【アックスボンバー】昭和の新日本プロレス50【三叉槍】
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>>410
ここぞの一番でクイックで勝つなら上手さが際立つんだろうけど、年がら年中そのスタイルだと玄人好みみたいな感じになっちゃってヘビー級のスターとしては厳しいよねぇ… >>403
蝶野にドラゴンスリーパーで勝ったのってデビュー30周年記念みたいな時だよね?
その時の蝶野ってまだ第一回G1の前で三銃士の中で明らかに一番格下だったから。
その後その年の11月に足取りドラゴンスリーパーみたいなので再び勝つけど。 猪木が藤波を後継者として考えた事は無いというのは正しかったという事か 当時の感覚なら猪木の後継者は前田だよ
今なら不器用すぎて失格だが >>405
武道館で蝶野に勝った時はドラゴンスリーパーからの変則技で勝って
めちゃくちゃ盛り上がったよ
ああいった味のあるプロレスを
単調で大味な展開が好きな
80年代以降のファンが普段は求めなくなったというのもある 藤波の必殺技は何かって言われてドラゴンスープレックスとは言い難かったな。
毎回のように逆さ抑え込みばかりやってた気がするわ。
84年でもアドニス、シュルツ、バレンタインにそれだぞ。 逆に何やればよかったかと考えても
受ける側の事を考えれば藤波に合う技ってないんだよな
当時ブレイクした選手は大概ラリアットだし 首固めと逆さ押さえ込みの2強だな
他は回転エビ固め、グラウンドコブラ、ブレーンバスターやバックドロップを反転して体を浴びせるとか >>417
考えられるのはHBKのトラースキックみたいなやつかね。 83年にはサソリ固めから弓矢固めに移行する技をやっていたな。
キムケンのトライアングルスコーピオン同様ネタ技に終わったが。 グラン浜田の高角度前方回転エビ固めとかも鮮やかだったな
。ウラカンラナも、後のフランケンシュタイナーの原型みたいな技だし。 >>394
今日がカーン戸口を相手の猪木ホーガンの優勝日 藤波はジャパニーズレッグロールクラッチとかもよくやってた印象 >>423
相手にリフトアップしてもらって高く跳ね上がってからというのはユニバ時代から?
なんにせよワグナーJrとのそれは絶品だったなあ >>426
脚折り式後方回転エビ固めだよね。昭和の技の名称は凄かった。小鹿とかのコブラツイストは共通名称アバラ折りだし。 >>426
噛ませ犬以前の長州とのシングルは
すべて回転足折り固めで藤波が勝ってるはず >>401
武藤がドラスク→足4の字固めの必勝パターンを編み出したけど、藤波が先に思い付かなかったのは残念だったな。 高田はUインターで猪木の劣化コピーというか猪木のエピゴーネンを嬉々としてやってたのに
対武藤戦ではS小林の役割だったな。 >>411
藤原や木戸のようなシューターでもないし
ようわからんレスラーだな藤波は 藤波の雪崩式ブレーンバスターはミスター高橋の介助なしではほぼ無理だったしな。
キラーカーンとの広島だったか試合は見応えあったけど、ブレーンバスター出来なかったな、別に相手が非協力的という訳でもなかっただろうけどその程度のレスラーだったな。 >>433
国際関係者から悪く言われた小林と違うのは
高田は、経営危機の団体の為に負けブックを飲んだことだな。
小林は沈没前の団体から一人だけ救命ボートで脱出したようなもん。 国際のIWA世界タッグに小林永源てのもなあ。
むちゃくちゃ失礼だな。 >>430
藤波のジャパニーズレッグロールは後方回転しない
うつ伏せの相手を横にひっくり返してブリッジする
後方回転式はローリングバッククラッチと呼ぶらしい
フィニッシュの形は同じ >>436
武藤が猪木って感じでもないしね。武藤と高田は短期間とはいえ新日本で一緒だったし、10.9時点での二人の格はほぼ同格だし、明らかに小林が挑戦者だった、猪木、小林戦とは二人の関係性がかなり違うのでは。 >>421
トライアングルスコーピオンはネタ技ではなく、危険すぎて封印 藤波はミサイルキックをフィニッシュホールドにできたはず ジュニア時代なら上限のある枠組み内で好きなようにトペや飛龍原爆とか代名詞的なものは表現できたが
ヘビー(無差別)となると今度は体格ゆえのハンデが浮き彫りになる。
新日系外人もエース級が当時だとアンドレ、ホーガン、ブッチャー、マードック、マスクドと重量級が多く
マーテルやスティンボートのような存在がほしかった。 ジュニアの体型のままで打撃を練習して、ホッジプラスオコーナー的なのを目指せば良かったと思う。猪木の後継者は前田に譲ってね >>442
でもヘビー級での藤波と、余り体格が違わない外人レスラーの試合って余り名勝負が思いつかないんだよな。フレアー戦とかジェリーローラー戦とかつまらなかった。 藤波の名勝負相手なら剛竜馬が一番体型がちかいかなあ >>445
日本人相手ならあるんだよ。
でも大型でない外人レスラー相手では思いつかない。
歴代NWA王者(WCWは除く、フレアーまで)も余り大きくないんだけどね。
190cm以上は馬場とキニスキーだけとも聞いた。 バッドニュースアレン辺りを藤波のライバルにすればどうだっただろう? 藤波と大差ない体型の外人自体が希少で経験不足か、単に割合の問題か アレンはレスラーとしての完成度は高いが、アレンの試合そのものは地味なので魅力を感じる事はなかったのが惜しい バドアはぁプロレのセンスはぁかなりぃ高かったかんな。
シンニプロがぁー本気で売り出したらぁタジェシ、スタハ級んなれたぞぇ。
二番手のポジショがぁー長すぎてもぉたっちゅうにぃ。
バドアにゃあサイキョの二番手っちゅう称号もらあってた位だしぃ。 アレンは試合が絶望的につまらん。中途半端なラフと反則が小物感を増す。柔道殺法で秒殺オンパレードぐらいやらせていればなぁ >>428
オートンにサソリで勝ったのは脱退した長州に対する嫌がらせ感満載だなw
藤波と体格がほぼ同じってジュニア選手ばかりじゃん。
ブレッドハートのほうが藤波より大きいだろ。 ジュニア時代の藤波は、ジョニーパワーズやアレンにもフォール勝ちしとるね、勿論長州にも。
ジュニアはヘビーからフォール勝ちしてはいけない不文律は、佐山タイガー以降か。 >>456
元々はオートンとやるはずだったのが最初だっただけに皮肉だな
復帰したならアドニスとのタッグでリーグ戦にも出て欲しかった >>456
ブレッドハート、フレアー、ジェリーローラー辺りは「体格が大差ない選手」だろ?
バックランドは「やや大きい」だけど。 >>446
ケリー・フォン・エリックとドリー・ファンク・ジュニアは
プロフィールでは190以上ありますよ 82年サマーファイトシリーズでの藤波は猪木欠場の穴埋めとしてバックランド、アドニス、マードック、バレンタインとのシングルで大活躍してたな >>460
藤波はパンフで187とあるけど実際には177から180の間らしい
カナダでコブラと組みスミス&ハートと対戦した時は明らかに一番小さかった。 >>458
フィニッシュは逆さ抑え込みじゃないの?
当時の藤波がそれ以外の技でヘビー級の選手にピン勝ちするイメージがわかない
コロフにはドラゴンで勝ったことあったけど、あの時のコロフは激ヤセしてたから
体重もジュニアだったかも
>>446
ドリーは公称188のブリスコとほぼ同じだから、もう少し低そう
ケリーはガチで190以上あるだろうね >>446
NWA世界王者は、183〜188くらいのアメリカ人レスラーとしては
標準体が多いね。ハットン、オコーナー、ロジャーズ、レイス、ブリスコ、
テリー、フレアー。NWA王者は、地元の選手が「勝てるんじゃないか?」
と思わせるようなレスラーが良い。あまり大型の選手だと「勝てそうにない」という
印象を与えるからかな?だからフリッツ・フォン・エリック、ビル・ミラー、
ジョナサンはなれなかった(ならなかった)らしい。
例外190超はテーズ、キニスキー、ドリー―は微妙。
馬場はアメリカ本土で王者として防衛ロードを歩まなかったから除外ね。
>>461
ドリーは資料にもよるが、ギリギリ190かな?
それより、テーズは全盛期、余裕で190はあったと思われる 猪木の後継者じゃなくて猪木そのものに成りたかった気持ちが一番強かったのは前田なのかな
んで藤波ってどこまで本気で猪木の後継者を狙ってていつ諦めたんかなぁ >>462
最終戦のバックランド戦が蔵前での初のシングルメイン >>467
テーズの公称188って、どこかな?
WIKIとか、多くは191だし、
貼ってあるサイトの猪木、藤波と並んだ
写真だって猪木より高く見えるけれどね。
その写真は1985年,猪木対藤波戦で
レフェリーをやった時のモノだろうが
その時、テーズは69歳だよ。
そりゃ、全盛期より縮んでいるよ。
それでも猪木と大した変わらん(高い)
ということだ。 まぁビルロビンソンが180cmのわけがないからおかしいか。 >>466
猪木のコピーという点で一番徹底していたのはUインター時代の高田かな
本人がコピー従ったというより、宮戸がやらせたんだろうけど
もちろん、高田には猪木のような法螺吹きの才能がなかったから、2年くらいしかもたなかったけど
藤波はヘビー級転向の時点でもう無理だと思ったのでは?
猪木もヘビー級としては明らかに非力だけど、それに輪をかけて非力だし >>464
いちおうヘビーのコロフをドラゴンスープレックスやる必要ないのにやったのはコロフが1試合なのに1週間分のギャラを要求したからか
しかし当時は外人のギャラが1週間単位で1試合でも7試合でも同じというのは(ビッグマッチボーナスがあるとはいえ)おかしいと思わなかったのか コロフにとってみたら多少のギャラの上乗せがあっても残るのはイメージダウンしかない。
日本でこれは大きいよな。 アメリカではテレビマッチ撮り溜めに一日2、3試合することもあったから週7試合以上も珍しくなかった。 >>474
ハンセンの自伝でプロレス入り後の給料についてドリー・シニアに聞いたら
「最初のうちは300~350ドルかなあ」と言われて「そんなに安いのか?」という顔をしたら
テリーから「おい、スタン!親父が言っているのはウィーク(週)だよ!マンス(月)じゃないよ!」と
言われてみんな笑ったという話があるからね。
アメリカで週給がデフォ。日本でのギャラもそれに倣っている。 >>478
ハンセンは当時、教員をやっていたが、現実はプロレスデビュー時点で
教員より遥かに給料が高かったそうだ。 つうかハンセンが医者とか教員とか選べたってんだから
裕福な家だったんだろうな。馳浩みたいなもんか。 アメリカでは小中高の教員はステータスが低い仕事。
日本ではなんのかんの言われるけど教員は一応のステータスがある。 >>480
喧嘩三昧のバッドボーイじゃなかったんですか! >>480
テリー、マードック、マリガンなんかは実際に牧場経営していて、リングを降りてもカウボーイの臭いが
プンプンしていたけど、ハンセンはそういうのが一切なかったもんな。読書大好きな知性あふれるインテリ。
ハンセン自身も「他の人間からすれば、オレは『テキサスを捨てた男』になるだろうな」と言っていた。 >>475
コロフは、サンマルチノを破って
短期間ながらWWWF世界王者に
なったという実績で日プロで馬場の
インター、国際ではIWAタッグ王者、
新日でも、この藤波戦の2,3年前に
猪木のNWFに挑戦、カナディアンバック
ブリーカーでギブアップ寸前まで追い込んだのに
ジュニアヘビーの藤波に一方的に破れ
もう新日を初め日本でお呼びが掛からなくなった
平成の初めにひょっこと全日に来たけれどね >>475
しかもあの試合、最初藤波の相手はカネックだったのが
「敵前逃亡」(ってことになっていたが、、もちろん事実は別。
カネックの名誉にかかわることなのに、新日もテレ朝もいまだに正式には訂正してないのでは?)
で急遽差し替えられたんでしょ。しかもジュニアの選手相手に
元世界王者の自分がドラゴン食らっての負けブックとか。
特別ボーナス貰ってもまだ割り合わないわ。 わざわざコロフじゃなくてもロン・スターやカナディアン、ロベルト・ソトもいたのになぁ。 2試合目だからフォール負けを喫してしまった、であれば多少は顔が立つか。
猪木ベイダー初戦も、狙ったわけではなかろうが結果的には2試合目の猪木が敗れたんだった。 テレビで見る分には2試合目よりも乱入した上田の鉄柱攻撃で足にダメージ負った方が大きいな >>489
カネックいじめて途中帰国の原因造ったのこいつらでしょ?だったらこいつらに尻拭いさせるべきなのに
コロフにその役圧しつけるとか。元世界王者へのリスペクトのかけらもないよな カネックは英語があんまりできないからつまはじきにされることが多かったとか
せめてキャットが友達になってやればと思うがリングでの格が違いすぎて無理だったか 昭和の日本とメキシコの通貨価値はよくわからないが
カネックにとって日本遠征はいい稼ぎになったんだろうな
向こうのトップなのにシリーズ全戦参加が多かった >>493
人種差別的な理由もあったんだろうな。
中南米系は欧米で有色人種扱いで被差別階層。
クリスマルコフがブルラモスに対して差別的なことを言って大喧嘩になったり。 コロフは開幕戦カネックと組んでいたけど長州にクイックとはいえピン取られていたし、坂口がいないから北米タッグへの挑戦もないし何しにきたのやらって感じ。 昔、世界丸ごとハウマッチでシェン・カラス兄弟の日本に遠征した場合のギャラ提示があったけど週1700ドルぐらいだったと記憶している。めっちゃ安い!と思ったよ。これでもメキシコの数倍なんだろうな。 >>499
ハンセンが1980年頃の新日時代に週給3500ドルだったそうだから
そんなもんじゃね。 >>497
だからフィニッシュ(逆片エビ)前のドラゴンスクリューで
足首を思いっ切り捻られてるよな当時の観客はよく分かってなかったみたいだけど そりゃあフジナもぉやる時ゃあやるっちゅうこっちゃわぃ。
ロンスはぁジュニヘの割にゃあ長身だったかんな。
ジュニヘなのにぃアノキとあんま変わらぬ進捗っちゅうのもぉ。 マスクドスーパーがグレートマレンコ帯同しての来日もこのコロフらと一緒のシリーズだったか。で、マレンコが葉巻で猪木の目を焼く演出。
怒り心頭でマレンコをリングに上げシングル戦敢行、結果はどうだったかな、数分ほどで終わったよyな記憶
マスクドはこの時もマスク剥ぎマッチやったんだっけか(猪木は髪)、81年蔵前は久々ジャーマンで切って落とした試合なので
憶えてるんだが。 全日は裏で夫人とかのアコギなのが後年明らかになった
バックヤードのゴタゴタだが
新日は突然カード変更暴動騒ぎとか
ファン冒涜が表向きあからさまだったのによくファン続けられてたよな。 >>506
その当時のガチオタはUWFに流れてたし、新日に残ったファンも
揉め事期待して興味本位で行くような感じだったんじやんないかな。
全日は全日で、オーやオリャの悪ノリで会場荒れてたし。 >>499
HOWマッチにディナミタスが出てたのか! >>507
オーは荒れでは無い。
オリャとシャーが悪ノリ悪ふざけ。
SWS終えて超世代軍の台頭で悪ふざけは消えていった。
新日会場は折れ!折れ!物騒だったが今の新日はちゃらくて見てられないんだろうな。 >>507
新日ファンの大量離脱後も必死に応援してた人たちは熱かったけど、
さすがにジャイアントマシーンで見限ってしまった感があるね。
Uが戻ってきてからまた熱い連中も復活したけど、
たぶんギブアップまでまもないに変更してからギブアップしたんでないか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています