脈絡の無い妄言スレ [無断転載禁止]©2ch.net
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疲労感と徒労感がたまった影響で
意味不明の夢をよく見ている たとえば、ハトはティッシュペーパーよりも白いのか?
という問題があったとする ここでまず考察すべきは
物の柔らかさについてである・・・・ 柔らかさに生活はあるのか?ということについて疑念を持った 生活なんてものは、生き物が子孫を残すのに必要なものが
揃っていればいいのだと思う 生活に必要なものについて考えていると
わりとどうでもよい日常品のたぐいが思い浮かぶ
ティッシュペーパーや食器や服のたぐいである ティッシュペーパーはどうでもよくないわ
そうですね 物質的なものについて考えると
色や形よりも先にまず質感のことを連想する
硬いかやわらかいか、という問題について・・・・・ それはやはり、肌触りが気になるからだろう
つまりそれは触覚に由来した考え方なのだろうと思う ハトもティッシュペーパーも肌触りは良さそうだな
ハトは平和を象徴する鳥で、ティッシュは木から作られた日常品である モグラは穴をほって土の中に住んでいる
しかしハトは土の中には住まない
そういう落差が物事には決まってある 一体、そういった物事の落差は誰が決めたものなのか?
というと、よくわからなくなる 自然の大いなる意志かもしれないし
実際にはそんなものは存在せず
自然はとにかくゲームのバグのように理不尽で嫌な存在なのかもしれない
理不尽なことを人は遠ざける
そして秩序を好んで生活を享受している
自分もそうしているからおそらく秩序が好きなのだろうと思う ここでいう自然というのはあくまでも地球上の環境に限定した
想像の産物である 宇宙にはどんな自然があるんだろうか
宇宙は広そうですね
なんせ科学の本やテレビにより
どこまでも広がっているようなイメージが植え付けられている このことから考えられるのは、科学の本やテレビというのは
人にどこまでも広がるようなイメージを植え付けるというものに過ぎないということ 広がるイメージ
たしかに広い空間をイメージすると心が和む
反面、自分がどこにいけばいいのか、といった
茫洋とした不安感も湧き上がる
広いだけでは恐いのだ
ここから分かるのは、人には自分の居場所が必要ということ・・・・・ 部屋が狭いな
俺の部屋にはハトはいないがティッシュペーパーが置いてあり
毎日使っている
ハトは日用品ではないので使うことはない モグラのように土に穴を掘って生きているわけではないので
部屋が狭い、といっても別に窮屈さを訴えているわけではない
単に宇宙を想像したときに、自分の部屋狭ぇな、と感じるだけの話だからな 下を見て暮らしても上を見て暮らしても
自分の部屋狭ぇな・・・という感想には変わりない 狭いか広いか、時間があるかないか
このような考え方に支配されていること自体に
徒労感を覚える つまり、ハトは日用品ではないということに他ならない クシャミをしたときに鼻水がズボンに飛んで
うわっ、となって急いでティッシュペーパーをとり拭きとる
このときに自分は別に木を切り倒しているわけではない 考えるまでもなくティッシュペーパーに手を伸ばす癖がついている
これは一体どういうことなのか・・・ 安いティッシュペーパーを買っている
昔に比べて確実に品質は落ちてきている すぐにボロボロになるんだよ
ただこれは、トイレに流しても詰まりにくくなるように配慮してあるだけかもしれない
肌触りは特に変わった印象はない 下品な話で恐縮ですが
オナニーをしたときに精子をふき取るのに
自分はティッシュを使わない
いつもボロボロになったハンカチを使っている
これは洗って何度でも使えるから便利
精子はそもそも汚いものか?
恥ずかしいものではあるがな 自分の精子を舐めたことが何度もある
味は特にない
少し生臭い程度だ ハトの肌触りが気になる
ティッシュは日用品なのでほぼ無意識に使っている どちらも柔らかいイメージだ
鼻水を拭くのに硬いものを使うという習慣が無い 木の枝を拾ってきて鼻水をこそぎとっても別にいいわけだがな
何かそういったイメージには抵抗がある なぜ抵抗があるのか
こういった素朴な疑問について考え始めると
また徒労感に襲われる こういった問題について考えるときには決まって
物の柔らかさについてイメージをしている 道端に落ちている木の枝は硬いのだろうか
おそらく触った感じは硬いだろうな
しかし、木の枝の皮をむいて中の繊維をバラバラにして
お湯にひたして煮込み、乾かせば
ティッシュペーパーとまではいかないものの
紙に近い質感の何かができあがるのではないか、とイメージすることができる
ただ、そんなことをして何になる?というのが普通の感覚だろう 人は自分の利益のために自分の意志によって何かを選んでいるのか
それとも、自然の大いなる意志によって操られるようにして
何かを選ばされているのか、という問題がある
これについては人間の想像力の及ばないところがあり
考えるのに抵抗がある 人工物に溢れた環境に生きている影響で
このような想像には限界が生まれている ハトとティッシュペーパーの問題については考えを放棄することにした
これも徒労感が生まれる要因だ 世の中には人の力ではとうてい解決することが困難な
問題が無数にあるような印象をもっている
実際に自分にとっての問題というのはそれほど多く存在しないのに
なぜかそういった印象を持っている 自分にとっての問題というのは
単純に、生き方や死に方といった問題に帰結するだろう 死んでもまた輪廻して似たような場所に戻ってくるのかもしれないが
死についてまともにとりあうと精神がもたないからな
せいぜい死に方について想像するだけに留まる 一番重たいのは自分の死や身近な人の死であって他のことは二の次となるのが普通だろうな 今まで自分の身近な人がけっこう死んでいった
そのときは悲しいが時間がたつと忘れる 気がつくとティッシュに手を伸ばしている
たぶん人が死んだときもティッシュを使っていると思うが
なぜか思い出せない
ティッシュがそこまで自分の無意識に浸透しているとはな
ハトよりもティッシュの方が自分にとっては身近なのかもしれない モグラのように土に穴を掘って生きているわけではないので
ティッシュが自分の無意識に浸透していたとしてもおそらく
部屋が狭いのと物のやわらかさとの関連性について考えるよりも先に
徒労感が芽生えるのかもしれないがな ここで何が問題なのかというと
筋道を立てて考えることに対する徒労感だ 筋道を立てて、つまり順序良く物事を進めなければ
日本ではにっちもさっちもいかないことが多い
日本に限らないかもな
日本はともかく平常運転で運ばなければ気のすまないことが多いだろう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています