静閑寂雅奉
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その様な作業を繰り返し、より良い文章を広げていきたい 分厚い本だから意識の高い自分は積極的に読もうとはした 物事は
緊張(テンション) と 弛緩(リラックス) の均衡(バランス)
に成り立っている
※読み
弛緩(しかん) ただ掲示板で淡々と書いているだけではダメなのはわかる それに私も成長しているので、運動も欠かさず行っている だからスレッドをまた立てたのだ。どうにも居心地が悪う、てな 距離感もたいせつなのだが、私のいたらなさに、自信はない このスレも中期ほどになれば、雑文を凌駕するであろう あくまで私のこころと話す、それだけ意識しているから さて、ニーピンのスレは距離を置く努力をしなければならない 誰も注意してくれないから余計に寂しいと思い、ついつい書き込む行為をしてしまう きっとこの板のどこかで私に対し、呪詛を飛ばしているであろう しかし気持ちではな、どこか擦れているのだ。孤独を感じる 思い込みであるが、そうであってほしいが、やはり思って辛くなる 夜行性の生き物3匹久しぶりにみた。お気に入りに登録しておこう ゆらゆら帝国は独特な世界観がある。そして彼らの人間性もまた見えて、親しみがわく 自分とは近い距離にいると思う。話し合いたくはないが ひとりをつらぬく事が己との最後の決着なのかもしれない 小さい音量で音楽を垂れ流しながら考えている
今回は mount01.mid, 吹きすさぶ風 過去スレを眺めながら FF9の曲は好きだ。消えぬ悲しみ、黒魔導士の村などなど。サントラ買ってHDDに入れてよかった 現在、黒魔“道”士の村をかけている。擦れた気持ちが癒されてゆく しかし、思考が鈍っていく。悲しい曲のほうが発想が豊かである ここまで書いて自分が双極性障害ではないか。気をつけるべきだが、書ける時には書こう。この甘い行動に依存してしまう 明日になれば、また物事書けず、悶々とする自分がいるだろう それか、現実に充実している。この方が健全であるのは当たり前だ 子どもの夏休みが終わったら、図書館に行って児童書を読み、感性を磨きたい 文章読みに集中できないから、こうした訓練は必要なのである 本当にひとりになったら悲しい気分を味わう暇さえないだろう 宿命を受け入れた瞬間に生きがいというものが得られるのではないか だが今の私にそれはまだ考えられない。実感もわかない。砂時計のように迫(せま)っているというのに 父と母、もうそんなにながくない。どの生きものにとっても、宿命は立たされるものである 死ぬこと自体には悲しくはない。旅立ったんだと思えば、気持ちと素直に向き合える でも実際は涙を流すんだろうか。いや、これから自分はどうするんだ、という思考の方が重いかもしれない 死んだ時、人は特別な原子を吐くだろう。それを「たましい」という名で読んでな そう、それが私の帰納すべき段階。ついに書いてしまった できるだけ協力者はいてほしい。だが、協力しろと面とう向かっていわない。ただこの問題を提起したいのだ 私の中ではこういう世界観も築いているのである。受け売りではない。ひとりから生まれた発想だ その発想もいいね。昔テレビでやっていたね。誰もが知っている 「いただきます」という感謝。「冥福をお祈りいたします」という願い。ご先祖さまへの「挨拶」もあるか でも大勢の中で、それを行うことは避けたいのだ。気持ちが逆になる そろそろスカッシュやランニングだけではなく、水泳も始めてもいい気がしてきた 今年に入ってから数回も…いや、もしかしたら1回もやってないかもしれない さて、騒音でインコの眠りをさまたげないように、ねるか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています