【徹底検証】ハルク・ホーガンVSブルーザー・ブロディ【徹底比較】 Part.2
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新日本プロレスやWWFでは入れ違いで対決が遂になかった二人。
夢の対決が幻に消えた。
そこでホーガンとブロディを検証して比較してゆこうよ。
※前スレ
【徹底検証】ハルク・ホーガンVSブルーザー・ブロディ【徹底比較】
http://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1459826724/ >>86
またちみか。
まあ確かにそれはわかる。
ホーガンはまだしもローデスは好きじゃなかった。
だからシンやハンセンにボロボロにやられてた時は爽快だったわ。
特にシンとローデスは相性が良かったと思った。 それと88だが、ローデスはカリスマはなかったがホーガンはカリスマがあった。 一応ホーガンは「日本で育った」って感じが強いから、受け入れられてなかったとは言えないんじゃないの?
ローデスは最初からアメリカのスターだったからね。 >>89
その違いはあるね。
ホーガンは明らかに日本で育ってビッグになった。
新日で完成された。
もちろんアメリカでも売れ出していたが。
でもローデスは少なくとも新日に初参戦した時点では大物。
新日で完成されたわけではない。
新日に参戦した時は既に完成されていた。
シンやハンセンも新日で完成されたわけだし。
『完成』という言葉が適切ではないかも知れないが。
だから新日のファンはホーガンやシンやハンセンには『新日イズム』を感じたと。 ローデスはアメリカンドリームってニックネームだったけど、「何であんなデブがアメリカンドリームなんだよ!」って当時思ってた
マードックみたいな感じでもなく日本人受けはしないよな ホーガンを貶す奴が、成功した事に関しては一変して新日の御陰みたいな掌返し話をするのは何だかねw
シンやハンセンも新日イズムの御陰とか草生えるw
寧ろ彼らの御陰で新日が伸びたんだろw
思い上がるなよw >>92
日本マット界の格の序列が、アメリカに逆輸入されて評価基準に影響する時代だった。
日本帰りは出世するとはこのことを指す。
USAの既成格を重んじる全日に対し、新日は猪木が寝る事によって対戦レスラーの
商品価値を上げるビジネスをしていたのだね。
だからシンやハンセンに新日イズムを感じるファンがいたとすれば
それは新日/猪木が施した(加工貿易)が正体だろ。 育てるのが上手い新日、使うのが上手い全日って何かで書かれてたな
最近の外国人エースはAJにしろオメガにしろ自前で育ててはいないが AJにしろオメガにしろ日本他団体が与えたポジションは基本的にJrクラスでしょ?
ヘビーとしてトップとして扱ったのは新日ってことでいいんじゃない? 日本が帰りは出世する?
新日イズム?
たとえばシン ハンセン
この二人
アチラで出世しましたか? 全日の「来日外国人スター選手」感は凄かった。
新日は悪い意味ですぐ溶け込んじゃうからなあ。武藤vsノートン初対決みたいな迫力が続かない 最後までブロディは塩試合しかできなかった
しかし目の肥えていない地域だと集客能力だけはあったから
対戦相手が嫌々ながら付き合わされたんだろう >>97
ノートンはNWOの謎のボディーガード的な感じで終わった Bruiser Brody vs. Buzz Sawyer: Sept. 11, 1986
https://www.youtube.com/watch?v=jvBqfhBQ15s
ブロディ弱ッ! >>103
ブロディ上手いな
やっぱり認めてる相手にはきちんとセルする いやいや、単にバズが強いだけ
バックボーン見比べてみ 塩抜きして仕立て上げたの方が的確な表現だったかな? >>109
シン ハンセン ベイダー
彼等をビッグにしたのは新日だな。
三人とも実は海外でもそれなりのビッグネームだったという意見もあるが。
まあ新日プロデュースと猪木『相手を引き出す技術』。 111だが、新日プロデュースのブロディならどうなっていたか気になる気になる気になる木。 >>105
日本と違ってアメリカじゃ割とセルしてるよね
認めた相手だけだろうけど
ルガーやベイダーみたいな認めない相手には一切セルしないでボコボコだけどw バッドニュース・アレンに言わせると「あれはルガーがバカなのが悪い」のだそうだ
当時はまだキャリア八か月なのに勘違いしまくりで顰蹙を買っていたらしい
アレンはブロディとは仲が良かった
アレンが人間性をボロクソに言ってたのはD・シュルツ、ベイダー、ロビンソンあたり ルガーは色々酷かったからなぁ
武藤が海外遠征時代にプロレスを教える代わりに体作りを教えてもらってたらしいが「体だけは凄かったよ、体だけは」って強調して言ってたし WCWってルガーをエースにしなきゃならんくらい人材難だったの? ルガーは見た目がかっこ良かったからね
顔はシュワルツェネッガー系の流行の顔だし WWEでも一時期ホーガンの後継者にしようとしたし
アルティメット・ウォリアーもだけど塩レスラーにエースはつとまらないのになぁ >>117
アルティメットウォーリァーは入場はいいし迫力もある
身体も超人といっていいし、
まあ塩だけどな、生でみると本当に迫力あるけどな、入場と迫力だけでギャラのとれるレスラーなんだよ >>114
スパイビーもUSヘビー級選手権のプロモで同じこと言ってるなw
https://www.youtube.com/watch?v=IzYEbJaIRek
「お前の肉体はすげえよ。プロレス界でもベストだろう。しかし、首から上はスマートとは言えないぜ。」 >>110
北尾、海賊男のような大成功例も付け加えろよw ムタ、アルティメット・ウォリアー、アンダーテイカー、ホーガンのタッグマッチしたら個別入場だけでお腹いっぱいかね ムタ&ホーガンvsヘルレイザーズは入場と四人がリングインしただけでお腹一杯になった(試合内容さっぱり覚えてない) トリプルウォーリアーズ対スタイナーズノートンは試合面白いぞ
プロレス作るのにフィジカル大事ってのが、健介ひとり息絶え絶えなの見るとよくわかる シンにサーベル持たせたのは新日だが
ブレークしたのは日本のみ
しかも猪木戦限定
海外でも少し成功したのはベイダーくらいだろw レッドブル軍団も失敗だったよな
新間がいなくなってからの新日は成功例があまり少ない レッドブル軍団は試合が酷かった...
個人的にパワーウォリアーも失敗だったと思う >>92>>94>>97
ハンセンは新日2回目の来日までは全日時代と変わらないファイトで猪木の敵ではないような扱いだったけど、
其の後ジョージアで自己覚醒して79年の久々の来日では新日レスラーの誰も手がつけれないような全くの別人に完成されてたけどね。
それ以降の2年半の新日時代は進歩してないように見えるよ。 ハンセンはファイトスタイルも風貌がボビーダンカンだったが
シンをリスペクトしていたのが幸いした
ブロディはイヤウケヤの影響が痛かった
ファイトスタイルもイヤ受け屋になってしまったし アックスボンバーとか一番シャツ流行ったじゃん
NWOも流行ったし時代を作ってる ホーガンとブロディの日本でのベストバウトって何になるんだ? IWGP決勝や鶴田とのインター戦みたいなエポック的な大一番とかじゃないの?
試合内容なんてこの2人、正直どれもホントしょっぱいw
そこはやっぱハンセンやシンは「プロ」だと思うけどね、日本のファン的な視線でだが。 >>135
BI鶴藤長天四天王三銃士と絡んだのって、ハンセンだけ? ハンセンって橋本とやってるの?
武藤&蝶野vsハンセン&ペガサスが有ったのは記憶に有るけど ホーガンvs天龍はベストバウト取ったけど、あの試合がベストバウトってのは正直どうかと思った >>136
シンもその全員と絡んでるはず。
あとウイリアムスも。
ハンセンは四天王全員とシングルあり。
シンは三銃士全員とシングルありなんだよね。
さすがに全員とシングルありはいないだろう。
日本人だと天龍がその中で全員と対戦あり。
シングルも全員とあるかも。
天龍と四天王のシングルがわからん。
三沢はタイガー時代にはありそうだが。
あとの三人は格差があったから当時の天龍とのシングルはなさそう。
後にはあってもおかしくないが、シングルあったかな? >>141
シンは橋本とはシングルなしだったわ。
ウイリアムスは三銃士、四天王全員とシングルあるはず。 >>141
本当に略称ガラプーおじさんと同一人物なの?
三沢離脱後の全日なんて、川田対天龍で回してたようなもんだよ さすがにこれは貼っておかないとな
俄には信じがたいが
レッスルマニアのメインエベントでブルーザー・ブロディがハルク・ホーガンと戦うプランがあったという噂について
http://deeboderozan.blogspot.jp/2018/05/blog-post_24.html?m=1 ホーガンが不器用なブロディに付き合わされるだけの凡試合になっただろう
簡単に脳内処理可能 両者リングアウトだとして東京ドームのベイダーハンセンみたいな名勝負にはならないだろうな >>147
絵になるという部分では負けてないが、内容は格段に劣るだろう。
ブロディはまだしもホーガンではあの強さ、恐さや迫力は出せない。 ハルホではスタハやバンベイみたいな強さや怖さはない。
むしろアノキ、テリファ、ミルマみたいなヒーロー路線だかんな。 ハンセンx橋本は「オレの若いころを見ているようだ」ハンセン談 >>151
やってないだろ。
二人が有名になる前ににアメリカで対戦したかも知れないが、 ブロディとホーガンのギロチン対決なんて対決にもならねえし
ホーガンなんてキャラ物だけで技術面は低いからなあ >>ホーガンなんてキャラ物だけで技術面は低いからなあ
それはアメリカではキャラが大事だから、そーゆー試合してただけで、
日本ではちゃんと日本のスタイルに合わせた試合してたじゃん。
第1回や2回のIWGPの時なんか、猪木のコンディションもあったけど、
ちょっと手の付けられない感じだったぞ。 >>156
85年に実現なら両国しかないね。
それか大阪府立。 85年福井大会
ホーガン・サモアンvsブロディ・バンディが有名だね >>163
5分で両リンだったから話題に上らなかったね >>162
ブロディのニードロップって当たってた?
カーンのは体重を当たらない方に八割かけたから
技を仕掛けたカーンの方が痛かったそうだけど >>166
当たってない。かわされ5分ジャストで両者リングアウト。
ホーガンとブロディのからみはわずか30秒だって。 ホーガンがブロディの流れに無理やり付き合わされて凡試合で終了と言うオチだろう。
対ハンセンなら上手く盛り上げられるだろう。 >>157
うん 藤波なんかともじっくりした試合してたわホーガン
明らかに日本とアメリカとスタイルを分けてたな 土地ごとにどういうスタイルが受けるか理解して使い分けるあたり、やっぱりスマートな頭脳の持ち主だよな。ジャパニーズスタイル自体はうまくなかったけど、日本のファンの共感は呼んだ。 ファンクスも日本でベビー アメリカじゃヒールだもんな テーズ「ホーガンはレスラーではない。9から10はパフォーマーでレスリングは1か0。」
モンスーン「ホーガンはリストロックとリストウォッチ(腕時計)の違いすら分からない。」
レイス「最も過大評価されたレスラーはホーガン。」
マードック「アンドレ1人と戦うよりもホーガン3人と戦うほうが楽」 日本とアメリカでファイトスタイル分けてるという話しているときに、アメリカでの評価を持ち出すやつは読解力ないんか? 猪木はホーガンを『ハンセンを越えるスーパースターになり得る』と太鼓判。
IWGP失神の前。
まあハンセンを越えたかは別にしてホーガンは確かにスーパースターになった。
日本で言えば新日の大々的な売り出しもあった。
でもホーガン自体にその素質とセンスがあったからこそ。 ゴング開始前からチェーンを下からぶらつかせ威嚇するブロディ
緊張の面持ちでかわすホーガン
ゴング
中央で組み合おうとするも2人とも暴れて組み合えず離れてもう一度組み合おうとするを2、3度繰り返す
いきなりロープに走るホーガン、ブロディのビッグブーツを交わし反対のロープに走りブロディにエルボー
ふらつくも倒れないブロディに二発目のエルボーを狙いロープに走るも待っていたのはブロディのドロップキック
場外にエスケープ気味に落ちるホーガンを尻目にリング上を吠えながら歩き回るブロディ リングに戻ったホーガンに舌舐めずりしながら右手を高々と掲げ指先を動かして組み合おうと誘うブロディ
警戒して首を振るホーガンだが左手をゆっくりとブロディの右手に合わせる
自分の右手に左手を添えるブロディに対して左手一本で対抗するホーガン
目を剥いてブロディとの力比べに出るホーガンだが左手だけでは無理と見て右手を添えるとやや劣勢になったブロディが片膝をつく ブロディが生きてても、あの後は完全決着が定番化したから、ブロディが拒否しただろうな。
あの時代のホーガンに、日本で負けさせるとは思えないし。
仮にWWFに行ったとしても、40半ばのブロディがホーガンと対等か、それ以上のポジションを与えられたとは思えないし。 >>176
スーパースターって意味ではハンセンを超えてるだろ
プロレスラーとしての技量はハンセンの方が上だと思うが 天下のロッキー3の大ヒット。
黄色いトランクス。サンダーリップス。
スタローンにブレーンバスター、ギロチンドロップ。
アイ・オブ・ザ・タイガー 一ヶ月は全米チャート1位。
あの華を超えるレスラーはいない。
風貌はローラン・ボックに酷似。 >>180
アメリカでは完全にハンセンを越えた。
というかアメリカでは両者は比較にならないだろう。
日本ではハンセンの方が評価が高いが。
そこにブロディを入れたらどうか?
《アメリカ》
ホーガン>>>ブロディ>ハンセン
《日本》
ハンセン>ホーガン>ブロディ
という感じか?
ブロディは途中で亡くなったから伝説的になった部分が。
また幻想も抱かれて。 >>159
大阪府立は昭和60年3月から改築工事が始まったから
大阪でビッグマッチを行う時は大阪城ホールになった。 おそらくアメプロ史上最高で最大のヒーローであるホーガンと
ドサ回り中心の怪奇派ブロディを比較する意図がわからない ブルーザー・ブロディの名付け親はビンス・シニアで
1976年8月7日MSGに初登場(対戦相手はケビン・サリバン)。
この日、スタン・ハンセンはサンマルチノとケージマッチで対戦(WWWF戦)。。
その後、ブロディもサンマルチノのWWWFヘビーに挑戦するようになったが
ゴリラ・モンスーンと揉めてWWWFから離れた。
ハルク・ホーガンの名付け親もビンス・シニアで
1979年12月17日MSGに初登場(対戦相手はテッド・デビアス)。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています