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三沢と越中がやって越中が優勝したんじゃなかったっけ? >>449
>「レイス・ブラックウェル対シン・ギャング」という豪華タッグ対決があったのに、これも確かTVではやらなかった記憶がある。
関東在住だけど、こちらでは放送したよ
「レイス・コール」が凄くて、またシンもそれに反応してヒール濃度が加速した感じ
確かにテレビ放送もそうだけど、前座でやるにはもったいないね
後楽園ホールのセミファイナルあたりで組めば、館内もさらに熱が爆発するだろうね >>457
おー、放送したんですね!?じゃ俺が見落としただけかな?(泣)
6対6の5試合を放映して、次の週に天龍対谷津30分フルタイムをノーカット放映と言う記憶だったんで。
その外人タッグ対決見たかったなぁ…
最初は確か「レイス対シン」「ギャング対ブラックウェル」のシングル対決の予定で、ギャングが
「オフィスは俺とブラックウェルのシングルマッチを企画しているようだな。悪いがブラックウェルには死んでもらう。俺もジャパンでもっと稼ぎたいからな」
みたいなことをインタビューで言っていた。
その後、二つのカードを合わせたタッグマッチになったわけだけど、全面対抗戦に隠れてあまり話題にならなかったのが勿体ない。 あの頃って松根社長だから馬場にはどこまで権限があったのかちょっと興味ある。
ギャラの事も松根が承諾しない事には決まらないだろうし。 >>460
うおぉっ(≧▽≦) ありがとうッ!
雑誌で試合レポは見てたけど、映像は初めて観ますッ! >>460
序盤のギャングとブラックウェルの意地の張り合いは凄く面白い!
ラリアットとネックブリーカーの相打ちシーンは当時の週プロ・週ゴンに載ってたな。
交代したレイスが、ギャングをあっさりとボディスラムで投げるのも"らしい"見せ場! >>462
レイスのお手本ともいえるボディスラム、ギャングのアシストがあったにしてもあの安定感は素晴らしい。 88年の横浜大会で実現したフットルースとロックンロールエキスプレスの対戦
ウィキによればアジアタッグ戦だったとあるが本当はどっち 長州が全日行ってから外国人との対決が本格的に組まれた85年春の段階で、二宮清純は体の小さい長州に同情して、
プロレスに柔道みたいな階級制があったらまだ長州もいい試合ができるなんてゴングに書いてたね。 昔ケンドーナガサキが、全日本所属時代にマスクマンとして外人枠で参戦したことがあったらしいが、なんでマスクかぶる必要があったのかね。 >>449
ジェリー・ローラーの初来日なんか、85年の新春シリーズ「激突オールスター・ウォーズ」だったもんな。
よりによって、ジャパン勢初参戦のシリーズ。
せめてもう2、3ヶ月後だったら、少しや扱いが違ってたろうに。 >>468
外人の員数合わせのうちだったからじゃね、ドリームマシン
チョット予算がオーバー気味だったので
海外に出してる日本人選手で手っ取り早く間に合わせたみたいな
でもプロレスファンはみんな開幕戦からドリームマシン=桜田ってわかってたんで
当時は戻すんならなんで桜田としてかナガサキとしてじゃないのか?って思ってたね確かに
まして開幕戦以外特に見せ場もないままアジアタッグに一応は挑戦したけど
マシンがピン取られての負けだし言うてもアジアタッグだし・・・ Gスピのインタビューによると、桜田は既にケンドー・ナガサキとして活躍してたのに
チャン・チュンというマスクマンだった頃のマスクを被らされて日本に呼び戻された
しかもギャラが安くて、馬場さんはもう俺がいらないんだなって新日と契約したというけど…
全日でブロディ対ナガサキが実現してたらどうなっていたか… >>469
あれはジャパン軍がテレビに写せるかどうかギリギリまで分からなかったんで保険みたいなものだったのでは?
本当にダメだった場合は東京体育館ではローラーはインターに挑戦してた気がする。
天龍は連日テレビにオンエアされずにジャパン軍とタッグ対決。
東体でも天龍カブキ対長州斉藤でノーテレビ。 >>470
石川のジャーマンで負けたのがあり得なかった。
桜田が石川のジャーマンで負けるなんて考え難いし、凄い使い捨てだね。 82年からは松根社長がお金を握ってたから馬場が決める事ではないような。 大仁田がチャボからタイトル獲った時に
「シャチョー!シャチョー!」って号泣してたのは
厳密にいえば
「カイチョー!」の方が相応しかったわけかな?
まあどうでもいいことだけど 原軍司はFMWが旗揚げする前に大仁田に
FMWに来てほしいと声をかけられたらしいな マサ斎藤が全日登場したのは結局85年の1月のシリーズだけ?
しかも途中から参戦だったよね? サンダーウォーズに参加してるね。
マサ絡みのカード、もっと観たかったな。馬場とマサは興味深い。対戦したのは1月の久留米のみ? >>477
多分そうだね
テレビマッチも東京体育館のvs鶴龍戦が最初で最後だったと思う、記憶の限りでは。
その後に外国でケン・パテラに加勢して入れられちゃったからね
しかしその二年間は所内でトレーニングばかりして、二年後に闘魂ライブに参戦した時は凄い体になってた
全日参戦時は脂肪がのった感じが、新日リングでは体脂肪率ひとケタだと思われるような体
結果論だけど、あの二年で健康的な生活を送り、リハビリ効果もあった事でマサの現役生活は伸びたんでは?と思う ブロディとマサさんはアメリカで同じテリトリーにいたことあったのかな。
マサ・長州対ブロディ・ブルックスなら少しはブロディも気を使ってやったのかな、なんて思った事もある。
どっちにしろもう新日に行くのが決まってたから好き勝手やっただろうけど、マサさんに免じて、みたいな。 >>475
大仁田が海外遠征出発時は、まだ社長だったんじゃねえの?
名残りか、社長替わったのマジで知らないか、海外組と密に連絡とらない全日ならどっちも可能性あるけど 全日本の選手って色白が多い印象
日プロ時代の馬場は日焼けして逞しいけど全日本旗揚げ後はそんなに黒くないよな。
天龍も離脱前くらいまでは白かった。
三沢、川田も基本日焼けを好まなかったようだし。 >>481
そのへんの微妙な詳細はわからないけど
ファンクスがずっと後年になって、てゆーか数年前に
インタビュアーが社長職を下りた時の回想を尋ねたら
「それは知らなかった、ババがずっと社長だと思ってたよ」と答えるくらいだから
大仁田にも伝えてなかったかもしれないね 新日本のサイパン合宿が日焼けするためと知ったのは
ずっと後だった。 今見返すと馬場対上田(腕折りの方)序盤のグランドでバックドロップのような体勢で上田がカウント3つ取っているような。
MSGの猪木対藤波も藤波のリバーススープレックスでカウント3つ奪っているな。
そんな事指摘したら野暮だけど。
ところで
82CCで馬場対ストンパーでブロディが乱入した時謎の凶器を持っているがあれ何だろう。
それとポールエラリングが入場時に新聞か雑誌みたいな物持っているがあれはどういう意味が有るのだろうか。
それについてエラリングは何か語っていた? >>484
子供の頃サイパン記事を見て、プロレスをちゃんと理解した。
普段リングでいがみ合ったり流血させたり闘ってるのに、
サイパンで仲良く楽しく写真にうつってた・・・ >>475 >>481
家人はわたしのことを「お父さん」って呼ぶけれども
孫ができたりしたら「お爺さん」って呼ぶかもしれない。
そうせず「お父さん」のままかもしれない。そういうことじゃないかな。
>>482
馬場本人だけはハワイで日焼けしてくることがよくあったよな。
ただ日焼けで肩とかに皮がむけている時もあって
これは流石に客に見せてはいかんなあと思った。80年頃だった。 >>482
全日本時代の天龍は
「日焼けすると体調の変化に気付くのが遅くなる」
と言ってた エッジは家族旅行で日本に来たとき
テリーファンク引退試合を生観戦したらしいね >>486
新日の誰かが結婚した時に
当時いがみあってたはずの平成維新軍のメンバーが
正装で式に出席しているのが載ってたのは
流石にどうかと思った >>491
田中稔の結婚式で金本浩二が号泣してて?だった 結婚式の時はヤクザも揉め事自重するっていうじゃん
前田日明は泥酔して暴れたそうだけど >>485
エラリングはウォールストリート・ジャーナルを愛読してたらしいので、
それなのではと思いますよ。
移動中もコンパスなどを使って、人生設計図を描いてたらしいです。 >>491
週プロに「この日はノーサイド」ってキャプションが付いててそんなものなのかあ?って思った。 かませ犬発言の後、長州と藤波が抗争中にテレビ朝日の番組対抗のクイズ番組か何かに、新日本プロレスチームとして普通に猪木、藤波、長州の3人(坂口も居たかも?)が出演して普通に楽しそうに参加してた。 馬場とブッチャーも仲良くキャッチボールしていたというしな。 全日中継のゴールデンタイム復帰の会見で
馬場を中心に鶴田、天龍、三沢タイガーと長州、谷津、コバクニ
が並んでるのも、当時まだ小学生だった自分には違和感あった。
新日の正規軍vs維新軍よりはいがみ合ってる印象は無かったが、
それでもコバクニなんかは三沢のマスクをビリビリ破ってたし。 武道板のこのスレで木村の弟子の拓大の岩釣が全日本に道場破りに来て渕とアイアンシークに返り討ちに有った話を柔道オタクの連中がでっち上げだと発狂してる
力道山や馬場さん、渕のことも罵倒しまくり⬇
木村政彦はなぜ 4
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1527842576/ K1 地方大会で
ボブサップ軍団と武蔵がコンビニで談笑してたとさ。 >>497
それブッチャーじゃなくてデストロイヤーじゃなかったっけ >>501
いや、ブッチャーであってるよ。
誰か忘れたが、芸人か歌手でトーク番組で語ってた。 馬場とデストのキャッチボール
出何処はビートたけしのオールナイトニッポン
たけしの親父が足立区体育館での試合前に潜入したら二人がキャッチボールしてたという。
二人が敵対してた日プロ時代のことだったとか。
たけし親父談「アイツらホントは仲いいんだな」w
馬場とブッチャーのキャッチボール
出何処は元横浜銀蠅のリーダー。
自宅団地下の空地で全日の興行があって上から覗くと二人がキャッチボールしてたと。
まあどっちもネタ臭いけどなw >>503
そもそも試合前にキャッチボールなんかするか?という話なんだが。
控室でチェスやポーカーに興じるというなら、まだわかるが。 >>491
飯塚孝之、E・サムライ、野上彰いづれ結婚式もその模様が掲載されてたな >>503
オールナイトなんて、とある会場で馬場とデストのシングルが発表されてたけど、
デストが怪我で出れなくなったから、
そこら辺のガタイのいい奴にデストの覆面被せて無理やり試合やらせた、なんて話もあったな。流石にこれは100%ネタだろうけど。
偽デストが馬場に技食らって「痛いよ〜痛いよ〜」と日本語で叫び出して客がざわつき出したらしいw ブロディが亡くなって明日で30年か。
毎年、命日と時期が重なる祇園祭が来る度に思い出すな。
ブロディが亡くなる70年前の同じ日にニコライ2世も殺されて亡くなってるな。 中村敦夫の番組で中村が馬場とキャッチボールして
馬場が何十年ぶりと言ってたなあ。 >>507
熱狂的ブロディファンは17日夕方に屋根に上ってウォッウォッと雄叫びあげてるんだよね。 藤波の結婚披露宴にラッシャーが出席して握手している写真が藤波のフォトアルバムみたいなものにデッカく載っていたな。 今年もプロ野球のオールスター戦が華やかに行われたけど
プロレスのオールスター戦を毎年一回行う年中行事にするには・・・・
1・BIは不参加 (これは仕方ない?)
2・鶴田、藤波、若手、外人が中心
3・4人タッグないし6タッグを中心にしたカード編成
かな? マサさんはオールスターで、他団体のマスカラス相手にきっちり寝たんだよな。
マサさんはプロであり、あんな状況でも寝るのをイヤがった高千穂とは全然違う。 誰かを褒める時に違う誰かを貶す必要は無いと思うのだが 79年の品川プリンスホテルゴールドホールのファンクス対ブッチャー・シークを見たが、
翌朝のホテルでブッチャーとテリーが二人揃って仲良く朝食をとってたというのを目撃した人がいてちょっと驚いた。 >>514
ちょっと面白く無くなってしまうけど、
1.フリーの選手中心に。
2.各団体トップのシングル王者は出ない。
3.シングル戦は若手のみ。
4.なるべく対抗戦はやらず各団体提供試合にする。
オールスター戦やるには重要かな。
あとギャラの問題や試合順や放送局やDVD化するにはどこからか?いろいろ大変。 >>521
4の団体提供試合によるオールスター戦はベースボールマガジン社のドーム大会で実現したな。 第二回オールスター戦では大仁田vsタイガーマスクが確定だったのかな。
当時の大仁田のインタビューでは
「マスクで表情が隠れる彼と違って、自分は観客に喜怒哀楽を伝えられる」なんて語ってた。
あと鶴田の猪木への挑戦表明が面白かったな。
猪木と新間は「十年早い」「礼儀知らずだ」だの大騒ぎ。
これを受けた馬場が「同じようなことをお前らずっとやってるだろw」と切り捨てた。 BSでたまにやってる渕の食べ歩き番組けっこう面白い
コメントはぎこちないけど実直なキャラがよく出てる
渕自身もプロレスラーやっててまさか自分がメインのTVに出るなんて夢にも思わなかったろう >>523
「チャラチャラした星タイツのひとと試合したくない」も良かったね >>524
食事の時帽子かぶったままなのはどうなの
と思ったけれど検索してみたらマナー違反ではないらしい >>523
FMW時代に当時を振り返って
「宙を舞うタイガーマスクに対して地を這う大仁田w」と
自虐的に語っていたこともある。 大仁田のチャンプ時代は危なかしくてしょうがない塩試合が多いんだけど、怪我から復帰後の試合は後年の大仁田を想像すると中々味わい深い。
復帰直後、後楽園でのロジャーカービー戦がオンエアされたけど、カービーの何でもない足攻めに目ん玉むいて絶叫してのたうちまわって、
FMW時代そのままのリアクションだったなぁ。 >>530
大仁田の試合が塩試合ってよく目にするけど、
子供の頃、楽しんで見れてたけどなあ。
そんなにひどかったかねえ。
単に佐山と比較されてたたけなんじゃないか? 自分も子供の頃は楽しんで見てたほうだけど
ただ、今思い返すと内股でチョコチョコ走るのがねえ…
女の子が運動会などで上品に走る姿に似てるというか…
あれがスピード感を欠けさせてたように見える原因だと思うんだよね
プロとしての試合の姿勢や見栄えを気にする馬場が、ああいうのは気になんなかったのかな?
大股で走れとは言わんけど、レスラーなんだからあの走り方はマイナスだったと思うんだけど… 大仁田が大けがしなかったら、井上のタイトルマッチ絡みのプチブレイクは無かったのかな?
それとも、大仁田が王者のままでも、日本人の強敵として井上に期待してたのかな馬場は? 大仁田がケガしなかったらライバルのポジションは渕になって井上は普通にヘビーの中堅のままだったと思うよ
ちなみにウルトラマンレオがバーミン星人との戦いでサマーソルトドロップ二連発から腕を振り回して三発目狙ったら
案の定かわされて自爆する再現度高いムーブやってるの見て笑った 大器として期待されていた三沢はどうなっていただろう
大仁田が負傷しなかったら、ジュニア経験せずヘビー戦線に放り込まれていただろうか 淵はどうして凱旋以後は急にポジションを落とされたんだろ?
テリー引退試合の日にチャボに挑戦するという大抜擢
そこで負けてから二度とスポット当たる試合はなかったような?
チャボとの試合はそんなに悪くなかった気もするけどね…
でもチャボとの試合を含めても数試合でしょ?ちょっと見切りが早かったような…?
ジャパン軍が来て、小林やヒロと抗争するまでは何のチャンスも無かった気がする やっぱり試合が地味すぎたんじゃないか。
ジュニアだと当時はどうしても初代タイガーと比較されるから。
渕は飛び技はドロップキックくらいしかなかったからなあ。 >>538
まあそうだけど
でも試合内容とは別で、当時の全日メンツの中では個性があったと思うけどね
個性というか、消去法的な見方になるけど「新日」に近い風貌やスタイルだったから
厳密にいえばやはり違うんだけど、黒タイツにジャーマンができて、腹が出てない選手は珍しかったからね
腹が出てないというより、ちゃんと脂肪がのってるというのが正解かな
馬場は胴回りが細いレスラーはあまり好きではなかったみたいだから >>539
個性はあってもヘビーでやるには小さいから売れないよね。 渕は凱旋帰国した頃にインタビューで
「バックドロップとジャーマンはほかの誰にも負けない」なんて
派手にアピールしてた。
でもバックドロップを決め技にしだすのは平成に入ってからだし、
ジャーマンにしてもピンとこないし、謎のアピールだったな… >>541
ダニー・ホッジみたいになりたいとも言ってたな。
結局、本人がそう思っても馬場や対戦相手が了承しなかったら
決め技にはできないってことなのかなと思った。 雑誌とか新聞で「渕のジャーマンはゴッチから伝授された」ってことになってたけど、実際はゴッチの所訪ねたとき時間なくて習ったのはサブミッションだけだったらしいねw
チャボ戦で出したスタンド式の逆4の字みたいな技チェーンデスロックも海外修行の土産みたいな触れ込みだったけど、会場の反応イマイチだったよね。
チャボと渕の試合は良かった。チャボの全日本の一番の名勝負じゃないかな。大仁田との抗争もドロドロしてて面白かったけど、内容はチャボと渕の試合のが良かった。 でも淵はジャーマン出したのはチャボ戦くらいで
テレビマッチの記憶では、それ以後は出した記憶ないんだよね
相手のバックは取るんだけど、結局はバックドロップにしちゃう
そのバックドロップもドリー式に比べりゃあれだけど、けっこう優しめでね
投げた後に、相手の体が九の字に反り返るようにバウンドする急角度のやつは菊池戦からぐらいかな?
40歳過ぎてから技に説得力が増すのって珍しいよね、遅咲きの典型的な選手だと思う >>544
ジャパン勢が去った後の王座防衛戦でピート・ロバーツからフォールを取ってる。 渕にとって不運だったと思うのは
大仁田があんなことになってせっかく自分に順番?が回ってきたその時期に
ちょう鶴田がそれまでの若大将イメージから
本格派へのイメージチェンジを大々的に図ってた時期で
そのの本格派への脱皮の象徴が黒タイツと
テーズ教室で直伝されたと謳う「へそで投げるバックドロップ」だったこと
当然その鶴田を差し置いて本格的なバックドロップや
同系統のイメージの付きまとうゴッチ教室仕込み(という触れ込み)のジャーマンを
渕がフィニッシュにするのは鶴田との兼ね合い上無理だったのは仕方がない
でもこの時期に全日ジュニアの看板としてチャボやセブンw
その後のキッド小林、場合によっては井上タイガーあたりも含めた相手と
ジュニア王座を巡る大々的な抗争をしなかった(させてもらえなかった)そのおかげで
後年になって>>544の方が書かれてるような
「地味だが実は影の実力者」キャラで長い間通せたともいえると思う 渕は凱旋帰国の時、
「ワンマンギャングをバックドロップで投げた」と言ってたので、(ギャングはその時点未来日だったけどマニアにはその名は知られてた)
どんな凄いバックドロップなんだろうと思ってたら優しめのバックドロップでガッカリした覚えがある。 >>536
佐山タイガーがそのまま長く新日本でやってたら三沢タイガーも無かっただろうし、
越中みたいに、なかなか帰国命令出ずだったかな?
素顔でヘビー級として凱旋帰国だったか?違うキャラをつけられたか?
馬場はどう考えてただろうなぁ〜 越中三沢でタッグを結成して
第三回のPWFタッグリーグでマスカラス兄弟と優勝戦を戦う、かな。
内容が評価されて最強タッグへ。 >>549
みんなの笑顔を見るとちょっと泣ける、この中には色々あった人も多いから余計 >>551
三沢は若手の頃から特別待遇されてたから、
良いタイミングで帰国させて、
チャンスもドンドン与えてただろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています