全日時代の三沢川田小橋田上を語るスレ Part13
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エースクラッシャーはかっこいいね。
エース、ガン組がノーフィアーや小橋秋山組を
タッグ戦で倒した試合は凄かったよ。 >>101
雅央は橋本真也の三角絞めで肩を破壊されてパワーファイト出来なくなってしまったんだよ
シリアスに戦う雅央が見たいのに ブレインバスターをしかけて相手が切りかえしたところをエースクラッシャーって流れが好きだった。 >>111
90最強タッグ、大阪の三沢&川田vs小橋&エースでその攻防があった。
当時のエースはまだボロが出ていなく、そのシーンにはハッとしたなあ。
キャリアを積むに連れて劣化していった。キャリアとスキルが反比例する珍しいレスラーだったな、エースは。 全日崩壊前(ノアの前)って何気に面白かった気がする。 >>113
99年後半から分裂まで面白かったね
元子は馬場が死んだショックが大きくて三沢に強く当たってたと思ったら、武藤全日でも同じ事やって京平が間に入って元子を引かせたと聞いたからなぁ
分裂は免れなかったんだろうね >>114
三沢たちが出て行った後の2001年かな。パンフレットの表紙に馬場さんの写真が載った時には元子に対して「こいつ異常だw」と思った。
亡くなった人にいつまでも未練を持っていて気持ち悪いババアだ。
馬場さんは偉大だけどここまでするかよw 亡くなった馬場さんへの想いじゃなくて
この会社は正平がつくって、誰にも勝手はさせないっていう
意思表示だと思うよ
様々なことに介入しておかしくなるんだけどね >>104
その役割を任されているというのは、信頼の証では?
最初に勝ってしまったら、参戦後の商品価値がないも同然 >>117
三沢は「受け身が上手い雅央を当てて外敵の適性を見る」なんて言っていたらしいけど、永田みたいに「闘いに来た」人に対して雅央なんかぶつけて失礼だなあと思った。
ノアは根本的に考え方が違うんだよね。 以前からマサオや浅子の話題ばかり粘着する馬鹿がいるな
こいつのせいで過疎ってるのにわからねえのかな >>117
オブライトの1発目に川田を当てて川田が勝ったのって後から考えると何でそんなことしたんだろ?って思う。
あれでオブライトの商品価値は落ちた。リサイクルする気が無かったのかな。 オブライトの価値は自然に落ちていったよ
Uインターのようにプロレス下手でもやれるプロレスならなんとか格好がついたけど、
性格が優しいこともあって純粋なプロレスには向いてなかったと思う オブライトを強キャラ設定にしてカンナムをもっと上で使って金星を取るようにしていたら面白かっただろうな オブライトは投げ技以外は取り柄なかったよね
長く全日でトップ張るには受け身が下手すぎたし何よりあの体型が…
しかも糖尿だか痛風で足が痛くてシューズを履くのも一苦労っていうね
CC予選の星合わせとタッグプレイヤー止まりの選手だったかな
川田を初戦で負けさせるほどの価値は無かったように思う 馬場さんが解説で「不細工ですがやることは綺麗なんですよ」みたいなこと言ってたな。 全日には越中や馳のような外敵迎撃要員、リトマス試験紙的な選手がいなかった不幸
越中も馳も出は全日なのがまた皮肉 武藤がUの高田に古典的なプロレス技四の字で勝ち、
関節技にがそれほど出ない全日で川田がオブライトを腕ひしぎ
それぞれ当時は大絶賛されてたけどな >>124
96年7月にカード変更して組まれた武道館では川田が寝ているんだよね。あれは何だったんだろ。
前哨戦からオブライトを怒らせたり、KOかギブアップのみのルールを提案したり、武道館でのオブライトも普段と違う闘い方だったけど。
川田の「俺ならオブライトを活かせられる」というアピールかな。 >>123
クロファットは器用なんだけどハンセン、ウイリアムスクラスだと敵わないっていうか。
ファーナスはパワーとドロップキックは良いけど下手だった印象。 川田vsオブライトって特別試合で3試合やらなかったっけ?
初戦は川田の腕ひしぎ逆十字で勝ち
次はオブライトが投げてから変形の締めで勝ち
その次に川田がジャンピングハイだったかで勝ったような
気のせいかな? >>130
95年10月の武道館
96年7月の武道館
10月の愛知県。川田vs小橋三冠戦の約1週間前だね。 >>126
ああいう役は外様が引き受けるんだろうな
ハンセンの第一戦も原だったし >>114
あの時期はあの時期でいろいろと面白かった
特に注目はアジアタッグの運用
ハヤブサ・人生からノーフィアーを経て遂には三冠王者の三沢自身が奪取で カンナムはあの扱いが限界だろ
そんなトップで使うようなレスラーじゃないよ >>134
エース、パトリ、ウルフあたりよりはマシかと >>134
世界タッグに一度挑戦もしたが明らかに力不足だったんだよな
そしてその年の最強タッグを最後にファーナスが離脱 実力=集客力でしょ
団体がプッシュしてあげないと格も実力もつかないしね
その辺が馬場は柔軟じゃなかったかな >>136
ファーナスは96年のスーパーパワーシリーズが最後だよ。クロファットは96ジャイアントシリーズが最後で再来日が2000最強タッグ。 >>135
そうかな。パトリとウルフの方が良かったと思うけど。ウルフは田上クラスでもターボドロップ2でクルクル回して落とすのが凄かったな。
同じパワーファイターでもファーナスよりウルフの方が5ランクくらい上と思っていたくらい。 馬場がカンナムの格上げを約束してたのに反故にしたから切れて離脱したんだよな
切れたのはファーナスで先に離脱
追うようにクロファットも離脱
クロファットは事故で怪我して再来日ではもう動けてなかった カンナムは当時の全日なら小さいからアジア止まりも仕方ないんだろうけど今の時代だったら余裕でタッグのトップはれるんじゃないかなあ 三沢を殺したのは
和田京平
和田は天龍を超えるにはキックアウトし続けるプロレスしかないと三沢をアオった >>143
そんな忠告されても断ればいいこと。「だったらお前が戦え」くらい言い返せばいい。
助言する奴は実際に戦うわけではないから無責任になんとでも言えるわな。 >>141
取れるだろうねえ。新日ですらタマタンガ兄弟、ブリスコブラザーズクラスのサイズでもタッグのベルトに絡んでいるからね。
ノアでも小峠、ストームのサイズでもタッグ王者だからね。 誰かファーナス式のフランケンシュタイナーをフィニッシュに使ってくれる選手現れないかな
ジュニアなら通常のフィニッシュでヘビーならここぞという時の隠し球的な感じでなら今でも通用しそうだけど スマザースとかジョニーガンとかノードとかダイエットとか外人たくさんいたのにね
ノードは厳しかったけど ゴールデンレフトのマイク・バートンって分裂後に活躍したんだっけ?
ウィリアムスをKOした男って触れ込みで参戦したけど、それWWFでの試合だよね
WWFと総合は対極にあるし今思えば凄いキャッチフレーズだったな >>150
ブーバーみたいにでかくて動けるのが半年で全日からいなくなったのにエースみたいなパフォーマンスばかりでしょっぱい奴が12年もいたのが皮肉だよな。
全日から三沢たちが抜けて大ピンチの時も対戦カードが発表されていながら瀕死の全日に見切りをつけて来日中止、引退。
ほんと不義理な奴だよエースは。 >>147>>148
ノードは素材は良かったのに全日スタイルを全く理解していなかったね。
あれで全日スタイルを理解していたら、現在で例えたらジョードーリングくらいになった気がする。 >>146
ノアのHAYATAだったかな?低空のフランケンシュタイナーとでも言うのかな。ファーナスの頭から相手を突き刺すのと似たような形。
使い方によってはフィニッシュでもいけるかもね。 >>153
どうせそいつもチビのヒネリを加えたタカみちのくだろw マイクバートン、ところてん式に外人エースになったけどどうにも無理があったな それでも安易に三冠挑戦させなかったところに当時のプライドも感じる >>147
ジョニーガンはパトリが引退してからパトリの権利買って2代目パトリとして活動してたな
正確には3代目だけど 98年の小橋とエースの仲間割れはベタだけど面白かった
四天王時代になってからタッグ解散は発展的解消とかクリーンな感じばかりだったし
川田と田上がやってくれたらめちゃくちゃワクワクしただろうなあ >>134
カンナムは赤パン時代の小橋のいいライバルだったんだけどね
その後小橋はどんどん成長したがカンナムは停滞したままフェードアウトした感じ 歴代の戴冠の時でも当たってるがマレンコと組んでもやってるんだよな
アジアタッグ経験者が世界タッグ王者になったのは三沢・小橋が初だがそれが不自然でないくらいに大きく成長していたわけで >>151
まあそのおかげで代役のハインズがブレイクできたわけだが
とにかく全日本の歴史は急な代役抜擢と成功が目立つ感じ ブレイクって言ってもあくまで賑やかしのポジションだろ まあ解説で菊池氏もブレイクといってたし
翌年のドームの六人タッグで一番歓声が大きかったのも印象に残る >>165
>>164の人が言いたいのは「三冠を獲ったわけでもないからブレイクとは言えない」そんな感じじゃないの。俺も同意だよ。
その解説の菊池氏が言う「ブレイク」には違和感あるな。
ハインズって会場人気は高いけどスミスみたいに世界タッグすら取っていないし。 それどころか素顔としてアジアタッグも取ってない
奥村についてもそうだが逆境だからこそむしろ安易な事はしないし出来ないといった団体としての姿勢も感じられる 世界タッグについては付いてもおかしくなかったバートン・スティールですらも付いていないし 逆にブレイク後のハインズはアジアには格が高くなりすぎた印象 >>169
それはどうかな。アジアタッグは三沢&小川、鈴木&NOSAWA、コスケ&師龍も獲ったからその時のブッカー次第だね。
>>167
言われてみればそうだね。奥村は2003年の王者決定リーグ戦も含めると5度も挑戦したのに未戴冠だったからなあ。
逆に嵐のカーニバル準優勝、三冠挑戦は違和感あったけどw >>169
ただ、アジアタッグを世界タッグの二軍的な扱い、カンナムクラスを基準にするならハインズの格はあなたの言う通り上がったね。
嵐、荒谷もそうだけどアジアでは強すぎるけど、かといって世界タッグレベルでもないみたいな。 >>163
急な代役抜擢かあ。
93年の豊橋の小橋vsウイリアムスもそうだよね。ゴディの欠場によって行われた試合だけど伝説の一戦みたいになったからなあ。 >>163急な代役抜擢の成功
あ、最強タッグの天龍&川田vsハンセン&ゴディもそうか。最終戦の天龍&川田には感動したよ。 もし元子さんと三沢が上手くやれていたら、
川田一人が全日から追放されてしまっていたのかな・・・。 >>157
全日のリングではハンセン、ウィリアムスには勝ち貰えなかったし、外人エースになった時期なんてあったかな?
中西にブルドッキングヘッドロックで負けちゃったし
バートンより太陽ケアじゃない? >>176
バートンは器用だけど地味すぎた。
ケアが2002年の夏に武道館で天龍に勝ったの観たけど良かったよ。その時にもっと上がっていけば良かったなあ。 >>176
ハンセン、ウィリアムスがいなくなったから「ところてん式」にエースになった
でなきゃ本来ならチャンピオンカーニバル準優勝なんて器じゃない
太陽ケアは日本陣営
という認識です ケアが上位の格になったのって分裂後からかな
分裂するまでは期待されながらもずっと長いこと下でくすぶってた印象 パトリオットはいいレスラーだが試合スタイルはパトリオットミサイル以外は割と地味なので、
パトリオット売出しのためにライバルの小橋はパトリオットのマスク剥ぎとかして試合を盛り上げて盛り立ててやるべきだった パトリは上手さはないけどそれを補える体格、迫力があった。現代のマット界ならプロデュース次第で活きる素材だったと思う。 実力はともかく6人タッグにおける
パトリオット ザ・イーグル ラクロスの並びは画になった
日本人では見られないブッチャー キマラ キマラ2とか、インパクトあったな ウィリアムスもパトリもWWFから誘われたら行っちゃったからなぁ
デビアスやブーバーもアメリカでの合間に全日に来たって感じだったし
アメリカ人にしたらWWF>>>全日だったのは仕方ないけど痛かったね 分裂後のCCでいきなりモスマンがウィリアムスに勝ったのは驚いた シングルで天龍に勝ったからな
全日の太陽になれそうだったけど日本語覚えないからダメだった 分裂後最初の武道館で初の武道館メインと天龍復帰の相手を務めた時の出来が良かった
それこそ十二年前の最強タッグでのゴディの位置だったが川田と天龍の立場が逆になってるなど見所も満点の 大量離脱前は秋山のパートナーだったけど、三沢に嫌われてたからなぁ >>170
アジアタッグの一番の注目点はその時その時のブッカーやマッチメイカーの志向が最も表れるところ
もっともその時々の手駒にもよるだろうが >>189
アジアタッグほど意味合いが変動するベルトは珍しいよね。
今度は秋山&永田が挑戦だっけ? >>188
馬場さんに三沢&ケア組を提案されて三沢が断ったらしいけどなんでだろうね?
当時は「オフになるとハワイに帰る」とケアに否定的だったけど。断るほど駄目な選手って感じでもなかったよ、ケアは。 アジアタッグはマイティ、阿修羅、石川、極道コンビのイメージ。あと、そのイメージ変えた、小橋菊池カンナム。
世代がわかるかな アジアタッグは使い方次第で結構話題になる面白いベルト
三沢小川組が巻いて7冠王(だっけ?)みたいなのも出来るし、若手やロートルが頑張るタッグに巻かせてもいい
四天王時代だと秋山大森に小川菊地が挑戦したのが面白かった
前哨戦としてシングルもやったはずだしね >>193
秋山、大森vs小川、菊地はオフィシャルビデオで見たけど前哨戦も含めて熱かったね。体格差があるからこんなに熱くなるとは思わなかった。 秋山って97年くらいにドラゴンスクリュー→足四の字っていう武藤ムーブを多用してた時期があったんだな
デビューからずっとそれほどスタイルチェンジしてない印象だったから意外だった >>178
ウィリアムスとバートンが全日に切られたのって武藤体制直後でほぼ同時期じゃなかったっけ? 全日系のレスラーってタイツの腹回りを上げ直す仕草が目立つんだけどゴム緩いのかな?
馬場の若い頃見直したら同じ動きが目立ったんで伝統なのか
新日系だとそういう動きはほぼ見られないのでキツ目に締めてんのか >>196
バートン&スティールが2002年10月が最後で、ウイリアムスは2003年1月に全日に来たのが最後だった気がする。同じと言えば同じだね。 全日はへそで結ぶ、新日はへそ下で結ぶ、違いがあるからじゃないかな >>195秋山若手の頃からドラスクつかってたよ
ノーTV後楽園での川田とのシングルで使って客から「新日みたいなことやるな!」って野次られてたの覚えてる >>198
ウィリアムス離脱後はギガンテスとかジャマールみたいなデカい外人が次々来たからね >>202
バートン&スティールは新日本に上がったくらいだし実力はあるけどプロデュースする奴がいなかった。素材はいいと思った。
ウイリアムスはアピールばかりで劣化が酷くてリストラは当たり前だった。
後にRODが始めるわけだが良かったと思う。RODとVMの抗争も良かった。でかい奴らは迫力が違うからいいね。 離脱後はバーシティクラブ見れたのがちょっと嬉しかった RVDがジョニーエースに簡単に負けるとかあったなあ
WWEでは絶対あり得ないことが あの頃のRVDはまだアメリカでブレイクする前だったじゃん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています