プロレス者が今読むべきは「Gスピリッツ」〈馬場夫妻と全日本プロレス〉

新発見というわけではないが今回おもしろかったのが、和田・川田対談である。
両者の付き人・下積み時代から全日本プロレス分裂史に話題は及んでいくのだが、
その中で三沢光晴氏(故人)がなぜジャイアント馬場に現場の指揮権を渡すよう
強く迫ったか、というくだりがあった。

三沢氏が権限移譲を受けた後にジャイアント馬場は体調を崩し、1999年1月に
亡くなってしまう。この二つの出来事に因果関係がある、つまり馬場が亡く
なった責任の一端は三沢氏にあると元子氏が強く思い込んだために二人の関係が
崩れたという説がある。それについて触れた箇所だ。

京平 三沢に「京平ちゃん、カードは誰が作ってんの?」と聞かれて、
「社長(馬場)だよ」、「嘘だよ、ターザン(山本)じゃないの?」って。
その辺がバレてきちゃったんだよね。隠せなくなったというか。その辺から
「何で(団体の)外の人がやるの? だったら、俺らがやるよ」という感じだろうな。

全日本プロレスはSWSへの大量選手離脱後の超世代軍期・四天王プロレス期に
人気の絶頂を迎える。そのときにジャイアント馬場のブレインとなっていたのが
当時「週刊プロレス」編集長だったターザン山本氏と部下の市瀬英俊氏、というのは
当人の証言もあって公然の秘密になっている。今号でも山本氏が行ったアドバイスが
興行のありようを変えたことを和田レフェリーが証言しているが、三沢に権限移譲を
思い立たせた引き金は外部から来た人間がマッチメイクなどの重要事を決めていたから、
とも読むことができる。
https://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20180708/E1530977000898.html?_p=3