鶴田は初めから全日本プロレスがジャイアント馬場と元子夫人の物で自分が社長になれるわけがないと認識していた。
それは鶴田が現役当時ナンバー2、そして最強エースと君臨した全ての時代でだ。
天龍がジャイアント馬場の事を悪く言っても鶴田は「俺だって分かっている、俺に言わないでくれ」と達観していた。
馬場が亡くなった後に鶴田は自分の居場所を作りジャイアント馬場という善が無くなった全日本プロレスを去っただけだ。