元子が死んだらしいので改めてノア旗揚げ経緯

・闘魂三銃士が年収3000万貰っていた事で三沢と元子に待遇面で確執
・あまり現場に口を出すなと元子に意見していた三沢の自伝コメント
「全日本は興行収入から収益を得るしかなかった、グッズや芸能活動、
 講演会、ゲームソフトの契約は元子が4つの子会社を作って管理しているので
 我々選手には金の流れが一切分からない」
・当時の全日本は芸能関係は原則G馬場のみ、三沢らに話が来ても元子がボツにしていた
・グッズ関連の売り上げは全て「ジャイアントサービス」に落ちていた
・馬場死去後、三沢が社長になるもレーザー光線などの派手な演出は全て却下された
・00年3月の契約更改者はゼロ、この頃三沢と仲田は独立を考えるようになる
・待遇改善や選手の保障が元子に無視された状態で、選手は未契約のままリングに上がっていた
・取締役会で三沢が社長辞任、仲田も辞表を提出。元子派の渕と川田だけが残留
・元子は「選手らは退職ではなく懲戒解雇」として退職金支払いを拒んだが、裁判の結果
 元子側が2000万を支払い、双方は利益相反という形で決裂
・ノア旗揚げ。06年1月には売上高15億(利益1000万)となるも、泉田クラスで
 年収7〜800万(本人談)という高給が人件費を圧迫。資金繰りがままならなくなるも、
 前述の待遇面のいきさつもあり、仲田のギャラ引き下げ要求を三沢は拒否
・そんな中で08年に日テレ中継打ち切り。09年に三沢死去、14年に仲田死去、ノア倒産へ

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