キラーカーンとその時代 第2巻
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ダラスでトラヤツからそんなに稼いでどうするんですか?と聞かれたカブキ カーンは全日に残ってたら最強タッグでカブキと
オリエンタルヒールコンビで出て山田隆にダラス
とニューヨークのトップヒールが組むことは現地
ではありえない日本だから実現しました。なんか
言わせたり日米レスリングサミットはどうなって
かな?長文スマン。 で契約違反のはなしをちょっことすると
まあ極論すれば
携帯電話の2年契約の途中で解除、賃貸契約の途中退出なんんかも
相手の立場でみれば契約違反にはなるわな、金で解決で違約金てことも同じっちゃ同じかな
我々もいうとこの契約違反は犯しうるし。
まあ当然カーンがいう出刃包丁で殺したい
そこじゃなくて義理人情的な部分が大きいんだろうけどな。
その契約がどういう契約だったのかはよくわかんないね。
いつから始まっていつが満了なのかいずれにしろ終わるタイミングは1年以内に訪れたのは間違いないんで。
極論すれば2月でしょ年度末で契約満了だったりな。
今後も長州力で稼がせてもらおうとしたらあてが外れたみたいな
そうすると2シリーズ分くらいは金銭的に見積もれる損害にはなるわな。
まさか、全日本の外人のように馬場さんとあうんの長い付き合い前提のわじゃないしね
カーンなんかはジャパンという会社との選手契約かなにか?
ジャパン消滅で日本マットで誰と契約を結ぶのか選択を迫られたと。 キラカとグレカの本格タグチは良かったかも。
グレカとナガサも見たかった。
でも日本とアメリは色々と違うかんな。 >>103
チョリキに去られてワジヒロで稼ぐっちゅうても無理だわな。
ジャイバも頭悩ませただろう。
ジャンツやリュウゲンはチョリキの相手に過ぎなかった。
ファンはジャンツやリュウゲンではなくチョリキを見に来ていたのだから。
チョリキ樣樣サマアクシリーズ。
ゼンニプロレは本当にチョリキ樣樣だったかんな。
まあチョリキが去ったあとはリュウゲンの革命が運良くヒット。
それでゼンニプロレは窮地を脱した。 カーンは長州が全日離脱した時に、
「よし、俺がトップをもらった。頑張るぞ」とは思わなかったのか? >>99
普通週100万もらえる奴が日本で2万足らずで試合するか?
俺はカーンが嘘ついてるとしか思えんわ。カブキもそうだけど
向こうで干されて帰ってきただけだろ >>99
さすがにそれは嘘だろう。
17000円は前座時代のギャラでは? >>106
当時の長州の人気は凄かったから
そうは思わなかっただろう。 契約違反を言うなら、ジャパン入りして新日から全日へ移籍したのも契約違反になるんだがな
現に馬場は新日とテレ朝に違約金払ったと証言しているし
カーンの理屈だと、契約違反より他人を巻き込んでの再度の裏切りが許せんということなのか
再度の裏切りはできないと引退したのが浜口だったわけだが
辞めた新日に戻ることについても、その後のジャパン勢は永源とカーンとハリケーンズの俊二を除いて、
時間差で全員新日に戻っているけど(仲野は無我のみ)、それは結果論だから不問なのか
谷津のSWS移籍はどう思っていたのだろう? >>99
カブキが日本に帰ってきた時はギャラが日本円じゃなく一試合で1000ドルを日本円に換算するギャラの金額だった
ローカルの小汚いオッさんからしたら結構いい待遇だったと思う 浜口も後々3年後に新日に戻ったね。
戻ったって表現は適切ではないかも知れないが。
でも新日に上がった。
但し87年と90年では状況的に違った。
浜口が何で復帰したかはわからない。
新日から依頼があったのか?単純に金の為か?
まあ3年のブランクもあったから馬場は何とも思わなかったかも。
契約違反にはならないだろうから。
それよりもファンクスが90年代に新日に上がったのは驚いたな。
あのファンクスが。
最初はテリーだったが。
あのテリーが、と。
時代が変わったと思ったもんだ。
80年代を見てきた者からしたら信じられない事だしね。 浜口が新日に90年に上がったのは小原の後見人みたい
のを兼ねてジムの宣伝じゃないのかな?浜口ジムに入る
と新日に入門しやすいですよと。 浜口は分裂して責任をとる形で一旦引退して
空白期間があったのでOKだったんだろう
上田も日テレとの契約期間が切れるのを待って
切れたら国際のリングにあがったしね >>108
前田「凱旋帰国の蔵前が12,000円だったが、坂口から前田に12,000円なんて高いと下げられた」 モノスゲェどうでもいい話だけど
1990年代初頭ぐらいに、田舎でバイトで
ヒーローショーの中身やってたんだ
ギャラは、熟練後は1日8000円
30分×2回+サイン会だから、プロレスラーより労働長いけど
でもあの頃にワクワクしながら見てた
TVスターが、そのせいぜい2倍てどういうことよ(汗 >>117
2001年だったかな、ドームにファンクスとして上がってるね。藤波・バックランドとやったと思う。 >>110
谷津嘉章のSWS離脱もカーンは余り良く思っていなかっただろうね。でも今でも交流は続けてるから長州よりは許している所もあるんだろう。 その時にバックランドがドリーにキーロックリフトアップをして
懐かしくて涙が出たよ >>117
そう、そのドーム大会。
藤波、バックランド×ファンクス。
もう20年前なら夢のカード。
ファンクスが新日に上がるなんて有り得なかったし。
ちなみに95年5月の福岡ドームはテリー、ホーク、フレアー、天龍、冬木が揃って登場。
※もちろん試合は各自別々だが。
かつての全日の主力が新日に。
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X1OU0 ファンクスがせっかく新日に来たのに、ろくなカードを組まなかったのはなぜなんだろう?
三銃士を盛りてていく流れを優先したかったのか。
だったらジジイ兄弟なんか最初からよばなきゃよかったのに。
それか別働隊を作って興行すればよかった。
猪木坂口VSファンクス、それだけで国技館のメインやれただろう。 >>123
それに01年は猪木も坂口も引退しとる。
ただせっかくテリーが新日に登場したのなら猪木と絡んで欲しかった。 >>123
俺の勉強不足かもしれないけど
・ファンクスが揃って新日に来た
・猪木坂口が組める
・三銃士を盛り立てる
何れも時期がバラバラ過ぎてよく分からないんだけど
2001年なら猪木坂口どころか、三銃士もバラバラで盛り立てる時期もとっくに過ぎてる ファンクスは新日上がる数年前、FMWの横浜アリーナに参戦してたけど
動きがスローすぎてたな。対戦相手だったFMWの若手2人も明らかに接待ファイトだったし >>127
全日本の最後の頃でも、かなりロートルだった。最強タッグとか無理があった。
今のドリーは、、単なる老人。 テリーが動けたのは、1990年代後半のECWの頃までだろうね
ドリーは地区は忘れたが、ダン・スバーンと60分フルタイムを戦った頃まで、多分これも1990年代後半かな
カーン氏の話に戻すと、かなり昔にファンクスの話題になった時に
「あの兄弟の仲は凄く良くてね、今のドライな日本人以上だよ、羨ましいぐらいにね」と言ってたな >>129
それでも50過ぎてからムーンサルトやってたのは凄い テリファとアブチャのこれまでの流血量はハンパないな。
80年頃の大百科に『アブチャがこの10年で流した血の量はドラム缶一本分』と。 アブコといえばアブドーラ小林なのに、アブチャじゃ誰のことかわからん。 ファンク兄弟は、後に不仲になったよね。なんでだっけ?
ドリー妻がアメリカ版馬場元子みたいな存在だったのも、理由の1つかもしれんが。
ドリーと馬場(全日本)が別れたのは、ドリー妻と元子の確執が原因らしいから。 >>133
ファイトに出てたな。
ドリー妻が全日にNWA王者時代のギャラで自分ののファーストクラスでのアゴ足代も要求した。
ドリー妻が原因でテリーと絶縁状態になったと。 135、スタハ、ブルブ、キラカの公式体重だが、
キラカのニドロはアンジャ負傷で説得力あったぞ。 >>134
せっかくバーバラとサヨナラしたのに、結婚した相手もひどい女だったとは… キラカとザファンの対決も異色だな。
86年サイキョタグリ公式戦で対決してる。 個人的にはだけどこの頃ってレスラーの異名だけでなんかワクワクできた
本人の資質はともかくとして異名は新日より全日の方が数段うまかった気がする「南海の黒豹」とか「ネイチャーボーイ」「美獣」とか
このコピーライティングって誰が考えてたんだろすごい才能あると思うんだけどw テーマソングも全日の方が上だった。
ローリングドリーマー以外は。 大仁田がカーンを誘った?とかピンサロ失敗したとか
出てたけど50,000円でFMW旗揚げした話はしばらく
してから嘘くさいなと思った。固定電話の回線引くだけで
50,000円以上するしプエルトリコ行って日本では傷害事件、
下手したら殺人未遂事件になるようなことしてから大仁田は
興味なくなったけど実家は金持ちでお坊ちゃんと知った時
完全に興味がなくなった。 日本では「苦節10年」とか「どん底から這い上がった」とかが受けるんだよ
大仁田はそれを分かってたんだと思う
実はフランスベッドがFMWのタニマチだったがそれを表に出さなかったしね >>140
全日は入場テーマのセンスが抜群だったな >>142
設立当初レスラーをフランスベッドで働かせてたんだっけ? 異名つけてたのは、プロレス誌及びプロレス紙の記者じゃないか?
人間発電所とか、銀髪鬼とか。 >>139
桜井康雄、竹内宏介でその後、古舘伊知郎も。
新日も20世紀最大のレスラー、プロレスの神様、怒涛の怪力、青春のエスペランサ、謎のアストロノーツ、哀愁のオールバック、
問答無用の仕事師、UWFのカダフィ大佐、UWFの危険な太もも、わがままな膝小僧、爆弾小僧、暗闇の虎、戦うひよこのお菓子、
人間サンドバッグ、戦う七転び八起き、戦う七転八倒、戦う起き上がり小法師、人間バズーカ砲・・・結構いいぞ。 >>149
古館も良いけど、人間発電所や鉄の爪みたいな昭和テイストとは違うと思った。表現力は上手いが想像力は掻き立てられない >>123
当時、ファンクス、バックランドは西村が引っ張ってきたでちゅ。
だから無我色が濃くて、藤波、西村と当たることが多かったでちゅね。
それにぼくちん(3歳)の記憶では、スポット参戦で、2〜3戦しかやってなかったと思うでちゅ。
同時期にトニー・セントクレアも西村が呼んだでちゅ。
無我ではヨーロッパ式ラウンド制試合もやったでちゅよ。 >>151
桜井さん(東スポ)の時代は、来日前に白黒写真一枚でアオリ文句を考えなきゃならないから想像力だけの産物でちゅ。
それに新聞見出し、ベタ記事の字数制限から必然的に漢字(表意文字)多用になるでちゅね。
竹内さん(ゴング)もセンスよかったでちゅ。
古舘も悪くないでちゅ。
ぼくちん(3歳)のニックネームは
「プ板の妖精」「あかちゃんざりぞん」
でちゅが、
桜井さん風に言えば
「格闘天子」
竹内さん風に言えば
「二つのツメを持つ赤ちゃん」
古舘風に言えば
「ワガママなザリガニ小僧」
になるでちゅ。 >>151
鉄人、神様、仮面貴族、千の顔を持つ男、人間風車、マットの魔術師、人間発電所、
美獣、テキサスの荒馬、白覆面の魔王、インドの狂虎、狂乱の貴公子、黒い呪術師、
アラビアの怪人、黒い魔人、生傷男、南海の黒豹、極道コンビ、浪速ブラザース、
小さな巨人、まだら狼、銀髪鬼、ブレーキの壊れたダンプカー
技だと、原爆固め、岩石落し、足4の字固め、足8の字固め、アルゼンチン・カナダ式背骨折り >>151
古舘は確かに凄いんだけど、猪木の事を「台所の磨りガラス越しに見たママレモン!」あたりまで行っちゃうとさすがについて行けない >>155
ゴッチが「プロレスの神様」って言われ出したのはいつ頃から?
正直言って新日本とUWFが喧伝しただけで、「無冠の帝王」とかの方がしっくりくるんだけど >>157
日プロ時代には神様と言われてたよ。
そこそこタイトル取ってるから無冠の帝王ではないんだよな。
負け試合だがオハイオ版AWA王者としてNWA王者テーズと統一戦もやってる。
WWWFタッグも取ってMSGに出てる。 辻のは悪評だったな。
古舘のパクリで更に下回り。
破壊天使、熱血バタフライ、ときめきのバージンレッド、セクシャルターザン
ショッキングイエロータイフーン、和製ヘラクレス、仮面の酷薄、人生バックドロップ
革命アニバーサリー、燃えよドラゴン、銀河系はみ出しモンスター、ゴキブリ
怪力ドーベルマン、青春ブリザード、道場の鬼軍曹、
ちなみにゴキブリはベイダーのこと。
通訳されたらベイダーも怒るだろ。 >>159
辻で好きだったのは越中を
ド演歌ファイター越中詩郎、下町の闘いを繰り広げてまいりました。
下町の闘いってどんなのだよ!?とテレビに突っ込んだ。 >>158
全然無冠じゃないね
ホント昔のプロレスマスコミってひどいね 倉持がリングアナのコールに合わせて
谷津嘉章 日本大学出身
長州力 専修大学出身
天龍源一郎 狙うは長州の首ひとつ
ジャンボ鶴田 中央大学出身 >>160
ド演歌ファイターもあったねえ。
あと投げっぱなしジャーマンを
バックドロップ気味のジャーマン、或いはジャーマン気味のバックドロップか!
よくこれも言ってた。
蝶野の狼軍団をエゴイスト集団とかも辻だったな。
それとマシンがマスク脱いだ試合では
あの平田満であります!と間違えた。
その直後には平田淳二が…と。
同じ平田で平田満の名前が咄嗟に出てしまったのだろうな。
それを気付いて慌てて平田淳二と。
これがニュース番組なら
『先ほど平田満とコメントしましたが、平田淳二の間違えでした』
『大変に失礼致しました』と訂正お詫びが入るとこだが。 条規(常軌)を逸した虎 タイガージェットシン
入れ墨モンスター クラッシャーバンバンビガロ
イス大好き人間 栗栖正伸
ジュニアの星 獣神サンダーライガー
バイキング トニーホーム
辻だとこんなのもあったねえ。 辻は古舘のパクリもさることながら
あのダミ声がなぁ 夏の名残の蝉時雨
実況での入場の盛り上げ方は若林さんが好きだな 日テレのアナウンサーは勉強不足だった。
アナ「馬場さん、アキレス腱固めはどこが痛いんですか?」
馬場「アキレス腱ですけど・・・」 「馬場さん、このトム・ジンクはまたずいぶんセクシーですね!」
「いや、分かりません」
これは確信犯だな! 昔全日本でニックネームが爆発原子炉というガイジンがいた 倉持はレスラーや技を間違えるのが定番だった。
タイガーマスクVS小林邦昭を小林邦昭VSタイガージェットシンです、と。
両者の入場前だったが。
あと鶴田のラリアットを強烈なパンチ、ナックルでぶっ飛ばした、とかあった。
でもブレーンバスターをバーディカルスープレックスと言ったり。
これは明らかに誰かに教わったのだろう。 >>159
古舘もバンディに対してマショマロマンと呼んでいたため町歩いていても「あっマショマロマンだ!」とファンから指差されるようになって「あのアナウンサーぶっ飛ばしてやる!」と怒っていたから。 新日に移籍したブロディを
「マンハッタン・ターザン」と呼んだのは古館だったっけ?
当時は「超獣」以外ないと思ってたから否定的にとらえてたけど
なんか後になって、じわじわ来た
R.I.P. >>182
マシュマロマンと戦うひよこのお菓子、どっちがバンディに対して失礼な表現だったろうか >>184
古舘はインテリジェンス・モンスターでは? >>184
ブロディは初期は『怪物』それから『キングコング』と呼ばれていた。
ハンセンと組んでから『超獣』に。
ハンセンとの超獣コンビはブロディの超獣を取って付けていたのだ。 >>141
あれ当時中一で
信じててん俺。
刺される前、
「1日オフもあるし、久しぶりにカリブの海で日焼けでもしてくるよ」
みたいな事言っていた大仁田厚。
でもパンディータに対して笹でシバいていた客をとっ捕まえてシバキ回した上野?はガチ。 上野が大阪に上がってる頃は風俗嬢のヒモだったって噂はマジ? 馬場典子の不倫相手とマスコミに憶測記事を書かれた倉持
実は相手は全く別の人物だったという >>190
典子?
モトコだったら原軍司が相手という噂を聞いたが。 >>193
鶴田ヨタじゃねーよ
倉持なんかに共感出来ないって言ってんだよ
この馬鹿野郎! ジャンツとクラモは仲が悪かったらしいかんな。
ジャンツはワカバとは仲が良かったみたいだが。 >>193
「俺と一緒に◯◯を叩かない奴は◯◯オタ」
「俺に反論する奴は◯◯オタ」
「俺に同意しない奴は◯◯オタ」
こういうこと言い出したらもうおしまいだぞお前 >>184
>>186
「マンハッタン・ターザン」「インテリジェンス・モンスター」両方言ってたね。
他には毛皮のコスチューム(ベスト)を「過激なオートクチュール」と形容したのが印象に残ってる。 鶴田夫人との固い約束を平気で破り、絶縁状態にされた義理の悪い倉持隆夫なんかに共感出来る訳がないだろうが。これは鶴田ヨタだの何だのとは関係ないんだよ。 >>198
猪木・藤波・木戸・カブキも大嫌いなんだよな? その昔、80年代頃までは、「日本帰り(のガイジン選手)は出世する」と言われていた。
これには、ちゃんとしたビジネス上のシステム構造があった。
例えジョバー扱いであれ、2週間契約であれ、日本に呼ばれさえすれば、
団体の資本である日テレorテレ朝の製作マネーから高額ギャラが稼げる。
ガイジン選手にとっては、ともあれ「その実績(及びそれを証する契約書)」が重要。
例えば北米では、今のWWEもそうだろうが、テリトリー共存の時代は特に、
選手の入れ替えを頻繁に行い、客を飽きさせず、集客に努める必要があった。
選手には、プロモーターに対し、日本での契約書(のコピー)を有していることで、
「これだけ稼いだ実績のある選手」ということを、示すこととなる。
北米のプロモーターも、その選手を「日本行きの前より高いギャラ」で使う以上、
ニュースターの扱い、もしくはそれに順ずる高いポジションで使って、
それなりに売り出し、集客に繋げようとする。
このシステム構造の中で、素質のある選手は、本当に客を呼べる安定したスター選手となる。
ガイジン選手にとっては、日本遠征により自身のギャラをいったん吊り上げることが、
プロレスラーとして出世し、成功するための、とても重要なプロセスだった。
元々日本人のカーンやカブキは、その逆パターンで、
馬場or猪木のところから来たってことで、北米ではそれなりのギャラからスタートし、
その後、自身の努力で着実にアメリカでポジションを上げてはいったものの、
日本に戻ったら渡米前と大差のない安いギャラで抑えて使われていた、と。
割を喰ったと言えるのかもしれない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています