1991年の新日本、全日本
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>>486
買ったじゃなくママに買ってもらったの間違いだろうがお前はw 91年は新日も全日もゴールデンで放送すべきだった。 スコットスタイナーはこの頃のほうが好きだったな
腕っ節が強くてちょっと垢抜けない兄ちゃん的な感じが
nwo?に入ってからのイメチェン後はあんま好きじゃない
やっぱりスタイナーズがいいよ、兄弟連携よ >>488
お前は早く逝ってくれ。
スコットは後々は変になったのは残念無念何でやねん。
蝶野とシングルとかもあった。
あと個人的にはリックとノートンのコンビは良かった。
>>488は故人が近い。 闘魂Vを初めて見た人に多かった感想
なんかAVみたいな画だな 被せる入場曲も選手それぞれでそれっぽい曲があるんだよね 確か闘魂Vの監督ってAV出身じゃなかった?
被せる入場曲を作ってる人って鈴木修氏じゃなかった?
エンドロールで名前があったような
20年以上見てないから曖昧でスマン 藤波vsライガーが見れただけでも闘魂Vはありがたかったわ 会場音が小さく、雑談風の実況と解説は慣れなかった。 闘魂Vは尺の都合で結構試合をカットしてたね。ただ試合によっては
上手く編集していてどこで切れたか分からないようなところもあった。 Vol1から順にゲスト解説
1 馳 2 橋本 3 ライガー
4 佐々木 5 ライガー 6 マサ斎藤
7 佐々木 8 馳 9 マサ斎藤
意外と固定されてたんだよね
武藤や蝶野はもう少し後になる
途中からタイガー服部が多くなってる
第1回G1両国二日目って映像残ってないのかな?リングサイドにもハンディカメラ配置されてなかったし
蝶野VSビガロは第1回G1のベストバウトだったのに、期待されてた藤波VSノートンは凡戦だったが >>502
なかったのが野上、飯塚、長州、天山辺りかな。
この辺口下手で解説向きでないってことだったのか。 >>502
3でライガーが赤いトレーナーを来てリングサイドにいた小路谷に対し何目立ってんだよな〜って怒ってたのは面白かった >>506
わざわざブラックキャットを退かしてまで目立つ場所に陣取ったんだったな
この頃のライガーの解説好きだったな
今はやたら叫んだりしてなんか嫌だ >>505
そういえば何日目かは忘れたが俺の席の近くにも隠し撮りしてるやついたかも
ビデオカメラにタオル巻いて、それで隠してるつもりか?とかカメラの発熱ひどいだろとか思った 隠し撮りのお陰で武藤vsベイダー見れたんで違法だけど助かってる >>509
俺は会場で見たくちだけど、ムーンサルト決まったときの会場の盛り上がりが尋常じゃなかったでしょ?あの大会は本当に凄かった。80年代の盛り上がりがに負けないくらいの会場の雰囲気 >>510
長州vs橋本もあった大会なのに、ノーテレビなんだよな 名古屋と両国初日と最終戦はテレビ放映されたのになぁ… 8.7 武藤×ノートン、橋本×ビガロ、長州×蝶野、藤波×ベイダー(TV)
8.9 ベイダー×ノートン、長州×ビガロ、藤波×武藤、橋本×蝶野(TV)
8.10 蝶野×ビガロ、長州×橋本、藤波×ノートン、武藤×ベイダー(ノーTV) >>513
9日は何故か水沢アキがゲストで来てたね >>514
>9日は何故か水沢アキがゲスト
藤波に勝った武藤へ、
わざとらしい「武藤コール」を
送っていたのを覚えている。 >>510
91G1は凄かったね。
確かに猪木全盛の80年代にも劣らぬ熱狂と中身。
長州が橋本 蝶野に破れた。
藤波が武藤に破れた。
長州 藤波共に決勝戦に進めず。
決勝戦は武藤と蝶野。
新たな時代の到来を感じ(させ)た。
今の時代の言葉なら『世代交代を上手く演出できた』と。 >>516
藤波長州本命、対抗はベイダー橋本あたりか。。。
当初はこんな予想をしていた人もいたかも。
Aリーグ:
藤波(◎)、ベイダー(○)、武藤(▲)、ノートン(▲)
Bリーグ:
長州(◎)、橋本(○)、蝶野(▲)、ビガロ(▲) >>517
自分もどうせ藤波、長州あたりが優勝だと軽く考えていた…
東スポとか読まずに両国の決勝観に行き、パンフレットの対戦カードを見たら武藤が決勝進出、第五試合で橋本対蝶野の優勝決定戦になっていて始まる前からめちゃくちゃ興奮した思い出があるなぁ
決勝でノーマークの蝶野が優勝したときは会場大盛り上がりで座布団が舞っていた セミの藤波、馳、佐々木対ベイダー、ビガロ、ノートンも豪華すぎて凄い盛り上がっていた >>517
雑誌の予想もそうだったね。
でもまさかの蝶野優勝。
この時はあくまで単発シリーズ予定だったみたいで。
だから当時の雑誌でも『初優勝』ではなく『優勝』と。
これでG1人気大爆発で夏の定番シリーズに。
91春のスーパージュニアで保永がまさかの優勝。
それがウケたからそれに因んだらしい。
確か永島本か高橋本に書いてあった。
そんで春のジュニアも夏のG1も定番シリーズ化。 >>517
当時の雑誌予想だと
《A代表》藤波VS《B代表》橋本
《A代表》ベイダーVS《B代表》長州
《A代表》武藤VS《B代表》橋本
こんな感じただったね。
俺もこういう予想。
それまでのIWGPやMSGみたいな自然なカード。
まさか蝶野が勝ち上がるとは予想外。
それこそこん中で最もキャリア短いノートンが勝ち上がっても意外だった。
でも蝶野ならまだノートンの方が妥当とも。
蝶野は一番優勝から離れた位置にいたわけだし。 >>69
秋山は大森や小川に寝てあげたり、格上げにはちょくちょく使われてたイメージ 愛知の武藤vsノートンも盛り上がったな
ムーンサルト決まった時客が早まってスリー入ったと思って
紙テープが結構飛んだりしてた この年のG1印象薄いけどブライアンピルマンも来日してたよね この年はG1が大当たりでSGタッグも豪華メンバーを揃えた。
このSGタッグ放送なしは勿体なかった。 5月6日の後楽園(夢勝ちます)のメインが武藤vs飯塚
同時にFMWが大阪で興行してメイン終了後にガチの惨劇があったんだよね。
まぁ、これは被害者の客の自業自得なんだけどね。 この年日テレ深夜放送してた「EXテレビ」でプロレスを特集する番組があり
番組でもプロレスブームと謳っていたがホント91年はブームだと納得したよ
ここ近年もブームと言われているようだが?
