猪木の坂口への嫉妬は、半端なかったからな。
猪木は1943年横浜生まれだが、5歳の時父親が他界。石炭商の実家は破産。
生活苦で13歳の時、一家でブラジルに移民として渡る。
陸上競技をしていたが、興行でサンパウロを訪れていた力道山の目に留まり、弟子入りするために来日。
巨漢を買われ、プロ野球・巨人の投手も経験した馬場と共に日本プロレス入門。
当初からエリート扱いされた馬場に対し、力道山の付き人となった猪木は、理不尽な扱いを受け、さしたる
理由もなく殴る蹴るの暴行は日常茶飯事だったという。
この悲惨で屈折したな生い立ちから、猪木は、馬場や坂口などのエリートに対する嫉妬、反発が増幅していった。
中卒の猪木に対し、坂口は明治大学卒。
しかも、明大時代に柔道学生日本一。
明大卒業後は一流企業の旭化成に入社し、柔道日本一、柔道世界選手権銅メダル。
鳴り物入りでプロレス界にスカウトされ、日本プロレス入門発表と同時に渡米し、ゴッチから英才教育を受け、
全米デビュー。瞬く間に北米のメインイベンターとなり、凱旋帰国した時には既に日本プロレスの次期エース
として大人気。日本中に「大・坂口ブーム」を巻き起こし、坂口見たさの客が全国の会場に押し寄せ、入場
出来ないファンが会場の外に溢れた。
日本プロレスを追放された猪木は、新日本プロレスを旗揚げするものの、テレビが付かず倒産寸前。
一方、馬場が抜けた日本プロレスも苦境に立たされたが、坂口は若き日本プロレスのエースとして奮闘していた。
しかし、そんな坂口に対し、猪木は「坂口なんて、片手で5分で充分だ」などと罵倒、挑発を繰り返した。