国際の視聴率も1970年に15%、71年には10%台前半に落ちて
水曜20時の一時間番組はこの71年で打ち切られてしまった

この頃は本場所・ワールドシリーズをロビンソン、ロシモフの
外国人が3連覇していた時期で、この71年夏にIWA王者・小林を
エースにしようとしたのも、視聴率が下がってきたのを食い止める
対策だったのだろうけど、その割にまだ羽振りがよかった70年から
TBSにコロコロ時間帯を変えられ最後は打ち切られるまでの間、
小林井上草津ら日本人エースになりそうな顔ぶれを、人気が出ても
一定期間海外に放逐する「複数スター制」をやめようとしなかった

今月のGスピでも「結局吉原さんは誰も信用していなかったんだろう」
と書かれているけれど、国際最後の時期も

「阿修羅・原にすべてを賭ける!」

と言いながら、その原をテレビが打ち切られる時期に海外に出そうと
していたり(しかもビザが下りず、団体末期の貴重な数か月をみすみす
原不在で回さなければいけなくなった)、どこか国内の観客人気を
あたためるための感覚がズレている気がしてならない…