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【ダブルアーム フロント】昭和の全日本プロレス73【サイド ジャーマン】
【ニックボックウインクル】昭和の全日本プロレス74【ジャックブリスコ】
【ジャイアント馬場くんを】昭和の全日本プロレス75【ますますテレさすスレ】 経産大臣辞めた菅原一秀とアポロ菅原、顔似てないか? 親戚? 馬場の悪口を言うつもりは無いが。。
昔プロレス月刊誌にて
タイヤを支点に
猪木が両大腿を押さえて
馬場がブリッジをしている写真が掲載されていた
プロレススーパースター列伝 なつかしのBI砲にて
新弟子の馬場猪木が並んで
上に個々レスラーを乗せてブリッジしている姿が描かれていたが。。
これはないと思ったw 馬場は蓋を開けたマンホールの上で力道山を乗せたままブリッジをしたんだぞ。 地面に埋まって額を車で轢かせた話子供の頃はガチだと思ってた 馬場は閉じられた控室の中で、手足にバーベルとダンベルを巻き付けられ
身動きがとれない状態で蜂の巣を投げ入れられたんだぞ 馬場は飛行機に乗る時に、寝た状態になって主翼の中に手を入れるんだっけ? 天龍源一郎が語る“師弟とは”「憧れのヒーローを乗り越える」 馬場さんは師匠ではなかった!?〈dot.〉
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191026-00000022-sasahi-ent&p=2
「天龍さんにとっての師匠は馬場さんですよね」ってよく言われるけど、それは違う。
自分で団体を立ち上げてからは対抗心も燃やしたけれど、
俺にとっての馬場さんは、やっぱり全日本プロレスの入団当初に抱いていた、
漠然とただ大きくて、つかみどころのない存在のまま。
俺も最初はどういうレスラーを目指すか悩んだし、「馬場さんが手本になるのかな」って考えたこともあるよ。
だけど、相撲の横綱のように有無を言わせぬ圧倒的な威圧感のようなものが、馬場さんには一切ない(笑)。
そんなに威張ってもいないし、「大きなおじさんレスラー」なんていうふうに捉えていたところもあったかな。
ただね、入って間もないころに、ジャンボ鶴田に言われたことは忘れない。
「源ちゃん、あんたの人生をどうするか決められる、首を切る権利を持っているのは、代表取締役の馬場さんだけなんだよ」って。
もう驚いてさ、「俺より1つ年下なのに、もう社会の仕組みを理解しているなんて、こいつはすごい」って、
ジャンボのほうに憧れちゃったことは……否定できないな(笑)。
だから、馬場さんは師匠ではなくて、経営者でありボスなんだよ。
「天龍、この野郎」と思うことがあってもぐっと飲みこんで、俺をしっかりと働かせていたんだから。 >>17
確かに馬場はボスだよな。
師匠はアマリロでプロレスの仕組みから技術までを教えてくれたファンクスということになるのか 逆に馬場から盗めるプロレスの技術と言うと何があるんだ? 長年のんびりと昔の全日本の懐古話をするスレだったのに先月くらいから新日本と比べたがるレスが増えてつまんない盛り上がり方してるな >>19
試合のつくり方とかじゃないの?
馬場本人が解説席でいつも文句を垂れてたし
それなら、なんであんたが教えないの?ということにもなるがw ジャンボには「こんこんと諭しました」と言ってた気が
天龍にはあまり苦言はなかったね >>21
馬場は自分で教えられないから、いい選手が来るとファンクスにやらせた。
輪島の時はファンク道場がになかったからネルソン・ロイヤルらにやらせた。 つべにドリーvsジムガービンのシングル戦がうpされてるが
天龍のUNに挑戦前のガービンがあっさりピン負けしてるわw
タイトルマッチの興味が失せると思うんだが、ドリーの方が天龍より格上だからピン負けしても問題無いと思ってるのかねぇ?w >>19
インサイドワーク
馳の逸話「場内の観客の反応への木の配り方」 >>25
馳には受け継がれてるのはわかるけど
鶴田や四天王にはうまく伝えられてたかなあ?w
馬場本人は日プロ育ちだから別だが
全日から始まってる選手たちはどこか
その辺の繊細さに欠ける気がする
川田と秋山が多少は別かなとも思うけど 馬場や馳の言うリング上での指の動きってどこ由来なんだろう? その馳が、SWS旗揚げ戦を見て、
「2階席の一番上のお客まで意識しているのは天龍さんだけだった」
と言っていたね 猪木はタッグマッチでコーナーに控えている時も構えて檄入れながら闘ってて後ろ姿もカッコいい。
鶴田はボーっと立ってて脇腹が弛んでる。 馬場自身が著書で「鶴田は手取り足取り教えれたが
天龍は鶴田ほど教える時間がとれなかった」と書いていたな
当時は多忙だったらしい
馳の時はリング上では前座にまわってたので教える時間が取れたんだろう
猪木にしたって若手のコーチは小鉄や藤原にほとんど丸投げだったからね
エースで社長はそれだけ負担がかかる >>17
>源ちゃん、あんたの人生をどうするか決められる、首を切る権利を持っているのは、代表取締役の馬場さんだけなんだよ
これって暗に例のクツワダのクーデタのこと言ってんだろうな
鶴田も一時はクビが危うかったらしいし 「正直、蓄えはそんなになかった。プロレスファンなら知っているだろうけど、
全日本プロレスのファイトマネーはそんなに高くなかった。一方、ライバル団体の新日本プロレスは、スター選手になると結構な年収を手にする。
さらにテレビ番組や映画などへの出演も多かったから、副収入も多かったようだ。
Tシャツやタオルなんかのグッズのロイヤリティもちゃんとあったみたいだね。
その時は『ウチはウチ、ヨソはヨソ』とあまり気にしていなかったけれど、
新日本の人気選手の生活を見ていると、
『やっぱり格差は大きいな』と実感させられたし、俺のセカンドキャリアもちょっとは違っていたかもしれない」
「開業から3年以内に8割が潰れるラーメン屋を失敗を重ねながら10年も続けてきたプロレスラーが伝えるしてはいけない逆説ビジネス学」
川田利明・著 タイミング逸しちゃったけど、今なら言ってもいいかな?
日テレとは、親会社小会社とか連結決算の関係じゃなく、放映権以外にも選手の専属契約に関する金がでてたはず
日テレマネーのおかげで、現役時代ベンツを数台持ってて、開業に際してそれらを処分した川田お前がそれを言うか?な感じ こういうファイトマネーの話ってどこまで本当なんだろう?
谷津なんかはアントンハイセルの社債を買わされたと言いつつもそれなりに稼げてたって言ってるし
でもキラー・カーンなんかは中抜きが酷かったって、猪木や坂口や新間を今でも嫌ってるんだよね 何で全日OBは世話になった団体や馬場のことを貶める様なことを言うのかな?
佐藤昭夫は知らないけど‥ 実際は
円満な関係ではなかったということだろ
馬場さんを頂点にしたアットホームな会社なんて
ターザン山本が作ったイメージだろう >>37
SWSの引き抜きが裁判沙汰になったとき、実は全日の選手の方が
ギャラが高かったことや、会社にあれだけ迷惑かけた原やさして
貢献度の高くなかった櫻田が厚生年金に入れてもらっていたことが判明しているからな
馬場の守銭奴イメージもどこまで本当なのやら FDのトークショーで小橋が言ってた、ハンセンが荒れ狂って、ドア一つひとつ開けて、天龍いるかー!と言って回ったけど、馬場がとりなしたらしく、次の日は、何事もなかったようにしてたという話に、前田が感心してた。
マスカラスが熱心な新日参戦のオファーに首を縦に振らなかったのも、マスカラスの母親が亡くなった時、緊急帰国のためのチケットを手配してくれた馬場に恩義ん感じていたからだと思う。
馬場は社長っていうより、ボスって感じ 馬場夫妻が選手からすると行動や言動等にチェックが厳しすぎるのかな。
もう少し自由度がほしいとか。 >>42
元子さんは生粋のお嬢様、そして馬場夫人。
多分、馬場ファーストの人。
馬場は、、、力道山がクズ過ぎたんだと思う。
元子さんは、野村沙知代と同類のように言われるけど、全然違う >>44
長州初の異種格闘技戦(対トム・マギー)は批判も多かったが、
ミスター・ヒトがブッキングして、ジャパンの大塚直樹社長が呼んだボディビルダー
本来は前年の大晦日にジャパンプロ主催でTBSが放送する計画があったが
日本テレビの圧力で、全日初の元旦興行の目玉カードになった。 二大決戦
長州谷津小林vsマシンヒロ俊二、石川井上vs浜口寺西なんてまんま新日と国際やんかと思ったが石川だけ違ってたか >>45
俺の周りでは、初来日の時は評判良かった>トムマギー
馴れたら化ける、身体が恵まれてカッコいい、って評価だった。
2回目の来日では嘲笑の対象だったが… >>38
天龍がインタビューで言ってたが、「新日本の選手は皆猪木さんのことを尊敬してる、
全日本のヤツらは皆馬場さんの悪口を言う」ってその通りだな。 蝶野や武藤は猪木を尊敬してるけど悪い部分の悪口は言ってると思うが
新日にエセ格闘技持ち込んだから武藤は全日に移籍したんだし
猪木の元気ですかーみたいなマイクアピールを
蝶野は「あんな学芸会」といってこき下ろしてたし >>49
エセじゃないのを持ち込むから離れたんだろ マギーのコーナーからの宙返りには仰天したな
こんな化け物相手にどう戦うんだろうと不安になるくらい >>49
側近だった小鉄ですら「リングの中の猪木さんは好きだったが
リングの外の猪木さんは嫌いだ。猪木さんが事業をしていなかったら
新日は自社ビルを建てていたよ。」と言っていたからな >>53
シューティングスター式リングインのことだと思う >>55
2m級の身長の選手がコーナーポストの上から
宙返りで飛んできっちり着地したんだから
素直に凄えと思ったよ。
あの試合だけで言えばそこまでボロは
出ていなかった。 >>48
そりゃ猪木さんはまだ生きてるから
馬場さんは死んだから悪口言い放題 馬場からすると弟子が偉くなって自分と対等の立場になるのが嫌だったみたいで
昭雄が馬場さんからみたら僕は入門当時の小僧のままですよと苦笑いだったとか。 サンマルチノが
「ビンス(シニア)は全てのレスラーをボーイズとしか思っていない
勿論私もだ」とハンセンに言ったって話もあるからな
だが馬場はビンス(ジュニア)にも小僧として接したから交流戦で勝ちブックばかり持って行った >>48
馬場の悪口言ってるのは日本プロレスの残党たちだろ。小鹿、高千穂とか。
渕、大仁田、越中、川田、小川、秋山ら全日デビュー組は悪く言ってないんじゃないの。 最近、トークバトルで銭稼ぎするロートルレスラー、引退レスラーが
うじゃうじゃいて幻滅する。
写真ショット撮影も金とるらしいね。 >>57
まだ猪木が新日オーナーのときに金本はボロクソ言ってたな
猪木は金本なんか何とも思ってないだろうけど 馬場と猪木の違いはボス感があるかどうかかな。猪木は会社の実務的な事とか
現場のマッチメークに口出ししない感じだし、NWAの会員は坂口だっから外人
レスラーからもプロモーターとして見られていたか怪しい感じもするけど。 >>63
ハンセンは「ビジネスの話はいつも新間。猪木とは2,3回しか会話しなかった。」と言ってたし
ダイナマイト・キッドも同様の事を書いていたからね 猪木は、金の話はオレにするなよ、どうしたら金が作れるかって話なら持って来い!ってよく言っていたらしいから >>17
天龍の今の憧れは北の富士なんだなw分かる気がする。
>>63
>>64
こんなコメントもあった。
ハンセン「全日本はアメリカ式で、新日本は日本式。実際、全日本はアメリカ経験者が多かった。新日本は企業内の階層がはっきりしていて役割分担ができていた。」
ブッチャー「馬場は葉巻を咥えて悠然と椅子に腰をかけるボス。日本人が合わなければ、いつでも私、ハンセン、ブロディに電話をかけてきた。」 >>64
スティーブ・ウィリアムス「新日で猪木とギャラの話をしたことはない。
坂口、マサ斎藤、服部、事務所の人間・・・組織としてはそれの方がいいのかもしれないが、
使われる側としては、誰が決定権を持っているのかが分からない。
全日だと全て馬場に話せばいい。移籍した理由はこれだ」 >>64
>>67
この違いは、もちろん馬場と猪木の性格の違いもあるけど
英語力の差も大きいんじゃないの?
馬場は通訳を交えずに外人レスラーと細かな契約の話ができただろうけど
猪木にはできなさそう 正確にはわからないけど.90年代ドームプロレス時代の新日と、当時の全日では年商にかなり差がありそうな気はする
もしそうならレスラーのギャラも差があって当然ではあるけど… >>63
前田が猪木と馬場の違いは、自分を表に出すかどうかだと言ってたな
猪木は常にプレイヤーとしての自分を出してくるけど
馬場はプロデューサー的な立場で考えるからそれがないと >>68
馬場は日本語も聞き取りづらいのに舌や唇を噛んで微妙な音を出す英語が上手いとは思えない。
>>69
新日50億超、全日20億。
馬場「うちの選手が、新日の選手は●千万貰ってると不満に思ってるようだが、
年商が半分以下なんだからギャラも半分以下で当然。むしろ、かなり多く出してる」 >>71
藤波の日本語のマイクアピールはあれだけど
英語だと聞き取りやすかったぞ 低音の馬場 高音の倉持 子ども声の竹内 だみ声の山田隆
組み合わせると音楽的なんだ全日実況解説席 >>46
この日は確か馬場、ハンセン、タイガーマスク欠場だったよね… >>74
それは落合が、王さん、長嶋さん、金田と言っていたのと同じなんだろうか? >>76
落合の妻がウチの落合と言ってたのと同じかな… >>74
トークショーの時は馬場さんって言ってたから編集の悪意を感じた 天山小島はろくな死に方しないと菊田が言ったってのは
紙プロ編集の捏造だったってのはヒドイ 82〜84年頃で
石川、井上、渕、佐藤、小鹿、大熊、羽田、ドラゴン、セブンの中で一番輝いていたのは誰だったのだろう…
原、大仁田、鶴見は別かな >>80
俺の主観では井上かな。
あの扱いの良さは馬場が国際での実績に配慮したからだろうけど
85年となると大熊かな
ほとんど負け役だったが、維新とのタッグ戦の矢面に立って
メイン登場回数が急激に増えたし >>81
馬場、大熊対ハンセン、ブラックウェルがメインの開幕戦あったな… >>83
どうせ大熊がやられ役だったんだろうが、
やられっぷりの良さもレスラーとしてのウリになりうるからな
大熊の頑丈さがあってこそのポジションか
羽田にも大熊のようなやられっぷりの良さと頑丈さがあれば >>78
あと、以外と新日本系の人が馬場に好意的なコメント出してるねw
坂口、カーン、ヒロ斎藤 >>83
大熊じゃなくて石川では?
メイン 馬場石川vsハンセン ブラックウェル
セミ 長州谷津vs鶴田大熊
セミ前 天龍vs原 垣原は怒られてばかりだったけど
高山は色々アドバイスしてもらったって >>24
同じ流れでいうと、84年新春GSで鶴田のインターに挑戦するオルソノスキーがたしかタイトルマッチの前週のバトルロイヤルで、
リスマルクとマジックドラゴンというジュニア二人に乗っかられてフォール負けしてあっさり退場したのも、インター戦への期待を失わせたな。 >>85
保永もだね
https://hochi.news/articles/20180616-OHT1T50128.html
イベントでは全日本時代に、あのジャイアント馬場さんから高く評価されていたことも明かされた。
特別に馬場さんからお小遣いももらってことがあったという。
「全日本の選手から、“オレたちもらったことないのに、いいなぁ”とうらやましがられましたよ」と
照れ笑いしていた。
イベントで私は保永氏に、全日本と新日本のスタイルの違いを質問した。
「一言で言えば、相手が小っちゃかろうが大きかろうが公平に扱ってくれるのが全日」。
「新日は、最初から潰しにいっちゃうというか。最初から違いを見せつけるような。
まぁ、簡単に言うと受けないというか、相手の。自分ばっかりいいとこ売っているようなスタイルというか」。
簡潔で明快。これほど2大団体の違いを表現した言葉はないだろう。
「だから、すごく全日はやりやすかったです、私としては。
外国人とやるにしてもある程度は受けてくれるし、新日の場合はそういう外国人はまず皆無でしたから」と
保永氏。水と油とも言える2つの団体。その言葉からは自らの思惑を超えて
「プロ」に徹した職人のプライドがにじみ出ていた。 >>89
平成の話だけど、船木が全日に参戦して一番驚いたのは
受け身の練習量が新日と100倍違う(誇張してるけど)と言ってたな。
馬場が健在の時から受け身は一番重視してたし、
でないと四天王プロレスなんて出来ない。 >>89
>外国人とやるにしてもある程度は受けてくれるし、新日の場合はそういう外国人はまず皆無でしたから
新日の外人だったみんな受けてるし、新日と全日で外人被ってる。
キッド、スミス、ハンセン、ブッチャー、シン、ピートロバーツ、チャボゲレロ、オートン、
バックランド、ブリスコ、ローデス、マードック・・・ トムマギーはビッグバンベイダーみたいな売り出し方したらよかったと思うな。 >>90
船木が参戦、現役復帰した試合は今から10年ぐらい前、武藤の25周年大会
その頃はもう武藤全日になって7年ぐらい経ってるけど、練習の慣習は旧全日を受け継いでたのかな…
渕や和田レフェリーもまだまだ重鎮的な立場が健在で、道場などでも任されてたのかな…?
受身といえば…ハンセンのラリアットの神通力や説得力、もちろん新日時代に浸透してたと思うけど
見栄えや迫力は全日時代の方が上だよね?
新日の頃はあまり知らなくて、ビデオで見返えせる試合ぐらいしかできないけど…
新日レスラーの食らったときは、背中から普通に倒れる(スピードは半端ないが…)のが大半だけど
全日レスラーはハンセンの腕を支点にして、鉄棒の逆上がり?ぐらいの勢いで後頭部から倒れる(特に天龍や原、後年では川田あたり)場合も多数
まあもともと、最強タッグ乱入時のテリー、参戦初戦の原の食らい方からして迫力満点のスタートだったし、ラリアットに関しては全日レスラーの貢献度はすごく大きいと思う。 >>93
小島が全日式の受け身に苦労したと言ってたけど、その後はどうなのかな?
ムト全の若手育成コーチはカズハヤシだから全日式の練習を継承してたとは思えないけどw >>85
新日系と言っても
坂口、カーンは、日プロ時代に
馬場に世話になったからね。
カーンは同じ新潟出身ということもあって。 『Dropkick』チャンネル〜新倉史佑「俺が見た昭和新日本プロレス伝説』
記者「船木さんに話を聞いたら新日本の道場はほとんどシュートの練習しかやって
なかったとか」
新倉「そうだよ。受け身の練習はほとんどなかった」
記者「船木さんが全日本に参戦した時に渕さんと話をしたら
受け身の練習量が全日本とは100倍違ったと」
新倉「俺もジャパンプロレスにいたから全日本の練習は知ってるけど、新日本と
こんなに練習方法が違うのかってビックリしたもんだよ。
新日本はフィジカルが7割、セメントが3割。受け身の練習は空いてる時間に
勝手にやれって感じでしたよね」
記者「そこまで徹底してたんですね」
新倉「練習にマスコミの取材が入るとシュートの練習はやらないんですよ。
バーベルやスクワット、プッシュアップ、コシティを見せる。
あれは取材用の練習でもあるんだよ」
記者「コシティは取材用の練習!」
新倉「会場でシュートの練習をやるときは取材陣を全員外に出してね。
誰にも見せないのは猪木さんの方針なんです。
あとシュートじゃない練習をやってると猪木さん機嫌が悪いから(苦笑)
シュートの練習をやってると機嫌がいいんだよねぇ、猪木さん」
………(2014.9.23) 日プロはセメントの練習が中心で吉原国際、猪木新日は日プロの練習を受け継いだ。
馬場全日も昭和47年の分裂まで流派は同じだったのに、いつから受身中心の練習に変わったのか?
大技とアクションを教えるファンクスが変えたのではないと思う。 >>85
NHK BSプレミアム 幕末ロマン!山口の旅
長州力
「俺の体験の中では、ジャイアント馬場さんてのは、僕の中では、本当に凄い人だったと思いますね。
やっぱり西郷隆盛っていうのが、ひょっとしたら馬場さんのように、見られたんじゃないかな。
ま、馬場さん・・いったん言った事を必ず守る人でしたね。どんな状況の中でも。
やっぱり人間対人間の中で一番大事な物は何なのかっていう部分の中では、やっぱり信頼がなければ。
まず信頼される事。それはどんな事があってもくつがえさない。」 武藤「猪木さんは本人はバリバリのアメプロなのに他の選手がアメプロをすると怒るんだよ」 極端にいうと新日は目立ってなんぼの潰し合いで、全日は相手の技を一通り受けて
試合を組み立てる感じだから、ファンクス以降に多様化した大技を対処するには
受け身が重要になるのでは? >>94
みちプロ出身のテリー・ボーイが学プロ時代に馬場のコーチを受けた、とか何かのインタビューで言ってたな。
ただ、それ以前にレイスの受身の上手さに興味持ってて、ビデオが擦り切れるまで研究してたとか…
カズは同じみちプロ出身だし、テリーボーイの影響は受けててもおかしくはない…と無理やり可能性をこじつけるとw
テリーボーイは新日に参戦した時に解説のマサ斉藤から「基本がしっかりしてますねえ…」って評価もされてたよね。
あ、今はメンズ帝王だっけ?旧全日の復活には帝王をコーチ兼選手として迎えるのがいいかも…
馬場のコーチを受け、日プロ出身であり米国活動が長いマサの評価も高いのは大したもん。
i >>96
個人的な印象だけど、新倉と仲野と北沢(全日参戦はないけど)は全日を何となく下に見てる印象を受ける
雑誌のインタビューでしか知らないけど、良く言えば新日流・新日出身に誇りを持ってるというか…
でもキャリアやポジションが似たような保永やヒロが好印象を持ってるのが不思議、同じ出身でも違うもんだね
あと、意外なのが前田が馬場の事を「あの人は腹の座った人、過激に対して免疫が強い」みたいな評価をしてる。 >>102
FD小橋とのトークバトルでも、前田は受け身の重要性を語っていたね。
三沢や高山の件があるからだろうけど…
レスリングのことは語ってないけど、UWF騒動で馬場に誘われた前田や高田は
人間馬場には好印象を持ってる。 三沢も全日とジャパンの大きな違いとして「受け身とロープワーク」を挙げてた。
それだけジャパン勢の中には受け身、ロープワークの下手な選手が多かったのかな。
>>97
別に全日がガチスパーリングやってないってことではなくてスパーリングする前に、受け身とロープワークを徹底的にやらされるみたい。
渕は受け身の練習で「こりゃ死ぬな」と思ったらしい。ロープワークも若手にとってはかなりきついようだ。
面白かったのは若手時代の渕たちが「新日の若手はスクワットを2000回やってるらしい。俺たちもやろう」と
毎日合同練習の前に2000回やってたら鶴田に「そんなことやってると膝悪くするよ」と効率的なダンベルスクワットに切り替えるようにアドバイスされた話。
全日道場は馬場経由のアトキンスやデストロイヤーのマンツーマントレーニング、駒の日プロ流のトレーニングがあって
これらをアマチュア、アマリロでの経験を持つ鶴田が渕、大仁田、園田と練り上げていって砧時代にはそれが主流になったらしい。
渕の本からは山田ジム時代は駒、鈴木、鶴田、桜田、羽田、伊藤の存在感が大きくて、そして砧では鶴田。
道場での高千穂や小鹿の存在感をあまり感じなかった。 >>103
前田は「今まであった中で一番凄いレスラーは」と聞かれて「アントニオ猪木」と即答してたな
「馬場さんも凄いんだろうけど、自分はそばで見てないからよくわからない」とも
別のインタビューでは「強いレスラーは」には「そりゃ長州力だよ」って言ってたか
凄いと強いの違いがよくわからんけど
>>107
馬場がヒクソン戦を芸能人云々とか酷評したことへの反論だっけ?
馬場が他団体の選手に口出ししたことって滅多になかったから驚いたけど、
高田がヒクソン戦の前年暮れの最強タッグ出場をドタキャンしたのが伏線といわれているね >>105
全日がガチの練習をやってたらフェイスロックかけて逆方向に捻るなんてことはあり得ないよ。 >>108
馬場が高田の事を批判したから、高田が言い返したというより
もっと前に高田がスポーツキャスター?みたいなのやってる時に
番組内で馬場を茶化した発言をした事が発端、という説も聞いた事がある
1994年あたりらしいが、その番組を見た事がないので真相はわからんけど 佐山もアポーと番組で言ってたな。
あれから俺は絶対佐山を認めてない。 >>112
当時のゴングにはこの角度で大きく掲載されていた。 >>111
自分が耳にしたのはは前年の最強タッグに参加がほぼ決定していた高田が、正式発表直前になって
ドタキャンしたというもの。恐らくブックへの不満が原因だったんだろうが、一旦了承した
手前それを理由にすることはできず、馬場には「プロレスを辞めて芸能界入りする」と説明したらしい。
もちろん真相は?だけど、その年の最強タッグは日程が滅茶苦茶で、明らかに誰かがドタキャンして
ドタバタしてたことは確か。それが本当だとしたら、確かにヒクソン戦の発表は馬場にとって
寝耳に水だっただろな この時のテリーは
延々とダウンし続けてたけど
いくらなんでも演技過剰だよなw こういう写真まだありそうだ、しっかり食らってない衝撃もあるけど至近距離さが凄いわ 船木がセームシュルトとやった後、「あの身長で動けたら強いですよ。だからジャイアント馬場さんも強かったと思います」とか言ってたな >>115
ああーなるほど、1996年の最強タッグは総当たりが二回ループだったんだっけ?
同じ相手と二回当たるといっても、全てが同じ勝敗にするわけいかないし
さらに高田出場となれば、そこそこのポジションでの位置になるし、勝ち方と負け方も微妙なさじ加減が必要になるし…
突然に欠場されたら大半の流れが狂うよね…確かあの年は選手からの不満も続出してたような?
全日にしてはそういうコメントが出るのは珍しかったが、そういう背景があったのならわからんでもない。
表立っての不満理由は「ただでさえ激闘続きなのに、二回も総当りはキツイ」だったけど。 高田って当時天龍と抗争してたと思うけど
それと並行して全日に上がれるのかな? >>105
>「新日の若手はスクワットを2000回やってるらしい。俺たちもやろう」と
> 毎日合同練習の前に2000回やってたら鶴田に「そんなことやってると膝悪くするよ」と効率的なダンベルスクワットに切り替えるようにアドバイスされた話。
鶴田が正しいな
あと鶴田は土の上でしか走らなかったって >>120
当時の全日はUインターに川田を派遣して6年間の鎖国を解いたばかりだったからな
長州、天龍、大仁田らと異なり、過去にこれといったいきさつのなかった高田なら全日
登場にこれといった支障はないから、参戦交渉をしていたのは確か
一方の高田は選挙に出たりテレビでMCやったり引退仄めかしたり、芸能界入りに
色気を見せていたのも確か
こういった状況証拠がドタキャン説の根拠となっているんだろう
天龍との抗争はシングルで一勝一敗の行ってこいだったんだっけ?とってつけたように
始まって終わったから、何かの穴埋めだった可能性が高い >>121
パートナーの名前は特に上がってなかったけど、普通に考えたら
一足先に全日に上がってたオブライトか、翌年の春から全日に上がるようになった
高山だろうね、
>>122
鶴田がバーベルスクワット熱心にやってたのは渕や越中が証言してるね
歳とって体重増えてからもあんな打点の高いドロップキック打てたんだから
確かに足腰を鍛える効果はあったんだろう
あとテーズも、フルスクワットは膝に悪いと否定的で、中腰になるハーフスクワット
で足腰を鍛えていたらしい
今うさぎ跳びはひざを痛めるからとほぼ否定されているけど、フルスクワットも
同じ気がする >>116
テリーはラリアットで長々とのびてたのに、ドリーはニードロップでピン負けも
試合後早々にハンセンらに食って掛かった、何と無しに技の威力が
ラリアット>キングコングニードロップではないかと観客に印象付ける結果となってしまった >>126
ドリーは蔵前の10周年記念大会のインター戦では試合後、ブロディが「奥の手」としていたコーナー最上段からの二―ドロップ食らったのに、
すっくと起き上がってブロディたちと乱闘再開していたからな。 >>126
>>127
翌年の最強タッグ、札幌大会の馬場鶴田vsハンセンブロディ
馬場がラリアットとニードロップの波状攻撃でフォール負けしたけど
帰り際に冷水タオルで首を巻きながら退場したのを見て
「あー、ラリアットのダメージの方が大きいんだなあ…」と子供心に思ったよ。
ニードロップを食らった肩あたりは、あまり痛がらずに帰ったてから… >>13
しかも離陸は馬場が格納庫から足を出して走るんだよ 山城新伍と島田紳助のトーク番組で高田が馬場を馬鹿にした発言をして山城新伍がプロレスの先輩に良くそんな事言えるよね。みたいなやり取りがあった。記憶がかなり曖昧なので間違ってるかもしれないけど。 >>125
効率的なダンベルスクワットをやれば負荷も上がって足の筋肉が付くが、
渕、大仁田、園田の足を見ると、足のトレーニングやってるようには見えないけど。 武藤が膝を壊し蝶野が糖尿病で橋本が若死したのを見れば
しんに >>130
山城新伍も馬場をバカにしてたけどなw
まぁ縦関係に厳しい映画界で飯食って来たから同業の先輩に対しての高田の発言には違和感あったのだろうなw ヒンズースクワットは1955年インドのダラ・シンが力道山に伝授したのが始まりで、
それ以降日本プロレス界に定着(一般にスクワットと呼ばれるルーツはプロレス)
馬場も猪木も床に水溜まりができるまでやらされたエピソードがある。
レスラーを目指した高田少年は団地の芝生でヒンズースクワット1500回を日課にしていたほど、プロレスラーになるにはとにかくスクワットが常識だった。
今はトレーニング方法も修正されてるが、根性を鍛える目的や見込みのないヤツを
辞めさせる役割もある。 あらゆるスポーツの中で、最も膝に負荷のかかる動作が短距離走のスタートダッシュ
それ以上の負荷をかける練習には、膝を壊すだけで何の効果もないことはスポーツ医学の常識
それが広く知られるようになってからは、うさぎ跳びは誰もやらなくなった
フルスクワットも同じじゃないだろうか >>133
プロレスを馬鹿にしていてもクイズ番組で長く一緒だったし、シンパシーはあったろう。 やり方で膝を壊すリスクはあるが、間違いなく根性は付くな。
『死ぬまで歩くにはスクワットだけすればいい』という本まである。
黒柳徹子や87歳まで舞台を勤めた森光子も、馬場の勧めで
毎日欠かさずやってる(た)みたいだし、1日10回でいいみたい。 >>137
徹子や森光子がやってたのは中腰になるハーフスクワットでしょ
それならいいと思うよ。馬場もテーズも晩年までやってたし
ただし、踵とケツがくっつくまで腰を落とすフルスクワットはダメ
あれは膝を壊すリスクが高すぎる 生活のなかで日常的に階段や坂道を昇降しないといけない人は年食っても丈夫だ。 膝を壊すほどのスクワットの回数は何回のこと?
一般人には無縁でしょ。 ハンセンが「早朝の宿泊ホテルで必ず階段で昇降を繰り返していた。他のレスラー達は部屋でまだグッスリ寝ているときにね。
300パウンドの体重を支えるためには必要なことなんだ。」と言っていたけど、だからこそあのスタイルであれだけ長くできたのだろうね。
ブロディもビジネス手帳に日々のスクワットと昇降の回数を毎日欠かさず記録していた。
天龍は「ハンセンとブロディが試合前に黙々とスクワットをこなす姿を見て、色々と教えられた。」と言っていた。
天龍は最初「大相撲で13の時から四股を踏んできたから、自分はもう大丈夫だろう」と思ってたと。
でも、大相撲出身の輪島、天龍、石川とかプロレス転向後もしっかり四股をやってたよね。
輪島がアメリカ修行の時、四股をやっていたら、アメリカの練習生達も興味津々で聞いてきたので四股の踏み方を教えてあげたんだって。 >>130
同業と言っても
1970年〜80年代の新日と
全日は、ライバル企業。
その真っ只中80年に入門し
「反・全日」を植え付けられた高田には
馬場を同業の先輩と敬う気持ちはないよ。
日産のセールスマンが同地区の
トヨタでキャリアも年齢も上の
セールスマンを先輩として敬うかな?
下手すると、高田は馬場全日を「同業」とも
思っていなかったかも知れない。
「新日が本物のプロレス、全日はまがい物」とか。 >>142
ブックがあるの分かってるんだから全日はまがい物と心底思ってないだろw 高田は馬場に芸能人云々って言われて
うまいこと言うなあ、口では勝てねえな〜。
と思ってどうしようもなくなったんだよ。 実際高田と馬場が全盛期同士で戦ったら、高田じゃ手も足も出ないだろうがね。
野球の実績でも馬場>>>高田だし 鶴田選手タイガークローで3カウント取られてたんだな バックドロップでケリーからピンフォールとってるけどね。 >>135
200, 300kg担いでのスクワットの方が膝に負荷がかかる。 >>143
馬場の「ストロングスタイルもショーマンスタイルもない。プロレスはプロレスだ。」や
長州の「Uはプロレスの中か外か?中だろ?それなのにあいつらは外にいると宣伝している。
これは許される事じゃないぞ。」という言葉がやんわりと表現しているが
新日も全日もUWFも段取りもケツも決まったプロレスだからね 黒覆面がキラーカーンと馬場がよく見抜いた。
ファンも他の解説者も気がつかなかった。 >>125 >>135 >>148
鶴田の言うバーベルスクワットは
軽いウェイトで複数のセットをこなすタイプのヤツだと思われ
バックランドやテリーもやみくもに重いウェイトへとチャレンジするより
軽いウェイトで回数をこなした方がレスリングに必要な筋肉が付くと話していたから
ただその鶴田もAWA王座を落とした頃辺りから急に足が細くなりだしていたからなあ >>150
当時、小4か小5だった俺でも気づいた。 >>142
高田は本当にアホ。
馬場を人気番組で批判したら、
自分の首も絞めてるってことに気づいてない。
自分の怒りにまかせて、
何にも考えずにキレてる。 高田は天龍と最強タッグ決まりながらも、ブック関係で?「芸能人になるので参加しません」と
ドタキャン。
それから遺恨の高田馬場になった。 高田が最強タッグに出るプランがあったのは驚きだけど
1996年12月はWAR両国で天龍に負けるし
さらに全日でエースクラスに日本武道館?で負けると、一気に負けが込んで格のイメージが落ちるね
GWの東京ドームでは橋本にギブ負けだし…神宮で天龍に勝った以外は後半はガクンと落ちるよねえ…
ところでUインターって年末に解散したけど、もし全日と交流が実現してたら解散は免れたんだよね?
まあ、どこかで全日に吸収合併の案が出て、ジャパンみたく入団組と離脱組に分かれそうだけど… これだけ昭和の話題を無視したレスが続くようじゃスレも終わりだな >>151
体を支える足のサイズって一般人の26cm、猪木の28.5、馬場の32cmとかもそんなに変わらない。
体重が100kg以上でのスクワットは足首や膝ににかかる負担はバーベルやダンベル持たなくても大きい。 シン「猪木に言っといてくれ、年取ってからスクワットやり過ぎると膝を痛めるぞ」 TBSテレビで平日お昼にやっていた新伍のおまちどうさまに馬場がゲスト出演
田上とあと誰かがついてきて水戸黄門好きの馬場に助さんと格さんみたいですねと
山城新伍が言っていた。煙の又平という忍者役で水戸黄門に出演していたせんだみつおも
新伍のおまちどうさまのレギュラー。
トークの中で水戸黄門の話題になり山城が
「せんだも水戸黄門に出ていたんですよ」と言って
馬場も「知っていますよ、見ていましたよ」と言ったので自慢げに胸を張るせんだ。
山城が「どうでしたか?」と馬場に感想を聞いたら
馬場は「そのシリーズはあまり面白くなかったんですよ」と残念そうに答えた。
それを聞いてせんだは椅子から転げ落ちた。
さらに山城が笑いながら「なんで面白くなかったんですか?」と馬場に聞き返したら
馬場は「忍者が多く出過ぎていたんだすよ、忍者が多いとつまらないんですよ」と答えて
せんだがまたまた椅子から転げ落ちてスタジオは大爆笑。
それで山城が「馬場さんがプロデューサーに行ったから君は次の回で殺されたんだよ」と言って
せんだがコテンパンにやられていた。 85年の夏に最後の全日最後の来日をしたジプシージョーだったが当時の中堅勢からジャパンのメンバーにも負けまくってたのを熱戦譜で見て悲しくなった思い出がある… >>158
>年取ってからスクワットやり過ぎると膝を痛めるぞ
シンはインド人だからスクワット信奉者のイメージがあったけど違うのか
全日移籍して間もない頃、「俺と馬場は同じアトキンス門下だから、師匠の目の前で
どっちがスクワットをこなせるか勝負してもいいぜ」とか「ファイト」のインタビューで
答えていた記憶があるけど、記者の創作かもしらんね。
晩年はともかく、馬場と対戦した選手はみな足腰の強さを証言しているけど
(馬場の練習嫌いを散々批判してた猪木でさえそれだけは認めてたし)
アトキンスのところではどんな足腰のトレーニングしてたんだろうね >>116
以前のテリーなら、ドリーがブロディ、スヌーカー、ハンセンの3人から袋叩きにあってて、頃合いをみて復活→3人を蹴散らして主役を持ってくんだけど。あの日は完全に引き立て役。それだけにインパクトは大きかった。 >>157
だから自分の膝に必要以上に負荷をかけないやり方がある
85〜86年頃かな?相撲の大徹(湊川親方)がバーベルスクワットをやってる映像を見たけど
正直な話あまり見た目に格好良い姿ではなかったものの
たぶんトレーナーに指導された膝や腰に負担を掛けないフォームだったんだろうね
>>158
ビッグレスラーのインタビューだよなそれ
もう全日に引き抜かれて1年経つのに
猪木の事ばかり話していたな 昨日G+でS59年のレイス対フレアーをやっていたけど、
すっごいいい試合だったね。
観客も沸きに沸いてた。
リアルタイムでも観ていたはずなんだけど、
プロレスの仕組みを知った今、観ると、
両者の技術の高さにほれぼれする。 >>166
ノンタイトル戦だったのが逆にお互いの持ち味出せて良かったのかも
アンダーカードにこんな好カード組まれたのにガラガラだった田園コロシアムw >>154
それいつ頃の話ですか?初耳だ!
そんなことがあったのか NWA戦は
空席があっても大会場でやったほうがいい
クソ田舎の小さい体育館でやるよりは ノンタイトルの田園コロシアムではレイスがフレアーに快勝したんだけど、
フレアーがケリーの王座を奪取した後は、レイス相手にキッチリ防衛したんだっけ? >>170
あの時は三宝一両特というか、来日した
3人にそれぞれメリットとデメリットが
あったのが全日本らしい。
ケリー ○鶴田に王座防衛●フレアーに王座渡す
フレアー○ケリーから王座奪回●田コロでレイスに完敗
レイス ○田コロでフレアーに完勝●王座奪回ならず。
1人損したのは何も良いことがなかった鶴田。 この辺からだな
馬場が鶴田の扱いがおかしくなっていったのは
いくら善戦マンでもフレアーぐらいまでは我慢できたが
若いケリー、マーテルにまで同じことをやっていたのでは
鶴田の立場がない 田コロというと、生涯成績1勝7分けだった鶴田vsマスカラス戦の、その鶴田が1勝した試合を思い出すけど、あの試合はマスカラスの追悼があっても、流して欲しくないな
マスカラスの名誉のために 馬場は嫌いなマスカラスをよく手放さなかったな。
新日に行かれたら猪木や藤波と手が合うのがわかりきってたからだろうな。 >>174
個人的には、ああいうワガママなのは嫌いだったと思うけど、商品としては最高だったんでしょう
外国人選手のお目付け役はジョー樋口さんに任せていたし
新日も熱心に引き抜き工作はしたらしいけど、裏切ったと日本のファンは思うからいう理由でマスカラスは首を縦に振らなかったらしい
馬場への恩もあったとは思うけど、ギャラの問題だと思う >>172
扱いがおかしいかどうかは別にして
2月のAWA奪取の偉業はこの頃はすっかり消えてたな
ケリーに勝てない鶴田、2ヵ月後にはハンセンに勝ってしまう馬場
前述した通りで元AWA王者のステータスは、観客動員に全く結びつかなかったのが残念…
この田コロは見に行ったが、目視では大目に見て半分入ってるか?どうかというところだった。
3ヶ月後の同じ田コロでは5月の倍以上は間違いなく入っていたと思う…
アンダーカードでタイガーのデビューや
超獣組との対戦とはいえ、馬場とドリーがメインでだからね。
確かこの日は鶴龍はどうでもいいようなタッグマッチだったはず。 >>176
リッキーのNWA王座
カートヘニングのAWA王座
このあたりで日本とアメリカ2大王座のレスラーの格がどうしようもなく
広がってしまった。 >>159
その番組、録画してあるがテールをどこにやったかな〜!
馬場のお供についてきたのは高木と小橋だったと記憶している。
馬場の他に悪役で知られる汐路章氏もゲスト出演していて水戸黄門談義に花が咲いたが、後に馬場はターザン山本とのインタビューで
「ある悪役俳優とテレビ番組で一緒になったが、それ以降彼が時代劇で悪いことをしても悪人に見えないんだよ。」とボヤき、ターザンが「それはそのままプロレスに当てはまりますね!」と返し、馬場が「いやホント反省したよ。」と意味深な発言。
ヒールはリング外でもヒールを貫け!ということだろうが、四天王のバラエティ番組出演を制限したのはリング上のイメージを崩さないためだったのかもな。 >>162
アトキンスのところで足腰が強くなった訳じゃないけどな。
子供の頃から行商で!野菜とか米をいっぱい積んだ荷車引いて一日中歩いてたかららしい。 >>174
>>175
マスカラスは新日の引き抜きに応じない理由を「新日は全日ほど自分を大事にしないだろうし、
新日のメキシカンは自分と招聘ルートが違う」と話していたらしい
新日の外人の扱い見ててすぐに使い捨てられると不信感持っていた上、ビジネス上の
違和感があったんだろう
>>179
冬のカナダで雪が積もる中アトキンスを背負って何キロかランニングさせられたとか話していたような >>178
>ヒールはリング外でもヒールを貫け!
ファンが喫茶店で上田を見つけてサインを求めたが拒否された。
少し経ってファンが会計に行ったら店員が「上田さんが支払っていきました」
上田の心情「悪かったな。ヒールだからサインなんてできないんだよ。コーヒー代で許してくれ」 >>181
コーヒー代おごったらそれはもうベビーw
ヒールなら無愛想な態度で色紙に殴り書きがベターな選択 ジプシージョーはファンが見てる試合会場の外の屋台で買い食いしてたんだよなw >>177
馬場「最強タッグは優勝にするから夏場はちょっと我慢してくれ」とのこと。 >>177
まぁ小粒だよな。なんとも。
でもリアルタイムでニックが最初にAWA王者になったときも
なんだか地味で迫力ないな、なんて思ってたよ。
感想としては、なんでロビンソンじゃなくてニックか?と。
ローデスのときもあり得ない、なんて思った。 >>180
ありがとう
新日との交渉の席でマスカラスは、結局いくらで契約してくれるんだい?と言って物別れに終わり、新間?は色紙にマスカラスのサインを貰って終わった、とマスカラススレで見た。
今でも会場で、50年前にエルアミーゴでマスカラス入場時に騎馬したというファンに会うから、子どもの夏休みの度にファーストクラスでマスカラス招へいして、手放さなかった全日も日テレも偉いわ。
札幌の高校生が修学旅行旅行の列車の中で、移動中のレスラーに会ったけど、鶴田は塩対応、ハンセンは神対応だったと聞いた。
ヒールではないけど、まあ鶴田らしいエピソードだと思った。 あげ
>>186
それは「あの話書かせてもらいます」の2だったかで、竹内が書いてたエピソードだな。 昭和〜平成初期はヒール、ベビーに関わらず会場内ではレスラーは皆威圧的な感じだった。
ただ、マシンと木村健悟だけはどうしてもいい人感が出てた。 >>182
支払い時のファン「エッ!? 一杯しか飲んでません」
店員「上田さんがあなたが払うと・・・」
ファン「エッ・・・」 >>186
アメリカでサーキット移動中にファンに囲まれるなんてハンセンは皆無だろうからご満悦なんだろ。 ディックフライやボルクハンたかも
愛想抜群だったらしい。
母国じゃ無名。 >>181
ヒールでもないのに
ファンからサインをおろか
声を掛けられても無視したり
あからさまに嫌な顔をする
オーエン・ハートや越中はクズ!
レスラー以前に、人間としてクズ。
越中も早く言って欲しい >>195 大仁田と猪木はファンの視線を常に意識して行動するよね。
好き嫌いあるにせよ、そこが並のレスラーとは違う。 自分の票につながる可能性があれば誰にでもいつでも愛想よくできる能力。
二人はまさに政治家適性があったわけだな、その部分においては。 俺はレスラーにファンサービスなんか求めないな
近寄りがたい巨体と激闘こそが最大のファンサービス 小川貴弘アナ@立教大学卒
福吉貴文アナ@同志社大学卒 >>182
サインは毛筆でを信条としていた上田馬之助にそれは無理だw
ヒールになる前の情けない顔、晩年のエピソード見るといい人オーラ全開だから、キャラに徹するのも苦労したんだろうな
越中も平成の最後頃、インディでTシャツ売りながら、ファンと笑顔で談笑してるの見たら、反体制の維新軍というキャラ守るために苦労したんだなあと思った 地頭の無い者が、高知医科大学で、なまじ【中途半端】に、教養を身につけると、却って馬鹿になる!!!!!!!!!!!!
愛媛大学の学生が、地頭に合わないプライドなんか持ち合わせれば、更に馬鹿さに拍車が掛かる!!!!!!!! >>198
昭和のそれも全日ファンはそうだよねw
でも、平成に入って出来たインディは客先回っての物販が収益の主流と、ファンが言ってるところもある
全日も客席での物販やればいいのに〜、そしたら行くのに〜とファンが言ってるの聞いて、ジェイクや石川修司が、新木場で前に立ったりしたら、ヤダなあ、、、と ブロディとか背中触るだけでも大変だったな
シンなんか動きが早くてもっと難しそう タイガー・ジェット・シンが観客席を滅茶苦茶にするなんて最大のファンサービス
シンに追いかけれた観客なんて一生の思い出になっただろう >>205
シンにゴミ箱ぶつけられた観客なんて一生の思い出になっただろうw 試合会場でハンセン殴られたこと覚えてるのは健斗だっけ?
今はあんな熱気も、殺気もないんだよなあ >>204
ブロディもシンもデカくて早いからね。
ハンセンも。
デカくて早いと驚異。
あんなデカい怪物みたいな男達に追い掛けられるなんて。
でもいい思い出になるでしょう。 >>206
83年最強タッグ開幕戦の大阪で、シン&上田の入場時に観客がバニラのアイスモナカを投げつけたら、
シンの左頭部に命中して、数秒の間、頭にモナカが乗ったままだったなwモナカが落ちた後もバニラが頭に付いていた。
シンは最高にコントロールいいから、相手にぶつからないように投げるよなw
輪島のデビュー戦では、運悪く反動してセコンドの馬場の頭に命中してしまったが。 新日で藤波がマードックに場外で凹られてる時に、少年ファンが立ちふさがった
なんとも言えない顔をしたマードックが振り上げた椅子を下ろしてしまったエピソードが好きだ >>183
サンテラス日吉の特設リングの試合、ブラックウェルと仲間割れして殴りあってた。プロだなーと >>206
シンが投げた鉄柱リバウンドのイスを、顔面に浴びた馬場は本当に悲惨だったな。 蔵前で客のスニーカーを投げて馬場に命中させたハンセン PWF初防衛戦の馬場vsシーク戦で、興奮した観客の投げた空き缶が
馬場の頭に直撃したw >>215
馬場が鉄柱にぶつけてかなり痛そうなのもこの試合? 輪島の試合
輪島vsシン
輪島vsアニマルウォリアー
今考えてみると互角で名勝負だったな。 >>217
ちょっとヒドイよな、横綱のぶちかましをベアハッグてのは…
輪島のことを馬場は全日のフロントはどう考えてるんだ?
大相撲の大横綱だった人をねぇ… 相撲時代の輪島は
のど輪攻めなんて全くやらない力士だったから
ゴールデンアームボンバーにはすごく違和感があった
黄金の左と言われたけど実は右のほうが力が強いのにねw >>219
輪島は右利きだから右手で絞るんだよ。ただ学生時代から、握力だけは左の方が強かったらしい。 >>162
>晩年はともかく、馬場と対戦した選手はみな足腰の強さを証言しているけど
あのパンクラスやUFCで名を上げたシャムロックも馬場の足の強さを回想している
確か来日したのは昭和末期か平成初期だったはず
その頃の馬場、年齢的には晩年モードだと思うよ。 プロ野球選手、特にピッチャーの下半身をなめたらいかんよ。 >>222
馬場は巨人の選手の中でもずば抜けて足腰は強かったみたい。 巨人軍ではいまだに馬場さんのことをOBとして扱っていると聞いた
ボス論なんかもプロ野球選手時代に培われたんだろうなあ
あと、人間的には何一つ尊敬するところがなかったという力道山のおかげか いつまでも巨人軍OBだろうけど、大洋ホエールズ時代の風呂場で転んだ時は
練習生扱いなのかな? >>223
馬場の著書に
足腰には自信があって
日プロに入門志願行ったその場で力道山に足の運動500回やらされてあっさりクリアしたらもう500回やらされて、またクリアしたら入門許可されたと書いてある。 馬場と猪木が対戦したとして
ボデイーシザースが決まれば猪木は勝てない、みたいな検証あったよね
道場のスパーリングで馬場が相手からギブ取るときは100パーセントそうだった、とか誰か回想してたな
ガチになった時にボデイシザースが決まるのか知らんけど、それぐらい馬場の足に締められたらきつかったらしいね。 >>226
テスト生として採用内定するも、宿舎の風呂場で転んで三左肘に大ケガ→ブロ野球選手断念→プロレス転向だから
でも、元巨人軍投手、風呂場でケガして、それがキッカケでプロレス入りは知ってる人多いけど、大洋ホエールズにテスト生採用されたことなんて知らない人多いよ
大洋ホエールズもアナウンスしてなくて、DeNAファンも知らないのに、なぜ知ってるの?
年齢層が高いと言われる全日ファンでも、カールゴッチ、アトキンスあたりは、プロレス関係なく、歴史上の人物と思われてる感じがする >>228
タップは取れなかったけど、PRIDEでノゲイラがヒーリングにボディシザースの要領で足で胴締めやってた。
相当苦しかったようでヒーリングが悲鳴あげてた。 >>229
テレビなんてそんなもの。
巨人のピッチャーで余計な情報言わないほうがウケる。
馬場の著書買って読めば知る。 >>229
『ジャイアント台風』から入ったし、ガキの頃は大洋ホエールズあったからw
ソフトバンクも南海ホークスだし、オリックスも阪急・近鉄時代 長くて太いんだから強いわな
百八十センチがいくら横幅と厚み付けても百九十センチ越えには敵わないものがある
最近の全日の話だけど火野が石川に圧されてた >>229
失礼
風呂場のケガは大洋時代だったね。 元巨人軍って肩書きはデカかったらしいね。今はそこまでないだろうけど、イベントのゲストなんかで呼ばれてもギャラが他の球団OBとはかなり違ってたそう。プロで15〜20年やって、そのうち2〜3年だけ巨人に在籍してたような元選手なんかも、元読売巨人軍〇〇って紹介されがち。 アンドレとのコンビは、ザ・ジャイアンツと呼ばれるべきだった。
実際どうったっけ。巨人コンビ? >>232
西武の前身が太平洋クラブライオンズだったことを知らないファンも増えてきたというのに、、、
日テレが、スポンサーとしてだけではなく、選手との専属契約まで結んで、金をたんまり払ってたのは、馬場が、元巨人軍だったということもあるのだろう
巨人クビになってテスト入団した大洋ホエールズ時代に風呂場でケガして、
なんて、馬場ストーリーにならないからなあ
選手生活の晩年の肩書きを巨人や阪神にすると、亡くなったとき、逮捕されたときの扱いが違う >>239
西武の前はクラウンライターだよ。その前が太平洋クラブで、その前が西鉄。 >>237
日米レスリングサミットの馬場&アンドレvsデモリッションズの解説で
若林アナ「私、これまで告知の番組等々で『キリンコンビ』としか紹介してないですが、
何か他に良い言い方はないですかね?これでは可哀想ですね」
松山千春「そうですね、先ほど徳光さんの言われた『摩天楼コンビ』ですかね」
若林アナ「ああ、『摩天楼コンビ』でいきましょうか」
というやり取りがあったけど、定着しなかったな。
その年の最強タッグに『ザ・ランド・オブ・ジャイアンツ』なんていうのが来日したよ。
馬場&アンドレとの対決は「馬場が4人の中で一番小さい」と話題になった。
あと、アーニー・ラッドは馬場より大きかったのかな?
https://blue.ap.teacup.com/numanntak/timg/middle_1457410911.jpg >>239
しかも朝風呂で食事前だから
貧血おこしたんだよな。
リアルって人間そういうもので
ウケる話にはならない。 馬場が大洋にいたことなんか馬場ファンの間では有名じゃなかったのか?
馬場自身が著書で書いてるのに。 今から47年前 1972年の今日10月31日は
鶴田友美が「全日本プロレスに就職します」と言った日 >>240
そうだった、ありがとう
でも太平洋クラブもクラウンライターも、一種のネーミングライツで、本体は
福岡野球株式会社だっけ?
アンドレが全日に好感持ってたのは、チビッコファンが物珍しさで見なかったことと、馬場が、タッグを組んでるとき、ここにいると小さく思えるだろうwと言ったことが原因だと、何か
で見た
大きな選手の動画見たけど
、どれもあまりパッとしなかったな
自称パキスタン人っていうのもいたけど、今の時代、出身地ギミックはまずいんだろうな パキスタンの超巨人ラジャライオンどうしてるんだろうね >>245
同情ではなくアンドレの巨人症の辛さを理解してあげられるのは馬場だったろうしねえ >>229
へ?お前が知らんだけだろ。
スーパースター列伝にも書いてたし、
昭和のファンには常識。 >>246
母国パキスタンで映画俳優になったんじゃ >>248
いや、自分は野球も見るから知ってたよ
だけど、元巨人軍投手は知ってても、大洋ホエールズ時代の話はあまり語られないじゃない?
って思ってね >>247
他にはこんなところだろうねえ…
↓
レスリングサミットでの大歓声
良い意味で「このリングではオレはババと同じポジションで見てくれる」
国際参戦の時に仲の良かったマイティがいる
ジョー樋口の外人に対しての掌握力 >>250
話変わってるやん。
あまり語られないってのと、
みんな知らないは全然違うやろ。 >>251
新日の頃、機嫌が悪かったのは、キャラクターを貫いただけなんじゃないか?
新日ファンは奇異の目で見て、
全日ファンは違う、なんてことあるわけないし。
全日だは馬場のパートナーだったから、いくぶんかフレンドリーだったんだろ。 アンドレのドキュメント映画で
日本でバケモノと呼ばれて意味が分かるから泣いていたって ラジャ ライオンって当時21歳くらいだもんな。それでいて落ち着きあるし
大観衆の前でも緊張するでもなく長身の割に身のこなし軽いし、今見ると
良い素材だったな。 古舘が言ってたけど、アンドレは家族の中で一番小さいって話は本当かなぁ 以前も書いたが全日はオーナーの馬場がデカいので
デカい人向けのケアが行き届いている
ビール箱を利用してベッドの長さを延長すると言う手法を
アンドレのベッドにもやって喜ばせたりとか
あと仲がいい井上や百田もいたから居心地は良かったろう >>257
スーパースター列伝は、梶原の逮捕がなければ
ジャンボ鶴田編が予定されてたのにな 子供の頃読んだ列伝で馬場さんが風呂場で石鹸踏んでしまいスケート状態で窓に突っ込み怪我したのを見て
「あの時もし風呂場に石鹸が無かったら馬場さんは怪我せずにプロレスラー馬場は誕生しなかったんだよな」って友人に言ってた俺…
貧血と知ったのはかなり後の事…(´・ω・`) >>259
新日はアゴがデカい人の
ケアが行き届いていたのかな? >>228
>ガチになった時にボデイシザースが決まるのか知らんけど
ロックアップの状態から一緒に倒れ込むなり、寝ている状態から腕とって引っ張り込むなり、
見映えを気にしなきゃそんなに難しくないのでは。
馬場と猪木くらい対格差があればなおさら。
でも長身の馬場が寝転んで相手の銅を絞めるのっていかにも見映え悪いね。
馬場がギブアップによるフィニッシュを好まなかったのは、一番の得意技が
見映えの悪いボディーシザーズだったからかもしれんね。 >>254
悪口はけっこうわかっちゃうんだよな
アンドレは「オバケ・デカい・怪物」、
バッド・ニュース・アレンは「ハゲ・タコ」の意味は分かると
ビッグレスラーで読んだことがある 85年にブロディとの入れ替えでアンドレが全日に来日してたら外人側だったのかな
アンドレ、ゴディ対ウォリアーズ
アンドレ、ゴディ対キッド、スミス
とか実現してのかな…
夢の話だが… >>264
ハゲは結構理解している外人は多いだろうよ。
子供から「ハゲ!」と野次られて半ば
お約束で即座に振り向く外人選手は
何人も見たよ。
語感的に侮辱した感じがあるしね。 >>259
東京での宿泊ホテルも、アンドレだけは新日本時代から馴染みのスタッフが多い
京王プラザホテルだったとかね。
>>264
悪口は外国語でも絶対気付くよ。あれは雰囲気で感付く。
うちの地方にアレンが来たときに、客の一人がアレンに向かって「ノーヘアー!」
その時アレンかなり興奮してたけど、あれは客とのコミュニケーションだったなw アレンは人種差別が大嫌いで、マードックとはいつも一触即発状態の
ピリピリした関係だったみたいだね。ブッチャーは全日時代から
さんざんマードックの人種差別イジメを受けてきていたから、
新日に来てからはいつもアレンをなだめる役割だったらしいけど。 アレンはスキンヘッドにしてるだけでハゲてる訳じゃないだろ! 昔上岡龍太郎が、
徹子の部屋に出た馬場の話で、
童謡砂山が好きだったという話を持ち出して、
おそらくその巨躯で奇異の目で見られ続けた馬場少年が
新潟の砂浜で佐渡島を見ながら、唄うの砂山は胸に来るものがあると、
なんか目をうるませて語っていたなあ。
素直に馬場のいいエピソードだと思う >>271
その話を受けて
昔、「進め!電波少年」で
「馬場さんを砂山で泣かせたーい!」
という企画があった。
松本明子が、ホテルのロビーでくつろぐ
馬場の耳元で砂山を歌い、
泣かせようとするものだ(苦笑)
見事に失敗したが。 >>265
ブロディとの入れ替えって、そんな話あったのか?
普通に85年頃にアンドレが全日に来てたら、
でええんちゃうんか?
ややこしいねん。 >>259
全日のホテルは品川プリンスの坂上の東武ホテルだった。
デビッド・フォン・エリックが死んだ所でデカイ外人向けではない小さなホテル。
ハンセンが蔵前に乱入する前に極秘に訪れて馬場、ファンクス、ブロディと打ち合わせをした。
https://www.tobuhotel.co.jp/shinagawa/ 馬場がその手の重要な打ち合わせをするのは
キャピトル東急とばかり思っていたけど違うのか。
あとホテルといえば、いつだったかシンが、
自分はホテルニュージャパンを定宿にしていて、
日程次第で例の大火災を起こした夜に宿泊していた可能性があったことを話していた >>258
アーニー・ラッドが家族の中で一番小さかった、となにかに書いていたと思う。
もちろん男の話で母親は180pとかだったらしいけど。、
アンドレの話はそれが間違って伝わったんじゃないかな。 >>277
ミスター珍がプレゼントしたと書いてあったようだ。 >>277
国際プロレスと言えばキャピタルのジャージ
全日本も夏のシリーズでよく着てたイメージがあるが、
正確には『CAPITALACE(キャピタルエース)』
東洋紡グループの合同商事(株)のブランド >>277
1枚目の写真ブロディの両サイドは誰なんだ。ファンタスティックスか?
ブロディと接点あったのか。 >>263
よく総合でガードポジションとって守りに入るけど
馬場ぐらい足が強靭なら、その体勢から締め上げて逆転勝ちできるかな?
ノゲイラが同じ体勢から腕を取って決めてたみたいにさ。 >>261
貧血にならなかったら石鹸踏んでないでしょ。 >>283
そのまま締め上げてギブアップ勝ちだな。
ガードポジションに入ったら馬場の勝ち。最強じゃん。 >>283
>>285
骨で守られた頭や胸と違って、胴体は
内臓が皮下脂肪で直接おおわれているからな
そこが強い力で締め上げられれば相当きついはず
足の力は腕の3倍と考えれば
馬場の胴締めはブルーノみたいな怪力レスラーの
ベアハッグの3倍効くのでは? ヒクソン・グレイシーの公開柔術教室でプロレスファンの参加者が
「ガードポジションではなくボディシザースで締めてはいけないんですか?」
と問いかけた時、ヒクソンは
「いい質問です。では実際にそれをやってみましょう」
と言って、自分が膝座りの態勢になって参加者にボディシザースをかけさせた
しばらく締めさせた後で、ヒクソンは突然コブシを固めて腕を振り上げ、
参加者の顔面を殴る姿勢を見せた
参加者は慌てて顔を遠ざけようと腹を突っ張り背をそらせたが、その姿勢は
絵に描いたようなガードポジションだった
ヒクソンは周囲の参加者たちを見回して
「ね、こういうことですw」
と笑い、ガードポジションを思わず取ってしまった参加者も「なるほど」と
納得するしかなかった >>287
ヒクソンと素人じゃそうなるのは当然。
馬場みたいな規格外の人は別。 桜庭ミルコ戦で
ミルコがガードポジションの体勢から、上になってる桜庭の顔面を殴ってTKO勝ちしたよね
いくらミルコが打撃専とはいえ、桜庭も素人じゃないし、下手すればヒクソンも同じ目にあったかもしれない
まあ、何を言いたいかといえばヒクソンの理屈はわかるが、下になってる側もただ守るだけではないという事
馬場の腕は長いし、そういえばジャイアントシルバやシュルトが下になった時、攻めてる側があの腕の長さに散々苦労してるシーンはあった。
まあ、「馬場が総合で通用するか?」みたいな流れにしたいわけではないけどw
でも馬場が守る側だけではなくて、なんかの拍子に上になればただ乗ってるだけで相当な過重になりそう、それだけで下の側は心が折れそうな気もするw 脚で締めあげるのが速いか
パンチ振り下ろすのが速いか
パンチ当たっても締め続けられるか >>228
1971年に猪木が馬場への挑戦をぶち上げて話題になった時、ゴングでさっそく「馬場対猪木」のフィクション小説を掲載していたね。
作者は誰だったか覚えていないけど、場所が国立競技場(!)で、結末はたしか猪木が仕掛けたバックドロップが崩れて同体になり、無意識に馬場が猪木に覆いかぶさってフォール勝ちだったかな。
合成写真では馬場の32文ロケット砲が猪木に決まっている場面とかがあった。 ブラックウェルの腹の上に乗ったら滑って転んだ間抜けな馬場の姿見てたら
ガチで強いとかそういうのとは無縁の世界の人だと思う事にした >>290
そもそもパンチを振り下ろせる状態になれるとは限らんだろう
抱きつかれて上半身を密着されちゃうかもしれないし、
絞めから逃れようと背を向けて、首締めまできめられてしまうかもしれない
そもそも猪木にはボクシング経験もパンチが強かったという逸話も皆無
ボディシザーズがガチで決まらないなら、あの弓を引く軌道のナックルだって決まらないよw もうすぐ追悼興行ですが大田区体育館でのデストロイヤーって何かありましたか >>296
この時の猪木&大木はアジアタッグ王者だったか
実はベルトになってから一度もアジアタッグに絡んでいないデストロイヤー >>297
キニスキー、エリック、ブラジル、
NWA王者時代のドリーも
アジアタッグに挑戦しているのに珍しいね。
69年のダイヤモンドシリーズは
ベン・ジャステイスあたりと組んで
挑戦しても良かったのに、
開幕戦猪木対吉村のアジアタッグ王者と
45分3本で戦い、時間切れ。
そのせいでメインの馬場対オースチンが
ほとんどテレビ中継に入らなかった。 >>228
当時両者の対戦が実現していたら、猪木がそれを守るかどうかは別として、
恐らくこんなブックになっていたんだろうな。
そういえば、夢のオールスター戦のあと(まだ国債が存続していた頃)、
やはりゴングで団体の壁を越えた夢のタッグリーグ戦を開催され、それに
馬場猪木組が参戦したが、初戦の外人組(誰だったか忘れた)相手に
合体攻撃を繰り出したところ、馬場の十六文が猪木に誤爆してそのまま
3カウントって場面のあるフィクションが連載されていた。
あの連載、有耶無耶のうちに終わっちゃた気がするから、
その後どうなったか誰か覚えてない? >>292
あーいう予想外のアクシデントwがあってもきっちりと受け身を取った馬場
流石受け身の全日の御大だね >>299
ロビンソン、ボック組に初戦敗退だろ
ボックがやたら強いんだよ やたら馬場を持ち上げて、気持ち悪いスレになってるよな。 >>303
昭和全スレだからな。
この流れを断ち切って君が叩き落としたらいいんじゃない? 新日ファンのようにストレートど真ん中で「猪木よし!」じゃなくて
あれだけはどうにかならねぇかなー、なんて
何回かねじれているけど基本、馬場鶴田天龍が好きだよね。 >>301
ボックはプロレスラーとしてはどうなのかなー
対戦相手の技もろくに受けないし、受け身の取れない危険な攻撃で
ケガをさせてまで自分をよく見せようとする、マット界の要注意人物だよ。
新日もボックを上げれるだけ上げて、最後に猪木が仕留めるシナリオだったのが
交通事故の後遺症で元旦の猪木戦は無惨な試合
そのまま引退したから、伝説のレスラーになったような気がする。
アマレスの実績や、シュートを仕掛けても寛容だった日本のファンの前では
最強のレスラーイメージが付いたけど、アメプロではすぐに干されると思うな。 >>307
同感。ボックがIWGPに出てきても好試合はできないと思う。
格下を一方的に痛める試合しかできないので、アンドレやホーガンとまともに試合ができるか。。
ホウキでも名試合にする猪木だから成り立ったと思う。 馬場を褒めると叩かれて猪木やIWGPの話題で盛り上がる全日本スレ ボックはIWGP幻想に大きく貢献した。
また新日もボックを『世界最強の男』として大々的に宣伝したり。
しかし猪木戦でメッキが剥がれた。
謎のロープ際のスリーパーで反則負け。
そこでボックは終わった。 >>282
ブロディは「キャピタルのジャージは世界一」みたいなこと言ってたな
すごくフィット感がいいとか
鶴見は今もまだ着用してるけどどれだけ物持ちがいいのか、まあ学校系ジャージ
っていうのはすごく丈夫なつくりというイメージはあるけど >>310
高橋がロープ際でわざとらしくでんぐり返し(笑)
不透明決着でもいいけど、もっと上手くやってよ・・ >>300
馬場の受け身となれば何と言っても蔵前のPWF戦でブロディに食らったすっぽ抜けパイルドライバー
数日前のホーガン戦で猪木がああなっただけに馬場もかと思いきや返した上にそのまま試合続行したの
スゲエと思った >>313
馬場の受け身と言えば、
東体でゴディにコーナーに振られたら向こうまで届かず手前で倒れてコーナーに頭ぶつけてハフハフ。
ドリーのトップロープにピョコンと座って場外に落とされる技で大腿骨骨折。
世間一般には、ポーと膝を付くイメージだが、これは本当にやってたため、プロレス市民権を得ていた。 スティーブ・ライトの話だとボックは心臓が悪くて10分以上の試合ができない
コンディションだったんだそうだ
だから短時間試合しかできなかった
ボックはレスラー兼プロモーターだったがライトはボックにギャラを踏み倒されて
それ以降はボックの関わる興行には絶対に出場しなかった >>314
まだ二冠王だった83年と前座主体の90年を比較しても無意味のような
まあそれを言い出したら馬場自身の会心の受け身は全盛期の66年のインター戦でテーズのバックドロップを食らった時だそうだが >>298
ブリスコなんかアジアタッグどころか日本ではタッグのタイトル戦にもリーグ戦にも参加が無いんだよな
それだけに82年の全日本の海外遠征でのタッグトーナメントに兄弟コンビで師弟コンビを破った一戦が興味深い ボックとウォーリアーズは一緒だな。相手の良さを引き出せない。一方的な試合のみ。 馬場は常々二階から落ちてもなんともないと言ってたという ちょうどマットが外れていた床の部分にぶつけてしまったと言っていたか
そういえば今年の最強タッグにも帯広が入ってるんだよな >>317
ブリスコは、、日本プロレスの来日は2度だけだし、
初来日1967年のウインターシリーズ前半戦は、馬場抜きシリーズで
タイトル戦はなかった(後半、馬場対リソワスキーにインター戦あり)。
BI砲のインタータッグには、まだそこまでの
ネームバリューもなかったんだろ。
ビクターリベラと組んでアジアタッグレベルかな?
二度目の来日、71年夏は、もう「次期NWA世界王者候補」で
猪木のUNにも挑戦したが、このシリーズ、短いこともあるが、
タッグ選手権(インターおよびアジア)をやっていないんだ。
まぁ、息が合いそうな外人の組み合わせも思い浮かばない。
マルコフとブリスコを組ませても水と油だし。
元AWA王者のMイゴールが期待通りなら、マルコフと組んでも良かった。
ちなみに日本プロレスで、ワールドリーグやタッグリーグ戦以外、
通常のシリーズに参加した元4大世界王者(NWA,WWA,AWA,WWWF)で、
タイトルに挑戦できなかったのはイゴールくらいだな。 アニメのタイガーマスクに出てきたブリスコの似てないこと ボックとドリーは禿げ具合から似てると言われた。
ボックはドリーより一回り大きいと。
しかし実際に二人が並べば意外に体格差(身長差や厚みの差)は無いのでは?
ドリーもかなり大きかったと思う。
ハンセンやブロディにも体格負けしておらず。
むしろ80年頃にドリーが新日上がれば相当大きく見えたと思う。
テリーでも同様。
ファンクスってこんな大きかった?
そうなったと思う。 >>292
馬場はブラックウェルの腹に乗っただけじゃなくジャンプして腹踏みつけてるんだよ
ブラックウェルは相当痛かったのか若干腹の位置ずらしてるのでそれでバランスが崩れたのかもなw
ブラックウェルにしたら腹の上に乗るのは了解したがジャンプまで聞いてないぞと言いたかったのかもなw >>317
ジャックブリスコなら、チャンピオンカーニバルと、インター王座トーナメントに出てるだろ。 ブリスコは息の長いレスラーというイメージがある
それは小学生の頃(1982年〜1983年)に
駅売りやコンビニで東スポのカラー版のプロレス紙を良く買ってた
それには全米各地のレーティングというか、ランキング10位までが定期的に載ってた
地区は忘れたが(フロリダ?)
ブリスコ兄弟はランキング内に必ず入っていた、フレアーやレイスももちろん常連
WWFではバックランドがトップクラスの常連の頃
1番疑問だったのがファンクスの名前が、どこの地区のベスト10にも入ってなかった事…
ブロディは入ってたし、スヌーカはWWFの上位に食い込んだ頃だね
「もしかしてファンクスってハンセンの言うとおりで、全米ではもう化石なのか?」としんみりしながらランクを読んでた…
あ、もしかしたらランキングが毎号載ってたのは東スポ版じゃなくてビッグレスラーかも、ちょっと記憶が曖昧ですまん。 >>321
68年第二次サマーSに来日したときのルーク・グラハムタイトル挑戦してたっけ? 東スポが発行していた「ザ・プロレス」には、アメリカの試合の熱戦譜が毎回載っていた。
その中に、新日系と全日系の外人のカラミがあると「おおっ!」と思ったもんだ。 >>330
なんかあったねw
東スポ版タブロイド誌で、週刊ファイトより紙質が良かったような気がする。 >>330
猪木とNWA王者時代のフレアーが握手してる写真が表紙になってて驚いた記憶がある >>328
ハンセンは最近になってインタビューで「自分は『ファンクスよ、テキサスの化石になれ!』なんて言ってない」と
言っているんだけど、どうなんだろうね。当時の状況からすると、絶対言ってそうな気がするんだけど。
>>330
80年代前半にハンセンvsマスクド・スーパースター、アンドレvsブッチャーとかね。
来日時期が合えば、全日系と新日系の外人はリング外では会ってることも多かった。
ファンクスと全日移籍前のハンセンとかね。
ウィリアムス(当時、新日に在籍)とゴディ、フレアー、ロードウォリアーズも87年3月に来日して
一緒に六本木で飲んでいたのが記事になっていた。 >>330
平成に入ってからも殺人魚雷コンビvsスタイナーズとか結構貴重な対戦が実現してるな >>330
ゴング 月プロ デラプロでもそういう対決の掲載にはワクワクしたね。
マスカラス×シン
バックランド×シーク
アンドレ、マスカラス×シン
アンドレ×ブロディ
ニック×シン
アンドレ×レイス
ホーガン×ブラックウェル
ハンセン移籍前のゴングの記事だけだったけど。
ハンセンとスーパースターが『ラリアット軍団結成』ってのもあった。 >>333
外人同士どころかマードックはアドニスやセントクレアーらを引き連れて馬場の宿泊しているホテルの部屋まで押し掛けている。 >>333
そもそもハンセンのそのセリフの出典はどこなんだ?
長州のかませ犬発言と一緒で、セリフだけが一人歩きしていると昔から思ってた。 >>330
自己レスだけど、アンドレvsブッチャーの時は2人とも新日本在籍だったから、
実現しようと思えばできたのかな。
2人とも「プロレス頭」がいいから、日本でも面白い試合ができたんじゃないかな。
実際、83年9月にプエルトリコWWCで行われた2人のシングル戦(10周年アニバーサリー大会)は
かなり面白い。
>>334
ゴディ、ウィリアムス、リック・スタイナーの3人はビル・ワットのUWF(旧ミッド・サウス地区)で
ワットのお気に入り(ウィリアムスにとっては師匠)だったからね。
92年にワットがWCWのブッカー兼副社長になったことで、この3人がブッキングされて実現した。
90年はオレイ・アンダーソンがブッカーだったことで、ハンセンもWCWに登場した。
この時にも日本では報道されてなかったけど、ハンセンとスティングのシングル戦も実現してる。
結果はハンセンの反則負けだけど、こういうカードがしれっと実現してるんだよなw
>>337
ごめん、出典は忘れちゃったんだけど、確かに読んだ記憶があるんだよね。
「えっ!そうなの!」とかなり驚いたから。
長州のかませ犬は高田とのトークショーで触れてたね。
長州は最初「あれはマスコミが勝手に書いた」と言って、水道橋博士が驚くと
「あっ、やっぱ言ったかもしれない」と訂正していた。 「巨人はロッテより弱い」なんてのも実際はそんな発言はないらしいからね でもハンセンはファンクスに対して
「この2人がトップでいる限り、オールジャパンでの浮上はない」
という感情はリアルだったとハッキリ認めてるから…
「テキサスの化石」という表現の正確性はともかく、同じような言い回しはしたんじゃないの?
その方が辻褄が合う。
というか、ファンクスに対しての感情はガチだったと認めてるんだから表現はともかく、言ったに等しいよねw
あと、東スポのカラー版の「ザ・プロレス」は藤原が独特のイラストを書いてたような気がする
なんか読者の絵葉書のイラストを評定してたような…新日の前座なんて当時は知らなかったから興味は無かったけど。 >>336
マードックらしいね。
87年C・カーニバルの開幕戦・後楽園ホールにもマードック来てたよね。
外国人控え室でハンセン、デビアス等と談笑、日本人控え室で馬場、ドリーとも話し合い。
当然、迷惑そうな顔の馬場の横で、いきいきとしているマードックw
ちょうど「全日本に戻って輪島と組みたい」と言っていた頃かな。
話は変わるけど、92年に天龍のWARに最後の来日をしたケリー・フォン・エリックも、
どうしても全日本に復帰したくて、全日本の事務所まで出向いて馬場が来るのを数時間待っていた。
結局、馬場は現れずそのままケリーは帰ったんだけど、翌93年2月にケリーは自殺してしまったね。
その関係かどうか分からないけど、93年10月の武道館に親父のフリッツがオールド企画で呼ばれた。
その時もフリッツはジョー樋口に「ケビンをまた使ってくれないか」と頼んだ。
でもケリーにしてもケビンにしても、あの時代に全日本復帰しても居場所がないよね。
マードック、エリック兄弟に限らず「また、全日本に呼んでくれ」と馬場に言う外国人レスラーの話は、
表に出てなくとも数多くあったんだろうね。 >>329
うむ!確かに元WWA世界王者のルーク・グラハムも、
タイトルに挑戦していないね、、って、
この第二次サマーシリーズはタイトル戦がなかった。
俺も、ちょっと自信がなくて「元4大世界王者で、タイトルに
挑戦できなかったのはイゴールだけだ」と断定せずに、
「イゴールくらいだな」に止めておいたんだ(^^: プロ野球でも外国人選手が六本木とかのバーに集まって
それぞれのチームの事情とか情報交換している >>341
他団体の控室に行くって、よくあるみたい。
草津も引退後の事業のウオッシュレットみたいな製品を売りに新日控室に行って何人かが買っている。
井上「猪木vs小林戦の蔵前に行って外人側控室でアンドレに会った。小林は別室だったのかいなかった」
ところが、小林はいた。この絵は蔵前の大きな支度部屋。
https://hobby.red-cm.com/pro_wrestling/アントニオ猪木vsストロング小林-1974〜猪木-日本統一 堂々と会場に行けば激励の表敬訪問ということで会話も社交辞令ということで済ますことはできる >>345
大仁田はUWFの神社長に「入場券持っていますか?」と言われて入れなかったぞ。 昭和時代って日本人と外国人のリング外での交流ってなかったのかな。
アメリカだと日本人も外国人も一緒に車乗って会場に向かったって話はよく聞くけれど。 >>333
ファンクスとの抗争はテリーが考えてたからなぁ
言っても言ってなくてもどうでも良くないか? 「ハンセンにテキサスの化石になれと言われました。馬鹿にされたんですよ」
広めたのは間違いなく倉持 >>347
ゴッチと門下生、ファンクスと全日勢とか色々あるよ。
1974年12月のIWA王者井上vsAWA王者ガニア戦後に門馬が2人の会食を設定して東スポに載せて吉原が激怒した。 >>327
確か日本でブリスコ兄弟が揃い踏みしたのは三代NWA王者揃い踏みの74年の新春シリーズだけなんだよな
どうせならフロリダと関係復活した81年の最強タッグに参加して欲しかったがあるいはNWA王座から降りたばかりのレイスの初参加を優先だったか >>318
その点でいえば、ブロディも同類じゃないか?巷では自分の認めた相手の技は受けるということがいわれるけど、
84年最強タッグでのレイス&ニック戦では、ニックのフライング・ボディシザースをあまりに見事に決められてリングに転がされたのが屈辱だったのか、
その後のニックのボディスラム、さらにレッグシザースまで拒んでいたからな。特に後者は、どうみても普通に受けた方がダメージ少ないのに、無理に耐えて膝を痛めていたようだし。
85年に新日でマードックとやった時も、頑なにブレーンバスターは拒否したくせに、自分のブレーンバスターはきっちり決めていたことに、ターザン山本も「我がまま」と評していた。 >>347
鶴田とハンセンは全日移籍前からちょくちょく会ってたみたい。 >>347
馬場とデストロイヤーが
試合前、会場の裏でキャッチボールを
したのは有名ww
まぁ、それに近い話はあったんだろ? そういえば猪木が84年の春頃に全日の会場を訪問してるよね?
あれどこだったかな?勿論控室だけだったけど。 馬場は、アメリカ武者修行中に
サンマルチノと知り合い、
友情を育んだと言われるが
これも梶原一騎の作り話らしい。
後年、サンマルチノがインタビューに応え、
アメリカでWWWF王者の時、
いち挑戦者としか馬場のことは、知らなかった。
むしろ日本に来てから、馬場を知り
友人になったと言っている。 馬場とサンマルチノは初渡米時のNY地区のどこかで試合してて写真も残っている。馬場にサンマルチノがフルネルソン掛けているヤツ。
特に仲が良かった訳でもないだけで、話を盛ったファンタジー。
馬場もNY地区でアトキンスがマネージャーについてからはアトキンスの家で練習→試合→帰るみたいな生活で全く余裕が無かったと書いてた気がする。 馬場の武者修行時代に翻意だったのは、ハンス・シュミットじゃなかった?
もちろん自分は名前だけでファイトは見た事がないが…
10年ちょい前のプロレス本で、晩年のシュミットのインタビューを読んだ覚えがある
アトキンスにビーチでしごかれてる馬場を、近所だったシュミット夫妻がしょっちゅう食事に招待したとか…
夫人が特に馬場をお気に入りで、素直で礼儀正しい青年っぷりにファンになったとか云々。
あと新日に来日した時に、猪木の事を「ルー・テーズみたいだと思った」とか言ってたな。
他には「現役時代はテーズに全く勝てなかったので、一つくらいは勝ちたい、テーズの享年より長生きしたいね(笑)」
「今のWWEは見てない、身内にも見るなと言ってる、あれはレスリングの欠片もない」
あと記者に「ババは元気かい」と逆質問して、亡くなった事を知ると「自分よりまだ全然若いのに…」と驚きとショックを受けてたな。
そんな内容だった感じ、友情とは少し違うかもしれないが。 >>360
横浜銀蝿のリーダー嵐「住んでいた団地に全日本が来て幕を張っていた。
団地の上から幕の中を見たら馬場さんとブッチャーがキャッチボールしていた。
何だ仲良いんじゃないかと思った」 >>360
つかこうへいのエッセイに、山藤章二が挿絵の単行本があって、プロレスについてのつかの
文章の回で、猪木とブッチャーのキャッチボールネタの山藤のイラストが載っていた。 >>354
馬場とデストなら仲間だから、キャッチボールしてても何の不思議もないだろ。 >>352
83年最強タッグのハンセン・ブロディvsマスカラス兄弟の一戦も噛み合わず、
おかしな展開だったよ。
まともだったのはハンセンとドス・カラスで、ブロディとマスカラスは互いに
技を受けようとせず、ブロディがマスカラスの技を受けようとしなければ、
マスカラスは意地でも受けさせようとするなど、我の強さだけを互いにぶつけあっていた。
試合はブロディがドスをアバランシュで仕留めたが、最後までギクシャクしたままだった。
試合後に馬場がブロディとマスカラスを個別に詰問し、二度と二人をシリーズでは一緒にさせなかった。 >>363
力抜山引退インタビュー「一番楽しかった思い出は、地方の旅館で女風呂が覗けるとのことで行ったら、猪木さんと寺西さんもいた」
何で猪木と寺西が一緒に女風呂を覗いてるんだ? >>364
そもそも84年にマスカラス(ドスカラスも)は全日に来たっけ? >>367
マスカラスは86年(ドスカラスは85年に新日へ)まで全日参戦してる >>367
来てないね。
ドス・カラスが85年に新日本へ移ったのも馬場に見切りをつけられたからかな?
しかしドスの新日初参戦がIWGPタッグリーグ戦で因縁のブロディと一緒だったが、この時は何も不穏なことは起こらず6人タッグでチームを組んだりしていた。 >>367
84年には来てない
85年にはブロディとドスカラスが新日で一緒になった
両団体でブロディと対戦したのはドスカラスと高野俊二だけかな >>363
全日時代なら、ともかく
敵対関係の日本プロレス時代は
リング外で友人でも、マズいだろ?
354に書いたのは、日プロ時代の話で
たけしの前から、よくネタにされていた。 ドスが馬場から身切りをつけられたんじゃなく、属していたUWAが新日本と提携していて、マスカラスからの一本立ちを狙っていたドス本人が新日移籍を決断した。 >>355
たけしがネタにしたというのは
早くても、昭和55年以降だな。
その時には、もうデストロイヤーは
全日の一員で、馬場ともタッグを組んでいた。
その時のプロレスを見ている人には
二人がキャッチボールをしていたの?
あの二人、仲が良いもん、普通じゃないか?
と思うだけ。
たけしは、日本プロレス時代
(昭和46年以前)敵対していた時代の
ことを言っていて、
プロレスは血流して戦っていても、
本当は仲が良いんだよ=八百長だよ、
と言いたかったんだろうがね。 ビートたけしはプロレスが嫌いだからね
「両国の興行の前に長州さんが俺のサインを貰いに来た」とか
「猪木さんも長州さんも始まる前はにこやかだったのに
リングの上では変わっちまうんだもの」とか
そういう話もしていた たけしネタは太陽にほえろスレでも荒らしネタとして嫌われてるし真面目に見てる人の敵なんだよ >>373
UWAは84年からグラン浜田を介して全日本と提携したはず。
85年IWGPタッグの時期には新日本とヨリを戻したのかな? >>377
5月のlWGP&WWFチャンピオンSにカネックとベラが来てる
カルロス・マイネスか誰か「スタイル的にやはり我々は新日本の方が…」 俊二は馬場猪木だけでなく、ブロディにも目を掛けられてたんだな
数回あった俊二とブロディのシングルはブロディが指名した試合もあったという >>378
短い提携だったのだね。
せめてカネックを呼んでいたら全日本マットでマスカラスとの絡みが見られたかもしれないのに。 メキシコUWAのフランシスコ・フローレスがCMLLにだったか出場した
馬場の事を「腕が細いのがレスラーとしてマイナス」とか貶していたけど
全日と組んでからその事を謝罪してたな。 UWAが全日本と提携したのは、UWAと懇意だった新間寿がUWFオープニング
シリーズに馬場が外国人選手をブッキングしてくれたお返し。
全日本は元々NWA系のEMLL(CMLL)と付き合いがあるから、希望した訳ではない。
新間を恩人と慕う浜田は新日本やUWAへの執着はなく、フリーとして全日本に参戦、
ペーロ・アグアヨ、ロス・ブラソス、フィッシュマン、ベビーフェイス等も参戦したが
UWAとの提携は1年も持たず自然消滅した。 馬場が「デカければ良いと言うものではない見本」と評したのがザ・コンビクト
ブロディが「体のサイズが大きいだけだ」と評したのがキングコング・バンディ
ブロディはジョン・テンタについては「良い選手がいるな」と言ったとか >>376
たけしはすぐ冷や水ぶっかけて、
自分アピールしたがるよなあ。 >>384
そういう所はマスカラスと似ているか。
自分の定番ムーブを必ず試合に入れようとする。 >>379
>数回あった俊二とブロディのシングルはブロディが指名した試合もあったという
ブロディはテンタにも目をかけてたというが、
いずれ自分のポジションを奪われるという発想はこの2人にはなったんだろうか?
それとも世代が違いすぎると台頭したとしても、引退前後ぐらいになるだろうし
リアルで現在の良い試合ができそうな相手を選ぶんだろうかね? https://pbs.twimg.com/media/DusPdr3VsAAjDGH.jpg
ヒロ斎藤「俊二は性格がずぼらでしたけど、気軽な感じで付き合いやすかったですよ。
試合では、自分の言うことは聞いてくれました。ただあいつはスタミナもあるし、動けるし、
ジャンプ力もありましたから自分がアドバイスすることは何もありませんでした。
身長が2メートルもあって、あんなに動けるから順調にいけばトップは取れていたと思ったんですが…」 >>382
EMLLもUWAもプロレスはデカい奴優先だった馬場にはルチャドールは
ほとんど興味なかったんじゃないか? >>388
そんなことはない。
小さくても上手い選手やスゴい選手は好き。
佐山タイガーやらリスマルクは高く評価してたろ。 >>388
馬場には興味なくても2代目タイガーがデビューした頃だから
メキシカンは欲しかったのでは? 仮にルチャドールを全日に上げたとして
それを生かせる人材が全日の方にいるのかな?
前座で多少沸かせる程度なら
高いカネ払う意味がない テンタはブロディからアドバイスされて
「君は2,3年キャリアを積めば誰にも負けなくなる
私との試合でアリーナを埋めよう」と言われて
テンタは「あの人はとても良い人ね」と感謝してたそうだ >>391
ウルトラセブンは三沢しかそれができるのがいなかったのでダメだったと言ってたな。
でもリスマルクとセブンの試合を見たらセブン自身もできてねえじゃねえかと呆れたがw 馬場は佐山タイガー並みの選手・キャラが欲しくて、ウルトラセブン、リスマルクと
迷走し、佐山タイガー獲得に失敗後、三沢タイガーにたどり着く。
リスマルクはヒットしなかったが、越中・三沢のメキシコ遠征は
リスマルクのラインから実現した。 馬場とキャッチボールならハンセンも度々やっていたとか。 >>397
初代タイガーの成功がなかったら
大仁田がメキシコに行かされることも無かったんだろうな。 いくらなんでもチャボが大仁田をトロフィで滅多打ちにするシーンがグロいんだけど。。
チャボは軽く仕事こなしただけなんだろうが、正直トラウマレベル。 でも大仁田がケガせずに全日を辞めなかったら、つまらないレスラーで終わっていたかもしれないよな。 >>400
大仁田が自分の腕をカットし過ぎてたんだろ >>398
大仁田は、凱旋帰国直前にメキシコでサングレ・チカナに負けて
インタージュニア王座を一時的に手放す(帰国直前に奪回)のだが、
あの後、チカナを日本に呼ぶことも無く、大仁田がメキシコに
再遠征する訳でもなく、意味不明な展開だった。
チカナを日本で見たかった。 >>403
メキシコ行かせたのは空中殺法身に付けさせるためだろ。
初代タイガーの人気にあやかってジュニア王者にしたわけだから。
チカナは本当は日本に呼ぶ予定だったんじゃないのかな。 >>405
大仁田が馬場の断り無しに現地プロモーターと話して王座陥落奪還を演じたらしい(それで大仁田はギャラとは別に金銭授与があった)
他の選手が同じ事をやったら馬場は激怒しただろうけど
しょうがねぇ奴だなぁって苦笑してたらしい >>394
佐山獲得は失敗したわけではなく、大塚辺りにもっと安く作れると言われたからやめたんだよ >>383
ブロディがバンディのことをそんな風にコメントしていたとは知らなかった。新日移籍時のゴングのインタビューで、ビッグジョンスタッドのことを「デカいだけのデクの坊」と評していたけど。 佐山の替わりというか、佐山に近いモノがそのへんに簡単にいるわけないんだけど
馬場はそれがわからなかったんだ。
60年代の馬場を代替できる存在がないことは自分でわかっているだろうに
他人のことで、軽量になると「いる」「できる」と思えるのは困ったもんだ。 日本にジュニアが定着したのはいつ頃?
藤波の凱旋あたりなら、つまり佐山以前に土壌があるわけで…
藤波を売り出すため、好敵手を見定め来日させ、ある時は剛など他団体にも手を出し
阿修羅・原などと交流戦をこなし、ジュニアでも新日強しをアピール
団体内では木村健などと切磋琢磨もして、ようやく新日にジュニア戦場を築いたベースがある。
その上での佐山の転身であり、藤波はすでに10年近いキャリアでジュニアを担った
それをキャリア3年の三沢に代替させたり、大仁田に藤波や佐山の要素を求めたりは早急すぎたよね
大仁田はキャリアはあったが、テネシーなどのヒールスタイルが真骨頂でやってたらしいし
チャボが獲れたからそれに合わせて「何なら新日風のジュニアの流れを作るか?」って感じだったりして…?
結局は新日の模写でしかないよねえ…数年後の渕はさすがに飛んだり跳ねたりはさせなかったけど、ゴッチ流をマスコミベースで売り出してたような…? 馬場はブームの時ですら佐山タイガーを「あれは子供向けだ」とあまり良く言っていなかった
基本的には「プロレスの魅力はヘビー級の迫力だ」って思想だから 佐山側と馬場は一応接触あって交渉もしたけれど、佐山側の要求がキツ過ぎて断念だったような。取り巻き怪しすぎるのは後々揉める原因にもなるし。
佐山も自分の結婚式にスケジュール割いて渡米してくれた馬場に借りがある状況なんで、まとまる可能性も十分あるような気がする。
佐山さえ獲得できれば梶原先生とのコネと外人招聘するだけなんで、その後は馬場にとってはさほど難しい話ではない。
佐山の一本獲りができれば長州はいらなかったかもしれんし、微妙なプロレス界と格闘技界の分岐点だったかも。 その当時って佐山の近くにショウジ・コンチャっていたのかね
あの男は新間や前田もボロクソに言うほど怪しい人間だったから
関わるのはヤバい 蒲田のせいにしてショージコンチャに佐山と離別させる念書描かせたのは誰なんだろうね
もしくは蒲田本人だったのか?いずれにせよ警察沙汰にまでなったのに
スーパータイガーはあまり売れなかった >>416
佐山がタイガーマスクを辞めて、新しい格闘技を作りたいと考えていた時期に
スッと入り込んで代理人になったワル
浦田氏がヤクザを使って佐山とチンピラのショウジ・コンチャ(曽川庄司)を
別れさせようとして逮捕(冤罪)されるんだよな。
金になる佐山はコンチャに洗脳状態だったから‥ >>341
遅レスで悪いが、週プロ派だった俺はマードックが全日に訪問したことを知らなかった。
当時どこに書いてあった情報?それか読んだのか記憶が無いのか。。 三沢タイガーの相手を務めたラ・フィエラ、Gスピのメキシカン特集にちょくちょく登場するな
アグアヨ、サタニコ、チカナらといった素顔のルード系とほぼ同格な印象 マードックが87年3月に売り込んだとすると、自分の賞味期限がよく分かっているね。
ジャパンカップ準優勝などで十分箔はついてる。タイミングはバッチリだった。 >>419
どこに書いてあったか忘れたけど、俺も見た記憶がある。
新日本に引き抜かれ怒り心頭だった馬場のところにも顔を出して
「一杯おごってくれ」と朝まで付き合わせたり、憎めない人柄なんだね。
NWA世界王座も本気になれば取れた逸材だったが、ケンカとビールが大好きな自由人
前田も長州も小僧扱いだから、猪木はマードックをポリスマン的に重用してたね。 佐山タイガーの話がでたついでに。
今、YouTubeでみれたりするけど、大したことなくない?
たしかに出たての頃は画期的な動きなんだろうけど、今見ると、ひとつひとつの技もしょっぱいんだよね。
そう思うのは私だけ?
昭和全日スレでする話題じゃないが。 >>423
幾多のプロレスライターがそれはとっくに指摘してるよ、ビデオで確認してみると大したことは無いが
当時の昭和のマットで実際に会場で体感した者にしかわからない感動というものがある
令和になって映像だけ見てしたり顔で否定してる奴には一生理解できないってさ >>423
飯伏幸太やドラゲーなんかと比較したら、大したことないんじゃないか?
でも40年くらい前にリアルタイムで見たときは、本当に衝撃的だったよ。 プロレスって
飛んだり跳ねたり
動きまわってりゃいいってもんではないんだよw 飯伏幸太やドラゲーは予定調和すぎてアドリブ感がないんだよな カール・ルイスを今の選手に比べて遅いだろとバカにするようなもんだな >>428
うまいw
でも今の飯伏をはじめとする空中殺法の使い手には、あまり無理しないようにして欲しい。
一歩間違うとハヤブサや三沢みたいに命取りになるからなぁ 今のレスラーは僕らよりスゴイことやってるけどスゴク見えない
と言う藤波に同感
肝心なところ省いてる 動いてるから凄い
受身取ってるから凄い
ではないんだよ昭和プロレスは
その分、今より難解 佐山より今のレスラーの方がすごいって?
アホやろ。
今のレスラーの飛んだり跳ねたりって、たんなるアクロバットだからなあ。
佐山のはバトルとしても理にかなってるし、
緩急つけてるから心に訴えかける。
リコシェとオスプレイの、
いかにも何回も練習してますよっていう攻防を良いって言う人間にはわからんだろうが。 俺は覆面を被ってた時はともかく素顔になってからは嫌いなのに
そもそも何で全日スレで佐山の擁護をせにゃならんのだw ジュニアのエース時代の大仁田のベストバウトって何の試合だろう… 物理的に正しいか正しくないか素人にも伝わる
秋山が馬場にヘッドロック教わった話興味深い
相手を押せば押し返してくるからその反動を利用して極めろと 馬場が大仁田を「プロレスをやる為に産まれてきたような男だ」と評してて
ジュニア時代は「どこが?」って感じだったが後の大ブレイクで
その言葉が真実だったのが分かった 昭和プロレスのセオリー。
・ヘッドロックは必ず体の左脇で抱えること。
・バックドロップは必ず相手の左側に潜り込んで投げること。
・アトミックドロップも同様。
・相手をロープに振る時は必ず左腕を持って投げること。
なるほど昔の動画見ると上記の全てが当てはまるのがわかる。 >>434
そりゃ最大のインパクトはチャボ・ゲレロ戦(王座決定戦)でしょ。
ただ、その後は再戦は結局実現してないかな・・ >>411
力道山時代の1956年にウエイト別日本選手権が開催されて
ヘビー級王者は力道山が認定されて残りの選手でランキング戦が行われ
1位東不二 2位山口利夫 3位豊登
決勝の3本勝負は 東富士 2−1 山口利夫
ジュニアヘビー級
決勝 駿河海 2−1 吉村道明
ライトヘビー級
決勝 芳の里 2−0 吉原功
ヒロ・マツダがアメリカでNWA世界ジュニアヘビー級王者に輝いたが
当時は「あっそう、でもヘビー級には勝てないよね」って感じでそれほどでもない扱い。
興行ビジネスとしてプロレスの商品としてジュニアヘビーを日本マット界に定着させたのは
藤波だろうね。 >>440
逆にチャボとの試合以外は全部つまらなかった。
チャボは本当に一流だったんだなあ。 女子プロではコブラツイスト、左右男とは逆だよな。決まり事なのかな? >>441
国際プロレスが1969年に
田中忠治をIWAミッドヘビー級王者に
仕立てたが、全然ブレイクせず
2度の防衛戦で断ち切れ、
75年に、今度は寺西勇を、同王者にしたが
これも長続きせず、自然消滅。 >>442
チャボって、何気に大仁田に負ける前には、レイスやドリーにシングルで勝ってたりするしね。
実際アメリカでは70〜80年代は普通にヘビー級で1.5流くらいでジュニアはほぼ日本限定みたいな感じじゃない? >>442
田コロでの井上戦はまぁまぁ面白い。
あの頃はもうFMW時代の芸風が出てた。 >>442
そうかなあ、
大体の試合は面白かったけどなあ。
大仁田のキャラはやっぱり盛り上げるのは上手い。 FMW初期の大仁田の試合は、本当に面白くて金払って見る価値があった。
四天王とか三銃士とか、なぜ毛嫌いしていたのか不思議だった。 >>447
試合後のアピールとかは当時から上手いと思ってたが
試合自体は相手もチャボほど上手いレスラーじゃなかったのもあっただろうけど
外人相手の防衛戦はつまらなかった。
全日ファンだったからそれでも「初代タイガーより強さでは上。」と信じてたけどw
FMW旗揚げ後は面白い試合の連続だったな。
それ以前のジャパン女子での浜田戦、パイオニアでの剛戦、
格闘技の祭典での青柳戦も面白かった。
やっぱり初代タイガーと競わせないで自由にやらせたら面白い試合が
全日でもできてたのかも。 大仁田が王者だった時代、日本人レスラーの挑戦はウルトラセブンだけかな
渕もドラゴンもマッハも挑戦してなかったよな 大仁田と佐山とでは体格差大きかったから、新日ファンではあったけど大仁田の
方が総合的に上じゃないかと思ってたわ。 >>432
お決まりの動きでもムーブvsムーブでの戦いがあったからね
今みたいに山場を交代で繰り返す感じじゃなく >>450
当時は子供だったのでウルトラセブンも外人だと思って見てたなぁ…
ロッキージョーンズとかチックドノバンとか1回こっきりの相手との防衛戦も多かったイメージかな… >>423-425
もうこれは実体験した、その当時の空気を吸った人間の永遠の記憶だからな。。
にしても、あの頃からざっと40年近くが経過してることに改めて驚愕するなw
つまり、あの当時(80年前半)に時間を戻した時において戦前の話をしてる年寄りみたいなもんだ、今の俺らは。
そりゃ今から40年近く前の試合を今どきのファンが見たら古臭いんだろうしなあ。。w タイガーマスクの個人的ベストバウトは82年5月大阪でのブラックタイガー戦かな…
フィニッシュがカッコ良すぎて感動した フィニッシュで言うなら俺はタイガーがドンピシャでミサイルキックを決めたブレットハート戦だなー
つべのコメント欄に最後のダブルアームが余計だったって猪木に説教されたって話も興味深い 今日は大仁田とチャボの問題試合の日
そして同じ日に新日本ではソントンから奪取のNWA世界ジュニアの初防衛戦をようやくに >>423
まぁそれを言ったら、
1970年代のミル・マスカラスも
1950代アメリカを沸かせた
エドワード・カーペンティアも
今、見たら大したことはないよな。 マスカラスのフライングクロスチョップ連発とかでドタバタした空中殺法は
今みたいにスマートじゃないけどそれはそれで今見ても味わい深くて面白いと思う
よくよく考えてみたら100キロの肉体が飛んでくるんだからね ハンセンのトペをリング下から捉えた映像
冷蔵庫が飛んでくるみたいでド迫力だった 佐山タイガーの試合はほとんどがフリースタイル、グレコ、キャッチが入った
スタンドとグランドのレスリングで今見ると地味に見える。
浜田なんて第1次Uが出る3年前でスタンドで肘に体重かけるワキ固めを出してて一捻りで折れる。
逆にそういう攻防があるから大技や飛び技が光った。 佐山は「格闘技の観点からも意味のない技はやらない、飛ぶにしても技に対しての意味付けがある」
確か唯一の意味のない技は、本人いわく「スペース・フライング・タイガードロップ」だとか。
「場外に飛んでいくのに助走の段階で側転するのは、ただスピードが落ちるだけで全く不効率、理にかなってない」
ずっと後にバカキャラでブレイクした剛の「当たってから飛ぶジャンピングネックブリーカー」もそれを想起させた。 >>460
88年3月秋田で、ハンセンがノックアウト後に起き上がって天龍にかましたトペの迫力。
パートナーはテリー・ゴディだったけど、あの日はゴディではなくハンセンの方が『人間魚雷』だったなw >>455
後頭部ローリングソバットからのジャーマンか。 >>464
82年5月のフィニッシュは初公開ラウンディングボディプレスだな。
延髄ソバットは83年2月。 例の大仁田vsチャボゲレロで試合後に大流血で倒れてる大仁田の髪を掴んで持ち上げてるセコンドがいるんだよなw
小鹿だと思うんだ。 >>423
佐山の試合は今見てもスゴいだろ。
大したことない、なんて思うのは、
相当センスがなさすぎる。 >>452
そうそう。
今のレスラーって、
次の動きに移りやすくするためか、
ロックアップすらまともにせんもんな。
本末転倒。 全盛期の佐山は確かに凄い動きだった。
ただ83年頃からは太って動きが落ちた。
84年に全日本に出ても、インパクトは落ちたかもしれん。 無意味な動きと言えば武藤がローリングエルボーをやったら
「回転の意味がねーぞ!」と野次られていた
スレ違いな話すまん >>472
ローリングエルボーの回転は、
目眩ましになるし、勢いもつくから意味がないってことはないと思うが。 大仁田厚全日時代一番の名場面は、83年4月20日のヘクター・ゲレロ戦の試合後
リングを格好良く飛び降り足を滑らせ左膝を床に強打、左膝を粉砕骨折
これが全日引退の引き金になった。 >>474
大仁田がケガしてなかったら、どういう扱いだったんだろうか。
いずれ三沢がジュニア戦士として売り出すことはまちがいなかったろうし。 >>469
ライガーが、俺たちの方が凄いことをやっている
ファンはちゃんと判断してほしい
みたいなことを言ってた 佐山は漫画で言えば80年代の大友克洋みたいなもん
今だと匹敵する画力の漫画家は沢山いるけど登場時は衝撃だったんだよ 佐山聡がいなかったら、浅井嘉浩とか村川政徳とかプロレスラーになっていなかっただろうな。 >>475
子供のいない馬場夫妻は、大仁田のことを特に可愛がってたからなぁ
悪くはしなかったろうな。 >>480
養子にする話も出ていて、でもそれを大仁田が断ったという話も聞いた >>476
ホントに?
ライガーがそんなこと言うかねえ?
自惚れも甚だしい。 >>478
漫画の世界は知らんが、
レスラーに関して言えば、
みんな佐山の猿真似やし、
誰一人動きで超えるレスラーはおらんけどなあ。
バリバリの全日派で、
大仁田の方が好きだったのに、
ここまて佐山の擁護するとは自分でも意外だ。
しかし事実だからな。 >>482
じゃあ引退までに電流爆破や蛍光灯なんかもお願いします。 >>454
>そりゃ今から40年近く前の試合を今どきのファンが見たら古臭いんだろうしなあ。
しか、時間量だけで推し量れない感覚もあるのも事実
例えば平成2年の武藤凱旋のNKホールの試合を見ても、全然古くさくない
昭和末期から平成にかけての鶴龍対決もやはり古くはない
でももう30年前後は経ってるんだよね…
でも1980年代と1970年代の試合は、たった数年の差なのにえらく違うように感じる
あとこれは以前にも書いたけど、昭和30年代の力道山と、40年代の馬場猪木中心とでは、やはり違うように感じる
あと日プロ末期のマスカラスと、存命ギリギリの力道山がたった6年しか違わないんだから…
力道山とマスカラスなんて数十年くらい時系列が違うイメージがあるw
何なんだろうな…会場の観客の雰囲気や客層…アナウンサーの口調の差かね…? >>475
大仁田対タイガーマスク
大仁田対渕
大仁田対マジックドラゴン
これらのカードを蔵前でやってたんだろうな…
ジャパンが来たら天龍とのタッグで迎え撃ったのかな… >>485
1980年代と1990年代ではまた違う
世界最強タッグの入場式の動画見てもそう思う
レスラーの顔ぶれと場内のムードが違うんだと思う
ここ数年、毎年、入場式には行ってるけど、ホントにここでアレがあったのか?って思うこと多いし
時代時代で、ファンが凄いと感じるものは違うんだよね >>485
人間離れした怪物がプロレスラーの時代。
スポーツの一つであるプロレスラー。
の違いか。 >>487
>1980年代と1990年代ではまた違う
つまり昭和と平成の違い、そのまんまだね
いずれ「平成と令和は違う」とか言われるんだろうなあ…
スレ違いを許してほしいけど、TBSチャンネルで「スクール・ウオーズ」やってたけど
山下真司が今と全然変わってないw
35年も前の1984年らしいよ…その年って鶴田がAWA・三沢タイガー・ジャパン来襲だよ… >>488
ああ、それは言いえて妙だと思うわ
特に平成になってからは体型もアスリートっぽい
もっと具体的に言うと、ウェストがくびれてないか、くびれてるかが1番違うと思う >>487
>1980年代と1990年代ではまた違う
全日で言えば、80年代の鶴田、天龍、
外人天国時代から
90年代は、天龍離脱、鶴田体調不安から
「四天王」時代に移行。外人も固定化した。
新日でも猪木、長州、藤波から三銃士+馳健に以降。
さらにFMWの旗揚げ成功、SWSの分裂を受けて
インディーズが多く旗揚げしたから、からっと
プロレス界が変わったな。 自分は1983年の入場式動画が一番ピンと来るw
新日ファンの年齢分布をズンドコスレで見たけど、20代30代が圧倒的に多かった
後楽園ホールには毎試合行ってるというファンでも、闘魂三銃士は知らないという
何?そのだっさい名前?な感じなんだろうな
平成維新軍は令和維新軍が出来れば、名を残すと思う シンが1990年に新日復帰した時
「坂口はいなくなり猪木は一線から退いた新日に戸惑っている」なんて
指摘もあった
1981年の新日と1990年の新日じゃ全然違ってたからね >>485
わかる。やはり両国が出来てから新時代って感じで古く感じないんだよな〜
その両国が35年か・・・信じられないよ 1991年3月、新日の東京ドーム
観戦したけど、凄い入りだったんだよ…
メインが藤波vsフレアー、セミが長州vsシン
アンダーカードが良かったとはいえ、この2カードで超満員なのは驚異的だと思った
フレアーがNWAチャンプとして全日に登場したのが1981年
シンが引き抜き戦争で登場したのが同じく1981年
それから丸10年も経過…全日的にはとっくに出がらし感が漂う両選手ではあるよね
それでも新日ファンとしては新鮮味があるんだろうな、と思ってたけど
ただ、このスレの流れを読んでて思ったのが、平成3年といえば昭和の名残と平成の認知感が安定した時期でもある。
ちょうどシンやフレアーに敏感な昭和ファンと、三銃士を知りファンになった平成ファンがうまく融合、いうか一挙両得できた興行だったんだろうなと… >>494
両国国技館は内装や雰囲気、スタート当時から今もあまり変わってないからね
その持続感が古臭さを感じさせないのかも、赤い座席も確かそのままんまだし
大きな改装をしたり、移転でもしたらどう感じるかだね。 現在と昭和の違いというと、今はラッシャー木村や坂口征二、ストロング小林のような
どっしり構えたパワー殺法中心、ラフで流血戦も絵になるような、それでエース(準エース)的な
レスラーって誰かいる? あまり見てないから知らないんだw
今のプロレスというとハイスパットでアクロバット的なイメージが強いので。 >>497
全日の諏訪魔が近いな。
なんとなくS小林を思わせる。
10年前のノアなら力皇だった。 黒いロングタイツ、もみ上げ
、パンチパーマ、オールバック
レスラー 森嶋は力皇とのコンビで売り出したけどまったく売れなかったんだよな
全日の若手時代は鶴田の再来なんて言われて期待されていたのに
ただ若い頃からすでに中年時代の鶴田みたいな弛んだ体してて
ノアになってからは巨漢レスラーの仲間入り
いくら体格に恵まれてても精神がアレだと無理なんだなぁと >>501
身体がデカい奴はケガしないと常々言ってたのは馬場で、そういうものだと思ってたけど、精神的に弱いのはダメなんだろうな
メンタル弱いのはダメ、身体デカくてメンタル弱いのは最悪、と思うわ 佐山タイガーを塩扱いするヤツがいるとは驚く。>>432と全く同意見 佐山タイガーを手本にするのはいいけど
どいつもこいつも
上辺の派手な部分だけ真似しようとする奴ばっかりなんだよなw
もしかしたら三沢タイガーが本人の意思とはかかわらず
その最初のレスラーだったかもしれないが >>497
あと、全日の石川 修司。
俺も499も書いたノアの杉浦は思い浮かんだが、
ちょっとサイズは小さいな。
今、新日のトップ(オカダ、棚橋、内藤)が、ハイスパットで
アクロバット的なプロレスをやっているので、
皆、そんなイメージだが、後藤はちょっと違う。
岡 倫之が、今後、ゴツゴツとしたパワーレスリングを
復活させるか注目している 大仁田の話に戻すと、凱旋したシリーズで馬場と組んでフレアー&スレーターと戦った試合は面白かったけどな。
馬場との唯一のタッグがまさに父子のような雰囲気だったし、NWAヘビーの王者とジュニアの王者との対決でフレアーが大仁田を試合前は「眼中になし」という態度で臨みながら、試合中に「こいつ、なかなかやるな」という表情に変わるところもよかった。 ハンセン、ブロディ組は見られただけでも金払う価値があったな。 >>507
馬場vsNWA王者フレアーってのも珍しいよな
81年以降はこの試合と
83年最強タッグの馬場、ドリー、カブキvsフレアー、ウィンダム、フラー
しかないはず こういう撮り方、芝居がかっているとしか思えない・・・だが、それがいい。
https://i.imgur.com/qIeQoaF.jpg >>506
石川はユニオン時代はヒョロくて、その後も石川ジャイ子を経て、何年かかけて、これぞ全日!っていう身体つきのレスラーになったなあ
秋山は石川を、身体が大きいから投げられ慣れていない、だから身体が傷んてない、と評価したんだっけ?
馬場理論はこういうことか? >>513
谷津来場で、鶴田と身長同じくらいで横幅は鶴田よりあるねぇ〜と言われ、舞い上がったらしいからねw >>498=>>506 レスどうもです。
諏訪間&石川、やっぱ自分の思う「昔からの」全日本という団体にふさわしい
レスラーということを改めて認識できました。新日本はもうトップのイメージしかないので
そんな下での「昭和タイプ」のレスラーにも期待したいですな。。 >>485
そう考えると「時代の流れ」は本当に不思議だね。
言われるとおり、平成元年前後のプロレスを見ても古く感じない。
すでに自分が物心が付いていたのもあるのかもしれないけど。
平成元年〜令和元年までが30年なわけだけど、平成元年から遡ればそれは昭和34年になるわけだしね。
昭和34年というと『第1回ワールドリーグ戦』で力道山vsオルテガが行われた時代。
「昭和戦後の発展」が全てにおいてあまりに凄まじかったんだろうね。
「プロレスは世の中を映す鏡」というのがよく分かる気がする。
90年3月の週プロで、77年のファンクスvsブッチャー&シークを振り返って「すでに古というか懐かしの歌」
と完全にレトロ扱いで評していたんだけど、その間「13年しか」経っていない。
でも、その90年から今までで、ほぼ「30年」経っているんだしね。何か不思議だ。
>>494
蔵前国技館ができたのが1954年9月で1984年9月までちょうど30年間使用されて、当時でも「古い」イメージ。
両国国技館ができたのが1985年1月で、現在も使用されていて、ほぼ35年経っている。
ということは両国は蔵前の長さをとっくに超えている訳だけど、両国は未だに「新しい」イメージw 蔵前国技館は掘っ立て小屋みたいなもんだったからなw 天龍源一郎vsドリーファンクJr.トークバトル【指定席】《2019.11.17》紙チケット http://www.tenryuproject.jp/product/330 >>519
デストロイヤー興行にゲストで出るついでに、じゃないの? ジャイアント馬場が天龍源一郎の体を見て言った言葉
ジャイアント馬場「体は小さいが根性はありそうだ」 テリーは飛行機での長旅にもう耐えられないんでしょ?
ハンセンやドリーが来日してくれるのは本当に貴重だ。 天龍VSドリーは現役時代には実現していないよね。
トークバトルは司会と通訳が大事だな。
人選を誤ると台無しになる。 >>524 通訳入るから難しい面あるよね。天龍もぶっちゃけ話言い難い気がするし。 >>524
一応81年最強タッグの大阪大会でシングルマッチはやってる
流石にそれ以降はなかったと思うけども >>516
相撲の聖地は両国
蔵前の国技館は両国に戻るまでの一時的な間借りってイメージが強かったからだろうな
実際、>>517が言うようにそんな長期間使う前提の作りじゃなかったんだろうし
>>521
あんなにデカい天龍を「小さい」って
この一般人との感覚のズレが良くも悪くも馬場らしい 天龍のトークバトル、長州や高田で満員御礼が続いてたけど、ドリーではさすがに苦戦してるな
みんな行こう >>527
天龍は昔はなで肩だったしな
馬場と並んでる写真を見るとかなり身長差がある 全日本が両国国技館を撤退したのは、輪島のデビュー戦を故郷石川県七尾じゃなく
国技館で開催しようとして相撲協会が受け付けを拒んだのが理由とされてるね。
その後もテンタや田上高木と入門させたから揉め事を避けるため、武道館に変更したのは正解かな。
こけら落とし興行は全日本プロレスが初だったから、首都圏のビッグマッチで
使用されるものと思ってたけど、新日本になったね。 たら話でなんだけど
天龍が今のパワー相撲界にいたらもっと身体をでかくしてただろうな。
>>521
全日入門時や覚醒前は優美な感じまでしてた。 蔵前国技館の使用料金、かなり安かったって聞いた記憶があるな。
日本武道館とは雲泥の差だったとか。両国国技館になって武道館の料金と
大差がなくなり、武道館のプロレス利用が増えていったとか。 全日がすんなり武道館を借りれたのは株式会社日本テレビ放送網の保証があったから。
全日が借りたというより日テレが借りたようなもの。 武道館繋がりで『レッスルフェストスーパー』のチャンネル(YouTube)に
馬場vsジャンボ鶴田 第5回チャンピオンカーニバル決勝戦がアップされてた。
画像は粗いけど、42年ぶりに見た。 天龍自身が「俺の体格じゃエースは無理だ」と第三の男時代位までは
思ってたって読んだな 天龍は鶴田と並んでると小さい、というイメージをずっと持ってた(藤波と同じくらい?)
デカいんじゃんと気付いたのは、は平成も半ばになってから >>530
輪島のようにトラブルを
起こし相撲協会に迷惑を掛けたり、
プロレス団体が有望な力士を強引に
引き抜いて、相撲協会を怒らせ、
国技館の使用を断られるならともかく
田上、高木あたりは、普通に廃業→プロレス転向だろ?
それで北を向く相撲協会は、ケツの穴が小さい。 >>537
大日本プロレス構想が本当に実現してたら
プロレス界はほぼ永久に国技館は使用できなかったかもね
高見山と千代の富士が転向してたら、後の相撲界の歴史すら塗り変わる
引退後ならともかく、現役バリバリだったんでしょ?
まあ、門茂男氏の著書で読んだだけだから真偽のほどは自分はわからないけど >>536
長州とやった時点ででかいと気がつくわな
長州は本当に小さく見えたもんなあ 輪島問題は相撲協会内の権力争いが絡んでいる。
当時は出羽一門の春日野理事長(栃錦)が強大な権力を握っていて
二子山(初代若乃花)は二所一門の総帥という立場にありながら閑職に干されていた。
その若乃花が現役時代に所属していた花籠部屋で年寄株を巡るスキャンダル。
力道山も二所ノ関部屋出身ということで出羽一門の栃錦は元々プロレスがあまり好きな方ではなかった。
そういうこともあって全日は二所一門との関係は親密ではあったが
輪島問題のときはさすがに使用申請はしずらく全日並び日本テレビは国技館使用は自粛するということに。
栃錦が他界して若乃花が相撲協会の実験を握るようになって相撲協会と日本テレビとの関係は改善されたが
全日は武道館大会が定着して興行も好成績だったので国技館に戻ることなく
そのまま武道館に定着。
花田勝氏が相撲協会を退職してアメフト修行やスポーツキャスターに据えるなど
日本テレビとお兄ちゃんの方の花田一族は良好な関係にあった。 >>539
その長州が、今年の長州興行の前あたりに、全日選手は新日に比べて身体がデカい、と言ってて、このスレの流れ見ても、長州はそういう認識持ってたんだと思ったけど
他スレで、あんなチビ助が何を言ってるんだ!と言われて、ファンの認識はこんなもん、、、と納得 平成の話ですまんが、新日と抗争する前のWAR の後楽園ホールで天龍のトークショーがあり質問コーナーがあった。
新日の長州の事どう思っているか聞こう!って友人と手を挙げてたんだけどハズレて、違う人が
「ドリーファンクjrの事、どう思いますか?」とか質問して
現在はともかく、当時何故そんなつまらん事聞くんだ?ってがっかりしたの思い出した。
天龍は「彼はね、素晴らしいですよ。」的な答えだった覚え。
あと「嫌いなもの?週刊プロレス!!」って言ってたw
vsドリーとトークショーやると言う事で思い出した。 馬場と長州、本当に最強タッグ公式戦の2度のみ?
地方の6人タッグでしれっとやってるんじゃ。 馬場戦の後の長州の感想が
「あんなに足の力が強いとは思わなかった」
ケン・シャムロックも初来日の思い出で
「オーナーの馬場の足の力の強さは世界一なんじゃないかと思った」と
語っている >>543
なんで急にそんなの疑いだしたのw
2回だけですよ >>545
某サイトみてたら6人タッグなら以外とジャパン軍と対戦してたから。
浜口との絡みがレアかなと。 >>544
長州が馬場との対戦前は「御大の16文はオレは受けないぞ」とか言ってたらしいが
結局は食らったよね、それは「組んだ瞬間に全てが吹っ飛んだ」というコメントからも
遅かれながら馬場の力量に敬意?をもって試合中に意思を切り替えたのか?と思ってしまう…
組んだのは序盤だろうけど、脚の強さを知ったのは多分中盤あたり、その流れだろうけど。
電流爆破マッチを売りにして復帰戦を組みながら、爆破は拒絶した事もそうだけど、
よほどの認知の変化が無ければスタンスを変えないでしょ、長州は。
馬場は認めたけど、大仁田、もしくは電流爆破は認めないという事だと思う。
まあ、大仁田からすれば「あのリングに上げた時点でオレの勝ち、勝敗はどうでも良かった」らしいが。 >>548
85激烈スーパーパワーウォーズの山形。
馬場井上佐藤対カーン谷津浜口
これだけかも。 86年4月の福井大会
馬場・天龍・園田vs長州・谷津・寺西が実現してる。結果は両リンだが。 週プロゴングは熱戦譜載せてんだから、全ての試合結果に目を通してる
ちょっと変わったことあったら、すぐにクローズアップする
(地方のタッグで○カブキータイガーマスク●ってあった時は太字にしていた)
もし馬場と長州が最強タッグ以外で当たってたら、あの頃のターザンなら巻頭記事にでもしただろう >>552
> もし馬場と長州が最強タッグ以外で当たってたら、あの頃のターザンなら巻頭記事にでもしただろう
突発的に地方で組まれたら記事にできない可能性が高いよ。
巡業全てに記者が付いて回ってるわけではないだろ。 >>550
また86年4月に福井大会なんかない、ってオチなの? 福井バカ久しぶりだなw
10何年も同じことやってるんだからある意味大したもんだわw 福井大会はあったけれど、馬場と長州の絡みはないな
https://www.cagematch.net/?id=2&nr=978&page=4&s=1800 大塚と谷津の話によると長州が頑なに馬場との対戦を拒んだ
地方のタッグマッチですらも馬場とはカードを組むなと言い続けていたとか
前田とのシングルを拒み続けた猪木みたいだな ジャパンプロ登場のテレビ放映一発目で馬場、佐藤対カーン、永源が流れたときは何て新鮮な映像なんだと思い凄くワクワクしたなぁ… 馬場対寺西
蝶野対宮戸
どんな戦いになるかまったく想像つかず
一番楽しみな組み合わせだったのにどっちも消えてガッカリした
寺西の怪我ってことになってたんだっけ 新日本での変則マッチでも当初はシングルの三連戦で猪木vs寺西も入っていた >>559
引き分けにする為に中止なら他のカードを動かして欲しかったな。
当時、寺西の代わりなら永源だろうが保永、新倉あたりでも観てみたいよ。 >>540
武道館が不入り続きだったら都内ビッグマッチの会場は両国や東体に替わってたんだろうか? >>562
> 当時、寺西の代わりなら永源だろうが保永、新倉あたりでも観てみたいよ。
そのあたりを出して引き分けだと全日が弱く見えるからだめだろ。 アレくじ引きのミスだったんじゃないかね
本当はマイティ対寺西
馬場対カーンになるはずだった >>565
勝敗は?他のカードの勝敗hあのままとすると
カーンか寺西を勝ちにしないと引き分けにならないが。 あの対抗戦は2勝2敗2分に終わったけど
双方の代表者を出して決着をつけるべきだったな
ゴールデン復帰からこの頃までは
余りにも傷をつけたくないというのが見え見えのブックの乱発で
結末はいつもつまらなかった
この辺で視聴者からは見放されて
当初の期待には遠く及ばない結果になった >>560
勝敗は見えてるから興味ないが、馬場がショルダースルーを出して
寺西のスタンド受けを引き出したかどうかは興味あるな
蝶野は安生に寝たくらいだから、条件次第で宮戸にも寝たのでは? >>563
540に書かれているように、状況次第で武道館の代わりに
両国を首都圏ビッグマッチの拠点としていた可能性はありそうだ
東体はもともと球技用の施設でプロレス向きじゃないし、
利用条件が他会場より厳しいし、周囲に飲食店がないから
ファンにも不評だし、常打ち会場とするのは厳しいかな
武道館も国技館も抑えられなかったときの代用施設だな でも判で押したように毎回武道館というのも味気がなかったなw
たまに違うところで趣を変えるというのも必要だった 東京ドームが開業してそれまで武道館でコンサートを開催してきた歌手や
芸能プロダクションがコンサート会場を武道館から東京ドームに移行。
武道館に空きができるようになったがそれでも駆け出しの若手歌手では
武道館でコンサートを打てるだけの力量は無い。
そこで武道館と関係が深い読売新聞=日本テレビが勝手に武道館を借りてきて
全日に興行を押し付けて以前だったら後楽園ホールでやっていたような試合まで
武道館でやるようになった。 >>日本テレビが勝手に武道館を借りてきて
全日に興行を押し付けて以前だったら後楽園ホールでやっていたような試合まで
武道館でやるようになった。
↑地方興行の赤字補填のために武道館大会を増やしてしまったのが実情じゃないの?
「NOAHを作った男たち」で仲田氏が「全日本の武道館大会は信用がついたから、武道館側からこの日空いていますがどうですかと打診されるほどだった」と語っているから必ずしも本意ではなかったかもしれないが。
>>572
その文章読んで、
どうして本意ではなかったと思えるのかわからん。 >>550
そのメンツで両リンなわけないだろ。
ウソつくなら、細部までリアリティ持たせろや。 >>523
ドリーの書体はめちゃめちゃ良いが、
トークバトルは中途半端。
天龍のロゴに至っては、やる気なさすぎ。 >>567
長州たちへの過剰な気遣いは、85年最強タッグでも十分うかがえたな。
下馬評で優勝候補となっていたハンセン&デビアスに引き分けで優勝させたのは興ざめだった。
当時のインタビューで馬場は
「メイン会場を国技館に戻すことはないのか?」
という質問に対して
「全日は武道館。新日は国技館というイメージがファンの間に広まっているから、このままで良いだろう」と答えていた。 東京ドーム開業以来、ビッグコンサートが武道館から東京ドームに以降っていうのは、言われてみればその通りで面白いな
開業が1988年3月、美空ひばりのラストコンサートが同年の4月
日テレ、読売に縁のある全日に武道館推したというのも面白い
東京ドーム推しそうなのに。。。 >>573
地方の赤字を埋めるために背に腹は代えられないのと、武道館側からの誘いを断る訳にもいかない。
武道館大会をおこなうには三冠戦や世界タッグ戦で激しい試合をさせなければならない。
クオリティの高い試合を維持するには挑戦者もマンネリ化する。
武道館大会は年3回、多くても4回が適度だろう。
そういう意味で武道館大会の乱発は必ずしも本意ではなかったのではと書いた。 国技館て二階席しか行ったことないけどプロレスでもマス席に4人入れるの? >>582
赤の他人4人で見たよ。
適度な広さだったら気まずさはなかった。 蔵前は4人がけが普通だったろ 角の3角のとこはひとりだったが >>583
> 適度な広さだったら気まずさはなかった。
適度な広さだったから、気まずさはなかった。 昔は1万人動員する団体しか国技館を使わなかったけど
96年にみちのくプロレスがでマス席二人の6000人モードで
進出してからは敷居が低くなった。 >>581
武道館からの誘いを断るわけにはいかないって、それがよくわからん。
普通に断れるだろ。 >>586
> 敷居が低くなった。
使用料が安くなるわけじゃないからそれはどうかな。 >>587
断れなかったから年7回も武道館大会をやっちゃったんだろ。 >>589
断れなかったからなのか、
シリーズの最後は武道館にしようと決めたのかわからないだろが。 たくさん使えば安くなる可能性はある。
新日が京王プラザから東京ドームホテルに変えたのも、
ドーム、後楽園ホール、ドームホテルが株式会社東京ドーム内で沢山使うから安くしてくれるから。
全日も外人宿舎が東京ドームホテルになった。
株式会社東京ドームは日テレ、読売系だから全日の後楽園ホール使用も安価のはず。 >>583
蔵前の升席は両国より小さく、行ったら夫婦が子供2人連れてきていて6人で見た。
正座して6時から9:20まで満員電車状態、剛竜馬の試合でトイレタイム。 四天王時代になってからは武道館が満員にならなかったケースはほぼ無かったし
赤字を増やすリスクを負ってまで武道館を断ろうという発想を馬場がするとは思えんけど。 ブッチャー&カマタvsシーク&メフィストの時は、マス席のかなり上の方まで
上がってきて、靴も履けずに裸足で逃げ回った。まだ中学生だったなあ。 >>594
何が言いたいんだ?
ポイントがズレてる。 今の両国国技館は、新日以外はマス席2人がけ設定でしょう
だから 3連休の3団体の両国の入りも、5000人台で満員とかある カブキ凱旋のババ抜きシリーズが初めて興行収益プラスになったシリーズらしいけど、それから後はさすがに赤字シリーズもへったんだろうか?ジャパンや四天王の辺りはさすがに黒字だったのかな >>595
プロレス観戦の醍醐味って、これだよなぁ。暴れ回る怖い外人レスラーからにげまわる。今のプロレスファンにあじあわせてあげたい。 >>598
四天王時代、京平が縦に立つくらいのボーナスをもらったそうだからな。 日テレは後楽園ホールとはスタジオ契約をしているから、全日が使用する時は無料だったのかもしれない。 >>599
外国人レスラーに追いかけらられたのは子ども達にとって一生の思い出になる、という話が出てたけど、子ども達だけじゃないよ、
認知症が進んで、家族の顔さえよく分からなくなってる高齢者が、ブッチャーの流血シーン覚えてて、コスチュームに触ったこと、そのコスチュームの質感や感触まで、はっきりと覚えてたのにはビックリだった
80代の女性、プロレスに興味のない家族にしたら、ウチの婆さん、変なこと言い出した、としか思わない 大仁田は若い頃に、全日本でいろいろ勉強していたのは間違いないんだろうな。
ストリートファイトスタイルは、会場外まで行ったレイスとブッチャーの抗争から、
引退商法はもちろん師匠のテリーから。プロレスラーとしての技術を磨くだけ
じゃなく、どんなプロレスが受けるのか?をずっと考えながら過ごしたんだと思う。 >>576
時間切れでの最高得点優勝は最強タッグとしては初の師弟コンビ以来だったか
タッグとはいえ短期決戦型の長州とハンセンが三十分戦ったという事自体がとにかく凄い
そういう意味でもデビアスの存在は大きかった
>>578
結局は両国での最強タッグは今に至るまで一度も無いんだよな
その意味でもまだ両国が使えた85年からの武道館使用の意義は大きかった まあ武道館は平成全日の会場であって、昭和全日の会場じゃないな。
>>605
後半は全然儲かってないだろ。
地方なんてこのスレで底だと言われている80年前後とどっこいどっこい
だと思う。 1980年サマーアクションSか、1981年エキサイトSのどちらが客が不入りだったのかなあ… 馬場3度のNWA戴冠は、鹿児島に愛知と佐賀
ブリスコは豊橋で、レイスは尼崎と大津で奪回
フレアーはケリーから横須賀で奪回している。
国技館や武道館を使わなかったのは、リアリティを出す為なのかな? たしかブリスコ相手に、日大講堂でNWA王座防衛してるよな? 今と違ってテレビ局からの収入がデカかったらしいからねぇ
でも、その大半が外国人選手招聘の経費に… 見る側からすると採算度外視で豪華外人を呼んでいた全日が面白かった
新日にしてもアントン・ハイセルの負債に苦しみクーデターが起きてた時代の方が
混沌としてて面白かった
坂口長州時代は中途半端にクリーンでつまらなかった もっとも採算度外視というか効率無視で凄かったのが
81のスーパーパワーSと次のサマーアクションSだったな。
東スポで毎日のように外人の追加が発表されていたのを憶えている。 >>610
ブリスコ×ブラジル戦も日大講堂だったよね。 >>612
友達との会話で
「テレビなら新日、生なら全日」と意見が一致していた
藤波長州、タイガーマスクvs刺客、国際はぐれ軍団などの連続ドラマ的な抗争はテレビ観戦
体がでかく、豪華外人が集う全日のスケールの大きいプロレスは生観戦が醍醐味
特に最強タッグ入場式はあのリング上に全員が集うんだから、あれだけでお金を払う価値はある。
新春バトルロイヤルでも同じ光景は見られるが、メンバーがだいぶ落ちるからね。
>>613
ワンマッチでの採算度外視は10周年の蔵前かな?
まだ子供で観戦してないが、このスレで観戦した人によるとそれでも空席があったとか…?
確か新日のニアミス興行は猪木vs木村だよね、それも翌月も同カードで同じく蔵前
新日は利益効率が良かったんだろうなあ… >>615
>最強タッグ入場式
87年大会なんかリング上だけでなく会場全体がカオスだったろう。
その場にいたら卒倒モノだ。 >>610
NWA世界王座が移動した話
鶴田のAWAは蔵前国技館という相応しい会場だったが >>609
NWA選手権をやると興行収益のパーセンテージをNWA本部に払わないといけなかった
売り興行ならその分も興行主に請求していた ケリー・フォン・エリックvsリック・フレアーのアメリカ人同士のNWA世界戦がなぜ横須賀で行われたかというと
それは横須賀だから。
会場には在日米軍兵士家族への福利厚生ということで多くの米軍兵士の家族が招待された。
試合前には横須賀基地司令長官かなんかの米軍高官が両選手を激励するなどして
ベルトが移動するというオプションまで付けるという出血大サービス。 >>620
そんなことはない。
テーズも帯同した。 70年代後半頃のレイス政権時代のおいての、馬場や鶴田、たまにマードックやらブッチャーが
遺恨を交えて対峙してた頃が懐かしい。当時小学校から中学の頃で、ホントに馬場がレイスから
ピンを取って奪取かどうかってのを固唾をのんでTV観戦してた(66年=昭和41年生まれだw)。
80年代はちょっと世代も変わりつつでフレアーやマーテル、ケリーなんてのは器が小さいと思ってたtクチ。 テレビ中継でNWAのタイトルマッチがある週は試合が長いので2試合くらいしか放送されず当時小学生だった自分にはハズレ回だったなぁ… >>607
全日が武道館を年に複数回使い始めたのは昭和60年からだしね。
60年、6月(馬場ー木村、長州ー天龍)12月(最強タッグ最終戦)の2回
61年、3月(全日vs ジャパンの6対6)6月(長州谷津vsウォリアーズ)12月(最強タッグ最終戦)の3回
62年、3月(輪島vsフレアー)6月(馬場vsラジャライオン)8月(鶴田vs天龍)10月(鶴田vs天龍)12月(最強タッグ最終戦)の5回
63年、3月(鶴田vsブロディ )6月(鶴田谷津vsウォリアーズ)8月(鶴田谷津vs天龍原)12月(最強タッグ最終戦)の4回 60年は3月8月10月に国技館使用2月に東京体育館使用
61年は7月か8月のどちらかと10月に国技館使用1月に東京体育館使用 自己レス
正力松太郎は武道館の初代会長だよね。
だったら、日テレも読売も、平成の東京ドームより、昭和の武道館推すよね そう言えば日本武道館と読売グループって、何か関係あったんじゃなかったか?
「ビートルズに武道館使わせるなんてまかりならん」って正力松太郎だったような? 正力松太郎は講道館十段
武道館を最初にコンサート会場として使用したのがザ・ビートルズ日本公演
中継したのは日本テレビ
今年は改修で国技館になったが24時間テレビの会場は武道館 >>624
80年代前半には、年間通じて最強タッグの1回しか蔵前を使わなかった年もあったはず
85年から武道館の使用頻度が急増したのは、やはり長州たちが参戦した効果なんだろうな
>>626
ビッグマッチが相次いだ2年間でも、東体の使用は1回ずつか
やはり上の方に出ていたような理由であまりプロレスの興行には向かないから、
武道館も国技館も抑えられなかったときの代用会場なんだろうな 60年武道館2回国技館3回東京体育館1回の計6回
61年武道館3回国技館2回東京体育館1回の計6回
2年続けて東京の大会場で6回興行してるんだよね。 >>631
東京体育館は21時までに興行を終了させなけれいけないという制約があったんじゃないかな? >>633
90年5月の東京都体育館のリニューアルこけら落とし試合を観に行ったけど
18時開始で8試合、20時40分過ぎ頃にメインが終わった記憶がある 武道館というとシリーズの最終戦というイメージがあるけど、昭和時代〜平成初期にかけては
必ずしも最終戦というわけでなかったんだよね。
全日vsジャパンの6対6の翌日なぜか南足柄で最終戦があったりなんてもあったし。 国技館は興行のための施設だが東京体育館は都民のためアマチュアスポーツ振興のための施設
東京都の施設なので特定の団体のみを優遇するような貸し出しは行わないので年間の使用回数は必然的に制限される。 東京体育館を管理しているのは公務員の都職員なので夜遅くまで興行をやられると
東京体育館に勤務している都職員に残業手当や深夜労働勤務手当を税金で支給しなければならない。
当然それには都議会の承認が必要になるので使用時間はきちんと守ってもらわないと
それは都民の負担となる。 >>635
鶴田vsブロディ 天龍vsハンセンの時の武道館はシリーズ2戦目だったよね? >>635
昭和の蔵前と武道館は最強タッグ以外は最終戦で開催された事無かったかも知れないね。
59年7月の馬場vsハンセン(馬場がハンセンを初フォール)の蔵前も翌日の地方大会が
最終戦だったしね。 ・球技メインの施設のため、格闘技施設である武道館や国技館に比べて
フロアや客席の構造が明らかにプロレスには不向き
・アマチュア競技のための施設のため、プロの興行には制約が大きい
→スポーツ以外でも、武道館と比べてコンサートの使用実績にも乏しい
・神宮外苑に立地しているため、周囲に飲食店がない
→観戦後のファンがプロレス談議で盛り上がれる場所がない
確かに、武道館や国技館が抑えられるなら、わざわざ東体を使う理由はないよね >>635
南足柄だとメガネスーパー関連の興行か? >>616
この入場式定期的にYouTubeで見返してるわ >>609
単純に、巡業コースが決まった後に招聘することが決まったからだろう >>637
大晦日に年越しコンサートとかやってたけどそれは? >>641
当時はまだプロレスには関わってなかっただろ。 ********ブリスコの回想記(BRISCO)より**********************
1974年12月 日本にいくことになっていた私(ブリスコ)の所に
全日プロのブッカーだった T・ファンクから電話があった
T「ジャック、馬場がタイトルがほしいと言ってるんだ」
B「そらそうだろう、みんな世界チャンピオンになりたいさ」
T「馬場は それ相応の金を払うと言っている」
B「いくら払うというんだい?」
T「1週間で 1万ドル」
B「それはどうかな」
T「NWA本部には気つかれないよううまくやれるさ、万が一気つかれても、
君が偶然頭を打って失神して、馬場はフォールするしかなかった、翌週には
ベルトを返す約束をしてくれた」と 言いはればいいじゃないか。
私は NWAの供託金(BOND)について テリーに説明した、
「もし 不慮の事故等で、NWAチャンプが NWA本部の威光に
背いて ベルトをとられた場合 NWA本部に預けてある私の
2万5000ドルの供託金は没収される。1万ドルもらっても
NWA本部が 供託金を没収してしまえば、差引1万5000ドルの
損失になる。そんなのには乗れない。」 数日後 再びテリーから電話があり、「馬場は2万5000ドル」
出すと言っているとのこと。
B「テリー聞いてくれ、2万5000ドルなら プラマイゼロだ。
私もNWA本部と交渉してみる 骨折り代に試合があろうとなかろうと
日給2000ドル出してほしい さらにタイトルマッチ費用として
1試合当たり8000ドル、自分が帰国するとき米ドルのキャッシュで欲しい」
テリーは 馬場に聞いてみるといった、NWA本部とは自分が交渉することになった。
馬場が 提示条件を0kだと聞いて、私はNWAの理事 サム・マソニックに
これから日本でやろうとしてることを説明し、彼が何か言う前に私からこう言った。
「いいですか、私はNWAのために 1晩25ドルの試合もしてきた、今私の前には
2万5000ドルを受け取るチャンスがあり、私はそうするつもりだ」
マソニックは反対しなかった、もし文句があっても結局彼らには何もできなかっただろう、
(ルーテーズ時代であれば 1週間だけのチャンピオン明け渡しは タイトルの権威と
いうことで却下されただろう、かつてテーズが日本で力道山と同じようなことをしよう
としたが NWAは受け付けなかった)
しかし 今は私がチャンピオンであり 自分自身こんなおいしい話を見逃すには
あまりに惜しい話であった。 そして 私は 12月1日に日本に降り立ち、2日の鹿児島で馬場に敗れ
王座は馬場の手に移動した。12月6日、東京で馬場と引き分け、馬場は
予定どうり初防衛(東京で馬場は負けるわけにはいかないという理由)
12月9日 豊橋という地方都市で予定どうり馬場は私に負けてベルト
を返してくれた。私の取り分は
タイトル移動料 2万5000ドル
タイトルマッチ 3回X8000ドル=2万4000ドル、
シリーズ参加費用 11日X2000ドル=2万2000ドル
しめて7万1000ドル(邦貨で約2000万円)を日本を発つ前に
キャッシュでがっぽりいただいた。日本出国の時はビクビクもんであった。 >>633
時間制限で思い出したが、
昔ニューヨークにはカーフューといって23:00以降の興行を禁止する条例があり、
そのためブルーノのWWWF王座戦はしょっちゅう時間切れになってたらしい
前の試合が押したときには、タイトル戦の試合時間5分なんてこともあったとか メインイベントを先にやって、最後がセミファイナルとかじゃなかったか。 >>637
日プロ時代は蔵前より東体の方が使われた気がするがw >>651
日プロ=東体のイメージがあるのはワールドリーグの決勝戦が東体だったからでは?
決勝戦の頃は本場所中で蔵前が使えなかったから東体を使用していた >>652
力道山時代の映像も東体のをよく使われてる 昭和60年〜63年の都内大会場での興行で、実質超満員だったのは、60年2月の東京体育館(鶴田、天龍×長州、斉藤)だけかな?
新日本の両国がほとんど超満員だったので、当時全日ファンだった自分は悔しかった。 個人的に東京体育館のイメージは、馬場vsテーズ、パワーズvs猪木、猪木vs藤波、
タイガー・川田vs谷津・冬木戦…くらいかな。
この中では、馬場時代の到来を感じさせるテーズとのインター戦が唯一見れないのが
残念。 東体というと、芸能人の「オールスター紅白大運動会」
1980年代は品川プリンスホテル・ゴールドホール、代々木第一体育館など。
100m走でそのまんま東が調子に乗ってトップでゴールインしてプロデューサーに怒られたらしい。 >>655
60年3月9日の両国は前売りが完売で当日券無し 61年の最強タッグ最終戦は52年のオープンタッグから続いた
最終戦のメインに出たチームが優勝するという法則が初めて破られた年
セミー鶴田天龍vsハンセンデビアス(両チーム同点で迎えたが結果は両リンで両チーム無得点)
メインー長州谷津vsファンクス
セミ終了時の時点でメイン出場チームは両チーム共に鶴田組ハンセン組より1点ビハインド
1・長州組勝利→長州組優勝
2・ファンク勝利→ファンクス優勝
3・時間切れ引き分け→長州組ファンクス鶴田組ハンセン組で同点決勝(4者によるトーナメント?)
4・両リン又は両者反則(無効試合)→鶴田組とハンセン組で決勝
1で決まりだと思ってたがまさかの4だったw おれの全日的な東京体育館のイメージは
馬場×モラレス、馬場×レイス
馬場鶴田×ブルクラとか馬場鶴田×ブラジル兄弟とか
ちょっとどうかなという試合だな。というかブッチャーがいない時みたいな感じ。 >>619
その頃、日本人でなくアメリカ人にとって、
米軍高官を呼んだら来てくれるくらいにプロレスに権威があったの? 84年の横須賀大会を見たけど、米軍兵士や高官らしき観客はテレビで見る限り
映ってなかったな。
フレアーのベス夫人は、最前列で応援してた。
2日前の田コロ大会には、レイス夫人のイボンヌさんがいたから
レイスもフレアーも夫人同伴での来日だったみたい。 週プロだかが、新日沖縄大会で観客の米軍海兵隊軍団がマードックに大ブーイング。
マードック「俺は元海兵隊でオマエらの慰問に来てるんだ」
海兵隊「Booooo!!」
試合が終わると客席に入って握手しまくるマードック。 平成になってWWEが日本でツアー組んだ時になぜか広島で試合して
何で広島で試合するんだろうと思ったら
岩国基地の米軍の人たち向けだったらしいということを後で聞いた >>659
俺は、セミファイナルで鶴龍が勝って、メインが消化試合になってほしかった。
そもそも発表済みとはいえ、10点同士がセミ、9点同士がメインって。
入れ替えろ、順番変えろ!!ってマジで怒ってた >>665
> 入れ替えろ、順番変えろ!!ってマジで怒ってた
普通の競技ならそうするよな。 >>656>>660
馬場対ハンセンがなぜ出てこないのか? あれは長州谷津組の優勝で決まってたのが直前で変わったからだと思ってたが セミ 鶴田天龍vsハンセンデビアス
メイン 長州谷津vsファンクス
この組合せ試合順が発表された時はメイン出場チーム優勝の法則に従って
長州谷津が優勝(当時のファンクスの優勝は有り得ない)だと思ってたから
いい意味で裏切られた。 >>669
でもよく考えてみたらこれで長州組優勝じゃわかりやすすぎるなw >>667
馬場対ハンセンを凄いと思うのは
日プロ時代を見たことがない奴だけだろ >>671
凄いとかそういうことじゃなくて東京体育館のイメージの話だから。 >>669
2か月前に両国でテリーが長州に無惨なギブ負けしてるから
ここでファンクスが長州谷津に敗れると、本当にファンクス終わるよ
長州谷津を立てるために、ファンクスをビッグマッチ2回連続で生き餌にするかなあ…
全日の最大の功労者たるファンクスを馬場や鶴龍ではなく、外様のジャパンにそこまで与えるかねえ? ここまでメインに出たチームが優勝してたから
61年はあえてセミに出たチームを優勝させて
メインに出るチームが優勝するとぱ限らないんだよと
いうアピールだったのかもね。
けど、翌年からまたメインに出たチームが優勝するのが続いたけどなw >>666
今の新日本は、リーグ戦の最後の試合は
試合順が未発表で各選手(チーム)の得点状況によって
試合前日に順番を決めるというルールだよね。 もう大相撲みたいに千秋楽前日に優勝決めちゃうパターンも斬新だったかもw
でもって最終武道館は消化試合とw
「命がけのリーグ戦」としてのリアリティ出すのにはもってこいだわ。 丁度今夜の23時前から84年暮れの愛知県体から85年3月両国までのクラシック再放送があるなww 日テレは旗揚げ戦を残さないという全日の歴史を語る上で大失態をやらかしているのはね。
他にも色々と言いたいことはあるけど。 >>676
似たようなことを97年夏に全女がやったが、いまいち盛り上がらんかったらしい。 86世界最強タッグ
大相撲は星勘定やその時点での強さに関係なく横綱が結びの一番
最強タッグ最多優勝回数のザ・ファンクスを横綱として扱えは最終戦メイン
大関が前年優勝でPWF世界タッグ王者チームのハンセン・デビアスと
インターナショナルタッグ王者の長州・谷津
鶴田・天龍はその時点で無冠なので関脇 >>523
字は緑色にして欲しかった
天龍だから黄色なんだろうけど
あと傾斜角度はもうちょい斜めに傾けてほしい >>676
鶴田谷津と天龍ハンセンの最終戦全勝対決は最強タッグらしくなくて驚きだった。
リアリティ、とはちょっと違うような気もしたが。 >>681
86年の時点で鶴田天龍は83年85年準優勝84年優勝、前インタータッグ王者
個人では
鶴田→現インター王者、元AWA王者
天龍→現UN王者
関脇は無いよ! 昭和末期にやっと実現?したブッチャー・シン組
もし引き抜き戦争でハンセン移籍がなかったら
スヌーカのWWF移籍後あたり、ブロディ・シン組のトップヒールタッグが実現してたかな?
まあ、妄想はともかく、シンが試合展開上はブッチャーのアシスト役だったのが意外
コブラクローで倒して→エルボードロップの連係は説得力はかなりあったと思う
試合を結着できる、という点だけはシン上田よりブッチャーシンの方が上だよね。 >>685
シン、シーク組もポシャったからねえ。
ブロディ、シンは厳しそう。 末期だとブッチャーとスヌーカのタッグもいまいちだった >>686
まあ、よく考えたらシンと上田を切ったら上田のポジションがなくなるよね
>>687
でもあれはもう少し見てみたい感じもあった
エルボードロップ(ロープに振っての地獄突きもアリ)→スーパーフライの連係もありだし
タイガーとのタッグの前菜としては勿体なさ過ぎた
そのタッグも最強タッグだけだし、スヌーカはブロディとも1年ぐらいだし
基本的に生きるのはシングルなんだろうね。 シンは「上田がベストパートナーだった」と言っていた
馬場のベストパートナーは吉村
マードックのベストパートナーはM・スーパースター
と馬場、マードック本人は言っていた
共通しているのは自分を立ててくれる職人型だね >>688
スヌーカが悪の軍団の一員というのに違和感、本人もヒールに徹してなかったし 悪の軍団と言えば
ブッチャー軍団に無理やり入れられた感ありありのビッグレッド >>691
無理矢理入れられたわけではないと思うが。 しかし
ブラックパワーシリーズ
なんてよくつけられたなw今よりゆるい時代だったんだな、いい意味で >>690
81年スーパーパワーSでシーク軍団の一員として久々に来日したときは
ファイトスタイルは置いといて風貌がヒール風で結構ハマってた 馬場も「今のスヌーカはベビーフェースだ」と思ったんで
三沢タイガーとタッグを組ませたんだろうね >>685
>シンが試合展開上はブッチャーのアシスト役だったのが意外
ハル園田を南アフリカ行きの飛行機事故で死なせた負い目があるから
嫌いなブッチャーと組んで全日へのお詫びとしたわけだから
アシスト役に徹するのも道理 >>693
新日の闘魂シリーズや全日のジャイアントシリーズは分かるけど、
エキサイトシリーズ、ブラックパワーシリーズはセンスがいいなと思った。 >>695
第一回レッスルマニアの頃は既にベビーだよね>スヌーカ
タイガー&スヌーカ組はもっと推しても良かったと思う。
馬場はリスマルクやスヌーカの様に飛ぶ人は評価しない? >>673
実はテリーにとって初の武道館登場でもある >>698
タイガー&スヌーカは、見た目の感じもアンバランスでしっくり来なかったなあ。
スヌーカはブロディのパートナーのイメージが強いから、日本組になられても違和感があった。 83年頃のスヌーカはバックランドより人気があったんじゃなかったっけ? シンがブッチャーと組むと言い出したのって、ハル薗田の事故があったからでは?
あのことがなければ、シンは「俺はブッチャーが大嫌い」キャラ貫いていたと思う。 >>685
野暮な言い方で申し訳ないが、ハンセンの移籍がなかったら、ホーガンかアンドレの移籍もしくはWWFとの契約を横取りがあったはず。なのでブロディ・シン組はなかったと思う。 >>693
今年のブッチャー引退記念セレモニーの時もテロップでは「呪術師」だけだった。
何か「黒い呪術師」がワンフレーズとして慣れってしまっているから「黒い」が入ってないと物足りない感じもあるね。
本来は「黒い」はいらないんだけど。
新日本時代も古舘アナが頻繁に「ブッチャーの褐色の黒い肌に・・・」とか、櫻井康雄さんも「スーダン系黒人」とか
普通に言っていたしね。今の基準で思えば、本当にすごいなw
あと、91年にプエルトリコのプロモでマードックがカルロス・コロンのことを「黒くて、臭くて、チリチリ頭=バカ(nappy-headed:黒人への侮辱語)
のカルロス・コロンがよ」とハッキリ言ったけど、コロンもよく許したなw なんかのインタビューでブッチャーが薄汚い(小汚いだったかも)プエルトリカンと
言ってた。 >>702
かも知れんね。
一方で、シンももう頭打ちだったから、
ブッチャーと組むことで、もう一度アピールしようという思いもあるだろうから、
事故がなくても組んだかも、とも思う。 >>674
六年後の92年も微妙だったよな
得点的にはハンセン・エースvs殺人魚雷の方がメインになるべきだったのにとか >>706
二度目の開幕戦で次第にシン・コールが誕生したんだよな >>707
おかしかったのは91年
ハンセン&スパイビー(20点)vs鶴田&田上(18点)がセミ
三沢&川田(19点)vsゴディ&ウイリアムス(19点)がメイン
ハンセン組勝ったらセミで優勝決定、メイン消化試合
92年は三沢&川田、ゴディ&ウイリアムス、ハンセン&エース(+馬場&小橋)
が16点で並んでたからセミでは絶対決まらない >>709
あれはター山が発端だな。
週プロで変に小バカにしたような見出しを乱発してプロレスを軽視していた。
ブームメーカー気取りな記事も多かった。
それから読書もそんな感覚で接するようになったと思う。 >>709
しかも、それに合わせてシンまでもリズムを取るっていうなw >>710
既に脱落の田上組がメインに入っていたのが問題
当時のファンの一番の希望は三沢組が前年に負けた殺人魚雷か公式戦で負けたハンセン・エースと決定戦をする事だったはず
ただし外人組同士が時間切れになったため後はメイン抜擢の秋山がどれだけやれるかというだけに焦点が移ってしまった
これが逆だったらそれこそ94年より早い待機組優勝だったろうが >>712
勘が良いシンだからそれに乗るのが得と判断したんだろうが >>702
自分もそれが大きかったと思う
紳士的で頭が良くて、というイメージが定着したのも、ハル薗田のことでの沈痛な表情からだったし
日本を訪れる外国人旅行者が、ガイジンと呼ばれるのを嫌がる昨今
自らブッキングした外国人レスラーをガイジンレスラーと呼んで、一般用語化したブラッシーは偉大だ
あと、今後使われないあろう技名、原爆頭突き >>716
そのうち昭和の話に繋がると思うし勘弁をw >>614
そういうのもあってテリーが蔵前ならブリスコは日大ってイメージ
鶴田とのUN決定戦も日大だし
そういえばブリスコの出た東京大会場は日大だけだったか >>718
そりゃやってるだろ?その年だけ2日3日の後楽園ホールやらなかったら不自然だし。 >>718
新日は猪木、藤波、長州の6年3ヶ月ぶりのタッグが昭和最後だったな >>721
その年は鶴田、谷津対ブライアンアダムス、マイクミラーだったかな…
そのあとはバトルロイヤルだったけど… >>718
つべに動画ある藤原健吾VSオカマコンビが昭和64年の最後の興行くらい >>719
今の国技館も築30年以上経って老朽化が進んでいるから
そろそろ建て替えの話が出てくるはず
その時は是非、日大が二代目日大講堂として引き取ってほしいね >>726
『テリーさよならシリーズ』でマニーの初来日だな。ファンクス、ハンセン、ブロディと大学の先輩と一緒だった。
この時、ハンセン&ブロディと組んで「おい、キッド、中途半端に行くと日本のヤングボーイに潰されるぞ」
と忠告を受けて日本スタイルを知ったと言っていたな。
リング外でもハンセン&ブロディにスポンサーに連れて行ってもらって、何から何まで世話をしてくれてそうだ。 そのシリーズの開幕戦のメインは鶴田×マニーのシングルマッチだったはず >>730
テリーさよならシリーズ=グランド・チャンピオン・カー二バルVではなく次のスーパーパワーシリーズ >>719
猪木戦も東京じゃなかった。
(日プロ 名古屋 新日 福岡) >>729
両国より古い武道館や代々木第一も建て替えていないから、
両国も補修工事くらいにとどまるんじゃないか? >>726
テリー・ファンク
ドリー・ファンクJr.
スタン・ハンセン
ブルーザー・ブロディ
テリー・ゴディ(初来日)
チャボ・ゲレロ
キラー・トーア・カマタ
ジェリー・モロー
ブラッド・レイガンズ(初来日)
マニー・フェルナンデス(初来日)
リック・ハリス(初来日)
バズ・タイラー(初来日) >>735
このシリーズのベストマッチは個人的には
8月31日のチャボvs渕だな
しかし渕はこの日がピークで日本定着の中堅に…
年明けの段階では前座のタッグマッチ要員に成り下がってた
若手中心の「フレッシュファイト」の放送によく登場してたよ
若手中心というか、全日の前座だから小鹿や佐藤・大熊や羽田も放映カードに入ってたけど…
マジックドラゴンも帰ったは良いが、売り出されず
結局マイテイがジュニアの切り札ポジションで奪還、時計の逆戻りだもんね。
秋のジュニアタッグリーグも井上浜田が優勝だし、渕と薗田は凱旋からジャパンが来るまでの1年前後は冷や飯食ってたね。 >>734
武道館も代々木も有名建築家の代表作(しかも代々木は近い将来の文化財指定が確実)だから
簡単には建て替えられない。東体もそうか。
その点両国はただのゼネコン建築だから、建て替えのハードルはずっと低いよ。
補修工事するにしても、3か月以上かかる場合は最低1回は本場所に使えなくなるから
代用会場が必要になる
にしても、蔵前の実用年数は30年くらいしかなかったのか。
国技館というには、ずいぶん安普請だったんだな。 >>735
前のシリーズとの外人メンバーの差が激しいな… >>740
テリーの引退シリーズだからね、テリー1本で勝負できる
当時の雑誌には「都内地方問わず、リングサイドから売り切れる現象は旗上げ以来で初めて」って書いてあった。
それでもシン上田やニック特別参戦など最低限のメンバーは呼んでる。
当時は小学生で関東圏は全戦見たいくらいだったが、小遣いでは1試合が限界、親にねだってもう1試合分のお金をもらった。
結局最終戦の後楽園ホールと、もう1試合は同じく3日前の後楽園(ノーテレビ)の2試合観戦。
本当は最終戦と横浜文化(上田戦だったかな?)にしようと思ったが、
ノーテレビの後楽園の日の昼間に「新宿の紀伊国屋でテリーがサイン会やる」という情報が入ったんでそちらにした。
結局サイン会は定員いっぱいでサインもらえず、ショックで自伝本も買わずに友達と失意で後楽園に向った。
その日は意外に?当日券も簡単に買えて、場内も満員になってなかったと思う、試合もこれといって盛り上らなかった…
ただ最終戦の方は、ここでも何度も語られてる「天龍石川vs原井上」が爆発的に盛り上ったので、これは行って良かったと思った。
「スーパーパワーシリーズ」は開幕戦と引退試合の蔵前を観戦、小遣いを三ヶ月分を前倒ししてもらったw
開幕戦でゴディのパワーボムで天龍がフォール負けしたのが衝撃、引退試合で「テリー殺されるかも?」と心底心配した….
ダラダラ日記帳みたいな長文ごめんなさい、思わず懐かしい記憶が急にこみ上げてきて…
どうでもいいけど紀伊国屋のテリーのサイン会、サインもらえた人はこのスレッドで何人かいるよね?自伝本を購入してw >>741
そんなワガママ聞いてくれる、いい親御さんだねw. >>741
いやまあ…どうだろうw
当時は親から「秋から公文の学習塾に入りなさい」って言われてて
散々ゴネてたんだけど、三か月分の小遣いとの引き換え条件に学習塾をシブシブ承諾…
いまだに計算や暗算が速いのもテリーのおかげかも。
まあ、こんな例は多いのか少ないのかわからないけど、プロレス見るのにも親までファンってのは稀だから
子供なりに親との駆け引きを覚えるよね、下手すると会場観戦はまだ良いほうで、テレビのチャンネル権をもらうため必死に宿題終わらせるとかさ。 連投ごめんなさい、743は>>742さんへの間違い
そういえば最終戦の後楽園は同日に新日が蔵前で
「藤波vs長州」「タイガーvs寺西」で最終戦の都内ニアミスだったね
新日ファンでもある友達を必死に説得して後楽園観戦にしてもらった
その時の決定的な殺し文句は「猪木が出ないんだから、お金出すのもったいないじゃん」
でも今思えば佐山タイガーマスクとしての最後の試合を見逃したんだよね… >>744
「確かに猪木選手は出ませんが代わりに坂口選手が出るんで!」
この言葉が新日フロント側が地方プロモーターを説得する定例の口説き文句www >>700
若い頃のリッキースティムボートならタイガーとのタッグはアイドルコンビで良かったかも知れないがスヌーカは違和感あったな
スヌーカはアメリカだと女性人気は高かったそうだが日本だとちょっと濃すぎる感じ
あとタイガーはあの頃は怪我であまり動きが良くなかったのもイマイチだった要因だな 83年8月4日は新日が蔵前で全日が後楽園ホールだったな。
全日は昼だったかな?
取り敢えずテリー最後の後楽園ホールと。
新日は長州×藤波でベストバウトになったな。
藤波がタイトル奪回して。
懐かしす。 >>501
入団して間もないころの森嶋は痩せていてルックスもそんなに悪くはなかったのにな
後年の森嶋はバックドロップは良かったと思う
ただ鶴田みたいに相手によってコントロールできるような器用さはないから冷やっとはしたけどね
森嶋はそういう危うさがあった
怪我させる前に辞めて良かったかも知れない 教えていただけますか?チャンピオンカーニバルで極道コンビ同士はいっも対戦拒否 理由はパートナーだからそんな事有ったと記憶してますが正しかったのですかね 子供の頃カーニバル前に友人と星取予想大会凄い盛り上がりました 対戦した年もあった
>>747
ベストバウトは長州が勝利の4月3日 皆様素早い回答感謝致します 日本人同士対決星取予想面白かったです 最近はどの団体もリーグ戦はABリーグ分けてるけど総当たり戦リーグってあっても良いように思う >>747
その日の新日は、タイガーと名勝負数え歌は信じられないくらいの凡戦。その4人ともその日は技のミスが目立つ。751さんの言うようにベストバウトは4.3だったかな。 >>747
連投すみません。
だからテリー最後の試合に行ったのは正解。でも結局最後の試合じゃなかっし、試合内容も、ん?なのでなんとも言えない。 >>754
佐山タイガーは今はなんか伝説化されてるけど
末期の頃はちょっと飽きてたけどね
個人的には引退は良い潮時だと思ってた
あのまま佐山タイガーが改名して続けていたとしたらさすがにマンネリと言われてたと思うな
惜しまれるうちに引いたから伝説化した面はあるように思う
藤波対長州も短期間で乱発し過ぎた
札幌も正直、また藤波長州かと当時でも飽きてたからね
だからあのテロリスト藤原は上手いタイミングだった
テコ入れで藤原が投入されて軍団対抗戦が延命できた印象がある >>749
第4回チャンピオンカーニバルからリーグ戦方式になり、小鹿と大熊は
互いに対戦を拒否したから両者無得点となったよ。
理由はタッグパートナーだから。(馬場と鶴田は拒否できないわなw) >>757
大熊「だって時間切れ引き分けダルいし」 >>754
信じられないくらいの凡戦、ってタイガーマスクvs寺西が?
うそーん、ハードル高すぎやろw >>759
凡戦って言うか寺西相手だと良くも悪くも破綻がないから小林邦明とかに比べると地味に映るのはある
試合としては小林のが面白かったのは確か
小林はマスク剥ぎとか試合以外の部分によるところもあるのかも知れないが観てる側としては
そっちのがヒートはする
マスク剥ぎも絶対に素顔が晒されることはないんだけど当時はハプニングでもチラッと見えないかなーとか思ってたし >>760
そんなこと言い出したらキッド、ブラックタイガー、小林戦以外
全部凡戦になっちゃうじゃんw >>761
それは言いがかり
そんなこと一言も言ってない
あんたがそう思い込みたいだけでは? >>760
> 小林はマスク剥ぎとか試合以外の部分によるところもあるのかも知れないが観てる側としては
> そっちのがヒートはする
これが寺西戦が凡戦だった理由と言うなら
因縁のある相手以外は全部凡戦と言ってるのと同じじゃん。 >>745
前田vsブロディーが
前田vs坂口にかわったぐらいの下落だな
昭和全日スレなのにスマン >>741
テリーが好きで、引退前の熊谷、後楽園、引退試合の蔵前、あと8.4は、後楽園ジャンボプールで本買ってサインをしてもらった。夜は、新日本の蔵前行ったよ。良い思い出です。 今日のBSで『オペラ座の怪人』があるけど、ブラックハーツは好きだったな。
キャラクターは素晴らしかったけど、実力がイマイチで、
三沢・川田戦ではエグい攻撃くらってた。
でも平成に入ってたなw
あの頃は、カンナムやマレンコ兄弟、ブルドッグスにロックン・ロールもいたっけ? >>747
>取り敢えずテリー最後の後楽園ホールと。
引退前のテリー最後の後楽園ホール、確かスーパーパワーシリーズ開幕戦だよ(テリー引退の数日前)
さよならシリーズでは確かに最終戦が後楽園だけど。
でもその開幕戦のテリーの印象が残ってない。天龍がゴディにフォールされた印象が強くて…
あと、猪木の復帰戦が同日かニアミスで田コロ開催だったんだよね
友達が「月初めに全日に付き合ったんだから、今度は新日行こうぜ!、相手はラッシャー木村だし面白いぞ!」ってうるさかった…
結局はハンバーガーと、後楽園のゲームセンターでゼビウスってゲームを自分もちでおごるとw それで全日になった。
ただ、振り返ると田コロ開催時期ははクーデター派と猪木の冷戦状態の最中、歴史的には田コロ観戦が価値があったかもしれない。 ヒザ破壊してチャンピオンどころか選手生命をも断たれる大怪我した大仁田が
このテリーの引退商法をマネてゼニを荒稼ぎするとは当時夢にも思わなかったな >>756
タイガーが飽きてきたって、お前だけやろ。 >>761
いやいや、その日の寺西戦はほんとへっぽこなのよ、タイガーも寺西も。
つべで最近見れたのよ。技の攻防のおそらくうち合わせしたものを二人ともミスって、不恰好に失敗。そしてそのすぐあとに、おなじ攻防を。今度は成功も、二人かなりギクシャクした動きで決着 間違えて送信してもうた。とにかく不恰好のまま決着。というひどさ。
全日スレなのた申し訳ない。 >>768
テリー・ゴディ初来日の初戦で、後に全日本で歴史を作ったハンセン&ゴディの初タッグ結成を見られて
しかも、しっかり記憶に残っているなんて羨ましい。 >>754
この日の藤波長州戦は
このカードの中でも最高に盛り上がってるのになんで凡戦なんだよw
クーデター派がこの盛り上がりを見て
猪木を追放しても大丈夫と自惚れたくらいなのに >>776
いつもの変わり映えしない技の攻防。無理矢理なリングアウト勝ち。盛り上がりと凡戦は違うでしょう?
それにここは全日スレ。藤波長州戦を下に見てもいいんじゃない?
まあ名勝負数え歌と言われ続けた割りにこの日は凡戦というだけですから、そんなに怒るなよ。新日のクーデターはしらん。
ある意味、新日のクーデターとテリーの引退が重なったのは全日にしては少し残念かな。新日に悪いイメージがついたのに、客を呼べるレスラーが1人いなくなったのは。 >>775
ハンセン&ゴディのコンビが歴史を作ったとか大げさ。 藤波VS長州
長州がトップロープに上る→藤波が雪崩式ブレーンバスターを敢行→藤波が長州に不用意にヘッドロック
→長州が藤波にバックドロップを決める→そのままサソリ固めへ→耐える藤波・・・・
毎試合このパターンw 造詣深き、全日スレ住民様にお尋ねしたい
ドリー公称190cm
テリー公称188cm
専門誌紙に記載されていたと思うけれど
リング上ではテリーの方が大きかったのでは?
既出質問ならばすみません 造詣深き、全日スレ住民様にお尋ねしたい
ドリー公称190cm
テリー公称188cm
専門誌紙に記載されていたと思うけれど
リング上ではテリーの方が大きかったのでは?
既出質問ならばすみません ドリーは猫背だからねえ…公称が本当ならシャンと背を伸ばしたらどうなるかだね。
あとテリーの方が足が長い?ように見えるから大きくは見えやすい気もするけど。 米国でもドリーが1インチ高くなってるんだから実際もそれくらいの差があるんでしょ。
あと、身長は高い低いだから、大きいは使わない方が良いわ。 私はもともとドリーのほうが高いというイメージがあったが、皆さんテリーのほうが高いと見えてたのかな。 鶴田、ロープにふってジャンピングニーを1試合中に数回。 >>779
鶴田、ロープにふってジャンピングニーを1試合中に数回。 >>780
普通にドリーの方がデカイだろ。
テリーがデカイと思ったことないわ。 ドリーの方が大きい、常にそう見えた。
もしドリーに髪の毛があればもう少しでかく見えたに違いない。 兄弟って、弟の方が身長高かったりするもんだと思ってたけど、マスカラスドスカラス、ドリーテリー兄弟を見てると、そういうもんでもないんだなあと思った記憶が そうなんだ?
ブリスコ兄弟、バション兄弟は兄の方が一回りでかい。
ついでに猪木兄弟もかな。鶴田兄弟は兄の方がでかいという話もあったな。
百田兄弟はどうなんだっけ。 ブリスコ兄弟
ブラジル兄弟
ウインダム兄弟
アーウィン兄弟
この辺も兄貴の方がデカい。 兄弟なのに10センチ以上身長差があると、背が低い方はかわいそうだよな >>800
マッドドッグ・バションが1929年産まれで178センチ
ブッチャー・バションが1938年産まれで188センチ ドスカラスの子どもも兄の方が10センチ以上、背が高ったはず
ドリーテリーを直に見た人に言わせると、実際にはドリーの方がデカかったけど、テレビではテリーの方がデカく見えたってことだから、頭髪と猫背のせいかな?
それと肉厚のせい?
坂口も猫背だったし、鶴田より細身に見えた >>799
エリック兄弟,それを年齢順に並べると
(早世してプロレスラーにならなかった
実質長男のジャックは除いて)
長男、ケビン(188p)
次男、デビッド(201p)
三男、ケリー(191p)
四男、 マイク(188p)
五男、 クリス(165p) 実質長男ジャックていたんだ、この歳になって初めて知ることもあるんだな マードク186cm
ドリー テリー マードックが並ぶと
一番背が高いのはマードックと勝手に記憶してるんだけど。。
3者が並んだ写真有りませんか? >>787
鶴田が凄いのは、それをデビューして間もない頃から、引退するまでやったこと。昭和までとそれ以降では、技がでた時の盛り上がりの質が違うのも面白い。 >>803
だから、テレビで見てもドリーの方がデカイでしょうよ。
テリーがデカイなんて一人だけの意見だろ。 デビッド、2メートル以上あったんだ
亡くなったのが1984年2月、ホーガン王者でWWF侵攻が始まった頃?
次期NWA王者候補のナンバーワン、たらればになるが早世がなく王者になってれば、
WWF侵攻を食い止められるカリスマ性を得たかもしれない、と思うと本当に惜しまれる
米プロレス史を変えたかもしれない死だった、というのは大げさかな?
少なくともエリックランドの運命は間違いなく変わった >>809
> デビッド、2メートル以上あったんだ
昔は199センチって報道されてたけどな。 週プロでの天龍と高田の対談記事内で
天龍「新日のレスラーはみんな猪木さんを尊敬してるというんだけど
全日のレスラーはみな、馬場の悪口ばかりだよw」 >>811
馬場の悪口言うような連中としか付き合ってないからなw 仮にも坂口征二から生を受けて、この小兵二人より小さいんだもんな、征夫
https://i.imgur.com/CcZ61vw.jpg >>806
日プロ時代に馬場 猪木 吉村とドリー テリー マードックが握手の写真はあった。
でも横に並んでないからわからない。
その三人ならマードックが一番高いと思う。
マードックってブロディやホーガンとも身長は大して変わらなかった印象。
MSGタッグでハンセンとマードックが並んだ写真があった。
確かマードックの方が少し高かったような。
シューズまではわからないが。 初来日の時、会場でデビッド見たけどデカかった。ヒョロヒョロ体型だったけど。
NWA王者になるのを見たかったな、フレアーみたいに王者になってから味が出たと思う。 フレアーは
「もしデビッドが生きていても私は彼には負けなかった。
逆に「なぜ私がこの男より上に行けたのだろう?」と今でも不思議に思うのは
テッド・デビアスだ。彼はあらゆる面で私より上であり才能があった。」と
言っていた 背が高いだけで良いなら、平成入ってからの馬場アンドレ組vsランドオブジャイアンツのほうが夢があったよ 逆サバ両横綱
186cmのマードック
183cmのムラコ デビットと言えば週刊ファイトのこの表紙を思い出す
ttps://dotup.org/uploda/dotup.org1992591.jpg
「鉄の爪殺法爆走」と書かれているが、中に載っていたのは訃報であった
活躍するのは間違いないとふんで先に刷ってしまったと言い訳していた >>823
当時はカラーの表紙ページと中面のモノクロページ、校了日が違ったんだろうな。 >>784
赤パンツってことは、馬場と組んだPWFタッグ挑戦の試合かな? >>823
棺の中のデビッドにキスをして涙を流すブロディの姿を見て、天龍が「彼への見方が変わった」と言っていたよね。
ブロディはエリックランドの番頭格のような存在だった。
バーバラ未亡人も「エリック兄弟とは家族のような関係だった。デビッドが亡くなった時、フランクが電話をかけてきたけど、
あれほど動揺して電話をかけてきたことは後にも先にもなかった」と言っていたしね。
それから2ヶ月後の4月に『PWF世界タッグ王座決定リーグ戦』で優勝した時、ブロディがベルトを抱えて天に向かって
祈りを捧げているシーンがあるんだけど、あれは多分デビッドへの追悼じゃないかなと思ってる。 デビッドが一番フリッツに似ていたな。
気も荒そうだったし、体重さえあれば立派なNWA王者になってた筈なのに‥‥
発表では内蔵疾患、実際は急性ドラッグ中毒のショック死。まだ25歳だった。
思えば長男ジャックJr.の感電死は、悲劇のプロローグだったんだな。
息子が皆お父さんに憧れ、自らの引退試合で「息子を全員、世界王者にしてみせる」と宣言していたのに‥
フリッツが偉大すぎたから、ギミックの弟ワルドーやワルドーの息子でエリック兄弟の従兄弟設定のランスなんかもいた。
そういえばケビンの二人の息子(フリッツの孫)がノアにいたけど、今はどうしてるのかな? ケビンは兄弟が次々と非業の死を遂げただけに、長生きしてほしいね
もちろん、単に長生きするだけでなく幸せな人生を全うしてほしい
しかし、兄弟たちはレスラー以外の人生を送るという考えはなかったのかね?
病死・事故・自殺等の遠因や直接因になってるのは、レスラー人生が大前提になってるとしか思えない
フリッツの親バカという定説だけど、逆に息子たちが「親父を喜ばせるには、レスラーとして大成する以外にない」という親孝行の心かもしれない
長男は幼少期らしいが、その分はデビッドに「自分がやらねば」というプレッシャー
そしてそのデビッドが亡くなり、ケリーにさらなる重圧が…という負の連鎖だったんではないかと思える。
レスラー以外の道も選択肢に入れてれば、長男以下はいまだに健在でも全然おかしくない年齢なんだよなあ… >>823
活躍するのは間違いないと踏んで、ってなかなか酷いな。
さすがに訃報は想定外すぎるけど、負傷とかでの急遽の来日中止くらいは有り得るだろうに。 >>828
カブキのコメント探すとわかるよ。
兄弟達はフリッツの前では
直立不動で可哀想だったと語っている。 デビアスと木村健吾は似てる。体はエース級。問題は一重まぶたの顔だよね。。 5男(実質6男)は特にそうだったと思う
上背もなくプロレスラーには向いてないと思って、兄達の非業の死がなかったら、父親の別な方の仕事を継いでたんじゃないのかな?と思う
プロレスをやったことが、彼を追い詰めたのかも テリーの自伝では
「エリックの息子たちは父親から「お前はレスラーになる」と決められて
逆らえなかった事がエリック家の悲劇の根本にある」そうだ
ファンクスは2人とも自分の意思でレスラーになる事を決めたそうだ
テリー自伝とは別の記事で読んだがシニアは
「テリーはレスラー向きだがジュニアはレスラー向きの性格じゃないな」と思っていたが
ジュニアから「レスラーになりたい」と言われて驚いたとか ケビンは「父親からのプレッシャーはなかった」と言ってるが
「噂レベルではありますが、フリッツは英才教育と称して、息子たちがプロレス入り
する前から心身ともにしごき上げ、さらには体を大きくするために筋肉増強剤を使用
させていたとの話も聞きます」という話もある。
フリッツは、デビッドがNWA王者として世界を回り、地元ダラスはケビンやケリーが
守るというような形を夢見ていたようだが、それを果たすどころか最悪の結末となった。 デビッドもエリックの息子というラベルがなかったらと考えたときには
バリー・ウインダム、ロン・フラー、みたいな感じだからなあ。
もちろん身長があるレスラーにはほぼ無条件に期待してしまうからだけど。 スター性からしたらケリーが期待されてたな。
バイク事故だからまさに自己責任だわ。 兄弟が揃ってクローを武器にしようとしてたけど、細身の身体では迫力もないし
どう頑張ってもオヤジに敵うわけないんだから、個性を生かしたオリジナル技を
見つけるべきだったな。
皆、オヤジに気に入られようとしてクローを使ったのか、フリッツの戦略だったのか知らないが‥
でも日プロ時代の馬場のライバルの中では“鉄の爪”エリックが一番好きだったな。 >>837
フリッツの息子が、フリッツのテリトリーで、
クローをやらなかったら
ファンが許さんてましょうよ。 >>836
スター性でケリーを上回っていたのが、
デビッドなんだけどな。 >>831
さすがにそれは無理がある。健吾は体も二流だろw 秋山が晩年のデビアスと試合して
その頃でも
「「何でこんなに上手いんだろう?」と思うほど上手かった」と言う感想だったそうだ >>838
まあそうなるわなぁ
エリック一家“伝家の宝刀”だもんな。 フリッツの試合を見たのが小学生の頃、それも他局での放送の引退試合
確か場外でフォールもありの特殊ルールだったかな?
だから全盛時の試合はVTRでしか見れないんだけど
よく懐古補完とかいうけど、生まれる前のフリッツのオーラの凄さは自分でさえよくわかる
コスチュームもなしで、Tシャツ1枚での入場なんだけどカッコいいわ
眼球がよく見えない位の彫りの深さがまた不気味で…
「馬場が殺されるかも…」と言ってた当時のファンの気持は良くわかる、存在感ありまくりだもん。 >>839
スター性どちらが上なの、お前が決めるのか?
身長はデビッドあったけど、マスク・マッチョな身体でケリーが人気あったろ。
ハイスクール時代から円盤投げで有名だったし。 >>846
> スター性どちらが上なの、お前が決めるのか?
横だがお前が決めるものでもないだろw
デビッドが生きてたらケリーがNWA王者になることはなかったはずだぞ。 >>831
フレアー以前の次期NWA王者といえば、ディック・スレーターとテッド・デビアス
だったな。
ファイトスタイルは、スレーターがテリーで、デビアスがドリーに近いと思うけど、
二人のコンビも見たかった。
興行戦争の紳士協定で、新日には行かなかったけど、
まさかデビアスがミリオンダラー・マンになるとはw
お父さんのマイク・デビアスはワルドー・フォン・エリックと組んで、
あのBI砲初タッグの対戦チームらしい。
あと85年の最強タッグでレイスと組んだジェシー・バー(ジミー・ジャック・ファンク)
も期待してたんだけどなぁ >>842
身体は猪木と瓜二つと言われてたんだが
負け役って仕事をしてただけだからな >>833
ファンクスは牧場でプロレス以外にも
相当恵まれてたしな。
まあ長州も次に生まれたら絶対レスラーにならないというくらいだから、子供をプロレスラーになんかしたくないのが普通。でまとも。
フリッツがおかしいんだよ。 >>849
体型が似てるだけで一回り小さいからヘビー級でやるなら
負け役しかない。 >>846
当時の評価を言ったまでだ。
ケリーが戴冠したときは時期尚早と思ったな。
>>847
その通りだと思う。 ジンキニスキーは、息子達をレスラーにしたかったのかな?
それとも息子達の希望かな?
まぁ、2人共ある程度の年齢的になったら親父がプロレス辞めさせたらしいけど こういう話出ると、それと今のプロレス界見ると、馬場に子供がいなかったことはむしろ良かったのかな?と思うし、鶴田jrをプロレスラーにしなかった鶴田嫁は、頭いいな、と思う >>843
武道館でシングル対決したときは
「うまい、というより強かった」と言ってた >>849
健吾て小さいよね。猪木と瓜二つていわれてたの?そりゃ猪木に失礼だ。
他の人がそう言ってるのを猪木が聞いたら、カチンときたと思う。だから負け役になったんじゃ?
デビアスとは比較にもならんわな。 マードックの息子は親父と同じ位デカくて
「プロレスラーになるかは息子の自由」と言ってたが
プロレス入りはしなかったね 貴乃花の息子が大相撲入りしていたら1日で夜逃げしていただろう シンの息子は三人だが、長男だけ父親譲りの巨体。
あと下二人の弟たちは普通サイズ。
と言っても二人とも180あるみたいだが。
エリック一家のクリスみたいに極端に小さいわけではないし。
シンの息子の下二人も日本なら体格的にもじゅうぶん通用しただろう。 ローデスの息子も父親譲りの巨体、というか長身だったな。
マードックの息子はマードックの葬儀で雑誌に写ってるのを見た。
確かに父親譲りの巨体だった。
ブロディの息子ジェフリーも父親譲りでかなりの長身みたいだが。 プロ野球でも、親よりビッグになるのは難しいからなあ
俳優、タレントとは違うよね 日本人レスラーの2世で、親父超えしたのは柴田だけか? >>861
横田(元ロッテ)近藤(元中日)の息子なら
親父を超えられると思ったけど、2人とも超えられずに引退だからな。
それでも育成契約のまま選手生命を終えた川合Jr.よりはマシだな。 >>861
プロボクサーの拳四朗は、世界王者になり複数回防衛中だから
親父超え(親父は東洋王者まで)を達成したな。 >>864
ファイターズ杉谷拳士の父親もプロボクサーで、日本フェザー級王者になった杉谷満。
残念ながら世界戦はKO負けだったが。杉谷拳士が父親超えしてるかは微妙なところ。 >>863
あまり知られていないが黒田博樹は二世プロ野球選手
黒田は完全に父親を超えた数少ない例 ボクサーは凄いね
プロレスラーは2世、3世で血筋が良くても、、、 高木豊の息子3人はJリーガーになったけど
3人とも親父超えしないまま選手生活を終えそうだな。 落合は、長嶋一茂や野村克則をプロになっただけでも立派だと言って褒めてたね。 >>830
ケリーが初来日した時に、ゴング誌でウォーリー山口が『ピラニアインタビュー』というコーナーをやっていて、
ケリーがインタビューされたんだけど、その中で
ケリー「子供の頃、親父に叱られると教会に駆け込んだものさ」
山口「案外、今でもそうなんじゃないの?」
ケリー「(急に真面目な顔になって)勿論さ」
というやり取りがあった。
息子達にとって、親父のフリッツは大きすぎる存在だったんだろうね。
>>848
スレーターとデビアスは85年4月のシリーズで短期間組んでたな。
ブロディが新日本に移籍した直後で、同シリーズに参戦していたハンセンはデビアスと組むことになり、
スレーター&デビアスはそのシリーズで終わってしまったね。
85年もハンセン&ブロディが継続していたら、スレーター&デビアスもしばらく組んでいたのかな。 >>872
マイクのデビュー:1983年11月24日
デビッド急死:1984年2月10日
この2ヶ月半の間に撮影されたんだろうね。貴重な写真だ。 デビアスは良いレスラーだったけどエース外国人として1シリーズ任せられるとなるとちょっと弱かったのかな… プロレススーパースター列伝でブロディがエリック兄弟を鍛えるシーンが好きだ。
「親父さんに比べたらまだまだ!」と、ブロディ自ら実験台になって兄弟2人がかりのアイアンクロー食らうとことか最高。実際はこんなことなかったんだろうが(笑)
https://i.imgur.com/2Yhva6U.jpg
ブロディとエリック兄弟が組んだ試合、全日本の海外遠征スペシャルだか世界のプロレスで流れたよね。
ブロディがケビンかケリーをボディスラムのように投げて相手をプレスして勝った試合見た記憶あるよ。 デビッドとアンドレのツーショット。
デビッドは2メートル前後らしいが、やっぱりアンドレでかいな。
https://i.imgur.com/yN1erOC.jpg >>847
ケリーが明らかにスター性あっただろ。あきめくらかよ。
ただのノッポさんだったろ、デビッドは。
タラレバ言っても仕方ないな、ケリーはNWA王者になったが
デビッドは勝手にクスリでおっ死んだんだからな。 >>877
猪木が当時オポジションの選手を褒めることに違和感があったなぁ >>870
最初は、「俺は息子を一流選手に育てる。長嶋さんや、野村さんのようにはならない」って言ってたのにな。
自分とこはプロ野球選手にすらできんかったからな。
声優で大成してるが。 プロ野球選手の二世が嫁がアスリートではないからだ、と言われてるね。
スチュワーデス、女子アナ…昭和の時代は、こんなもんでしょう
今だと、声優、モデル、キャパ嬢…
だから、谷家には期待したし、井端が吉田沙保里を選べばいいなとと思ってたw
北斗晶と健介みたいなのか、昭和の頃にもっといたら、今頃は二世が大成してたのかも >>883
じゃあ!プロ野球のスター選手の両親はどっちもアスリートなのか?
そんなもん関係ないだろ。 >>873
週プロでスレーターとデビアスはスタジオ撮影してた覚えがある。
ネクタイした事が無いと言うスレーターにデビアスが結び目作ってあげたり
仲良さそうな感じだった。 昭和50年ごろに月間ゴングの読者投稿コーナーでこんなのがあった。
本雑誌(ゴング)の読者同士での売ります買いますコーナーにあった
「G馬場、激臭肛門写真集を5000円で。」というのに申し込み、5000円を送ったのですが、
相手から送られて来た小包の中身は使い古しのスリッパや歯ブラシであり、
返金を求めると「金は遣ってしまい、ない。」という返答でした。このような悪質な…
という投稿を読んで俺も非常に腹が立った。
悪い奴がいたんだね。
当時は投稿者の住所氏名が普通に載ってたよ。
ザ・シークの似顔絵でシークのおぞましい表情の横に「死ネ」と書いてある似顔絵が最高に良かったな。 >>870
一茂は人気込みとは言えドラフトで指名されるレベルだったからね
背筋力では力士やプロレスラーに混じっても上位のパワーだった
(逆に言えばパワーだけじゃ打球は飛ばない)
桑田や川相の息子はドラフトにひっかからんレベル
山本巧児の息子は育成で指名されたが既に戦力外になった
黒田博樹は母親が体育教師で砲丸投げの選手だから
母親の血が重要って意外と当たってるのかもしれん >>889
それだと、ダルビッシュ夫妻と澤穂希(旦那も元Jリーガー)と
元なでしこの大竹奈美大竹由美姉妹(2人とも旦那は元Jリーガー)の子供は期待出来るね。 スレーターとデビアスは、ファンクファミリーの一員というくくりはいらなかったと思ってる。
つくづくスレーターの事故は残念だ。事故がなかったらどんな感じになったんだろうか。 >>885
78年のスーパーパワーシリーズに1度だけ来日した
アルビン・スミスのパワー・スラム(日本マット界初披露)も衝撃だったな。
確か後楽園ホールだったと記憶してるけど、ロープの反動で返ってくる相手を
抱きかかえ、ブロックバスターで後方に投げると思いきや
腰を回転させながらスピーディーに叩き付ける。
初めて見る技だったから強烈に印象に残っている。
その後は色んなレスラーが使用してるけど、スミス以外ではテッド・デビアスに
バズ・ソイヤーあたりが名手と言われているのかな >>892
そんな古い技だったのか。パワースラムって。 >>891
81年の交通事故がなかったら、フレアーより先にNWA取ったと言われてるね。
登竜門と言われたミズーリ州王者も獲得してるし、
80年のCカーニバルでは、馬場、テリー、ブッチャー、デビアス、戸口等を抑え
鶴田と決勝を争っているからね。
事故後も来日しているけど、最後まで後遺症で平衡感覚が戻らず不憫だった。
だから事故がなかったら、短命かも知れないがNWA王者になってたと思うし、
ロビンソンと組んでインタータッグに挑戦してたら、代役の天龍はなかった。 82~84年にスレーター&デビアスが本格結成してたら、売り出されてたと思う。 スレーターには風格がなかった。
でもテリーもないのにチャンプになったからなあ、、 >>895
スレーターはフィニッシュホールドが
トップロープからのエルボースタンプという
かなり限定された状況での技だから
必殺技の印象に程遠く善戦マンの域を出ないと思う。
デビアスもそういう部分はあるけど、試合運びの巧さはファンクス一家というブランドを超えるものがあるから伸びしろがあったけど、
スレーターは「右利きテリー」のイメージを
打ち破れなかった。
正直事故が無くてもあの辺りでジリ貧になっていたと思う。 >>772
ウルトラマン戦なんて、二人で同じ方向のロープ走ったり同時に前受け身(と言うかロープワークで相手に飛び越えてもらうアレ)取ったり、グダグダ過ぎて逆に面白い。 >>895
チャンカー決勝進出は、鶴田初優勝のために寝かされる役割に適任だったから。
当時は馬場やテリーを決勝進出させて、鶴田相手に寝かせるわけにいかなかったし。 >>900
あれはルチャの普通のムーブだったんだが当時の新日のファンが求めるものと離れてたからなぁ >>901
鶴田があれで勝たなきゃどうしようもないお膳立てだったからな。
星のつぶし合いでリーグ戦としては意外で面白かったけど。 1969年第11回ワールドリーグでも
猪木を初優勝させて売り出したが、
その決勝の相手はBブラジルでも
Bモンスーンでもなく、
無名のクリス・マルコフだったしなぁ。 >>904
そういやぁ猪木が優勝した第11回以降、馬場・猪木が交互に優勝すると思いきや
最後まで馬場の優勝が続いたし、鶴田時代到来かと思ったら第10回まで馬場が優勝。
団体として、どういう青写真があったのかな?
>>898さんや>>901、>>903さんの言うように、スレーターのランクは
事故関係なく、当時はそこまでの位置だったんだな。 >>906
ワールドリーグを日テレが中継する以上、猪木に優勝させる意味なかったんでは?
NETテレビ側も放送できないのに「猪木に優勝させろ」なんて要望しないだろうし。 フレアーにはクロケットJr.
レイスにはガイゲル
ローデスにはグラハム
リッチにはバーネット
と後ろ盾になるプロモーターがいた
スレーターには後ろ盾になるプロモーターが居なかったのでNWA王者になる事は無かった >>880
> ただのノッポさんだったろ、デビッドは。
無知すぎて話にならないレベルw >第11回以降、馬場・猪木が交互に優勝すると思いきや
CCが11回以降も続けば鶴田、鶴田、長州、天龍、鶴田って感じだったのかな?
参加外人は考慮してないけど。 >>909
アホかいな、いくらNWA王者になる予定されてたとしても現にクスリか病気か
知らんが実現せずに死んでるんだからそれまでのレスラーだったってことだな。
デビッドには荷が重かったという事。 >>907
それを考えると2局放送がプロレス界を変えたんだなと、改めて思うな。
日テレ独占なら全く別の流れになっていた気がする。 >>911
デビッドをただのノッポって言うお前よりはアホじゃないわw
デビッドよりケリーの方がスター性があったと言うだけでもアホなのにww >>913
結果から見るとデビッドは25歳で死んでるんだから素質なかったんだな。
不慮の事故や事件に巻き込まれたのならともかく病気なら寿命、クスリ
なら精神的に難ありで自己責任だからな。 >>914
結果だけを見たらそのとおりだが
生前はデビッドが全てにおいて兄弟の中で一番と言われていた。 スター性って、背が高い低い、痩せてる太ってると違って、数値で表せるものではないし、比較するものではないような
思い出補正ってこともあるし >>916
俺が言ってるのは当時のマスコミの評判ね。
実際には同時に来日したこともないし
デビッドの評判が一番高かった時期に来日したのに
一試合もしないで急死しちゃったので日本のファンには知りようもない。 >>915
今は結果がわかった上で言ってるんだから結果を元にいうの当たり前やぞ。
デビッドが生前評価高かったとしても実績ではケリーより下で終わってる。
上の人が言ってられる通り、スター性なんて主観入るものを言い合いしても
水掛け論になるだけ。
互いに相手の主張は絶対に認めないからな。 >>918
> 上の人が言ってられる通り、スター性なんて主観入るものを言い合いしても
> 水掛け論になるだけ。
> 互いに相手の主張は絶対に認めないからな。
お前が先に言い出したんだろアホw >>918
>>917でも言ったように俺が言ってるのは当時のマスコミの評判だ。
スター性も含む全ての面でデビッドが兄弟一と評価されていた。
俺の主観でも何でもない。 ドラデイシヨンの興行で、藤波がマスカラス呼んで、夢のオールスター戦の再現をしようとした時、東京では武藤を大阪では長州を鶴田の代わりにしたんだけど、その時に武藤が鶴田のことを、立ってるだけでスター性を感じる選手と言っていた
グレートムタやった武藤でも、そんな風に思ってたのかと、ちょっと驚いた
スター性ってそういうもんでしょ
ここにマスカラス入れて、誰か一番スター性があったか?と議論しても意味がない。
鶴田はもういないし、武藤のムーンサルトはもう見られない。マスカラスのスター性は、相手あってのものなところあったけど、その相手の人達は大体、鬼籍に入っている
それと、一番大事なことは、実物であれ、記事であれ、それを見た自分は今の自分とは違うということ
ずっと間違えて覚えてた、錯覚してたことも、あって当たり前 >>921
武藤は鶴田と試合できなかった事が心残りだと言ってるからな
ライガーが鶴田を称賛した時に
「うちで鶴田さんに近いのは武藤だと思う」と言っていたね
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191101-00000008-tospoweb-fight
武藤:あの時の新日本は居心地悪かったんですよ。
猪木さんが格闘技路線に走って、俺は全日本の方がよかった。
あと正直言えばジャンボ鶴田さん(故人)と一度戦いたかった。それが唯一の心残りかな。
俺は49歳が最後の3冠戦だけど、またベルトを巻きたい欲が出てきましたよ。 >>921
ダラダラと長々書いてるけど、全然何が言いたいかわからない。
ドラディションとか武藤の話いる?
デビッドの方がスター性あったと、最初に書いた者だけど、
当時はエリック一家の中でぶっちぎりの存在だったのは確かだしな。スター性も含めて。
これは個人的意見ではなくて、そういう基本的な評価。
いや、ケリーの方がスター性があった!
って言うやつがいても別に構わんけど、
あー、あなたはそういう意見なんだね、というしかない。 >>924
> 当時はエリック一家の中でぶっちぎりの存在だったのは確かだしな。スター性も含めて。
> これは個人的意見ではなくて、そういう基本的な評価。
これ。個人の主観とかじゃなくてマスコミの評価だからな。 スター性はわからんけど、デビッドが一番と言われててた理由は、背が一番高かったことも大きいと思う。
近いうちに肉がついて、強そうな風貌になりそうだと思われたんでは。
プロレスでは体の大きさはかなり重要な部分だから。 顔もあるんじゃないかな?デビッドが間違いなくフリッツに一番似ていた。
ケビンもフリッツ系の顔だけど、ケリーは全然フリッツに似てなかったよな。 >>924
わからないでしょうね
>これは個人的意見ではなくて、そういう基本的な評価。
と言っちゃうあなたには
その基本的な評価とやらは、実はあなたの中にしかないのですよ
>いや、ケリーの方がスター性があった!
って言うやつがいても別に構わんけど、
あー、あなたはそういう意見なんだね、というしかない
そう
思うならそれでいいのでは? 昨日>>866で杉谷満の話をしたんだけど、現役時代に後楽園ホールで2度観戦した。
帝京高校時代に杉谷拳士の顔を見て「絶対息子に間違いない!」と思ったら案の定。
親父のファンだった人って、その息子がそっくりだと応援したくなると思う。 あ、スター性がとか、どっちの方が、とかはわからないけど
兄弟の中で一番長身、顔も父親似、次期NWA世界ヘビー級王座最有力候補と称される、とくれば、期待値はかなり高かったんだと思うし、その人がNWAベルト巻く前の来日中にホテルで急死、となれば、ドラマチック過ぎて、話題性は充分
それは認めます
それもエリック一家の悲劇と考えれば、スター性と言えなくもないっていうことも >>931
悲劇とか話題性のことは別に言ってないんだけどなあ。
何か色々とズレてるね。 だから、悲劇とか話題性とかは、あなたではなく、自分が言ってること デビッドの日本での最後の試合が石川、佐藤にアジアタッグで敗れた若手時代だったので3年ぶりの来日での逞しく成長した姿を見たかった…
既に出てたらすいませんがエキサイトシリーズでのデビッドの主要カードは決まってたのかな… >>906-907
猪木の初優勝は直後に放映開始されたNETプロレス中継のためのご祝儀
日テレと日プロの間ではこれは一度きりで、猪木には二度と優勝させないということで
合意していたとか聞いたことがある
>>922
ライガーは「あれだけでかいのにあんなに動かれたら、俺らみたいな小兵はどうしたらいいんだ
俺は才能という言葉は嫌いだけど、こと鶴田さんに限っては認めるしかない。
新日だと武藤が一番近いけど、それでも鶴田さんには及ばない」とか言ってたんだっけ
ライガーにここまで言わせるんだから、プロから見ても鶴田のポテンシャルって底なしだったんだな >>905
人の揚げ足を取るなら
あんたも
>モンスーンがまだいたかなあ?
という日本語はオカシイぞ!
「Gモンスーン以外に、モンスーンという選手がいたかなあ?」
で良いだろよ! >>936
そう!!
あの武藤に、立ってるだけでスター性って >>936
武藤vs鶴田は凡戦になる。
鶴田はグランドになるとマグロだから動かないよ。 >>938
ゴメン 途中送信、、、
立ってるたけでスター性を感じるって言わせちゃうって
スター性って、なんだろって 馬場の著書のたまには俺もエンターティナーだったと思うが、エリックの息子たちの中ではケリーが一番良いと書いてあったと思う。
当時はエリックの息子は3人しかデビューしておらずキャリア的にも一番浅いと思われるケリーを評価していた。
馬場のレスラーの好みもあるのだろうが、やっぱりレスラーから見るとかなり3人の中に才能の差が見えるんのではないかな?
フレアーが絶対負けないと言い切るくらいデビットは軽かったと思う。年齢重ねれば親父のような厚みのある身体に化けたのかな?
まあ、薬中じゃ誰が生き残っててもどうにもならねえんだけどね。 気性が荒いのはデビットかな
ケビンとハーリーレイスの試合でもケビンのピンチを機に乱入して試合を壊したからな 千代の富士も早逝したけど、あれもステロイドだったのかな? >>939
いや、若い時の鶴田は積極的にグランドは試合でやってたよ。 >>920
スター性って英語でなんて言うの?ソース添えて言ってくれよ。
当時ってあんた 兄弟なんだから兄貴が先に評価高いのは当たり前だろ、アホかいな。 >>939
武藤が柔道の猛者だったのは知ってるけど、鶴田はミュンヘン五輪のグレコ
代表だよ。 デヴィッドが一番、っていうのは、思うにフリッツへの忖度があるんじゃないか。
フリッツ自身としても一番自分に似ていてでかいデヴィッドに期待していた、として。
「おい誰がいい? おれはデヴィッドがいいと思うんだが?」なんて訊かれて
ならば周りは「うん、やっぱりデヴィッドですよね。お父さん」みたいなヨイショしたり
デヴィッドにおいしいブックを与えたりして忖度したところはあるよね、きっと。
スター性についてはわからんが、ケリーはちょっと臭かったとは思う。
でもデヴィッドもUN決定戦で天龍に負けていただろうから、どうなんだろうねー。 石ノ森章太郎が「仮面ライダーはバッタがモチーフだそうですが、ゴキブリではダメなんですか?」と質問され「ゴキブリ?!ゴキブリじゃスター性がないよね〜」と答えたのは有名。 >>944
鶴田っていうとバックドロップ、ジャンピングニーのイメーが強すぎるけど、実はボストンクラブも得意技にしてたんじゃ?と思ったのは、鶴田が逝ってから10年も経ってから。
静と動というのに、こだわっでたのかなと思う >>941
馬場のケリー推しはケビンとデビットはグリーンボーイの頃に全日呼んだけど
ケリーはミズーリ州王者の時に呼んだからある程度仕上がってたのもあるんじゃない? 『エリック一家の呪い』
長男は6歳で感電死
3男デビッド25歳 急性胃腸炎(実際はステロイド剤多用による内蔵疾患)
4男ケリー33歳 ピストル自殺(ドラッグで有罪が確定したことを苦にして)
5男マイク23歳 精神安定剤の過剰接取で服毒死
6男クリス21歳 ピストル自殺(165センチの体型を苦にして日常的にステロイド多用)
エリック兄弟の死に共通するのは、「呪い」ではなく『ドラッグ』
兄弟揃って肉体や精神を害するほどまで、いわば薬漬けだった。
実際は社会問題として追及されてしかるべきもので、これを「呪い」や「悲劇」と
形容するのは、スキャンタル隠しのための演出とも言われてる。
ケビン以外の5人の息子の死を見届けた父フリッツは、97年68歳の時に肺がんで亡くなっている。
晩年には妻と離婚し、かつて情熱を燃やしたプロレスビジネスからも身を引いていた。
唯一の生き残りであるケビンは後年のインタビューで「父親からのプレッシャーは
なかった」と答えている。
ケビンの2人の息子たち、ロスとマーシャはプロレスリング・ノアでデビューしたが現在はアメリカの地域団体で地道にプロレスラーを続けている。 >>944
馬場全日では、遠くのお客に伝わらない何やってるか分からない・・という理由で
グランドはやらなかったからね。ギブアップ技がウケなかったから、みんなやらなくなった。 >>949
そういや、例の長州戦も最後は逆エビだったな
アニメのタイガーマスク(もちろん初代)でも脱出不可能な必殺技として紹介されたくらいだし、
鶴田のデビューした70年代前半なら、まだフィニッシュとしての説得力あったんだろうし
思い入れあっても不思議じゃないね
>>952
馬場も日プロ時代はキニスキーから逆片エビでインター奪還してたりしたのにね
>>951
ケリーは交通事故の後重度のペインキラー依存症になったんだっけ
それにしても、パンチとクローしかできない塩と化したからほかに使い道なかったんだろうが
かつてNWA戴冠したレスラーがWARで冬木の負け役やってたのは悲しかった
片足義足なんて引退必至の状況になってもプロレスにしがみついてたのは、いくらケビンが
否定しようが、やはり親父の圧力があったとしか思えない >>952
だから、リング中央でやるジャンピングニーか
ボストンクラブは、新人からギブアップ取る技として有名だけど、鶴田のあのカラダでされたら、破壊力あっただろうなあ >>953
>いくらケビンが
>否定しようが、やはり親父の圧力があったとしか思えない
170cm以下のチビのクリスがプロレス入りしたのを見れば
どう見ても親父の圧力だと思う
誰がどう見てもプロレスラー向きじゃない >>949
昭和のトップレスラーは、鶴田に限らず、
逆エビをよくフィニッシュに使っていたよ。
馬場、猪木、S小林、R木村、藤波も戸口を、
これで極めて勝ったことがあったなぁ。
平成は、フィニッシュにならなくても
小橋がよくハンセンに掛けていた。
馬場→鶴田→小橋に受け継がれたのかな?
長州や天龍はサソリ固めや、テキサスクローバ―を
やるので逆エビは控えていたと思うが。 最初は、逆エビかけてる時の、あの表情だけは印象に残ってた
でもハイライトシーンではあまり出て来ない
長いの見たら、多用しててビルロビンソンにもかけてたw 技の由来をwikiで調べたら、ジム・ロンドスが開発者になってた。
レスリング黎明期の古典技だった。ちなみに逆エビ固めはリバース・ボストンクラブ 秋山全日では新人のデビュー戦は必ず逆エビで負けるんだけど昔からの伝統だったの? >>952
何をむちゃくちゃなこと言ってるんだよ。
勝手な解釈すなアホ。 >>960
秋山全日に限らず、逆エビほど痛さが(素人にも)伝わる技はないんじゃないの?
新人は逆エビ地獄を根性でクリアして、やっと次の段階に進めるような‥
逆エビもコブラツイストも、ジャンボを本気で怒らすとエグい反り方をしてたね。
四天王が上がってきた時なんか凄い攻め方だった。 >>962
身体の柔軟な女性には、逆エビされた痛さは、伝わらないらしい、昔も今も
ちっちゃな選手だったら、すり抜けちゃったり出来るんじゃないの?とか言うし
でも、受けの全日にあっては、あの技やられて、それに耐えて、何とかローブに逃れる図が、新人選手の人気アップに役立っているのかなとは、今の全日見ても思う 逆エビはウォリアーズがあれやってしまってからどうもなぁ〜。 >>946
レスリング重量級なんて選手層スッカスカだからあんまり比較にならない ボストンクラブはやっぱりダイナマイトキッドのえらい上の方にまで
足を持ち上げるやつが当時衝撃的だった。
実際の効き目はわからないけど、絵的にうわー!えげつない!痛そう!
って思った。
あと、ハンセンがマーテルからAWA獲った時のもいろんな意味で印象深い。 >>945
> 当時ってあんた 兄弟なんだから兄貴が先に評価高いのは当たり前だろ、アホかいな。
だから当たり前のこと書いてただけなのに無駄な反論すんなよアホw >>945
> 当時ってあんた 兄弟なんだから兄貴が先に評価高いのは当たり前だろ、アホかいな。
ケビンより弟のデビッドの方が評価が高かったのはどうなんだよアホw アホかいなの人、口は悪いけど、良く読んで見ると、もっともなこと言ってるような気がしてきた 百田兄弟、マクガイヤー兄弟、ケリーツインズは、兄と弟のどっちが評価高いんだ? かける方が下手くそなせいで、説得力が無くなった技ってあるよね? あれ?
天山がヤングライオン時代に使っていた、
抱え込み式逆エビ固めはまだ出てない? >>971
まあ、あんたもそう思うなら、それだいいんじゃないか。 >>974
あれは確かにエグい角度で体そるけど、ただそれだけ。
腕で足を極めてもすぐにクラッチが解けそうだから説得力ないんだよな
実際天山もポジション上がったら使わなくなってしまった レイキャンディとかデカい黒人レスラーがよく逆エビで負けてたイメージ… 第二次UWFでも
逆エビがフィニッシュになったことがある。
1989年1月10日、武道館
前田(逆エビ固め)高田 >>975
あー、ゴメンなさい
もっともなことと書いたのがいけなかったのかな?
>>880見て、荒らし系の人?かと思って、主張なんて良く見てなかったけど、
読んだら主張としては、まともかもという意味
どっちが正しいとかは言ってないです >>951
ダラスで暗殺されたケネディ大統領の『ケネディ家の呪い』になぞらえて言われたりしてたよね。
エリック兄弟以外でもこのエリックランドで活躍していたレスラーの多くが、ドラッグや事件で次々と亡くなって、
同プロモーションで活躍したスカンドル・アクバは「ダラスマットのダークサイド」と言っていた。
>>953
92年にWARに来た時、ケリーの目からは完全に精気が抜けていた。
試合をした天龍が「昔、対戦したときのケリーは元気だったのにね」って言葉が今でも覚えてる。
天龍(1950年2月生まれ)とケリー(1960年2月生まれ)はピッタリ10歳違いなんだけど、
10歳年上の人間から「昔の方が元気だった」って言われるって・・・普通、逆だろと思って。
その後、しばらくしてケリーは自殺してしまった。 しかし、WAR時期のケリーくらいは今の谷津でもやれるということか? >>981
谷津は右足切断より、原因となってる糖尿病の方が、心配 >>980
全日ではケリーのミズーリ州ヘビー級王座に
天龍が挑戦してたな。 >>981
義足を隠してたケリーに対し、谷津は義足を公言し
五輪の聖火ランナーを目指すことまで宣言しているからな
既に還暦過ぎの年齢や糖尿病なのは気になるが、
30歳過ぎのケリーよりずっと前向きだし、ひょっとしたらもっとやれるかも
鶴田は今まで食らった一番痛い技として、ケリーのタイガークローを挙げていたな
握力という点では兄弟で一番だったんだろうし、つくづく交通事故は残念だったな >>978
UWFではジャパニーズなんとかって言ってなかったっけ?
ジャパニーズ・レッグクラッチみたいな技名
あれ、片逆エビだけだったかな ぐぐったら旧UWF時代にジャパニーズレッグクラッチって呼んでたみたいだね
新生UWFはリアルタイムで見てたけどそのときは記憶ないなあ >>986
スチュ・ハートの息子達は「下に行くほど才能がある」と言われてたな >>949
うろ覚えなので、全く違ってたら申し訳ないけど
ジプシー・ジョーとのUNヘビー防衛戦で、3本勝負の3本目は
確か逆エビ固めで決めてたような記憶がある >>989
81年9月4日大阪府立体育会館 UNヘビー級選手権 ジャボ鶴田vsジプシー・ジョー
3本目 鶴田(5分15秒カナディアンバックブリーカー)ジョー 伝説のスーパーアイドルシリーズは再放送されたことないよね。
テープ処分したのだとしたら実にもったいないわ。 >>990
訂正どうも
普段はあまり使わない技でギブアップさせてた記憶はあったので >>985
>>987
旧UWFのことは記憶にないが、
1989年1月10日、武道館、前田対高田戦、
フィニッシュ技は週プロ、ゴングの臨時増刊号、
両誌とも「逆エビ固め」と表記。
足も両方をホールドしている。 >>987
旧UWFと言えば、
俺は、1985年の春ごろ、後楽園に見に行った。
試合の前に、若手がリングで練習をしていたんだが、
「逆エビ固め」を掛け合い、それに耐える練習もしていた。
2,3人の若手が結構、エグイ角度で逆エビを
掛けられていたが、割と涼しい顔をしていた。
訓練すれば、耐えられるんだな、と感じたよ。
逆を言って、ああいうシーンを客に見せたらダメだね。 逆エビって、華やかさに欠
けるから、魅せ技じゃないとずっと思ってたけど、このスレ見て、認識が変わった
かける方もかけられる方も、絵になる人っているんだ >>994
攻めてる方が相手の背骨にしっかり腰を落として反っていけば、
体の柔軟さはあまり関係ないと思うんだけど‥
逆に腰の浮いてる状態では、いくら角度がエグくても
それこそ相手の柔軟さを引き出してあげてるような配慮にもみえる。
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