ノゲイラ
1999年1月、パンアメリカン柔術選手権に出場し、茶帯ペサディシモ(+97kg)級で優勝、
またアブソルート(無差別)級では決勝でジヴァニウド・サンターナを下し2冠を達成し、
22歳でデラヒーバからブラジリアン柔術黒帯を授与された。

その後アメリカに移住し、パンナムの活躍によりWEF(ワールド・エクストリーム・ファイティング)のプロモーターにスカウトされる。
6月12日にデビッド・ドッド戦でプロ総合格闘技デビュー。
また7月にはムンジアルに出場し、黒帯無差別級でベスト4に進出するも、準決勝でホベルト・"ホレッタ"・マガリャエスに敗れている。

アローナ
1997年にカーウソン・グレイシー・アカデミーに入門。その後ブラジルの紫帯、茶帯の世界王者となりカーウソン・チームの代表として注目され始める。

2000年、アブダビコンバットのトライアルに出場。
アマウリ・ビデッチを倒しトライアルを優勝、続くADCCブラジル予選でも優勝し、ADCC2000本戦の出場権を手にした。
3月の99kg未満級本戦では、1回戦で金原弘光、2回戦でカリーム・バルカレフ、準決勝でティト・オーティズ、決勝でジェフ・モンソンとすべて判定勝ちを収め、優勝を果たした。
同大会のMVPに輝き、天才児として一躍有名になる。
そして翌年のADCC 2001では99kg未満級で再び優勝、2連覇を達成。さらに無差別級をも制した。

すでにリングス出場前にこれだけの実績がある選手を普通は発掘とは言わない。
初招聘したとか、初上陸させたなら分かるが。