まったくブームと思いません G1の両国最終日行ったけどWCWから来たレフェリーがリングに
上がったときすげぇブーイングされてたの覚えてる >>526
屋根に上がって観戦してた客が落ちたんだっけ? >>528
ビル・アルフォンソだな
ECWで女子マネのビューラとシングルで対戦したんだよな
FMWに来たときも陽気な感じな人でファンサービスもノリノリで一緒に写真撮ったなー >>521
いいから氏ねよw
>>531
フォンジーちゃんはポールEくらい凄い経歴の持ち主だなw ワールドプロレスリングクラシックスで第1回G1の名古屋を放送していたが、愛知県体育館が超満員で凄い熱気だな
88年辺りの冬の時代を完全に抜け出したと言っていい時期だな 藤波対グラップラーの時とか会場静まり返ってたよねぇ… >>530
屋根から屋根に飛び移ったら屋根が破れて下に落下した。
また、運の悪い事に下に机だったか椅子だったかが
足を上にした状態で放置されたらしく、その足の部分に身体が突き刺さり
貫通して串刺し状態になった。
直ぐに救急搬送されて病院に運ばれ、直後のマスコミ発表では一命を取り止めたと
報道されたが、後に植物状態になったとか?死亡したとかの噂されてた。 この年に開催されたG1クライマックスというのは実際は正式なシリーズ名でなかったけど
あまりの盛り上がりにシリーズ名を忘れてしまい翌年からG1クライマックスというのが
正式なシリーズ名となったとか。
確かサマーナイトフィーバーin名古屋とバイオレントストームin国技館だった。 >>537
そうだね、最初はあくまで両国三日間の単発興行だった。
だから蝶野も雑誌では『初優勝』ではなく『優勝』と書かれていた。
89年暮のワールドカップ〜も単発シリーズだから長州は『初優勝』ではなく『優勝』と。
かつてのMSGやIWGPと意味合いは同じだが。
で、G1も大当たりで翌年も開催、そこで『前年は蝶野が“初優勝”した』と書かれる。
G1も当初はバイオレンスストームin国技館でね。
これが当たらなければ翌年はまた適当にシングルリーグ戦を単発で組んだだろう。 90年は春に橋本 武藤 蝶野 健介のトーナメントがあった。
G1ほど大々的ではなかったが。
これで橋本が勝ち上がり優勝。
優勝というほどでもないか。
もしG1が大当たりしなければ後々に新日もあれだけ盛り上がらなかったかも。
G1の大成功が後々の新日の繁栄に繋がったと。
それに伴い日本マットが活性化され。
まあ日本マットっちゅうても主に全日だけだが。
U系やインディーは無関係。
Sは新日、全日から敵対視され。 橋本はG1を機に復活したね
でも翌年リックルードに負けてまた長いスランプになるんだけど 年末に大阪で行われた武藤、馳対橋本、ノートンのタイトル戦は好勝負だったなぁ〜 >>537
>G1クライマックスというのは実際は正式なシリーズ名でなかったけど
>あまりの盛り上がりにシリーズ名を忘れてしまい
いや、91年の第一回、開催前からG1クライマックスという
名称がついていたよ。
↓例えば、第一回のG1記念Tシャツ、
https://plaza.rakuten.co.jp/inokidamasii/diary/201105250000/
捜せば、もっとその証拠は出て来るだろうが。 最初は「G1クライマックス」と言う名称でなく「バイオレント・ストーム イン 両国国技館」と言う大会タイトルだったことは、あまり知られていないのではないだろうか?
?? >>543
確かチケットもバイオレット…だったような記憶 >>540
そこではなくトニーホームにRevengeしてから復活やないか?
と言っても93年にベルト取るまではイマイチな状態やけどな >>541
セミの藤波、野上vs長州、蝶野も異常な盛り上がりだった
このメンツの中野上が一番いいファイト見せてくれた >>545
バイオレンスストームだろ。
初回の決勝戦ではケロ田中が『グレードワン、リーグ戦』とコールしとる。
翌年からはコール時も『ジーワン、クライマックス』と。
初回以降は『G1』と形容される様になり。
しかしまさか30年近くも続くとはなあ。
この10数年は惰性でやってる様なもんだが。 >>549
バイオレントストーム、な
リーグ戦の名がG1クライマックスで
大会名がサマーナイトフィーバーとバイオレントストーム、ってことか 白星配給係のいないリーグ戦が大当たりの理由だったのに翌年は何故かトーナメントなんだよな >>553
92年、93年はG1って看板だけでチケット売れたからトーナメントでメンバーもフルメンバーでなくて酷かった(ルードは楽しめたけど)
反発や週プロで叩かれ過ぎたためか94年からリーグ戦に戻ったが >>527
今は「プ女子ブーム」だからな。
ファンがブームってどういうことだよ… 95の形式が良かった。
91リーグ戦
92トーナメント
93トーナメント
94リーグ戦
95リーグ戦+決勝トーナメント
96リーグ戦
97トーナメント
98トーナメント
99リーグ戦 >>556
各ブロックの一位のみ進出だとリーグ戦の最終公式戦である程度ネタバレされるから決定戦的なの有った方がいいよね 最近の同点の場合は直接対決で勝った方が決勝進出って
つまんないよね 挙げ句の果てにはこの間のジュニアタッグリーグは決勝3wayとか
同点の時は進出決定戦が必要だよ 三銃士同士が試合やると確かに長い試合になったけど
20分ぐらいまでは大技出さずグランドの攻防がほとんどで
そこから一気にスパートするから見てても疲れないし理想の試合展開だったな >>561
93年12月の名古屋の橋本vs武藤のIWGP戦が
まさにそれだった。 >>561
当時20分超える試合はあんまりないと思うけどな。
だいたい15〜18分くらいでダラダラやらないイメージ。
最近はビッグマッチの度に無理やり30分くらいやるのでダレるように感じるな、 チャンピオンカーニバルが9年ぶりに復活。
鶴田が優勝。 開幕戦のカードがハンセン対キッドと川田対クロファットだったよね >>564
正確にはチャンピオンカーニバルでリーグ戦が9年ぶりに復活だな。
シリーズ自体はずっと続いていたし(「グランド」や「ワールド」といった
修飾語がついてた年もあったが)。 何でこの年ゴディとウイリアムスはメンバーに入ってなかったの? 後から考えると全日本長岡は、良いカード組まれがち。小橋が、三沢、川田から初勝利など 11月5日 新日本の武道館大会 4大タイトルマッチ(事前発表時)
蝶野ー藤波、長州ー橋本、野上ー保永、武藤 馳ースタイナー兄弟
ところがスコットスタイナーの怪我の回復が遅れて来日キャンセル
代役にノートンが抜擢され試合は行われたが(武藤組の勝ち)
予定通りスコットスタイナーが来日して試合が行われたら
武藤 馳は勝ったのだろうか?
また、ノートンは誰と対戦した(そもそも来日したのか?)のだろうか? >>571
恐らく後藤か健吾とシングルマッチだろうな 91.12.5 千葉公園体育館
マサ斎藤 橋本 星野 vs マシン ヒロ 保永
実はマサさんと保永さんは初対決だった。。。 >>571
ノートンは武道館の2日後から始まるシリーズの参加外人に
名を連ねてたから、出る予定はあっただろう。 >>527
坂口と三沢と元子が揃って出演したんだよな。
元子と三沢も対面も生々しいが、
坂口が日テレ系の番組に出たのも驚いた。 >>576
新日勢が日テレ系の番組に出るのはそう珍しいことではない。 >>575
このシリーズは後楽園、武道館のあとだったので地方のみ回ってそっと終わった気がする
確か松本大会はテレビ中継されたよね〜 >>577
事実だとしてもお前いつも否定ばかりだな >>578
大津、姫路、戸田、松本、福井、福井、豊橋
中規模の都市ばかりの地味なシリーズだったね。
確か松本の武藤&馳vs橋本&ノートン以外は
これといったカードはなかったし。 新日の地方のカードってカード編成酷いからな
「新日の地方は手抜き」って週プロ書いてたけど試合内容は見てなかったから分からないけど明らかにカードは手抜きだった >>582
すいません…
セミが藤波、蝶野、越中対アレン他2名の6人タッグだったのと保永が松本城の前でインタビューしてたのを覚えてます 新日91年TV中継会場
3回:後楽園ホール, 両国国技館
2回:日本武道館, 札幌中島体育センター,千葉公園体育館
1回:横浜アリーナ, 大阪城ホール ,名古屋レインボーホール, 福岡国際センターetc...
番外:長野県の会場が3回も放送された(上田、諏訪湖、駒ヶ根) 訂正
長野県は4回でした。(松本、上田、諏訪湖、駒ヶ根)
すみません。 この年から全試合後に今日のダイジェストが放送されていたのが好きだったなぁ…
ヤングライオンの試合とか中堅外人の試合もちょっとだけ見れたし >>587
本来なら実力者で実際に強いアレンとレイガンズ。
この二人を負け役にするプロレスって…… 91年の地方でありがちなカードというと
メインに藤波、長州、三銃士、馳とノートンあるいばビガロ
それ以外にレイガンス、サモアン&コキーナ、ブロンド、ドク&栗栖を交えた6人タッグで
10分ちょっとで日本組の勝ちってのが多かった感じ。
同じ時期の全日本はメインで20分以上やっているので明らかに手を抜いていると言われても
おかしくなかった。 <大宮スケートセンターの思い出>
そういえば初めてプロレスを生で観戦したのがこの1991年だった。
3.21東京ドームを友人が見に行っており、自分は見に行けなかったため、どうしても関東地区でプロレスを生で観戦したかった。(当時14歳)
中3になってすぐ、埼玉県にある大宮スケートセンターまで電車+ニューシャトルに乗ってチケット買いに行った。が、中坊には料金5,000円は高すぎた。。。(ファミコンのソフトを親に黙って売ってチケットを買ったんだよなあ。)
そして当日。会場は予想以上にファンが集まっていて、なんと3,030人超満員札止めだって。立ち見も結構いたんだぞ。(出場は、藤波、長州、武藤、蝶野、馳、佐々木、ライガーなど)
目玉はトップオブザスーパージュニアUリーグ戦最終戦1個前の大会でライガーvsオーエンハート戦は、まるで決勝を見ているようでどっちが勝ってもおかしくないぐらいの好勝負。ほかにもペガサスvsカサスなど地味に面白い試合があった。
公式リーグ戦が終了し、結局、ライガー、保永、ペガサス、カサス4人が得点4で並ぶ大混戦。(4勝2敗)※当初小鉄さんが予言したとおり、全勝で勝ち上がる選手は1人もいなかった。。。
ここにオーエンハートがいないのがちと寂しい。両国、誰が上がってくるかみんな予想してたなあ。ライガーvsペガサスと予想。
この日のメインは、武藤長州藤波vsサモアンコキーナノートン。(両国での武藤vsノートンの前哨戦)コーナーマットを外されて鉄のワイヤーに額を打ちつけられ、武藤が大流血になったが、
最後はノートンを腕ひしぎ十字固めで追い込んだ。※結果はレフリータイガー服部さんのファインプレーで武藤のリングアウト勝ちになり、試合後、武藤選手は病院直行で額を13針縫うという大アクシデント試合。
5000円払っても見に行って損はないいい大会だったよ。
(1991年4月28日(日) 15:00開始、18:30頃終了)
※長文乱文で申し訳ありません。 91は新日も全日もゴールデン放送されて然るべきだったと思う。
明らかにゴールデン時代末期より盛り上がっていたし。
この年の試合をゴールデン放送しなかったのは勿体ないくらい。
視聴率もそれなりに取れただろうし。 91年は新日も一度も特番なかったな
年明けの92年1月のドーム大会が久々のゴールデン特番で
その次が新日vsUインターが成功した後の96年1月ドームだったかな
深夜の2時間特番とかは結構あった気がする 9月の新日大宮大会は台風の影響で移動バスが大幅に遅れて試合開始が8時近くになってしまった
先に到着した藤波が即席の握手会などして間を持たしてた
予定の試合は全て執り行われたが1時間半ほどの駆け足な興行だった >>597
藤波のアドリブだったんだよな
確かに試合内容的には物足りなさはあったけど藤波の神対応で元はとれた 藤波って気が利かないイメージがあるが、そんなことあったのか 握手会もいいけどそこで藤波のライブが始まって「マッチョドラゴン」歌ったらとも思う この年ってIWGPのシングルのタイトルマッチが少なかった印象
藤波が3月に獲ってからフレアーと蝶野としかやってないよね… これが藤波じゃなく長州だったら握手会なんかやるはずもなく
ただ客が待ちぼうけするだけだったな 91年のIWGPといえば、1月の藤波vsベイダー、3月のベイダーvs藤波、ドームの藤波vsフレアー、5月の藤波vs蝶野、11月の藤波vs蝶野か。前半はともかく確かに後半はほとんどやってないんだな >>603
渋い試合が多かったね〜
藤波が蝶野戦で見せた足固め式飛龍裸絞めは特に渋いフィニッシュだったなぁ この年のサマーアクション2〜ジャイアントシリーズのテレビ放映はほぼ毎週鶴田軍と超世代軍の試合が流れていた印象があり変化が無いな〜と思っていた
外人も4強ばかり出てた気がする… 台風の大宮大会ってどんなカードだったっけ?
覚えているのが馳vsロンシモンズ、スティングvs越中
メインが三銃士vsノートン&サモアン&コキーナ
だったけど、他は何があったかな。 >>608
91年11月って27年前だね。
みんな若い。
逆に27年っちゅうたらここに写ってる半分は当時は27以下では?
この時点で橋本も健介も小橋27以下だし。
そう考えると27年は大きいな。
四半世紀以上だし。
全日はまだ鶴田がいて三沢達が超世代軍の時代か。
新日は世代闘争が全日ほど明確ではなかったな。
高田が昇り調子を上げてきた時期でもあり。
懐かしい。 >>608
井上京子の隣は菊地?
あとキューティー鈴木の隣は誰? 27年経って30人中16人が現役というのはすごいな、プロ野球なら総入れ替えしてる この時代は20代のスターレスラーが本当に多かったね…
年長の馬場がまだ53歳で^木は48歳だったからな〜 >>608
その表紙のレスラー
新日所属が6人(三銃士+馳健+ライガー)
全日も6人(鶴田+三沢+川田+小橋+渕+菊地)
人数は揃えたんだろうね。
四天王の内、田上は落選か!
鶴田+三沢+川田+小橋+渕までは当選で、
最後の一人、菊地か田上かで揉めたと思う。 全日は鶴田がいるのに新日は長州、藤波がいないことに今気付いた >>617
そうなんだよね。
鶴田は当時、全日の絶対エースだから
外すわけには行かない。
あと、三沢と川田は鶴田に次ぐ存在、
小橋は若手のホープ。ジュニアも入れなけれな
ということでジュニア王者の渕と同級の若手、菊地。
さて、新日は藤波がIWGP王者、長州がG18王者、
本来ならこの二人を入れるべきだが、そうなると
あと三銃士は外すわけには行かない、それでもう5人。
馳健とジュニアのライガーを入れるために、どちらかを
外すより二人共割愛したんじゃないかな?
こういうのも、「なんで俺を表紙から外したんだ?」
とクレームが来るんだろうな。 >>616
当時はまだ四天王時代ではなかったね
ブーイングも多かったし人気度でいうと菊地の方が上だったと思う 田上がチャンピオンになったのって92年3月の武道館が初めてだったかな この頃からか?
武道館や国技館の試合終了後に路上プロレスが開催されたのは? 9月15日 広島・西条プラザ屋上特設リング。
越中vs金本
武藤vs小原
蝶野vs山本 >>597
この台風で試合開始時間が遅くなったけど
同じ日に辰吉の世界戦が行われたため
移動バスの中で世界戦が見れたというのがラッキー
だったみたい。 >>621
武道館の清水門出た辺りね。
あそこでツームストンをリクエストして「死んじゃう」コールが出て笑った >>626
99年G1で蝶野VS天山の試合で雑誌に
『8年ぶりの“初対決”が実現』
こう書いてあった。
それまで組んでいた二人が遂に対決と。 >>621
武道館の外で試合後チンポ出してマスターベーションしてるやつもいたな
上からザーメンが振ってきてかかった女が悲鳴あげてた 91年は新日の外人四天王と言われたベイダー ビガロ ノートン ホームが揃った。
SGタッグではこの四人が参戦。
ホームはまだレスラー転向前だったが、ベイダーと異種格闘技戦。
他にも91年の新日はシン アレン コキーナもおり。
外人も充実していた時期だった。 >>632
そこで4人が揃えば最初で最後の勢揃いだったんだけどベイダーが欠場したから(代役は中西)一度も揃わなかったんだよなぁ >>633
92年の両国と千葉ポートアリーナ2日続けて揃って出てる
ベイダーが欠場(代役は中西)も92年 >>634
あ、そうだ!
ベイダー欠場は92年だった!
記憶違いすまぬ 第二回GIにベイダーが出れば。
結局ベイダーの新日本ラストマッチって夏か。
サマーストラグルに参戦していたから。 >>632
ホームは最初からレスラーだニワカw
ボクサーは新日だけのギミックだ糞マヌケw >>636
6月の武道館のベイダー、ビガロ対スタイナー兄弟かな… 639むさ苦しい→この生きる価値がないクズ>>637だが、 >>638
ベイダーは92年G1欠場で秋のSGタッグも欠場。
これは残念だった。
ベイダーは新日の中心だったし。
G1前のインタではビガロ、ノートン、ホームを認めるコメント。
バンバンはベストパートナー。
スコットやトニーも凄く成長してるのがわかる。
でもナンバーワンはこのベイダー。
去年は逃したが、今年のG1は必ず優勝する。
ベイダーのG1優勝宣言もあった。
にも関わらず欠場。 >>637
地元のフィンランドではボクシングの試合もしてたんだけどな
つべにも動画あるし ベイダーは新日外人では異例の月給制だったんだけど
ベイダーがWCWばっかり優先して来日しなくなったので
新日が月給を止めたらベイダーが怒ってUインターに行っちゃった >>638
1992.7.1 熊本市体育館
ベイダーノートン VS サモアン コキーナ
が最後かも。 >>645
そのシリーズの最終戦の横浜でベイダー&ビガロvsマサ&ノートンだった。その直後にビガロが翌年ホームもWWFに移ってエース格はノートンだけになったね。 91年12月の藤波対ライガーのあったレインボーホールのメインって何でしたっけ… >>648
長州&マサvs橋本&ノートン。
それ以外に武藤&野上vsビガロ&ティムホーナー、保永vsカサス、青柳vs栗栖もあったね。 この頃の野上は何気に上の方のカードで使われてたね〜 >>70
決め手が、ビリーブラックにトップロープからホイップされたディートンのダイビングボディプレス。
試合後のリプレイで、インディージョーンズのテーマに乗ってスロー再生されるディートンのダイブがシュール過ぎて笑い転げた。 >>75
リックルードは田上とのシングルで腕引っ張ってのショートレンジラリアット出してた。
ショートレンジ系の技を日本で初めて出したのは彼? >>649
これはレインボー史上一番豪華カードだな >>653
日本では越中が最初
海外ではジェイクロバーツ
全日では川田かゴディ マシンファンの自分はよみうりランドのムタ戦にはメチャクチャ期待してた
マシンが負けるのは仕方ないと思ってたけど誰も得しないあの訳わからん結末
ムタも月下のムーンサルト不発だしなんだったんだあの試合 この年は天山、西村、小島がデビューして選手数が更に増えた
翌年に大谷、高岩、永田、石澤、中西の5人がデビューでヤングライオンも豪華な顔ぶれに 浅子とか、SWSへの大量離脱が
あって選手層が薄くなったから
入門できたんだろ? >>660
92年の秋山大森を足してもまだその差を埋められない、、、 >>661
その当時身長180越えた新人が井上への期待はファンからすると大きかったんだけどなぁ 雅央の星タイツは一応それなりに期待されてたということなのか
それとも単にジャンボと同じ山梨出身だからなのか この年の7月福岡大会は前年よりカードは落ちたけど内容で魅せてくれた
ライガーとペガサスは切ない気持ちになったし
藤波がアックスじゃなくカナディアンをフォールしたときは沸いたし
メインは文句ない好勝負だったし満足した >>667
橋本対ノートン
ライガー対ペガサス
武藤、蝶野対馳、佐々木
青柳対松永はちょっとだったけど、どの試合もいい試合だった。
会場は7割くらいの入りだったけど、いい試合ばかりだった。
普賢岳噴火直後で、長崎に新日がヘルメット持って慰問したニュースやってた。
実は長崎で猪木対山本広吉が発表されたけど、中止になった。 >>668
ライガーvsペガサスと武藤&蝶野vs馳健は当時はカットが酷かった
CSでノーカットで見れる日が来るとは思わなかった この年の全日の府立はチャンカーと最強タッグだけだったかな…第2は除いて >>672
91年は回数を絞ったてのもおおきいな。
翌年に回数を増やしだすと後半は減少に転じた。 1991.12.5 千葉公園体育館
エルカタナ&ネグロカサスVS野上彰&獣神サンダーライガー
カタナの来日はこれっきり?
https://www.dailymotion.com/video/x6sgcsv 全日本の正月開幕戦、恒例のバトルロイヤルが荒れたな。 4.18武道館で田上が川田をアームボンバーで場外KOするんだよな、アレには痺れた 生稲晃子をゲストに呼んで川田のカッコ付けが始まった。
向こうは仕事で花束渡しただけでアウトオブ眼中なのに。。 川田がおニャン子好きだったのにビックリした覚えがある。俺も秋元才加に花束渡されたかったわ。 その頃川田には嫁も子供もいたんだぜ。何故か公表はしてなかったけど。 >>682
田代まさしの子供と同級生と言ってた記憶があるな 4月の両国でのライガー対カサスのフィニッシュ技がコウモリ吊りという珍しい技だった 川田が結婚してたのは公表されなかったんだな。
あと去年引退したマシーンも知らなかった。
28年連れ添ったと言ってたから1990年頃か。 しかしG1なんてよく企画したよなぁ。個人的には現地観戦して大興奮した
この年の第1回とフレアー、ノートンが参加した第5回が好き。 しかもダークホースの蝶野が優勝だもんな
第1回はいい台本だった >>686
95年は新日トップレスラーと戦うフレアーが毎日見れて幸せだった!
公式戦終わった後も天山戦とか組んでくれたし >>687
あれは春のスーパージュニアでの保永まさかの優勝を手本にしたらしい。
保永まさかの優勝が予想外に反響が良かった。
それでG1もまさかの優勝者に、と。
そして蝶野まさかの優勝。
これが予想以上に大ヒット。
この蝶野まさかの優勝が大ヒットしたお陰でG1は新日最大の看板シリーズへと。
ただ蝶野は翌年も“まさかの二年連続優勝”にも 変わらず大してブレイクせず。
G1は大ブレイクしてるにも関わらず。
それで三度目の優勝後に自ら行動を起こしてようやくブレイク。
蝶野の視点からしたら皮肉だわな。 >>687
外人3強の参加と日本人側は三銃士、長州、藤波の本当のトップ5人
に絞ったのが素晴らしかった。白星配給役がいないというのも当時
のプヲタの心をくすぐった。
で、長州の負けブック飲みやまさかの蝶野優勝で以後、毎年開催に
なるんだからこの第1回は台本、レスラーすべてが素晴らしかった!
>>688
まさかのフレアー参戦には驚いた。全日本プロレス色と特別参加の
イメージの強いレスラー だったから彼のリーグ戦出場には時代が変
わったなぁと思わされた。またこれがいい仕事したもんなぁ。 川田は鶴田のパートナーって所が良くも悪くも足かせになってたな。
小橋は練習の鬼だし。 この年は2月の札幌と8月のよみうりランドでの藤波対木戸戦が2回ともテレビ放送されたね〜
札幌はめちゃくちゃ会場が静まり返っていた記憶が… 木戸が登場するだけで札幌中島体育センターが沸いてたのはまだ数年後かな? 新日、この年はスターケードから始まってWCWとの提携のおかげで従来
の常連外人以外にもいろいろなレスラーが見られるようになったのが夢の
ようだった。
エル・ヒガンテ&ブライアン・ピルマンのコンビがG1公式戦前に組まれ
ていたが大声援だったな。ぎこちないヒガンテのフォローを試合巧者のピ
ルマンがしっかりやっていた。
後年、ピルマンがスーパージュニアのメンバーに選ばれた時もいい仕事を
していたので早世してしまったのがかなり残念。生きていたらW★ING
とかWARに呼ばれていたかな。 ティムホーナーはあんな勿体ぶった発表させられなければ地味ながら良い外人だったのに気の毒だ… >>695
武藤も「いい選手なのに」って、イライラしてたよね。 話は一気に変わるけど、
7月頃にライガーvsペガサスキッド
をなぜマスカラコントラマスカラで戦わせたんだろう?
マスクマンで続けたってよかったのに… ペガサスがマスク脱ぎたいと言ったので、
マスクはぎという設定で脱がしたとか 700だが、
長州はG1不調で引退を示唆。
イメージ的には完全に三銃士の時代へ突入と。
しかしその後は完全復活。
藤波は藤波でこの頃はガチ不調、というか完全に浮いた存在に。 藤波好きだったけど腰悪くしてから力強さ消えたし、この頃の新日の主力は三銃士もベイダービガロノートンもヘビー級だったからキツかったんじゃ無いかって思う 703慣れさ だが、
91年の藤波は新日に居場所がない感じがした。
結局は欠場中に状況が変わりすぎた。
猪木が事実上リングから消えて主力は三銃士へと。
更に長州が実権を握り。
藤波も内心は居づらかっただろうに。 藤波の試合は年々短くなっていった印象が…
地方での外人とのシングルだと4分〜6分くらいで終わってた
TNTとのシングルも4分台でドラゴンスリーパーでとっとと終わらせてた…盛岡だったかな 岩手県営体育館かな
たしか腕ケガしてたような記憶が 706成れ無だが、
復帰後の藤波は完全に居場所を失って見えた。
無理矢理IWGP巻かせたりしたが。
長州やベイダーを破ってタイトル奪取もイマイチで。
あの欠場期間は長く感じた。
藤波の欠場中
猪木が完全にセミリタイア
長州体制
三銃士売り出し
復帰後も藤波の出る幕はなかった。
最初は復帰を喜ばれたが。 藤波自身「戻ったら居場所がなくなっていた」
と後年語っているようだ >>330
遅レスだが
鶴田がコメントしたとプロレスニュースで流れた
「お前はいい奴じゃない」
のフレーズなんか好きだった
「あそこでDDTがくるとは」に続けていったのが
このフレーズの初出だった気がするけど
違うかもしれない 居場所がないからドラゴンボンバーズだったのか、ドラゴンボンバーズなんか立ち上げたから居場所なくなったのか、どっちなんだろう。 91年7月の鹿児島大会のテレビ中継は
長州、橋本対ノートン、アレン
藤波対レイガンズ
武藤、蝶野対アックス、カナディアンジャイアント
マシン、ヒロ斉藤対栗栖、ドクと
昭和チックなカード編成が良かった
メインでアレンが怒っていたが 712ナイフだが、
この年はプロレスブームだったな。 713無いさ、だが、
91年は全日のCカーニバルより新日G1が大ヒットした。
しかし全日は全日で鶴田と三沢の対決を軸に更に人気上昇気流。
興味なかったが、FMWですら着実に人気を上げていた。 スターケードイン東京ドームの時に、シンのセコンドについてたデカいマシーンは結局誰だったんだろう あの金髪のマシーンマスク、自分もすごく気になっていたけどイコラ
イザーだったという書き込みを見て納得。 3月の新日のドームって他の大会に比べるといつもと照明の雰囲気が違うというか
全体的に明るい感じになってたね。
ドームの屋根がよく見えてた覚えがある。 >>716
だって15時開始だとまだ外が明るいから。 718無いわ、だが、
エコライザーのマシーンマスクで登場は意味不明。
シンのセコンドってのも。
『何がやりたいんだタココラ』と長州に言われただろ。 719NIKEだが、
シンとブロンドは組むと思うたけどなあ。
栗栖、ドクがシンと組んだからシンとブロンドの合体はなかったな。 >>711
金子と野口が調子乗りだして面白くなくなったな 721●ナニー“シコシコ”だが、
91年は新日も全日も明るいスタートだった。
前途洋々で。
この時代にゴールデン放送じゃなかったのは勿体ない。
ゴールデンでもそれなりに視聴率は取れたと確信。 その頃の新日本の場合、90年12月の浜松大会、92年1月の東京ドーム大会はゴールデン放送されたけど
視聴率があんまり良くなかったから後に続かなかったんだよ
そのかわり1時間半とか2時間の特番とかはたまにやってたろ
2000年の橋本負けたら引退SPのころ、その成功でしばらくゴールデン特番で放送されることが多かったけど
数字取れないしょっぱい試合の連続でチャンスを逃したw 723何さ!だが、
90年2月ドームはそれなりに視聴率取れたみたいだな。
目玉が沢山あったからね。
でも9月の横浜の猪木30周年もゴールデンで放送すべきだった。
過去の猪木VSシンを幾つか流して。
そういう説明入れた方が猪木、シンのタッグの深みが更に伝わった。
過去の両者の経緯をしっかり交えて。
ゴールデンは浜松よりこっちの方が意義があったと思う。
浜松は最大の目玉?だったエキシながら猪木VSニックが消えたり。
91年は結局はゴールデン放送無しなんだよな。
猪木自体も91年は一度も試合をしておらず。 >>284
岩手のベイダー橋本もしたんでしょ?たしか。
新日本プロレスワールド 頼むからそれ入れて欲しかった。 >>722
全日は88年の2度目のゴールデン陥落以降は特番さえもゴールデンでは
全くやらなかったからな。 新日はテレ朝が株主でも有るからなぁ
後、野球がこの時代はまだ強かったから巨人戦の有る日テレに取ってそんなに重要なコンテンツじゃなかったんだろ 731浪井だが、
後楽園ホールは一階会場と誤認識され続けてきたかんな。 東京ドームでシンのセコンドについた偽マシンはイコライザーなのはバレバレだったが、週プロが、控室が一緒だったあの選手か?とか半分暴露しててジュース吹いた(笑)。 この年は巨人が弱くて、原辰徳がプロレスニュースに静止画面で登場、果ては福澤が例の声まねまでして笑った。
原が今のジャイアンツを救えるのはプロレスしかないよ→それを聞いたある巨人ファン「プロレスじゃなくてあんたのバットで救ってくれ」(笑) 734名指しだが、
エコライザーにマシーンマスク被せたのは意味不明。
またシンのセコンドに付かせたのも同じく。
しかも試合中に乱入するわけでもなく。
また試合後にシン救出で長州を襲う事もせず。
ただいるだけ。
新日側が『シンの傍で立ってるだけでいい』と仕事を与えただけか?
ノートン戦が不甲斐なかったから。
雑誌見たら試合後にシンが長州の控え室を襲撃。
そこに本家マシーン等ブロンドがシンを止める写真が。
エコライザーマシーンはそこでも突っ立ってるだけの姿が。 735奈美子だが、
新日初登場のスティングも塩だったかんな。
こりゃ日本では受けんわ。
そう思うたわい。
知り合いはスティングを『スチング』とバカにしてたわ。
試合でもスティングは毒霧吹かれていいところがなかった。
ムタばかりが目立ち。
スティングはムタと対等のはずが、ムタの対戦相手程度に見えた。 739波急だが、
>>736
当時の動画や雑誌には金髪の後ろ髪が見えてる。
ただあの演出は今も意味不明だが。
その後はシンとブロンドが悪の合体を果たすと思った。
でもシンは栗栖と組んでたからその敵のブロンドとは組まず。
シン ドク 栗栖VSブロンドと。
あのまんまシンがいたらブロンドと組んだだろうが。 語呂合わせキチガイガラケーにレス返すアホがいるからこのキチガイ
ハイテンションになっちゃって荒らしまくっているじゃないか
荒らし、しかもキチガイに加担するとは同じような精神異常者たちか スーパーフェブラリィ’91
最終戦千葉公園体育館
藤波越中青柳 vs シン栗栖ペガサス
この試合どなたかアップしてくれませんか?
まさかの小鉄vsタイガーシンの小競り合いが見れるよ。 確かこの千葉大会の中継、ニュース速報入らなかったか?録画したから、そのまま残ってしまった。
どんなニュースか忘れたが。 シンと小鉄って
四角いカメラケースみたいなの取り合いしたやつか? そうそう!小鉄さんのジェラルミンケースをシンが奪ったやつ! 746な、読む、だが、
小鉄とシンは関連性が深いな。
シンが初来日でリングに乱入したのも小鉄の試合。
小鉄もシンは認めていたし。
新日創成期にシンのお陰で新日は一気に登り調子になったかんな。
小鉄は高橋以上にシンを認めていたのかも。 >>743
地方ニュースなら入ってない地域もあるぞ >>743, 747
タイ・バンコクでクーデターが発生
ラジオ・テレビ3局が占拠された >>748
>>743だが、確かにそういう事件あった。死者も出て惨事だった。貴重な情報ありがとうございました。
ちなみに3月のチャンピオンカーニバルの中継、鶴田対カクタスの中で地震情報が速報で入った。
ニュース速報や地震情報は録画したらそのまま入るんだよな。 ニュース速報のテロップで盛り上がるのは珍しいなw
ちなみに翌年の全日中継中の岩崎恭子金メダル速報は何とも思わなかったw >>750
そうしたいのはやまやまだが、引っ越しのとき、VHSテープがなくなった。すまん。 >>750
ネットでいろいろ探したけど、なかったです。 オープニングしかありませんが、山本小鉄vsタイガージェットシンが下記サイトで見れます。
https://www.dailymotion.com/video/x6ss2r8 バトルオータムの徳島大会、TV中継は中継だったけど後半は闘魂三銃士SPだった。その三銃士はOPで阿波踊り踊って橋本が祭りはパワーって言ってた。
でもなぜ徳島がテレビ中継されたんだろな。 武藤が釣りをして、釣った魚が額を割っていた。そしたら武藤が、次にムタになったとき、対戦相手はこうなります!は笑った。
ほのぼのした場面でそれ言うか?みたいな(笑)。 この頃の読売新聞東京版ラテ欄。渕の名前が必ず淵になっていたのはただの誤植だったんだろうか?ラテ欄って局の人間が作るから間違え続けるのが不思議でしょうがなかった >>757
テレビ欄といえば、全日本プロレス中継ではなく、番組名がプロレスリングにいつもなってた。
福岡だけなのかわからんが、ワールドプロレスリングど同じような表記だった。 7月。横須賀でリック・ルード&エースがディートン&ブラックに勝ったのに、頻繁に組んでいる小橋&エースが後楽園でディートン&ブラックに負けるという矛盾。
あとルードのフィニッシュがしょぼかったw >>755
この時の橋本メインの映像が横浜アリーナの
トニーホーム戦の煽りVとして使われてたね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています