1990年の新日本、全日本
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
剛と高杉のレベルの低さに新日登場は場違いだと思ったね。 松戸大会で川田がウイリアムスのバックドロップ喰らったとき
場内一斉に悲鳴があがって総立ちになったな >>669
あれはテレビで見たからよく覚えている。
93年頃からのバックドロップドライバーと言われていたやつと
遜色ない角度だったな。川田が2で返したのにはまた驚いたが。
メインがハンセンvs三沢の三冠王座決定戦で
渕vsピート・ロバーツという渋い世界ジュニア戦もこの日だったはず。 >>671
川田が2で返したときの場内の盛り上がりは今でも覚えてるわ
普通に取り返しのつかないことになったと思ったからね
ちなみにセミが鶴田、カブキvs小橋、田上だったけどOAされてない >>672
千葉、船橋、松戸は日プロ時代からのプロモーターがいたのはさんざん言われてる >>669
直前で川田がウィリアムスにバックドロップと囁いてるの入ってるんだよな この年の最強タッグには、木村、井上組、スレーター、ディートン組やファーナス、サンタナ組など、まだ渋いところが参加してたね
リッキーサンタナはクロファットの代替だと思うが… サンタナがW★INGでアイスマンになったと知ったのは
ずいぶん後になってからだった。 >>676
スレ−ターはこれが最後の全日参戦でその後はWARやIWAジャパンと
インディーを主戦場にするようになった。 選手が引き抜きなどで少なくなったこともあってか
ジャイアントシリーズあたりは地方でも普通に
三沢、川田vsハンセン、スパイビーや鶴田、田上vsゴディ、ウイリアムスが行われてた ノートンは90年暮のシリーズに初来日。
それで衝撃的なインパクトを残した。
ちなみにこのバトルファイナル90はノートン初参戦でウイリアムス最後の新日参戦。
ノートンとウイリアムスが重なっていたという意外なる事実。
絡みはなかったが。
ウイリアムスは全日(日テレ)との絡みが原因か?テレビには全く登場せず。
まあ短期間のシリーズだったが、ファンは一日にノートンとウイリアムスを見られた。
初来日で衝撃的だったノートンの方が注目されただろうが。 >>679
うちの地元も大量離脱後、メインで鶴田、田上対ゴディ、ウィリアムスだった。
しかしやっぱり田上では荷が重く、鶴田のオーが6回も出てやっと盛り上がった 1990年の時点では川田と田上の格的に
地方で組んでもおかしくないカードだったと思う。
90年から92年にかけて一生懸命2人の格上げをしていたような。 折原が全日離脱しなかったら、菊地以上にくちゃくちゃにされる存在になってたのかな〜 >>682
三沢川田が殺人魚雷に初めて勝った時は感動したわ 一瞬金沢だろ…と思ったが91年の5月頃だったか
札幌でやったノンタイトル戦で勝ったんだよね。
三沢がウィリアムスからタイガードライバーでフォール勝ちしたような。 金沢は2月の世界タッグで三沢が場外パワーボム食らったやつじゃない? 三沢がゴディ倒した時の武道館って、そのシングルがメインだったっけ?
三冠戦はなかったのかな? その日のメインは鶴田、田上対ハンセン、スパイビーだったような
田上の不甲斐ないファイトで水を差されたようなことが書いてあった この年も札幌でやってるけどイマイチ盛り上がらないまま
川田がゴディにフォールされてる >>688
メインがハンセン&スパイビーvs鶴田&田上の世界タッグ。
セミが三沢vsゴディ、その前が川田vsウィリアムス。
あと馬場&木村&渕vsブッチャー&キマラT&キマラU。 小橋成長の一年だよね。メインの三沢軍vs鶴田軍の6人タッグでムーンサルトでM井上からフォールしたり 90年はデビュー2年で三沢タイガーとアジアタッグも獲ったっけ。小橋が胸を張ってメインイベンターって言えるようになったのって、やっぱり93年くらいかな? SWS旗揚げ2連戦の裏で全日の静岡、後楽園大会があったね
小会場ながら全力で戦う全日に対してSWSは…みたいな中傷記事を当時の週プロで読んだな〜
今思うと酷い話だな… >>693
・七番勝負
・アジアタッグ奪取2回
・クロファットにシングルで勝利
・タッグで井上、渕をフォール
・最強タッグ出場
この年の主な実績はこんなところかね。
大量離脱前から推されてはいたが。 大量離脱で推しが早まったのと強まったのは有るとは思う
無かったらもう少しゆっくり育てたと思う 8月の両国は何気に馳が健悟超えした日だった
勝った馳組にはもちろん大歓声で逆に負けても客に手を上げてアピールする健悟には
ものすごいヤジがとんでたな
俺の隣にいた鶴見五郎にそっくりなオヤジなんか
髪染めてブロンドに入っちゃえって叫んでたわ
闘いのワンダーランドで見たかったけどOAされてなかった >>699
覚えてる。いい試合だったよね。これから馳健はノシ上がっていくんだなあって希望に満ち溢れてた。
ただノシ上がるペースが少し早かったかも。11月にはもうタッグ戴冠だもんね。 馳は死にそうになってから黄色タイツになってブレイクしたかんな。
健介と組んで二人でブレイクと。
でもスタイナー兄弟には結局は勝たせて貰えず。
またベイダー、ビガロ、ノートンクラス相手には厳しかった。
でも新日はこの二人を売り出してたがね。 馳バックドロップ→黄色パンツ→馳健タッグ→ヘルレイザースで健介とお別れ
って同じ年? ハンセン、ウィリアムスから見たら、四天王はガキだろうから、、、
寝るように説得した、渕やマイティ、ジョーの功績はデカイ。 >>704
四天王がトップになったら寝るのは普通だろ。
トップ相手に寝なかったら、団体が成り立たなくなっちゃうじゃん。 >>702
《90年》
馳バックドロップであわや死去→黄色タイツ→馳健タッグ
《92年》
ヘルレイザーズ結成。
その前の91年夏に健介はガチ怪我で半年以上の欠場。
ここで馳健は事実上終了。
その後92年に健介が復帰しても本格的に馳健が組む事はなかった。
馳は武藤、健介はヘルレイザーズと。 >>700
この興行はハズレ試合がなく全体的にいい雰囲気だったね
パイオニアの板倉も最初は失笑されてたけど三本目あたりからその頑張りに
声援されるようになったしね
セミのタッグ選手権もブルーム、イーノス組が頑張っていい試合になった
ブルームがSTFをエスケープしたときは凄い盛り上がった ハル薗田が全日に残ってたら鶴田軍の参謀役でブレークしたと思う
鶴田、薗田vs三沢、川田とか何気に面白かっただろうな 鶴見も人手不足で、ちゃっかり日本陣営に。鶴田・鶴見の友達タッグもありそう >>695-696
ターザンが馬場とくっついていたころだな。
今も馬場のことをさん付けしているのはターザン信者だろう。
>>699
健吾のパートナーは誰? 鶴田、カブキ、薗田、鶴見vs三沢、川田、田上、小橋
渋すぎてたまらない
また高野が離脱してなかったら鶴田のパートナーに抜擢されてたかも 高野俊二jといえばこの年の初めにゴングのスクープで全日離脱と報じられてたが、
翌週に巻頭で誤報の謝罪をしてたな。
あれは何だったんだろうか? 高野俊二はこの年のスーパーパワーシリーズは確か開幕1、2戦だけ出て欠場してしまったが、あれは怪我が理由だったのかな… 高野田上仲野vs小橋北原菊地だったね
高野と仲野は心ここに非ずって感じだった。もう離脱を決めていたんだろう 名古屋レインボーホール(現:日本ガイシホール)独特の音楽の響き方が好き。。。 >>717
入場のときも仲野と田上は走ってきたけど
高野だけ二人から離れてゆっくりリングに上がって
実況の福沢から燻しがられてたな
こういうシーンが見れたりするから
夜中に特別放送されたはみだしプロレスはありがたかった 仲野はアジアタッグ取ったけど退団しちゃったね…
ザ平均点っていう感じで好きなレスラーだったので、全日にそのまま残ってほしかったな〜 あの話はどこまでマジなんだ
どうも尾ひれつきまくってるような気がしてならない あのドロップキック、わざとなのかアクシデントなのかはわからないけど復帰戦の阿修羅も伸ばしてるんだよな 鶴田、天龍対谷津、仲野だったよね
長州、輪島に追いやられてセミ前に組まれてたなぁ〜 >>719
はみだしプロレスあったねえ。
でもあの日のシン、鶴見ーブッチャー、スカルパは何故か放送されず。
未だに謎だ。
あのお笑いコール、シンシン七拍子等が原因で放送されなかったのかな?
あの日の一番見たかったカードだったのに残念。
また札幌でのシン、鶴見ーブッチャー、ロスも放送されず。
今は動画で見られるが。
結果的に放送されたのは武道館のシンーブッチャーのシングルのみ。
三沢がマスク脱いで急展開な状況だったからシンとブッチャーの抗争は外された?
でもハンセンとゴディ、ウイリアムスの戦いもありあのシリーズは熱かった。
また見所が沢山あったねえ。
大量離脱のダメージを感じさせず。
大量離脱はこのシリーズ終了後か。 武生市体育館の世界タッグ長い試合だったけど
なんか暑さもあってか終始重苦しくあまり盛り上がらなかった 殺人魚雷コンビ結成以来初黒星を付けた試合ではあったが
ハンセンの乱入があったり直後にカブキはSWSに行ってしまったり…。 まあカブキの試合自体が面白くないしな
当時の試合時間長くして激戦に見せる戦略を
こんなファイトスタイルに幅のない選手に割りあてるのは無理ありすぎる >>730
>カブキの試合自体が面白くない
カブキ曰く「昔は、俺たちレスラーが客に
プロレスの見方を教えていた」←俺、カブキから
プロレスの見方を教わった覚えはない!
また曰く「今(2000年代)のレスラーは
客に媚びを売っている】←汚いペンティングに
毒霧吐いて、自分の胸を叩いて音を出すパンチの
方がずっと媚びを売っているよ!www
売らわせてくれるなww
俺は、隣のテーブルで聞いて、吹き出しそうになったが
そういう話を、関心しながら聞いているカブキオタクは
どうなんだろ?
こいつらが「そうですよね!そうですよね!」と同意するから
カブキは自分のいうことが正しい(多くの人が賛同してくれる)
と勘違いして、ムック本に書いて大顰蹙を浴びたんだよwww 佐野が新日に残ってたらペガサスのブレークはなかったかも 今思うと新日の中継にキューティーがゲストで出たの意味あったのかな? 当時どこの女子プロ団体でも地方興行に行くと
「今日はキューティー鈴木出ないの?」って聞かれたそうですよ キューティーは新日の90年12月の浜松大会だね。
ゴールデン放送に合わせて呼んだのだろう。
武藤×シンでは二人とも大きいですねえとか。
斎藤×ニックでも斎藤選手の筋肉凄いとか。
素人娘みたいなコメントばかりだった記憶がある。 >>739
小鉄がジャパ女のコーチだったからそのルートからだな。 ジャパン女子で小鉄氏の指導を受けて
尊敬していると語っていたような。 キューティー、武藤vsシンのときは武藤のファンなんですよねと辻に言われてたな。 >>742
プロレス総選挙の時は橋本を推していたけどなW >>738
昭和の頃は、新日の会場で
「今日は馬場さん出ないの?」と尋ねる観客もいたそうだ。
逆もある。全日の会場で「猪木は出るのか?」と。
俺は全日の横浜文体で、「うおおー!猪木!!」と
叫びながら、入場してきた男に遭遇した。
無論、ロビーは凍り付いたが。 新日、全日ベルリンの壁が崩壊した記念すべき年
ドームに鶴田が登場してカブキを筆頭に全日の選手が多数セコンドで
現れた時は興奮したな〜 >>725
5/14東京大会は朝までスポーツ?で全試合放送されたのではなかったかな? >>744
当時メインで猪木しか出てこないと
非常に違和感があって、なんだか物足りなかったな
馬場が出てこないと最後の〆が奪われた感じだった
長島が引退して王一人が頑張ってる姿を見る時も同様だった >>744
そのころから、馬場にさん付けするキチガイ信者がいたのかよ? >>748
さん付けしただけで信者扱いするお前の方がキチガイ。 >>748
ただ昭和時代は圧倒的に馬場くんって呼ばれていて馬場さんというのは少数派だったね。あの当時はジャイアント馬場くんを○○させる的なイベントがあったし。 >>746
よりによって低調に終わった東京大会をほぼ全試合やったんだったな
タイガーがマスク脱いだときに初めて盛り上がった ディストラクションクルーって
蝶野をロープに引っ掛けて、馬跳びヒップドロップやって割りとキツい技だなー
って思いながら当時テレビで見てたけど
解説の小鉄が
「僕らはこの技を相手を裏と表、両方にやった」って話しててヤマハって酷いなと思った。 >>752
腰痛で欠場中の藤波がゲスト解説で、この攻撃は見てるだけで脂汗が出てくるみたいなことを言ってたねぇ >>752
あれ食らった直後から蝶野が不機嫌になって相手の二人を蹴りまくってたけど
あの頃からヤクザキックとかケンカキックとか呼ばれるようになった気がする >>754
日米レスリングサミットの後の橋本インタビューで、橋本が「あれはヤクザキックだ」と発言したのが最初だと思う。 >>754
ヤクザキックの起源は日米レスリングサミット後の週プロでの橋本のインタビューだよ。
立ち上がりぎわに蹴ってきたんで、「ヤクザキックだよ。あんなのは相手を怒らせるだけなのにな。」
というようなことを言っていた。 90年頃から本格的にプロレス熱復活した人は多そう。
冬の時代から一気に熱い真夏に。
猪木や馬場が一線を退いても凄い盛況だった。
特に新日と全日は盛り返した。
その相乗効果で大仁田まで向上という最悪な現象もあったが。
全日は全日で天龍等大量離脱で団体崩壊の危機に直面するも三沢のお蔭で窮地を脱する。
窮地を脱するどころかそれまで以上の大盛況。
嗚呼 あの頃に戻りたいわ。 >>746
シン組とブッチャー組のタッグだけ放送されず。
隠し撮り貰って何度も見たが盛り上がってた。
遅すぎたとはいえシンとブッチャーの対決だからね。
放送するべきだと思ったが。 >>759
90年4月のNKホール行っておいて良かったと未だに思うときがあるな〜
セミの試合後のベイダー、ビガロが観客席で大歓声を浴びてたのとメインの武藤のリングインの時の会場の期待感は忘れられない! >>763
キチガイを信仰する奴なんかいるかよ、キチガイw >>759
ちょうどこの年の頭に高校受験で
89年度はほとんどプロレスが見られなかったから
1990年のプロレスに関しては今でも結構よく覚えている。 >>760
スカルパめっちゃ弱かったけどいい味出してたな
武道館でもブレイクダンス披露して盛り上げてた >>766
スカルパはジュニアでの活躍に期待された記事があった。
この開幕戦ではシン、ブッチャー、鶴見と大型ラフファイターの中でも
軽量ながら自身の持ち味、身軽さを発揮していた。
まだ若いし、次回の来日ではジュニア枠で本格的にタイトル挑戦も面白そう。
こんな記事があった。
しかし結果的にスカルパが来日したのはこの一回のみ。
新日にもインディーにも来日せず。 先日ディズニーシーに行くのにリゾートライナーに乗ったら
NKホールがまだ取り壊されず残ってた
新日が買い取って常用会場にすればいいのに 1990年の全日本プロレスは最大のピンチ到来だった年だった。SWSの旗揚げにより大量の選手とスタッフがいなくなり団体の存続も危機に陥っていたから。
しかし皮肉な事に全日本は残った選手の活躍で団体は盛り上がりを見せ、逆にSWSはパッとしないまま2年持たず崩壊したんだから、分からない者だよね。選手削減が功を奏したって感じ。 >>772
とこが?
お前こそ語学力無さすぎなんだよ。
SWSの旗揚げで全日本が崩壊危機に陥ってた事実を知らない輩は黙ってろ。 >>774
キレすぎワロタw
わからないならいいよ別にww 語学力(笑)あるやつが「とこが?」って何だよっていうw
大口叩いてるんだからせめて確認してから書き込めよ たまにむちゃくちゃ文章力のない奴がいるよな。
中卒なのかなあ。 人に読ませるのを前提に書いている以上、
自分だけが理解できる文章では駄目だと思う。
俺自身も極力気を付けているつもりだけども。 いや、、
>>771が書いたことなんか
もう皆、知っているから、
それをさも、自分だけが気づいたように
今さら、ドヤ顔で言われてもなぁ。 細かいことを言えば
「到来」って、「チャンス到来」とか
気運が向いてくることで、
「ピンチ到来」とは使わないと思う。
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/157050/meaning/m0u/
ただ「最大のピンチの年だった」の方がスッキリする。
また772に対して指摘するなら
「語学力」より「読解力」ではないか?
別に英語で書いているわけでもないし。
>分からない者
↑は、単なる変換ミスだろうがね。 90年は大量離脱があってか川田の格上げが目立ったな。
アジアタッグレベルから世界タッグに絡めるまで(挑戦そのものは91年だけど)。それこそ三沢以上に押されてた感じ。
7月松戸でのウィリアムス戦なんてフライングボディアタックを叩き落とされたくらい格下扱いなのに、年末の最強タッグでは優勝候補の一角になってたし。 6月の川田と小橋のシングル戦で正直小橋が川田を追い抜く為に
組まれたカードだと思ったわ
元々フットルース好きだったから川田が勝って嬉しかったよ 結果論だけど、全日は鶴田、三沢、川田、小橋が残って本当良かったよね >>783
ファン感謝デーの時かな。
メインが鶴田&カブキ&渕vs三沢&田上&菊地でセミが川田vs小橋。
大量離脱なうという状況下だったから全5試合とちょっと寂しかった。 馬場スリンガー×井上寺西、興味深いカードもこのファン感謝デー? >>786
馬場が大一番にしか出さないジャンピングネックブリーカーを
寺西相手に出したんだったな 小橋建太は異例のスピード出世だったが、
スタハやテリゴら外国人からも評価高かったし、
ジャイバも寵愛してた 川田が週プロでスコットザボディはオレの蹴りで泣いていたと語っていたのを見てたので、後のレイヴェンを素直にカッコいいと思えなかったなぁ… 川田は海外遠征の時にハーリー・レイスやショーン・マイケルズとも対戦経験があるみたいだね >>790
「怒って控え室に殴り込んでくる奴もいるし、泣いて帰る奴もいるし。
最近では誰が泣いて帰ったかなあ。スコッティ・ザ・ボディかw」
というのはインタビューで言っていたな。
あのシリーズはザ・トルーパー(パトリオット)が素顔で来日したりもしたな。 >>792
ちなみに怒って控室に乗り込んできたのは
クラッシャーブラックウェルとフィルヒッカーソン
88年の最強タッグのときだね >>788
寺西相手に馬場が負ければ最高に話題になったのにな。 6対6の時やらなかったシングルマッチ、観たかったな。 馬場が日本人レスラーにフォールを獲られたのが
天龍、三沢、寺西www
コーヒー噴いたwwwwww
ちなみに猪木(新日旗揚げ後)は藤波、長州、マサ、天龍
これで合ってたかな? >>796
エキシビション込みなら、
山田&船木、滝沢 寺西…。
最後の大一番がこの年の3月頃だったか
天龍&川田vs木村&寺西。テレビマッチのセミファイナル。
ゴング直前にラッシャーが天龍に毒霧を噴いた試合といえば
覚えている人は多いのでは。 >>799
この試合、急にラッシーが天龍に絡んで違和感あった >>800
伏線としては前年の最強タッグかな。
馬場がリング下で寝ている間に
一人でずっと龍艦砲にやられ続けていた。 >>804
マイティ、渕らも天龍に硬くなってた。
マイティは秋田でリングアウトかち マイティはフットルースと天龍相手だと本領発揮してたな この年の頭は
天龍&川田&冬木vs鶴田&カブキ&井上
みたいなカードが多かったように記憶している。 カブキ入ってるとガッカリしたわ
あいつ何一つ面白くない
まだ高野とか高木のほうがマシ 新日は前日長州と三銃士らが対戦したと思ったら次はタッグ組んだり曖昧だった 武道館の長州vs橋本の直前の大会でも長州&橋本とかやってた気がする
当時はブロンドアウトローズぐらいしかユニットなかったから色々曖昧だったよな >>808
カブキより、渕、マイティ、寺西の方が、技も組み立てもよかった >>811
渕とマイティは対超世代でも大活躍だったな マイティ井上のvs超世代軍はおおむねこの年までだったな。
91年からは小川が鶴田軍で使われ始めたので。 いつかの後楽園TVマッチのメインが鶴田井上vs三沢川田で、
三沢がタイガードライバーで井上からピン取ってたのを覚えてる。
まだプロレス見始めの頃だったけど、井上のサマーソルトドロップで失笑が起きてたのは忘れられん。
そもそもマイティの決め技って何だったんだろう? 三銃士、四天王の中で
練習量ベストを決めたらどんなランキングなのか?
週プロでは小橋、川田が群を抜いていたみたいなことが書いていたが。 飯塚は海外に行く前のこの頃の方がいい試合してたと思う 武藤も未だにあの体型をキープできてるので、練習してそう >>130
妥当だね。
馳健は間にヒロ、マシンにまでベルト取られて…。
でも取り返して
スタイナー兄弟との試合は
真剣に見ていた。 スターケードでスタイナー兄弟が戴冠したことで、タッグ王座に箔がついたと喜んだファンは多かったろう。 >>816
三銃士はナマクラ、みたいなことはよく馳だか健介だかが言ってたような
でもワーストはぶっちぎりで田上でしょうね >>816
小橋=川田>武藤>>三沢>>>>>>橋本>蝶野=田上
でも力の強さは田上が1番なんだよな
ちなみにプロレスセンスは
川田>武藤>三沢>蝶野>田上=橋本>小橋な
異論は認める >>823
橋本より練習嫌いな蝶野が笑えるし
有り得る。
普通は武藤、三沢なんやろけど、
オブライト、高山、健介あたり
大事な試合を、きっちりやるとこと、
やはり90年のスティーブの垂直落下式バックドロップを一番最初に受けた
試合や高野俊二にジャーマンしたあとに前歯折ってしまう危うさも魅力的やね。 マイティは天龍同盟との戦いで、1シーズンくらいプッシュされた。高木功も。 このシリーズは全日にしては珍しく天龍を巡ってストーリー性があった
テレビ放送でのラストの天龍のセリフ
何も話すことはないのテロップがカッコよかった ド深夜に左遷される間際の
日テレ制作側の悪あがきだなー 天龍包囲網…カブキ、マイティ、木村、寺西、百田あたりを敵にするとうるさいだろうな。 >>830
新春ジャイアントシリーズではまさに、渕、マイティにやられてた 天龍包囲網は燃えたな。
まさしく戦国の信長包囲網と被ってたからなぁ〜。 >>833
前年まではジュニアチャンピオン
まあ、無理があったが >>832
おれは今さら井上かよって思ったけどね。 このシリーズの豊橋がどっかで
谷津、田上対ブッチャー、コロフ
の昭和っぽいカードが組まれてたね >>838
コロフはあの当時で50超え
なんで呼んだんだろ
高木推しの謎シリーズ >>839
馬場「ソ連のプロレスラー、うちにも欲しいな」
馬場「もしもし、馬場です。ソ連の選手をブッキングしてくれないか?」
ブレアース「オーッ、マカセテクダサーーイ」
イワン・コロフ来日。 >>839
天龍が昔世話になったとかでそういった事から呼んだみたい。 >>842
天龍対コロフのシングルで天龍がコロフの喉元に天龍チョップしたときに、こいつ何すんだよみたいな顔して痛がってたなぁ… >>838
田上じゃなくて俊二ね
試合後のブッチャーが引き揚げるときノリノリだった 89年の闘魂シリーズからこの年の新春シリーズまで
ブロンドアウトローズが輝いてた
正直浜口とマシンが加入して何かアレ?って感じはした >>846
ヒロ、保永、後藤の三人で暴れてた頃が
一番自由にやってる感じがして良かったと思った。 >>842
>>844
その前年のドンムラコも天龍が世話になったから呼んだ
こっちは天龍チョップを涼しい顔で耐えて沸かせたけど
半年後の再来日では前半戦天龍が欠場してて手の合う相手が
おらず失速 長州がヒロを気持ちよくブレーンバスター決めてたわな NGKでやったブロンドのトークショー生で見たけど
9割方浜口が喋っててラストにそれまで一言も喋らなかった保永に
MCが話振ったのに浜口が横から割り込んでしまい微妙な空気で終わったな >>848
ドンムラコといえば後年、WARにマスクマンの赤鬼となって参戦したけど
これも天龍が呼んだのか ドムラも89年にちょこちょこ全日本参戦したけど、
扱い悪すぎ >>852
新日のMSGシリーズに来た時よりは良かっただろ。 82年のMSGシリーズには赤鬼・青鬼が揃って参戦してたのか。 >>705
ブロディは馬場すら寝させて自分はほとんど寝てなくね?www >>839
高木はあれほどのしょっぱさで何故プッシュされたのかねw
元力士であれさえすればみんな売り出してもらえるという決まりでもあったのかって程 鶴田の日本武道館 メインのシングルマッチの初勝利って9月の三沢戦?
だとすると天龍や三沢よりも遅いんだな >>859
言われてみれば。勝利ってだけならこの年の3月に。メインってだけならブロディとも天龍ともあるけどね >>860
鶴田の武道館初メインは77年チャンカー決勝の馬場戦。 この年に復帰したばっかの藤波にIWGP獲らせたのは正直無理があったな
それだったら武道館で橋本に獲らせた方がまだ良かった
まあ橋本は結局長期欠場するんだけどね 90年のアジアってかなり激動だな
年始はフットルースが持ってて、
3月にカンナムが奪い返すも、
4月にタイガー(三沢)小橋が奪取(小橋はこれが初タイトル)、
しかし5月に三沢がタイガーのマスクを脱いだ事もありすぐ王座返上、
6月に次期王座決定戦を行って密かに仲野田上が奪取(相手はDBスミスJスミス)したものの、
7月に仲野がSWSへ離脱して再び空位(ついでに冬木も居なくなったからフットルースもアジア戦線から完全消滅)、
9月に再び王座決定戦が行われるが(この時クロファットの怪我によりカンナムも戦線離脱)、最終的に小橋エースが奪取(相手はファンタスティックス)
色々ありすぎた年だなあ
9月の決定戦はカンナムが離脱してなかったらどうなってたのかな
少なくとも決定戦はファンタじゃなくてカンナムとの試合ブックにはたってたんだろうけど
ファンタスティックスって、この時だけじゃなく5年後にカンナムがアジア返上して行われた決定戦でも秋山大森のカマセとして決定戦やらされたんだよな
便利屋として一回もタイトルなしってのはなんかかわいそう
ディートンブラックでさえ一時的とはいえ奪取した事の方が謎だしw
ジュニアも渕にあんな持たせるなら一回トミーロジャースに獲らせても良かったと思うんだがね 密かにピート・ロバーツの世界Jr戴冠を期待してたのは俺だけかな?
地味ながらグラウンドテクニックにたけた職人っぷりが好きだった 大会場ラッシュの新日だったけど、釜石小川体育館大会がテレビ放送されたときは地方感が出ててよかったなぁ
マサ斎藤対ウイリアムスは懐かしの両者リングアウトだった >>864
ロバーツと淵の試合は小学校低学年の俺には難しすぎた >>857
シングルでは馬場に二回寝てるし、
ブロディ存命時はまだ両リンが通用した時代だから。 新日の浜松アリーナは、シン!、に始まり、ハセ!、マシン!コールに笑った。 >>867
馬場に寝るならわかるけど、もしブロディが生きてた場合あんな急に格上げした四天王には寝そうな感じはしないんだよなw >>871
ハンセンが寝ればブロディだって練るだろ。 でもその当時でブロディもすでに42だからなあ
超世代軍とかが台頭してくる頃には44〜45だぜ ブロディって自分より身長低いレスラーに寝たことあるのかな この年にブロディがいたらハンセンとシングルやって
試合後健闘を称え合ってタッグ結成して
最強タッグ優勝という流れだったと思う >>867
二回寝たといっても一回は三本勝負で反則含みの2−1だから
ピンフォールカウントはイーヴンで
もう一回は数日後にあっさり星返してもらってるけどな >>876
ブロディに改名してからは
ブルーノ、本家ブルーザー、レイス、フレアー、カブキ、ブッチャー、コロンなどに
負けてるな
ブルーノ、ブルーザー、レイス、フレアー、コロンとはNY、インディアナ、カンザス
ノースカロライナ、プエルトリコと相手がエースのホームグラウンドで負け
(セントルイスでは逆にフレアーに勝ってるし、日本でも中継されたNWA戦でも優勢)
カブキやブッチャーは彼らがダラスのトップヒールだった時と、基本的にトップクラス
相手でないと寝ない >>879
うおー、凄い詳しい…ありがとうございます
ブロディ自身が寝るに値すると考えてたレスラーは、体格どうこうではなかったということですね
ついでに聞いてしまうと、その中でブロディのピンフォール負けはどれぐらいあるんですか? >>874
ハンセンより3歳上のはずだから
この年に存命だったとしたら44歳かな。
ある程度馬場の要求を飲まないと
自然にフェードアウトしていく流れになったかも。 >>879
いや、フォール負けだけをあげたんだよ
しっかりその辺まで書かれてる物だけを収集してたからね
海外サイトの内容書かずただ「win」「beat」などと勝敗だけ書かれた記録は
膨大すぎてちょっとリストアップしきれなかった 結局ブロディに勝ちブック飲ませられなかった新日はどこかで交渉間違えた
としか思えないな
WWFではエキビションとはいえモンスーン相手に逃げ出す役を引き受け
AWAでは二流か良くて一流半レスラーのバディ・ウォルフ相手に見せ場作るような
試合までOKしたアリとまともな試合組めなかったように ハンセン、ブロディvsゴディ、ウイリアムスとかすげぇ試合になっただろうな 対ウォリアーズや対アンドレ・ホーガン組とか見たかったなぁ ハンセン・ブロディ対ロードウォーリーアーズは、ブロディが拒否反応しなければ実現したんだけどな。
ハンセンとウォーリーアーズはAWAでやってる。 https://www.cagematch.net//?id=1&nr=3220
AWAタッグ選手権だがNWAのイベント
83年にジョージアでリッチと組んで対戦したこともあったはず まだハードゲイみたいな格好してアニマル、ホークじゃなくロードウォリアー1号2号
だった頃ならジョージア時代に対戦してあっさり負けてるが
これはレオンホワイト時代のベイダーがハンセン・ブロディに惨敗したようなもんで
話に持ち出すのは野暮だな >>879
コロンもプエルトリコではフレアーから非公式ながらNWA世界ヘビー級を奪取したり、レイスと60分フルタイムやったり、
ハンセン、ブロディ、ブッチャー、ファンクスに勝つ絶対的ベビーフェイスだもんね。
日本では、タイガー、谷津にピン負け、石川や仲野と両者リングアウトがやっとだが。こういうもんだね。 コロン石川戦、テレビ生中継でしぶとく両リンだった。 >>882
後追いなのでブロディがここまでピン負けしてるのは意外でした、書き込みありがたい 確か7月の静岡産業館のテレビマッチが松田初登場だった気がする
ブロンドとの8人タッグで >>894
木村と組んだ1月のタッグトーナメント出なかったけ?
エキシビションなら89年両国のザンギエフ戦が 松田は若手時代はパワーファイトだったから長州タイプと言われた。
でも全然違う方向に。
飯塚とは頻繁に対戦してた。 897焼くな
松田に飯塚に野上は取り敢えず期待はされていた。
しかし早い段階で見切りを付け(られ)た。
どう見ても橋本、武藤、蝶野と並ぶ器ではないし。
その下にもあっさり抜かれて。
三人とも華もなく、凄みや強さも感じなかった。
若手の頃から万年中堅確定だった。 898妬くわ
全日の浅子や井上にもそれは言えた。
下の秋山や大森にあっさり抜かれてしまい。 野上は役者やってから良くなったよなぁ
JJの頃とか人気もなく試合も酷くほんにんもどうしていいか分からないのが伝わってきて見ててしんどかった >>899
海外遠征行く前は佐野やライガー相手にいい試合してたけどな
ヘビー転向と欧州スタイルにこだわったのが間違いだったかもね 2月のシリーズ
なぜがディートンがマスクマンとして来日してたねぇ >>897-898
なんで896はやらないの?そのつまんないの >>901
ディーdは兄弟での来日もあったり、
素子さんのお気に入りだったのかなあ >>897
野上は90年にブラックタイガーに勝利している。
しかしその大会は誰もマスコミが来ていなくて
カメラマンがいない中でのガッツポーズは空しかったとか。 >>905
野上は エディ時代に対戦したとき、見せ場を作ってあげたら、
覚えていてくれて、ブラック時代に逆に見せ場を作ってくれた、と感謝していたよな。
返す刀で、相手の見せ場を作らず潰してしまう当時の飯塚のファイトぶりを
批判していた。 >>904
突然来日しなくなってWARにポツっと来日したりしてたな >>907
金本浩二、山本広吉のプレデビュー戦なかったったけか >>907
ドラゴンのたにまちが和歌山人だからだよ この年に初来日したラリーキャメロンは頻繁に新日に上がりそうなレスラーだったが、残念だったね… >>879
ダラス地区でまだ駆け出しだったころのケビンやデビッドにタイトル獲られたりしてるんだよね。一体どんな決着の試合だったんだろう。
ケビンやデビッドはフリッツに世話になってる手前花持たせたのかなと思うけど、同じくらいの時期オックス・ベイカーにもタイトル獲られてる記録もあるんだよねw
どさくさの内にブロディ負けてタイトル獲られたとかそういう決着だったのかと思うけど、さすがにベイカーにまで負けてるとは思わんかったw ブロディ「もうバテたのか?あと300回!君らの親父に俺がしごかれた時は
こんななまぬるいもんじゃなかったぞ!」
プロレス・スーパースター列伝より。 >>858
けど、天龍と高木の抗争は意外性があって面白かったぞ
翌シリーズから高木が欠場して次に繋がらなかったけども >>908
あの時川田を呼ぼうとしたけど駄目になりそのお詫びとして全日本がディートンを呼んだみたい。 >>915
キャメロンはこの数年後に亡くなってるんだよね。
日本定着すれば良かったのに残念。
アレンとのコンビも良かった。
アレン&キャメロンでIWGPタッグ挑戦とか見たかった。
アレンも新日復帰は嬉しかった。
でも時期が悪かった。
シンが新日に本格復帰したのと同じシリーズ。
せめてシリーズずらせば。
結局はシンの新日復帰ばかりがクローズアップされて。
ちなみにアレンの新日復帰試合って四日市での6人タッグかな?
前橋グリーンドームでアレン試合したかな?
もし試合してればそれが復帰試合だが、放送されず。
週プロに『グッドニュース、バッドニュースが新日に帰ってきた』とあった。 リングネームをWWF時代のバッドニュース・ブラウンで参戦してたのが新鮮に感じた 前橋でタッグで木戸にラリアットでピンフォール勝ちしてたよ〜 >>921
アク禁にビビって省略しなくなったガラケー爺w ラリー・キャメロンが北尾のサンダーストームくらったんだっけ? 2月のドーム大会 豪華カードの中にレイガンズ対ザンギエフの渋いカードが混ざってたね ドーム大会の個人的ベストバウトは
ベイダーvsハンセンとライガー、野上vs佐野、ペガサスかな
マサの試合も結果は良かったけど内容はあまりなかったかな >>899
人気無い
試合酷い
どうしていいかわからない感
見ててしんどい
ワロタ。 >>927
だね、サンダーストーム唯一の犠牲者
すぐ後に井上京子が披露した改良型(4の字ではなくテキサスクローバーの形で振り回す)の方が理にかなっていたね、何て技名で使ってたか忘れたけど キョーコスペシャルだな。そのまんまだがw
翌年にナイアガラドライバーを使い始めてからは
あまり見なくなった。 アポロが新日を脱退したのって実質解雇だったのかな? >>919 三日の天龍、コロフ戦の乱入は西側すぐのとこに居たけど鳥肌たったわ。
正月シリーズは後楽園が7回もあって天龍対高木のタッグ戦もあったけどブーは鶴田に
試合後怒られるくらいにだめだった。そしたらまさかの最終戦のシングルで大爆発。無理
してでも次のシリーズ出てりゃブーも人生変わっていたのになあ。 高木は武藤全日でも期待されてて一時期プッシュされてたなぁ 正直高木ブーには2月のエキサイトシリーズで新、天龍同盟入り、天龍の正パートナー
位まで期待していたんだが。レボリューションジャージ青色も似合いそうだったし。
鶴田タイガー冬木対天龍高木川田は夢、幻になってまった。カブキがブーは田上以上の
超ナマクラと評していたが同意せざるを得ない。センスは凄かったそうだが。そういや
後楽園で百田男一味に「デブに限ってニールキック」なんて野次られてたはず。 四角い顔、パンチパーマ、相撲体型
これで売れると思うほうがおかしいw 一時期カリフラワーのような頭になっていたが
田上の場合は角刈りの方がすっきりしていて良いと思う。 >>940
この3人が皆小橋の半分でも自主的に練習していたらプロレスの歴史は変わっていただろうな
田上は練習しなくてあれだけできたのだから凄いんだろうけど(年取ったら急激に萎んだけど) 地方会場で本来練習してるはずの会場前の時間にタイガーを除く決起軍が総出で体育館
に設置された卓球台でキャッキャッいって遊んでるのを目撃した、とユリオカ超特急が
言っていた。ちなみに田上が審判役だったらしい。 高木功の話ばかりですまんが天龍戦でプチブレイクの前後の週プロインタビューで「高
木ブーコールは名前が悪いから仕方ない」という趣旨の発言をしていた。どう考えても
その体形ともっさりした試合運びゆえに起きる、奮起を促すコールだったんだが。
身長体重がハンセンとおんなじでニールキックもジャーマンも実に形を綺麗に決める、
そんな若い元十両なんて期待するしかなかったんだけどなあ。 話変わるが小橋の7番勝負に何でランディローズが選ばれたんだろう? >>943
高木はハンセンとほぼ同サイズだったかんな。
名前もそうだが、やっぱ本人の気持ちでは?
田上も『たがみ』と読ませればまだ良かったと思う。
最初(88年頃)に田上の文字を見ると『上田』の逆だから変な感じに見えた。
上田は見慣れた文字だったし。
その田上より高木の方がブレイクすると思ったが。 高木卓越山が十両在位4場所で最高位は5枚目、田上玉麒麟が十両在位7場所で最高位
は6枚目、ほぼ対等の実績と言っていいか。
しかし玉麒麟が角界の玉三郎と言われてたのは本家から告訴されたら絶対負けるレベル。 >>945
武藤と世界タッグを保持しているときやたらと大きくみえた。 >>944
カブキ、谷津、ジャンボ、ブッチャー、ローズ、馬場、天龍 ランディローズ、懐かしいね。たしか好色男爵というとんでもないキャッチフレーズが
ついてた気が。見事なまでの典型的人数合わせ要員だったな。リチャードシャラン、ダ
グサマーズ、レオバーク、ミッチスノー、マークスカルパ、試合ぶりはもう忘れたけど
名前のみ記憶にある。 本名か知らんがランディローズを名乗るならリング上でフライングX振り回し攻撃くら
いやれよ、と当時思った。 ウィキを見るとローズはオリジナルのミッドナイトエクスプレスだったんだね。世界の
プロレスで見たエクスプレスはテニスラケットを振り回すマネージャーのジムコ―ネッ
トばかり目立っててローズは抜けた後の時代だった。若いころはそこそこ、、いやかな
り使える選手だったのかな。地区的に佐藤昭雄あたりとコネがあったかも、と想像する そういやマイク・ミラーという数合わせ要員が試合後ラッシャーに対して発生した
マイク、マイク、のおねだりコールを自分に向けてのものと勘違いしてガッツポーズ
してた。気の毒ではあるが一切見せ場のないジャブロニにしかも異国でコールなど起
きるわけがないだろうに。勘違いということを階段の上げ下げをしてた北原あたりが
教えてあげたんだろうか。気づいた後はバツが悪かったろうな。 89年の新年開幕戦のメインが鶴田、谷津対ブライアンアダムス、マイクミラー組というおそろしく地味かカードだった…
フィニッシュも喉をロープに打ち付けるみたいな技だったし
ドンムラコ出してほしかったな〜
その後にバトルロイヤルがあったけどね〜 90年新春
新日:マシーンの造反から始まった。
全日:高木の造反から始まった。
その後、新日はマシーンはブロンド入りで話題が終わる。
全日は高木の全日離脱で終了。 結局決起軍は体がでかいだけでほとんど役に立たなかったな。タイガーも頭が痛かった
ろうな。田上以外だれも言うこと聞いてくれなそう。膝の手術で離脱したときはきっと
重い荷物を降ろしてさぞやホッとしたろう。 >>958
いかにも冬の時代らしいな。
そして翌月のドームで冬の時代は終了。 >>951
ジェリ〜オーツ
デビッドサンマルチノ
ポールはリス
アルペレス
ピエール
ナイジェリアタワーズ リチャードシャランのインタビューファイトに載ってたな
シリーズ中毎日のようにクロファットに嫌がらせされて
最終戦の日に控室でぶん殴ったって言ってた この年のサマーアクションシリーズ2は珍しい外国人選手が多く参戦したんだっけ。
エリック・エンプレイ(初来日)
リチャード・シャラン(全日初登場)
ザ・トルーパー(初来日・後のパトリオット)
スコッティ・ザ・ボディ(初来日・後のレイヴェン) >>965
リップモーガンも全日ではこのシリーズのみ… >>966
ブランゼルはずっと前だったような?
テリー・テイラーはこの年のサマーアクションシリーズ1。 シャランとエンブレーは人数合わせ的にタッグを組まされてたな。武道館では川田小橋
に5分くらいで見せ場なくあっさり負けてた。モーガンは水筒持参で水を吐いたりブロ
ディ風の動きを真似たり少し注目を集めたが次がなかった。何よりは抱き合わせでつい
てきたようなダメ外人がレイヴェンに変身したことだ。 ブランゼルは別のシリーズにトムジンクとコンビで来たかな。エース、シェーンダグラ
スとけっこういい試合をやったような記憶が定かじゃないがあるな。 >>958
一応高木って天龍同盟入りしたんだっけ? >>971
してない。
冬木離脱、高木加入
そういう流れになりそうだったが。 偽ジェリーローラーみたいな奴でしたね、エリック・エンブリー
地味に過激な雪崩式パイルドライバー使ってましたけど、向こうでも使ってたんですかね 天龍同盟は解散までの流れがグダグダだったよね〜
特に冬木の扱いが曖昧で、最後も地方のどこかで呆気なく解散したんだよね この年の全日で宮崎かどっかの船のデッキにリング組まれた大会あった記憶が… >>974
天龍同盟は、阿修羅が解雇された88年最強タッグ前までだと思ってる。 藤波、長州、マサ、木村、木戸、マシン、ヒロ、星野、小林、保永
橋本、武藤、蝶野、越中、馳、佐々木、ライガー、後藤、野上、飯塚
この世代抗争やってほしかった >>977
でも後藤はマシーンと年が一緒でヒロの方が5つも若い。
※二人とも誕生日が5月25日
後藤の扱いが微妙だね。
後藤をナウ側?に入れると橋本達とはキャリア2年しか違わないし。
かつて藤原が藤波とはキャリア2年?しか違わないのにナウ側とで違和感ありとか。 >>977
後藤をナウ側に入れてサムライの松田をニュー側に入れるとか。 ジュニアだとサムライと金本が同い年。
健介と中西もそうだっけ? 後藤は83年デビューだからニューにしたんだけどね
確かに微妙な立ち位置だよね
あと忘れてたのが浜口と栗栖だけど当然ナウだな
松田も忘れてたわ
アポロとキャットは別に入れる必要ないと思って書かなかった 港に停泊中の客船のデッキでの興行は週プロもとりあげてた。珍しいしえになるからな。
フライデーは別のシリーズの温泉旅館の畳敷きの大宴会場での興行を取り上げてた。客が全員
宿泊客で浴衣だった。取り上げられた写真はファミリー対悪役だったし多分に偏見を感じる取り
上げ方だった。 デッキ上はえらい寒かったと記事にあったのでおそらく真冬だな。スクワット運動で自家発電
して温まろうとする渕だか百田だかの写真もちっこく載ってた記憶がある。 90年代の世代闘争は盛り上らなそう。
日本人と外人の対決図式化を強くすれば良かったのに。
90年代新日は外人が増えて沢山おったし。
ベイダー ビガロ ノートン ホーム コキーナ サモアン TNT。
更にはシン アレン アックス、ドクも外人枠で。 >>985
失礼、別府で輪島がいたころに最強タッグでやってる 船のデッキなんて記憶にないなあ
その1回限りなの? この年の最強タッグで初来日したランド・オブ・ジャイアンツ
プロレスニュースで「第二のロードウォリアーズ」と期待を煽って日本デビュー戦の
エース・渕組との試合では今後、台風の目になる!とまで言われたのにその後は
尻すぼみでまさにとんだ一杯食わせ物だったw ランドオブにブラックハーツ、アンダーテイカーズ
タッグチーム専門を揃えたシリーズだった。
でも結局はどれも定着せずB級のタッグチームばかり。
ハンセン ゴディ ウイリアムスクラスと比較したら明らかに落ちたし。 ランド・オブ・ジャイアンツは出落ちレスラーw
『タッグマッチで馬場が一番小さい』がウリ。 >>975
宮崎はその年にFMWが日南の油津港で洋上マッチをやってる。
>>986
88年の最強タッグはプールでの特設リング。
オリアナ号という船でやったのは90年のチャンカン。 スレーターがこの年の最強タッグで全日最後の来日になった。
1981年の交通事故によってレスラー人生狂わされてしまい残念 この年の最強タッグはまだ見ぬ強豪揃いな感じで開幕前は凄くワクワクした >>990
9 :お前名無しだろ (ガラプー KK4f-dXVR)[sage]:2018/09/16(日) 21:13:53.51 ID:XaVAqh7yK
訂正
>>1-7 >>10-999
お前らはチンポ派?それともチンコ派?
チン●を形容する時の話だ。
俺はチンポだな。 >>990
ブラックハーツとアンダーテイカーズは翌年。2月のシリーズだったかな。 FMWの海上プロレス密航したわ
里のトペスイシーダをくどめと前泊が一緒に受けて
3人とも海にドボンしたときかなり盛り上がったな このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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