【ヒギンズ】昭和の新日本プロレス3【ジム・ドゥガン】
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
>>288
あの時代にバス引っ張ってももう客は呼べないわな
ハンディ戦なのに最後は橋本に蹴りまくられる始末 >>278
猪木は英語、スペイン語、ポルトガル語がペラペラというのは嘘だったなw
そのくせ30年ぐらい前のバラエティ番組で英語教室をやってた 英語力は相対評価になるから、「英語ができる」とかいっても評価する人によってだいぶ振れ幅があるよ。
猪木だって、スピードラーニングのCMに出ている人たちのレベルではしゃべれるんだろ。
キラーカーンは自分で「俺はある程度英語がしゃべれる」と言っていたけど、谷津によると在米中にカーンに世話になったものの、簡単な英語の看板も読めなかったと馬鹿にしていた。
谷津の話も信憑性があまりないが。 >>293
坂口から蹴り一発千円だっけ?
でも貰えなかったみたいだが。
後藤と橋本が相手で坂口から煽られて。 もともとグスタフはそこいらのデブあんちゃんでしかなかったんだよな
アティサノエと変わらん グスタブって態度悪かったらしいけどブロディとかに教育されなかったのかな? >>298
ブロディとグスタブは揉めたらしいよ。
週プロはグスタブを叩きまくり。
グスタブを『クズタブ』とまで表記して。
巨漢で活かせばいい味出たと思ったが。 グスタフは巨体にやさしい系のいい顔してたからまったり系の中堅レスラーとして使えばウケたと思う グスタブはビガロに顔立ちが似てた。
ビガロを更に優しくした感じで。
あの木こりスタイルのコスもそれなりに良かった。
ただ全くのデカイ素人かキャリア浅い新人か?
サイズ的にはビガロやベイダー以上だった。
全日だと確実に活かせなかったから新日で正解。
と言っても新日でもアレだったが。 グスタブが使える奴だったら東体の猪木の相手はブロディからグスタブに変えたんだろうか? 使えなかったデカい奴と言うとガリー・ガスパーも酷かったな
すぐにクビにされていた
逆にそんなに期待されてなかったのに好評だったのが
全日に初来日した時のワンマン・ギャング
ギャングは後にWWFでも長く活躍してたから基礎ができていたんだろう >>303
後のランド・オブ・ジャイアンツの片割れ >>287
同じダラスでの有望株との対戦となると二年前の馬場とバンディとの対戦も思い出す ビガロ以外のモンスターファクトリー出身者はみんなハズレ物件 グスタブは元々の出自がカーニバル・レスラー
と、いってもレイスが若い頃やってたような
「街々のイベントで腕自慢で素人の挑戦とか受ける喧嘩自慢」
〜『あしたのジョー』でジョーが落ちぶれて素人相手にやってたようなヤツ
(あっちはボクサーだけど)
のような「カーニバルレスラー」ではなくいわゆる本当の「見世物」
〜でかくて野人のような異様な風貌をした力持ちの怪物が力自慢をしてみせる〜
というやつだからね(Gアントニオもコレ)
花園神社の縁日に出る蛇少女とか火吹き男みたいなもの
あまり大ぴらに口にすると良くないけど
こういう生業をやってる人ってのはちょっとオツムに…ってケースも多いし
いわゆるこの板で語られるような「プロレスラー」ってのともちょっと趣が違うから
プロレス興行に出てきた場合も
バス引っ張ったり腹を殴らせて高笑いしてみせたり
若手の2人掛け3人掛けで押し潰したリしてみせるのが彼らのお仕事
場合によってはそうやって傍若無人にふるまう“怪物”を
最終的にその地区のエースが「制裁」して退治するとこまでがセットのあくまで見世物
だからプロパーのレスラー間にある「業界の掟・秩序」なんかには無頓着だし
元々オツムも…な人だから調子コイて往々にしてバックステージでも揉めたりする
巨漢の怪物キャラといっても「プロレスラー」のブロディやアンドレやビガロなんかとは
元々の立ち位置自体が違うから
「こういう風に使ったらもっとレスラーとして〜」なんて議論はあまり意味が無いかと アメリカのレスラーの大半がトラック運転手が副業で地元の小さい興行に上がるとかそんなんだろ。
本気でプロレスで成り上がろうなんて、一握りだよ。
日本に呼ばれる時点でレスラーの中じゃまだエリートともいえる。 >>310
ホーガン「84年にWWFが全米侵攻した時に各地区のテリトリーが潰れて批判された。
ただ、平日にKマートで働いてるデカイ奴が週末にプロレスをやるというのがなくなり、
本物のレスラーだけが残ったのはいこと」 藤波や初代タイガーの防衛戦のフィニッシュ技はジャーマンの場合がかなりある。84年夏に猪木が長州にかけたジャーマンあたりからフィニッシュにならなくなってきたのかな >>285
サムライTV開局間もないころ
「闘いのワンダーランド」で放送されてたね。 >>312
藤波はJr.王者時代でWWFインターヘビーではジャーマンはないのでは?
長州が初めて勝った試合で藤波のジャーマンをカウント2で返した。
ここからタッグはともかく、シングルでのジャーマンがフィニッシュにならなくなった。 第一回IWGPで猪木が前田のジャーマン、ドラゴンを連続クリアは酷いと思った
あと寺西もジャーマンを没落させた一人かなぁ
佐山タイガー戦での固い感じのブリッジや
タッグ戦の中盤で勝たせてもらえる格ではない天龍に仕掛けたのが印象にある >>314
一応正規軍vs維新軍の対小林邦昭戦と、猪木引退試合当日の、佐々木健介戦の2試合がジャーマンフィニッシュだな >>317
長州、藤波、健吾vs三銃士で武藤が健吾をロープへ振ったらロープが切れた。
フィニッシュは藤波か武藤にジャーマンだった。 >>318
タッグならそれもあるね。健吾のロープワーク時だっけ、危うく場外に真っ逆さまに落ちそうになってたな。
武藤も蝶野もロープワーク使おうとして途中で止まってるのを見て、いざロープが切れても自然と身体がロープワーク使おうとするんだなと思った。 あと若松の介入はあったけど、ストロングマシーン1号との両国シングルもドラゴンスープレックス決着か 猪木が83年ブラディファイトSの浜口戦で決めたフィニッシュは、バックドロップ・ホールドだよな。
ゴングでは猪木の原爆2年ぶりに復活!とか書いてあったけど。 モンスターファクトリーつうと主宰のラリーシャープって国際や全日じゃ員数扱いだったが
親日では扱いよかったな。シェイスタジアムで猪木のNWFに挑戦、ブラディFでも北米単複に
挑戦。受けのいい理由でもあったのかw? >>319
ロープがなくなった時、レスラーの実力、地に足のついた投げ技や固め技ができるかどうかが分かった。
ロープが切れて武藤と蝶野がやり辛いようだった。
武藤はムーンサルト、側転エルボーができなくなった。 コンガ・ザ・バーバリアンにジャーマンやった時は
藤波の上顎に相手の背中が乗って骨折したんだよな
しばらくマウスピースして試合やってた 藤波の歯がコンガの背中に刺さった。
若手がコンガの背中から歯を抜いて、藤波と小鉄が「くっつきますか?」と病院に行った。 蝶野もベイダーにジャーマンして口に怪我しなかったっけ >>317
ウェイトの差もあってか小林戦では物凄い角度とスピードだった記憶
その後で藤波が腰を押さえていたのも印象的で >>326
「いいとも」で「唇がとれたかと思った」って言ってたな >>321
あのバックドロップホールドを以降もフィニッシュ技として使い続ければ良かったのにと思うなぁ >>321
81年8月のマスクドスーパースター戦以来ってことだね。 >>320
ジャーマンの話してるのになぜ急にドラゴン まぁ藤波のドラゴンというならIWGPタッグリーグの猪木があるが、アレが最後になるのかな、フィニッシュとしてのドラゴンは >>321
野村克也がレギュラーで出てた『速報!TVスタジアム』という番組に猪木がゲスト出演した時、
観覧席の大学生が「こないだの浜口戦のは岩石落としに見えたんですけど」と言ったら、
「そうね、ちょっと捻ってね…」とか言って猪木も認めてたね。
この日の猪木はブラディファイト・シリーズ最終戦の福生からヘリ移動しての出演で、
一緒に移動した古舘と猪木の名勝負ビデオを紹介する特集だった。 第1回IWGPの頃に地元の書店で闘魂スペシャルを発見したときは喜び爆発したなぁ。でも、それが新日のパンフだと分かって、そりゃ新日だけの内容でマンセーしまくりな訳だなとw でもそれ以前のペラペラパンフも今思えば味わいあるね。本日のカードが斜めにスタンプされてたりw >>335
89年4月の初めてのドームでのIWGPヘビー級王座決定トーナメント第1試合で
蝶野がベイダーをジャーマンで投げたが顔の上に落とすような形になったから怪我したかも。
両国で健吾が猪木をジャーマンで投げたが自分の顔に猪木の背中を落としてのび太。 バックランドのジャーマンはキラーカーンに決めた時とか、かなり速さも角度も説得力あったけど。
新日では一度も見せなかったのは、猪木に遠慮したのかと思うのは考え過ぎか? ジャーマンが初めて跳ね返されるのを見た(雑誌で知った)のは
レイスvsバックランドのダブルタイトル戦だったか
チャボvsドスカラス(タッグだったかな)のどちらかで
ショックだったのを覚えてる >>330
この試合で首悪くしてジャーマンしばらく封印したとかどこかに書いてあった記憶ある。
猪木がジャーマンでフォール勝ちした選手の中で一番体大きかったのはスーパースターかな。 ビリー・ジャックにもジャーマンしてたね
スーパースターとどっちが大きいかな? スーパースターのあのジャーマンの受け方は首に悪そう。 >>317 >>327
84年前半辺りだとそこまで体重差は無いんじゃないのかな
小林邦も普段は100kg超えていただろうし
藤波はジャーマンの使用頻度が減った81年から明らかに腰の状態が悪かったからね
>>337-338
新日初登場の試合(猪木/木戸vsバックランド/トニー・ガレアのタッグだったっけ?)でジャーマンを披露していた筈
>>340
猪木が首を悪くしたのは76年12月のルスカ戦で猪木がロープブレイクしているのにルスカが逆エビを離そうとしなかったせいで
ルスカの体重が必要以上に猪木の上半身に掛けられて首がつんのめる様な形になったのが原因だというのが定説じゃなかったかな ヒギンズは本当に故人なのかな?
生きてたら何か情報ありそうなもんだが。 >>344
かといって亡くなったとかいう情報も、今のところはない >>344-345
ボックも故人説 所謂(いわゆる)死亡説が濃厚だった。
しかし数年前にゴングスピリッツに登場して見事に健在 立派に健在だった。 >>339
75年の猪木vsロビンソンで50分過ぎにロビンソンがジャーマンやってる。
固めたがカウント2で猪木が返したような記憶が・・・。 >>347
あれはホールドしない、今で言う投げっぱなし式じゃなかった? >>345
俺は見た事(死んだって)あるけどね、まあ他人の事は知らん。 86年にビリージャックに決めたジャーマンも失敗気味だったし
86年IWGPの大阪城で藤原に決めた時はまぁまぁだったけど
両国の決勝でマードックに決めたのはブリッジが潰れちゃってた >>326
89闘魂Sでのバックドロップだな
蝶野は24針縫いベイダーも腰を痛めて救急車で運ばれ入院した >>334
テレビで古館が闘魂スペシャルの店頭販売も宣伝してたから、見に行けなかったシリーズ分は欠かさず買いに行った。
でも84ビッグファイト第一弾から三冊セット通販のみになってしまい、このパンフを買うことが出来ず。
限定販売だったから売り切れですよって手紙が入ってた。 >>346
デビッド・シュルツも死亡説あったよね。
でもレスラー引退後バウンティハンターで生計立ててる様子が多分ゴングだったと思うけど取り上げられてた。なんからしくていいなと思ったよ。
銃を手にポーズ決めるシュルツが絵になってたw ホールドしないジャーマンというとシュツットガルトでボックが猪木にやったのもえぐかった。
それ以上にえぐかったのが正座式のパイルドライバー。あれはヒヤッとした。
シュツットガルトのボック対猪木戦をテレビで流したことを、馬場が「ああいうものを流しちゃいかん」とチクリと否定したって話があったけど、本当かね。 >>355
世界丸見え特捜部で特集されてたよ。
俺はプロレスよりこっちが向いてるって言ってた。 バックランドも全日で鶴田相手に危ない落とし方した事あったっけ
ダブルアームスープレックスで投げようしたけど投げ切れず、
垂直落下ダブルアームDDTの体勢のまま崩れ落ちた >>340
猪木のジャーマンは相手より先に自分の頭が付いてしまう場合が多い >>360
あれはまずいと思う。ストロング小林戦もそうだもんな。 後年に雑誌で見た昭和53年か54年のMSGシリーズでの猪木VS藤波戦で、猪木が藤波をフォールしたジャーマン。写真で見るかぎり凄くきれいに投げて固めてた。ノーテレビだったらしいのが残念… >>360
それが正しいジャーマンだと主張する輩が一部に湧いていたよな。
曰く「鶴田がインタータッグ戦でテリーに決めたジャーマンは、テリーの頭が先に落ちているからバックドロップホールドだ。」とケチつけていたw バクドとジャマスの論議かいな。
アノキは相手のケガやダメージを和らげる為だろ。
確かにバクドとジャマスは似とる。
ジャンツのニパトにサカグのニアタ
スタハのラリアにハルホのアクボ 猪木のジャーマンと言えばストロング小林戦のジャーマンはどう見ても失敗だよな
型が崩れている >>362
ゴングだかに頭側からの写真が出てたが、小林戦と同じで頭が先について藤波の体が上の方に残ってた。
>>365
ただ、ジャーマンというと、猪木vs小林戦なんだよね。
変な形だけどインパクトが強くて、ジャーマン=猪木vs小林戦 81年の猪木の流星仮面へのジャーマン、たしかワープロOpで早々にダイジェスト映像流して
ネタばれみたいな事やってた。あれでインパクト半減したなw >>366
それは猪木信者だけだろ
ジャーマンといえば佐山タイガーのキッド戦 >>368
佐山タイガーvsキッド戦はメインじゃないし東スポ、雑誌の1面にも載ってないから、
認知度としては猪木vs小林のが上だろ。
@猪木vs小林
A佐山vsタイガー
以下、5vs5での藤波vs小林邦昭、馬場、鶴田vsファンクスの鶴田のテリーへのジャーマン、 >>367
俺は逆で、あのOP見てテンション上がりまくったよ。
「おお、今夜は猪木のジャーマンが見れるんだ!」「試合のどの辺で出すのかな?」って感じで。 アントニオ猪木のジャーマンスープレックスホールドはイマイチだな。
マスクドスーパースターとビリージャックに決めたか。
アントニオ猪木は体は柔軟だったが。
藤波辰爾は体が固かった。
でもドラゴンスープレックスホールドが決め技だった。
1985年にはアントニオ猪木とスーパーストロングマシーンをフォール。
長州力はさすがにジャーマンスープレックスホールドはやらなかったな。
佐山サトルのタイガーマスクはタイガースープレックスホールド。 猪木のジャーマンは昔は定評があったみたいだね。
ゴングか月プロに書いてあった。
猪木にはシンやハンセンみたいな大型をジャーマンで葬って欲しい。
そんな記事があった。
80年か81年頃の記事かな。 ジャマスはアノキよりカルゴっちゅうイメージだな。
アノキっちゅうたらマンガやアムブ、エンズ、アリキ、ナクパーが定番で。
アリキはドロキはうまくないと言われていたが、エンズは見栄えが良かった。
フジナはドロキは見栄え良くでもエンズはダメ。
チョリキのエンズは見栄えは問題外。 >>362
秋田でやったんだけどこの年から秋田のABSで水曜深夜に
ワールドプロレスリングが見れるようになったんですわ
OPとEDの提供テロップはカットだから秋田の人は
月曜20時の同時中継までOPのテーマを知らなかった インパクトのあったスープレックス系
ジャーマン 猪木vs小林
ドラゴン MSGでの藤波vsエストラーダ、猪木をフォール
タイガー 佐山は何度も使っているからインパクトのあるのは思い出せない。
オースイ 井上vsマジックドラゴン。投げないで後ろに転がったw
前田がオンドーフにやったWアームでフォール
スタイナーズの投げっぱなしフロントとジャーマン
鶴田のベアハッグで止めてからのフロント
ボックのWアーム、ゴッチがアンドレに決めたジャーマン・・ 猪木が小林にやった自分の頭が先に着くジャーマン
鶴田がテリーにやった超低速ジャーマン
高田が両膝ついたままブリッジしたジャーマン 鶴田はハーリー・レイスを真っ逆さまに落として試合後レイスに怒鳴り込まれたらしいな >>379
佐山タイガーデビュー戦のvsキッド戦の間違いだ。スマン チャボゲレロは新日本時代にジャーマンのイメージがあまりないなぁ…… スレタイ見ててだが、ちょうどドゥガンの初来日は猪木ジャーマンが復活した81年サマーシリーズだったな。
殆どTVにも出なかったが割とラフ中心に元気のあるファイトだったと思う。
その後、中南部あたりで一気に名を挙げて再来日を望まれたけど、ちょっとアメリカナイズされすぎて
ダメだったな。。 あとヒギンスというとどうしても「哀愁のカサブランカ」のAOR歌手の
バーティヒギンスが出てくるw >>382
その後のブラディファイトシリーズじゃなかったっけ? >>383
あ、そうだっけ、 記憶が交錯してますたw 年取るとだめね。。 猪木が元気だった頃はワープロのオープニングで逆立ちしてアンドレの首に足をかけてフランケンシュタイナーみたいに投げ飛ばしてたな >>366
小林戦のジャーマンは型としては失敗だが足が浮き上がるくらいのインパクトでフォローした感じ
ちなみに竹内宏介氏は猪木のジャーマンのベストは日プロ時代の同じ蔵前のアジアタッグ戦でストロハイムに決めた一発だと書いている >>363
あの一発で日本における鶴田の日本でのメインエベンターとしての地位が決まったとも言えるが同時にテリーの受身の上手さも大きい
ちなみに同時期の新日本での最強タッグ戦でも一番のインパクトは三本目の猪木のゴッチ初フォールでなく一本目のテーズのバックドロップなんだよな >>375
オースイスープレックスはもともと佐山のようにジャーマン式に投げるんではなく
井上のようにバック取ってローリングして固める技だよ 本家のアル・コステロのオースイスープレックスを
見たことがなかったので探してみた
https://youtu.be/YbGM1YGkkRs?t=12m37s
388さんの言うように投げずにローリングだね 井上はインタージュニアではオースイを多用していたな >>382
ジムデゥが初来日したのは81年ブラファ。
サマファはアブチャ初参戦。
ジムデゥは風貌からスタハ二世とか言われとったな。
あとジムデゥはスティウィとも似とる。
81年ブラファはスタハとアンジャが組んだりウマノスも最後のシンニプロレ参戦。
最終戦デンコでは伝説のスタハとアンジャのシングル。
ラシャキ初登場の例の挨拶。
地味にサカグとコバヤのアイダブ予選リーグ戦も。
タイトの扱いは気の毒だった。
最終戦でアノキとシグマ組まれるもラシャキに話題を奪われ。 >>385
ありゃアンジャのカナディをアノキがリバスで返したシーンだ。 >>362
俺も写真でしか見たことないけど、あのブリッジは綺麗だったね。
ジュニア時代の藤波とのシングルでバックドロップでフォール勝ちした試合はテレビ中継されたね。1980年だったかな。
猪木のジャーマンも好きだけど、バックドロップも好きだったな。
あとこの試合で猪木はパワーボムやってた。モンスターマン戦以来かな猪木がパワーボム使ったの。 猪木のバックドロップとなるとやはり大木戦かシンからNWFを奪還した一戦かな
あとはやはりルスカ戦での三連発か ルスカ戦のバックドロップは
普段と比べてスピードを緩めたり少し止めながら投げてる
相手がレスラーじゃないからかな
モンスターマンのパワーボムの時は
相手がレスラーじゃないから叩きつけなかったとコメントをしてたが >>396
その頃はパワーボムという技も名前もなかったな。
スタンプホールドという名前で、脳天を叩き付けるというよりは
エビ固めに抑え込むために落とす感じ >>355
シュルツはその後、十歳にバウンディハンターの仕事中に死亡。 猪木がIWGPの決勝でマードックにやったジャーマンはマードックが肩上げて無いのに
ミスター高橋がカウント2 で止めちゃって会場が微妙な空気になったの覚えてるw
ジャーマンで終わりで良かったのに。 >>389
ニコリ・ボルコフも鶴田のUNに挑戦した時ローリングスープレックスを出したことがあったな
写真だけ見たらボルコフってこんな技もできるんだって勘違いしちゃうだろうな >>378
見た目がムカついたとゆう理由でロボットR2を真っ逆さまに落として失神させたハーリー・レイス >>399
あのジャーマンは2人の呼吸が合わなくて
なんか危なっかしい感じで決まって猪木の首が心配になったなぁ。 >>399
猪木がバテテてブリッジが潰れて手も離れちゃったんだよな。
マードックが1人でエビ状態だからミスター高橋は躊躇した。
猪木が押さえていないからカウント止めたんだと思う。 >>398
シュルツ亡くなったの?
病気や交通事故以外でのレスラーの訃報で衝撃受けたのはディノ・ブラボー。
違法タバコの取引き絡みでマフィアに撃たれて殺されたんだよね。
ブラボー好きだったな。ブッチャー戦は面白かった。 デビシュ亡くなったのか。
シンニプロレもデビシュを活かせなかったなあ。
本人もそこまでやる気なかったか。
一時期はデビシュは期待されちょった。
第二のタジェシとか期待された。
ディノブも勿体なかったなあ。
クラマでのアブチャとの対決は良かった。
本格パワファだった。
でも本人もそこまでのやる気はなかったかも。
他にも勿体ない外人は沢山いる。
そういう連中がタジェシ並のやる気があればなあ。 殺されたのは名前似てるけど別人じゃないの(。・_・?)ハテ?
オリンピックの金メダルとった人と違うの?Dave Schultz
“Dr. D” David Schultzは生きてるでは
http://www.eatsleepwrestle.com/?p=1926 そういえば牧師の方のビリーグラハムが亡くなったね
確かハンセンが尊敬してる人物だった 撃たれて死んだといえばクリス・アダムスもそうか
ダラス版ダイナミック・デュオは二人揃って死に方が不穏だな >>371
長州は鶴田とのフルタイム戦でジャーマンを出してなかったっけ? >>405
なんでスレによってバンビガキャラだったり普通だったりするの?
キチガイのフリするなら徹底しろよw >>371
なんでスレによってバンビガキャラだったり普通だったりするの?
キチガイのフリするなら徹底しろよw >>372
なんでスレによってバンビガキャラだったり普通だったりするの?
キチガイのフリするなら徹底しろよw >>373
なんでスレによってバンビガキャラだったり普通だったりするの?
キチガイのフリするなら徹底しろよw 猪木が唐突にウラカン・ラナを決めたジョン・トロス戦ってノーTVだったのかな?
映像があれば見てみたいけど。 デビッド・シュルツは2018年1月にアメリカで自叙伝発売なんてニュースも出てくるから
普通に健在でしょ。 ヒロ斎藤が金狼になって帰国した時に見せたジャーマンは度肝抜かれたわ >>416
アンジャとアブチャはシンニプロレで対決して欲しかった。
90年以降のゼンニプロレでの対戦は遅かった。
ゼンニプロレではタグマ含めてかなりぃ対戦してるはずだが。
シンニプロレでアイダブかエムエタグリで。
アンジャとアブチャなら会場はオオサが合ってる。
クラマよりオオサだな。 ヒロ斉藤は帰国して普通に正規軍入りしたら荒川の下につく冴えない中堅で終わっただろうな 長州力のジャーマンスープレックスホールドは忘れてたわ。
ジャンボ鶴田はよくジャーマンスープレックスホールド出していたが。
新日本プロレスリングでは長州力はジャーマンスープレックスホールド出した?
革命前は出したかも知れないが。
でも革命後には出したのかな?
藤波辰巳やアントニオ猪木には出しててもおかしくないが。
にしても長州力=ジャーマンスープレックスホールドってピンとこない。
昔は長州力はオクラホマスタンピート出したりしていた。
また蝶野正洋もドラゴンスクリューやバックフリップを出してた。 >>424
新日本復帰した年の秋の両国での藤波戦で出してるね。この試合この時期には珍しくなってた3本勝負だった。 >>425
出してないと思うが……。
>>424
藤波とのコイントスマッチ、ドームでの天龍戦 >>427
ありがとう。
二つとも見てるはずだけど全く印象に残ってなかった。
長州力ならジャーマンスープレックスホールドよりバックドロップだな。 >>428
藤波戦は放送が終わったあとに出したので、本放送しか見てなければ見れてないよ。 >>420
長身のコブラに掛けた場面は迫力があった
かつて付き人として藤波に巻いていたベルトを今度は自分が巻いたのも印象的 >>431
ヒロさんは選手名鑑に今でも尊敬する選手は藤波と書く人
メキシコに行く時に藤波が必ず日本に呼び戻すと約束してくれた >>434
へえ〜、こんなのあったんだ。
猪木のジャーマンみたいだな。 >>長州力ならジャーマンスープレックスホールドよりバックドロップだな。
そだね〜
https://i.imgur.com/iT97xpp.jpg >>436
掛けられた藤波が脚をバタつかせるのがお約束 マシーンも体が太い割にはブリッジがキレイだったな。
マシーンと後藤が仲間割れしてレイジング解体の時。
相手はハクとテンタ。
しかし試合はマシーンがハクをジャーマンでフォール。
そして後藤と仲間割れ。
マシーンに華を持たせて。 >>432
無我の旗揚げ戦だっけ、西村とシングルやってジャーマンで勝ったの。ヒロのメインのシングルってこれが初だよね。藤波の団体の門出で大仕事。藤波と信頼関係があったってことなんだろうね。
馬場もヒロをすごく買ってたし、蝶野も慕ってた。前田とは馬が合わなかったみたいだけど。 >>434
こう見るとパワーボムとジャーマンはやっぱり形の似た爆弾固めなんだな 意外なジャーマンといえばやはり藤原だろう
Uの無限大記念日メインのタッグマッチで出したのしか見たことはないけど 444死死死だが、日本一のジャマスの使い手は誰じゃい? >>442
まるで逆さ押さえ込みみたいなジャーマンだったねw ウィリーと異種格闘技戦をやる直前にNWFのベルトを失ってるのはなぜだろう?チャンピオンとしてウィリーを迎撃した方がよいだろうに ウィリーも片八百長で極真の大会を優勝させなかったんだよね
「極真の代表が猪木と戦う」となるのを避けるため ウイリーも80年頃は新日最強幻想に一役買った。
再戦が近いうちに行われると思われてた。
しかし再戦は結果的に17年後。
もはや“再戦”ではなかったが。 >>448
ジャーマンはかなり使ってたのに何故それを出してきた >>455
間違ったでは済まされないな。謝罪はよ。 >>456
フユコーはジャマス出したんよ。
フユコーやヒラシュンみたいなアンコ型のキレイなジャマスは見ていても凄いぞ。
ヒロサもジャマスがキレイか。 >>456
バンベイやバンビガはジャマスやらないかんな。
スティウィはジャマスよりバクドホルドだな。
ジャイバやサカグはさすがにジャイバできなかっただろ。 ウイリーが極真特有の腹太鼓しか打てないのを矯正するに試合が延び延びになったとか藤原敏男や黒崎がこぼしてたよね
藤原がキックルールでスパーした倒しちゃったとかも 80年新春シリーズは色々と出来事があった。
まず筆頭は猪木とハンセンのNWF争奪、そして国際から強引に引き抜いたDキッド初参戦。
スキップヤングとWWFジュニア挑戦をめぐっての攻防、フロリダ(エディグラハム)ルート
締結の証としてロッキージョンソンとスティーブカーンの来日。ロスでレロイブラウンとの抗争で
めっきり力をつけたバッファローアレン改めバッドニュースアレンの凱旋等々。。 スティーブカーン、マイクグラハム、藤波が日米を行き来してジュニアベルトを取ったり取られたり。キッドのダイビングヘッドバットに度肝を抜かれたり。凄いシリーズだったなぁ。猪木がWWFヘビーを持って年を越せなかったのが残念だった スティーブ・カーンは新日好みのスピーディーでラフ・アンド・ストロングのいい選手だったのにな。
藤波のヘビー級転向後もライバルとして呼べばよかったのに。AWAで売れっ子になったから仕方ないか。 カーンが80年秋に藤波とのリターンマッチに敗れてから
スタンレーンとのファビラスワンズとしてテネシーやAWAで売り出すまで少しタイムラグあるよ
たぶんエディグラハムが81年から全日との提携にシフトバックしたあおりだと思う
そのせいで全日ではあまり使いでのないジュニア系の選手は来日ブッキングされなかった
80年に藤波に連続挑戦したドン・ダイヤモンドが全日中継の馬場鶴田天竜のフロリダ遠征に
出たりしてたし
フロリダの選手もヒロ・マツダが個人的に新日にブッキングしてはいたけど ドンダイヤモンドいたな
藤波にフロリダ、ニュヨークで2回挑戦したんだっけ? なかなかの好試合だったと思う
金髪で赤のタイツ履いていたような記憶がある スキップ・ヤングという黒人もいた。
キッドがヤングの額にダイビングヘッドバッドをもろに当てて双方のびてた。 ところで第三回タッグリーグのパンフに載ってた黒人選手は誰?
当のヤングサムソンは白人なのに写真は別の選手だったよね。 長州や国際、マシンの台頭に塗り替えられたせいなのか、80年代中期以降の米マットの勢力分布って正直、よく知らないw
それまでは西海岸や南部やらNYやら地区の名前で主力選手の名前が浮かんでたんだが。つか、おニャン子とかバイク、ヘビーメタルとか
違う趣味に移ったからだろうなw >>470
あれは笑えたね。
ゴングの間違えてというオチで。
開幕戦の写真見たら白人二人。
あれ?
まあ所詮は白星プレゼント係で全く注目されてなかった。
だからあの間違えも話題にならず。 >>470
それより驚いたのが一般誌が猪木の本名を間違えて書いていたことだな。
確か猪木が最初に議員になった時かな?
一般誌に猪木の記事が掲載された。
最後の猪木のプロフ。
アントニオ猪木
1943年2月20日生
本名:猪木 寛至(いのき ひろし)
何と『ひろし』と。
中堅や前座ならともかく猪木の名前を間違えるとは!
でも猪木や馬場は知名度抜群でも本名は意外に知られてないかも。
寛至でひろしと読めなくもないけど…
棚橋も『弘至』で『ひろし』と。
同じ『至』だし。
まあ今みたいにネットある時代じゃないから仕方ないか。 >>471
ありがとう!
>>473
フランスあたりだと黒人も普通にいるから、欧州コンビでも黒人だっておかしくないかと思ってましたw
白星配給とはいえメキシカンよりは上に見えたけど、ブリッジが帰国しなかったらどうだったかな。
当時の長州浜口もビリ候補に見えたけどさすがにこっちは欧州やメキシコには勝つか。 >>474
健吾「この試合は小島さとるが・・・」
小島「さとしです。ボク健吾さんの付き人だったのに名前も覚えてもらえなかったんですね・・・」
猪木引退試合の前座でのJr.ヘビー級選手権。
坂口「この試合はケンドー・ナガサキが、あ、ケンドー・カシンが・・・」
ドーム失笑。 木村健吾の本名もきちんと読めた人はほとんどいないはず。 やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci
この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです
掻い摘んで説明すると
・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた
・防パトの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった
・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが
創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を危険人物や要注意人物にでっち上げ
防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった
・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった
・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず
私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り
防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官)
※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る
・こうして防パトを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った
つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防パトの黒幕
詳細は下記スレ参照(手口変える可能性有。警察官が職名を名乗り詳細な事情を説明しても信用せず87に通報を)
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/bouhan/1516500769/1-87 猪木と大木って韓国でも試合したよな?インターナショナル選手権かNWFヘビー級選手権か 大木のインター選手権 確か大木が流血し猪木が足4の字固めかけたまま両者リングアウトだったような またこの試合放送は、ダイジェストで試合は、殆んど放送されなかったと思う 大木のインターを新日本が横取りするのを恐れた馬場がNWA勧告として返上させ、全日本のリングで復活トーナメントを開催したんだよね。 >>481
その損失補填としてアジア・ヘビー級王座を大木に渡した(返した) インターの返還はNWAの命令という建前だけど、
大木がアジア貰ったのは、何の理屈もなかったよね?
例えば、馬場が返上してPWFの大木の王座を認可した、とか。 81年時点で
新日と大木は全然関係がないのに
馬場がインターを取られることを恐れてたというのなら
被害妄想も甚だしい 当時の大木は金策に困っていたらしいので金額によれば決して無いとは言い切れない
ちなみに大木が新日本から全日本に戻ったのはインターのベルトを取られるのを警戒してで馬場がベルト保持を認めたのも大きかったらしいが >>484
馬場が最初にPWFを失った時に「今の自分はシングル無冠」といってたらしいのでその時点で既に防衛期限切れの自動空位状態だったと推定
どうせなら蔵前での木村との一戦にアジアヘビーを賭けて試合内容に不満で返上でも良かったかも
力道山が死んだ時点でも最後の防衛戦から二年近くが経っておりインター・アジアタッグ・ワールド大リーグだけが当時の保持タイトルとして飾られていた 75年のWリーグ戦で大木が猪木にリングアウト勝ちしているけど、ここで猪木がセルした意図は何なのか。 馬場はジュニア版のインターもチャボゲレロ経由で
新日から取り上げやがったな >>491
馬場はチャボが新日本製のベルトを新日本のロゴ入りのケースに入れて持ち歩くのを疎ましく思ってて、ベルトも新調したね。
ダブルフォールで没収試合にして三番勝負で決定戦。
三番勝負最終戦でチャボが大仁田をトロフィーで殴打。 チャボは新日本のイメージあまり感じないな。藤波が大流血した試合がプロレスブームよりかなり前だったからかな。佐山とすれ違う形で全日本に移籍したし 知り合いから教えてもらった簡単確実稼げる秘密の方法
知りたい方だけみるといいかもしれません
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
EKYDC >>491
インタージュニアはフロリダが肝煎役だったからその全日本への再接近で渡ったとも考えられる オリンピックが終わって思い出したが、新日はケン・パテラをどう扱おうとしたのかな。
武道館メインも含めて猪木への挑戦も2回あったし、シン、ハンセン、アンドレに次ぐ第4のライバルとして売り出そうとか考えてたんかな。
でも、ほぼ同時期に新日でのステータス上げてたホーガンの方がその座に収まった結果になったけど、全盛期にもう一度くらいパテラを呼んでハンセンやローデスと当ててほしかったな。。 最後の日本の試合の84年のIWGPのセミで五輪トリオに当ててたな 小6当時の俺目線だと最初は
ホーガン、パテラ、オーンドーフが
同一線上にいたイメージ。 >>498
確かにそうだね。
80年あたりだと外人格差もわかりやすかった。
《A枠》
シン ハンセン アンドレ
《B枠》
ホーガン パテラ オンドーフ スーパースター
《特別枠》
バックランド ローデス ボック
これがシンやハンセンが去った82年以降だとこうなる。
《A枠》
ホーガン アンドレ
《B枠》
マードック ローデス スーパースター ブッチャー アドニス
《特別枠》
バックランド >>496
初戦の卍、第2戦のバックドロップ。どちらもカッコ良く決まったね。パテラはそのやられイメージしかないなw >>493
俺はチャボ=親日のイメージは結構ある。その寝屋川血戦ももちろん、ロスで藤波と
タッグ王者になった記事もリアルで読んだな。80年闘魂Sで生観戦したとき握手してもらった思い出とかw
あとカンケー無いが、ハンセンも親日時代の暴れっぷりの記憶も強く残ってる。猪木との一連のMSGやNWF戦
田コロのアンドレ戦とか。まあ世代的なのもあるかもね。。当時はもう中学〜高校だしw >>501
佐山とチャボはメキシコとかでも試合してないのかな?観たかった >>502
チャボは成功してからはロスが本拠でメキシコではあまり試合していない
親父は伝説のルチャドーラ―だが
本人はルチャドーラ―というよりあくまでメキシコ系のアメリカンレスラーとして捉えた方がいい メキシコの巨像オルテガってアメリカ人ぽいけど
なんでメキシコなのかな? >>503
> 親父は伝説のルチャドーラ―だが
女子か >>503
チャボ曰く「俺はアメリカ人だ!」、藤波とのタイトル戦での国歌吹奏でメキシコ国歌を流された時は涙ながらに訴えたそうだ。 あの国家吹奏は外人レスラーには好評だったがけっこうテキトーだったからな
パット・パターソンはアメリカ国家を流されてコケそうになったそうだ
(パターソンはカナダ人) 二代目ブラックタイガーがライガーに挑戦した時国歌吹奏したが
「あ、エディ・ゲレロだからアメリカ国歌なんだ、正体バレバレだからいいのか」
と思った >>492
あのベルトの凄く格好良かったんだけどな。
全日版になってからみすぼらしくなった(笑) >>507
狂人キャラのシンが国歌吹奏の時は神妙に黙想してたのをみて、シンにも人並みの理性があったのかと感動した思い出がある。 >>509
なんで、ちょっと上の>>506からの流れすら見ないのか 国歌をバックにレスラーの顔と国旗をオーバーラップさせた映像は重厚感があり、タイトルマッチを格式高いものとして印象付けるには抜群の演出だった。 >>510
インターヘビー、アジアタッグと同じタイプのベルトになっちゃったもんな。 >>511
タイトル戦の時のシンは猪木がロープに逃げるとフェアプレーの意思表示できちんとブレイクしてたっけ。
そこで観客が拍手喝采。
ちなみに去年某所でプロレス見たけど同じようにフェアなロープブレイクと観客の拍手、
プロレスの伝統美は今も健在なんだと感心した。
国歌を流すのは良かったけど、古館が実況だとその国歌の最中にもしゃべりだすのがウザかった。 >>515
普段は狂乱ファイトのシンが
タイトルマッチになると国歌吹奏で神妙な顔して直立不動
そして試合開始後はクリーンファイトで場内どよめき
櫻井さんの「シンは実はクリーンなファイトでも相当な実力者なんですよ」のキメ台詞
そして試合が佳境に入りリング上も場内も熱が高まってきたところで
これまで通りクリーンにブレイクすると思われたところで反則、
そして一気にいつもの狂乱ファイトへ〜
そこまで予想を裏切りクリーンにやってた分、
タイトルマッチの特別感と悪役としての憎らしさが倍増するという・・・
まさに千両役者だけどこれってシンはどこで憶えたのかね?
シークやブッチャーは基本タイトルマッチでも試合ぶりは変わんないよね わざとらしく大げさに両手を上げるクリーンブレイクをプロレスごっこで真似したなあ >>515
舟橋アナは偉大だなぁ
>>516
シンのプレーンバスターが好きだった クリーンにやろうとするシン
ラフに持ち込もうとする猪木
なんて変則展開もあったりしたな >>520
エアプレーンスピンからのバックフリップかな。 国歌吹奏中に話し出すのは
船橋アナも一時期やってる >>516
三本勝負の一本をシンがアルゼンチンバックブリーカーでとった時のタイトルマッチだったか、
終了後に敗れたシンが猪木の手をあげて祝福した珍しい場面があったな。あれは感動した。 >>524
アルゼンチンのとき猪木の首筋が血がタラリ。絵になってたね。
コブラクローのときシンの爪で切れてたんかな。 >>525
高橋本だと猪木が「今日は首で仕事する」って言って
カミソリで首をセルフカットしたとか 太陽にほえろ!の最高視聴率1976年9月3日の「テキサスは死なず!」の
裏のワールドプロレスリングのカードと視聴率が知りたい 血がタラリといえば、ワールドリーグ線の優勝決定戦の猪木vsクラップも良かった。
猪木の弓矢固めのとき、流血してたクラップのスキンヘッドの頭頂部から血がタラ〜と流れ落ちてた。
また弓矢固めもいい感じできまっててクラップが悲鳴をあげてさ。猪木の弓矢固めで一番ガッチリきまった試合じゃないかな。 猪木ってカットに使った刃を、シンのタイツの中に隠すからな
あれって間違って刺さったら痛そうだ >>524
ハンセンだと最後のNWF戦で猪木のニードロップ連発で敗れた後に
猪木に握手を求めた時があったわ。
当時中一だったがグッときた .>>524
75年6月蔵前の一戦だね。あの時、猪木のタイトル奪回はブックだったんだろうけど、3本目シンがブレーンバスター2連発しても
猪木がカウント2で返した時に「信じられない」って感じで首を振っていたのが印象的。ブックを察知させないシンの名演技かも。 >>531
その試合、ハンセンがテンガロンハットとかウェスタンコスチュームを試合にかけてたよね。試合前にリング中央に置かれて。
なぜか新間も上着脱いでハンセンのコスチュームの上に被せてたけどw
新間も上着をかけたんかな?w >>533
で、最後は二階堂進がもらったんだよねw 秋だから…こうなった 新間の坊主頭 覚えてる人いるかな 猪木VSシンは深みがあった。
だから8年も続いた。
8年も続けることができた。
藤波VS長州はそこまで続かなかっただろう。
長州が全日に行かなくても。 >>491
建前上はNWAのタイトルだから文句の言いようはないな
後年新間が愚痴ってたけど、リアルタイムで言ってたらお手盛りのタイトルでしたと
自白するようなもんだw
>>506-509
正確にはチャボは生まれはメキシコだけどね
育ったのはテキサスのエルパソだけど
エディは生まれもエルパソの完全なメキシコ系アメリカ人 つかあのタイトルは確か藤波が奪取した時点では単にNWA世界ジュニアと呼ばれてたし
本物のNWA世界ジュニアが復活しちゃったあともキムケんやチャボが巻いてた頃は
「NWA世界ジュニアヘビー級インターナショナル王座」で
文字通りジュニア版のインターになったのは全日に渡って>>492の言う争奪戦やった後
なんだがな クラップってオランダ国籍なのか、アメリカ人がドイツ人ギミックでやってるものだとばかり まあ、79年の国際にネルソンロイヤルがNWA世界ジュニアの防衛戦を敢行するにあたって
新間も馬場との連名ではあるがイチャモンつけたかと思えば、直後に反主流のエディグラハムと
結託して、当時Lマクガークの私物同然だった本来の?NWA世界ジュニアに対抗すべく
インターナショナル選手権を創設とか、新間のヤリ手の極まってた頃だったなw グラハムは反主流派どころか、79−81年当たりはNWAおうざ王者を
年間最も長くブッキングしてたプロモーターだぞ >>546
アンドレのカーリーへアてヅラだったんでしょ
あのヅラが揺れる様がまたいいバンプになってた
今はちーとハゲたらすぐにスキンヘッドにするからな
ビッグショーなんかもロン毛のほうがいいわ
ケインもヅラつきマスクかっけーし
汗で濡れた髪が顔を覆う様なんかが不気味さを演出していいのに
ミュージシャンとかもね
貞子みたいなね 考えてみたらアンドレとホーガンて正月の興行では組んだりしてるし
そこまで対立構造煽らなくていいのかもね >>544
グラハムが再び全日本寄りになったのは現地のブッカーにドリーが入ってからか ローデスもヅラだよ
なんでもアンドレがローデスのヅラ被っておどけてる写真が存在するらしいが ローデスのエルボードロップ好きだったなぁ。たしかバイオニックエルボーとかいう別名があったような >>552
村松友視が本に書いてたね
その写真がネットにないかとだいぶ探したけど見つからなかった
アンドレが自分の試合後にヅラをかぶり忘れて出て来た場面
Youtubeにあったけど、今探したけど見つからないや >>554
80年MSGシリーズ
バックランド、藤波VSハンセン、ローデス
試合中にハンセンとローデスが仲間割れ。
ホーガンが乱入してハンセンと二人でローデスを袋叩き。
そこにローデス救出でアンドレが乱入。
こんときはアンドレはカツラなし。
バックランド、藤波、ハンセン、ローデス、ホーガン、アンドレ。
本当に凄いメンバーだ。
リングにはこの6人が揃ったわけだから。
アンドレとホーガンは乱入で試合したわけではないが。 >>556
>バックランド、藤波、ハンセン、ローデス、ホーガン、アンドレ。
>本当に凄いメンバーだ。
これにシン&上田が加わるその年末の80年第一回MSGタッグが外人の豪華ぶりに関して
昭和親日の筆頭だな。それ以外で結構外人の顔ぶれがいいというと79年、80年の闘魂シリーズ。
79年はローデス初参加に加え、Pモラレス、Pパターソン、ニコリボルコフ、Gバレンタイン
さrに、特別参加でバックランドとTJシンという奮発ぶりだったな。。 アンドレは新日ではヒール、アメリカではベビーという位置付けだけど
ローデスと親友というガチ設定だけは新日で突き通してたのか >>557
81MSGタッグも凄い
アンドレ、ハンセン、マードックに特参のボック、ホーガン、ローデス
白星配給係まで元WWFタッグ王者のサモアンズ、UWA王者カネック、アメリカで超一流のパターソンと豪華版
外敵として前年1試合だけの国際軍団がフル出場
そして当時国籍不明だったタイガーマスク >>556
覚えてる。次々にリングに上がってきて大混乱大興奮だった >>556
ハンセンの回想によればあれが日本で一番豪華なシリーズだったとか >>557
そうなんだよね。
年末のタッグリーグ戦はこれにシン、上田が加わる空前の超豪華メンバー。
しかし開幕戦の参加チーム入場式にはバックランドとローデスがいなかった。
バックランドはスケジュールの都合で途中からリーグ戦に参加。
ローデスは元々リーグ戦には参加しないで特別参加。
だから猪木、アンドレ、シン、上田、ハンセン、ホーガン、バックランド、ローデス
このメンバーがリングに揃った時は一度もなかった。
ちなみに81年MSGシリーズは上記のメンバーは参加。
バックランドとローデスはリーグ戦には参加せず特別参加。
しかしアンドレが(カーンに足を負傷させられて)欠場。
でも81年MSGシリーズも超豪華だった。 >>562
その模様
おそらく全盛期のアンドレがいたというのも大きそう >>565
かなり短く見えたけどヅラをとったとは思わず、
シャワーの後にネットのようなものをかぶってるのかと思ってた
髪の毛が細いからボリュームがなくなってあんな感じに見えるのかと
濡れた犬みたいに >>556
そのあとローデスが猪木と共闘してハンセン・ホーガンと対峙するようになるんでしたっけ?
なんか大流血したあとのローデスが突然味方になったので無性にうれしくなった記憶があるる あの頃、雑誌のインタビューでローデスがハンセンのことを
後輩として好意的に語ってたような記憶あるな。
ただ、ハンセンは見た目に特徴がないと言ってた。 >>567
そういう流れでローデスはベビー方向に。
それで猪木とも組んで。
81年MSGシリーズ中に組まれた猪木、ローデスVSハンセン、ホーガン。
終盤にシンが乱入。
本当に超豪華な乱戦と雑誌にも書いてあった。
また同シリーズでは猪木、バックランド、ローデスVSハンセン、ホーガン、ダンカンが組まれた。
凄いメンバーの6人タッグだね。
猪木、バックランド、ローデスの黄金トリオと書かれて。
これがダンカンじゃなくシンなら完璧だったが。
でもシンは色んな面で無理だったろう。
シンの立場やキャラを考えたら。
他もバックランド、藤波VSハンセン、ホーガンもあった。
ハンセン、シン、ダンカンやシン、ホーガン、スローター
或いはシン、ホーガン、アダムスとか。
こういうトリオも。 >また同シリーズでは猪木、バックランド、ローデスVSハンセン、ホーガン、ダンカンが組まれた。
凄いメンバーの6人タッグだね。
個人的には、昭和の最後に実現した猪木、藤波、長州vsベイダー、ビガロ、リップモーガン組を思い出したw ダンカンもWWFではそれなりに重宝されたレスラーだった筈だが
新日では中堅程度でしかなかったんだよな
ハンセンも個人的には世話になったし、尊敬もしてたんだろうが… スローターもこの81年時点ではアメリカではハンセンやホーガンより上だったみたい。
でも日本では中堅レベルで。
日本とアメリカでの立場の差が激しいな。
日本アメリカ双方で本当のトップだったはアンドレ、バックランド、ローデスくらいか。
後にホーガンは日本アメリカのスーパースターに大変貌するが。 >猪木、バックランド、ローデスVSハンセン、ホーガン、ダンカン
>これがダンカンじゃなくシンなら完璧だったが。
1981タッグのパンフにはその試合の写真が掲載されてて、
「猪木、バックランド、ローデスVSハンセン、シン、ダンカン」と書かれてたっけ。
明らかにホーガンが映っていたからシンではなくホーガンだろうとは思ったけど、
確かにハンセン、シン、ホーガンだったら凄いことになってたね。 >>573
そうなんだ?
当時のゴングではハンセン、ホーガン、ダンカンの試合が掲載されていた。
ノーテレが勿体ない。
ハンセン、シン、ホーガンのトリオは一度も組まれてないはず。
80年MSGタッグでも81年MSGシリーズでも。
収拾が付かなくなるから組まなかったのか?
シンがガチでホーガンをくそ生意気と嫌ってたからか?
でもシンとホーガンは6人タッグで何度か組んだ。
当時は試合結果をチェックしてたから。
80年MSGタッグ中ではハンセン、シン、上田のトリオがあったりしたが。
まあ超豪華メンバーが揃うと連日テレビマッチ並の超豪華カードが組まれた。
本当に贅沢三昧な時代だった。 >>572
ホーガンの日本でのブレイクはやはり82年5月のビッグファイトシリーズか ダンカンの思い出は81年の新春黄金シリーズの最終戦だったかの猪木とのシングル
猪木が一方的にボコボコ。場外ではシンが乱入しようと暴れるが、猪木はシンを挑発しつつダンカンを大流血させた後にバックドロップ葬 >>575
そうだね、あんときにブッチャーと抗争に伴い日本陣営に。
猪木欠場中だから助っ人的な扱いで。
これでホーガンが大ブレイクした。
その後は復帰した猪木と組んで更にそれに拍車が掛かり。
ハンセンとは状況は違ったもののホーガンもあの様な形で外人トップに。
何より日本のファンから認められて。
これが大きかった。
どんなに周りがプッシュしてもファンから認められなければ意味がない。
ホーガンは見事にそれもクリア。
IWGP決勝は猪木のアドリブだったらしいが。
でも猪木失神KOもホーガンの評価にはプラスに作用した。
IWGP優勝と猪木をKOしたという称号。
ホーガンが日本陣営に加わったのが始まりだね。 ダンカンは俺が初めて見に行った新日の興行でアニマル浜口にフォール負けしてたな… それまでのホーガンが人気なかったわけではないが。
人気はそれなりにあった。
でもただの人気という程度で。
日本陣営に加わってからの大人気。
それ以降は新日のヒーロー路線。
全日のテリーの様な存在。
新日はローデスを新日版テリーに仕立てた部分があった。
でもそこまでにはならず。
しかしホーガンは新日版テリーにもなり得たと思う。
テリーとはまたタイプも違ったが。
ホーガンも結果的にハンセン、ブロディ、アンドレと並ぶ存在に。
80年代前半の外人ビッグ4に。
ハンセン、ブロディ、アンドレ、ホーガン。
あの頃のホーガンは凄まじい大人気だった。
でもハンセン、ブロディ、アンドレみたいな怖さは感じなかったが。 >>576
ダンカンとは80年暮の本場MSGでも対戦。
こんときもダンカンを大流血させて。
猪木って流血試合が多い。
それも自分は流血せずに相手が流血。
ナックルの威力、というかナックルを強調させる為か?
83年暮のバンクーバーでのケリーブラウン戦でもブラウン大流血。
相手を流血させてキラー猪木を演出だったのか? >>579
83タッグリーグかな?
この年の後半は維新軍の格上げが不自然なくらいで外人が粗末な扱い受けてたからね… あの時期の外人は気の毒だったな。
ホーガンとアンドレ以外は杜撰な扱いで。
あとそこそこの扱いはマードックとアドニスくらいか。
84年ビッグファイトはスーパースター、ザンビア、アレン、マイクシャープ
地味ながら大型揃いでいいメンバーが集結。
でも維新とジュニアに隠れてしまって。
ザンビアなんか長州、浜口を子供扱いしたし、あのデカさは魅力だった。
ベイダーやビガロみたいには動けなかったが。
でもザンビアはベイダー、ビガロより一回り大きかったし。 平成になってIWGP第一回のリーグ戦について前田にインタビューしたら
ホーガンのことボロクソに貶していて笑った
いくら坂口のせいでギャラ安かったからってあんな酷い状態で
エース候補として会社に持ち上げてもらってたくせに… ヒロ・マツダの「この世界は客を呼んでくれる奴が一番えらいんだ」からすれば
ホーガンは最高のレスラーなんだがレスラー間ではあまり良く言われんね
テーズ、モンスーン、レイスもホーガンを酷評してたし >>582
タッグリーグてはなく普通のシリーズだった筈。
ガタイのでかさ全然違うから勝てない!と思ってたから驚いた。
今から考えても格落とし過ぎだよなあ。 マリガンなんかも勿体なかったね。
ハングマンとかも。
こういう大型外人をもっと色々と活かせなかったものかなあ?
維新ばかり全面的に売り出して外人を疎かに。
そのツケがあとで回ってきたが。
新日冬の時代はそのツケだろう。
天罰とかではなく。
維新ばかり売り出してアンドレ、ホーガンに続く外人を作らなかった。
だからその頼みの綱の維新が抜けたからさあ大変。
当たり前だわな。
ホーガンもアンドレも頻繁には呼べなくなってたし。
特にホーガンなんかフル参戦は無理な状況で。
だからマシーン軍団みたいなのを作らざるを得なかった。
苦肉の策で。
この頃に新間がいたら少しは違っただろうが。 >>588
約二年、S・ストロングマシン離脱、2号以下契約切れの後も
ジャイアントマシンまでよく引っ張ったかよな >>588
この時期ス―パ―マリオマンとか思ってたイメージが全く違う色物参戦させてたな。後はウォリア―ズの劣化版のマッドマックス。 81年MSGシリーズ公式戦でシンとダンカンが対決した時は、珍しくシンが流血して、ダンカンをコブラクローで仕留めた後にローデスがダンカンを救出に乱入したんだよね。
ローデスとダンカンが仲良しだったかは定かではないけど、これでメインのシン乱入の伏線になったわけだ。 マシン3号の、ヤス藤井は素顔で参戦して欲しかった。
頭下げて日本陣営に加わるが、姑息に裏切るとかやって欲しかったね。 >>589
ひどいな
このまま続けてもマイク・シャープみたいな
ジョバーになってただろうね >>594
日本陣営が手薄の時だから、戸口とともに助っ人はほしかったな。
とはいえ二人とも華がないから観客動員には結びつかないがw 戸口にしても、鶴田のライバルだった人なんだから、もうちょい使い方あったろうに。
カーンとのタッグくらいしか印象がない。 >>589
82年のウィニペグだとホーガンのAWA時代かな。ダンカンはAWAじゃずっとヒーナン軍団の
一員だから典型的なベビー(ホーガン)の花を持たせた試合っぽい。 新日本プロレスとAWAを行き来してブレイクする寸前、
ダンカン戦はMSGシリーズに来る直前のホーガンですわ。
https://www.cagematch.net/?id=2&nr=504&page=4&s=1500 ヨウツベに藤波・長州vsローデス・マードックが上がってて今更ながら見れて嬉しい。
MSGシリーズのセミだったかな。当時未放送。長州ブレイク前。
意外と藤波長州組のTVマッチって少ないんだよね。 >>593
珍しくシンが流血。
でもシンVSダンカン放送するならシンVSハンセンやシンVSホーガンを放送すべき。
シンVSハンセンは放送予定だった。
でもシン移籍が発覚したから放送取り止めになったって聞いた。
あの名古屋大会は優勝戦の翌週放送だったはず。
何と名古屋大会はシンもハンセンもTVに登場せず。
メインが猪木、藤波VSダンカン、スローターという…。
あのシンVSダンカンの大阪大会はダンカンとホーガンが入れ替わってたら、と思った。
メインが猪木、ローデスVSハンセン、ダンカンにして。
でもそれなら試合後にローデスが乱入する意味がない。
ホーガンとローデスも敵対関係だし。
まあ前年末にシンとローデスは遺恨を作ってる。
だからシンがメインに乱入しても違和感なかったけど。
新日の凝りに凝った演出。
シンVSダンカン後にローデス乱入。
確かにわかりやすいが。 >>593
シリーズ最終戦の蔵前大会でバックランド、ローデスVSダンカン、スローターが組まれた。
ゴングに掲載された写真のひとこま。
“ダウンしたダンカンに『お前はチキン野郎』と挑発するローデス”と書いてあった。
まあローデスとダンカンは完全敵対ではなかったにせよ。
ダンカンやスローターはハンセン側かローデス側、どちらにも付ける立ち位置。
そういう面では便利に活用できたはず。
にしてもシンVSハンセンとシンVSホーガンは放送して欲しかった。
ちなみにこのリーグ戦でシンはホーガンに反則負けが唯一の黒星だったはずだ。
ハンセンとは両リン。
猪木からは反則勝ち()後々フェンスアウト。
ハンセンはシンとドロー以外は全勝。
猪木はハンセンにリングアウト負けでシンには反則負け。
しかし準優勝戦と優勝戦ではシンに反則勝ち、ハンセンにリングアウト勝ち。
リーグ戦での敗北結果をそのまま返して勝ってた。 ■□■□...
引き分けでも十分な時代だったからね 反則 リングアウト 無効試合 便利なアイテムだったね。
特にリーグ戦の星取り勘定の調整やタイトルマッチには必要不可欠。
乱入も然り。
そっからまずフェンスアウト廃止になり。
90年代に入ると反則や両リンも自然と無くなっていった。
そういう流れで。
これはUWFの影響らしいが。
確かに両リンや反則で白ける場合もある。
しかしそれによりレスラーの格や商品価値が守られてきた面は大きい。
それが無くなってしまったが故にベテランが次々とフォール負けと。
●●のフォール負けは見たくなかった、というのが多い。
反則や両リン等を事実上の廃止にした事のデメリット。
それにより特にベテラン大物レスラーの格や商品価値が守られなくもなった。
自分の好きなレスラーがフォール負けするのはやはり見たくない。
見て気分いいものではないし。
90年前後からはシン、ブッチャーついでにハンセンまでフォール負けが多くなった。
嘆かわしい。 ローデス、ダンカン、ブロディはウエストテキサス大フットボール部の同期。 >>603
>ダンカンやスローターはハンセン側かローデス側、どちらにも付ける立ち位置。
ローデスやバックランドはもう日本陣営(ベビー外人)だったから、自然にダンカン、スローターは
対するハンセン&ホーガンチームに合流していた感じ。まあ米国でもハンセンとダンカンはコンビ組んでるし、
スローターもデストロイヤーマークUなんかでヒールは適役だし。 あとはアダムスとマスターズも人数合わせだった。
まあ外人勢はハンセン、シン側になるが。
でも日本ではダンカンもスローターも明らかなヒールでもなく。
もちろんベビーでもないが。
アダムスやマスターズも同じく。
80年MSGタッグの時期の週刊ファイトでシンがホーガンをボロクソ。
『クソ生意気な若僧』と。
上田の『金狼の遺言』でシンがとある生意気な外人にシュート仕掛けた、とあった。
首を実際に極めてしまった、と。
翌日からその外人は通路等でシンとバッタリ出会しても目を合わせられなかった。
それってホーガンの事かな?
本には時期は書いてなかった。
新日か全日かも。
まあシン、上田が外人と対戦したっちゅうたらMSGタッグか最強タッグくらい。
色々考えたが、やっぱりホーガンか?
それか83年最強タッグでのウインダム?ドスカラス?
シンより若い外人なのは間違いない。
わからぬ。 最近メディアでもよく目にするハーブ、パクチー。
どうしても「パクチュー(木村健の遠征名)」を連想してしまう。
ロスではグレート・イトー(上田馬之助)とコンビを組んでアメリカスタッグを奪取。
これをよく思わない人物が、何を隠そう上田と極悪タッグを組んで、当時親日を恐怖に陥れていたタイガージェットシン。
「ウエダはオレを裏切ってイノキのヤングボーイと組んで王座に就いた。許せない!」と激憤。
こうしてシンと上田の仲間割れブックが形成された。。w >>610
キッドじゃないか?
キッドは自伝でシンをけなしてなかったっけ? 割と知られた話のような気がするけど。
動画でもホーガンが何事か言った後にハンセンがたしなめる
シーン確認出来る。 >>614
週刊ファイトでは『お前なんか目じゃない』と。
それをハンセンが『失礼なこと言うな』とたしなめて。
動画でもホーガンはシンを指差して何か言ってるのがわかる。
シンは首を振りながら恒例の狂人パフォーマンス。
しかしそれはしっかり聞いていたのだ。
週刊ファイトにそれが書いてあった。
80年MSGタッグの時の週刊ファイト。
バックナンバーで買って持ってる。
シン、上田、ハンセンの三者会談で。
キッドはシン、上田時代には対戦ないはず。
新日と全日のタッグリーグ戦でもない。
84年最強タッグはシンはマイクショー。
でも途中で空中分解でキッド、スミスとは対戦してないと思った。
恐らくホーガンっぽい。
でもシン、上田、ハンセンの三者会談は面白かった。
二人ともアンドレをボロクソ、シンはマスカラスもボロクソ。
ハンセンは猪木を倒してタイトル奪取したから猪木を貶めて。
まあ実際に言ってるかはわからないが。 >>603
記憶違いのところがある。そのゴングの写真だが、ローデスがダウンしたスローターに「お前は弱虫野郎だ!」
というキャプションだよな。ダンカンは試合早々に足を痛めて戦闘不能になってからはスローターが出ずっぱりだったし。 >>616
そうか、『弱虫野郎』だったか。
ローデスが指差して挑発の写真だよね。
ゴングもバックナンバー残してるし、あの81年7月号別冊ゴングは数え切れない程開いた。
表紙が鶴田とリッキーで1ページ目が猪木が控え室で『ダー』の大きな写真。
ちなみにこの号でシンVSハンセンの試合もカラー掲載されてる。
写真見ると古舘が実況してる(であろう)姿も写ってる。
当時や後々には本当に何でこの試合が放送されなかったのか疑問で仕方なかった。
当時の俺の予想ではこうだった。
5/26大阪大会を放送
シンがメインに乱入してローデスを袋叩き。
ハンセンとシンが完全に共闘。
※ハンセン、ホーガンの解体も?
これは来る6/24の前宣伝。
猪木、ローデスVSシン、ハンセンが予定されていた。
6/4蔵前大会を放送
準優勝戦、優勝戦
翌週(6/11?)愛知大会を放送
大阪大会でシンとハンセンが共闘。
しかしここで両者の対決を放送したら共闘の意義が薄れる。
それで6/24にまた組んでも見てる側が混乱する。
シンとハンセンは共闘したり、戦ったり。
その6/24の為に敢えて愛知大会のシングルを放送しなかった。
勿体ないが、6/24の為に苦肉の策で。
しかし結果的にシンが移籍で6/24には出場せず。
新日テレ朝からしたら予想外の皮肉。
ずっとこういうことだと解釈していた。 >>578
新日本におけるブッチャーの最大功績はやはりこの時のホーガン大ブレイクか
結局はこのシリーズのみの抗争で終わったので印象に残り難いが >>615
あの三者会談で
シン「ホーガンの野郎は若造のくせに生意気なんだよ!いい気になるなと奴に言っとけ!」
ハンセン「ビンスが今回あんたとの契約書を持ってきたと言っていたよ」
シン「まだ分からん。ただ、ユーがその時WWF王者になっていたら俺の挑戦を受けろよ」
ハンセン「メイビー」
こんなやり取りが印象に残ってるな。 >>584-586
ホーガンはよく悪口のネタになる気の小ささとは裏腹に
対戦相手のハードヒットに細かいクレームを付ける一方で自分はキックやエルボーでカタいのを入れてくる悪い癖があったらしい(前田とは似た者同士同士だとも言える)
猪木もアックスボンバーは怖くないけどジャンピングニーパットは要注意だと遠回し的な表現でホーガンの不器用さ微調整の利かなさを指摘していたね
>>601
その試合テレ朝チャンネルでも放送してたよ
かませ犬発言の半年前とは思えないくらい長州に良い所無しの展開だったのには驚かせられた
>>616-617
スローターは82年9月のブラディファイトシリーズでも
ノーTVながら後楽園ホールでのホーガンとのシングルでアックスボンバーに対抗する形で
自分の持ち技の一つサージャントラリアット(サージェントライン)をアピールして試合を盛り上げるアイデアマンぶりを発揮していたね たぶん76年末だと思うんだけど、猪木・坂口対シン・ハンセンというカードがあった。
この試合はもちろん猪木組が勝ったんだけど、ハンセンはでくの坊で弱い奴っていう記憶がある。
77年あたりから突然強くなって出てきたから驚いた。 77年新春黄金はハンセンの新日初登場。
猪木、坂口VSシン、ハンセンは組まれた。
当時はまだ見てないが、何かの記事にあった。
まだハンセン開花の前。
だからただのカードだっただろう。
トップのシンに中堅のハンセンという。
よくあった図式のカード。
まあハンセンは相当化けたみたいだね。
この当時のハンセンは話でしか知らないけど。
そういう面では長州と似とるかも。
長州も革命前は殆ど存在感がなかったし。
しかしハンセンも長州もマット界の中心になり。
シンなんかは日本では最初から凄くて中心だった。
日本でトップ張った外人は大概が最初から注目される存在だった。
最初は殆ど注目もされずにビッグな存在になったのはハンセンくらいでは?
バックランドも似た感じか。
日本人なら長州だな。
ハンセンも長州も編にキャラクターに変身したわけでもなく。
コスチュームを変えたりもなく。
それで二人とも大変貌。
プロレスは人生だわ。 >>619
あったねえ。
シンがホーガンの事でハンセンに文句言ってると上田が仲裁。
いい加減にしてくれ、と。
取り敢えず猪木、バックランドの優勝は絶対に阻むとも。
シン組とハンセン組は公式戦が終わったから手を組もうとの流れ。
その週刊ファイトの見出しが『シンMSG出場』だったか。
あの頃のシンのMSG出場は見たかった。
あのヒールファイトは受けたと思うが。
ハンセンと共にバックランドのタイトルに挑戦して。
あれはファイトの勝手な記事だったのか?
それとも実際にそういう話はあっても結果的に流れたか?
まあシンのアメリカでのファイトは見たかった。
全日ならNWAかAWAとか。
ここ最近のシンのコメントだと『敢えてアメリカでは仕事しなかった』と。
色々とオファーがあったのかはわからんが。
82年2月にシンはシャーロットでドリーのインターに挑戦という予定もあった。
でもキャンセル。
これもゴングで報道されたし、全日中継でも言ってた。
シンのアメリカ登場も見たかったなあ。 >>605
なるほどねぇ
言われてみればごもっとも。
当時はリングアウトやフェンスアウトはすぐにでも撤廃して欲しかったものだったが。 >>625
シンはアメリカだと地元トロントの近くのデトロイトのシークの団体には出てシークと泥レスやってる。
https://www.youtube.com/watch?v=7LyV9g-ERTg >>617
MSGシリーズなんだから闘ったり組んだりするのはファンからしたら当然なんだけど
視聴者からしたらややこしいよね。
ハンセンvsシンがカットになったのはそれも大きいと思う。 中学生位になると、プロレス界が何かに気を使っているものだと薄っすらと感じるようになるよね。ハンセンVSホーガンみたいな好カードがなぜノーテレビなんだとか… ホーガンだけは、なぜか好きになれなかったな。
ハンセンやアンドレは好きだったけど。 シンVSハンセン
シンVSホーガン
ハンセンVSホーガン
この三つが結果的に放送されなかった。
シンVSハンセン以外は元からノーTV。
前年のアンドレVSローデスもノーTV。
新日は変に出し惜しみするよな。
当時は全日も同じか。
日頃見られるカードよりそういうシリーズでしか見られない試合を放送して欲しかった。
後々の維新ばかりで外人が杜撰な扱いにも繋がる。
84年IWGPでも外人絡みのいいカードは沢山あった。
しかし維新中心で。
あとタイガーマスクVS小林やタイガーマスクVS寺西も多かった。
同じ様なカードを頻繁に見せられたら流石に飽きる。
特に放送カードは三銃士………いやっファン重視にして欲しかったわ。 >>632
84年のIWGPのTVでメインが猪木藤波VS長州マサとか。ガッカリした思い出… >>624
77年の新春か、サンクス。
冬ってことは覚えていたけど、なにぶんガキの頃の記憶なもんで。
とりあえずあのシリーズは、
1 猪木坂口vsシン上田 …… たぶん
2 坂口小林vsシン上田 …… 北米タッグ。小林が粉砕されその後長期欠場
3 坂口vs上田 …… 鉄柱攻撃を受けた上田が逃亡
猪木vsシン
そして猪木坂口vsシンハンセンという流れだったと記憶している。
翌シリーズにMスーパースターが来日し、タッグマッチながら猪木がフォール負けして驚愕したという思い出も。 77年のWリーグ内でのタッグで猪木がM・スーパースターにネックブリーカーで
ピン取られた試合があったな。
スーパースター売り出しのためとはいえ馬場の十八番でフォールされるって
当時はガチな猪木ヲタは結構ショック受けてた。 >>632
81年のMSGシリーズはシンが日本で唯一、外国人とシングル総当たり戦だったし、その後に米国でスターになったスローター、アダムスもいたから、いろんな組み合わせが気になる。
特にスローターは日本では評価が低いが、84年からトップ・ベビーになったし、体格やテクニックやインサイドワークも十分一流だった。
当時のシンやハンセンとの絡みは非常に興味深いけど、あのメンバーじゃ放送はまずないわな。 >>635
吉田(長州)凱旋帰国のシリーズでもあったんだけど、
放送開始直後にスーパースターがカレーライス食べてるところが流されててw
しかしよくわかんねえけどスゲーのが来たなあって思った。
その日は吉田が雑魚相手に勝利、坂口がパワーズに負け、
最後に猪木・小林vsスーパースター・ボルコフという組み合わせだったけど、
小林は怪我が治ってなくて星野が代打でメインに登場。
大型外人相手にこんなので大丈夫かって不安に思ってたが、
案の定ほぼロンリーファイトになった猪木がフォールとられてしまった。
あれは猪木じゃなく相方の星野が悪いんだと信じ続け、
いつになっても星野に対する恨みは忘れなかった。 82年のMSGシリーズもメンバー的には充実している。
どの対戦カードも見てみたい。
アンドレ、マードック、スーパースター
ムラコ、シーク、アトラス >>632
タイガーマスクについては、カズウェルマーチンとかエルポラコとかタイガーと絡まないと
テレビに映ることすらなかったようなマイナーな選手も見れて、むしろ多彩だったと思うよ。
小林や寺西が多いってのは最後のサマーファイトシリーズの印象が強すぎたんだろうw 馬場は来日外人格上げのために外人相手には平気でピン負けするけど
猪木に関してはその限りではないというの定説だったからな
とはいえ創設期の新日はマジで一流外人が呼べず
KKクラップでリーグ戦を盛り上げるためには猪木が負けるしかなかった
それ以降の負け役は全部坂口に押し付けてしまったので
より一層クラップとのシングルでのフォール負けが際立ってしまったのだが >>637
ワープロ初期はタッグマッチで猪木のパートナーが坂口だとまあ安心、
(入団後の)小林だと強いけど坂口と違ってなんか攻められると弱いんでちょっと不安、
それが星野だと「なんでいいところで星野に交代すんだよ」と思って視てたな >>635
スーパースター戦でマネージャーのマレンコに葉巻で目を焼かれたのは
同じ頃だっけ?
あれは衝撃だったなあ >>636
81年MSGシリーズ中にシン、スローター組の試合があった。
全く大したコンビでもないのに古舘がやたら盛り上げていた。
『シンとスローターの大型凶悪コンビは驚異』とか。
まあ公式戦ではスローターは普通にシン、ハンセンに破れてるが。
スローターのTV登場はこの一回だけかな?
ダンカンは確か開幕戦とシン戦の二回?
あっ思い出したわ。
名古屋でシンVSハンセンが行われた日のメインだ。
猪木、藤波VSダンカン、スローター。
スローター二回でダンカン三回か。 >>638
82年MSGシリーズもメンバーは良かったね。
シン、ハンセンの二大看板が抜けたが。
外人絡みも興味深いカードが沢山あって。
アトラスなんかTV登場は開幕戦の藤波戦のみだし。
まだ維新前だけどもっと外人絡みを放送して欲しかった。
ホーガンは既に特別参加だったが。 82年第5回MSGでそろって参加したMスーパースターとアイアンシーク。
偶然にも?74年第1回Wリーグでもボロモンゴルとコシロバジリーとして参加してるな。 でも、あのハンセンVSホーガンの後楽園はなんであんなに真っ暗だったんだ?
ノーテレビの後楽園何回か見た事あるけどあんな真っ暗だった事1度もないんだけど… >>646
そうか、モンゴルズだったんだね。
そこにボルコフがいれば…
まあ81年MSGシリーズはアダムス、マスターズ、長州がジョブ。
ダンカン、スローター、坂口、藤波が中間管理職的な立場。
ホーガンが優勝戦線に絡むかどうかの位置付け。
猪木、シン、ハンセンの三つ巴。
これは最初からわかってた。
前年と前々年猪木、アンドレ、ハンセンの三つ巴。
この時代は猪木が優勝が当たり前。
後々のG1みたいな大どんでん返し、予想外の結末はなかった。
82年MSGシリーズは猪木の糖尿病での欠場。
しかしそこは敢えて膝負傷。
アウトローズに膝をやられてアンドレに止めを刺されて無念の欠場。
優勝戦辞退。
たしかによくできたシナリオだと。
動画で見たが、アウトローズも猪木も本当に役者だわ。
膝を徹底的に攻撃して苦痛の猪木。
あれだけやられたら膝にダメージが残る。
そしてアンドレとの公式戦でもその膝を狙われて。
病欠よりこっちの片が説得力あったし。 >>647
取り敢えず二人は本格タッグを結成していたからでは?
だから放送もせず。
せめて両リンにすれば良かったが。
でもハンセンを取り敢えず高得点で1位で決勝進出には星取り上は仕方ないか。
シン戦ではドローだから二回もドローは厳しいかも。
まあハンセンとホーガンがリーグ戦参戦と知った時は二人の対決に目が向いた。
放送されるとも思った。
ちなみに80年MSGタッグでの猪木、バックランドとアンドレ組の公式戦。
あれはアンドレとバックランドの対決はアメリカ本土に流したくない。
だからノーTVにした、という記事を見た。
先代ビンズの要請で。
放送されたらどっからアメリカ本土にもその映像が流れるかわからない。
先代ビンズはそれを懸念してあの試合は放送なしを。
ハンセンVSホーガンも似た状況だったのだろう。
でもファンからしたらそういう柵なんか関係ない。
見たいものは見たいと。 当時のホーガンはアメリカではすでにスターだったけど
新日ではアンドレ、ハンセン、シンと比べると格下的位置だった
たとえリングアウトでも、ホーガンがハンセンに負ける所は
海外的にアウトだった? 80年のアンドレVSローデスを当時全米2大ベビーの対戦ということで全米マットの混乱?を
懸念してか何だか知らんが(ビンスパパの申し出?)ノーTV、81年のハンセンVSホーガンは
タッグパートナー同士としてうなぎ登りの頃、ちょっと二人の構図がイメージ的に崩れるのでノーTVとか、、
親日は外人にきびしいのか優しいのかどっちやねん?? ホーガンがハンセンと後楽園ホールで対戦したのはWWEからリリースされた
直後じゃね?
アトラスに負けたの日本でも報道されてホーガンが怒ってた記憶ある。
https://www.cagematch.net/?id=2&nr=504&page=4&s=1700 ホーガンは81年MSGタッグはスケジュールの都合で参加できず。
特別参加のみ。
既にこの頃からアメリカでは売れていたのだろう。
本来はハンセンと組んで二年連続出場予定。
それでハンセンはマードックと組んだ。
もしホーガンがリーグ戦参加可能ならマードックはローデスとアウトローズ?
でもローデスはローデスでスケジュールが合わなかっただろう。
逆にそうなればアメリカのスケジュール蹴って日本優先にしたかも。
そこにブッチャー、アレンがいたら最高だったが。
まあ81年の時点でアメリカではハンセンよりホーガンが格上だったかも。
アンドレは日本重視してたから年末タッグリーグ戦と春は必ずフル参戦。。
思い入れがあったのか?稼げるシリーズだったのか?
ホーガンは82年MSGシリーズもリーグ戦不参加。
これもアメリカで売れていたから参戦できず。
こちらも特別参加で。
既に81年82年でホーガンもアメリカではビッグネームだった。 ロッキー3出演とかで一気にポピュラーな人気を得たしな。。
カンケー無いが月プロの読者コーナーで「ホーガンの在籍したラックスのLP譲ってください」
ってのがあったw アマバンドなのん。。 そっか、ロッキー3があったか。
すっかり忘れてたわ。
あれでホーガンはアメリカで大ブレイクしたんだな。
それが後々のWWF王者への布石。
日本でも大ブレイクしたのも重なり。 ホーガンの助っ人参戦はありがたいところもあったけど、
猪木&ホーガン組はリーグ戦での優勝が見えすぎていたのがマイナスだったかも。
83年のリーグ戦時期でこれと渡り合えるコンビなんてアンドレ&バックランドしか思い浮かばない。 >>652
ホーガンとアトラスは79年のジョージア時代からパワー合戦で抗争していたね。
そして翌80年からはニューヨーク地区で。
>>653
82年発売の『別冊ゴング12月特大号』にハンセンとホーガンの比較特集があったけど、
「アメリカではホーガンの活躍がやや上」という評価だった。
81年前半だとハンセンもMSGでバックランドとの抗争やサンマルチノとの因縁の再戦があったりしたからね。
81年だとアメリカではほぼ互角の活躍で、82年からはホーガンが上回る感じか。
>>654
WWFでハンセンとホーガンが一緒だった80年〜81年に、2人でニューヨークにほど近いコネチカットにいた時にホーガンに
電話がかかってきて、
ホーガン「シルベスター・スタローンがオレに会いたがってるんだ」
ハンセン「冗談はよせw」
こんなやりとりがあったそうだ。 超人ハルク役のルー・フェリグノとジムに居たところ
ホーガンの方が少し大きかったから注目されたとか
何かで読んだことあるな。
http://superherouniverse.com/art/data/681/Lou_vs_Hogan.GIF >>657
WWFの抗争アングルってのも、レスラーの格と無関係にアングルありきってとこもあるからな。
バックランドもバディ・ローズあたりとも抗争が組まれたし、サンマルチノもラリー・ズビスコとの師弟関係決裂アングルでしばらく抗争してた。
ハンセンもWWFではローズやズビスコと同類の位置だったんじゃないかな。 トニーアトラスの来日を凄く楽しみにしてたのに、テレビではほとんど出なかったのが残念だったな。タコばかり食わせて虐めやがってかわいそうにw アトラスってやっぱ変人すぎて2度目の来日はなかったのだろうか。
アメリカでは90年代あたりにも意外と出てきてたよね。 >>660
開幕戦で藤波とはいい試合をしたのに、以降は塩試合ばかりだったというのが信じられないよね。
普通のシリーズに呼んだほうが良かったと思うわ。 90年あたりに大仁田とアメリカで試合したのにFMWに呼ばれなかったアトラス ジョージ高野、トニー・アトラス組は体も頭も似た者同士で魅力的。 アトラスは初来日前の紹介では『真面目で曲がった事が嫌い』だと。
しかし蓋を開けたら変人。
アトラスは190はあっただろう。
逆サバというより表記間違いだろうと思う。
昔は別のレスラーのプロフを間違って記載とかよくあったらしい。
そのレスラーの資料の下に置いてあった資料のプロフを記載とか。
明らかに体格や年齢が違えば気付くだろうが。
2メートル越えが182とかの場合。
でも結構いい加減だったみたい。
そこでアトラスもプロフが183で。
アトラスは日本定着したら人気出たとは思う。
同じ黒人のブッチャーと対峙するベビーとか。
ヒールは取り敢えず向かなかっただろうからベビーとして。
80年代半ばは筋肉ブームでもあったし。
結局は一回のみの来日。
でも維新が登場してからは必要なかったかも。 81年第4回MSGがそれこそ予定通りの来日メンバーならIWGPどころじゃない空前絶後の豪華版。
アンドレ、ハンセン、ホーガン、アトラス、ボルコフ(いたっけ?)、ダンカン、スローター。。
日本組も猪木、坂口、藤波、長州と来るわけだが、、。だがw、時として運命のいたずらは
やっぱあるわけでアンドレがキラーカーンに足折りアクシデントが偶発的に起こり、
それが81年暮れから第5回MSG等のアンドレVSカーンの一連の抗争につながるという、
誠に事実はアングルより奇なりを目の当たりにする次第。。 81年MSGシリーズにシンが参加したのはアンドレの代替だったよね?
結果的に貴重な参加だったな。 >>662
それは逆で藤波ぐらいしか持ち味を引き出せなかったてこと。 >>666
ボルコフはポスターには載ってたけど来日中止。 >>665
雑誌のプロフィールとかでも身長の誤記?か逆サバは多々あったよね。
マードックー186p、ラシク―187p、コンガ・ザ・バーバリアンー183pとか。
いずれもゆうに190p以上あるのは明らか。 >>667
もしシンがMSGシリーズ参加しなければ。
そうなれば最後の新日はWWFビッグファイトシリーズ第一弾だった。
シンの新日ラストファイトはこのシリーズ最終戦。
そして全日に移籍。
そう考えたらシンのMSGシリーズ参戦は意義があった。
また外人勢との公式戦対決も組まれて。
ラストファイトも猪木との準決勝戦。
ビッグファイトシリーズが最後ならラストファイトは地方の最終戦。
ブッチャーの全日ラストファイトはブルックスと組んだ普通のタッグだった。
MSGシリーズ参戦しなければシンも同じ具合だった。
もし予定通りアンドレが参戦したら三年連続で猪木、アンドレ、ハンセンの三つ巴。
そして81年はホーガンがそこに絡むと。
80年はそこに坂口が絡んだが。
でもシンになったから三つ巴も新鮮味があった。
当時の別冊ゴングにもそれが書いてあった。
シンは異質だったが、新日の顔でもあったし。
そう考えとるシンのMSGシリーズ参戦は大成功で大正解。 >>670
マードック、ラシク、バーバリアンそしてアトラス、ムラコ
このへんは明らかに表記ミス。
みんな190以上はある。
逆にスーパースターも表記ミスだろう。
バックランドは逆サバか?
適当というかいい加減なのが多い。
年齢っちゅうか生年も適当なのがある。
日本人はないが外人。
公称より若いのもいれば公称より前に生まれたというケースも。
体重もアバウト。
ボクシングみたいな公開計量もないからジュニアもいい加減だし。
逆に公開計量なんかしたらジュニアタイトルに挑戦(又は保持)できなくなる。
そういうケースが大半だろう。
藤波もジュニア時代末期には実際に100越えてたらしいから。 >>674
190以上無いのは誰が見てもわかるだろ 実際の身長はわからんが、『どう見ても』って言うほど明確なもんとは思えんが ラシク、マードックは微妙だな。アトラス、ムラコ、コンガは
190cmないだろね。
新日本プロレスで公称身長195cmだったオートンJrが本国では
6ft1inなんだからわかりにくいね。 >>678
6ft1は185だぞ。
マードックはデカいぞ。
スティーブ・ウィリアムスは180ない気がする。 マスクドスーパースターズとして、ビッグジョンスタッドとコンビ組んでた時の写真でも
かなり慎重さがあったな。つか逆にジョンスタッドって普通に公称どおり2メートル越え(203pだっけ)なのか。。? 新日本は公称191cmの猪木が物差しだからな、流星仮面や殺人医師も198cmにせざるを得ない。 猪木は「山口良一のオールナイトニッポン」にゲスト出演した時、本当の身長は
188センチと言ってた。 カナダで藤波がコブラと組みスミス&ハートと対戦した時、一番小さく見えたのは藤波。
目の錯覚だと思っていたがやっぱり藤波は小さかった。 >>670
ウィリアムスは初来日時ファイトに
「大きいと聞いていたがこれじゃあ長州力と変わらないな」
と書かれてたな。 >>685
>猪木は「山口良一のオールナイトニッポン」にゲスト出演した時、本当の身長は
>188センチと言ってた。
×188センチ
〇189センチ
「体重は今104〜106kgぐらいですね。巡業で移動が多いとどうしても増えたり減ったりします。身長はプロフィールでは191cmになってますけどこれは少しサバを読んでいて本当は189cmです。」
こんな感じで喋っていたしその後に発売されたファイトやデラプロ等にも再録されていたよ >>671
>ブッチャーの全日ラストファイトはブルックスと組んだ普通のタッグだった。
たしかブロディも全日ラストファイト(新日移籍前)はキラー・ブルックスとのタッグだったな >>692
ブロディは木村、鶴見の国際血盟軍と組んだ六人タッグ。
『前座は冗談じゃない』と試合中に一人で引き上げた。
これはガチ行為で。
相手は馬場と誰か忘れたが。
あの試合がブロディの全日ラストマッチのはず。
シリーズ最終戦だったと思う。
※後に復帰したのは除いて。
シンのラストマッチは蔵前での猪木戦。
ハンセンのラストマッチはマードックと組んで大阪での猪木、藤波戦。
蔵前でのMSGタッグ準決勝戦。
シンとハンセン、新日ラストマッチは共に蔵前だったんだな。
これを書いてて気付いたわ。
アンドレの新日ラストマッチは両国で若松と組んだ猪木、上田戦?
名古屋?での猪木の腕折りに初ギブアップの方?
後者ならアンドレに取っては後味悪いな。 >>685
千原兄弟が自分よりも小さかったといってたけどさすがにそれは無いよな
あいつら180ちょいだからな
みなおかに出たビガロが石橋と身長負けてたのは不穏 >>693
京都での佐川急便杯トーナメントの優勝が、新日ラストじゃないかな。
猪木にリングアウト勝ちでの優勝で、ギブアップ勝ちの借りを返した!って雑誌でも見出しになってた。
後味悪いどころかちゃんとお返ししての送り出しじゃあないか。 佐川急便杯って、折角のワンデイトーナメントなのに中継も無くタイトルも掛からず、謎だったなあ。 藤波は「料理バンザイ」にゲストで出た時、司会の滝田栄を見上げて「滝田さん、大きいですね」としみじみ言っていた。
滝田は公称184pだけど、明らかに滝田が藤波を見下ろしていたのでレスラーの身長はハッタリかと子どもながら気づいた。。 >>696
IWGP 86' 追撃戦ってサブタイが入ってたよね?確か日曜の昼の興行だった様な? >>688
そう、赤パンの藤波。
藤波はNHKのひるどきにレギュラー出演していたけど、
加齢で縮んだのを差し引いても一般人と変わらなかった。
体力のなさもバレてしまったことがあり衝撃受けた。 >>695
アンドレは上田と84秒
猪木は坂口、マードック、スーパースターの三連戦ではね・・・
>>696
1000万円と優勝カップがあった
>>698
金曜日の夜 >>700
賞金つってもなあ、その形で新日にプレゼントしたんだろうか?
そしてそんなトーナメントで坂口、マードック、スーパースターとのシングル消費しちゃうのもなあ。 佐川急便が新日のタニマチとして大っぴらになったのはこの頃かな。
佐川会長は元々はジャンボ鶴田の後援会長だったそうだが、何故鞍替えしたのだろう? >>693
ブロディ木村鶴見の相手は馬場鶴田天龍のフルメンバー >>704
国際血盟軍がシンやブロディと国際色がない外人と組んでも国際イメージがない。
血盟軍は外人とも組める便利な枠だったが。 猪木の方はともかく、アンドレと上田のシングルは貴重だったのでは >>693
>ハンセンのラストマッチはマードックと組んで大阪での猪木、藤波戦。
蔵前でのMSGタッグ準決勝戦。
この年のMSGタッグの最終戦は大阪だから、これがハンセンのラストマッチだった。 >>709
たとえセミでもブロディからしたらビッグマッチでミゼットより順番が先になったら、
前座扱いされたと受け取ったんだろうな。 試合前からブロディは「今日は俺は十分しか仕事しないからな」って
宣言してたんだよな。その通りに十分で引き上げたという 昭和56年に猪木とパックランドがメキシコでWWF戦を行った記憶があるけど、それじゃあIWGPに向けてNWFのベルトを返上した意味ないよな >>712
猪木自身はその後タイトルに絡まなくなったけど、藤波にWWFヘビーに挑戦させたりWWFインターヘビー王座につかせたりしたしな。 ていうか親日の看板タイトルがNWFからIWGPになったようなもん。
タッグ王座も81年の北米タッグ封印後はしばらく設定はなかったが結局、85年にWWFインタータッグを復活。
だが、WWF提携切れが重なったので直後にIWGPタッグを新設(リーグ戦優勝組が戴冠)とあわただしい時期だった。
2王座とも藤波&木村健だったので記憶が交錯するなw ところでWWFインタータッグって親日初期にやってきたモンゴルズ(ジート&ボロ)も
初代のジート&べポ時代だがかつて保持していた。NY地区のタッグ王座はこれ以外に
USタッグやサモアンズやタナカ&フジらが保持したWWWFタッグ(WWE世界タッグの始祖)等があり
これらもまあ古い70年代の話なので王者変遷の詳細不明だわ。。 >>706
ブロディからしたら注目されるメインの下の試合なら『前座』と。
両国でもメインは鶴龍VSウォリアーズ。
ブロディはこの両国も『自分を前座に扱った』と。
例の長州とのタッグ対決。
移籍後のインタでそう語ってた。
あのシリーズはウォリアーズに注目が集まった。
それに我慢ならなかったブロディ。
こうなると試合順はあまり関係なかったと思う。
更に長州も全日登場したばかりで注目が集まってた。
そうなるとブロディは茅の外。
ブロディはそれが我慢ならず最終的に全日離脱。
ウォリアーズとも直接対決見たかったが、この時期は絶対に無理だろうな。
そんなブロディも新日では注目されたからまだ良かったのかも。 >>712
あったねえ。
でも何故メキシコで猪木VSバックランドのWWF戦?と思ったが。
確かにIWGPの為にNWF返上したのに別のタイトル挑戦は矛盾だ。
でも81年以降の新日は看板タイトルがなかった。
IWGPはまだ正式なタイトルではなかったし。
同時代に馬場はPWF保持していた。
ハンセンに取られたりしたが、まだまだ絡んでいた。
でも猪木は無冠。
ブッチャーもラッシャーもタイトル返上後に新日に登場。
ラッシャーはまだしもブッチャーはそれでタイトルマッチもなく。
もし猪木がNWF保持してたらブッチャーとのタイトルマッチは組まれただろう。
また北米タッグがあればブッチャー、アレンで挑戦と。
そうなればブッチャーの出番ももっとあった。
移籍直前に主要タイトル返上もブッチャーからしたら不運だった。
坂口の北米ヘビーにも挑戦もあっただろうし。
藤波のWWFインターにブッチャーが絡んでも意味ない。
あれは言わば藤波と長州の抗争の為のタイトルだったから。
全日ではシンはPWFやインタータッグには何度も挑戦した。
ブッチャーはとことん不運に尽きる。 >>716
ブロディの新日移籍前のシリーズ見ると半分以上メイン 80~84年はほぼメインだったからなぁ・・・ブロディ >>720
足4の字の状態のまま両者エプロンカウントアウトだったはず。3本勝負だったかな?デラプロで見た しかし今思うと、NWF封印からIWGPタイトル化までの何年もの間、
絶対エースの猪木がタイトル戦をせずによく話題をつないでいたもんだな。
むしろその時期の方が新日全盛期のテレビ視聴率だったし。 >>723
皮肉というか不思議だね。
81年にシンとハンセンの二大エースを引き抜かれた。
82年はその二大エース不在の状態。
逆に引き抜いたブッチャー、マードック、戸口はシン、ハンセンの穴埋めの存在にはならず。
にも関わらず82年は新日ブーム。
82年初頭の新間のコメント。
シンやハンセンが居なくなったのは残念。
でもうちはアントニオ猪木が看板。
それに他にも駒は沢山ある。
だからあの二人が居なくなっても全くダメージはない。
これは新間の強がりではなく現実だった。
まあ新間が強がりを言って、運良くそうなったのかも知れないが。
しかし82年は猪木が頻繁に欠場。
82年前半は長州革命前。
まあ佐山タイガーやホーガン大ブレイク、更に国際はぐれ軍団と駒はあった。
新間の言う新日本プロレスブームもビッグマウスではなかった。
今から考えると本当に新日のパワーを感じる。
猪木の頻繁欠場に引き抜いた三人が穴埋めにならず。
にも関わらずよくブームになった。
あとはIWGPへの幻想や期待感がそれを後押しした部分もあるが。
また更に大物を引き抜くのでは?との期待感も。
それらが同時期に交ぜ合わさって新日ブームとなったのだと思う。 ブッチャーと上田が持ってた
よくわからないローカルなベルト好きだった >>724
金曜ゴールデンで定時放映してたのも大きいな。やっぱあの時代でのテレビメディアの
パブリック効果は半端ない。 TBSの桜中学シリーズが終わって太陽にほえろ!もレギュラー陣が降板して
ワールドプロレスリングも猪木の衰えと共に衰退していく80年代中盤 >>726
やっぱりそうだね。
でも82年は実質佐山タイガーで持ってたもんだし。
まあ猪木の神通力はあったが。
欠場でも猪木の存在は大きかった時代。
あとはホーガンの大ブレイク。
それらの持ち駒で新日の黄金時代を築いた。
80年頃から新日は外人もかなり豪華になった。
そっから視聴率や観客動員数も増えていったみたいで。
しかしやはり佐山タイガーの存在が大きかった。
日本のプロレスで世間に浸透したのは三つ。
力道山
猪木VSアリ
佐山タイガーマスク
この三つだという記事があった。
かなり前の記事だが。
いつの記事か忘れたが、その時点では。
やはり佐山タイガーは世間にも浸透したし。
また佐山が天才的な動きができたのも大きい。
もしこれが三沢やジョージならあそこまでのブームにはならなかったはず。
三沢やジョージには悪いが。
タイガーマスクブームが猪木の存在をも食って。
82年秋からは長州革命。
あの大人しく地味で弱かった(と見られていた)長州の大変貌。
これがまた新日の人気に拍車を掛けた。
結果的に矛先の藤波をも凌ぐ人気と勢いを得て。
シンやハンセンが居なくなったダメージは微塵もなかった。 ドラゴンブームの頃は藤波に女性人気が集中してたけど
82年からUターンで帰ってくる87年位までは長州と小林は女性人気があったんだよな
天龍も革命後は妻帯者なのに女性人気が急上昇したよな
UWFだと前田と高田、若手だと武藤、山田、船木、野上が女性人気があった記憶 >>729
ドラゴンブーム以降の女性人気だと80年前後は健吾とジョージ。
小林、前田、高田は女性に人気あったが、長州、浜口は男に人気があった。
若手はまだ人気と言えるほどのものではなく、中野、安生、宮戸もU三銃士で人気があった。 レスラーのパンツはどちらかと言えばブリーフタイプなのに
なぜトランクスと言うのですか? ドラゴンブームに引っ張られる感じでライバルの木村健も女性人気が高まっていったな。
「健吾さ〜ん」て会場での黄色い声援もよく耳にしていた。 >>725
ブッチャーのベルトってカリビアンベビーだっけ?
81年のチャンカーの時、肩に担いで入場してて
その後、新日移籍のリング上で猪木に放り投げたぬ。
ブッチャーそのものより日テレで見たベルトがテレ朝に!って、そっちかい!って突っ込まれそうな感情があったわ >>736
あの曲、出だしが静かだからプロレスの入場曲には向かないよねw 85年か86年の2月14日に船木と野上がチョコ一番貰ったと週プロにあった。
ジ・アイドルズと。
後方で橋本と蝶野が0の指ポーズ。
0個だったと。
しかし年数が経って船木は離脱で野上よりも橋本や蝶野の方が遥かにビッグになった。 >>739
週プロのバレンタイン企画は面白かったよね
あの頃の蝶野はパンチで髭でケロからラーメンマンって仇名付けられてた
大矢、松田、片山の三人もあまり女性ファンの人気はなかったな
飯塚は多少付いてたみたいだけど >>738
でもブッチャーが使用したピンクなんとかの曲も出だしが地味だし 野上と船木は誕生日も同じなんだよね。
3月13日
野上20歳 船木17歳の誕生日が特集されていた。
『今日から酒が飲めるぜ』野上
『僕はコーラで我慢します』船木
こんなコメントが記載されていた。
しかし野上は大成せず。
船木は新日出て純粋なプロレスからも一線を引いた立場に。
船木は結局はプロレスに戻ってきたが。
二人とも三銃士と同期。
野上は残っててあんなだったけど船木は新日に残ってたらもっと売り出されたと思うね。 野上は一番吸収しなきゃならない時期に橋本にケガさせられたからな
キック多用する癖にレガース履かない橋本はクソ
キックを使わないくせに流行りでレガース履いた事のある
大仁田と石川隆士はマヌケだけど ジョーズのテーマはバンディ、ジョージのテーマはスピンクス 木村健吾
野上
飯塚
西村
このへんはレスラーとしての凄味や怖さを全く感じなかった。
また藤波みたいに怖さがなくても凄味や奥深さを感じる事もなく。
猪木、長州と殺伐としたものもなく。
また彼等は体が特別大きいわけでもなく、過去の肩書きが凄いわけでもなく。
またパワーが凄いわけでもなくて、これといったものがなかった。
もちろん殺伐としたものだけが大事なわけではないが。
にしても弱々しいというイメージが先行していた。
それが特に目立った。
彼等の持ち味は弱々しい姿だと。
一時期飯塚は格闘技色のスタイルになったがイマイチだった。 >>749
俺が言ってるのはそれこそ坂口や鶴田みたいな大きさという意味。
わかりやすく坂口や鶴田を出したが。
それかパワーが長けてるとかテクニックとか何かしら。
上記四人はそういう売りがなかったと。
弱々しいイメージをカバーするものを兼ね添えてなかったと思う。
しかし体が大きいだけでは木偶の坊にもなり兼ねないけど。
あの四人ならもし坂口、鶴田サイズでもただの木偶の坊だったかも知れないが。
そういうレスラーは他にもいたけどね。
全日にも。
よくレスラーになれたな、と子供ながらに思ったレスラーも確かにいた。
レスラー=強い レスラー=凄い 昔はこういうイメージや幻想があったから。 >>743
いや、初来日(昭和62年1月)のビガロは『ジョーズのテーマ』で入場していたよ。
だからあえて昭和スレに書き込んだんだよ。
バンディもそうだったっけ? >>748
中堅レスラーなんだからそんなもんだろう。
健吾もそれなりに屋台骨支えたし、野上や西村で悠々自適に、飯塚は与えられた役割真摯にこなしてる。 >>752
そうだね。
猪木、長州、藤波と並べるから見劣るのは当然か。
確かにそのレベルではないが、各々役割は果たしていた。
メインやトップがいて中堅や前座もいる。
昔は木村健吾も藤波や長州と並ぶ存在になるかと思った。
でも木村健吾はトップと中堅の中間の位置付けだね。
木村健吾、木戸、マシーン、越中、馳、後藤、野上、飯塚
このあたりが90年代の中堅層だった。
木村健吾、マシーン、越中、馳はトップやメインでも使えて。 バンディ、ビガロ以外にもいたよ。ジョーズのテーマは
まあ、似たような巨漢の外人のテーマ >>753
健吾は80年頃は藤波、長州を抑えてNO.2まで上がってた。
1980年9月30日、武道館4大タイトル戦は猪木、バックランド、藤波、健吾が主役で
11.3蔵前は猪木と健吾の2大タイトル戦がメイン。
http://www4.point.ne.jp/~kirisame/battle/namakansenki/1980_kansenki/19800930_shinnihon.html
http://www4.point.ne.jp/~kirisame/battle/namakansenki/1980_kansenki/19801103_shinnihon.html UWFが戻ってきてから後楽園ホールのバルコニーの客達の
健吾へのヤジがキツイんだよな、長州達が戻って来てからも
調子に乗ってますますエスカレートした >>744
タカシのレガース姿は妖艶で良かった
ああいうのを男の色気っていんだよな 誤:ああいうのを男の色気っていんだよな
正:ああいうのを男の色気っていうんだよな
お詫びして訂正いたします 大量離脱で焼け野原みたいな時にワープロでのケンゴの『稲妻!』は唯一明るく笑えたんだよなw ジュニアでは藤波のライバル、大量離脱後の藤波木村組は名チーム、ベテランになっても平成維震軍の重鎮として控えてた。
エースにはなれなくとも新日本を語る時には欠かせない選手だよ。
あと以外とデカい。 >>743
バンディは新日では違うよ。ビスカヤってバンドの曲。
かなり後年にIWAジャパンに来たときがジョーズだった・・らしい >>759
大都市だと健吾が「稲妻!!」とアピールして放つと目茶苦茶盛り上がるが、地方だとどうだったんだ? 年末の大阪城ホールの唐突な藤波戦から
年明けのシングル連戦とワンマッチ興業で決着
後楽園の鉄棒入りの稲妻で勝ったと思ったら無効試合
木村を焚き付けたのは猪木だって話だけどマジ? 鉄パイプ問題はどう考えても事前に藤波と打ち合わせが行われただろ
あのやり取りが無ければ藤波がケンゴごときにピン負けを許すはずがない
ケンゴが引退試合に藤波を指名したのに無視したぐらいだし 鉄パイプには笑わせてもらったわ
あんなアングル誰が考えたんだよ
リングのスプリングを固定するのはおもしろかったな
パイルドライバーがやけに痛そうだった 黒タイツになってからも、ごくたまに、思いついたように白タイツに変える健吾。 >>755
さすがに80年、ナンバー2はまだまだ坂口でわw?
木村健も海外武者修行でアメリカスタッグやNWAライトなんかを獲得、帰国後も
国際で永源と大暴れしたり藤波の後を継いでNWAインターJr戴冠と実績を積むけど
やっぱ藤波と肩を並べる人気&実力は得られなかったな。「良きパートナー」という位置づけ。
あとチャボとのNWAインター戦は木村自身はともかくアレコレと汚点を残したね。 ワンマッチ興業って最初の告知ではは前座で実験試合が二試合組まれる予定だったよね?
打撃禁止の試合とともう一試合のルールは忘れたけど 健吾は海外武者修行時代にプエルトリコでボスのカルロス・コロンからプエルトリコ・ヘビー級王座を奪取してるんだよな。
当時の王者はプエルトリカン以外のレスラーだと、ブッチャー、オックス・ベイカー、モンゴリアン・ストンパー、ドリー・ファンク・ジュニアなどのビッグネームばかり。
24歳の若造だった健吾(ケンドー・キムラ)がコロンから王座を取るのはかなり異例。あと、カリビアンタッグ王座も荒川と組んで取っている。
プエルトリコに限って言えば、武藤(スーパー・ブラック・ニンジャ)以上じゃないか、健吾はw >>717
バックランドとはフロリダ。
メキシコはシン WWF Heavyweight Title Best Two Out Of Three Falls Match
(Special Referee: Lou Thesz): Bob Backlund (c) vs. Antonio Inoki
- Draw [1:1] (31:23)
UWA - Event @ El Toreo de Cuatro Caminos in Naucalpan de Juarez,
Estado de Mexico, Mexiko
https://www.cagematch.net/?id=91&nr=124&page=2 どっかでバンバンビガロの初代テーマ曲
手に入らんかね
バーンバーンビガロってやつ >>771
それは80年でしょ。
81年春にメキシコでバックランドVS猪木のWWFタイトルマッチはあったはず。
藤波はカネックが相手だったかな?
>>712でも『昭和56年』と書いてあるし。
80年春は猪木は一気に三冠王になる可能性があるという報道があった。
この時点で猪木は無冠。
メキシコでシンのUWAに挑戦(初挑戦)。
フロリダでバックランドのWWFに挑戦。
蔵前でハンセンのNWFに挑戦。
これでうまくいけば猪木は一気に三冠王だと。
結果的にシンからUWAを奪取、ハンセンからNWFを奪回。
バックランドからはWWF奪取ならずで三冠王にはならなかったが。
秋にシンからUWA奪回されるまで猪木は二冠王。 >>773
あの曲はビガロが宅録で作ったとか、ギターが上手かったから >>774
かなり前にゴングで当時の新日や全日の常連外人のテーマ曲リストがあった。
その中でビガロとスタイナーズのテーマは入手不可能(困難?)と書いてあった。すると
ふたつともいいテーマなのに。
スタイナーズのテーマも好きだったなあ。 スタイナーズのはようつべにオリジナルのがアップされてるね。
但しあの曲は
現地WCWではシッド・ビシャス(もしくはスカイ・スクレイパーズ)のテーマとして使用されてたから
スタイナーズで検索してもヒットしないけど。 >>776
ビガロ、ピンクフロイドの大ファンなんだっけ。 >>765
如何に金曜20時撤退、客入り低迷で迷走していたかがよく解る。 ビガロのテーマは昔ニコニコに上がってたけど消されたね >>775
IWGPに向けてのタイトル返上前年の80年って、逆にタイトル乱立の時期だった。
猪木も藤波も一時期は二冠王、S小林も提携(対抗戦)がらみで古巣の国際でIWA世界タッグを保持。
ただ、一人で二つの王座を維持するのは防衛戦に関する興行面で、頻雑というか焦点も分散しがちな嫌いがあって
メリットもあまりなく、早々に一方の王座を明け渡す羽目に。。佐山タイガーもWWFとNWAのジュニア二冠だったが
同じような印象があったな。 ところで80年の2月に猪木がハンセンに敗れNWF王座を逸した試合、たしか直後に行われる
格闘技戦いわくつきの相手、ウイリーウイリアムsが観戦に来ていたらしいが、
よもや敗けるとは双方思うことはなかっただろうが、これもファンの
格闘技戦に臨む不安と期待を扇動するための布石ととらえればいいのか。 >>768
坂口は社内NO.2でリング上のNO.2は微妙では?
見ようによっては引退までNO.2にも思える。
馬場の死ぬまで全日NO.1と同じような感じ。 >>783
4月の蔵前でのハンセンへのリターンマッチの時は試合前にシンが登場。
何と私服でリング上からUWAタイトルマッチをアピール。
カネックから奪取したUWAのベルトを持ってリングからマイクでアピールした。
この時はシンは普通に通路から入ってきたなかな?
また退場時もそのまま普通におとなしく?
その後にハンセンが入場。
当時はシンとハンセンの絡みも注目だな。
控え室では普通に話しただろうが。
でもマスコミの前では敢えて顔を会わさない様にしたかも。 >>269
流友美曰く、薄くなりかけた頭皮を隠す為、師匠のキラーコワルスキー同様にマスク着用。 >>790
アメリカでヒールとしてアンドレと抗争してるのに、日本でタッグ組むから気遣って被ったんじゃなかった?
どこで情報が伝わるかわからないからと。
本人は当時のインタビューで「なぜマスク被るのか」と聞かれて「気分次第」と答えていたけどw >>787
ありがとう。
その時のシンの入場退場時の映像は流れた。
さすがにファンは近寄らなかったと思うけど。
いくらシンが私服で大人しくしていても。 >>791
それが本当だろうけどね、流の本にはハゲ隠しって書いてる。 >>791
スタッドやベイダーみたいに素顔がわかってるのにマスクって…
新日は意味不明な事すると思った。
キャンディのマリオマンなんかもそうだし。
逆に『マスクマンは正体不明』の概念を敢えて崩していたのかな?
ベイダーもデビュー戦は素顔。
雑誌での紹介も素顔。
しかし88年年明けからは体全身覆ったコスチュームに変なマスク。
仮面ライダーの敵キャラみたいな格好で。
そっから一時期被り続けた定番のマスクに。 全日と比べて新日の方がマスクに対するリスペクトが薄いのは確かだ
キン肉マンのプロデュースが失敗したからって、ストロングマシーンとして頑張ってる平田に対して
平気でお前は平田だろとかバラすし、カネックにマスク脱ぐこと強要して逃亡事件起こさせたり…
キラー・コワルスキーが何の脈絡もなく紫のコスチュームに合わせたマスク被って来ても
そっとしておく全日とはえらい違いだ タイガーと戦ったマスクド・ハリケーンも正体はボビー・リーって事前にわかってたわけだしな。 >>796
そうなの?当時雑誌などでファンにもわかってたってこと? 798泣くわ
マスクマンは正体不明の触れ込みだったからね。
昔は大百科や入門等には『ベビーがマスク被ってヒールやる為というのもある』とか。
子供だったから本気にして信じたもんだ。
コンビクトが脱獄者というので警察に電話した子供もいたらしいし。
そういうギミックを信じる心が美しく感じる。 マスクドスーパースターは賞金&覆面賭けマッチで猪木に負けてマスク脱いだけど顔は隠してたよね。
でもその後すぐビリークラッシャーとして素顔で来日したのは何だったんだろw
結局またマスクドスーパースターに戻ったし。 >>799
新間から素顔でベビーフェイスになって欲しいって言われたそうだが
別にビリークラッシャー期もベビーとしてはやってないよね 流星仮面はあの青い目が美しい。白人の中でも群を抜く目の美しさ。かっこよかったね 逆に言えば目しか見どころが無いからマスク被ったり
ペイントしてブサ隠ししてる マスク剥ぎとかされるとき、自分から脱ぎに行ってたしな、スーパースターw >>795
平田はIWGPのXとして凱旋帰国させようとしてた。 スーパースターの奥さんて美人だよね
デラプロに載ってた気がする マスク剥ぎというとスーパーよりもうちょい前にアジアンテローズという覆面コンビが
来日したが、テレビマッチで片割れが猪木にマスクをはがされ禿げ頭が露出。
すぐさまグレートゴリアスと判明して、桜井康夫氏が「もうひとりはゴールドマンということでしょうかねえ」と
解説してたなw >>808
このネーミング、今じゃ絶対NGだろうな。 スーパースターはもっと意欲や自己主張が強ければシン、ハンセン、ベイダークラスになれたろう。
どうしても大人しいイメージがある。
新日から言われたことは何でもこなすイエスマンだったのかな?
日本でスーパースターとシンやハンセンの対決を見たかった。
80年MSGタッグにスーパースターが通常通り参加しとれば実現した。
ようつべでアメリカでのハンセンとスーパースターのタッグ対決を見た。
お互いにガンガンやり合っていい試合だった。
日本向けの内容。
双方のパートナーが誰だかは忘れたが。 >>810
ハンセンと同じで前職は学校の先生だったみたいね?
ある意味常識人なんだろうな
シリーズの前夜祭とかでもキッチリスーツ着てたし
マードックはいつものラフな格好だったけど 馬場が「プロレスラーは多少トンパチな方が得だ」と書いていたね
二コリ・ボルコフについて「真面目だがおとなしすぎるのでトップに立つ事は難しいだろうが
息の長いレスラー生活をおくることはできるだろう」と評してたが
スーパースターも似たものを感じる 猪木の木戸への評価も似たような感じだった
真面目で確かな技術もあるんだが
長州や藤原みたいなチャンスを掴ませるきっかけがなかったと語ってたな >>813
まあ木戸はメインで起用するには上背が無さ過ぎたし体重もジュニアクラスだったから
藤波や健介棚橋等の様に無理にでも何とか体を大きくしようと試みてもいなかったし
昭和の感覚だと売りだそうにもファン関係者から見たら頼りない雰囲気が先に立ってしまう >>812
(組んではいないが)モンゴルスは模範生の集まり(リーダーの人となりは知らないけど)? ベイダーは素顔からマスク被ったことより、全身タイツのほうが意味不明だった。 >>814
木戸って公称180センチだけど、ガチでそのくらいあるんじゃないのかな。公称で彼より長身になってる長州、藤波と当たってもむしろ大きいくらいに見えたけど。
体も厚みがあったし。まあ猪木目線では、欲のない男だから、中堅止まりでいいとこに映ったんだろうな。 木戸はスター性がなかったけど、UWFが出来たおかげで「地味だけど実は実力者」
というポジションが得られて得をしたと思う。
IWGPタッグにもついたし、イリミネーションで最後の一人まで残ったりしたし、
UWF行ってなかったらあんなにビッグマッチのメインに出る事もなかったろう。 ベイダーの甲冑のスモーク噴射もクロネコがリモート操作してたのかね
たまに脱いで置いてある鎧兜から突拍子も無いタイミングでプシュー!っとか
ベイダー自身が戸惑うような頓珍漢演出?が見られたけど。
関係無いけどキャットって長いこと日本に居たのにデーブ・スペクターばりの
カタコトだったな。日本語とスワヒリ語はとっつきにくいからケニーが優秀なのか。
外人力士なんか24時間日本人に囲まれてるから否が応でもペラペラになるけどね キャットは佐山の対戦相手としてゴールデンで全国放送されたので知名度は高かったよね。 >>819
木戸は昭和50年代前半の坂口&小林が北米タッグ王者の頃は猪木の正パートナーだった。
創成期のパートナーは小鉄、柴田で人材不足だった。 木戸はタッグマッチでホークを木戸クラッチでフォールしたことあったよな 突然でなにが起こったのかわからなかった 木戸のサプライズと言えば
86年8月にIWGPタッグで木戸クラッチで健吾にフォール勝ちと
同年のタッグリーグ開幕戦で、同じく木戸クラッチでマスクドスーパースターに
フォール勝ちした事だよね。
健吾はともかく、スーパースターは維新軍時代の長州やM斎藤も
フォール勝ちどころかリングアウト勝ちのブックすら貰えなかったんだよね。
二人ともシングル(IWGPリーグ戦)は反則勝ち ブラックキャットだったりクロネコだったり、
表記がややこしかった。 >>683
自己レスだけど、流星仮面のこと6フィート6インチとかいてある。
新日本プロレスが公称身長198cmにしてた時期あるのもまんざら
根拠ない訳でもないね。 >>827
だとすると数値的にマードックやブロディは馬場級でスタッドはアンドレ級だぞ。
6.6フィートはスタッドの方じゃないの? 小さい方がsix foot six 二人合わせて13フィート超と書いてる。
もちろんBilled height のことだから実際の数字ではないよ。
スタッドはBilled heightが6フィート10インチの頃もあった。 >>818
>木戸って公称180センチだけど、ガチでそのくらいあるんじゃないのかな。公称で彼より長身になってる長州、藤波と当たってもむしろ大きいくらいに見えたけど。
流石にそれは無い
娘の木戸愛と一緒に写ってる写真を見れば分かるだろうけど実寸で175cmあるかないかだよ
若い頃から藤波とは明らかに身長差があったし
身長以上に木戸の場合掌や足(靴のサイズ)が小さくて客席からは頼りなさげに見えるのもトップに据えるにはマイナスだった
>>827-828
スーパースターは肩幅が広いしリング上では緩急を付けた動きが巧くて84年頃までは自分を大きく見せるのに長けていた印象があったからね
逆にスタッドはロープに飛ぶ以外は小股でチョコチョコ歩く様に動くから大きさや迫力を感じない 外人ボスがアンドレの時は酒が多くなり
スーパースターの時はみんなよく練習する >>819
UWFとかの格闘系プロレスで最終的に一番得したのって
前田や高田舩木よりむしろ木戸や藤原あるいは全日なら後年の渕とか小川のような
「地味だけど実は実力者のシュート野郎」ってのが(実態に関係なく)
一般ファンレベルでもレスラーの「キャラ付け」としてアリになったおかげで
↑になったレスラーたちの気がするな スーパースターはマスクを被ってると顔が小さいが脱ぐと物凄くデカく感じる。 スーパースターが素顔で出ていたポスター
オーディオだっけ >>823
それ両国で健吾に初めて決めてIWGPタッグ取った時だよ。
健吾がサイドスープレックスやろうとしたら、何が起こったのか分からなかった。
いいサプライズだった。 >>832
週プロでは、87年頃に栗栖は影の実力者的な描かれ方をしてたよね。
まさか、3年後位に別の形で(椅子大魔王)ブレイクするとは思わなかったけどw 流星仮面のランニングネックブリーカーを古館アナが「フライングスリーパー」と呼んだのはドン引きしたな。馬場に忖度したのが子供にも分かっちゃったw 馬場のランニングネックは決めの必殺技だが、マスクドのは空振りを演じて
攻撃の入れ替えも含めた技。 スーパースターのネックブリーカーはスウィング式のも迫力があった。 ホーガンもスイング式ネックブリーカー真似してたけど、スロー過ぎて
別の技に見えた。 ホーガンは動きがドタドタしていて滑らかじゃないんだが
逆にあれがアニメのキャラみたいな動きで良かったのかもしれんと思う まさしくギロチンドロップなんて決め技はホーガン以外認められんだろうな。
巨体でどたどたした動きが逆にあんなインチキ臭い技に説得力を持たせている >>838
そういうのは「忖度」とは違うよ。そんな造語じゃなく「フライング・ネックブリーカー・ドロップ」っていった方が同じ技の第一人者として馬場に光が当たるんだから。 なんでフライングスリーパーなんて呼び方したんだ?全然スリーパーじゃないよな ブレーンバスターだってほとんどのレスラーのは脳天砕きじゃないし 全日の実況でもフライングスリーパーは使われてるが、勿論、馬場のフライングネックブリーカードロップに対してではなく
カブキが鶴見か誰かとのフィニッシュで使った技。
ちょっと文では説明出来ないけど、棚橋のスリングブレイドがもっと泥臭くなった感じ 向こうでもFlying Neckbreaker Dropと言われてるようだから
それで良かったよね。馬場は長身だから跳ぶ必要なかったし。
https://www.cagematch.net/?id=2&nr=806 スーパースターのハイジャックバックブリーカーがカッコよかったが、
マスコミのジイサンたちは「ジョナサンに比べたらスケールが違う!」って書いてて、
そんな古い人知らんわ!って思ったもんだw 流星仮面のファンだったけど、ハイジャックバックブリーカーには
幻滅した。柔軟体操みたいな形だった。
http://up.ahhhh.info/eb7XKF.jpeg ハイジャックとかカナディアンとかのバックブリーカーって
小学生の頃やっても痛くもなんともなかったよね
むしろいい屈伸になるかんじ
大学の頃、アパートの大家さんの孫の男の子(小学校低学年)の
プロレスごっこにつき合ってカナディアンやってやると喜ばれたなあ
バックブリーカーが効くようになったら身体が硬くなってきてる証拠 全然別の技だけど、ハイジャックバックブリーカーはホールの
この技のイメージに近い感じであって欲しかった。
https://youtu.be/3cNsyACnX4c スーパースターがハイジャックバックブリーカー出したの藤波とのWWFインター戦以外であったっけ? >>850
このジョナサンが馬場に決めてる方、もっとデカイ写真を子供の頃見た事あるが
馬場が顔真っ赤にしてるの見て、どんなに強烈で怖い技なんだろうと思ったが、馬場の身体が硬かっただけなんだろうか? >>846
垂直落下DDTこそがブレーンバスターだろな >>852
コブラツイストとかもね
子供同士だと痛くない。大人でも女子プロなんかだと男子みたいにガチッと絡まないで隙間が空いていて説得力に欠けていた >>846 >>856
KKコックスやレイスのようなホントに頭から落とすのがブレーンバスターだな。
レイスは特にバーティカルスープレックスと呼んで差別化してるが。 マスクドスーパーの見せ所だが特に藤波戦なんかはトッペ受け止めとかフォールされても
藤波を身体ごと吹っ飛ばす力技w >>845
フライングボディシザースドロップ
空中胴締め落としも形が胴締めっぽいだけで
全然胴を締めてないね >>859
上になった藤波が自分でぶっ飛んでるんだよ。
>>860
完全に胴絞めでフライングボディシザースやったら自分の足が骨折だよ。 いや、ネーミングがもうちょっとなんとかならんかったんかなと ハイジャック・バックブリーカーって名付け親は山田か桜井だっけ?70年のよど号事件に引っ掛けたネーミングだよね。
今ならそういう犯罪事件を想起させる名前は自粛なんだろうな。 >>854
ホーガン戦が初披露じゃなかったかな?
その時はまさしく柔軟体操。 原爆固めと名付けたのは桜井だったな。
初めて見たカール・ゴッチのジャーマンに興奮して社に電話入れて「一体その技は何だ?!」と問われて思わず「げ、原爆固め!」と答えたとか。
当時の日本では原爆=最強の印象が強烈にあったのだろうな。 殺人狂 キラー・コワルスキーってのも今はダメだろうね そーいや昔からアメリカで活躍する日本人(日系)レスラーは少なからず、広島や長崎の復讐とか
原爆禍をアピールしたり旭日旗を掲げて大日本帝国ギミック?がお馴染みだったがもうすっかり廃れたな。 ナチスギミックのレスラーも見なくなったしね
今やるとヤバいんだろうな >>866
割と近年でもウィリアムスが「殺人医師」だったが、
コワルスキーは「殺人」と「狂(キチガイ)」の合わせ技で、やはりこっちがマズイか。 >>858
マードックの優しく落とす感じの好き
マスクドスーパースター評価高いのね
トニーセントクレアーと同等くらいのつまらない認識だったわ >>869
黒い魔人 ボボ・ブラジルはダメだな。黒いが差別でボボは九州でダメ。
黒い呪術師ブッチャーもダメだな。
気違い犬 マッドドッグ・バションもダメ。
黒い恐怖、黒い弾丸、黒い小型爆弾 ルター・レンジもアウト。
UWFのカダフィ大佐 藤原喜明はどうだ? コックスvsマードックの試合後に若手時代の大仁田と渕がブレーンバスターやられてるのが好き。品評会みたいになってたw ブレーンバスターに関してはダイナマイトキッドの高速式の登場で方向が変わってきたな。 >>873
スナップ式の方がダメージは少ないそうだな。
バーティカルのように、落差が大きい方がキツいらしい。 >>871
名前のボボは仕方ないと思うw
あとレスラーでないが、モーリススミスは「黒いボーイング機」だった。
藤原は「テロリスト」のがマズイとも思ったが、村上も一時期「平成のテロリスト」と言われてた。 アニメのタイガーマスクでは、ポポ・アフリカになってたっけかな>ボボ・ブラジル ジョニーバレンタインの脳天へのエルボーがブレーンバスターと呼ばれてたんじゃなかったっけ? ホーガンのアバランシュホールドはカリフォルニアクラッシュになってたな。 「ブッチャー」も割とリングネームに多いね。アブドーラがこれほど国民的人気レスラーになったことで、
「ブッチャー」という名前が浸透しちゃったけど、その意味を考えれば皮肉だな。 反則決着やノーコンテストになった試合後のリング上で
乱戦を止めに入る若手や中堅にラリアートだのブレンバスターだの地獄突きだの
そのレスラーの売り物の大技を大サービスで連発して
その度に食った若手がエビみたいにピクピクのたうち回ったり吹っ飛んだりしながら
もんどりうちながら邪魔にならないよう場外に掃けていくのが良かったなあ >>867
WWEで健想の天皇ギミックが抗議を恐れてNG喰らったから
もう駄目なんじゃね? >>874
ステップしてから相手の懐に踏み込んで投げるから
投げる方も腰に負担が掛からないんだとか 雪崩式のブレーンバスターって掛けてる方と受けてる方、どちらにダメージあるか解らん技だった。
昔、全日で三沢タイガーとキッドがシングルでやった時
キッドがポスト最上段から出したが、キッドの方からマットに落下してたし。 >>870
マードックが使う相手を持ち上げて、自分の尻→背中をマットに着けてから相手の脳天をマットに叩きつける形が本来のブレーンバスター。
90年代になって相手の脳天をダイレクトに叩きつける形が主流になって、見ていてヒヤヒヤする。 >>884
元祖のタイプはコックスとかマードックみたいにケツがデカくないと
上手く決まらないんだってな 全日時代のマードックは鶴田からUN奪った試合くらいしか記憶がないが、
親日時代はホントに存在感を示したな。仔牛の焼き印とか全日で見た記憶がない(ど忘れかもだが)し
開口一番の「ブレーンバスター」、ブッチャーとの因縁、アドニスというパートナー、ケツ出しw・・。
まあ親日がそれほど外人天国じゃないのでマードックの活躍が目立てたのもあるけどね。 >>879
クラスでデブの子は大抵ブッチャーとあだ名されたよな。 >>807
そのデラプロ見たよ!スーパースターも目の色だけじゃなくて今で言うイケメンだったよ。 高橋によるとシン、スーパースター、バックランドは外人の中でも練習大好きだったと。
三人の体つき見たらわかる。
特にシンやスーパースターは厚みが凄かったし。
太くなる体質もあったと思うが。 トニーセントクレアーが来日してたようだが元気になったのか 893ヤクザだが、上田は器具を使った練習には否定的だった。
だから体つきがショボかった。
あとは上田自身が腕が太くなりにくい体質だと自ら語ってた。 >>887
超デブ(しかも女)には『ダブルブッチャー』と呼んでたよw
ちょっと縮れ髪で浅黒い女には『タイガー・ジェット・○○』とかw
時代だよなあ。 シンはアメリカではデトロイトでのシークとの抗争以外、これといって実績はなかったな。
本人の意向だったのだろうか。主戦場だったカナダは移民に対して昔から寛容な国だし。 >>868
日系人ギミックもいなくなった。
第二次世界大戦は遠くなりにけりだ。 >>891
日本でのタイトルマッチは大宮でのWWFジュニアだけだったか >>896
グレート東郷さんも生きるために必死に憎まれ役を演じていたんだと思うとかわいそうな気がしますね。
日系人に限らず日本人レスラーもアメリカに行けばころされるんじゃないかってくらい憎悪の対象になってただろうし。 >>895
ここ数年の何かのシンの記事では書いてあった。
やはりシン本人の意向でアメリカでファイトしなかったと。
アメリカは人種差別の問題等で。
あとは日本で定着する為に敢えてアメリカでの仕事を自粛したのかも。
ただシンが本腰入れてアメリカでファイトしたらそれなりの地位は築けたと思う。
人種的な差別問題もあるが。
でも昔でも黒人でもそれなりの地位を築けたのは沢山いるし。
プエルトリコ?でのシンの試合が動画に上がってる。
マイティイゴールが相手で。
日本と全く変わらぬファイト。
観客にも受けてる感じで。
日本と違うのはサーベルを持ってないこと。
メキシコでも相当な極悪ファイトだったらしいし。
メキシコでの試合は猪木戦以外は見たことないが。 草創期のアメリカ武者修行は交換制限のあったドル調達の要素も強かったんだよな
現地で稼いだドルを東郷みたいな窓口にプールして帰国時の外人レスラーに支払う
そして修行が終わっての帰国時に円で貰うと シンのWWFやNWAでのファイトも見たかった。
82年2月にシャーロットでシンがドリーのインターに挑戦。
そんな宣伝があった。
雑誌でも中継でも。
実際にそういう予定だったのだろう。
しかし却下というかシンがキャンセル。
あれは残念だったなあ。
また81年頭の週刊ファイトでは『シン、MSG登場』というのが一面にデカデカと。
しかしそれも実現せず。
シンが全日に移籍しなければ実現したのかな?
当時のWWFではハンセンとバックランドが抗争していた。
そこにシンが割って入るのも実に面白い。
MSGでシンがバックランドのWWFに挑戦。
ぜひ見たかった。
狂ったインド人ってアメリカでも受けたと思う。
特にシンのあの狂人キャラなら尚更。
デカイ狂ったインド人が大暴れの絵は新鮮味があったと思う。
またブッチャーのMSG登場も見たかったと思う。
ブッチャーはMSG登場した事ないみたいだし。 >>901
米国の特に檜舞台MSGなんかで悪党人気を得る手段に敵対国ギミックがあげられるが、
今までにイラン人質で一気に脚光を浴びたアイアンシーク、冷戦が続いた超大国ソ連(ロシア)の
イワンコロフや二コリボルコフ、わが同盟国wのナチ党等、こういう手段だとインドは
特別感情を煽るような関係はないし、モラレスやサンマルチノのような移民ヒーローにしても
アメリカ国内のインド(アジア)からの移民は欧州やヒスパニック系なんかと比べても少数だし、
どれも今いちアピールしきれず中途半端なラフファイター的存在に甘んじたかもしれないが。。 >>886
新日の頃のマードックはシングルはともかく誰と組んでもいい試合してたしな 藤原格上げになったアレンとのタッグも今でも忘れえない 83年にやったブッチャーとの試合、言われてるような不穏な感じに見えなかったな。
ちゃんとブッチャーの技も受けてやってたし。
それから、新日晩年の頃のレッドブル軍団との試合。意外にベルコビッチとの試合良かった。 アメリカだといくらでも黒人と試合してるのに、
日本ではなんでか黒人とは試合しないことになってる >>903
藤原の実質ゴールデンデビュー戦で地味な「関節技の鬼」ではなく
まずはちゃーんと鉄柱に頭ぶつけてみせて“ゴーン”と音立てて見せて驚くという
わかりやすい演出につき合ってくれるマードックとアレンのイイ人っぷり マードックの地方の試合での決め方は歌舞伎のような盛り上げ方でファンを沸かせていたっけ。
会場のあちこちから「ブレーンバスター!」って声がかかり、
試合を決める時にファンに向かってアピールして仕留める。
選手とファンとが一体になっていたからマードックは面白かった。 マードックはナチュラルヒーローなんだな。
新日時代ほど全日時代は派手なイメージ無いような気がするけど
80年秋のジャイアントシリーズで福生に来た時
大熊とのシングルでは大熊が気の毒になるくらいマードックコール一色だった
メインがテリー&鶴田VSブッチャー&カマタだったが、声援はマードックの方が上だった ・試合前に国歌吹奏
・コミッショナー代理でテレ朝永里運動部長の認定宣言
・レフェリーレッドシューズ・ドゥーガン プロレスごっこでズーガンのフォールの取り方の真似よくやったなw >>908
マードックは地方で客席からブレーンバスターと声がかかると
「後で」「ちょっと待って」とか客と会話しながら試合するから客受けした。
沖縄では海兵隊がマードックに大ブーイングで、お前らの慰問に来てるんだと会話し、
試合が終わったら客席に入って握手で試合後は路地裏の焼き鳥屋。
ちゃらんぽらんに見えるが。大都市と地方の客層を理解していた頭の良い外人だった。 マードックとゴディって似てるよな。
サイズやトンパチで不摂生なところが。
マードックはそこまで不摂生じゃないか。 マードックのが不摂生なイメージあるが。
練習しない事に関しては、アンドレと双璧と言われてたし、
試合終われば常に飲み食いしてる話よく聞いたし。
ただ、どちらもプロレス上手いのも共通してる。 早熟の天才型で才能はあるのにトップにあがりきれなかったところとかも似ているね ゴディはドラッグに手を出したが、マードックはドラッグはやらない。
そんな違いかな?
ってマードックはドラッグやらなかった?
勝手なイメージで書いたが。
つかハンセンなんかドラッグは絶対にやらない。
マードックもドラッグはやらないイメージがある。 ゴディは身体を壊さなければトップに行けたんでは?
マードックは敢えて、自分からトップになるの避けたと言うか。
マードックはステよりビールを取ったw 85年くらいに地方で見たアレンもすごく客席を沸かせてたよ >>917
現在のレスラーの稼ぎ場所が実質WWE1カ所だったり
WWEとWCWの2カ所しかなかった時代は仕方ないけど
80年代半ばまでの全米各地でそれぞれの市場が成り立ってた時代なら
王者になってハードスケジュールと業界ルールに縛られるより
マードック程度の技量があればどこのテリトリー行っても稼げたんで
トップ上がる気自体無かったってことだろうしな
NWAやAWAの王者になったところで50〜60年代のロジャースやテーズ、
あるいは現在のホーガンやロックやシナのような
トップになることで桁違いのビッグビジネスに結びつくってわけでも無いだろうし >>920
ゴディもWWFに入ったけどツアーが嫌になってすぐ辞めた
日本のバス巡業が一番気にいってた 実は同い年の猪木とアレン
しかし昔のアレンの腹筋は凄かったな黒人特有のあの割れ方 アレンは全てが凄かったと思う。
プロレス上手かったと思うし。
ブッチャーとのシングルで返り討ちにしてからアレン時代到来と思った。
タイプは違えど『第二のシン』になると思った。
いい外人も不在時だった84年はアレンをトップに据えて売り出せば良かった。
あのブッチャー戦で樹は熟した。
あのインパクトならその後はトップ張れたはず。
アレン自体もその力量を感じたし。
また同じ様な時期に『月刊ビッグレスラー』に海外でのアレンの試合が掲載された。
見出しに『オレ様が黒人レスラーの王様さ』と。
アレンは黒人レスラーNo.1になったと言っても過言ではない。
そう書いてあった。
何よりアレンは新日本を熟知してたからね。
それに84年夏のアレン シュルツのコンビも良かったし。 >>918
何かで読んだんだけど、マードックは痛風が酷くペインキラーを常用していて「この痛みが心臓まできたらオレも終わりだな・・・」
と言っていた。そして、本当に心臓麻痺で亡くなってしまった。
>>921
ちょうどその頃地元に来て、リングサイドの客が「ノーヘアー!」と叫んだら、頭押さえて猛烈に怒ってたよ。
場内大盛り上がりだったよw >>925
ただアレンにはブッチャーのエルボードロップやハンセンのラリアットといった代名詞的なフィニッシャーが無かった
コブラクロー風のチョーク攻撃や地獄突きを多用していたのもB級感脇役感を強調させてしまっていた
フィニッシャーとして主に用いてたのがパイルドライバーとオクラホマ・スタンピードだったからメインに据えるとどうしても地味に映ってしまう
アレンを外人勢トップに抜擢しろという意見も専門誌を毎週毎月購読する様なマニア限定に止まっていた印象でしかなかったよ80年代当時は >マードックは痛風が酷く
やはりビールの飲み過ぎか? アレンはスキンヘッドなのはともかく
スタイルいいしガチは強い説あるしベビーフェイスにすれば良かったのに
そう言えば新日参加末期はリングネームをバッファロー・アレンに戻してたな アレンはWWFでは延髄斬りをフィニッシュホールドにしてたよね >>918
マードックは飲みすぎてウンコ漏らすことがあるから、飲みに行く時は替えのパンツもっていくってテリーがバラしてたな。 >>930
でもさすがに新日で延髄斬りフィニッシュは無理だね。
昔もアレンにフィニッシュホールドがないのは指摘されていた。
トップならそういうフィニッシュホールドは必須条件。
パワースラムでも良かったと思うが。
アレンの風貌はいい意味でヒール向きだし。 >>932
そのアレンが猪木の延髄でド派手に一回転してるの見て、
さすがに子供だった俺でも、いくらなんでもと疑念を持ってしまった。 アレンは何気ないパンチやチョップ、ストンピングとかをラフに見せるのが上手かった。
長州は短い両足上げて思いっきりキャンパスにストンピングしてた >>932
せっかくの五輪の柔道メダリストなのに、柔道の技とかほとんど使ってない気もするし… >>929
えっリングネーム戻した、って平成になってからあたり??そんなことあった?? アレンは92年の春くらいまでは新日マットに上がってたっけ
ギロチンドロップが凄く綺麗だったのを覚えてるなぁ
あと相手のタイツを引っ張ってから打つボディへのパンチとか
そして何よりあの刑事ドラマ風テーマ曲「スナイパーフロムダークネス」がよかった アレンは何で新日からUインターへ?
WWFに行ったから新日に戻れなくなった?それとも日本人対決が主流になって呼ばれなくなったところに、Uから声がかかったから?
ハシミコフ、ザンギエフ、テンタ、ベイダー、そのあたりの事情がわからないんだよね。 バックランドやシークも含めて誰がブッキングをやっていたんだろう? >>938
ベイダーに限っては引き抜かれたと見ていいのか?
ベイダーのUインター参戦決まった時、コスチューム(甲冑)の着用禁止と
リングネーム(ビッグバンベイダー)の使用禁止を新日からインターに通達したとかって話あったはず。 Uインターはプロレス最強路線でシュートな外人に目をつけた。
Uの象徴だったゴッチから離れてルー・テーズ、ホッジ、ロビンソン、ニックを立会人的存在にして、
選手はハシミコフ、ザンギエフ、アレン、アイアン・シーク、ベイダー、バックランド(第2次U?)、
他競技のバービック、カズラスキー、来日しなかったがスタイナーズとか。
ウォリアーズ、ノートンにも声をかけたらしい。
ルートは流−テーズ、テネシー在住の笹崎、カズラスキーはフランク井上。 >>943
笹崎って、今何してんの?
テネシー在住だったって事は、嫁はアメリカ人?
ケロの旅日記で、佐野と仲良し過ぎると面白可笑しく書かれてたよね。
笹崎って、いつ頃新日にカンバックしたんだっけ?
長州達が新日に出戻った時は、笹崎は居なかったけど
いつの間にか新日のリングにアマレス風のタイツで上がってたよね。
そして、いつの間にか居なくなってた。
安生がヒクソンの道場に単身殴り込んだ時に安生のセコンドみたいな感じで
側に居たりと、なんか不思議な人だよね。 ビッグ・ジョン・スタッドも上げるつもりあったと聞いたな。 スタッドの方からテーズに売り込んできてテーズに裸の写真を送ったら不合格
上がるために鍛えてる途中で亡くなったとか アレンはUインターで桜庭とシングルをやり、桜庭を子供扱いしたな。 高山ともシングルでやってたな。
新日では見せなかった体落とし→逆十字で決めてた。柔道時代の得意技だったのか。
高山は試合後「見えない所で反則やってきました。
さすがブッチャーと組んでた人ですね。」みたいな事言ってた。 79年くらいかな?
地方のノーTVの大会の猪木のシングル戦の
相手が全部アレンってシリーズがあったでしょ?
そりゃ上達するよね 坂口vsアレンの柔道ジャケットマッチのフィニッシュが好き。肩と肘を極める変型の送り襟絞めみたいになってて格好良かった。アレンが悲鳴あげて。
坂口はたまたまあんな形で極められたと言ってたね。 >>944
長州達が新日に出戻った時に笹崎も居た。
アラバマ、カルガリーで橋本とタッグを組んで、帰国時はアマレスタイツ。
契約更改での待遇の悪さに激怒して退団してテネシーに住み、Uインターのブッカーをやってた。 考えてみれば、、第一回MSGタッグの白星配給係?ウイレムルスカ&BNアレン組って
実力だけなら優勝コンビだよな。。。 アレンの流血見たことある人いる?
流血は似合いそうだけど。
相手を流血させても自分は流血しない。
ブッチャーと組んでた頃はブッチャーが流血してたかんな。
アレンまで流血する必要性がなく。
でもアレンの流血は見たかったな。 >>943
確かトニー・ホームにも橋本に連勝してた頃に声掛けたけど
引き抜きは失敗したね、後にリングスに上がるんだけど >>953
白星配給っつっても9チーム中7位だよ。
ガチンコの強さはそのコンビもさることながら、
翌年のパターソン、アレン組も強いだろうな。 アレンは今でも猪木の事は師匠だと思って尊敬してるって言ってたな
入場の先導役やってた時に車椅子のお客さんがいて、猪木が自分から
近づいていって握手した光景を見てプロのあるべき姿を学んだと言ってた アレンはニューヨーク出身だけどスタンピードレスリングに上がる様になってからは
ずっと死ぬまでカルガリーに居住してたよね?居心地が良かったんだろうか?
晩年はショッピングモールの警備員をやってたみたいだけど ブッチャーの引き抜き〜参入でアレンの立ち位置がちょっと前進したことは事実だな。
ただ、一度でいいからこのブッチャー&アレンで年末タッグは一度でいいから参加させたほうがよかったと
後出しだがつくづく思う。特にキッド&スミスが直前に引き抜かれた84年あたり。
それまではアンドレ、ホーガン、カーンとまさにMSG(WWF)色が濃い大会だったから
ブッチャーはそれ以外の一般シリーズでのエース外人要員の役割はあったし。。 差別がアメリカ国内より強くないカナダの方が居心地が良かったのかな。 アレンはUインターに移籍する時に新日に対して
「自分はこの会社にもう十分尽くしたと思う、請われればイラクにも行ったし、
この辺で新しいキャリアを選択する自由を与えて欲しい」って言ってたな
カルガリーで縁のあるオブライトVSアレンはオブライトが終始萎縮してた内容だった >>959
81年の時はブッチャーの映画出演で流れたんだったか >>952
88年のジャパンカップではザ・タイガーかザ・ジャガーのどっちかだったな。 >>954
アレンの流血ではないけど、77年のルスカ戦でルスカの大流血で柔道着が赤くなったのがいまだに強烈に覚えてる。 >>966
写真で見たことある。
あれもルスカは自分で切ったのかな?
柔道が既にプロレスと化していた。
アレンはブッチャーと組んでMSGタッグには出て欲しかったなあ。
81年82年83年と出る機会はあった。
84年は仲間割れ後だから無理だけど。
ファンのことを考えたら出すべきだった。
そうすればブッチャーも新日ではもっと色々と実績を残せた。
ベストは移籍した年の81年だね。
ギリギリでハンセンもいたし。
あそこにブッチャーがいたら80年MSGタッグに匹敵するシリーズになった。
あの頃のブッチャーはまだ商品価値もあったし。
マードックとの例の事件の直後ではあるけども。 >>961
オブライトは若い頃にアレンから教わったんじゃなかった?
アレンが師匠で。
それで対戦が決まった時は『アレン先生とは怖くて試合できない』とコメント。
煽り、盛り上げだったのかも知れないが。
Uインター時代のアレンは大物扱い。
しかし新日時代にももっと大物扱いにされて然るべきだった。
90年に新日にUターンした時はそれなりに大物扱いでもあったが。
ただ運悪く同時期にシンが新日にUターン。
それでアレンの新日Uターンは霞んでしまった。
シンの影に隠れた形になったのは残念だった。
どうせならそのシンと組ませれば良かったと。
この頃のアレンならシンとも対等に近い立場。
この10年前の80年ならシンの子分みたいな立場だったが。 新日は頑なにブッチャーのロングランの遺恨ストーリーを組まなかったな。
結構いいマッチメイクはあったにしろ全てが単発。
だけど考えてみたら軸が猪木、藤波、タイガーじゃない場合はすべてそんなもんだな。 当時のブッチャー本で坂口とは手が合って、絶賛してたなあ。
けどあの頃の坂口ではストーリーも何も あの当時、日本人でブッチャーの相手をするのは猪木以外では何の意味も無かったしな。 ブッチャー対小林も見たかったけど
ちょうどブッチャー来た頃に腰痛めちゃったからね
正確には春のメキシコ遠征でカネックに挑戦してジャーマンで負けたときに
受身失敗して
自重が腰に係り、それで以前からの慢性的腰痛が一気に悪化して
秋にはとうとう試合できなくなった >>553
超亀だけど
バイオニックエルボーはフィニッシュのエルボードロップじゃなく反撃のときの
脳天へのエルボースタッグね
打つ前にパンチ叩き込んだり、サミングしたり、ローブローしたり、逆に自分の
玉を握ったりwと色々アクセントつける
後年のホーガンの反撃時の「YOU!!」の元ねた フィニッシャーのないアレンはテロ前の藤原みたいな存在かな。
強いと分かるんだけど、プロレスやると上で勝ち名乗りは受けられない。 ブッチャーはマードックから逃げて、
ブラボー、アレンには何もできずに
いいようにやられてほんと酷かった ブラボーには一応パウダー攻撃で目潰ししたじゃないかw
しかしその後ブラボーが特に売り出されなかったので無駄なジョブに
ブッチャーだけでなくその前の蔵前ではハンセン、ホーガンとも互角にやり合って
見せたのにな
オーンドーフも初来日では藤波が寝たのに再来日では前田のかませになるし 新日は外人の扱いがまばらだなあ。
ヒギンズを思い出す。
85年ビッグファイト開幕戦のシングルでは猪木を追い込んだ。
ヒギンズに期待が集まる活躍。
しかし最終戦ではブロディ登場もあり、ファンの目は完全に猪木 対 ブロディに。
開幕戦と同じくヒギンズとのシングルは3分程度で終わり。
奇しくも同じく後楽園ホール。
この時のヒギンズは気の毒だった。
たまたまブロディ登場と重なったのが災いして。
もしブロディが新日に来なければヒギンズはそれなりに売り出されただろう。
短期間で終わった可能性は高いが。 ブロディ移籍に伴い、ヒギンズやジャック、シュルツ、バンディ、バーバリアン
こういういい外人がブロディの影に隠れて埋もれてしもうた。
そのブロディも結果的に短期間でお払い箱。
何とも皮肉だわな。
その後はそういう外人達が大々的に売り出される事もなく。
まあ86年からはUが登場したからU頼みの流れで。
そのUで(というか前田で)2年近く引っ張れたからまだ良かったのかも。
ただいい外人を活かし切れなかったのは勿体なかった。
うまくすれば『第二のシン』『第二のハンセン』『第二のホーガン』が生まれたかも。
そこまでいかなくてもそれなりに成長したかも知れないし。
猪木に相手を引き出す力がなかったから可能性は低いかな?
藤波 長州 前田にはそこまでの力はないし。 >>978
猪木をバックフリップで失神させてしまって、こりゃ使えんってことじゃないの? >>977
オーンドルフは前田にガチでびびっていたのがマイナスになったのもあるだろうけど、
一番の要因は維新軍の無駄な格上げだろうね。
もし前田の格を長州や藤波より上に設定したらオーンドルフも藤波より上のままに保つことが出来て、
トップ級外人の格下げもなくて済んだと思う。
84のIWGPで長州が3位に食い込んでいたのは最高に外人軽視だった。 >>978
二年後、ヒキンズをバーバリアン、ブロディをビガロに変えて
まった >>978
>>979
二年後、ヒキンズをバーバリアン、ブロディをビガロに変えて
まったく同じパターンの失敗をくりかえしますw >>982
日本人対決主流で外人は割を食ったな。
維新がいた頃はアンドレとホーガン以外は完全に扱いが悪くなった。
維新がいなくなった後もあまり変わらず。
今度は形は違えどマシン軍団との抗争が主流に。
結局はそれが元で外人主流にはならず。
それに伴い素質あった外人達が埋もれてしまい。
逆にベイダーやビガロはよく生き残れたと思った。
彼等ももう少し時代がズレてれば大して売り出される事なく消えたかも。
一時的には売り出されたとしてもだ。
維新やUが主流になってた頃は外人不要状態。
外人より日本人の方が経費削減になって手頃っちゅうのもわかるが。
でも内側ばかり考えて外側のファンの意向は二の次。
ファンが何を求めてたかは団体側もわかるわけだし。 そう言えば武藤も最初は売り出しに失敗したな。
610であの格好。
戦隊物を意識したあれは武藤が気の毒。
武藤は日本人だし、その後は挽回できたが。
武藤もあの610時代は黒歴史と言ってたし。
あんな格好は冗談じゃないと。
武藤もあの610は嫌々だったらしい。
ベイダーも最初は最悪なスタートだった。
にも関わらずよく挽回できた。
もっともあれはベイダーの責任ではなくむしろベイダーは被害者。
武藤もベイダーも結局はそれだけの才能があった証拠だろう。
ベイダーも初期は戦隊物の適役みたいな格好で。
全身コスチュームとか。
でも徐々に払拭してゆき。
才能無ければ幾ら売り出しても無理だかんな。 >>918
ゴディはデカいのに受け身を取りすぎたのが身体を痛めてドラッグや痛み止めに手を出させて死につながったん >>980
いや、もっとひどいやらかしをしたウイリアムスはその後もそれなりに大物扱いで来続けたし、
あまり関係ないでしょ。そもそも、それがダメならヒギンズがその後3回くらい呼ぶこともないだろうし。 ハクソー・ヒギンズは盗癖があってそれで呼ばれなくなったんだっけ
才能はあったのにもったいないね パニッシャーダイスモーガンのダイビングエルボーはすごかったなあ。
あれ食らったの誰だったかな? >>979
バーバリアンは86年秋のウィリアムス戦であらためて脚光を浴びたが、翌年は世代闘争のあおりで大舞台が与えられなかった。
まあ彼がプロレスが上手くなったのはAWAで偽ウォリアーズのギミックで売り出してからだろうね。 >>991
ウイリアムス対バーバリアンは当時の外人対決では良かったね。
でも雑誌では盛りすぎな記事が。
“あのアンドレ対ハンセン並のド迫力”とか。
それは言い過ぎだろと。
でもバーバリアンはもっと活かせたと思う。
ブロディ+ウォリアーズ=バーバリアンと。
悪く言ったら双方の持ち味を取り入れただけで中途半端だと。
そんな厳しい記事があったが。 ウィリアムスの振り下ろしたパイプ椅子をバーバリアンがキックで迎撃して座面を蹴り抜いたのがハイライトだったな。 バーバリアンなんか中の上の下レベルの、特段関心が湧かないレスラーなのに
入場曲だけは何故か頭にこびり付いている。
入場スタイルがブロディで見た目がウォリアーズ
でもパンフに元力士って書いてるしサモアンだから
日本慣れしてて決して悪い奴じゃ無いだろって中学生でもわかる。
ハクやテンタみたいに素で勝負すればいいじゃんって思ったけど
ペイントも振る舞いも会社の指示って言ってたね
なんかそのあとノード・ザ・バーバリアンにザ・バーバリアンとか出て来て
パッと見、どれも同じじゃん!って そういやリーグ戦か何かの前夜祭セレモニー?
ケロがコンガザにインタビューして片手ネックハンギングされて
足バタバタさせてたような記憶がw
力はあるし、あまり苦しくないように喉輪持ち上げ出来るんだろうね ノード・ザ・バーバリアンとザ・バーバリアンは同一人物だろ。
新日には1回しかあがらなかったが。 コンガ・ザ・バーバリアンはアニマル・ウォリアーのバッタもん臭が強すぎたからな キーロックの持ち上げを猪木がやってたとは全然知らんかった 猪木が相手のコーナートップからの技を受けたのを観た記憶がないな。自分はフライングニー、フライング延髄、フライングボディシザースとかをやってるのに このスレッドは1000を超えました。
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