新日本プロレスと全日本プロレスが旗揚げした昭和47年当時の状況調べてみるとプロレス人気は落ち目で観客動員もテレビ視聴率も芳しくなかった
原因はスターレスラーの不在、地味でショッパイ大木、坂口、上田では役者不足、馬場の全日本も苦戦していた

そこで日本プロレス中継していたNETは猪木に目を付けた、日本プロレスを切り、坂口を説得して猪木と組む事を提案、NETは猪木にプロレス人気復活を賭けた
賭けは成功、昭和48年4月金曜夜8時ワールドプロレスリング放送開始、ファイターに変貌していた猪木の華々しい劇場型プロレスはファンを熱狂させ大人気となる

その頃、馬場の全日本プロレスにも待望のスターが現れた、アメリカ修行から凱旋帰国したジャンボ鶴田が蔵前で衝撃的デビュー戦を飾る、その華やかでダイナミックなプロレスはファンの度肝を抜いた