昔話の独り言 [転載禁止]©2ch.net
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昔のことをふと思い出して吹っ切れそうだったからたててみたい ほんとに昔で私が小学生のころのはなし。
結構うすぐらいというか痛いところもあるから苦手な人にはお勧めしない
というか語彙力がないから読みづらい独り言 友達の不幸自慢に付き合ってたらフラッシュバックしたからかいていく。
実のところ私クォータ。っていってもアジア系だからまったく見た目変わんない。
めっちゃ日本人
そんで親がハーフと外人。
よく何で日本で暮らしてるの?とかきかれてたけど
そんなもんわたしもしらん。 本当に昔の話。
普通の家庭に生まれてごく普通に育ってきたと思ってたらそうでもなかった。
世間一般でいうDVをうけてたらしい。 らしいってのはなんか自覚がないから。
家ごとの風習ってあると思うんだけどそれ友達に話したら驚かれるみたいなのって経験あるとおもう。
軽く言うと卵焼きはソース派みたいな? そこで一個一個話していうこうかなと思う。
これは私が小学五年生だったころ。お父さんとお母さんが喧嘩してたんだよね。
たしか理由は父親が親戚一同に馬鹿にされたときに母親がかばわなかったから。 そんときも今もそんなことでって思わずにはいられないんだけどね。
でも父親は怒り狂ってて毎日毎日母親に暴行してた。
椅子を投げつけたり母親の作ったシチューを頭の上からかけたり。
ふろおけで倒れるまで頭を殴り続けたり。
さすがに幼心でもそれはやばいと思って母親を助けようとして前に出たら私も一緒に殴られた。
そこら辺からいろいろくるってきたんじゃねぇかなーとは思う。 まず私が少し口答えしただけで殴りつけるようになった。
それ自体は結構前からあったけどそれほどひどくなかったというか。
私がおとうとと食事中に話しただけでグーでぶんなぐられた。
小学生と大人じゃ力の差もえげつないから私は椅子ごと吹っ飛んだ。
母親は焦ってた。
父親は真顔だった。 その次はいとこの家でゲームをしてた。
私は女だからって理由でゲームも何一つ買い与えられてなかったし弟は小さいからって理由で買い与えられてなかった。
あるときうらやましくてゲームを貸してもらった。
その現場をたぶん見られてたんだと思う。
家に帰ったら父親が仁王立ちで箒のわっさわさしてる部分もって待ち構えてた。玄関で。
顔は般若ですごい怖かったの覚えてる。 そっからずっと箒の柄で殴られ続けた。主にしり。
知ってる人も知らない人もいるかもなんだけど、殴り続けてたら青通り越して紫になって黒に近い色になるのね。
そんで触ったらわかるぐらいカチカチになるの。
あれって殴られ続けると痛覚が鈍くなってきてゆっくりゆっくりジーンとした痛みが広がってくの。
一番ひどいのは殴られつづけたすぐあとね。
一気に痛みが襲ってきて座ることもできない。
真っ黒になった後は毎回存在してなかったかのように父親にふるまわれて母親に言われてやっとベッドにありつける。
三時間ぐらいかもしれないしほんの数十分だったかもしれないけど最中は私にとってはずっと地獄だった。
どM願望もないし
寝るときにあおむけに寝れなかった。
布が触れるだけでピリピリした痛みになってまるで極寒の体に熱湯を注がれたみたいな。
熱いぐらいの痛さ。
まぁ次の日も学校があったからどうにか慣らして寝てたんだけど。 そんで朝起きて服を着たら鈍い痛みが広がって鏡見たらきれいな一面の紫と真ん中に黒が広がってんの。
わたしのおしりに。
ズボンもはけなくて遅刻しそうだったの覚えてる。
歩くときにパンツやらズボンがこすれてすごい痛い。
まっぱで歩けるならあるきたい!って気分だった。
教室について椅子に腰おろすのも難関だった。
手を付きながらゆっくりおろすから友達に〇〇どうしたの?っていっつも聞かれてた。
それをいっつも何でもないって笑ってた。
怒られるときにはしりが黒くなるまで木の棒で殴られるっていうのが私の常識だった。
友達もされてると思ってた。
友達に昨日怒られたのがばれるのが恥ずかしくて仕方なかった。
だからなにごともないようにずっと笑ってた。
そのせいか小学校のころはいつもへらへらしてるからわらいばばぁって呼ばれてた。
笑うとき顔がくしゃってなるのが癖だったんだよね。 今思えばくそみたいなあだ名だなぁって思う。
でもそん時はそれも笑うしかなかった。
台風の日に締め出されたこともあった。
そん時は確かおばあちゃんのお金せびったとき。
それをおばあちゃんが父親に話しちゃったんだろうなと思う。
おばあちゃんは違う家に住んでたから私らが何をされてるかはわかってなかったんだと思う。
おばあちゃんが話した日お風呂から上がって私が真っ先に見たのは木の棒を持った父親だった。 まず私は台所でけられ続けた。
台所で転げまわる勢いで吹き飛ばされ続けた。
冷蔵庫に机の角に床に頭うちつけては立って棒で殴られてまた蹴り飛ばされての繰り返し。
それが飽きたら今度は玄関に連れて行かれて台風の中家を追い出された。
近くの屋根の付いたゴミ捨て場に身をひそめた。
一時間ぐらいして母親が布団をベランダから投げてくれた。
濡れてたけどないよりかはましだった。
ふろ上がりの寝巻じゃ寒すぎたからな。
その数分後に母親に玄関で呼ばれた。
許してもらえたんだ!って思った。
母親が直談判してくれて父親が許してくれたんだと思った。
母親が自分の国の言葉で話し続けてきた。
その時言葉理解してなかったけどたぶん心配してくれる言葉だったんだと思う。
そしたら今のふすまがあいて父親が出てきた。
私はグーで外に殴り飛ばされた。 誰がこいつをいれていいっていった!!!!
すっごい大声だったと思う。
母親があわててた。
弟も心配そうにこっちを見てきた。
笑おうとしたときに布団をはぎ取られて玄関のドアを閉められた。
また一人でゴミ捨て場に行った。
そっから数十分ずっと通行人におびえながら震えてた。
そしたら母親が出てきて私の名前を呼びながらきょろきょろしだした。
ゴミ捨て場から出てきた私を見て言葉を失ってた。
やっとのこと家に入る許可がもらえたらしい。
わたしは震えながら玄関に入った。
待っていたのはフルスイングの木の棒だった。 バキっと音がするぐらいの強さで殴られた。
痛いと思う暇もなく二発目が来た。
私はうずくまって耐えようとした。
必然的に脳天ばかり狙われた。死ぬかと思ったのはそれが初めてだった。
気づいたら鼻から熱いものが垂れてた。
鼻血だった。
両方の花から鼻血が出てた。
それを見て父親は汚いってまた棒で殴った。
棒には私の鼻血がこびりついてた。 母親がやっと止めてくれた。
さすがにひどすぎると止めてくれた。
私は洗面台に引きずられるように連れてかれて鼻血を洗い落とした。
その間も父親はずっと私の罵倒をしてた。
声が怖くて震えてた。
きれいになって私は母親にすぐ上にいくよう指示された。
上は私と弟の寝室だった。
ようやく寝れるとおもった。
地獄が終わると思った。
でも何かはわからない不安が心臓をずっと鷲掴んでた。
本当はわかってた気がする。
私がベッドで三角座りをしていると数分でドタドタ階段のほうから聞こえた。
ドアが開いた。
「こんなので許されるとでも思ったのか?」
私はそれに薄ら笑いを浮かべながら思ってませんって首を振った。
首をつかまれて階段に投げ飛ばされた。 そっからの記憶はあんあまりない。
たぶん途中で意識飛ばしたりを繰り返してたんだとおもう。
気づいたら私は母親に凸凹になった頭をなでられて弟に泣き疲れてた。
その場に父親はいなかった。 なんで笑ってたのかはそんときわかんなかったけど
今思えばそばにいた弟を怖がらせたくなかったのかもしれない。 私はその時父親は当然ながら母親も憎かった。
今思えばたぶんあの人は怖くてとめれなかったんだろうとはおもうけど。
始め殴られてた時になんで止めてくれなかったの?ってずっとにくく思ってた。
その代り母親に撫でられてるときはずっと笑顔で受け答えしてた。
理由は単純でただただ同情されたくなかった。
自分を助けてくれなかった奴に同情されたくなかった。
かばわれたくなかったんだと思う。
子供なりのばかみたいな意地だったと思う。
でもそれがあったおかげで学校でも過ごせてたと思う。 そういうことが何度か続いた。
時には弟と二人して殴れることもあった。
父親がぶるーす/り/−にはまってた時だったと思う。
ヌン/チャ・クを買ってきた。
これも地獄の始まりだった。 ヌンチャクって使い方が悪いと自分に跳ね返ってきたりする。
父親がそれだった。
私らの足を腕を頭を殴ってる時にかけらでも跳ね返りが当たれば私たちにあたってきた。
お前らのせいだって。
お前らが俺を傷つけてるんだって。 痛かったし辛かったしにくかったしぶkkrしてやりたかった。
許せなかった。
鼻血まみれの私をみぬ振りする母親も
存在しなかったかのように私を扱う父親も
ある時はご飯を食べさせてもらえなかった。
テレビの横で黙って突っ立てろって命令されて家族の食事が終わるのをずっと待っていた。
おいしそうに食べる家族がにくかった。
みんなの視線はテレビに釘付けのはずなのになぜだか私に視線が集中してると気が気じゃなかった。
馬鹿にされてる目線なんじゃないかって怖くて震えてた。
その時から人の視線が怖くなった。 親の部屋から聞こえる雑音は暴力が始まる合図だった。
怖くて怖くて弟とてをとりあってふるえてた。
こわかった。
次は私だとずっと思ってた。
音が怖くなった。 親が返ってくる音が怖かった。
車の光が怖かった。
玄関のあく音が怖かった。 なんかふろはいったらすっきりした。
よくわからん独白ここで終わりにする。
今はたぶん幸せだ。
親の仕事がなくなった。
私は進みたくない学校に進んだ。
でも幸せだと思う ただこのすれたてたのは友達の親に恵まれてないって言葉が気に食わなかっただけ。
自分の進みたい学校に進めて勉強してるのに思ってたのと違うって学校をやめようとしてそれを親に反対されてるのをDVかのように騒ぎ立ててる友達がうらやましくてしかたがないからたてた。
精神的にきついらしい。
たぶんお前が私ならお前は数年前に死んでるんじゃないか?ってのを言いたかった。
いわないけどな。 何か俺の発言でいやなこと思い出させて悪かったな。正直人のことを
理解して向き合おうなんていうまじめさなんて持ち合わせてないんだ。
あんたが今が幸福ならまあ嬉しいよ。健康に達者に暮らせ。 父親のようにできもしないことを口にする男だけにはなりたくない
有言実行の男でいたい。
そう。。。。。夢を叶えたい。。。。 行動を起こしたい。。。。。起こしたい。。。。
起こしたいじゃない。。。。起こせ。。。動け。。。。
動くんだ。。。。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています