IWA JAPANの思い出
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キャラが豊富でカオスだった団体。みなさんの思い出の大会や選手を教えて下さい。 初見時に立ち見鉄柵の撤去を見て、自由席を買わなくなった >>2
さすがに時効だろうし書いちゃうけど
立ち見で入ったが、結局特リン席のチケットもらった
地方にて、立ち見1000円で入ったらオッサンが1人
「あと1000円で特リン」て言って売って回ってたけど誰も買わない
終盤、あきらめたオッサンは無料で配ってた
あのオッサン、たぶん騙されたんだろうなぁ(遠い目) ちなみにそのとき、リング撤収のバイトを募集したので参加した。
報酬はIWAグッズとのことだったが、それはその興行のポスターに
選手がサインをいれたものだった。
当たりはテリーファンクだったりもしたようだが、
困ったことにおれのもらったポスターにはサインが入ってなくて
アピールしたら相手も困りだして(困ってた人々の1人は市来)
「もうここには田尻選手(当時若手のTAJIRI)しかいないです」と言い出した。
その日の試合みて一目ぼれしてたのでむしろ喜んでたのだが、
家に帰って確認したら、サインはそのとき応対した
菊池リングアナ(現ドラゲー)という舐めたものだったので
その後引っ越しの際に捨てたw カクタスが参戦してた時代に観に行ったなぁ
近くにコンビニすらない地方のド田舎だったけどカクタスもレザー(2代目)もサービス精神旺盛でちっさい子供の相手してたり微笑ましかった
カクタスTシャツ買っときゃよかったといまだに後悔してる 作られたエースだった荒谷
それでも金村との試合はいいなとは思った 俺が観に行った時は荒谷離脱後松永登場前
…中牧がエース面していやがった カクタスの川崎大会のボーナスがコーラてのが泣ける。
神風が名前バラされ、大丸山コールには苦笑い。 カクタスの川崎大会のボーナスがコーラてのが泣ける。
神風が名前バラされ、大丸山コールには苦笑い。 屋外の砂利敷広場だったので
中牧のジェットマグロに少々おどろいたな
でも後で、中牧が試合前に常に痛み止めを飲んでたという話
(ほんとかどうかは知らん)を聞いて、
だったら悪い意味で、ただのバカじゃん と思った 晩年の古の外人路線が好きだった
ドゥガン、バーバリアン、ウインダムにサインもらえて喜んでた
テリーテイラーも渋かった ボブ・バライゲルは筋肉隆々で、バク転2連発決めたりして
凄かったけど、逆エビ固めであっさり負けてたな。 ビデオ安売王で売ってた、一軒家破壊デスマッチ買って観たけど、
イマイチの出来だったな。 >>6
後にWARでも、さらには全日本でも
エースとして持ち上げられようとしてたよな
荒谷には、周囲に期待させる不思議な力でもあるんだろうかw 日本じゃジョバーで地味だったマイク・ロトンドだったけどIWAの引退試合じゃ
紙テープがめっちゃ舞ってた ジャイアントキマラ2号が最後に来た所。その後どうしてるんだろう? アニマル・バリーウィンだム・マイクロトンド・テッドデビアスが
片田舎に来て凄かったな。 そんな荒谷がIWAを離脱するときに
不甲斐ない中牧に見切りをつけると言うアングルか組まれたけど
実際に裏で何が起こっていたかが気になる
中牧と小野が引退をかけて戦った試合は
小野が普通に足を洗いたいだけだったってわかるけどww 90年代にかつての全日本のビッグネームと後のWWEのビッグネームが参戦して
ゼロ年代にかつての全日本のビッグネームとかつてのWWFのビッグネームが参戦して
今思えば凄い団体だったなw ・W★ING後継デスマッチ時代
・ターザン後藤インディー世直し時代
・金六バラエティー時代
大雑把に分けるとこんな感じかな? オトコはつらいのよってDVD見た人っている?
映像で見ると浅野社長のセリフがかなり噛み噛みらしいみたいだけど。 >>23
VHSの時代だったけど、面白かったよ。
ターザン後藤は、声も通るし、コントが上手かった。 アメリカじゃメジャーの第一線で活躍したレスラーが
片田舎の弱小団体にゲスト参戦するのはよくある事だけど
日本のリングの場合だと、さすがに異次元感が違った
10年前はVHSの中の存在でしかなかったのに... >>15
元力士というアスリート実力があり、若いという時点で
インデペでは群を抜いた逸材だったと思うのだが 古の外人路線のころ、ジョニー・スミスも参戦する予定だったんだけど
心臓病だったかで来日中止になってそのままフェードアウトしちゃったんだよな。 荒谷には期待したのにお笑いキャラになったのはガッカリした
しかもちっともおかしくねえし なにが館長に浣腸だよバカ
体重増やして天龍の後継者になろうとしていた頃には期待してたのによ
強くなるのを諦めやがって >>22
俺的には単純に
キニョネス時代、山田時代、金六時代だなぁ
山田時代のカブキが好きだったりもするw 食堂でコントしてた印象しかないやw
週プロでしか見ることがない団体だったけど印象に残っているだけマシなんだろう >>33
食堂でコントwww
一宮がニセ花膳を作ったと聞いて
金六さんが駆けつける話、何でみたんだろ
すごいインパクトだったような UMA軍団とノアとの対抗戦でノアだけはガチみたいな
痛い客が本物の対抗戦みたいな態度で
観てたという観戦記が辛かった
普通に仲良しの団体だという知識すらないのに
ノアのファン面してるのもどうなの カブキ引退前は山田、松田対カブキと重鎮のタッグが多かったね
カブキ、ナガサキ組とか超渋かった ちょうど金六時代にWWFでは
ビンスがリングに登場してオースチンと抗争してたんだよな
フロントがリングに登場するアングルは今では特に物珍しいものじゃないけど
当時は凄い新鮮なアングルに思えた
それまでは、レスラーとフロントは完全に切り離された存在だったからね
後にFMWがマネして見事にコケたけどw 某レスラーに聞いたけど金六さんは
ギャラ取っ払いで助かったとか 金六さんの名言
「小さな親切、大きな下心」は
もっと有名になってもいいと思うんだ 「もう一度だけで、良い。夢を見させてあげたい。一生懸命な、男たちに。」
こう題した、白黒1ページのコラム。
俺が週プロを読んだ中で、一番感動した記事。
書いたのは、鈴木健だったような気がする。 うろ覚えだけど、5周年回顧録の副題がついていたような気がするから、
1999年の5月前後?
間違ってたらゴメン。俺ももう一度読みたくなったから、可能な範囲で
探してみるよ。 何百冊の週プロの中から、運良く割とすんなり探し出せた。
No.911(1999/5/4)
書いたのは小島記者だった。菊池リングアナとの電話が胸に響いた。 >>45
ありがとうございます。探して読んでみます。 >>48
47の写真2枚がその記事です。
スマホからでも、写真を拡大すれば読めますよ。 >>49
よく見たらそうですね。何から何までいたみいります。 読みました。いい記事ですね。当時を思いだしました。荒谷が野心家で川崎でもエースでいたらどうなってたか。
荒谷がバルコニーダイブで頭から突っ込んでったときは大熱狂しました。
熱い時代だったのを思いだしました。 >>51
想いを共有できて、嬉しく思います。
当時の週プロの記者は、取材するだけでなく、インディ団体の
ブレーン役として、マッチメイクなどの企画に意見を出せる
立場にいたので、担当団体に対する思い入れが強く、小島記者も
このような記事が書けたのだと思います。
結果的に、もう一度「夢」を見る事は出来なかったのかも
知れませんが、金六劇場などで後楽園を満員にし、地方巡業も
行い、それが出来なくなってからも新宿フェイスを拠点に
細く長く活動し続けたのは、浅野社長をはじめとする
「一生懸命な男たち」が出した成果だったように思います。 IWAのウインドウクラッシュデスマッチのガラスはガチ IWA時代の山田は不遇だったな。ずんぐりした体型で、顔も地味。
キャリアも浅く、カブキに対抗出来る実力もなく、社長にされて
リングを降りても大変だっただろう。
IWA離脱直後は、当時隆盛だったJWPで第0試合をやらせてもらい、
リングを汚した?か何かでヤマモに怒られて、謝りながら自分で
掃除した事もあったらしい。
それだけに、大阪プロレスでブラックバッファローてして活躍
してるのを観た時は、感慨深かった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています