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ストンパーは第1回MSGタッグリーグに出てたと思ったけど、オックスベーカーの勘違いだった ストンパーは第1回MSGタッグリーグに出てたと思ったけど、オックスベーカーの勘違いだった。猪木となら良い試合になっただろうなぁ >>760
もし長州たちがジャパンを旗揚げしてなくても
予定ではNY遠征のはずだから
当初から維新のタッグリーグ参加はなかったのかな >>773
浜口がどうなるか、だね。
カーンと組むか意表ついてマシンと組むか。 >>774
ファイトによれば当初のマスコミの予想では長州・谷津がWWF遠征、浜口・寺西が新日興行へ移籍、
小林がUWFの誘いを断り新日残留だった。 明けて85年お正月は全日の新春オールスターウォーズ85の大阪府立大会、見に行ったよ(スレちスマン)。
10試合くらいあったが全日正規にジャパンや国際、加えて外人だからほとんどタッグマッチという物量戦でw、
しかしまだコレといった遺恨なんかあるわけでなく単なる顔見世興行だったが、まあ客の入りが凄かった。
一万いったんじゃないかな? >>775
貴重な情報サンクス。
浜、寺は正規軍入りしても星野と同格かやや上程度の中堅になりそうな気はする。
見映えがしないからw
小林は残留していたらジュニア級のエース扱いだろうね。 >>767
>ストンパーは、猪木の若手海外修行時代の
>パートナーと知って二度ビックリ。
ストンパー宅で食事に呼ばれ、特製の人参ジュースをふるまわれた。
猪木は心温まる歓待に大喜びだったが、その人参ジュースを飲んだ後、
イチモツが激しく勃ってしまい、それが3日間おさまらなかったとかwww
猪木の自伝に書いてあるよね >>778
猪木「皆さん、考えてみて下さい。試合中もそんな状態だったら、どれだけ困るか」 >>769
ブラウンは身体がブヨブヨだしとても一流レスラーなるようには思えなかったが、カルガリーでの猪木とのシングルではなかなかフォールされずに粘ってたのは意外だった。 ケリーブラウンはT戸口の超高角度殺人パイルドライバー(ショルダーバスターがすっぽぬけて頭から突き刺さった)を喰っても死なかった超人だからな >>778-779
神戸でスッポンの生き血を飲んで同じような目に遭ったのがアドニス >>766
最後の頃はさらに動けなくなってジャイアントブローとジャイアントラリアットがフィニッシュになってたもんな アンドレがジェリー・モローと組んだのはフランス語が話せるからで
本当なら黒人のモローとは出場したくなかったってのは本当? >>785
発表は9200人だけど、今の新日よりちょっと多いくらいだろうな。 ケリーブラウンだっけ?
アンドレ戦後の前田と試合した時に怖がって前田の耳元で「I Like You」て言ったの ストンパーは84のビッグファイト第一弾に参戦予定だったけど来なくて残念。
ホーガンが日本陣営から去り前田がUに移籍して正規軍が手薄だったから、
猪木の助っ人としてちょっと期待してたんだけどな。 >>775
あるいは長州・谷津がWWFインタータッグを持ち帰るはずだったのか
>>776
実は全日本最後の旧大阪府立大会
確かメインに石川と寺西が出ていたんだよな >789
ストンパーはこのころけっこうトシだったはずだが、体力的な衰えがあまりなくてスレーターと金網デス
マッチやってたからなー ただ仰向けの相手の両足とってのストンピング、あとフィニッシュがコブラクラッチ
で、正直当時としても旧式のファイトスタイルだったから客にウケたかどうか・・・ >>786
ミスター高橋の著書(例の暴露本より前に出した本)にアンドレがモローと
一回もタッチすることなく試合終わらせて、高橋がそれを問いただしたら
「ニガーの手を触るのは嫌だ」と言ったと書いてあった。 >>792
ジャポネの穢れと似たようなもん
だから、日本とおフランスは妙な所で意見が一致しやすいのな ヘラクレスロンホークってテレビ出せないほどの
ダメ外人やったんかな? アンドレはバッドニュースアレンにも侮辱的な事言ってキレられたんだろ? >>794
開幕のVS木戸戦はテレビに映ってた。
一応勝ったけど、あの試合のしょっぱさで見切られたと思う。 新日でしょっぱい外人で思い出すのはビリージャック・ヘインズ 来日まえは未知の強豪!という
感じで雑誌の表紙になったりしたが来て試合したら全然動けない・・・
昔ファイトに載ってたミスターヒトの思い出話のコラムで、WWFが全米侵攻のエースにホーガンじゃなく
ヘインズを立てる予定があったといってて仰天したわ 新日には、アンダーテイカーになる前の若手時代に来日してたんだよな、全く記憶にない >>798
パニッシャーダイスモーガンだね。ロープ渡りからのエルボードロップは凄いと思った。 木戸修とのシングルでにキドクラッチ前のインディアンデスロックでギブした外人がいた。
名前は思い出せないが、そいつも筋肉だけはすごかった記憶。
ほんとゴールドジムでマッチョになったら即デビューみたいな奴がアメリカには多すぎる >>797
猪木とのシングルは、せめてフィニッシュで納得させようと猪木が久々のジャーマンをやってくれたのが救い。 >>797
アメリカと日本じゃ試合のテンポが違う
つべで向こうの試合見るといい試合してる
最終戦伝説の力抜山戦が放送されてたら評価は変わってたと思う >>798
マサにフライング真空ラリアット放ってたよ。
駄目だこりゃって思った。
もしかしたらマサが倒れるタイミングを早まったのかもしれないけど。 https://www.youtube.com/watch?v=gZdgnyKDFYM
サンシャインはジム・ガービンだけじゃなく
ビリー・ジャックのマネージャーも務めていたのか サンシャイン懐かしいw
他にプレシャスってのもいたっけ ミッシー・ハイヤット、エリザベス、ベビードール、センセーショナル・シェリー・・・ >>801
やったのは前年の蔵前ラストマッチの長州戦以来か パニッシャー ダイス・モーガンの時のテイカーはデカいし動けるけどイマイチかな?って思ってた俺の見る目のなさwホールと組んでた事もあって 当時のホールと同タイプ認定してしまった >>807
ビリー・ジャック戦のジャーマンは86年3月
その前のジャーマンは85年9月の藤波戦
その年のタッグリーグの藤波、木村戦でも出てたかもしれないが >>809
どうも映像で確認しました
試合後に上田が手を上げてましたね
完全に決めたのは三年前の浜口戦以来になりますか ビリー・ジャック・ヘインズ、ハクソー・ジム・デュガン、ビッグ・ジョン・スタッドあたりは
来日前からプロレス誌の海外情報で結構期待されてたけど
結果的にはあの時代の典型的な日本で受けないアメプロスタイルってかんじだったな
ただビリー・ジャックのフルネルソンは極めたあとスィングして振回すとか
上からのしかかるとか脚かけてメキシカンストレッチみたいにして逃げられなくするとかの
日本向けにちょっとした工夫して「蘇った昔の拷問技」みたいに
マスコミ使ってもっと喧伝すればそれなりに雰囲気はあったと思うけど
まあどっちにしろ上の全員仮に日本で人気出てもWWFでトップになるから
その後日本に定期的に呼ぶことは難しかったんだけどな スタッドは維新偏重のマッチメークで犠牲になった感じ。
長州ごときに負けを飲まされては二度と来るかと思うだろうな。 デビッド・シュルツなんかもいたな。
前述のホール、ダイスモーガンも含め、
素材的にはかなりの選手が来ていた。
新日が第二のハンセン、ホーガンをいきなり狙いすぎてた感があり、
育てようとかいう気がなかったのかもね。
全日ならスパイビー程度の選手でもそれなりにしてしまうのに。 全日はタッグ戦線に入り込めれば生き残りやすいが
新日の場合はいきなりシングルで猪木のライバルとして使えるか否か
というのが問われてしまうので生き残りは難しい
新日はタッグでは軽視されるからね >>812
ヒギンズは大剛ルートの米ではインディ地区中心のレスラーだし
試合ぶりはむしろ良かったろ
まあ素行不良で呼べなくなっちゃったけど
前記のレスラー達やヒギンズ、それにホールやオースチン、モーガン、
ウィリアムス、バーバリアン、ヘルナンデス、ビガロ・・・
ベイダーがトップに定着するまでいい素材来ても上手く使いきれなかったり
初登場ではインパクト残してもその後に登場する「強豪」と喰い合って
だんだんイメージが散漫になるケースが多かったなあ ヒロ・マツダの弟子のサムライ・ウォリアーはウォリアーズを少し小さくした体格だが、
アキレス腱固めをやったりとレスリングをやったら、
週プロ「そういうのより体格を生かしたプロレスをやるべき」
マッチョでレスリングもできるっていいんだけど、そう捉えちゃうか・・・ >>815
その猪木との対決でも、アクシデントで勝っちまわないかヒヤヒヤしたよ。
ヒギンズのパワースラムかなんかで猪木が失神しかけてたような記憶があるわ。
猪木も急激に衰え感じて、政治へ方向シフトしていくんだが。 鳴り物入りで呼んだ“ポストブロディ”ロン・パワーなんかも話題先行で終わっちゃったな。
この時期、育てる余裕というか発想がなかったんだな。
とにかく呼んでみてどうかなって、数打ちゃ当たるって考え。 >>819
脇の下に抱え込むバックフリップだったね
投げで叩きつけられたっていうより
猪木がムギュってかんじで下敷きになって押し潰されたかんじのヤツw
ウィリアムスのバックドロップもだけど
やる方が下手ってのは前提としてあるにしても
この頃になると猪木もこういうアクシデントに上手く対応できないくらい
衰えたのかなあという気分にされたな、当時 スピンクス戦から飛龍革命の後に欠場するまで
猪木のコンディションが良かった時ってないんじゃないかな?
欠場時に「この際だから悪いところを全部直す!」といって
あちこちと手術してたみたいだし 80年代なかばくらいの時期に、猪木を基準にして外人エース選手を選定はツラい・・・
しかしそれで思えば、ベイダーなんかよく来てくれた!て感じかな はじめはともかく以降はちゃん
と定着したし、平成以降も藤波長州、三銃士との抗争をやってのけたからなあ
動ける巨漢で、パンチが主武器という過去にいそうでいなかったタイプで新日らしい好戦的な雰囲気
も合ってたしな 先に登場してたビガロともうまくかみ合ってタッグでも活躍したし
のちのUインターや全日、母国のWCWやWWFと登場したところで必ずトップとる力量は今考えても驚異的
欧州やメキシコでも活躍したしな >>811
新間がいなくなったことも関係あると思うんだよな。
必殺技作るのに金なんかかからないのに何で期待されてる外人に
事前に伝授しなかったのか… ヒギンズは相手を倒してからコーナーポストに登るのが遅過ぎるんだよなw スピンクス戦に向けて減量してそのまま縮み続けたよな 長すぎる軍団抗争で新日は楽して稼ぐ方法に頼ったのが大量離脱後の負債になった感がありますね。
日本人対決なら軍団枠にとらわれず相撲みたいな形式もありえたとは思う。
それをやったのがUWFだけど。 藤波と維新軍の格上げで未知の強豪が藤波以下という扱いがあまりにも悲しかったな。
シュルツなんかサマーの最終戦で猪木と一騎打ちが予定されていたのに、
その大役を長州に奪われた挙句、藤波にも負けるんでは酷すぎるわ。
開幕で谷津を瞬殺したのも試合前の長州の大騒ぎで客もダレてしまってインパクトなかったし。
どうせだったら長州とシングルやってピン勝ちし、
最終戦に向けて盛り上げていってほしかった。
翌年のバンディもよかったのは新春だけだった。 ベイダーも最初はただの木偶の坊でしかなかった
ただ信じられれないスピードで日本のプロレスに順応してった
そこが他のいまいちエースになりきれなかったレスラー達とは違った 長州がブレィクして強豪外人との対決を楽しみにしていたんだけどね。日本人相手にやる威勢の良さをなんで外人に向けないのか、当時は不思議でならなかった。 >>815
長州らが抜けたことによる外人強化の一環としてウォリアーズを呼ぼうとしたけど、仮に招聘に
成功しても猪木とシングルが出来ないから売り出すことはできなかっただろうな。 >>832
けど、バッタ物のマッドマックスなんて呼ぶなら、無理してもウォリアーズ呼ぶべき
だった。けど。ウォリアーズが来たらブロディは新日来なかったかな。
デビットシュルツは古館をぶん殴ったり、かってのシンみたいな存在になるかなとか
思ったし、ヒギンズとのコンビもよかったから継続して参戦して欲しかった。 >>833
あれは本当にキレやすいから無理なんじゃないのか?
下手すりゃリング禍あるよ 昭和56年の新春黄金シリーズはショボかったな。ジ・エンフォーサーとサモアンズだからなぁ。 プロレスも本当にキレちゃう奴は干されるってんだから面倒だよね。
カール・ゴッチもその類だろ?
俺はレスラーとしてそんなにすごいとは思わないが、そういう裏の喧嘩エピソードが彼の格を上げてた気がする。
リング外で喧嘩する奴はただのゴロツキだよ。 >>836
MSGタッグがアンドレ、バックランド、ハンセン、ホーガン、ローデス、シンらを呼んで豪華絢爛だったから新春シリーズは経費削減かね。
全日本の新春シリーズも最強タッグに大物、人気選手まとめて呼ぶから地味なメンバーになるの常だったね。 >>837
安生に殴られて警察呼んだ前田を叩く糞どもに聞かせたい言葉だな。
喧嘩とプロレスは違うもんな。 前田は殴るのは好きだけど殴られるのは嫌いという救いようのない性格
坂田を凹ったのはやり返されない事を知っているから
安生の件にしても自分の方から殴っておいてやり返されたら被害者面
どこが格闘王だよ >>839
最終戦が思い出せない…シンと猪木が闘った?ケンパテラは違うかな?印象に残らないシリーズだよね >>838
確かに年末は凄かったからね。猪木・ローデスVSハンセン・シンとか夢のカードとか https://www.youtube.com/watch?v=20zHMKPcs0U
入場曲、消音対応してるね。
俺の記憶じゃ確か「燃えろ!吠えろ!タイガーマスク」の初オンエアの試合。 >>836
リング外では話題振りまいてくれたけどな。
札幌のストリップ劇場で。 81年新春黄金シリーズ
シン、上田、サモアンズ、
パテラ、ダンカン、エンフォーサー
結構なメンバー揃えてる。 >>850
札幌中島でシン対猪木のUWA世界戦やったんじゃないかな? 最終戦は東京都体育館で猪木ローデスvsシンハンセンの再戦と言われてたがローデスハンセン来ず
後楽園ホールで坂口長州vsサモアンズの北米タッグに
たしか東京都体育館のチケットを売ってたのに後楽園ホールに変更だったはず >>852
最終戦は猪木VSケンパテラか。前年の武道館の再戦だね。武道館のハンセンVSバックランドは鶴田が観戦して雑誌に感想書いてた記憶がある。懐かしいなぁ >>836
前年末のMSGタッグでパワーズとのコンビを拒否したスーパースターが
来日キャンセルして急遽ベーカーが来日。
当初ベーカーとのコンビで来日する予定だったエンフォーサーは、
単独の参加になったんだよね。 方や全日は、ブッチャーとルーイン、特参でガニアとシークか。
なんか地味だな。 ケン・パテラやビリー・グラハムの全盛期ってどれぐらいのネームバリューだったのかな?
昭和47年生まれの自分でも、少し前になる >>854
コンビ結成拒否で来日キャンセル。
夢があるな。 そんなシンとブッチャーが夏には出場団体が入れ替わってるとはこのとき誰が思ってただろうか? >>856
グラハムは来日前から海外記事とかでけっこう取り上げられてて
当時はああいうファンション性取り入れたレスラーってあまりいなかったから
所謂「来日が待たれる未知の強豪」だったと思う
国際に来たあとはマッチョの木偶の坊ってバレちゃったけど
パテラは特には・・・
日本では重量挙げのメダリストといっても重量挙げ自体が
日本ではマイナーというか「格闘技やコンタクトスポーツじゃないし…」ってかんじで
あんまり訴えかけるものでもなかったから ケンパテラ戦での猪木のフィニッシュ技の卍固め(日本武道館)、バックドロップ(後楽園ホール)。いづれも完璧で絵になった。衰えるちょっと前だね グラハムって、本国だとかなりセンセーショナルな存在だった
あの当時世間的には一番の知名度あったんじゃない >>854
長州のパートナーはカーンの予定が星野に変わったけど、
カーンはなんで帰国しなかったんだろう。 パテラはデビュー数年でメインイベンターに昇格して、アメリカではかなりの活躍を見せた選手だけど
日本は国際、全日、新日にきたがあんまりピンとこなかった 試合自体は悪くないんだけど
パワーが売りだがスピードも結構あったし
あーでも思えばパテラって列伝でホーガンと戦ってたな 猪木に「あまり頭がよくない」とか酷いこと書かれてた
っけ?パテラが日本でパッとしなかったのは列伝のせいじゃないか? ケン・パテラはボブオートン・Jr同様に「次期NWAチャンピオン候補」と言われた
器物破損と警官暴行で刑務所にブチ込まれたりしなければ… パワーファイターと言えば、マイクシャープジュニアもイマイチ期待はずれだったな。あのシャープ兄弟の息子だからちょっと楽しみだったんだけど。練習熱心だったらしいのは身体を見ればわかるけどね パテラは猪木戦の当時は
ミズーリ州王座とWWFインタコンチを同時に保持していた
長い歴史で同時保持はこの時のパテラだけ パテラって後にミネソタ州の知事になった人かと思ったら、
ありゃジェシー・ベンチュラだったね。蔵前の一騎打ちでは
猪木に敗れたけど、政治家としては猪木より出世したね。 >>866
シャープは初来日の時にホーガンの良きパートナーって感じでパワーもあり期待したけど、
いかんせん維新軍偏重のマッチメークで素材を潰された感じだね。
あのパワーで長州を弾き飛ばすくらいの試合をしてほしかった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています