからお台場まで行ってみた
結果としてはチケットを譲ってもらい無事に見れたのだけど
それでも行ったのは、ダメでもたいした金額でないし……ってことなんだよね
今年、チケットはないけどライブを見たいって同じようなケースがあったのに
足を伸ばさなかったのは遠いからだった
そのライブは懸賞のプレゼントなんだけど
そもそも応募すらしなかった
3ヵ所でやったんだけど、いずれも日帰りが難しいから
ダメだったときのことを考えるととても行けなかった
だってその場所はうちからだと家を朝出ても着くのは夕方近くだし
金額もひとり往復50000円(宿泊必須だからもっとかかる)
その曲を歌うって知ってたら一番近いところ(その会場が初回だった)に全力突っ込んだけど
それでも諭吉がパラパラ飛んでいくんだもん
応募する気にすらならない 机上で考えただけではあるが
仮にチケットを所持していてその場所に行くとしたら
東京からだと夜行バスがあり費用をかなり抑えることはできる
夜行二連泊すれば往復で25000円ぐらいかな?
育った町からでもそれに+3000円と、片道3時間弱足せばよい
今の家からだと東京に出る時点で+5時間、金額も諭吉一枚は加算されて
35000円……で、20時間近くかかる
東京からだと片道新幹線にできる金額
全国だいたいの場所に容易に向かうことができる東京(や大阪)に比べると
田舎は直接行けないから「一度東京に出る」ことになる
距離的には近くとも最短で行くための交通手段がないのだ
田舎ってつくづく糞みたいなところである 学歴もない、職歴もない、ないないづくしの
何者でもないアラサー(というか30代)になってみて
若い頃の万能感って本当にあったんだなと
(小説家になるか悩んでるコピペじゃないけどさ、いまから考えたらちょっと夢見すぎじゃね?ってことも現実になるって考えてた頃って誰しもあったはず)
失敗する前は己の力を過信し、失敗してからもどこかで挽回できると思いこんでた
人生ナメてたわけでもないし、後悔してるのとも違うけど
でも、さすがに総理大臣とか医者にはなれなくとも
こんなに社会的に落ちこぼれるとは思ってなかった
自分が無能って現実に直面したのは20歳ぐらいだけど
それでも最終的にはなんとかなるって謎の自信があったなと 発達障害持ちで、生まれた時代や家庭を考慮すると
今の自分はまあ相応の位置にいるんだけど
(まともな高校に進学しても数学で詰んでたし、その先自己管理能力のなさで大学をまともに卒業できるとは思えないし、無能さで仕事がうまくいくとも思えない)
結局、レベルを落としまくった高校へ進学し、大学も同じようなところへ、そもそも行かないってのもあり
就職も高望みせずとりあえず日銭を稼げるようなところへ。場合によっては障害者雇用で就職が、身の丈にあった生活というものだろうが
なまじ頭は悪くないからそう自己判断できるとは思えないし周りも勧めないだろう
発達障害ってのも見逃されてきた世代で、診断されてようが
学生時代〜社会人5年目ぐらいまでリタリン難民だから薬もなくて詰んでるし
いまからシミュレートしても、夢見たような自分にはなれてないなと
それなのに万能感があったもんだから変な夢見ちゃって……万能感マジいらんかったなあ やりたいことがないのは鬱だからなんかなあ
魅力的なこと?もあるのかないのかだけど、とにかく足が動かない
行きたいところはだいたい行きつくしたし、あわてて買うものもないし
そのうちやらなきゃいけないこともあるけど、どうにも先延ばしがちだし
古いし臭すぎるエアコン買わなきゃ、電池いれてもつきがわるいガスレンジも交換しなきゃ、ガタガタいうドアノブ取り替えなきゃ、照明も取り替え時だけどLEDにしたいって思っても
今のところエアコン以外は不便抱えつつも使えてて
だからこそ慌てもしない踏ん切りもつかない
ガスレンジとエアコンは業者にきてもらわないと交換できないのもつらい
家に知らん人が来るとか苦痛すぎるから
不便でも臭くても我慢しかねない
躁状態にならんとやれない気がするけど
躁状態にはなりたくないし困ったもの 更新通知がきた
対象者だというのだからありがたく受けよう
ここんとこは本当にマイナスすれすれぐらいの低め安定してる
きょう調子が良かったのは気候のせいだとは思うが(寒いけど少し晴れ間もあった)
外出もできて月一の通院もこなした
今冬は本当に天候に恵まれてとても快適に過ごさせてもらっている
雪なんて先日積もっただけ、それも今はもう消えるくらいでほとんど降らず
ここに来てからの冬の中で最も降ってない、毎年このくらいになったらどんなに良いことか
漸く効く薬に出あえて、みんなの言うことがわかった
人間らしさが欠けるってのは適切な表現ではない
自分の心は自分の心なんだけど
でもなんか弄くられてるような感じなんだよな いわゆるSSRIも効くとこんな感じなのかもしれないが
落ち込む事柄が届かないようにする鎧のようなものでもないし
抗不安薬みたいに、とろりほんわりまいっかー状態にさせるものでもなく
傷はつくけど治療を早めるもので、塗り薬みたいなもの
毎日薬を飲んでいれば勝手に塗られてる状態だから塗る必要がないのがちょっと違うけど
しっかり傷はつくところが下の躁とは違う
逆はというと躁が行動に出る前に(本人に感づかれることなく)やんわりと抑えてくれる
言うなればそっと気を逸らせるような感じ
人間じゃないから矛先そらしをするわけではないけど
うまくそこに至らないようにするって点では人間的なものを感じる 今あぷりで読んだんだが
杉元が応急手当てしてるシーンで
冬コミで宅配出そうとさ迷ってて島を通過したときに見たポスターの
尾杉だなんだを思い出してしまった
なんか恥ずかしい
でも再会のシーンは良かった
怪我人続出してるからどーすんの感はあるが……
ある目的のために毎回参加はしてるものの、基本的にアニメ見たり漫画読んだりするけど同人とかには興味がないので(腐ってる系はむしろ嫌)
読んでる漫画の島にたどり着くこともなかったのだけど 中学〜高校生のころに好きだった人の夢を見た、とっても久々
再会した相手は自分の親友と付き合っていた(現実では両者は面識すらないと思うけど)
背も当時はそんなでもなかったのに大きく伸びて医者を目指しているらしい(つまり設定は二十歳ぐらいか)
自分の家?に親友とその人がやってきた。畳の部屋でお茶もださずに、他愛のない会話をしていたのだけど
自分は二度とないであろう機会に、友達の恋人だというのに、玉砕覚悟で告白した
現実では断られること、嫌われること、顔をあわせることが怖くて怖くてできなかったのに
夢の中はなんでも自由で、ほんとうに自由だった
そのあと、メールだかLINEだかで連絡して
どんどん仲が近くなっていく
遠くにいるのに、今からいっても夜中だし、待っててくれないよね?と聞いても
会いたい、待ってる、なんて言われて心がはやる
同い年だけどその人柄に憧れ、尊敬した、そんな人と両思い
幸せな心のまま目が覚めた 現実は中一のときに隣同士の席から始まって
一年の頃は班とかもいっしょになったり毎日会話を交わす仲だった
でも、二年でクラスが別れて、相手のクラスとの接点も(友達がいるとか)あまりなくて疎遠になった
もちろん、その間もずっと好きだった
気持ちは変わらずにいたけれど、相手は一年の時、違う人を好きだって自分に話していたこともあって(どんな話でそんなこと言われたのか忘れたけど)
積極的にはいけそうにもなかった
相手から特別な存在、好かれている自信が欠片もなくて、時間が過ぎるほどただの友達?としてもどうとも思われてないんだろうな、自分のことなんか……って考えてしまって
三年の頃はほとんど遠くから見つめるだけになってしまっていた
高校生になったあと、友達が相手の友達からメアドを教えてくれたけど、結局メールのひとつも送らなかった
それは当時ひきこもりだったこともあるし、疎遠になってる異性にメールを送るってことは
まあ、そういうことだよね、となり
自分の気持ちを伝えるということと、その結果と、向き合わなきゃいけなくなるのも怖かった
向こうは遠くの高校に進学していたので
断られても中学のときのように日々の生活に影響はないけれど
それでも告白する勇気は出なかった 今から考えたら、さっさと告白してしまえば良かったんだとか
クラスが別れても、なんとかつながりを持とうとすればよかったなと思うけど
それでも、相手の気持ちまではどうやっても変えられないし
付き合えてもつらい別れがきたり、恋人になってはじめてわかる嫌なところもあるだろうし
告白するってのはやはりリスクが伴う
話しは変わるが、地元を母と一緒に棄てた自分は
同窓会の類は一度もお知らせは来ないしすべて行くつもりはないから
「憧れだった人」の思い出をきらきら輝くきれいな思い出のままとしてとっておける
きょうの夢に出てきたように自分の中の相手はいつまでもあの頃の憧れの人でいられる
両思いになることで得られる無上の幸せや喜びもないけれど
反面、玉砕したり、辛いこともないし、変わってしまったあの人を見たり、そういう嫌なことでアップデートされることもない
意外にそれは良いことなのかもしれないなと、年を取ったせいか思ったりもする 相手も相手で順風満帆な人生とはいってない(はず)なのもある
地元から遠く離れた企業の運営する学校に進学したから(最初そこ志望してなかったのに急に志望を変えてたし、親がそこの会社の人だったんじゃないかな)
卒業後はその会社に就職したんだろうけど
職種は各種作業員だろうから
あのあと某所にも行かされたんじゃないかなと思ったりする
専門がそっちの方面じゃなかったらいいんだけど……そうじゃなくても送り込まれてるかもしれんか
とにかく、それ絡みで結構色々あっただろうなと思う
上のレスにある友達とも縁はとうに切れてるし、地元の噂はいっさい入らないとはいえ、進学先やその会社のニュースを知ると
なんとなくその人も影響受けてるんだろなと思う
そして複雑な感情がうまれる
そういえば、その会社の出先は今住んでる県にもある
意外と近くにいたりして 今、もし32歳の自分が再会できたとして
私がアプローチをかけさえすれば相手がなびくイージーモードだとしても
15年以上会ってない相手にまた恋をすることができるのかはわからない
わからないけど可能性は低いんじゃないかなと思う
見た目ではなく人間に惚れていたといっても子供の頃の話だし
そもそも相手のことを知り尽くしたとはいえないので
知ってしまうことになるし
そんなたとえ話はともかく、やっぱりあの頃のきらきらした日々を思い出にしておくのがいいのかもと考える
もう戻らないし戻れないしいまさら駒を進めることもやり直すこともできない
自分の人生をこれから変えることができたとしても
あの頃のあの人はもうどこにもいないし
あの人と歩みだしたとしても
それがよかったのかはわからないから
と、堂々巡りの思考をくりひろげていくのだ 「生きてて良かった」「生きてて楽しい」ではなくてただ漫然と時間を潰しながら生きてるだけ
完全に鬱だけど何をする気力もないから何もしない日々が続いてる
生活に必要なことだけは何とかこなしてるけどそれだけしかしない
金がないのとも違うし時間がないのとも違う
時間つぶしにピクロスソリティア数独なんかをやってる
ソシャゲは面倒だから向いてないし
難しいゲームも苦手だからできるのはそれぐらい
心から楽しんじゃいないけど、暇なのでやってるだけ
最近はどうにもやる気が起きないので積みプラよろしく溜まる一方
そのうちやりたくなったら一気に片付けるからそれはまだいい
ずっと好きだった音楽や漫画も聴かないし見ない
音楽もあの一件から聴いてないし
漫画はがんばって集め続けてきたのになんか冷めちゃった
決断できる奴はとにかくすごい
ちょっと前の「楽しいままで終わりたい」の女子中学生とかさ
俺も楽しいままで死ねばよかったと思ってならないが
それすらできずにただ無為に過ごし、身体も頭も使わないから緩慢に自殺しているようなもんだ 放送大学を見るのは好きなんだけど勉強に打ち込めるときと身が入らないときがあるからなかなか大変だ
テレビはともかくラジオは聞くのが苦手なので音声を言語化して理解するのがとても大変だし
視覚的なアプローチがあるとらくなんだけど
さらに自分の好きな科目がそうあるわけでもないから入学する気にはなれない
放送授業は密度が低いから、せめてテキストはと思うが意外と高くて買うのを躊躇う
そういえば文科省の売店は本屋ではないけど放送大学のテキストがずらり揃ってて
買ってる人は見たことないけど職員に学生もいるんだったな 聞くのが苦手というと電話が苦手な理由もそこで
耳にノイズキャンセラーがついてないからまず音が聞き取れない
そしてその音を日本語として解釈するのも大変だし
すぐ忘れちゃうのでさっき言われたことをメモしてる最中で忘れてしまう
さらに顔が見えないと不安でしかたがない
そんなこんなで電話は大の苦手だったが
とらないわけにいかないので仕事の時は苦痛に耐えていた
音楽もなかなか歌詞やメロディを覚えない
一年前に出たアルバムの曲の歌詞も覚えてないし
メロディはなんとか覚えてるからそらで歌うことはできるけど
どんな歌詞か(内容だな)はよくわかってない
それこそ見知らぬ言語みたいな感じのまま
歌詞カードを見て、たくさん聴いてってやらないとダメなんだけど
冷めてるからそんなこともやらないまま 嫌儲によくスレ立ててる団地発達君がいるけど
彼は自分の境遇を変えたいと思いながらも
ポンコツで仕事は受からない、続かない、スキルはないの三重苦
しかも行動の方向がちょっと間違ってるからなかなかうまくいかない
なんも知らん外野に適当なこと言われて惑わされてるし
彼と同じ種族の私もまあポンコツなんだけどさ
それでもまだ恵まれてる方なので
発達って本当に生きるのが大変だなあとハードモードな彼に同情しつつ
時折スレでアドバイスしてあげてるのだった 最近、夢を良く見る
好きな歌手に近づきたいって夢は昔からよく見るが今回のは悲惨だった
現状に至らないようにしたいって気持ちで動いてた
明後日の方向であろうと一応努力している相方と、才能だけで生きてきた本人と
人生やり直して、強くてニューゲームってなろう系になったとき、それを選んでまで彼らの現状を避けたかったんだなと
ほかにもいろいろ叶えたいことはあるはずだし
生まれる年代もその内容によってはかわるのに
自分の趣味よりもそっちをとるぐらい(ひいては自分の楽しみとはいえ)
今はつらいこと、残念なことなんだろうなと ナンバガ再結成ってのを見てさ
ふと、バンドの解散から再結成のニュースを知ったファンの気持ちを考えた
再結成するなら解散しないでほしかった、とどこか考えてないかなと
下手に大ヒットして、向かう方向もスピードも違ったまま、練習もせず走り続けているのがあのおっさん2人で
自分はそれに失望して冷めた目線になってしまってるけど
くるりのように大ヒットせず、伝説にもならず、形を変えながらのらりくらりやるのが一番でも
それって実はものすごく難しいことなんだなと思う
ヒットすればそれに縛られ、人数が増えればそれだけ意見の衝突も当たり前になるし
単品でも活動休止を挟んだりするし
林檎みたいになっちゃうこともあるし
解散もせず、コンスタントに作品を出し、マンネリでもなく、成長もみられる、でもらしさは失わない
そんな上質なものを知ってしまったせいで
高望みしすぎなのかもしれんな、とふと思った
ここでの「上質なもの」はひとつのバンドでもないから、具体名は出さないけどさ 昔好きだったバンドなんてメンバーは今どうなってるのかわからんし
もうライブが行われることも、曲が出てくることもない
メンバーも入れ替わりまくったから、たとえ再結成しても好きだった頃には戻らないだろう
そのかわり、自分のなかではきれいな思い出にはなってるんだけどさ
(ナンバガもそういう意味では伝説だったよね)
そう考えると平成さわやかフォークデュオも
歌ってるだけありがたいと考えるしかないのかもしれない
たまに歌ってもらえる過去の曲を楽しみに、つらくても今を受け入れるしかないのかもしれない
悲しいけど ミスチルの桜井以外のメンバーってよくネタにされてるけど(影が薄すぎて)
確かに他のバンドからいっても不思議なくらい他メンバーの名前は見ない
ファンは桜井教信者しか見たことないし
結局彼らは独立なんて無理だから桜井の才能にただしがみつくしかないんだろうなってのは感じる
右側のあの人はそんなことないんだけどなあ
世間にはチャゲアスのチャゲ扱いされてるけど
飛鳥の実力が飛び抜けているあの二人に対して、目立たないほうの右側は左側より実力者だし
本人の望むぐらいの稼ぎならおばさんになり果てたファンが出してあげられるのに
本人ヤル気なしだからしゃーないんだけど、左側にくっついてるのがとにかく勿体ない 左側が嫌いなまま20年近くファンやってるけど
いくら右側があんなんでも、ミスチルの桜井以外みたいにするのはおかしいだろと
シングルA面が無理なのはわかる、代表作も左側の曲ばかりなのは認める
でも、ライブまであんな割合にするのはどうなのと
ライブ見に来てるのはファンなんだからワンマンショーすなやって
6:4ぐらいならいいのに、今は8:2かそれ以下やん
これは原因は左右どっちにもあるんだけどさ
アルバム引っ提げてるのなら数少ない右側の曲をカットするなと
左側のアホみたいなふざけてる曲はいらねーよと
総決算的なライブの時は路上曲ばっかなのもやめろよと
普通に過去のアルバム曲もやれよと jim体制になってからはじめて規制された
タラコ時代はdion軍だったし閲覧専用だったことも多かったけど
モバイル回線は生きているけど固定が書き込めなくなった
規制食らいそうなワードなんて知らんし 二年間薬やめてがんばってみたら?って言われた
人付き合いが徹底的にダメで、実の両親とは絶縁、家計は一馬力
原因はしらんけど結婚五年でなお不妊である
向こうは人付き合いも普通、実母のサポートありで夫ごと里帰り出産、共働き
不妊ではなく結婚一年半で子持ち
年齢は同じでもあまりにも違いすぎる
かわいさだけで突き進んだらあとが大変になる
相手は私の細かい事情を知らないから、そう言ったのもわかる
だから傷ついてはないけど
ちょっとだけこうやって吐き出したくもなる 金があっても子供は作らない、後悔してないと言った山口さんとは違って
金さえあれば今頃は子持ちだったよ
だけど、不器用で、働きながらは子育てできない、金もない、親はしっかりしてないんだ
一馬力死守で子育てしたら、自分の子供の頃のように辛い思いをさせるだけだ
だから、複雑でそしてちょっとだけ悲しい 遡ること15年とちょい前、家にADSLが導入されたのをきっかけに生まれたばかりの掲示板にいた
常時接続を活かしやれMeたんだねないこだ陛下だ磨呂だ雪さんだとテンプレネタで遊んでいた
その後ニート卒業で一緒に卒業
クサの話でちょいと見に行ったが雰囲気もつくりも違ってた
何よりどうでもいい隣国の話(板違いだし)が盛り上がってて2とクサの次ぐらいの勢いだった
そういやけんもであそこは巣だって言ってたっけと故郷の変貌ぶりを遠巻きに眺めて帰った 騒動やだんまりの人のこと、製作環境についてはわからんが
視聴者目線での出来に関しては歴然の差が出ててなぜわざと当てたのか不思議になる
どっちも2Dと比べたら作画は微妙、なるべくカロリーを抑えようと派手なアクションは避けているものの
見た目だけかわいく(?)しただけ、棒立ちばかりの向こうに対し
なるべく棒立ちにさせずひとつひとつモデルを動かして丁寧に作ってる、細かい動きがうまい
モデル自体も進化し寄り目なんかもずいぶんましになった
話に関しても設定をきちんと練り、そこから登場人物の言動を設定し破綻の少ない一本筋のストーリーを構成してる
その分序盤は変わらぬ画面にわからない設定、ウザいキャラと引き込むには弱かったかな
壁も最初は越えたのがわからなかったし 一方あちらはとっ散らかってて最終回前なのに主題すらわからない
あれこれ考察要素(笑)はてんこ盛りだけどそのひとつひとつもちゃんと消化できてない
無駄な棒立ち会話はたくさんあるのにふれあいみたいなものはなにもなくドナドナの荷台にしてもフレンズは三人が来る前後で何も変わってない
最初はトラブルやギスギスでも、解決して絵を描いたり渡すときにでもお互い気持ちのよい会話をさせたりしてスケブ一行へ恩を感じさせるような工夫もない
だから、スケブ一行のためでもワカメのためでもなく(集合絵のことを知らないんだから)単純にセルリアンが出て文句でも言いに行ったのかな?と思わせる
んで、スケブはというと今までさんざん畜生扱いしてたのに、とってつけたかのような「みんなを好きだから」とか「ありがとう」からの無力なのに単独行動
スケブが見かけ通りの年齢の(性格最悪な)ヒトだとしても、もうちょっと学習するわってレベル ストーリーは王道で、展開は予想されてなくても結末は想定してた感じで
さいしょのひとからの悲願は叶ったし、凜はきちんとすきを見つけられたし
まさかアビスの水もどきではないだろうからすぐ全滅にもならなさそう
演出面だと画面をくまなく見たり見返すこと前提過ぎて重要なことですらわかりにくい
一度しか見ない、事前情報を知らない客に対してももう少し配慮されてるとより良いかな
課題はアクションかなあ、2のキングクリムゾンとまではいかないでも道中も戦闘シーンはなるべく減らされてたし
ラストバトルは凜の声しかない部分もあって間に合ってない感がすごい伝わってた
戦闘省略でも結果シーンの手前にOPで見せているようなキャラの(技を決めてる)動きなんかを入れるだけで格段に良くなるけど、その余裕すらなかったんだろう
それにしても出番少ない末妹が一番好きだよもうちょっと活躍させてよ 趣味でつくったものをTwitterにあげたら知らん人から売ってくれと言われて困惑
売るつもりもないし、そもそもそんなにたくさん作れないし、捨てアカとか悪い人ではなさそうだけどまったく知らない人だしでやわらかくお断り。
相手は日本語学習中みたいだし、ふだんのツイートは英語。
わたしの英語力は超低いので、まずは簡単な日本語にしてgoogle翻訳で英語に翻訳して
相手がgoogle翻訳で読んでも大意が変わらないことを確認してから日本語で返信。
日本語で話しかけられた場合は日本語で返すことにしている。 そういえば非売品を欲しがってる人もいたなあ。
こっちも相当投資してるし、手放したらもう手に入らないのわかってるから渡せなかったけど
そういう人からのリプライはちょい怖い。でも、かといって鍵かけはしたくない。
コメント禁止とかできないもんなあ、難しい…… 銭湯絵師とやらの騒動見ててさ
サブカル界の有力者が見た目がいいだけで実力もない若い女用意して、それなりに実績もあった弟子を追い出して
有力者の力でメディアに取り上げられてあれこれ絵師の肩書でやるも絵関係ない仕事ばかりなのがあからさま
本人は実力もやる気もないから絵を依頼されたらパクリを繰り返して、最終的にはそいつら全体で業界全体のイメージを破壊して
真面目にやってた人のイメージまで落とす、いい迷惑だよねと
でもこんなんたくさんあるんだろうな 銭湯ほど大きな話でもないし、そこまでの被害ではないけど、私の趣味界に似たような属性の人が後発でやってきて
奴は有力者や友の会に取り入って、マツコの番組にも出たけれど(視界にも入れたくないから私は見てない)
わたしは誰に媚びることもなくみんなと距離をおいてのんびりやってたので(有力者とも険悪でもないし仲良しでもない中立)
見かけはしても一度もあいさつなんかしたことないし、こっちから話しかけることなんかあるはずもなく
twitterも黙ってフォローされたので仕方なくリフォローしただけの関係(中立を保ちたかったし、いきなりブロックとかしたら私の悪評が立つし)
私はもともと目立つことが嫌いだから知る人ぞ知る存在だった
だから、奴が出てきてからは何回か後発、劣化コピー扱いされたし、趣味仲間のなかで話題に上ることもあった
不満はあれど目立ちたくないし張り合いたくもないから言及もしないしなるべく無視するぐらいしかできなかった
それでも奴がまじめにやってるなら後発扱いされてもしゃーないなと思っていたのだが 奴は中の人になろうと、大手の入社試験を受けて合格したのに配属が気にいらないから?辞退していたりと人間的にどうかと思うような話を聞いたり
(入社試験は定員割れしてるわけではないので、他の受験者からも会社からもただただ迷惑)
離婚したばかりの時、奴はその会社で働く私の元配偶者に取り入ろうと連絡先を聞いてきた
私とのことをろくに知らなくても、明らかに立場を利用しようとしてるのは明白で浅ましい
ちなみに元配偶者と会話したときには「別の趣味に忙しい」とのたまったそうだ
「○○趣味の代表面」しながら、ヲタサーのなんとか状態で好きに振る舞う姿を見せられて
こんな奴のせいで私は知らない人から変なこと言われたりしたのかと
私はそれよりも前からコツコツやってきて、いまだに中立を保ちながら楽しんでるのに
相手は写真一つ出さない、語ったりもしない、何してるのかもわからない
私はブログやってたし、あれこれ発信してたけど
なのに良く知られてるから私は偽物扱いされ、目立ったもん勝ちなんだなと そんなこんなで5年ぐらいたち、私が遠くに行ったこともあって奴の話もぜんぜん聞かなくなり
いまだに私はなるべく目立たぬように趣味を続けている
まともに会話すらしたことのないTwitterはそのままにしてたけど
もういいだろ、と昨年ようやくブロックした
奴が出てきたときからいい気はするはずもなく、見かけても離れるようにし、Twitterでも絡まずファボもつけずなるべく関わらないようにし続けてたから
奴のことはろくに知らないままだし、思考もわからない
だから、本当はとても良い奴で、様々な行動も理由あってのことかもしれないが
そんなのは私の知ったことではないし一方的に糞扱いします 銭湯の話に戻るけど、そういう作られた、作った存在ってのはプロにしても趣味にしてもたくさんあって
「美しすぎる○○」とかマツコの番組に出てるマニアとかな
そういう連中が過激なことしたり、わざと気持ち悪い言動したり、やらかしたりすると
目立たずやってる大多数の人たちが同じに思われて被害を被る仕組みはなんともならないんだけど
選定するときにインパクトだったり関係ない部分だったりを重視しすぎなんだよね
○○アイドルみたいなもんで本業ではダメだからキャラつけて売ろうと木○○子みたいなのがうまれる
部屋にあるものは借り物の演出、対象を「彼氏」呼びで気持ち悪い言動、嘘なのか盛ってるのかわからん話に、知ったかばかり… 子供の頃から家事をやらされてたことを嫌儲に書いたら
いい親だねとレスがついた
母親が働き始めたのが小学5年のときだったと思う
一日五時間程度のパートだったがそれでも家事が疎かになり
(自分はその後フルタイムで通勤時間往復二時間以上、そのうえ家事全部担当したが)
土日や長期休みの家事担当となった
大したことないものばかりだったけど普段の晩飯や土曜日の弁当まで作ってた
親が「この子が将来困らないように」と意図してやったものではない(親はADHDであることを認めてないし、弟はやったことないし)
感謝とはまた違うけど、結果的には助かっているが
当時はADHDなんて言葉は田舎にない時代だったのでただの偶然の産物 毎日の風呂洗いとゴミ出しはずっとやってないけど
(思えば8年ぐらい前に住んでた家ではゴミをどこに捨ててたのかもわからない、多分ダストシュート跡だと思うが)
他は風呂のカビ取り含めすべて担当しつづけている
疲れやすく不器用でいくつものタスクをこなせない自分にとっては現状が丁度いいぐらいだけど
他の人の一日の活動量、特に働いていたときの同僚のマルチタスクっぷりからするとあまりにも貧弱なのだろう
あの人たちは一日が48時間ぐらいあるように思えた
特に先輩は、仕事もこなし、子供(複数)を抱えて、家事も手を抜かず昇進も諦めず、民間の配偶者だしでなんかすげーなと思ってた
先輩も家は近くなくて、一時間ぐらい帰る時間が違うだけだし、親がいるわけでもない
帰宅して子供の面倒みながら家事をこなして仕事もきっちりと人間味がなかった
子育てを抜いてもすべてが崩壊している自分とは大違いで絶望していた 仕事をやめたかった理由は知力も大きいけど(算数できないのに事務仕事なんて無謀の極み)
体力の限界が一番大きかったなあ
寝ても寝ても寝たりなくて昼間は毎日うとうとしてた
当時コンサータがあったらあそこまでの糞職員にはならなかったと思うけど
成人への処方が始まったのは仕事をやめた直後で
ちょうど就職して辞めるまでの間はリタリンもない状態だったから
必然というかもうどうにもならなかった
子供の頃はADHDとは診断されず
成長して「自分はこれじゃないか?」と思っても家族には否定され、診てくれる医者はなく、金もなく
成人したら忙しいし薬も出ないから診断を受ける意味すらなくなり
めちゃくちゃな人生をたどり、すべてを失ってからようやく支援にありつけた
とにかく翻弄され続ける人生だった
今の子供はいいなあと思うけど、過剰に健常扱いされない事例もあるからどうとも言えない
20歳未満初診日にならずに済んだのも大きな利点だし 買い物が長いという指摘があって、心当たりがありすぎる
昨日は(カレーうどんだからうどんとお肉を買おう)と出かけていったが
セールをやってはいたがあれこれまとめ買いをするつもりはなかったので
その2点+店内を一回りで10分程度が標準だと思う
入店前に撮影した写真と、レシートを見たら20分かかってた、ちなみに昨日は早く終わらせたつもりだった
普段は30分ぐらいかかってると思う
あっちにいったりこっちにいったりうろうろして、帰宅したら買い忘れがほぼ毎回
結局メニューは決められず、家に帰ってから考えてるし
食料品以外もそんな感じでうろうろしては戻って、また違うもの見てなんて繰り返す
毎日アマゾンを何十分もかけてチェックしてるけど(買うのは時折)
別に最低価格を追求してるわけでもなく、時間のムダというやつなんだけど
ネットですらうろうろしているのだ とある方の祝辞を読んで泣いてしまった
「がんばったら報われる」世界じゃないんだよなあ
スタートラインは違うし、途中の支えも違うし、がんばったところで何の意味もない世界が待っている
うちの国では自己責任論が横行していて「努力が足りない」とか「貧乏なんだから貧乏人らしく生きろ」とか
それこそこの祝辞を単にジェンダーの話と思ってしまうような思慮のない、考えない、客観的に見えない人々がどの層にもたくさんいて、そのせいもあって格差は是正されず、分野においては拡大されていても、放置されつづけている
四半世紀以上前の話だけど、大学に入ったら「ピアノは当たり前、バイオリンは普通で、乗馬が趣味(うろ覚え)」な世界で、自らは母子家庭の団地住みであまりの格差にショックを受けたという体験を聞いた
不正入試にしても教育に金をかけられる人が圧倒的に有利で(親が医師でなければ冷遇され)
奨学金、合格、そういったものに一縷の望みをかけて受験に臨む学生を鼻で嗤うように彼らはいくらでも手段はあって
あげく、試験の結果すら関係ないときたのだから
どこに公平、公正なんてあるんだと 弱者と聞いて日本人はまず何を思い浮かべるだろう
アフリカの子供?イスラム諸国からの難民?貧乏人、ホームレス?
一億総中流といわれた時代があったが、そこにも見えにくい階層があった
雇用は継続され、給料があがって、人権にしても教育にしても前よりよくなってただけで、まだまだスタートラインは違ったし、環境も違っていた
簡単な病気で医療を受けられず死ぬことや、飢えて死ぬこと、児童労働などのあり得ない事がなくなっただけ
それなのに「よし、みんな中流になったな」と歩みを止めてしまい、それ以降の弱者は「わがまま」と扱われるようになった
生まれた時点で雨風避けられぬ巣しかなく、親はおらず、あげく翼をもがれた鳥に対して
「自己責任」「努力不足」「当然」「迷惑」と罵る
ネットが(一見匿名なので)人々の内心をさらけ出してしまったのだけど
いい年した人間がそんな事ばかり叫んでいる
大半は自分たちもいっぱいいっぱいなんだろうし
そうでなければ竹中のように己の事しか考えてないんだろうが 何もすべての格差、差別、社会問題をなくすことは難しい
でも、それを「当然」と捉えたり、自分だけが有利になると放置したり、貶めて当然と捉えてはいけない
解決しないといけない課題の一つとしてうまくバランスをとりながら進まねばならない
「女性管理職を増やそう」となれば
急進派は「保育所があれば」「義務づければ」と急ぐけれどまず本人達が望んでいない現状をなんとかしなくちゃいけなくて
性別関係なく全労働者の権利確保や労働時間の短縮はもちろん、男性や高齢層の意識向上、実質ワンオペ育児からの解放なんかの改善がはかれなければいけなくて
それでようやく本人達も「管理職やってもいいかな」となるわけで……何も揃ってないのにやる奴はそんなにいるわけない
教育にしても同じだし、その他の事もそうなんだけど
大衆に対して何かやらせたければ、まずはお膳立てしてやる必要がある
恵まれてる人間は上げ膳据え膳だしノーリスクだからわからないんだけどねえ 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です 2019/04/03(水) 00:51:21.64 r+1UZ3Dg0
>>280
将来に夢も希望もないから
双極性障害でもう一生治らないし
自律神経おかしくなってて体調はいつも不安定だし
発達もあって何やってもうまくいかんし
一番辛いのは、定期的に人に嫌われたり、避けられたりするようなやらかしをしてしまうこと
双極のせいってわかってても、自己嫌悪でいっぱい
毎日四六時中、フラバが襲ってくる
こんな状態で長生きしたいなんて思えない
なら早めにトドメさしとくべきだと思うでしょ ほんこれだよ
人に会ったら楽しいけど家に帰るとしょんぼり
言い過ぎちゃったかな、空気読めてたかな、ウザくなかったかな
とにかく反省会が続く
ラミクタールでだいぶましとはいえ、ふだんひとりぼっちすぎて知り合いに会うと
すぐ躁状態になっちゃうからやらかしを止めるのは難しい
バイトでもすれば人とのふれあいが増えてテンションの暴走は少し抑えられるかもしれないんだけど
ゆとりあるはずの今の生活でいっぱいいっぱいなんだよね
9時ぐらいに朝起きて、洗濯とか掃除とか布団ほして、猫の世話してごみすてて、午後は趣味したり買い物して猫の世話して晩御飯つくって……
昔と比較すれば何分の一な暮らしだけど
それでも疲れちゃうというか ゲームは初代プレステまで買ってもらえなかったし、アーケードも遊んだことはなかった
(よく考えてみればアーケードのビデオゲームはいまだに遊んだことがない)
レトロゲーの世界がおもしろくて、動画を見たりしている
特にベクタースキャンの3Dがかっこいいしいかにもな80年代感で
昔見た3D映像ってこんな感じのよくあったけど、これだったんだ!と
似たようなもんばっかだし、ゲーム性とかは微妙なのかもしれないけど
今までファミコンみたいな2Dしか知らなかったし
アーケードもインベーダー、麻雀、格ゲーしか知らなかったから
その時代にそんなレベルの高いものがあったことに軽い衝撃を受けている
ゲーム自体は苦手だから遊ぶのは厳しいかなあ
と思いつつ、一度はこの目で見てみたいなと思った ゲームといえばぷよ通が最初に買ってもらったソフトで、そのあとテーマパークで、さいごに父親に貰ったダビスタ
家族共用のも、クラッシュ、バトルアンドチェイス、DASHやポポロは遊んだ
スケルトンのGBがはじめての自分専用で、ソフトはポケモン銀専用だった
DSはなんとなくで発売日に自分で買ったんだけど
ファイアレッド、ダイヤ、ソウルシルバーでおしまい
もうずっと買ってないし欲しいなって気持ちがあるにはあるけど本体買うほどやるのか?ってなっちゃう
そこはDSみたいに発売日に買ってればよかったのかも
スマホゲーもそこそこのめりこんでも過度な課金はしないぐらいけちだし(どんなに払っても年間5000円だな)
まあ、飽きっぽすぎて課金してもすぐやめちゃったりするからってのもある
何より下手くそだし なかなか良い医者にめぐりあうのは難しい
良いというのは名医であるとか、ばんばん薬を出してくれるとか
そういう話でなく、やさしかったり、話を聞いてくれたり、逆に行かなきゃという気持ちにさせてくれたり
そんな感じの話
現在、定期的に通院しているのは3箇所で、さらに一つ増えることになる
なので、まずは今住んでいる町の医院にも行ったが、話が噛み合わず、我慢しろ的な対応で、薬ももらえなかった
それどころか関係のない話までしてきてもう不快になった
それで、300キロも離れた、元住んでいた町の医院にかかった
10年前に何度か行っただけの医院だったけど、その先生がとても優しく
話しやすかったので出かけたついでに寄ってみた
相変わらず親身になってくれて助かった
症状を伝えたら薬出しますねってことであれこれ話しながら対応してくれた
次は今の家の近くでこれを出してもらえばいいわけだから、難易度はぐっと下がる
でも、また医院探しをしないといけないのは同じだけど 昨日、車で出かけてたら(同乗者)信号待ちのときに後ろからぶつけられた
車は古いので買い替えになるんだろうけど、とにかく不安で心が落ち着かない
たかが軽微な追突でそんな状態になっちゃうのは自分の心が弱く、もともと病気だからで
ぶつけた人だけが悪いとはいえ慰謝料がもらえるようなことでもない
でも薬の量は増えてるしきょうも気分は晴れないつらい
これが自分の車で自分の運転だったらと思うと恐ろしい 思い出したので
中学生の頃、放課後には友達の家に集まって遊びつつ勉強してた
んで、自分は勉強したくないから会場が母子家庭の友達の家だと
勝手に飯を作ってみんなで食べるってのをやってた
だけど、台所に焼酎ペットや缶ビールの空がごろごろあったなあという、だからどうしたな思い出
あの頃は他人に自分の作った飯を食べてもらうのは苦手じゃなかったなあ
自分の家でも他人の家でもちょいちょい飯作って食べさせてた
それなのに、いつの間にか自信を失ってしまった ストレスに弱いってのは何もマイナス方向だけじゃないんだなって
良い方向であるはずの環境の変化、というかサプライズや、思いがけない幸せさえもがダメで
予定が入ると(どういう用件でも)その前後精神的にやられて、寝不足だったり体調不良だったりで
結局自分で自分の首を絞めてしまうように
とにかく平坦なまま過ごしてる分にはいいんだけど
要は「楽しいまま終わりたい」思考なんだけどね
例えば昔からファンであるミュージシャンに、自分のために一番好きな曲を歌ってもらえたら
幸せに浸っているうちに、現実に戻る前に、目が覚めないうちに死にたい
苦痛や悲しみの最中に後悔しながら死にたくない
ただ現実に絶望し将来を悲観してるからそうなるんだけど
楽しいことですらトリガーになる 世間との関わりを極力減らしたい
病院行ったり髪の毛切ったり宅配受け取りそんなの
なるべくいっぺんに済ませるようにしてるけど
ただ、病院も昔みたいにひとつの大病院で済ませる時代じゃないから
あっちこっちバラバラでとてもつらい
医者怖いメンヘラにはつらいよ
自宅でなにもなく家事とかやりつつ過ごしたい
週末はどこかに出掛けたいしそこに向けて力を温存したい 服を整理整頓したいのに、何を捨てたらいいのかがわからない
一年着てない服は捨てていいって言うけど
未開封やほとんど着てないのに捨てるのもなあってなるし
ベーシックなのしか買わないから、うまく着こなせれば今でもいけるんじゃねってなっちゃって捨てられないし
どうしたものか
どうせ外出もろくにしないんだから、シンプルな暮らし、丁寧な暮らしによくある
少ない服でおしゃれな人になれればいいんだろうけど
そのセンスがない
実際所持してる服のうち、着てる服はものすごく少ないからそうとも言えるのかもだけどなあ 服もそうだけど他のものもちゃんと整理しないといけないし
なんかあれこれ考えると脳が混乱してくしゃってなる
変にスイッチ入ると躁になってわけわからん行動しちゃうし
相変わらず>>197の段ボールもそのまんまだし
家族が優しいから部屋がぐちゃぐちゃでも掃除が行き届いてなくても許される
これはずっと昔からそう 週末、某有名店のうなぎを食べた
行ったこともなく、どんなものなのかも知らず、
某社と縁があるってことで店名だけ知っていた
念願というかなんというかなんだけど
前から気になってた某社との詳細もわかり
味はしつこくなく安いうなぎとは別格だなと思った
自分が食べたかったもの、自分が好きなものを誰かと食べるとき
相手が気に入らなかったらどうしようっていちいち考えてしまう
だから他人にご飯を作れなくなってしまったんだけど
それは大人になるにつれ、客観的に自分や自分の家(暮らし方や生活レベル)を他人と比較したから?とも思ったが
それだけじゃないなとも感じる
よくわからない きょうはライブに行ってきた
自分とはそう変わらない年代の人
片方はいかにもはじめてです!って感じの人で流れもお約束も驚いてた
もう片方は予習バッチリな人だったが
なぜかとんがりコーン振りまくったりあげく食ったりこっちにライト当ててきたりやりたい放題
自分も最初に行ったライブのときはそんな感じで妙に盛り上がってて傍目には痛い人だったんだろうけど
15歳のころの話なので……それを大の大人がやると……
あと、スタンドだからかもしれないけど出入りが多すぎ、何してるんだか知らんけど行ったり来たりで気になる気になる……
他方、一部の曲以外は座っての鑑賞なのでアリーナなどの雰囲気と違い落ち着いて見れて良かった
時間の都合なのかもしれないけど、アンコール待たずに帰る人もかなり多くてなんかびっくりした
開始時間にも間に合ってない人だらけでラジオ体操からオープニングあたりはわらわら移動してた
(会場の都合遅らせられないのできっかり開始になるのは……私は知ってたけどなあ) フリが変わったなあと思った
本人たちもやるように指示する曲だったりダンスものはそういうこともあまりないけど
今回歌わされた曲は手振りだったはずなのに主流が手拍子になってたりしてて
アンコールのためのコールもなんだかまとまりがなく
(18年ぐらい前はちょうど替え歌が浸透してた頃で、そのあとはずっと固定だったんだけど
最近は演出が入ってきてぐちゃぐちゃになってるもよう)
それだけヲタが入れ替わったんだな 翌日の話
タンバリン持ち込みがいて、普通のだとグッズのタンバリンよりよく鳴るんだよね
場違いなことに気づいてすぐやめたので良かったけど
タンバリン使う曲まではしまえと明示しといたほうがいいんじゃないか?と
隣ははじめての親子で予習するって概念がまったくないらしく、ずっと演出や曲やらについてしゃべってて……
ライブってシングル曲だけしかやらない訳じゃないんでね、知らん曲でもいちいち何何聞いてないでまずはおとなしく見ててくださいな
途中、本人が移動して見失ったからずっとどこどこってやってたり
あげくムービーパートのコスプレを「気持ち悪い」ってさあ……
昔もカラオケ気分の人や頭に自作の帽子(邪魔)被ってる奴とかすきあらば叫ぶ奴に出会ってきたから
そいつらよりはマシなのかもしれんが…… まあそんな感じで、私がアレコレ真面目に参加しないでいるうちに
どんどん悪化していったので、今度からはなるべく行くようにしたいなあと
結局、改善する兆しはないので悪化しきる前に少しでもいいところを見つけていくしかないんだなと
引退されるよりマシと思うしかないんやなと
今回は前回みたいに金返せってほどじゃなかったからよかったと、そういう風に落としどころを見つけて生きるしかない
早くもお茶4口外れたけど…… THE ORIGIN見始めた
クオリティは悪くないんだけどなんか絵にしても話にしても演技過剰というか……ジンバラルやシャア(入れ替え前)うっせーなあ、ってなる
あと、シャアとキャスバル交代の激しすぎる杜撰さやその前の唐突なキャスバル怖いはしゃーないとして、同室の奴に別人だと発覚するのはともかく
キャスバルだということまでバレるとかあいつ有能すぎるのか
それともたどり着けないザビ家が無能すぎるのか
ランバラルとハモンさんの有能さ万能さに引っ張られるようにしてキシリアがキャラ崩壊起こしてるし
あそこまで反逆してるラルたちの処遇が甘すぎるところや
(ドズルが可愛がってたにせよ、MWが出てくるところまでは野放しだったりと)
ありがちな世界の狭さもなんか……(都合よくアムロやミライさんが出てきたりーの)
すでに出来上がってるものをリファインしたり続編作ったりすると
こうなりがち、ってあるあるがたまってゆくなあ
漫画も読みたいけど(シャア編はじまる前ぐらいしか読んだことない)買うのは邪魔だし(手放すことになる)電書は所有しやすいけど割高だし困る 家中に溢れる荷物を見ればため息が出て
やらなきゃいけないことがあるだけで鬱になり
過去に向き合えば死にたくなる
乗り越えなきゃ乗り越えなきゃと思いつつも
少しはましになっただけで気にしないなんてできやしない
仕事の話が来たから引き受けるつもりで
もちろんお金は欲しいし働くのも嫌じゃないんだけど
出来るか、ってだけでもう心配で心がはちきれそう
そんなとき、あなたはいない 血圧が高い
測定の習慣なんかないけど、覚えている限り
中学生の頃にドラッグストアで測ったときはすでに140近く
その後も健康診断や献血で測るもずっと高いまま
ストレスに弱いからか、ひどいときは180とかになる
親知らず抜いたときは200突破したと思う
血管切れて死ぬのはそりゃ嫌だけど、この高さはもともとの体質な気がするし
上下動もどうやって管理すればいいんだって話だし
そしたら循環器科を受診しろと……じじいかよ とある歌手の人の明らかに声が出てなくて、キー下げたりごまかしごまかし歌ってるのを見て
この人年齢のせいで声でなくなっちゃってるのかな?って思ってたんだけど
そういえば、ジャムの動画だとひどくなかったな、といろいろ見てた
そいだら絶好調のときの動画のコメントに「タバコやめて痩せて変わった」ってあってさ
本当、お願いだからタバコやめてくれよ……と
出なくなってからやめるのも結構だけどリカバリきくかもわからんし、できれば早いうちにって
呼吸器系の病気餅としてもそう思う
現場見てるとやめる気はさらさらないのはわかるけど
地道な努力の人でなく、天からもろた才能で生きてるんだからって 病院で家族の病気をきかれたがわからない
とりあえず母だけ書いておいたがわからんので特になしってだけ
死んではいないだろうけど、みんな元気なのか病気持ちなのかなんてわからない
祖父が脳か心臓だかの病気だった気がするけどわからない
天涯孤独設定にしてもなんか違うし
こういう人ってどうしてるのかな
みんな家族と仲いいのか?
そしてこの病院は昔入院したことあって、名前を訂正して同じカルテを利用しているのだけど
診察券は新しい名前だけど、検査結果が昔の名字のままで
懐かしいようなちょっと複雑な気分になる 絵本。肝心の授業でどう扱われていたかは記憶があやふやになりつつある
なぜ桃太郎だったのか?などを考えさせられたような気もするが、どうだったか
自分にとってかなりのインパクトを残した作品だった
決して売れた作品ではない、教科書に書き下ろされた作品でもない、とても地味な作品である
読書好きな中学生ですら自ら読むことはないだろう
しかし、教科書の編集者は数多ある中からこれを選び
この地味でおとなしい作品は、卒業する中学生への最後のメッセージとなる大トリという掲載順を与えられた
ただ、教科書は最後までたどり着かないことも多い、その不遇さもまさにこの作品と重なる
おまけに内容も、友人の死を扱っている
しかし、この作品は暗いだけではない
希望があり、読後感は悪くない
教科書に掲載する作品は短編か、抜粋するにしても短いエピソードでなければならない
作者の本心は違っても、通常読者読んだときの結論に至るにはあまりに難解であったり
作品の解釈があれこれ出てきて、いまだにファンのなかで論争が起きるような作品はそう選ばれない
「愛のサーカス」が、対象学年を引き上げられたのはまさにそこで
国語の成績がかなり良い生徒ですら、表層的にしか理解できなかったのだろう 毎年この時期の外出はつらい
デブで汗かきで日焼けに弱いのでつらいつらい
一年あまりかけて10キロ以上痩せてもまだデブだし
汗かきなのはいちどきマシになったのに悪化してて
ちょっと日向に出ただけで1gぐらい汗をかいたように感じる
日焼け止めは塗っても塗っても意味をなさないどころか変に効果を出して斑に焼ける
考えるだけで鬱になるし、かといってこなさないといけないものばかりで
行かないという選択肢もない
突然日本がドームポリスになるわけもなく夏は毎年やってくる
ドームポリスはドームポリスで不便そうだけどそれは魅力的
どうせ巻き込まれでもしなきゃエクソダスできない意気地無しだし……
いくら無職と言えど、やらなきゃいけないことはあるし
腹を決めて行くしかないのだけど、その手前と後がつらい こういうものの前って、お腹壊すほどの鬱からはじまって、逃げたくて逃げたくて
でも、実際はじまるぐらいにはアドレナリン出すぎでやばいことになる
人間誰しもハイになるだろうし、飲酒とかしてたらその勢いも普通によくあることだけど
それとはちょっと違う、沸き上がるようななにかを感じるし、もう止まらない
その勢いがもっとすごかったら本物の躁鬱になれてるんだろうな
無自覚にものすごい暴走するような
すごいエネルギー出すんだろうな
つらいだろうけど 可愛い君が笑ってる 悩みの時が明ける
柔らかな綿の上 初めての懐かしさ
終わらないで 終わらないで
優しい君が呼んでいる ひとつだけに従おう
流れ星を追い越して そのスピード感じてる
終わらないで 終わらないで 音楽と記憶ってリンクしてて、しかもそれに自分を投影していることがままある
あまりあれこれ歌詞を読み込むことがないからってのもあるけど
リズムが、メロディが好きな曲を口ずさむときに歌詞を気にするくらいだったり
さて、上のレスはどんどどんって曲の歌詞なんだけど、
自分にとっての君はひとではない
今は東北にいるけど、当時は東京で最後の活動をしていた頃
仕事もせんと毎日毎日追いかけてて…の頃よく聴いていて
まさにこの歌詞のディテールがぴったりはまってて
作者はこの詞を、どんな意味で言葉を並べたかは知らないしわからないけど
最近、追っかけてた君たちに再会してて
その写真を見て、曲を聴くと記憶がありありと出てくる 労働から帰ってきて
選択して掃除機かけて
階段水武器して
飯作って
さらに他人が20年かけて作り上げたゴミ山片付けて
1日南ターン行動よ また寝坊する夢を見た
月〜金の昼間に働くフツーのサラリーマンだったころは
よくもうどうにもならないレベルで寝坊して(起きたら始業時間ならともかく、昼とか夕方とか)
なし崩し的に連絡できず実質無断欠勤も何度もしたが
上司がめっちゃいい人で
それでも無断欠勤扱いじゃなく有給にしてくれてた
しかしながら今でも怖くて夢を見る
歯が抜ける夢とかは見ないけれど寝坊する夢は良く見る
今は家族と同居してるので寝坊することはまずないのだが
それでも怖いものは怖い やはりダメだったか。
雲行きが怪しくなったここ一年ぐらいはもう
「なかったこと」として考えていたのでダメージはさほどでもない。
「やっぱりな」って感じで、ようやっと引っ掛かりがなくなってすっきりした。
一体何で描けないのか、その真の理由を知りたいけど
(こちらが理解できる理由があったのなら、お金がなくなってもなんとも思わないのだが)
でも、知ったら更に失望するかな。
実は、約束を反故にされたのは自分ただひとりで、他のみんなには提供されてたらいいのに。
Twitterに、同じように喜んでる人いたからさ。
こんな思いするの、自分だけでいいんだよ。 シャウエッセンは期待はずれだった
がっかりって程でもなかったけど普通だなと グリコの皮なしウインナーは今もほとんど同じパッケージ
皮つきのウインナーが食べたかったのに常にそれだったから
ずっと大嫌いだった やっぱり、Twitterで当初喜んでた人もキャンセルされてた。
検索避けか、直接的な表現を使わずに書いてあったけど、おおよそ自分と同じ感想。
なぜこうなったのかの詳細な説明がなく、理由がわからんからひたすらもやもや。
誰にも気付かれやしないけど、出来るならば愚痴り合いたいよね、本当。 スマホを落として割ってしまった
画面の右半分がヒビ入りで、上の方は粉々でさわるとパラパラする
一応新しいスマホを買う目処はついているのだが、まだ手元にはないので
仕方がないので梱包用のテープを貼って凌いでいる
視界のじゃまにならぬようなるべくまっすぐに貼り、スピーカー部分は聞こえないし、センサーも誤反応するので穴をあけないといけない
はがれてきたら貼りなおす
先日、電話がかかってきて相手マジ声ちいせーなー
中島美嘉の歌声かよって思ったら
スピーカー部分にテープが貼られてて
相手のせいじゃなかった スマホは買い替えた
機種のバグみたいなもんでchmateの広告が消えなくてひたすらムカつくけど
それ以外はまあまあかな
安かったから仕方ない
悲しい夢を見て落ちこんだ
夢は夢でしかない
現実にはなりえないしただの自分の妄想でしかない 一応アルバムが出たら買ってるんだけどもうなんか本当に惰性でしかない
自分が聴きたい曲はファンクラブ限定だのそういうイベントに行かないといけない
でも必ずやるとも限らず
そういうイベントは家からすごく遠くて金もかかる、熱がないと無理と詰んでいる
聴きたい曲も、リリース直後のライブならやってたんだから
あの頃忙しくて金もなくてだったけど
借金してでも行けばよかったの後悔だけがつのって
ますます聴きたい曲を聴くチャンスから遠ざかる コロナは年齢は若いものの喘息持ちで高血圧とハイリスク群
でもかかるもんはかかるし……の精神なんだけど(さすがにマスクとか多少の努力はするが)
とにかく予定が立てられなさすぎてつらい
チケットを確保しても果たしてどうなるか
3月から4月あたまのイベントはキャンセルになってるけど
GWのあれとか5月以降のライブはどうなるのか
保険に6月のチケット買おうか悩んでるが全部決行されたら旅費で死ぬ
6月の会場は日帰り不可能、新幹線でも5時間の地獄のような場所だし mp3たちのタグ修正が大変でキレそう
主にWMPにめちゃくちゃにされたせいで(手入力してたのも勝手に直されてたからね)
文字化けだらけ全角文字だらけになってたのでAndroidではまともに認識してくれない
ひとつひとつ原因を探りながら直してたら丸1日かかったが
まだ半分ぐらいかな?ヘビロテのだけやったから
もう一回CDから起こせば少しはましなんだろうけど
既にディスク自体ないのも多いしでちまちま作業
xperiaでは認識してたんだけど
それはSONYのあのアプリが優秀だったのかなー?と
でも今のペリアって独自アプリなくなってんだっけな それにしてもアルバム名とか入れてないとエラーになるのには弱った
ミュージシャンによってはぽつんと気に入った数曲だけ持ってることも多いけど(配信とかで)
そうするといちいちアルバムが増えることになるのでアルバム一覧が見づらい!
アーティスト名もfeat.とかだとバラけるのも面倒だなー(アルバムアーティストで統一しても曲としてはバラける) 病院の売店について考える
J医院 コンビニ故雑誌やら日用品やらのラインナップは豊富。食べ物のラインナップが微妙だが、病院食が断トツおいしいので買うことはなかった。
売店ではないが外来入り口にコーヒースタンドがあり、体調が悪いと死にそうになる
I総合病院 ここは病院飯がかなりまずかった。果物とか缶詰だし……
売店に行くと松屋のお弁当などクールデリカ※以外のおいしそうなものがある。ただし、営業時間が短いからかタイミングを逃すときつい。あと狭いから何事にもあまり選択の余地はない。
K病院(改名前) 人生初入院した病院。入院中は絶食だし院内歩く事もなかったので外来での感想。
ここも狭いのに、なんかババア用の服とか売ってる。
近所のパン屋と弁当屋のものがあり、サンドイッチを食べてみたが、味は値段なり。別コーナーだがニチレイの自販機がある。
※クールデリカは山崎パンのおにぎりとかお弁当とか。デイリー以外にもおろすので、この手の売店には大抵置いてあるも、おいしくない。 M病院 ここの売店でもあまり買うことはなかった。飯類はクールデリカだったし、外来側に行くと薄暗くて変な雰囲気が漂ってたので余計に。本や雑誌のラインナップがかなり酷かったのを覚えている。おやつは豊富だけど偏りがあった。
N病院 ここは嬉しいことにコンビニ、売店の2つがあり、どっちも広い。売店はやっぱりババア好みな感じで和菓子が大量にある。地元のパンやお弁当なども。
コンビニは昼間やたら混んでることを除けば手作り弁当系もあり、選択の幅がとにかく広い。ただし、揚げ物のにおいにやられることもある。 Mの病院食はとにかくアサリの水煮が出てきて死にたくなったのが思い出。
おそらく安くて缶詰なら安定供給、塩分控えめにするためにダシがわりに使いまくってたんだろうけど、アサリ苦手からアサリ拒絶にまで悪化した。
あと、朝ごはんがいつも侘しくて、パンの日が少なく、
ご飯の日は白飯、味噌汁、小鉢と御飯の友だけ。
その小鉢がアサリ入りだと食えず、御飯の友に佃煮が来た場合
苦手なのでご飯を味噌汁にぶちこんだものだけになってつらかった。味噌汁ぬるいし
Nはだいたい意識失っていて、退院前に一食だけ食べた記憶はあるけれどそれも内容を覚えてはいない。
でもまずくはなかった気がする。気がするだけかも。 入院生活の思い出
K 救急車→意識朦朧で二人部屋?に一晩だったので、部屋出たところにあるトイレぐらいしか歩くこともなく。
基本的にボロい病院だったから、そのトイレもタイル張りのやつで今思うとボロかったなー。今はキレイになったのだろうか。外来部分しか見れないからよくわからない。
同室の人も救急車だったのかな?なんか家族が来て必要なもの買ってきたりバタバタしてた。
ところが、扉の向こうから「おかあさーーーーーん!」「おかあさーんどこーーーー!!」って成年女性の声がする。
昼も夜も(おそらく彼女の起きている最中は)もう休みなくずっと。お母さんが来たら止むのかもしれないが。
確か看護師に「あの声大丈夫なんですか?」ぐらいは聞いたと思うけど「あれは大丈夫」ぐらいの返答だったような。
意識朦朧だったから耳栓なくてもつらくなかったけど、普通の状態なら寝れもしなくて余計悪化しそうなやつ。
翌日検査して、手術するからと転院。 見舞いのふりして病棟覗いてみようかなと思いつつ
当時、自分がどこ(フロアや病室)にいたかわからんし
建て増し繰り返してるので病棟やたらあるからめんどくさい
緊急入院の場合診療科とか無関係なところに行くことも多いし
I病院は耳鼻科で入院したけど病室は循環器だったので
部屋には高齢者しかおらんかった
診察するときはめちゃくちゃ遠いのに車椅子がなんか嫌で
自分で行く途中で転んで看護師に怒られた そういえばこの前田舎でクソをしに公立の病院に行ったが
それが昔住んでた町のMR病院そっくりの古めかしく陰鬱な感じで
なんか懐かし半分怖い半分だったな
MR病院を最後に訪れたのは15年以上前だから今はさすがに少しはキレイだろうに
ここはそのままなんかよって
でも、新しくても病院は独特の雰囲気があって
N病院(主治医)のベッドが空いてなくて紹介され入院したM病院は
割りかし新しいのに陰鬱な雰囲気で気が滅入る感じ
でも、当時主治医との関係があんまり良くなかったうえに、入院後には異なる治療をしていたり
M病院のほうが何かと手厚いサポートができるからと退院後に転院をすすめられたものの
その雰囲気+入院時に出会った人と二度と会いたくなかったので転院せず
主治医のところも待合に窓がないし人が多いときはかなり緊張感あるけど
明るいからかまだマシだし
曜日を選べば待合室も空いてるので多少のストレスには耐えないといけない 10円ハゲが久々にできた
子供の頃から何度もできてるからそこまでショックではないが
おそらくコロナ疲れなんだろーなー
自分たちも決して神経質に防護してるわけではないけど
まわりはあまりにも普通な感じだし
先の予定はたたず、あれこれ気にしながらの日々でなんだか疲れることばかり
全国各地のメンヘラの皆さんもかなりやられてるのではなかろうか 3週後にあるイベントは中止の発表がまだない
払い戻しできないから開催なら危険を覚悟で行くか
一万五千円のチケットを捨てるかの二択
危険を覚悟で行くとしたら宿も交通機関もとってないから
やるならやるで早く発表してくれないと困る 近所の整形外科はレントゲン技師以外ノーマスクで調剤薬局もノーマスクだった
治りかけだったのもあって、怖くなって行ってない
眼科も医師看護師検査師みんなノーマスク、さらに診察室では外すように言われる
前後に咳してる奴いたから不安感はんぱない
空気清浄機とか次亜塩素酸のなんかとかこれみよがしに置いてあったけどあんなもの効果なんか……だろうし J病院の入院についても書いておこう
なんと最高額(だったはず)の特別室に入ったので
最上階でセキュリティチェックみたいなのあり
部屋は昔のなんちゃらグランドホテルみたいな調度品感(ちょっと古め)
お付の人用のソファベッドに応接間があって実質3部屋かな
専用電話、そこそこちゃんとしたキッチンに風呂、アメニティも病院のマーク入りのものが支給される
テレビや冷蔵庫もカード不要なんだぜ(これはM病院もそうだったけど)
ご飯もやたら豪華で常食一回目なんてルッコラの添えてあるタンシチューなんて普段でも食わないものが出てきたしどれもやたらうまかった
おやつまであったし
ナースコール呼び放題、嫌な顔ひとつしない(ほかの病院ではありえない)
ナースはやたら若くてキレイどころばかり
まわりの部屋はおそらく上級国民なんだろう
部屋に名前書いてないからよーわからんけど そこの病院で知ったのが、別料金(数万円)払うと個室で外来診察ってのもあってさ
上級国民は一泊10万の特別室に入り
個室で並ばず好きな医者から診察受けてるんだなーと
下級国民はベッドの空き待ちして悪化させ
診察もかろうじて予約してても待たされまくり、研修医みたいのが対応する
別にそれがどうしたって話ではないんだけどさー
相応の金払ってるわけだしね 家に往診してくれる医師までいても志村は死んだ
感染症かつ重篤でなければあの特別室相当の部屋を使い
そして私たちが躊躇うような治療も受けることができただろう
今までもそうしてきただろう
当初の自宅静養がいけなかったのか、それとも即座に対応しても手遅れだったのかはわからないが
人は即死でなくとも「現代医学で回避できない状態」になったときには
手立てはなく今のところ全員死ぬ
金持ちだろうと貧乏人だろうとそこに入ってしまったらアウトで
治療などのプロセスに違いはあれど
よく言われることなので今更だけど
人は平等ではないがそこだけは変わらないのだなと
あっけないもんなんだなと さてそんな志村けんだが
自分の家ではバカ殿(など)は禁止だったので
ずっと何がなんだかわからないまま過ごしてきた
志村の定番ネタも昨日はじめて見て、ああこれかと理解した
子供の頃はよく分からなかったので適当に話に合わせてたやつだ
子供の頃は色々と親が制限していた
朝はおはよう日本、上沼恵美子は嫌いだからダメ、下らない番組はダメ……そんな感じ
だからかどうか知らないが今もテレビ見放題のくせにぜんぜん見ない
ニュース番組ですら夜のしか見ないしドラマもバラエティもなんも見ない
テレビは一日のうち一時間ぐらいしか使ってないので古いまま
芸能人もよくわからないがそれで良いと思っている だから別に親に制限されたことはそこまで気になってはいないし
そもそも映画見るのすら大変な自分はテレビをふんだんに見ることができても
結局見なかっただろうなあとも思う
(映画見るときはネタバレ気にせず粗筋調べたり、戻ったりしながら見るんだけど、放送だとそれできないし)
発達がゆえなのかセリフ聞き取れない、気が散る、登場人物覚えられないとかもあるし……
まあ、何が言いたいのかって言えばまとまらない話ってことで
話は変わるが、Dlifeは料理番組と動物のやつだけ時折見てたので最後を見た
放送局の終わりなんてはじめて見たよ 10万円入ったら前から欲しかった家電を買おうって思ってる
ささいな楽しみを作らないとこの状況は心にやさしくない
カメラ落として死んでるからそれも欲しいが
買い替えはあまり楽しみともいえないし
10年前の機種とはいえ古いボディで誤魔化せるからなあ……
古いだけあって連写とかはうんこだけど
欲しい機種はファインダーつきってのもあって高くて 20年前にニュー速にたどり着きそれから
シベリア送りになろうが規制でずっと書き込めなかろうが閉鎖されようが
ニュー速民だったがステマ移民以降嫌儲にいる
他板で旧速のコピペを見て、そういえばあそこの板は
ランダム名無しがゆるキャラの名前の時もあったなと思い出した
10年前から名無し変わってないのか……と呆れつつ
当時、自分の好きなキャラクターになったことは一度もなかったなと思い出した
それだけ このご時世、名指しもされているしで髪の毛を切らない人も多いと思うが
前回切ってから一ヶ月しか経ってないのにすでに毛はものすごいボリュームになっており
うねうねし始めたので切りに行った
髪の毛が多すぎてスカスカにしてくれって言って
梳いても梳いてもワカメよろしく増えるのがつらい
中学生の頃は金もないし行きたくないしで
ずっと変なボブのセルフカットだったけど
(そのせいで卒業アルバムも変な髪型してる)
やたら混んでて時期を間違えたなと思ったけど
出直すと髪の毛はさらにワカメみたいになるし
バス代たけーしで仕方なく並ぶことに
予約必要なところは苦手だしな
(切りたいその日に切りたいのと、すごく話しかけてくるから) 間が抜けた
大人になってからはあれこれホットペッパー使って行ってみたんだけど
結局、切る頻度の多さから格安美容室の類に行くようになった
毎月4000円、年にしたら48000円なんて払えない貧乏人なので仕方ない
髪染めに関しても金かけて染めてもらってもすぐ色落ちするし毛も伸びるし
何より美容室にいる時間が延びるのが嫌で
家具を染めないようにびくびくしながら家で染めている
(カラーまでやってもらうとレタッチできないので月7000円近くする)
白髪染めになったら染める頻度は更に上がるだろうから
今から若干鬱になっている
白髪染めって茶髪だとみんな明るい茶色になって糞ださくなるし
ちゃんとやらないと生え際の白髪が恥ずかしいし
なんで死ぬまで色つけてくれないんだよと ちょい前にノグリを食べてからなんだか辛いインスタント麺が食べたくなって
あれこれ買ってきた
ノグリ・ノグボナーラ・焼きちゃんぽん
辛ラーキムチ・安城湯麺・チゲラーメン
プルダック・チーズ・ホットタッカルビ
昼飯にプルダックを食べたけど
覚悟の割に普通すぎる味で苦労せずに食べきれた
卵やマヨネーズを使いたくなかったので(もともとの味がわからなくなるから)
ソースを半量にしたんだけど
ソース直になめても全然いけたので全部入れた
胃はポカポカしてるので結構な辛味であったことはなんとなくわかるが
リタイアどころか普通にもすもす食べてしまった
唇はヒリヒリ痛くなったが15分ぐらいでやんだし
食べきってから牛乳を飲む余裕もあった
けどこれ以上辛いとなると厳しいかな 学生じゃなくて本当に良かったなーって
球児だけじゃなくて受験生でも影響がはかりしれない
影響がすくなめなのは小学校低学年ぐらいだけど
それはそれで学校いけなくてストレスたまりそうだし行事は壊滅状態だし
一年が人生にもろに影響し命取りになる子供等はもちろん
普通の人でも一年がなくなるのはもちろん惜しい
だが、人生の旬の時期を一年喪うというのは80分の1ではなくもっともっと大きいように思う
私もそろそろ旬が終わるなと白髪が目立つ頭を見、毎日痛む肩をさすりながら思う なんたら魂で立体化したので買ってみた
全体的には正直15年ぐらい前のリボルテックとそう変わらないというか
スタイルとかは好みの問題だと思うし
肩がごっつかったり関節問題とかはあるけど
全体的にはアニメに寄せてて悪くない
でも決定版とはなれないかな
15年前のフィギュア界の価格とクオリティが異常だったんだがね
こんな泡沫アニメでも出たこと含めて
ガチコがあるのは嬉しかったがその分キンゲのクオリティが取られてどっち付かずってのはそうだな、とも
これでラッシュロッドとドミネーターが出てくれたら文句ないんだけどなあ 冬から春のはじめぐらいは
わざわざバスに乗って大きな公園や市街地に行って散歩ばかりしてた
桜が咲く前くらいから外出自粛していて
でも今週は通院だったり頼んでた商品の引取なんかが続いて
久々によく出かけた週だった
ゲームのリワードも久々25kmのが貰えるし
なるべく運動習慣つけて体力養わないとだな
痛感する 頭がボケはじめてるのと同じく
何事でもキャパがどんどん狭まっていて
少し動いただけで疲労困憊
何か頭を使うことがあったらすぐに混乱してめちゃくちゃ
記憶力はどんどんなくなり判断力は更に鈍る
何をやっても何を言っても後悔だらけなのは相変わらずでつらい 主人公はまだいいんだけど妹はあまりにもメイそのまんま
年齢の割にろくに話さないからただの池沼になりさがってる
なんだか既視感があったり舞台装置感があったり過剰にわざとらしかったりするのが残念
合理的な理由がないから
邪魔な親を消す、妹を迷子にさせる……全部脚本の都合にしか見えない
転校してきた時期も7月って夏休みやりたいってのが透け透け
そこらへんを違和感なくするのが仕事だろうに……
ここからひっくり返るのか? 「この沈黙はもうかれこれ一時間以上」のところだけ延々と聴いていたい
ウォークマンにそんな機能あったけどケーブルなくしたから曲いれらんねんよな
そして40代とは思えん声だな
元の曲の「いつからなんだろう」よりも若い気がする
床のワックスを剥がしたが家が広くてつらい
すでに6畳はやってるけどまだ全体の4分の1もいかない
腕が痛いんだがよく考えてみれば自分の母親は専業主婦だったが
子供の頃艶出しマイペットの塗布はしててもワックスでもないしましてや剥がしてなんかなかったな
掃除も片付けもこまめにやってたので全く汚くはなかったけど…
周り見渡してもなぜかそういうところだけズボラな人ばかりなのでこんなのやってるの私くらいか?
剥がしたあとのワックスは2度塗りなので
よく乾かさないといけないし ADHDは片付けが一切できないのは当たり前で
うちにも服の山もダンボールの山もある
不器用もプラスされてるので掃除も段取りが悪くて苦手である
(窓なんか一度もきれいにできた試しがない。内窓外して洗っただけでパーツの半分近くなくすぐらいどうしようもない)
虫もカビも嫌いで不潔なのは困るので
ゴミの処理や食器洗い、日々の基本的な清掃などはちゃんとやってるけど
窓拭きとか床のワックスともなると喫緊の課題ではなくなるのでめんどくさくなってしまう
やらなくても住めるし腰が重いしで
とはいえ我が家のあたりは砂埃がすごいので窓やベランダは
すぐ砂だらけになり汚くなるから窓はやらないといけないのだけど……
やってもやっても砂まみれになるし……で コンビニで働いてたときに使ってたバフマシーンが欲しい
あと荷物がクソジャマなのでホイポイカプセル的ななんかしまえるのも欲しい
その2つがあればワックス掛けなんて余裕じゃないか
と思ったが
そんなもんがある生活してたらこんなんならんよな…… 使ってる単語とかがとても似てて共感した
なんなら俺が忘れてるだけで俺が書いてた日記かと錯覚しそうだった そりゃ中古だから
ある程度の使用感とか
擦り傷はかまわないけど
完品とあるのにケーブルついてなかったり
画面にでっかいシミがあるのはいかんでしょ >>1
ああ間違いない
お前の日記帳だ
ニッキ臭ぱねーし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています