ニック・ボックウィンクルを忘れない。
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中学の時初めて外人レスラー宿泊ホテル行きだしてサインや写真集めてたけど
ニックさんは本当に優しくて毎回笑顔でサインくれて写真撮らせてくれた 日プロ時代にNWAタッグリーグに来日したときの猪木とのシングル戦が絶品の試合だった。
後のダーティーチャンプの片鱗も見せたが、1本目をドロップキックの連打で猪木を秒殺フォール。
あっけにとられた猪木はお返しに秒殺コブラでギブアップ。技にキレがあってスピーディー。
体格も猪木と同じくらいで素晴らしいレスラーだった。 相手がワルツを踊ればワルツをジルバを踊ればジルバを 何年かまえにもニックスレがあって、好スレだったと記憶してる このニック・ボックウィンクルの「相手がワルツを踊るなら自分もワルツを、
ジルバを踊るなら自分もジルバを踊る」という名言、二ックを美化しすぎる!
元々、親父のウオーレン・ボックウィンクルが「レスラーはこうあるべきだ」
と諭した言葉であって、ある程度、一流レスラーでは当然のこと。
猪木だって、ドリー、ロビンソンとならばテクニック合戦をして、
シンとならドロドロの流血戦を演じた。かたや二ックがそうしたかは疑問。
特にAWA王者時代は、最後は反則で防衛したダーティー王者。 子供の頃後楽園ホールで観た時に凄いデカくて驚いた
テレビだとあんまデカいイメージなかったけど AWAでブロディの挑戦を退けた試合が凄かった ブロディをマットワークに誘い込んで
首四の字で締め上げて追い詰めまくってた 後半あのブロディが逃げ腰だったもんな
ニックが80年代に当時AWA王者になってたハンセンに挑戦した試合も名勝負だった >>6
ウォーレンの台詞ってことを知らんやつ多すぎる。 >>9
それ見たい!
世界のプロレスで放送したかな?
ジャージの上下を着て入場して来るのがカッコ良かったなぁ。
あとあのテーマ曲はプロレスインハワイだっけ?センス良かったよね。 ハーリーレイス ニックでレジェンド枠の来日しないかね? ハーリーレイス ニックでレジェンド枠の来日しないかね? ニックの使う技ではパイルドライバーがカッコよかったな AWA時代同じパイルの使い手
狂犬マッドドック・バションとの試合が面白かった
にしてもニックの70年代AWA時代は優秀なライバルに恵まれたなーと 帝王ガニアがまだ現役
バリバリで、ロビンソンいるしバションやブルクラ、マリガンやワフーもいたし
のちにアンドレもホーガンもきたし
80年代にAWA王者になったマーテルなんてかわいそうだ まともなライバルがいないんだもん ニックやハリー・レイスが全日に来ていた当時は
「なんてつまらない連中だろう」と思っていたが、
歳を取ってそのスタイルを理解できた頃にはああいうスタイルのプロレスラーはもうリングには上がっていなかった ロード・スティーブン・リーガルが日本で注目されたとき、専門誌とかで「ドリー、レイス、ニックの時代を
再現する男」みたいな言われ方をしたが、彼らより数段若いリーガルはさすがにそこまで渋くはなかった >>12
ジャージと手に持ったタオルもかっこよかった
俺もジム行ったときにタオルの持ち方真似するんだけど
誰にも気づかれない >>6
そして「ラリアットにはラリアット」なんだよな
長州にお見舞いしたのには驚いたが 85年にはレイス・ニック組という今考えたらため息が零れるような豪華なタッグチームで最強タッグ参戦が実現したが、
当時の観客は超獣コンビやロードウォリアーズといった「単純明快」「ド迫力」に流れており、時代遅れ感が拭えなかった
もったいなかったと思う 85年はレイス・バーとニック・カートで参戦
この公式戦を当時のゴールデンタイムでやってくれなかったのがとにかく残念 日本でのAWA世界戦、鶴田の試合もいいが国際で大木や木村との防衛戦も充分に相手を引き出し
かつダーティチャンプの本領をうかがえる試合だった。
>>20 黄、水色、白といったトランクスのカラーもよく似合ってた。 大木はニックとの対戦を日本でのベストマッチに挙げてたな >>24
トランクスの色か。
フレアーもカラフルだったから、世界王者は派手好きなんだなと、子供ながらに思っていた。 ニックの日本での試合で印象が強いのは、昭和62年9月の 倉敷で鶴田のインターに挑戦した試合
数あるニックVS鶴田の対戦でも出色の内容だと思う 黒で決めた鶴田はウェートもアップして、AWA王者
も経験して星パンツ時代とは段違いに成長し、強豪ニックの挑戦を正面から迎え撃った
ニックは珍しいラリアットやかわず掛けを繰り出して鶴田に迫るが、鶴田は堂々の王者の試合ぶりで、フィ
ニッシュは横跳びのフライングボディアタックだったが説得力十分だった >>20
俺もタオル持つ時真似するわ
トリプルHはアレのオマージュでペットボトル持つ事にしたらしいしあの持ち方ファンは結構多かったんだろう >>34
折りたたみ式ですな。
温泉行くとき真似しますわ。 どんな格好良い持ち方かと思えば、単に礼儀正しいオッサンの持ち方 金髪の伊達男で得意技が足4の字固めというのはバディ・ロジャースのフォロワーなんだがリックフレアーを最後にこの系譜も途絶えたのかな ニックは地味に大きかった。
あと体も地味にでき上がっていた。 猪木とNWF戦やって欲しかったな。ロビンソン戦よりも面白かったと思う。 90年12月にハマアでアノキとニクボのエキシが組まれたのに流れた。
楽しみにしちょったのに残念無念何でやねん
アノキとニクボの対決はエキシでもいいから見たかった。
アノキ体調不良が理由だったな。
アノキの代わりにマサイが相手に。 ダーティチャンプのスタイルが日本人に理解されたのは最近になってからだからな >>39
猪木の記念興行に何故か来てたな。
あまり接点がないのに >>46
マサとエキシビションやったぐらいかな?
でも新日ではなく猪木の記念興行だから日プロまでさかのぼれば。 80年代に新日がAWAと提携して王者ローラーが来たりしたが、これがニックなら
と妄想した人間はけっこう多かったんじゃないか?
あのころニックはアメプロのメインストリームからやや外れて、なぜか全女とかかわってたが 新日にも来ようと思えばこれたんじゃないかなあ? 昔、日テレが「ジャンボ鶴田と5人のライバル」って特番作って、
その5人てのが天龍、ハンセン、ブロディ、三沢、そしてニックだった。
前3者は当然、三沢は当時のビジネス的に現在進行形のライバルだから外せないとして、
もう1人がニックってのが、ナイス人選だった。
日本でのニックについて語るなら、鶴田の存在は欠かせないしね。
実際、不透明決着も多かったんだけど、鶴田がAWA世界王座奪取した試合と、
その後のリターンマッチとかは、名勝負だった。
リックフレアーは、日本で鶴田と何回もタイトルマッチやったから、鶴田のことを、
若い頃のライバルと思ってるかもしれないけど、日本のファンも、関係者も、
そしておそらくは鶴田本人も、フレアーを鶴田のライバルとは思っていなかったと思う。 リクフとニクボの対決も見たかった。
金髪同士でもあり。 >>51
藤波の技は痛くないので、対戦相手から評判が良い
評判が悪いのは長州 日本では、いわゆる「痛くない技」は選手にも評価されない時代や状況があったからね。
天龍「リッキー(スティンボード)は何か勘違いしている」
三沢「あいつ(ビリーブラック)の技は何も効かない」
それをできることが「巧い」とされる時代や状況もあったんだけどね。 >>1
「寝ますか。寝る前にお話ひとつ、してあげますよ。ニック・ボック・ウィンクルの話って知ってます?
いい名前でしょニック・ボック・ウィンクル。彼がね、山に狩りに行ったんですよ。山へ狩りに。そこでね、小人プロレスに会ったんです。
何ていう名前の小人プロレスだったかは忘れましたけどねえ。天草海坊主だか、、プリティアトムだか・・・
ずいぶん昔の話だから。 とにかくその小人プロレスに会って、ウィンクルはお酒をごちそうになったんですよ。
そのお酒があまりにもおいしくて、どんどん酔ってしまったんです。そして、夢を見たんです。眠りに落ちて。夢を見たんです。寒いですか?寒いでしょ?
その夢はね、どんなタイトルでも許されるという、素晴らしい夢だったんです。ところがその夢がクライマックスに達した頃、惜しい事に、目が覚めてしまったんですよ。
辺りを見渡すと、小人プロレスはもういなかった。森の様子も少し変わってた。ウィンクルは慌てて妻に会う為に、村へ戻ったんです。
ところが、妻はとっくの昔に死んでたんです。村の様子も、全然変わってましてね。
わかります?つまり、ウィンクルが一眠りしている間に、何十年もの歳月が経っていたんです。おもしろいでしょ?」
「・・・あんたには、はじめっから妻なんかいなかったじゃないか」
「僕の話をしているわけではないでしょう。ニック・ボック・ウィンクルの話をしているんですよ」
「ニック・ボック・ウィンクル・・・ 小人に、何ていうタイトルをもらったんだ。できれば、俺も腰に巻いてでみたいなあ」
「覚えてます。ラム、コァントロ、それにレモンジュースを少々、シェイクするんです。わかりますか?」
「A・・・W・・・A・・・」
「そう、これで終わりってタイトルだ」
バディ・ロジャース著 「金髪野獣死すべし」 より 抜粋 もし競技としてのプロレスというものが存在するとしたらニックは
達人級だと思うわ。鶴田にタイトルこそ譲ったがあの試合も常に
試合をコントロールして鶴田を自由自在に遊ばせてた 敗れた試合が一番優れてるんだよな
とにかくいきなりのフライングボディアタックに一気に掴まれた >>58
開始早々のフライングボディアタックの後は、手を変え品を変えのアームロックで鶴田を蹂躙。
その後は場外戦でアクセントを付けて、最後はロープ際のブレーンバスターを切り返されての
バックドロップホールドでフィニッシュ。
勝敗は違えど、何気に初代タイガーの試合運びに似ている気がする。 >>54
ダイナマイト・キッドはハードヒットで人気が出たけど、アメリカだとデイビーボーイ・スミスの方が関係者の間では評判が良かったって >>59
まさにお膳立てという印象だったよな
3月の蔵前のワンマッチ参戦ではとにかく攻撃主体で逆に鶴田が反則負け防衛 名前がかっこいいな。
クラッシャーバンバンビガロの次にゴロがいいw >>55
7〜8年前の年末年始の夜中に、野獣死すべしを放送してたけど、このセリフの場面では、俺もニックの事思い出した。 長州が対戦したレスラーでニックは3本の指に入るって言ってたな ニック、フレアー、スティーブライト、このあたりは
プロレス界のマスターといって過言ではない 50過ぎても体作って動けるだけではなくトップ戦線に
いたのが凄いな。 >>65
なんでもかんでも持ち上げるの止めようよ(笑) 週プロに出てたが今日はハワイでの鶴田との防衛戦の日
プロレスリングインハワイの出所なのは有名だがハワイマットとしての起死回生でもあったというのが驚いた >>64
だろうなw
当時すでに51歳だったニックが、レスラーとして最盛期だった85年の長州と同じ動きで対抗していたからな。
>>68
すでに引退していた90年12月に新日本の『ザ・グレーテスト18クラブ特別試合』でマサと対戦した時も
あれはどう見ても56歳のレスラーの動きではないなw
あんなベストコンディションの56歳のレスラーは後にも先にも見たことがない。
ニックはまたAWA圏内でのインタビューが秀逸なんだな。
見た目は50年代〜60年代の映画俳優のようで、オバマ大統領に劣らない雄弁さで理路整然とアピールw
あれだけで十分金がとれる。 >>60
キッド・スミスとは最強タッグで二度当たってるんだよな
出来ればカートも交えた85年の試合映像を撮って欲しかった 知り合いから教えてもらった簡単確実稼げる秘密の方法
知りたい方だけみるといいかもしれません
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FMEIR >>75
コイツ全部のスレにこれを書くつもりだろ。
キチもいいとこだ。 >>74
90年の浜松アリーナでエキシビションで対戦している。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています