【凱旋帰国】昭和の全日本プロレス46【善戦マン】 [無断転載禁止]©2ch.net
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http://medaka.2ch.net/test/read.cgi/wres/1495024124/ ジャンボとロビンソンの試合好きだった。
日大講堂の試合だっけ、ロビンソンが欧州式エビ固めやツームストン出したの。
確かジャンボが人間風車で1本とったような気がするんだが。
3本勝負の1本とはいえ、ロビンソンの必殺技で取ったのが印象に残ってる。 鶴田がデビューして半年ほど経った頃だったか、日曜の昼にやってた
TVジョッキーて番組で素人さんが特技や芸を披露するコーナーに
プロレスの物まねをやる若者が登場した。鶴田の真似もやってたけど、
頭をうなだれながら「馬場さんの言う事を聞いて頑張ります」!と。
プロレス見始めて間もない小学生だったし、特徴捕えてるのかも
分からなかったけど、何となく面白かったw 凱旋帰国の鶴田としてはテリーへのジャーマンが有名だがドリーへのフロントスープレックスも鮮烈
確か初のNWA挑戦で一本を取っていたとか ジャンボのフロント、ブリスコとのUN決定戦で一本とったときのが好き。
クラッチをギリギリまて切らずにいい角度で投げてたよね。 自分がリアルで見れたのではやはりレイスからのUN奪還での一発
あの後のボディシザーズドロップも見事で トップロープを超えて場外に転落する鶴田とドクは何気にすごい人達だと
思ったな。 鶴田は当時の人気番組だった俺たちの旅の最終回にゲスト出演したくらいだからな 欽ちゃんが司会やってた家族対抗歌合戦にも出た事あるけど、
鶴田の兄貴が鶴田とほとんど変わらない体格だったのに驚いた。
頭のほうはだいぶ薄かったけど、顔も似てたね。 鶴田も頭髪気にしてたのは兄貴が薄かったからだろうな
結果として鶴田は最後まで禿げなかったけど あの百恵ちゃんがファンだと公言し
百恵ちゃんに交差点で「ジャンボさ〜ん!」と声をかけられた鶴田 >>13
最終回だっけ?
中村雅俊だってデカイのにジャンボの前じゃ身長も身体の厚みも段違いだったな
昨今のバラエティーで高身長タレントより小っちゃいプロレスラーとは違うな 俺たちの旅の最終回
中村雅俊らが美女をみつけて
ナンパしようとしたところ
ジャンボ鶴田が現れ中村雅俊らをみつけ、ムッとして追いかけ来そうになる。
「ブサイクな化け物付きだった!」と逃げる中村雅俊らというオチ ようするに、真壁とかが
ドラマのメインキャストに脅すチンピラとして
ちょこっと出るようなパターン 桜田ズン子とも井関農機のCMで共演してた
ジャンボ。 酔っ払って寝てる間に意地悪ばあさん(青島幸男)に社会の窓を縫い合わされて
立ちションできずに苦しんだこともあったなジャンボ 山口百恵や桜田淳子が出たスター誕生が
全日本プロレスと同じ日本テレビ系列で
鶴田と同じ70年代デビュー世代だから
日テレスタッフからそうさせられてただけだろう
スター誕生がもしれテレ朝系だったら
違うことになってただけ 山口百恵がジャンボ鶴田を・・・という言葉だけが独り歩きしてるが
ジャンボ鶴田がミュンヘン五輪に出たのが1972年で日本テレビ系列の全日でプロレスでビューがそのあと1973年
山口百恵が日本テレビ系列の「スター誕生」合格しデビューしたのが1973年
同時期のデビューで日本テレビが一緒に売ろうとしていた。
なので、山口百恵はジャンボ鶴田のファンで〜す、と裏方が言わせていた
それだけのこと。 ぐっと間口が狭くなるけどゴングかプロレスで
鶴田とマッハ文朱が「お互いにファン同士」みたいなこと書かれていたね。
それと似たようなもんでしょ。百恵の件は。
当時中学生の俺はその記事を読んで
二人の子どもは天才レスラーになる、なんて思ってたんだが(笑) >>7
「善戦マン」と揶揄される前の鶴田は変に肥大化していなくてw
「若大将」として馬場の嫌いなwマスカラスやロビンソンと名勝負や好試合を
していたのは評価できる。
特にロビンソンとのUNを巡る一連の試合は東スポ大賞を取ったマスカラス戦より
いい試合だったと思う。雨の田園コロシアム決戦と言われたマスカラス戦は
試合寸前まで大雨で中止する所だったらしい。
>>18
配役クレジットは「巨漢の男」だった。
女性の待ち合わせシーンに突然に現れたからビックリしたw
>>20
赤ヘルを被っていたCMが印象的だった。
田植機の名前は「早苗ちゃん」だったたけ? 藤波も凱旋帰国時に「修行中、藤波を支えた恋人がいた」というラブロマンスのアングルが計画されていたんだよね。 >>24
マッハ文朱も山口百恵とスター誕生で争った間がらの日テレ系宣伝に使われただけ >>25
というか日本テレビが必死で
鶴田を若大将として売りだそうとしていたのだろう
ところが鶴田自身で
十番勝負あたりから
善戦マンと揶揄される試合内容しか作れなくなった その後、どっちか忘れたけど(たぶんマキ?)ビューティペアの片割れとも
同様にお互いにファン同士と報されていた。
その時に、あぁ社交辞令あるいはリップサービスなんだな〜と思った。
もちろんそんな言葉は知らなかったんだけど。 田園コロシアムでの鶴田マスカラス戦
鶴田入場コールで会場はシーンとしていて声援もほとんど無く
楽々と花道を歩いてリングに辿り着く、人気のない鶴田。
一方、マスカラスは、ファンが殺到し、もみくちゃにされて花道をなかなか進めず
入場曲が終ってもリングに辿り着けないくらいの凄い人気。 80年のチャンカン決勝でもスレーターの方が声援多かったね 時を経て評価が変わったんだからそれでいんじゃないの? 鶴田のファイトが萎縮というか遠慮めいた感じになったのはいわゆるクツワダ事件の時期に掛かってるんだよな
今になってみて分かる事だが 都内で全日見ると、鶴田がマスカラやテリーと組むことがあった。鶴田が出ると「お前はいいから、早くマスカラスだせ!」なんてヤジがよくとんでかわいそうに思ったよ。 >>18
ナンパするのは田中建扮するオメダ
カースケとグズ六は離れたところで様子を伺ってるだけ
そこに鶴田が彼女にどうした?と表れて三人一緒に逃げるってオチになる
それとブサイクな化け物なんて台詞はないから
ワンシーンとは言え、美女の彼氏って役どころなんで悪い役どころではないと思う >>18(ワッチョイ ef2e-djrc)ID:lAGehRcb0は鶴田を貶めて喜んでるアンチだから説明不要w
934 : お前名無しだろ (ワッチョイ ef2e-djrc)2017/06/21(水) 08:25:45.75 ID:lAGehRcb0
プロレスラーって何かしら良いエピソードがあるもんだが
鶴田には良いエピソードがひとつもないのな。
関係者の話はたいがい「鶴田は性格が悪い」とか
「鶴田は付き合いが悪い」とか「後輩にワリカンでどケチ」とか鶴田の悪いエピソードばっかし。
だから鶴田ファンって、書き込むエピソードが見つからないから
サイキョサイキョと延々泣きわめくだけで、気持ち悪い。 山口百恵が星パンツがカッコイイから鶴田のファンというのはTBSのクイズダービーでやってた コンタロウの1!2!のアッホ!でも鶴田は
若い女性から歓声を浴びるアイドルレスラーとして描かれてた。
猪木は逆に八百長野郎だった。 ゆでたまごが全日本ファンなのは有名だけど
なぜか少年ジャンプは全日寄りだった
リッキー台風でもリッキー大和は全日留学生だったしな
キザな嫌な奴のライバルのナルシスはカール・ゴッチの弟子で
リッキーに敗れて消えた プロレススターウォーズも最初のタッグ5対5は全日本系が15人(掲載時)とやたら偏ってるよね。 いしかわじゅんも、みのもけんじも全日本派と公言してたね。
プロレス悶絶秘宝館でインタビュアーの吉田豪を完全に置いてきぼりにした対談が面白かったw >>40
70年代後半〜80年頃はマガジンが「四角いジャングル」で猪木の格闘技戦路線を取り上げたり
少し後にはサンデーがスーパースター列伝と(これは全日系も取り上げてはいたが)
梶原・猪木ラインが他誌で連載を持ってた関係もあるのかな 読売・産経が政権寄りで朝日・毎日が野党寄りみたいなもん?
・・・ちょっと違うかw 昭和30年代生まれは全日(馬場)ファンの方が、昭和40年代生まれは新日(猪木)ファンの方が
割合としては多かったという印象がある
1974、5年までにプロレスを見てた世代とそれ以降に見てた世代の違いなのかもしれないけど コロコロコミックに載った金メダルレスラーは凄かった
あの時代にプロレスは筋書きありのショーと書いてて
どう見ても梶原と新間というキャラの前で
体操金メダリスト出身の五輪たかしが試合のリハーサルをやる
「今はメキシコ空中レスリングがやけに受けているからな」
「あとは演技力だな」
「え、演技力・・・?」「おれはすすむ道をまちがったらしい」
試合が始まると猪木が「打ち合わせどおりうまくやれよな!」とウィンクする
この話は単行本には収録されなかった 藤波やタイガーがピークの時は新日本だけどそれ以外は全日本なんかな?子供人気 >>47
前にも書いた事あるけど、昔ゴングなんかに門茂男が連載してた時も
明らかにプロレスが真剣勝負じゃない事を示唆するような内容が出て
くるんだよな。試合の前に話し合いがあったり、最初から結末が決まってる事を
伺わせるような。何であの時代のプロレス雑誌があれを許容してたのか、
未だに不思議だ。 >>39
1、2のアッホ!はすごかったね。
猪木(のパロディ)が梶原一騎(のパロディ)に八百長の台本を書いてもらおうとする話だった。
子供心にこんなん書いていいのかと思ったよ 同じ1、2でも三四郎とは全然違うねw 作者も掲載雑誌も
違うんだから当たり前ちゃ当たり前だけど。 デストロイヤーとの接点は「うわさのチャンネル」だった。
和田アキコを中心にあのねのねやせんだみつおらとドタバタ芸をやってる
「レスラー崩れの外人さん」だと思ってたが、土曜の深夜にリングの上で
堂々と試合をしてるデストを見て「え、この人マジで現役なんや・・」って
驚嘆した思い出も懐かしい。 (実は親日は見てたのでデストの名前くらいは知ってたが) >>53
まぁその内機会をみてw 今日はもう時間ないからここまでにしとくわ。 >>46
昭和30年代生まれは馬場が全盛期の日プロ時代も見てる人も多いね。 昭和最後年の最強タッグでハンセンとチームを解消したゴディがビル・アーウィンを帯同して来日したけど、この二人何か接点あったのかな >>58
ダラスで一緒だった。
どちらもヒールサイドだったけど共闘してたかどうかはわかんない。 >>49
昭和30年代の月刊ファイト(後年のタブロイド新聞とは別物)でもスタニスラウス
スビスコが「ドロップキック、フライングタックル等昨今の技は相手の協力が無ければ
掛からない八百長技、今のレスラーは道化ばかり」みたいな手記書いて載せてたけど
あれはその後で「ただし、俺が若い頃は道化レスラーはおらず、技もガチンコ技ばかりだった」
みたいな事を追記してたから、まあ愛ある暴露とも言えるな。
門茂男やミスター高橋らの暴露本、暴露記事は悪意しか感じられない。 >>52
デストロイヤーが馬場の軍門に降って日本陣営に加入した話は
知らなかったんかな。 >>61
楽屋で素顔を見ている和田アキ子は頭髪が薄いのを後年、暴露してデストロイヤー
は笑いながら怒っていた。せんだみつおの悪戯には自慢の空手で制裁していたが
デストロイヤーには同じ事をされても絶対に報復しなかったらしいw
昨年の週プロやTVで自宅のそばでパークゴルフ場を経営している記事が紹介されて
夫人は高齢なので毎年、夏に日本に行く夫を心配していたけどその後も元気に来日した。 >>30
そんなことあるかい。
鶴田の当時の人気を知らんだろ。
ウソ書いてまで鶴田を貶めようとする粘着さに拍手する。 >>58
接点は別に関係ない。
ポッカリ空いたゴディのパートナーの枠に、
AUPの時に天龍と良い試合したアーウィンを抜擢しただけ。 >>60
スタニスラウス・スビスコって伝説の名レスラーなのに
梶原にかかったらグレート・ガマの引き立て役でしかない
リングも何もない砂利で戦わされ、
アトミック・ドロップで悲鳴上げさせられた挙句
その場飛びボディプレスでKO負け アーウィンの非力に焦らされた分だけ翌年の殺人魚雷誕生のインパクトが強烈になった
あれこそ最高の噛ませ犬役 >>68
アーウィン兄弟は来日は少なかったが全日海外遠征ツアーではかなりの確率で三強と当たっている。
馬場に気に入られていたんならもっと来日は多かったんだろうが現実は日本での扱いもイマイチ。 77年のジャイアントシリーズに来たロッキータマヨはどれだけ木偶の坊だったんだろう?
ジェイヤングブラットと共に噛ませ要員だった。 >>69
なんで入場シーンないやつ貼るの?
https://www.youtube.com/watch?v=wc0BOfojgXg
> 会場はシーンとしていて声援もほとんど無く
> 花道を歩いてリングに辿り着く
> マスカラスは入場曲が終ってもリングに辿り着けない
この辺ははっきり嘘だな >>30
お前本当にウソばっかりだな。
まあ、元々いつもおまえの書くことに信憑性などないが。 >>30
お前はウソばっかり書くしおまけにホモだしw >>30
お前本当にウソばっかりだな。
お前、流智美だろw 亡くなったポーゴと全日本や馬場と接点あったのかな? 鶴田がジャンプでリングインするようになったのはいつから? >>77
アマリロに定着していた時期があったにもかかわらず全く無かった。
唯一接点が出来る可能性があったのは78年の日本リーグ争覇戦。
予定通り参加していれば何らかの形で全日本勢との絡みはあっただろう。
ジャンボとの“中央大柔道部門前払事件”の因縁対決とかを見たかったな。 >>78
昭和51年頃じゃね?
特にデストロイヤーとのタッグの時、二人そろってトップロープ超えのリングインしてたような印象。
私が高校生の頃、全日の試合前のリングにこっそり登ってトップロープ超えリングインを試みたら
意外に簡単に出来たw >>77
カンザスで佐藤と対戦
アマリロでは石川や佐藤と組んでタッグ王者に就いたらしい 質問重ねてしまうが
鶴田がジャンプでリングインしなくなったのはいつ? >>83
82年6月の蔵前のフレアーとのNWA戦で
黒コスチュームにしたから恐らくこの頃 >>80
それ見つかってたらエライ事になってたんじゃないの?
会場から追い出されてた可能性あるかも。 一時期の鶴田が外人勢や藤長天といった同時期に活躍したレスラーより人気の面で
遅れをとっていたのは事実だろうけど、その後三冠王、完全無欠のエースとして君臨し、
今はファンの評価も変わったんだからそれでいんじゃないかと思うんだけどね。 ポーゴが後援者を通じて全日のリングに売り込んできて
ジャンボが「もうちょっと実績がないとウチでは・・・」と門前払いにしたなんて
話を門が書いてたがこれは面白おかしくしようとした作り話だろうね
門前払いにするのは馬場がやることだからな 鶴田へのヤジが酷かったのはハンセン、ブロディ、天龍と三冠統一を巡って争った時
不透明決着が連続してファンの反感をかった時が一番あからさまだった感じ
リングアウトは会社の命令だったのに可哀想だな今考えたら FMW時代の話なんでスレチになっちまうけど、試合後のポーゴに
サインを頼んだ事があった。断られたけど、丁寧でいい人っぽさが
滲み出てた。ペイントを落とした素顔や体型はホンワカムードだしね。 >>88
考えてみたら善戦マンと呼ばれた時期もそうだね。別に鶴田本人に
責任があったわけじゃないんだけど、批判は鶴田に向けられるという。
損な役回りを担っていたとも言えるかも。 >>89
三冠統一だって、考えてみたら凄い偉業なんだが(これも会社の命令だがw)
当時話題も天龍関連に持ってかれたのも可哀相だった。 >>79>>88>>90
Gスピの国プロインタビューでも全日参戦が無かったのでそこだけ抜け落ちていた。
短い期間ながら国プロは居心地が良く自分で買い地元で行った興行が黒字に
なった。WINGの茨木氏は「ポーゴは海外の実績から見てもう少し評価
されてもいいのでは?」と残念がっていた。
ポーゴ&ナガサキ組は新日の依頼で組んだだけリング以外で行動する事も
話す事も無く関係良く無いようなく桜田の口ぶりだった・・・
>>89>>91
ただ空気の読めない全身痙攣&「オー!」はファンから支持されてなかったよ。
「オー!はもういいよ!」と野次られし馬場にも実況中に「客に問うて
どころじゃない!(攻めろ!)」と一喝される始末。
のち名物になる「ツルタ!オー!」の連呼コールもネタみたいだったし・・・ S55年頃の月プロに、ブッチャーとのUN戦に関してファンから「アピールが多すぎる」
との批判が寄せられた事はあったね。「そんな無駄な行為の為にタイトルを失って
しまった」「一種の戦線離脱」とかなり辛辣な内容だった。
後年の週プロにも「昔からその種のアピールを一切行わないできた馬場とドリーの
愛弟子である鶴田が、アピール好きなところだけは猪木に似てるのはどういうわけか」
なんて書かれた事もあった。そういう側面は確かにあったとは思う。 >>91
馬場が衰えてもエースの座に固執し批判の矢面に立つ訳でもないし、鶴田が
泥を被ったが後任の松根社長が鶴田のダイナミックなプロレスが好きだった
おかげで世代交代の流れが出来たが、馬場の抵抗はかなり強かったな。
>>94
桜田は理由は言わないが関川は嫌っていて対戦した時に角材攻撃をマジで
入れて揉め事になったとファイトの記事に書かれていた。 ポーゴナガサキ組ってタッグチームとしてはそう悪くなかったと思うんだけどね。
時代が違うけど、最強タッグに出てたらダークホース的な存在になってたかも。 あぁ、別に時代は違わないかw 同時期に全日では最強タッグやってたもんねw アピール云々はタイミングと頻度の問題だと思うけどなあ
その点では鶴田は木村健悟並みにセンスが悪かった
オーが受け入れられたのは単にファンの質が下がったからだろう 批判されようがとにかくやり続けた結果、いつしかファンも鶴田の
セールスポイントとして認めたって部分も少なからずあったんじゃない?
全く個人的な想像なんで違ってるかもしれんけど。 腕を突き上げるオーより、頭をかきむしったオーが好きだった。怒ったぞ〜的なw >>99
ファンの質が下がった?
お前のセンスが底辺なだけだろ。 桜田はキラー・カーンの事もバカにしてたし
日本プロレスの先輩としてのプライドでもあるんじゃね カーンは海外での実績が評価されて新日で好待遇を受けたのに
桜田は馬場に正規軍としても外人枠としても評価されず
マスクを付けさせたまま中堅程度の扱いをされた挙句
一回り小さい石川に負けさせられてしまっては
後輩の小沢の悪口の一つも言いたくなるってもんだろう 小沢にはアンドレと因縁があったが桜田にはそういう選手がいないし、あと
小沢に対する嫉妬だよ。大体桜田はどこ行ってもいまいちパッとしないのを
扱いが悪いとかの問題でもないと思うが 桜田はカブキこと高千穂と仲が良くなかったのも痛かった
オリエンタル・コンビとして売り出すのが無理でも
海外遠征組の園田やトンガと上手く調和がとれてれば 坂口に泣いて頼まれて新日に移籍して
けっこう売り出してもらったのに全然人気が出ず
契約を切られたからな>桜田 桜田は新日本で同じ年に移籍してきたブロディと対戦したっけ
ランボーサクラダとか名乗っていたような >>110
なんか一方的にやられまくったアレだろ?
昔の版型の別冊宝島で読んだわ ヒクソンとやるってんで修斗のリングに上がった事もあったね。
あそこで勝ち進んでれば躍進の目もあったかもしれんけど、
秒殺KO負け食らっちまったからなぁ。 桜田はブロディをプエルトリコでボコったって言ってるぞ
日本人を馬鹿にしてくるから >>113
ブロディ本人が亡くなってて反論できないから言ったもの勝ちだし
本人が言っているだけじゃフカシ臭くて信憑性が低いよ
ダニー・スパイビーがアドリアン・アドニスを控室でボコボコにしてKOした話なら
ホーガンとテリーが証言しているから信用できるが ただ喧嘩最強伝説みたいのは昔から言われてはいたね。
実際のところどうだったのかは分からんけど。 VT挑戦した時期のインタビュー記事で喧嘩は先手必勝。
喧嘩になりそうになったら先に手を出してたし、米国だと銃や刃物出して来るかもだから手元にある物は何でも使ってボコボコにして、後から仕返しされない様にしていたと書いてあった。 >>102
あの頃は新日ヲタが大量に流入してきたから、ファンの質が大幅に下がっただろ。 時代的な変化だろう
ウェーブの発生と同じでファンの方から積極的に盛り上げようという気風があの頃から始まっていた 桜田って日本でボクサーにあっさり失神KOされてたな
大日本だったっけ
相手は何とかフレイジャー >>116
格闘技雑誌で藤原組長が「喧嘩は先手必勝!」と説きただし編集部・注「謝って済む
場合は謝りましょう。」と書いてあったw
ガッツ石松は複数の相手をする場合は「袋小路に誘い込んでひとりひとり着実に倒す」
と喧嘩に関してだけは天才的な持論を披露していたw
>>118
でも同時期に発生した川田の「シャー!」はとても嫌がっていて「やめてほしい発言」
ファンが伝わりそれが止まると感謝していた・・・ >>121
> ガッツ石松は複数の相手をする場合は「袋小路に誘い込んでひとりひとり着実に倒す」
芦原英幸も同じような事言ってたようだ。
飲み屋の階段は、大概狭いからそこに誘い込んで、一人ずつしか来れない所を倒すと。
柘植久慶は、一番強そうな奴を先に倒すと書いてた。
天龍同盟抜け出した直後の川田というと
やっぱラストバトルと、この「シャー」コールが思い浮かぶ。 馬場のNWA転落のフィニッシュは無様だったね。
レイスの時はあからさまにタイミングを計ったボディーアタックの切り返しと
コーナーポストに上がって足を滑らせ股間を打った直後の押さえ込み。
当時はプロレス見始め前だったが
三度繰り返された国内限定王者と相まって当時のファンは呆れ返ったのでは?
ちなみに豊橋でブリスコに奪回された時のフィニッシュはどうだった? 体力とか勢いは鶴田の方が断然上なのに
鶴田は善戦ばかりで全然王者になれず
腕が細々としていて胸にアバラ骨が浮いてる
どうみても老いぼれた馬場が三度も王者になれる
その事実に憤慨するファンは当然いたろうな そう?ランニングネックブリーカーは説得力あったけどな >>123
何が、
呆れ返ったのでは?
じゃ。このアホ。 >>127
サンクス!!
最初はクイック無しでキッチリ負けてベルト返したんだね。 東京でのリターンマッチでも見せたがブリスコのバックドロップの落とし方は強烈 >>125
説得力があったのは
せいぜい昭和50年代前半までだよ
それ以降はウォーキングネックブリーカーに成り下がってた
アメリカでレイスからPWFを返してもらった時のネックブリーカーなんて酷いもんだった 最後のベストは名古屋でレイスからNWAを取った時かな >>131
あの試合はyoutubeに上がってるけどフィニッシュが最高やな。
ファンがリングに上がろうとして祝福するとこなんか今見ても感動するわw 昨日のラジオで聞いたんだけど
レイスって馬場にもニークラッシャーと見せかけバックドロップって使ってた?
鶴田からUN獲った時の記憶しかないんだけど、どう。
再三使ってたみたいに言ってたんだが。 77年10月31日 長野大会
セミファイナル
馬場、ロッキー羽田vsケンパテラ、キムドク
結果→馬場かドクにフォール勝ち
この頃はロッキー羽田の扱いが格段に良かったw >>79>>84
吉原社長に頼まれて興行を買いボーリング場に消防法を無視した観客を入れて
大盛況だった。自分がメインで初めて金網&流血戦を体験した。
オコーナーにプロレスのABCを学び現地で後押しも受けてアマリロではテリー
の相手役としてブレークしドリーの要請で石川をパートナーとして呼び寄せた。
このオコーナー&ファンクスは海外での恩人だね。
全日行きも要請された事があるが現地でポジションを上げるのが夢中の時期だったり
ファンクスがアマリロでの興行権をマードック&マリガンに売却した頃で
余計に離れられなかった。国プロ参戦は縁もゆかり無い団体からのオファーで
逆に感激したかららしい。
日本リーグ争覇戦参戦は当人は全く知らされないまま進められた完全な
フライングだった。 長州達が唯一参加した87年のバトルロイヤルは最悪だったね。
長州以下(馬場は不参加)殆どの主力レスラーがフォール負けを拒否して
両リン失格の連発
その後の天龍同盟参加のバトルロイヤルもつまらなかったし
90年代に入ってからは勝負タイムが短く(10分以下だいたい7分前後)なったしね。
やっぱり84年(昭和59年)までの10分以上の勝負タイムのバトルロイヤルが面白かった。
今の秋山全日のオーバーザトップルール採用のバトルロイヤルは最悪! >>136
やっぱり極道とか羽田とか中堅どころが賑やかしのバトルロイヤルが一番面白いよね。 >>137
極道と羽田はバトルロイヤルには必要な名脇
ゴング前の羽田のヤル気なさそうな佇まいが、かえって味があって良かったwww バトルとか前座での羽田一番の見せ所は鼻いじりでしょ。 >>124
確かに勢いとかは鶴田のほうがあるんだけど、誰かが「プロレスはそれだけじゃない。
若さにまかせた勢いだけでは所詮通じない。やはり長年のキャリアに裏打ちされた
ベテランの妙味が最後はモノを言う」みたいな感じの事を言ってた気がする。
NWAのベルト云々じゃなくて、プロレス全般に関しての発言だったと思うけど。
俺は鶴田がNWAのベルトを獲れず、馬場が三度獲ったのを当時から何となく
納得してた節はあったね。「そういうもんなんだろうな」みたいな感じで。 >>140
馬場はオーナー特権だから素直に受け止められないな。AWAも松根社長や原
Pがジャンボで勝負したいと言わなければ自分がやる気満々だっと思うとぞっと
するな。 ガニアならともかくニックでは馬場と噛み合いそうにないな
いくらニックが名手でも ★ロリコン性犯罪者はメガネ障害者ばかり
中学1年生(13)に3万円を渡してわいせつな行為 維新の党→自民党の議員「三浦いっせい」こと三浦一成(かずなり)を逮捕 千葉県市川市 2017/6/26
〜子どもの裸の画像など約1万点を所持〜
カラーコンタクト?を使用か(カラーコンタクトを使用して瞳を少しだけ大きくしたり裸眼よりもダークな色に)
二重整形? 歯並びが悪い体が左右非対称 爪を噛んで深爪 アニメ好き 靖国参拝
http://i.imgur.com/YsN01XO.jpg
http://i.imgur.com/QE0GwBc.jpg
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小学1年生の女の子に体液かける 小学校教諭を逮捕 神奈川・平塚 2017/6/24
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この事案はまだ性犯罪なのか決まってないです
↓
小林雄樹・徳島市議 2日続けて制服姿の女子生徒のスカートの中撮影で警察から3回、任意の事情聴取 2017/6/26
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5歳児に強制わいせつ 「子どもに対して性的欲求があった。触ることでスカッとした」 北海道 2017/6/23
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欅坂46の握手会で果物ナイフ メンバーの名前をあげ「刺して殺そうと思った」 2017年6月24日
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体が細くて背が低くてメガネなのでアスぺの可能性が高い
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★メガネはメガネ障害者です >>142
それ以上に最後に馬場がマーテルに負けるってのが全然想像出来ない。 馬場がチャンピオンでもいいとガニアが考えてたと考えると
ハンセンの「ガニアの頭の中は50年代で止まってる」という発言に俄然説得力が出てくるな 実際に全日で行われた
馬場ニック戦は意外なくらいに凡戦の両リンだったな
日プロでやった時は違ってたんだろうか キムドクの扱いが変だったよね。
鶴田のライバルという位置だったのに
ブロディとのシングルでは6分で負けたり
ブッチャー・シーク組には血だるまにされて一方的に敗戦
地方会場のタッグマッチでも馬場に普通にフォール負けしたりで
鶴田の格を落としてる感じだった 鶴田のAWA防衛戦の相手って誰がいたっけ?
二戦目がビルロビンソンだったのは覚えてるんだが…
あと、ブラックジャックマリガンとかもいたような >>149
ニック、ブランゼル、グレッグ、ランザ、
最後にマーテル。
ニックとは4、5回やってたな。 >>150
サンクス。
マーテルにはえらい簡単な技で負けたんだよな。
フライングボディシザーズだったっけか。
その後、ハンセンにAWA取られた時は、
むちゃくちゃ痛そうな逆エビで負けてて、
溜飲下げたわw 正直、マーテルとデビアスのヒール転校は失敗だったと思ってる。 >>141
全日の宣伝になるのにカブキのTV出演等を「人気レスラーへの嫉妬」からさせなかったり
「経営者としての大局に立った判断」できなかったのが「全日の停滞」を招いていたのは
否定できない。ただプライドの高い馬場に「強く意見をするのは逆効果なので全日関係者
からの聞き取りとリングの状況が鑑みて"ささやくように御注進"しなければ実行してもらえない
かった・・・」とのちに全日のブレーンとなったター山&市瀬・週プロコンビは証言していた。 >>148
>>134によればケン・パテラとタッグ組んだり、確かによく分からないところがある。
それともこの二人、アメリカでタッグ組むなり抗争するなり何らかの接点あったんかな。 大木がいなきゃ外人と組むしかないだろ
毎日シングルってわけにもいかんし 改名してタイガー戸口になるまでは外人枠だからな
いくらロッキーがヘナチョコでも馬場相手では涙を飲むし
まして外人偏重主義の全日ではブッチャーやブロディに完敗も已む無し まあ新日本でも早々とハンセンやアンドレに完敗したけどな 戸口やブッチャーの扱いぶりが更なる流出を止めた印象 戸口も 鶴田とのシングル連発は飽きるだろとか言ってたな。
本人が言ってる飛行機代云々はどこまで本当かな 77年の秋のシリーズ、ドクはワフーマクダニエルと入れ替えで後半戦特別参加
大木はタイトルマッチ(シルグルとタッグ)の2試合のみ参加
確かに外人と組むしか無いよな。 >>155
全日のレスラーで喋れるのは後の天龍くらいで
後はタレント性皆無だったじゃん
まさか大仁田にあんなカリスマ性があるとは誰も想像できなかったし尚更
試合内容では逆転できたよね
それで十分だわ >>155
カブキに関してはブームの頃は基本的に「来日」形式をとっていて
日本にいない時期の方が多かった(出演しようにも無理なケースもあり)
というのを忘れているような記述が多いからなんとも言えん
まるでカブキが83年に凱旋してからそのままずっと日本にいたような
出鱈目書くやつが2chどころかプロレスマスコミにすら多いからな カブキの帰国形式の他にもよく聞く当時の全日見てなかったやつの知ったかは
「馬場は引き抜いた大木やロビンソンに圧勝して使い捨てた」とか
「ダーティーチャンプのニックは弱いと思われてた」だな
実際には大木もロビンソン優勢ペースの試合をランニングネックブりーカー一発
で逆転されての負けだし、使い捨てどころか大木は日韓師弟対決、ロビンソンは
豪華外人との夢の対決で長くドル箱として使われた
ニックは防衛戦だけはアメリカと同じダーティーチャンプを演じてたのに
なぜか前哨戦とかでは普通に強さを見せつけてた
それが防衛戦でいきなり逃げに入るのが不自然だったw 忘れてた、一番の知ったかは馬場・鶴田が名目だけでなく本当に
「エース」だったと思ってることw
「馬場や鶴田の試合なんて見に行く気がしなかった」とかぬかす
アホな元新日信者や、ター山あたりに洗脳された平成ヲタね
70年代末から80年代初頭の全日の実質的エースはブッチャーや
テリー、マスカラスらで
彼らのいないシリーズがガラガラなのは当然だった
何しろ「エース不在」なんだからw 大木にはインタータッグ二回と力道山追善試合の第一メイン。
ロビンソンにはPWFとUN渡して16文キャッチやほとんどピン負け無し。
けっこうな厚遇だと思うけど。 >>169
だから「見てない」のがバレバレってこと
>>170
84年はもう王座転落後だからね
現役王者時代の78年や引退間際のガニアにタイトル返してた80年でも
パートナーが抑えられていたものの本人はどりー、ブッチャーらに一歩
も引かないし強さを、馬場に至っては圧倒する強さを見せつけてた
でもその馬場戦はなぜか場外で四の字かけてドローw >>169
そういやロビンソンって蔵前の初シングル以降、大阪で鶴田とのインター戦で負けるまで、日本では一切ピンフォール負けが無かった気がするな。
大木は負けまくってた、馬場鶴田対大木ドクの組み合わせだと、三番勝負でも馬場は絶対フォールを取られなくて、ひたすら鶴田が負けてたな。 全日でニックが弱いというのはあまり見たことがなかったからでしょ。
全日ではどうしても格で見てしまう癖があるのでAWA系の人は
ガニア>ニック>スチーブンスなんて見方があった。
それならガニアより弱くてスチーブンスよりちょっと強いんだろうと思ってた。
で、ロビンソンはちょっと別格と。
そしてまたAWAガニアはNWAのブリスコやレイスよりは落ちると思ってるし。
ならニックはドリーよりはずっとたいしたことないんだろうと感じていたんだよね。
まぁ実際に全日マットに登場する70年代の話だけど。 >>172
鶴田にUN奪回されたり、ブッチャーにPWF取られたりした時もアクシデント
負けだしね
後づけ知識で試合結果だけ知ったやつは普通に負けてると勘違いする 思い出した
一回だけ大木がカーニバル公式戦で馬場をフォールしてたな
決まり手は金的だけど 改めて見るとこの時点でもまだ少しは動けてる馬場が
わずか2.3ヵ月後のカマタ戦ではほとんど棒立ちみたいな状態にまで
なるんだよな >>163
おいおい、全日で一番タレント性があるのは鶴田だぞ。
三枝やらさんまのトーク番組出ても普通に面白かった。 >>167
その時期(70年代末から80年代初頭)だと確かに外人のほうが人気あったろうね。
でも全日の歴史全体を考えたら馬場鶴田がエースでいんじゃないの?
天龍や三沢だった時期もあるかもだけど。 >>177
自叙伝によるとカマタ戦前のオフに飛行機でゴルフ場へ向かうとき、冷房に当たりすぎて酷い腰痛になったとのこと。
坐骨神経痛だったのかな? >>178
ジャンボほどテレビ対応力あるレスラーもそういなかったよね。
意地悪ばあさんで間抜けな役をこなし、正月の番組対抗のかくし芸で数々の怪演で魅了してくれたしね。
バラエティ出てもそつなくトークしてたし。
新婚当時、何かの番組で、奥さんに「ジャンボから泣いてプロポーズされた」とか暴露されてなかったっけ?w >>180
試合や練習と全く関係ないところが
馬場らしいw >>166>>169
二人は猪木戦で商品価値を上げるも新日の事情で引き止められなかった。
ロビンソンはアリ戦に舵をきって余裕が無く大木に関しては坂口の関係を考慮
す必要があった。ロビンソンはロートルになっても呼んでもらっし大木は韓国遠征
や三軍対抗戦等の自国関連等での協力もあり馬場の面倒見良さは「外人レスラー
は猪木を輝かせる"商品"でしか無い(ハンセン談)」と言う新日は全く異なるスタンス。
ただそれが度が過ぎて貢献したロートルや大物の息子、付き合いのあるプロモーター
から頼まれたレスラーを呼んで放漫経営を悪化させてしまった。
これは松根社長にも就任時に指摘されていた。 >>170
対ハンセン、ブロディはニック(パートナーはレイス)の強さが際立った
超獣コンビを掌で転がして場外戦でも一歩も引かないどころか椅子攻撃で
圧倒して超獣コンビは逃げるように引き上げたからね。 >>184
ブラジルの弟と称していたハンク・ジェームスも、日プロ時代の動きでダメなレスラーだというのは分かりきってるのに、
全日でも何度も呼んでたね。 ハンセンはタッグパートナーだったサンマルチノの息子を試合後ボコってたが
あれは愛のムチなのか?それともサンマルチノ批判(使い物にならない息子を来日させるなよ)なのかw 確かにジャイアント馬場の妻、馬場元子が話題の豊田真由子そっくりと言われれば、その通りだな エル・トロ・アルゼンチーノみたいな正真正銘のジョバーとかでもバーターで呼ばなきゃならないんだろうな。 >>186
最初のアメリカ遠征の時、雲の上の大スターだったブラジルに
親切にしてもらった恩を忘れていなかったからと言われてたね。 イマイチだったダンカンJrが全日に何度か来ていたのは
ハンセンの口利きだったんだっけ?親父に義理があるとかなんとか >>191
なるほどね。そういやブラジル自身もかなりヨイヨイになってからも呼ばれてたね。
でも最後の来日ではピンフォール負けしまくったのが少しかわいそうだった。 最後は極道コンビのアジアタッグにも挑戦してたっけ
あれはオールスター戦に向けての極道の箔付けもありそうだが >>194
何の箔づけだ?
オールスターったって、長州浜口組が相手だろ?
極道が格落ちってことはない。 >>193
馬場が自著に新日へダブルクロスしたブッチャーを「貢献があるから晩年に
なっても呼ぶつもりだったのに・・・・」とあった。
帰国したデストロイヤーが毎年、夏のシリーズに来るのは体育教師が休みで
麻布十番夏祭りに参加するためだったんだねw その後、自分が指導する
少年レスリングチームまで帯同してきた。
毎年、朝に麻布十番商店街でコーヒーを飲んでいる大柄な白覆面の外人を見かける
のはまさに「夏になったら来る男・マスカラス」のように夏の風物詩だったらしいwww 比較対象は浜口&長州だけじゃない
それにタッグ王座としては団体内では二番目だし >>187
MSGでの因縁を息子に持ち込んだのかね。
>>192
大学の先輩でAWAでのパートナーだったからね。
当時ミネソタに住んでいたダンカン宅で14歳のジュニアに会っているしね。
>>196
ブッチャーの新日離脱ってダブルクロスだったんだ。
普通に契約満了かと思ってた。
最後のシリーズ、85年1月の徳山での猪木戦はとてつもなく切なかったな。 >>198
あのシリーズの最中の週プロで、控え室で車のタイヤをバスケットボールのように弾ませて遊ぶブッチャーの写真が大きく掲載されてたね。
本人は暇つぶしに遊んでただけだろうけど、なんか偉く孤独で寂しそうな写真だった。 確か前年新春シリーズ横浜大会のブッチャーじゃなかったかな
オープニングにだけやっと映ったテレビに出たいブッチャーと 猪木とベッタリの梶原のホームだった少年マガジンでなぜか
「愛しのボッチャー」をやってたがあれはブッチャーのマネージメントに
梶原関係者が関わっていた事も関連してるのかね
その流れだとブッチャーが新日に引き抜かれたのは必然だったのか 当時の両団体の選手がクロスオーバーで試合をやってるのもドリームだった
猪林の子供が息子なのは娘を引っくり返したんだろうがまさか後に本当に息子が出来たのには驚いた
あと狂気的なまでにトレーニングする猪林に遠く及ばないと泣き出す富士波とか >>192
馬場が著書でダンカンのことを
「素質は超一流。ハンセンと対等のとこまでいくと思ったが何故伸び悩んでるのかわからない。」
と評価してたからねえ。息子にも期待してたのかも。 最強タッグのハンセンのパートナーにも使ったくらいだし >>197
だから意味がよくわからない。
ブラジルに挑戦させて、極道の格を上げてどうするんだって? >>206
俺に言ってるのか?
理解できないからわかるように説明してくれと言っている。
話を逸らすな。
適当に言ったんならそう言え。 当時の激しく競い合った三団体なら自分を出来るだけ大きく見せようとするのは当然だろう
特に舞台裏でも激しくやっているオールスター戦だぞ
それ以外に理由が必要なのか? ある意味では一番扱いに困る時期のブッチャーに出ていかれてむしろ助かったとも言えそう >>209
そうだよなw
全日「を」ダブルクロスして新日「へ」移籍したんだよな。 80年代初頭、親日の外人メンツも全日に引けをとらない顔ぶれとなってきた。
親日派の俺は「全日の外人ってNWA王者くらいだろアメリカでも超一流って、
こっちはアンドレやローデス、ホーガンら檜舞台MSGを筆頭に全米で
ネームバリューのある超一流が揃ってるんだ、、」とカラ威張りしてたっけ。。w ハンセンは自分が参加したシリーズの中で一番豪華だったのは80年のMSGシリーズだったと証言 新日に移籍したブッチャーが結局全日以上に輝く事ができなかった
最大の要因て何だったんだろ。移籍当初は猪木とブッチャーが記憶に
残るような素晴らしい名勝負をやってくれる事を期待してたファンは
多かったと思うし、俺もその一人だったんだけど。 >>214
フロントや社長業としての猪木らの考えはまあ置いといてw、
ファンの目としてはやっぱIWGPに全く絡まなかったkとと、長州革命のあの日(10・8)に
蚊帳の外にされた、この2つに尽きるな。。
親日でのブッチャーの価値つかポジションなんてハナから用意して無くってさ、
引き抜き合戦で市場全体が盛り上がって云々・・になるんだろうなw >>215
元々ブッチャーはIWGPへの参戦を表明して新日に移籍した筈だったのにねぇ。
辛うじて輝きを放ってたのって移籍した年の夏のシリーズ辺りまでだったよね。
上でも言ってる人がいるけど、最後は徳山でのあの試合・・・ブッチャーファンだった
俺としては何とも寂しい限りだったけど、その後また全日に復帰して生き生きした
活躍を見せてくれたから、まぁよかったんだけどね。 >>155
カブキはテレホンショッキングのオファーを断られたと恨んでたみたいだけど「東洋の神秘」がタモリと並んで喋ってただのオッサンなのバレたらイメージダウンなのを理解できないのがカブキらしい >>212
馬場及び全日ファンからすればMSG=WWFはNWAの傘下テリトリーのひとつに過ぎず、ましてWWF王座などローカルタイトルという上から目線があったのは確かだった。
馬場がレスリングサミットの時マクマホンJr.を小僧としか見ていなかったのが象徴している。 だからこそブッチャー復権の87年の最強タッグ開幕戦は大感動 >>218
馬場がマクマホンJr.を小僧として見てたのは子供の頃を知ってるからじゃない?
フレアーが若手時代に緊張しながら直立不動で挨拶してきたのを覚えててNWAに挑戦するのをやめたみたいに >>218
マクマホンに対する態度は、
別にWWFを見下してのものじゃないだろ。
キャリアも違いすぎる上、幼児の頃から知ってるまさに小僧に上から目線で交渉されたらそりゃ態度も硬化するだろ。 マクマホンを見下していたのは
馬場が時代から取り残されているのを理解できてないだけ
それが90年代から現在のWWEと全日の差になって現れている >>210
既出だけどそれは日本テレビの原プロデューサーも言ってた
「ブッチャーはもう出がらしになっていたので引き抜かれても惜しくない
むしろマードックを引き抜かれたのが惜しかった」って >>222
何言ってるんだ?
当時のWWFなんて、日本の団体の力を借りなければ興業を打てない程度のもんじゃないか。
結局はビンスも折れてカードを変更せざるを得なかったわけだし、
馬場が時代に取り残されてるんじゃなくて、
ビンスが世間知らずなだけだろ。
で、も一つ言えば、お前はバカ。 >>227
文字だけで判断すんなよ。
売り言葉に買い言葉。 >>229
お前が理解もせずに絡んできといてなんだ?大体挑発的な書き込みしたのあっちだろ。
理解力の乏しい人間が仕切ろうとするなバカ
もうこの話は終わり。 引き抜きん時に、ブッチャーよりもマードックの方が将来性ある。
だからマードック引き抜かれた方が痛いってのは聞いた事あったな。
でも新日のブッチャーの扱いは本当にもったいなかった。
ブッチャーで少しでも儲けようという考えはなかったのかな?
オールスター戦で猪木とブッチャーはいい試合をしたから期待感はあった。
また遡る事日プロ時代も猪木とブッチャーは相性が合ってたらしい。
そういう理由で猪木とブッチャーの新たな戦いは期待された。 何か全日のスターも新日では木偶の坊なんだとでも言いたげな扱いだったね
見せ場は最初の空手ポーズだけだったな 「3年間ブッチャーをフォールしない契約」ってのを結んじゃったんで
猪木が勝つわけにもいかないから試合を組みにくくなったんじゃね 81年の10月と11月の蔵前大会にラッシャーが登場した。
国際が崩壊してラッシャー等が新日に上がったのもブッチャーにはマイナスだった。
蔵前二大会共にメインは猪木×ラッシャーになってしもうてなあ。
もしラッシャー等が新日に登場しなけりゃ猪木×ブッチャーになたはず。
国際の崩壊とラッシャー等の新日登場があと半年でも遅れていたら。
そうなれば猪木とブッチャーの絡みをこの時期の新日の中心にしていただろう。
でもブッチャー引き抜き直後に国際が崩壊してラッシャー等が新日に。
これはブッチャーも新日サイドも全く予想していなかっただろうから。
それで新日サイドは猪木とブッチャーより猪木とラッシャーを選択。
そのラッシャー自体もすぐに猪木より明らかな格下の存在にされた。 それでもようやく翌年の1月に対戦させたが馬場vsハンセンに圧倒された >>233
フォールなしならなしで名勝負は作れそうな気がするんだけどね。
全日の試合だけど、ファンクスvsブッチャーシークも馬場vsハンセンも
フォール決着じゃなかったけど内容は名勝負だったし。どうも猪木のほうに
ブッチャーといい試合をやろうって気があまりなかったように感じるなぁ。
川崎でブッチャーが参戦表明した時はまだそういう気持ちはあったのかも
しれんけど。「ブッチャーが来るというなら大歓迎です」なんて言ってたしね。 新日ブッチャーもホーガンとの絡みや藤波戦、坂口戦とか見てると
決して悪くないんだけどいい試合をしたからって今さら評価を変えるとかいう気が
さらさら無く飼い殺しありきみたいだったのが気の毒だった
タッグリーグぐらい出してやってもよかったのに 親日がブッチャー以外に、マードックに食指が動いたのは当時の全日主要外人の中でも
割りと身軽な立ち位置にいたからのようにも思える。ファンクスはまあ言わずもがなw
ニックやAWA系はガニアがまず首を縦に振らない、ロビンソンやブリスコは逆に「用済みw」
ブロディやリッキーら次世代スターは欲しいところだが、アメリカでの大物プロモーターの
息がかかってる(エリック、クロケットJr)のもあって及び腰。。
そんなこんなで消去法でマードック。のちにワフーも引き抜かれたけど彼も
日本に対して拘りつうか義理も薄そうだったしw で、アウトローズの実現や
ブッチャーとの外人対決も提供できる副産物も考えてたとかさ、・・まあ個人の
妄想だけどねw 土曜20時時代の全日本プロレス中継を土曜20時に再放送して欲しい >>233
>「3年間ブッチャーをフォールしない契約」]
ヒデェな、ジャパンも全日に
「シングルタッグ関係なく絶対長州をピン負けさせない契約」
を結ばせたと言うが、馬場も対戦したくなくなるのもわかる >>240
マスカラスやデストも晩年は10年近くピンフォール負けが無かったよね。
あれも契約に盛り込まれてたのかな? そういえば昭和のファンてワフー・マグダニエルの評価が異常に高いけど
昭和後期からプロレスファンになった俺からするとワフーの凄さが全く理解できない
全盛期が国際プロレスだったからかな?
トマホークチョップの正体知って愕然としたり…
アメリカ本国では超売れっ子で、売れてなかったブッチャーをバカにしていたとか
いろんなエピソードは聞くんだけど ワフーは1982年新春に新日本に参加した後同年暮れの最強タッグで
スヌーカの代打で全日本に打診していたんだよね。
流石にそれは叶わなかったが。
結局スレーターで落ちついたんだがレイス&ワフーも魅力たっぷりだな。
ワフー対ハンセン、ブロディみたかった。 >>243
流が言うにはワフーは日本ではかなり手抜きしていた節があるってさ
新日でも一度だけ呼ばれたがそれでお払い箱になってるね >>245
TVカードの時しか羽根飾りかぶって来ない説とかあったね >>243
俺も昭和の50年代からなのでワフーの国際初来日時の暴れっぷりは伝聞だけだな。
まあそれでも79年の最強タッグでの凶悪組との気合なんかはチームとしては下位だったが
個人タイトルくらいは授与してもいいかなとw まあ話によっては試合ごとの
落差が大きいとかもあったがインディアン特有の血の気の多いファイトぶりは
やっぱかっこよかった。 今考えると最強タッグのワフーは全敗のブックよく飲んだな、自分がフォールされないからいいのか。 >>248
負け役のフランクヒルは帰国後「相方やられまくりからのインディアン怒りの反撃」
というあの時のワフーのパターンを踏襲してWWFで成功 >>217
大塚氏の話では佐山タイガーデビューで梶原プロと頻繁に交渉する中でブッチャー
の移籍の意志と全日とは通常のシリーズ毎の契約で法律上は問題が無いのを確認。
猪木はハンセンと違い自分が動いて試合を作らないといけないのでw歓迎せず大塚氏が
地方興行対策とどうしての観客動員が落ちる豪華外人参戦シリーズの次のシリーズ
の目玉用に必要性を説き「じゃ・・・取れ!」wと渋々、承諾した。
全日潰しの意図が無かったの意外だった。また猪木と絡ませどう生かすか?と言う
ビジョンも無かった。ただ紳士協定違反に激怒した馬場の猛反撃は完全な想定外だった。
ブロディを引き抜いた時はこのトラウマで新日側は「馬場さん、怒るかあ〜」
と戦々恐々していたらしいw
国際勢参戦、長州の造反と日本人対決がファンに受けてしまい出番が無くなって
しまったのもブッチャーには不運だったかも・・・ やたらと場外乱闘を嫌ってブッチャーをリング上に上げようとしてたな
凶器攻撃も時代遅れみたいな雰囲気もあったかな ハンセンは新間から「ブッチャー引き抜きは全日を潰す為にやった」と言われたと
書いているね
どっちにしろ猪木はあの引き抜きは望んでいなかった
あの引き抜きは新間とブッチャーのマネージメントをしてた梶原関係者主導だろう >>250
何故その話の流れで、
全日潰しの意図が無いと思うのか。 猪木本人になかったってだけでしょ。それも本当かわかんないけど 猪木はその場その場の直感で動く人間だからな
だから計画性はほとんど無い ブロディの初来日の試合を見たがドクはこのシリーズで鶴田のUNに挑戦するのにブロディに6分ぐらいで完全フォール負けしている。
ドクの扱いも低いのだが鶴田がドクに楽勝するかブロディに勝たないと鶴田が初来日のブロディの格下に見られるのにこんなマッチメイクしていたのか。
馬場もタッグでフォール負けしたし。初来日にしてはすごく扱いがいいな。
スケジュールの都合なのかファンクス、ブッチャーが居たからなのか次の来日は1年後だが。
このシリーズで大木とブロディがタッグながら絡みがあったのは知らなかった。リアルタイムか熱戦譜ブログ見ているなら常識なのだろうが。 >>256
そろそろブッチャーの商品価値にも翳りが見えてきての、次世代トップヒール育成の布石だな。
その反面というか、同年(79年)のブッチャーは例年に増して存在感を示したな。
カーニバル優勝、オールスター戦、マスカラスとの遺恨、インタータッグ奪取
最強タッグ仲間割れ。。思うにこの年でほぼブッチャーの外人トップヒールの座を
退かせる意図もあって晴れ舞台を揃えたのだろうかと。。 今になって新日本関係者がブッチャーは新日本のスタイルについていけなかっただのメインじゃなかったみたいに言ってるけど猪木との絡みは少なかったがブッチャーアレン組は一時期ではあったが活躍してたよな
ブッチャーvsホーガンはいい試合だったし
マードックを選ばなかったことで色々言われるがマードックよりマフィアのディノ・ブラボーを選んで血だるまにした方が凄いw ディノ ブラボーは肌が真っ白で流血が良く似合ったな ブッチャーがあそこでマードック選ばなかったのはマズかったよな
所謂プロレスなんだからビビるもクソも無いけど、
険悪だったマードックとの対戦を避けたのは観客視点から見ると
「ビビった」「逃げた」という印象を植え付けてしまった >>260-261
どうせブッチャーとマードックをシングルでやらせないにしても
嘘でも一旦ブッチャーvsマードックと発表するが
ブラボーが強引にブッチャーと戦わせろと直訴→マードックが譲る、でいいのに
そうしないところがね マードックとブラボー2人とも相手するって言って、1対2で開始
ブラボー裏切ってブッチャーと結託ってのがよかったな >>260
ブッチャーがマードックなんか選ぶわけないだろ、全日時代からイジメ受けていたんだし。
しかも「ブッチャーと同じレストランでは食事したくない、同じホテルには泊まりたくない」
といった人種差別イジメ。馬場は極力二人を同じシリーズに呼ばないようにしていたのに。 何日か前にようつべで大木、ドク 対 ブロディ、ミスターフジを発見。
ブロディ初来日にシリーズで。
この当時はまだプロレスを見てなかったが、こんな試合あったのか!と。
試合後はドクは、通路で観戦していた鶴田に突っかかり。
そっからリング上で鶴田とドクが乱闘っちゅうか揉み合い寸前に。
インタータッグが控えていての宣伝だったのかも?
まあこの試合後はブロディはそのまんま戻ってしまい。 で、その後唐突に83年にシングルが組まれるが、この顔合わせにしては大した内容でなく凡戦。。
つか当時の親日って完全に日本人対決にシフトしてたから外人同士の遺恨って
まあマニアが少々食いつく程度の雰囲気だったしな。 ブッチャーに関しては勿体無かった。
当時を見てきた者からしたら誰もがそう思っただろう。
猪木自身がブッチャーを売り出す気持ちもなく。
またブッチャーと名勝負を創って盛り上げる気持ちもなくて。
まあ新日時代のブッチャーもホーガン、ローデス、坂口、藤波とはいい試合だったと思う。
ブッチャーらしさも出ていたし。
あとはカーン、アンドレ、バックランドとの試合は見たかった。
特に最初に決定していたカーンとのシングルはぜひ見たかったね。 >>265
控えていたのはインタータッグじゃなくUN戦だろ?このシリーズはラシク&イヤウケアが挑戦。 同じアウトローズでもマードックとローデスでは黒人に対するメンタルがまるで違うんだっけ
ローデスは試合は試合として黒人相手でもきっちりこなすけど
マードックはガチで嫌いだから試合内容にも影響が出る
シリーズで一緒だったアレンとも険悪になってかなりマズかったとか >>268
俺はブッチャーとボックの試合が見たかった。ブッチャーが初めて
シリーズ参戦した時にボックも特別参加でバッティングはしてるんだよな。
でも新日としてもこの二人のカードなんてのは組むつもりはなかったんだろうなぁ。 ブッチャーとボックは見たかったなあ。
でもあの時はお互いに新日初登場だし、ここでは無理だろう。
ボックが常連になればどうだったか?
まあ絡ませなかったとは思うけど。
ブッチャーとアンドレやバックランドも絡ませなかったし。
まあブッチャーは、ホーガン大ブレイクのきっかけを作ったが。
ブッチャーとの抗争が元でホーガンが日本陣営に入り。
猪木不在だったからそういうアングルにしたのかも知れないが。
でもホーガン大ブレイクには大成功。 長州革命の試合も相手はブッチャーだったな。
でもあの試合はブッチャーじゃなくても誰でも良かったが。
まあブッチャーっとボックはIWGPの二大目玉の存在だった。
その二大目玉が結果的に一切IWGPには絡まず。
更にシンとハンセンというやはり従来の二大目玉も(移籍で)絡まず。 >>273
かわりにオットーワンツやエンリケ・ベラを出して、見事世界大会となった 昭和全日スレで新日時代のブッチャーの話ばかりするのも何だけど、
UWF移籍直前の藤原や前田とはシングルでやってるんだよね。
ブッチャーと前田の試合は以前YouTubeで見た事あるけど、意外と?
まともなプロレスの試合になってた記憶がある。当時はあまり話題にも
ならなかったと思うけど。 前田とブッチャーなら83年サマーファイトか84年新春黄金だな。
藤原は?
藤原は前に6人タッグでシンやハンセンと対戦してるかんな。
ブッチャー移籍後に6人タッグでどっかで対戦してるかも。
藤原のテロは新春黄金の終盤の札幌大会だったか。 そう言えば前田と藤原の対談で、新日のスパーリングから外されたかで連日2人で体育館のステージの板の間で練習してたら
ブッチャーが「お前たち頑張ってるな」と言って小遣いをくれたと言っていたな。それがうれしかったと。
ブッチャーも徹底的な黒人差別を受けてきたから、孤独にやってる2人を見て何かを感じたのかもしれない。 ブッチャーは高田戦を
「なぜか騒がれたようだが私には試合の一つにすぎなかった」と
言ってたな 昭和新日スレがあるんだからそこでやれよ
くどいぞ! >>277
前田、藤原とも84年だね。藤原とは2試合やってる。
今手元に詳しい記録がないんでそれ以上は言えんけど。
>>278
俺も以前ニコ動か何かで見た事がある。前田「ブッチャー、ええ人やん」、
藤原「金くれたらいい人か?」のやり取りに笑ったけどw
>>280
そろそろ収束すると思うからそう怒るなw 過去スレにシークが屋台で金払わなかったらブッチャーが立て替えてやって
「ブッチャーが他人の為に金を使った唯一の例」なんて話があったけど、
>>278のような事があったわけです。実は優しくていい人だったのですね、
ブッチャーという人は。 全日のブッチャーと言えばテリーの他にデストロイヤーとの抗争があったな
シークと仲間れイベントの際に喰らった火炎攻撃を盗んで
デストロイヤーのマスクに引火させたりもした デストに火を投げたのは、最強タッグの仲間割れより前でしょ。 88サマーアクションシリーズの参加外人選手って当時の全日にしてはショボかったな。
ハンセンとゴディはいいとして、
後の面子がシーク・アリ、ミッチ・スノー、デビット・サンマルチノ、バーク・レオとかで初来日の選手もいたね 統一したばかりの世界タッグで早くも移動
あとは小鹿の引退興行もあったか >>288
バークレオだと西武の助っ人外人になるぞ
レオ・バークだな >>290
指摘ありがとうございました。
間違えてました >>290
統一した世界タッグだけど王者は最初PWF世界タッグだけ持って入場してたな
PWF世界タッグを統一ベルトにする気だったのか
確か三冠王座も初代王者が好きなベルトを決めてそれを統一ベルトにすると言ってたな >>292
世界タッグも当初はワールドタッグと実況では言ってたよね。
三冠もどのベルトを選択するか問われたら、タイトルに絡む選手全員がインターを選択すると言っていたけど、結局三本とも使用することになった記憶あり。 >>264>>278
日プロ時代から・・・
最後のワールドリーグ戦に参加した二人。お調子者のマードックがモンスーン
を優勝させるべく外人軍団を結成し自分は副将に就任。一方でブッチャーは
リング上でもプラベートでも徹底的に「排除」された。控室でブッチャーが
いるとマードックが鼻をつまんで(臭せなあ〜)手払いする始末・・・
こういう経緯があれば試合自体で成立するわけが無い・・・
あまりの酷さに見かねたジョー樋口がブッチャーにステーキをごちそうして
感動したブッチャーはずっと覚えていたと言うのが樋口に自伝本にあった。
門馬氏の話ではオーストラリアマットを取材に行った時も現地で差別された
ブッチャーが元気なく控室いたので声をかけたらしい。 名称的にも三冠は対等だが世界タッグはPWFタッグがインタータッグを吸収した印象 まあブッチャーって純粋な?アフリカ系の黒人って訳でもなく
インディアンとか色々混じってるんだっけ。顔つきも整ってるし。 80年のアブチャは全盛期真っ盛りだった。
オオサ府立大会ではテリファに胸を割れたビール瓶で突いたり。
ジャンツからUN奪取したりと。
ただシンニプロレのタジェシ同様でマンネリもあった。
まあ長居すると物事はマンネリが生じてもうちゃるかんな。 >>295
モンスーンを優勝させるべく…なんて言葉が入ってると、事実なのか創作なのか、信憑性がなくなるよな。 でもキッドの自伝ではキッドにステロイドを打ってもらったレイスをブッチャーも一緒になってからかってるからやたらめったら差別されてたけじゃなさそうだよな ハリレやディクマはアブチャを差別していたとは聞くが。
逆にテリファはアブチャにそういう偏見は皆無だったな。 >>301
あのキッドは酷いよな。
レイスにステ試させて、スミスがチクッたようにレイスを騙すw トミーリッチってそんなに良いとは思わなかったけど、それにしても1988最強タッグでスレーターとのコンビで得点0の最下位という不甲斐なさ。
確かこれが最後の来日だった。 >>297
自伝によれば父親がインド人で母親がバルバドス島出身のアフリカ系らしい。
俺はガキの頃はスーダン出身という雑誌なんかのプロフィールをず〜っと
信じてたけどね。確かにそれらしい風貌、雰囲気ではあった。 キッドの自伝だとブッチャーは良い人で
「ガチを仕掛けてきたアンジェロ・モスカを返り討ちにした事もあった」
ブロディは「とても紳士でおれにはいつも良くしてくれた」
シンは「正真正銘のクソ野郎」「マット界最悪の男」
「パンチ、キック、どれをとっても酷いもので俺が採点したら10点満点で0点だ」 >>306
シンが最強タッグで犬猿の仲のブッチャーと組んだのは、薗田の事故の罪滅ぼしなんだってね。 >>304
リッチは典型的なアメリカ向きのベビーフェイス。
スレーターとはジョージアで78年に全盛期だった2人だからね。コンビ結成が10年遅かった。
80年代後半(30歳以降)になったらすっかり体がブヨブヨになっちゃったね。
>>306
ブッチャーによると父親はインド人じゃなくて、ネイティブ・アメリカン(日本人の言うところの“インディアン”)ということだよ。
どっちも『インディアン』(Indian)だから混乱するけど、「ネイティブ・アメリカンの方だぞ。インド人じゃタイガー・ジェット・シンになってしまうw」と言っていた。
あと母親はスーダン系ジャマイカ人とか。だからブッチャーには実際にスーダンの血は流れている。 ザ・シークは晩年の衰えた頃しか知らんけど
昔は超一流レスラーで、後輩の面倒も良かったんだってね
日本以外でイマイチ売れなかったシンを
自分のテリトリーに呼んで抗争してたくらいだし >>308
ネイティブとかスーダン系ジャマイカ人てのはどこで言ったの?
手元にブッチャーの自伝があるけど、「父の両親はインド人で彼自身も
インドで生まれ育ち、仕事を求めてアメリカ大陸にやってきた移民だった」
「母はアフリカ系アメリカ人でカリブ海に浮かぶバルバドス島に生まれ育ち、
(中略)アメリカ大陸に移住してきた」と書いてるんだよね。まぁ母親の
アフリカ系てのがもしかしたらスーダン系なのかもしれんけど。 >>311
「ネイティブ」→確か2003年の『プロレス異人伝 来日外国人レスラー・グラフィティ』という雑誌のインタビューだったと思う。
「スーダン系」→ソースは失念したけど何かのインタビューで「ただし母親がスーダンから来たのは確かだ」というのを確かに読んだ記憶がある。
「ジャマイカ」→『世界のプロレス カリブ編』というDVDだと思う。「元々、ジャマイカ出身の人ですね。」と解説されていた。でもこれは今では怪しいね。 >>304
細かいことだけど88年最強タッグはリッチの全日本での最後の来日だな。
90年代にIWAジャパンに参戦してた。 >>288
このシリーズに限らず昔のメンバーからすると弱体化していたよ。
WWF全米侵攻のあおりを全日本もモロに直撃していたから。
プエルトリコ勢、クロケットプロの二軍メンバー、フリーランスの大物
だけになっていた時期だからね。 >>304
1983年だったと思うけど
リッチが鶴田に挑戦したUN戦は、いい試合だった。
>>308が言うように明らかなウェイトオーバーになってからの
インター戦は、通常フィニッシュにならない
ラリアットで、あっさりフォールされてガッカリした。 3番目のグループの右側の男
"SWALLA" - Jason Derulo ft Nicki Minaj Dance | @MattSteffanina Choreography
https://www.y◆■outube.com/w◆■atch?v=vy◆■leKZJXBN8
"DOWN" - Fifth Harmony ft Gucci Mane Dance | @MattSteffanina ft Bailey Sok
https://www.y◆■outube.com/w◆■atch?v=_ly◆■HJP5TxWQ
"HUMBLE" - Kendrick Lamar Dance | @MattSteffanina (ft Devvon Terrell)
https://www.y◆■outube.com/w◆■atch?v=v◆■tE3kgo4WII
"EL CHAPO" - Skrillex & The Game Dance | @MattSteffanina ft Kenneth San Jose
https://www.y◆■outube.com/w◆■atch?v=H◆■pMqCheAP6E
PARTYNEXTDOOR - "Low Battery" | Nicole Kirkland Choreography
https://www.y◆■outube.com/◆★watch?v=V◆★i5dH2iBPiQ
SZA (feat. Travis Scott) - "Love Galore" | Nicole Kirkland Choreography (Millennium Version)
https://www.y◆■outube.com/w◆■atch?v=2Vt◆★brprqzcs
Lion Babe - Rockets ft. Moe Moks | missTiff Choreography | DanceOn Class
https://www.y◆■outube.com/w◆■atch?v=TV◆★EFp2uHPdQ
Haley Fitzgerald ベストダンス
KAYTRANADA - GLOWED UP (feat. Anderson .Paak) - Choreography by Jake Kodish - #TMillyTV
https://www.y◆■outube.com/w◆■atch?v=7iu◆★eK7p0DfY
HAPPY VALENTINES DAY!!
https://www.y◆■outube.com/w◆■atch?v=sxN◆★TFuRAcFE
↑ ↑ ↑ ↑ ↑
説明します。
2ch管理人に◆■★をしないと書き込めないようにされました。
YOUTUBE動画をマルチコピペ(いろんなスレに貼り付ける)するとアクセス禁止になります。
今年は10回ほどアクセス禁止にされました。
2000円の浪人を使ってるので20000円分アクセス禁止されたことになります。
なぜ2ch管理人がここまで必死なのかというとYOUTUBE動画を2chのあちこちのスレ300ヶ所に書き込んでも再生回数がぜんぜん伸びないことから
2chに人がいない=2ch管理人がIDを変えながら書き込んでるのがバレるからだと思います。
YOUTUBE動画を300ヶ所に書き込んでも1時間に再生回数が20回くらいしか伸びないこともよくあるんです。
以前からYOUTUBE動画を2chにマルチコピペするとそのYOUTUBE動画に削除依頼がされてYOUTUBE動画を消されたりマイナスを押されたりの
嫌がらせをされてたんだけど、削除依頼しても削除できないのだと最近はすぐにアクセス禁止をするようになりました。
裏でこのような暗闘があるんです。 土曜トップスペシャルでのリッチの入場には華があった >>302
ハリレ、ディクマって何だよ?
モビルアーマーか?
きちんと判るように書かんかい!
アァン? リックフもハリレイとベルトを取り合ったけど、ドリファとかテリファより日本人とは手が合ったんじゃない? >>312
母親はスーダン系と考えてもいいかもね。自伝でもアフリカ系とはなってたし。
父親のほうはどっちが本当なのかちょっと分からんけど。
ブッチャーがプエルトリコの水が合ったのはカリブ地方出身の母親の血の
影響もあったんかな。あまり関係ないかもしれんけどw >>314
天龍同盟のお陰で客が増えていったけど豪華外人路線のままだとかなりヤバかっただろうね。 >>196
>馬場が自著に新日へダブルクロスしたブッチャーを「貢献があるから
>晩年になっても呼ぶつもりだったのに・・・・」とあった。
これって87年のUターン後、しばらく来ていて、また大日本とかへ
転出した時のことを指した発言だったと思うのだけど。 昭和の全日は良かったなぁ。
みんな詳しいけど、俺はS57の最強タッグから見始めた。
開幕戦の後楽園で、馬場鶴田の師弟コンビが、上田スーパーデストロイヤーに反則負けしたんだっけ?両リンだったかな?
馬場が、判定に納得行かないので、PWFに聞いてみると怒ってた。 >>325
ブッチャーの新日時代にデラプロ誌上に連載していたいろんな外人レスラーの思い出を語る
「忘れえぬ人々」と言う馬場コラムだった。
Uターン後にしばらく活躍した後に馬場自らから遠まわしに戦力外通告を受けている。
次のシリーズの来日予定を馬場に尋ねると「俺にはわからないからロスの(旅行)
代理店に聞いてくれ!」とあやふやな返答され馬場からいつもハッキリした答えを
受けてたので戦力外を認識した。ブッチャーは空気の読める以心伝心力が優れて
いたのか?新日時代は「今はオレとイノキの試合よりファンは日本対決を望んでるのか・・・」
と感じて「突然のカード変更にクレームをつけなかったりギャラにも文句を言うような事も
無かった」と大塚氏も回想していた。"優良外人"だったんだねw
プライドの高すぎたブロディと大違いだった・・・ ガキだったんで、PWFって凄いデカい建物なんだろうなって幻想が広がったな。 きっと、NWAの首領は納谷悟朗の声で喋ってるんだろうと思ってたな >>332
エリックのアテレコなら納谷悟郎がピッタリだな。 NWAが認可し、PWFが認定する・・・。
うわ凄い!、、権威があるなあ、あの世界最高峰のNWAの認可かあ。。(棒 >>330
そうか、81年に「ダブルクロス」なんかしていなければ
戦力外通知みたいなこともなかったのに……
というニュアンスだったんだな。ちゃんと整理がついたよ。 森山周一郎といえば刑事コジャックのテリー・サバラス。
あの人はプロレスファンで、名前は忘れたけど飛行機の中で
有名なプロレスラーと乗り合わせた時に嬉しそうに話してた、
なんて話を週プロか何かで読んだ事があるな。 国際プロレスの末期にキングコング・コジャックというスキンヘッドで首根っ子が飛び出している選手が来たっけ? 確か来る予定だったんだけど結局来なかったんじゃないかな、
と思ってぐぐってみたらやっぱりキャンセルだったみたいね。 >>339
即レスありがとうございます。
昭和56年の月刊プロレスに、国際プロレスが台湾遠征をおこなって新人を3人スカウトしただの新しい合宿所が完成しただの明るい話題が載っていたのに、それから間もなく倒産してしまったことに驚いたものでした。 ファンクスの入場曲を作ったバンドのドラマー亡くなったんだな。
クリエイションという名でもしかしたら、と思ったらやっぱスピニングトーホールドだった。
少年時代よく口ずさんだわ。 国際プロレスはやっぱり絶対的なエースつーか、スター選手がいなかったのが
痛かったね。外人(ロビンソン)を日本陣営のエース待遇にしたり、UWFが登場する
遥か以前からアキレス腱固めとかの関節技を取り入れたりと、色々先駆的な事は
やってたんだけどね。あまり話してるとスレチになっちまうんでこれぐらいにしとくけど。 馬場の全日旗揚げには国際プロレスの協力が大きかったが
サンダー杉山を移籍させてまで援助したのは
やり過ぎというかお人好し過ぎというか 大仁田×チャボのタイトルマッチがダブルフォールに終わった所で
実況が今入ったNWAの指令として王座空位を発表した時
タイトルマッチには管理団体から立会人が派遣されていて
王座の処遇や次期挑戦者を選ぶ権限を持ってるんだと
素直に信じてた俺。 >>345
吉原社長はアマレス出身だから鶴田を本格派に育てるだろうが、マッチメイカーのグレート草津がガンだからどんなものかね〜
グレート○○ってロクなのがいないなw 鶴田って
力道山、馬場、猪木みたいに
悪役ラフファイターを痛快にやっつける的な試合ってないなあ
そういうところが物足りなさがあるのかもしれない
中途半端に行儀がいいというか >>348
なるほどね。
その役は馬場が担ってたからな。 >>343
杉山は円満移籍だったが内心では
「この人は経営者としてはダメだ」と見切っていたのかもしれない
早々に国際を去った杉山が後に実業家として大成功するってのがね >>351
杉山の自伝だと引退して就職も決まったところに馬場がやってきて手伝いを頼まれる。断っていたが馬場が就職先の社長に
話をつけて期間付きで復帰みたいな話だったような。
円満トレードっていうのはひっそり引退復即帰を繕うのと国際の顔を立てる外向きの話だったんじゃないかな。 >>351
馬場から「鶴田を助けてやってくれ」と請われて入団するも鶴田がモノになると
わかると約束のギャラが減額、抗議すると試合数を減らされてまた抗議すると
「嫌なら辞めろ!」と言われ副業も好調だったのでアッサリ離脱した。
外人レスラーには約束を守ると高評価の馬場だがあいかわらず配下の人間には・・・・
ただ名古屋で興行した時は杉山のグループ企業のホテルを利用していたらしい。
プロレスは実業家になるための人脈作りとわりきっていてなんか鶴田に通じるモノ
があるね。海外に無いラブホテルをアメリカでチェーン展開する壮大な計画が
あり晩年に糖尿病の悪化で足を切断しても頻繁に携帯で部下へ指示を出すほど
事業欲は旺盛だった。 杉山に関してはせっかく手伝いに来たのに鶴田が来たとたんに急に扱いが悪くなったわけだし被害者と思うけどね
客が呼べないのに高給は出せないってのはあるだろうけど >>353
上の話はよく聞く馬場のいつもの話なんだけど、全日のギャラは試合給制で契約書もしっかりある。
ギャラの減額なんてできるのかという疑問がある。プロレスに固執する必要のない杉山なら訴えれば賃金未払いで必ず勝てる。
杉山自身も芸能活動をしててフル参戦じゃなかったという話も聞いたことがある。
天龍の本には鶴田の話としてマッチメイクに不満を言った杉山に対して馬場がその場で首宣告したとの記述があった。
芸能活動でフル参戦していなかったことと鶴田の成功により更に試合数の減少とランクの低下。
最後にマッチメイクトラブルによる突然の退団などが合わさって出来た本当では無いけど嘘でも無い信頼性の薄い話なんじゃないかと思う。 杉山の試合を見てない世代だけど今の全日本プロレスの吉江みたいにキャラも立ってて知名度もあったんじゃない?
中堅として置いとけば貴重な存在になったと思うけどなあ、鶴田より上を要求したのか >>356
言葉足らずで失礼しました。杉山が不満を言ったのはランクの件では無く特定選手との試合を拒んだ事のようです。
いろいろ考えると杉山は団体所属選手じゃなく、後の鶴見のようなフリー契約選手だったんじゃないかな。
ソースは忘れましたが杉山が会場に来たら杉山の試合が組まれて無くて杉山が怒って帰ったという話も聞いたことがあるんですが、
スポット参戦でスケジュールの調整ミスと考えるとしっくりいくような気がする。 >>344
そんなのあったね。
デスト×トルネードのUN戦で立会人が裁定をひっくり返すとか
現場より背広組がえらいってのを学んだ昭和のプロレス。
新日でもシンの狼藉に対してNWF挑戦をしばらく許さないとか
へんな小芝居がよかった。 >>357
最近出たフランク井上の本で、彼が記者生活中唯一見たガチ試合として、昭和49年エキサイトシリーズ中の神戸王子大会での杉山対ネルソン・ロイヤルの試合をあげてました。
最初は普通の試合だったようてすが、杉山が得意のアマレステクニックで何度もロイヤルを翻弄すると、ロイヤルがキレて、試合が完全に膠着状態となりそのまま時間切れ引き分けとなったようです。
杉山選手の個人的イメージとしては、大熊や永源のようなラフアンドコミカルファィトにプラスして、うまくアマレステクニックをブレンドした選手という印象なのですが、結構扱い難い一面があるのかも知れません。 会場まで行ってカードがないとそりゃ怒るわ、ただ客は誰も怒らなかったという 杉山てぇとリング上では雷電ドロップでよく急所打ち食らってた事ぐらいしか
印象がないなぁ。リング外だとおはよう!こどもショーに出てたね。 >>344
いや、事実だろ。
全日社員「もしもし?」
事務員「はい、NWA本部」
全日社員「実はたった今・・・・」
事務員「ちょっと待ってください。(あんたー、電話よ!)」 >>329
> 馬場が、判定に納得行かないので、PWFに聞いてみると怒ってた。
PWF本部=馬場の脳内。 大野伴睦、川島正二郎、椎名悦三郎、二階堂進に比べると
ロード・ブレアースは安上がりな権威だな ブレアースの起用にはいろいろな意味があるらしいが最大の理由はやはり彼自身の品格だろうな >>364
プロレスなんてそんなもんだろw
新日本は「NWF本部からのシの挑戦を受けるようにとの要請を拒否し、王座返上」とか
やってたんだぞw
NWF本部って新日じゃねえか NWAが大木にインター王座の返上を勧告するアングルに
馬場はわざわざ現役会長のジム・クロケットJrを担ぎ出した。
あそこまでやられたら流石に納得せざるを得なかったね。 上田もシンとのコンビでインタータッグを一回だけ取らせてもらってるんだよな
技をまともに受けずすぐ場外に逃げるし、ピン負けを頑なに拒む厄介者なのに
馬場も上田を重宝してたな >>368
> NWF本部って新日じゃねえか
NWF本部=新間の脳内。 インタータッグと北米タッグの両方を獲得したのは、シン&上田組だけかな? 新間がWWFの会長職だった頃もあるよね。
新日会場で買ったWWFのパンフにWWFオフィスの住所が新日の住所だった。 NWFの関係者は日本在住の素人外人だったらしいからブレアースをPWF会長
にして定期的に来日させていた馬場はある意味ガチだな。 ブレアースの品格その物こそが最高の説得力
まあどこの世界でも同じだろうが これが新日全日逆ならうちのは本物相手は偽物プロパガンダやりまくっただろうな
馬場は紳士的だったというのか詰めが甘かったのか >>370
インター王座に固執する大木だったが自身の衰えと韓国国内でのプロレスの人気低下
、そして韓国国内で経営する海苔事業の大不振という悪条件が重なりインター王座を
全日の管理下に置きたかった馬場が「金銭プラス封印したはずのアジアヘビー級王座の
決定戦を韓国で行う」と言うバーター取引だった。国プロを離脱、インター引き渡し後
に全日で日本で最後のシリーズに参戦したのも条件のひとつだったのかな?
>>355>>361
SWS引き抜き騒動後に試合給制から年俸性に変えた新日に比べて全日ができなかったのは
なぜなんだろう?京平の本に秋山が「ローンが組めないから・・・」と強硬に変更を
馬場に要請してきた件がある。結局はできなかったが「あのおとなしい秋山が・・・」
と馬場は驚いたらしい。
この辺から「馬場の絶対王政」に綻びが出てきていたんだろう。 >>377
今の日本と韓国に似てるな。馬場は大人の対応をしたと
まあどっちもどっちなんだけどw 年俸制と試合数制は年俸制が明らかに近代的で優れている、わけじゃないと思うんだよね。
年俸制では、たとえばプロ野球とかの複数年契約みたいなもので
「抜いたり」とか出てくるんじゃないかと思うし。
もらう方からはそりゃあ安定感が違っていいだろうけど試合を楽しむ方からはどうかな。 >>379
杉山自伝をみると馬場はスズケンの会長他を介して杉山獲得に動いているんで、扱いが徐々に悪くなるのはともかく
ギャラダウンは無いような気がしてきました。
自伝には国際退団のことが載って無く、73年には芸能活動のため引退そして鶴田は杉山と同じアンコ型となっている。
SWS裁判の記録を見ると新日本は設立当時から年棒制だったのでなかったかな?
いろんな所で叩かれてる全日の試合給制だけど最低試合数保証や残り番保証等もあったようでそう悪くないと思うんだがな。
全く制度が無かった日プロと比べるとずっとマシになっているし、最低限の安心と舞台に立つ者の厳しさの間を馬場なりに
考えた結果だと思う。
それは秋山の時代には全く理解されなくなったんだろうな。 >>381
年俸制でつまんない試合しかできない奴は、
試合毎のギャラでも大した試合はできんよ。 何処の国でもレスラーは試合給が基本で、新日の月給制ってのが特殊だった 猪木自身が言ってたけど、昔から日本人は1試合いくらのファイトマネー、
外人は週いくらのギャラ方式て事だったけどね。貰う立場としてはどの方式が
いいんだろ。まぁ方式がどうだろうと、高けりゃそれでいいって考え方もあるかも
しれんけどw 正確に言えばインター王座でなくインターベルトの回収
あの時点のインターはマスカラスのIWAベルトみたいな物 新日が年俸制になったのは坂口が社長になったからで
猪木も日本プロレスからの伝統の試合給思想だった
草間だったと思うが年俸制だと「試合もしないで高い給料をとっていく奴がいる」って
状態になるって弊害もある
プロレスラーは基本怠け者の集団だからな
アメリカですら週給制なわけでね ウルティモ・ドラゴンはWCW時代に長期欠場しているのにギャラが振り込まれてるって
申し訳なさそうに書いてたな 日給制も怪我して欠場とかイヤだし、それはそれで手を抜くかもw
あと年2回のボーナスあるのかとか昇給やら色々待遇面は興味あるな。。 カーンの本でWWFだと週2万ドル($1=\200で400万)だが新日だと1試合17000円。
凱旋帰国の前田も1試合17000円
1983年時点では新日は試合給だった
それにしても新日の給料安すぎるなwww 代わりに興行を買ったりしてたしね、一晩で数百万儲かれば年棒とかどうでもよくなる >>393
年棒じゃなくて年俸。「ねんぼう」じゃなくて「ねんぽう」。 週プロの熱戦譜に「自分を見つめ直すため」とか記載して
闘魂三銃士が欠場してるのを見て全日四天王達はどう思ってたんだろう
「年俸制だから休んでてもギャラ貰えるんだ」
と妬み嫉みを抱いていたんだろうか 90年代の新日本は人数が多かったこともあって、メインイベンターが平気で欠場をしていたな。
俺の地元なんか年に1回しか来ないのに、いつも橋本が欠場だった。
あんまり蔑ろにされて頭に来たからチケット売場の奴に文句言ってやったわ。
全日本はよほどのケガでない限り欠場はしなかったので立派だよ。 >>396
全日派の俺だけど怪我しても休めないのはやっぱりいけないことだよ。
力道山や馬場猪木のような大エースの時代じゃないから、興行に穴あけない形で休みを取れるように会社として
変化しなければ行けなかったんだよな。
橋本の場合は蝶野が苦言言うくらいだから社内でも問題になってたんじゃないの?
そんな橋本のだらしなさが自身の破滅を招いたんだけど。 >>397
橋本は小川直也戦の度に欠場していた。
蝶野もNWA王者だった頃に両国二連戦だったか、防衛戦に専念するため初日は欠場というふざけたことをしていた。
ケガでもないのに平気で欠場する(させる)のはその選手見たさにチケットを買ってくれたファンに失礼。
全日本はたしかにケガしても休めない選手には辛いが、年に1回しか生観戦できないファンを第一にした方針は尊いと思う。 1984年上田離脱直後の最強タッグでシンはマイク・ショーとのチームで参加してるけど、このコンビ途中で仲間割れしてるんだな。
これ原因なんだったの?
リーグ戦も途中放棄してるね 俺が小学生の頃新日本が来たけど行けなくて行ける友達を羨ましがってたら猪木が腹痛で欠場した 俺の地元で全日、新日が来た時は
馬場も猪木も欠場だったw 俺「宮戸さん、今日もソバット期待してます」
宮戸「今日俺出ないんだよ」
俺「(別にどうでもいいや)」 北陸の会場となると一番の代表はやはり石川県産業展示館か 出ないは出ないで仕方ないけど、決定した時点で告知しないといけないよね。
金返せという人が出るからだろうけど、返したらいいんだ。
いったんポッポに入れた金を出さない興行師はしょせんヤクザモノなんだ。 >>395>>398
長州が出場を一方的に出場をキャンセルした時にのちの夫人と温泉宿に雲隠れ
した時に馬場は激怒した。当然だけどこの時に「革命戦士」は終わった。
三沢は馬場から強制的にシリーズ全休させられた事があったけどこれは無理を
押して出場しているご褒美だった。ただその時に自分を見つめ直すだけ
でなく「会社全体を見つめ直す機会」も得てレスラー&スタッフからの元子夫人のあまり
悪評が耳に入り「今後の全日発展の阻害になる」と判断して馬場に夫人の退陣を要求
したが却下されてしまった・・・ >>399
マイクショーって、リーグ戦で超獣コンビと対戦した時
ラリアットやキングコングニードロップじゃ無くて
超獣組のダブルタックルからのフォール負けなんだよねwww
ある意味ハンセンの右のラリアットでフォール負けしたバグジーマグローより
衝撃的だよねwww >>402
富山は猪木二年連続欠場があった。
ブラジルからの来賓の関係で招待されたが理由だったはず 鶴田のダブルチョップでフォール負けしたのはビクター・リベラだっけ?
想定外にモロに入ったのかグロッキーになって、鶴田がカバーしたらそのままカウント3入って試合終了。
1982年か1983年だったと思う。 日本プロレスが潰れた時、馬場は残党9選手を受け入れたが冷遇した
大木以外の残党組の試合出場を間引きする事でギャラの調整をしたわけだが
これも日給制じゃないと出来ないやり方だよな >>401-402のやり取り見て思ったけど、何で馬場も猪木も欠場と聞いて
北陸と思ったんだろ。そういう事が頻繁に起きる事で有名な地域なんかな。 >>407
長州の欠場の理由が発熱性下痢と右手首のガングリオンの悪化だったが
確か、当時外科医も同伴させて会見もしてたな。
今思うとバレバレで、そこまでやる意味あったんだろうかw
馬場は基本「お前を目当てに見に来るファンも居るんだから、
リングに立ってるだけでもいいから(試合に)出ろ」
という考えだったな。
プロとしては、真っ当な考えだと思うが
結果、それを愚直なまでに守った三沢なんかは、それで寿命縮まった感じもする。 プロレスなんて観て楽しむもんで、職業になんてするもんじゃねーな 見落としてたけど、>>409のような事があったわけね。
馬場もそういう事があったんかな。 全日本で富山となるとシン&カマタのインタータッグ挑戦試合か >>414
ガキの頃プロレスラーに憧れてた俺も今になってみると
そう思う部分もあるね。
>>416
おぉ、あの試合がそうだったんか。シンとカマタが一瞬仲間割れしそうに
なったけど、カマタが引く形で納まったね。 >>402
北陸ではないが某レスラーの地元
2人の欠場の理由は馬場はタイガーと一緒にアメリカでタッグトーナメント出場
猪木は飛龍革命の直後に足の怪我で欠場して
ついでにほかの悪い箇所も手術してオーバーホールしてた時期 >>398
93年G1の両国7連戦の6日目なんか怪我でもないのに
三銃士が欠場した YouTubeに鶴田とガニアの十番勝負当時放送版が上がっててビックリした。今まで見た事なかったから日テレにも素材がないんだろうが貴重な映像だわ >>421
78年79年のカーニバルの映像もあるもんな、感動したよ。 自己主張するつもりはないから一回だけ言うけど、このスレを立てた俺は富山出身(初期スレからじゃなく途中からだけど)
富山に限らず北陸は大物の調整欠場が多いけどチャンカンに必ず来てくれるから年に一度の大会を楽しみにしてた
思い出はシンブッチャーブロディハンセンが一挙に来た88年のチャンカン 酔った勢いで余計なことを書いたかな(汗)
地方でも熱いファンだったことを言いたいだけでした 次期シリーズ参加選手予告はG++でも放送しないから貴重だ。
78年ごろからあったのか。 一時的だったと思うが、全日の次期シリーズ予告に「カクトウギのテーマ」
を使っていたことがあったよね。しかもその当時に新日に来日していた、
ダスティローデスの入場テーマが同じ「カクトウギのテーマ」だった。
あれだけ張り合っていた両団体が、同じ曲を使うのは新鮮に感じたな。 あと富山となれば超獣コンビが天龍&原に反則負けした時か >>428
最強タッグのオリンピアといい、全日放送のほうが音楽センスはよかった 古い相撲の記録を調べてたら
昭和45年秋場所
十両優勝 輪島
幕下優勝 天龍
昭和41年秋
序二段優勝 網走洋(桜田)
序の口優勝 羽田
なんてのが出てきた >>430
年末近付くと、今でもオリンピア思い出す。
まぁ、正確には最強タッグ決勝は12月初旬だけど。 >>428
シンが全日本に移籍してから入場テーマが「吹けよ風、呼べよ嵐」になった。一応倉持アナは悪役レスラーのテーマ、つまりブッチャーのテーマではないと強調していた(実際ザ・シークの入場にも使われた)が違和感は拭えなかったね。
新日本へ移籍したブッチャーの入場テーマももちろん「吹けよ風、呼べよ嵐」が使われたから、ブッチャーが全日本へUターンするまでは両団体でこの曲が流れたわけだ。
全日本でシンとブッチャーがコンビとなり二人一緒に「吹けよ風、呼べよ嵐」で入場するようになったが、仲間割れして日本武道館で対決したときシンの入場に「サーベルタイガー」を流してくれたら最高だったな。 >>431
輪島と天龍には相撲時代にも変な巡り合わせがあった。昭和48年九州場所は
輪島が初日から12連勝で圧倒、しかし12日目の貴ノ花との取り組みで指が裂ける
ような大ケガ。優勝したものの千秋楽は休場で、羽織袴姿で表彰式に出席。
千秋楽に輪島と取り組み予定だった横綱琴桜の相手は、なぜか平幕の天龍に。
天龍はこの一件が相撲時代の貴重な思い出のようで、輪島がプロレス引退後に
実現した対談でも、千秋楽に横綱戦になった話を楽しそうに話していた。 確か新日本での使用ではイントロは省いていたか
シンがリズムに乗ってリングでダンスをやるのは良かった
テンポの早いサーベルタイガーであれは出来ない >>428
かなり長くなかった?
カクトウギのテーマ使用は >>421
過去スレにも書いた事あると思うけど、十番勝負のガニア戦、木村戦、テリー戦、
デビューからこの辺りまでが一番溌剌としてたし、プロレスラーとしても一番よかった
時期だと思う。その後善戦マン時代を経て後年再評価?されるに至るけど、
今でもこの時期の鶴田が一番好きだね。 >>426
意味わかんねーよアホ
頭の悪さを酒のせいにするんじゃねえ 全日の次期シリーズ予告BGM
主に「カクトウギのテーマ」と「マシンガン」が使われてたが
BGMを使う用途別とかあったのかな
〜シリーズは「カクトウギのテーマ」とか そもそも、カクトウギのテーマって、わざわざ坂本龍一がなんのために作ったんだろ 平成に入ってから時間切れのテーマとして使用のカクトウギのテーマ
まさに大団円といった感じで ttps://www.youtube.com/watch?v=O7uE1qgvK2w
未知なる強豪を白黒写真で紹介するだけでもドキドキした 音楽の異種格闘技戦ということでカクトウギセッションって企画があって
そのテーマ曲ってことでしょ >>442
本物のアウトローと言われるロン・バス!
わろた >>439
「マシンガン」は最強タッグだけじゃなかった?
記憶違いならスマソ >>447
次期シリーズ予告というと、真っ先にマシンガンが浮かぶ。 AWAが会場で使っていたのを応用したとか
だからガニアの入場曲としても使用
平成ではチャンカーの入場式曲に >>417
シンとカマタの同士討ちだな。
シンが馬場か鶴田を抑えてカマタがタックル。
でもかわされてカマタはシンに激突。
ここで仲間割れの雰囲気に。
確かセコンドの上田も入って仲裁。
まあシンとカマタは仮想シン、ブッチャーみたいに感じた。 確か翌年1月の後楽園でも予定されてたんだよな
結局は上田に変更されたが >>437
確かにこの頃の鶴田は俺も好きだったけど馬場は後継者をきちんと育てようと
しないで興行の為に試練の10番勝負を利用して鶴田を便利使いしていた気が
する。終わった後をどうするか全然考えてなかったと思うけど。 坂本龍一とカクトウギセッション
とかいう著作で
アルバム「サマーナービス」というレコード。 >>448
平成に入ってから辺りで、よく福澤が担当してたトランペット音から入るテーマは好きになれなかった。
バックの映像が白黒写真だと全くつり合って無かった。 >>451
あの時上田が入ってきたっけか?そこまではちょっと覚えてない。
新日でシンとハンセンのコンビが仲間割れしそうになった時に上田が
入ってきて二人をなだめて収めたのは覚えてるけど。 試練の十番勝負、企画としてはよかったと思うんだけどね。
最後はちょっと尻切れトンボみたいになっちゃったねぇ。
最終戦が確か前の試合から2年近くも間が空いちゃったっけ。
「何で今頃この相手と?」て感じはあった。エリックって日プロ時代の
馬場の頃に全盛期だった相手だし。ブラジルなんかもそうだね。
逆にテイラーなんかは同世代だから試練の相手というにはちょっと
違う気がしたし。どことなくチグハグな感じはあった。 試練の〇番勝負は後に藤波も三沢タイガーもやったし企画としては成功で良いのでは 全日の〇番勝負はデストロイヤーが最初かと思いきや
馬場がすでに旗揚げ時にやってたんだね
「世界選手権争覇十番勝負」とかいう仰々しいお題目つけて…
要するに日プロ離脱してタイトル全部手放しちゃったから
団体として看板ベルトを新たに作らなくちゃならないが
権威≠ェないとお客さんに注目してもらえないから
日テレから金を湯水のように吸い上げて
海外から一流レスラー呼びまくって勝ちまくり
PWFはこんな沢山の名レスラーを勝ち抜いて出来た凄いベルトなんですよ〜みたいな デストロイヤーの十番勝負の相手って、マードックやコックスも含まれていたよね。
モロウスキーやミラノも素顔でも実績のあるレスラーだし、レスラー人生通しての
マスクマンは、マスカラスとレスリングくらいだったかな? >>459
興行と人気で新日にリードを許していた全日だけど十番勝負は藤波が
マネしているし「タッグリーグ戦は当たらない!」と言われたいたのが
最強タッグが大当たりして新日は痺れをきらしてこちらもマネをしてw
MSGタッグを始めた。テリーが「あれはイミテーションだ!」と怒る始末w
仮面貴族人気は新間がかなり嫉妬して引き抜きを画策する位だった。
格闘技戦と言う邪道?に対して仕掛人・新間が向こうにはいながら
正攻法で挑んで新日に一矢報いている。
ただGタイム降格した時に日テレ関係者の「格闘技戦のような世間一般に
アピールするような企画モノを生み出せなかった・・・」と残念そうな
コメントがあった。 >>459
飛竜十番勝負は未完で途中終了 三沢タイガーや小橋のはネームバリューすら
落ちる人選(ランカスターは代打といえ)で正直いまいち
>>462
デストのは急造といえその正体が大物実力派とか
最後の相手にスーパーデストロイヤー持ってくるとかの漫画的な雰囲気がいい 鶴田の試練の10番勝負は全部メインだったからなあ。ただドリーとは何で
シングルやらなかったのか。馬場は武道館の第5回チャンカン決勝とかで
戦ったのは10番勝負の替りという事か。 鶴田の10番勝負がおかしいのは
なんで10番勝負の真っ最中にUNを取らせる必要があったのか
というところがわからない
あれで10番勝負の意義自体が薄れてしまった
藤波の時も似たようなことになるんだが
こちらは猪木の体調不良による欠場のリスクを考えたものだろうという予測は立つが
鶴田の時は特に差し迫ってるものは何もないのにという疑問がある 10番勝負は企画倒れでしょ
最初は大物と当てる切っ掛けとマスコミの話題にしやすいのもあったけどダラダラ長引かせるから盛り上がらない
小橋や田上のように1シリーズで完結させるとか、橋本のように一週間連続のシングルとか短いのならありだけど UN持ってる高千穂が合流してきたから「あれジャンボにやってくれよポゥ」となっただけだろ 10戦目は川崎市体育館だつたか
フリッツVエリック テレビで見てた
鶴田大流血、一応クローで割れた事に
なっている。とにかくやられっぱなし。
鶴田の流血戦はいつも多量、止まらない体質だったに違いない
最後の手術もこれが仇になった 鶴田は演技上手。決して、足バタバタの演技下手ではなかった。
やられっぱなしになって、鶴田じゃまだ馬場には及ばないという二番手キャラを
演じきった。
星パン時代にブッチャーに血だるまにされて馬場にタッチってのに興奮したなあ。
怪物になったのは、天龍をボコボコにしたあたりからかな。 馬場としてPWFは真のインターの継承王座という意識だったんだろうな
だから大木のインターベルトについては長らく無視と 猪木って一度だけ、インターヘビーに挑戦したことあるんだよな。 あの時点で既にインターは二年も防衛戦をやってなくてタイトルとしては無効状態だったんだよな
それも含めて全日本としての公式見解は日プロ崩壊時点でインターは無効状態になっており八年後に全日本で復活したという物 日プロ崩壊後はベルトは大木が管理していて
国際入団してから日本で防衛戦をやるようになったが
全日本で外敵参戦した頃は王者であることも紹介されず
封印 国際退団時点でまだ団体は残っていたが崩壊4か月前
に全日本で決定トーナメント開催 大木の手から離れた
名目上はNWAからの指令によるもの >>473
大木は韓国で細々と防衛戦やってたらしい
どんなメンツと防衛戦したのかなww 馬場は大木を呼び返した時点でベルトとしてのインターの保有は認めた模様
しかしそれはタイトルとしての防衛戦を認めたという意味ではない 大木が全日本にいた時は、シリーズに参加していた外人や高千穂やクツワダに覆面かぶらせて
韓国で一週間ぐらいの日程組んで防衛戦やってたね >>462
マードックは赤いタイツ、コックスは何の
工夫もない黒マスク、モロウスキーは、
目と口の回りを絆創膏で隠すなど、
とれもチャチな急造ぶりが笑えた。 >>475
精度は別としてこんな感じ
http://www4.point.ne.jp/~kirisame/battle/kiroku/ooki/ooki.html >>479
大木さんも韓国じゃ勝ちブックおじさんだったんだね >>478
トルネード(インベーダー)とスピリッツはスポットとはいえ本国でもリングに上がっていた実績がある。
アベンジャーとバラクーダは日本限定とはいえ妙にはまっていた。
ハリケーンも日本限定なんだっけ? 天龍は晩年のインタビューでエリックやブラジルらレジェンド達とシングル戦をできた鶴田を羨ましがってたな 試練の10番勝負第三戦で鶴田がテリーのスタンガンでピンフォール負けした試合を
まだ相撲取りだった天龍が観戦していたという噂 大木が晩年に使っていたエックス固め、
当時の月刊ゴングは足を掛けない卍固めとある
あるいは右足でフックするコブラツイスト
大木の全日本最後は81ジャイアントSか蔵前大会の
入場式で見たのが最後、同日ドリーブロディのインター戦あり
決定トーナメントから半年が経過 もう精彩なく目標も失った
感じ >>485
引き抜かれたブッチャーと入れ替わりにシンが突如乱入して参戦したシリーズ、
大木がシン迎撃に名乗りを上げて一度はシングル戦が発表されたが、シンが
「大木なんか格下、試合なんかできるか!」と主張して結局中止になったことがあったな。 格下って言い方は酷過ぎるよな、いままで大木の積み上げてきた実績考えれば…
シンなんてアメリカではロクに仕事が無いくせに…
まぁだからと言って「大木みたいなロートルと試合が出来るか」
とはとても言えないわな、馬場だってロートルだから マスコミの創作の可能性もあるから
実際にシンがそう言ったかどうかなんてわからないぞ 新日にも全日にも大木の居場所はなかったんだよ
最初から国際にいけば良かった シンは大木の頭突きが嫌だったとかw
翌年アメリカでドリーのインター王座にシンが挑戦すると発表されたが、これも流れたよね。
シンは猪木以外のトップ選手とのシングルに慎重になっていたのかな? >>481
ハリケーンは本国でもマスクマンだったよ。
晩年はフロリダでウガンダというネームだったけど
マスクはハリケーンのままでしたよ。 >>491
ハリケーンの初期のサメ口マスクは、
その後、マスカラスや、変形してマシンなど
に継承されるが、当時は画期的なデザイン
だよな? 子供が鉄柵に挟まって動けなくなっていて
そこに記者と一緒に通りかかったカリプス・ハリケーンが
「柵を折り曲げていいか?」というと飴のように柵を曲げて
救出してしまったというエピソードがある
どこまで本当かわからんけどね マスカラスもエルハルコンと全日本でマスクはぎマッチやったな無名に等しいも
メキシコじゃそこそこ売れてたらしいが。後にハルコン78なる別人も出現したぐらいで 後にノートンとのタッグで暴れまくるヘラクレス・ヘルナンデスの初来日は全日本だったらしいけど全く記憶にない。 >>496
そんなもんだよ。ハンセンも初来日は全日だけど、印象に残っている人の方が少ないだろ? デストロイヤーの十番勝負の相手でブルー・シャークてのがいたけど、
あの人も普段は素顔でファイトしてたのが急遽覆面を被ったんかな。
当時映画のJAWSが大ヒットしてたからそんなリングネームにしたんだろうと思うけど。 バックランドも初来日は全日だね。これは結構知られた話だと思うけど。 連投スマンけど、ぐぐってみたらブルー・シャークの正体はダン・ミラーで実兄が
あのビル・ミラーね。初来日が1960年て事だからこの時はもうベテランの域に
達してたわけか。 >>501
確かビルミラーの弟のダンミラーじゃなかった? >>504
そうだったみたい。自己解決しました。でもわざわざサンキュ。 >>501
正体はダン・ミラーってビル・ミラーの弟だな。
兄ほどではないにしろ地味ながらなかなかの実力派。
ブルーシャークは言うとおりジョーズに便乗した急造キャラで突然頼まれたらしいが
本国でも基本素顔だけど覆面レスラーとして試合することが度々あったらしく
兄ビルミラーのドクターXといい変身好きの家系?なのかもw >>506
そうだったようでw 書き込む前にぐぐっときゃ人様の手を煩わせる事も
なかったんだけどね。思い立ったら書いちまうもんでw お許しを。 カマタの実弟でコーア・ティキて選手じゃない?1972年7月に新日に来日とあるけど。 >>510
まぁ間違いや勘違いは誰にでもあるからね。
俺みたいに早まってしまう事もあるしw
ではこの辺で。 初来日が全日
ブラット・レイガンズ
バズ・ソイヤー
ケン・シャムロック カマタは極悪キャラになりきってなかった
おとなしい時はおとなしい、花束は受け取る、
凶器攻撃はない、中途半端でもの足りなかった 性格だろう マニーも確か初来日が全日
リック・ハリス(後のブラック・バート)と一緒に来てた
この頃はフィニッシュがフライングクロスチョップだったと思う >>514
当時の悪役はプライベートでも攻撃対象になって気が休まらなかっただろうしね >>509
コーア・チキといえば79年だったか?最強タッグにカマタ兄弟で出る予定だったけど
結局実現しなかった リックマーテルは国際だっけか、初来日。
AWA王者以前に全日に来た時、確かウラカンラナやってたのをTVマッチで見たような。。
若手なのに頑張るな、って感じだった。 ヘラクレス・ヘルナンデスも初来日は全日だったな。
鶴田のUNに挑戦してた。 レイ・キャンディ
ボブ・オートンjr
チャボ・ゲレロ
も初来日は全日 >>501
スーパースターは逆に覆面を脱いで「ビリークラッシャー」として素顔で
全日vs.新日10周年記念ニアミス興行合戦の時に来日した事があった。 覆面レスラーって、日本限定のも多いだろ。
なかには来日したら覆面渡されて「オマエは
このツアー中、マスクマンな、頼んだぞ」みたいな。 >>520
高松市民文化センターのTVマッチはUN戦じゃないよ BJスタッド初来日初試合後楽園生観戦。
大熊とシングル、まだ見ぬ強豪メンバーでは
数少ない期待通りの強さだったが 全日本の評価は
違っていた。何かはわからんが スーパーデストロイヤーマークUは予告の写真とは別人だった
ジ.アステロイドと同一人物で別冊ゴングによればアンドレに勇猛果敢
に立ち向かう大物だと写真入りで紹介 ところが中身のBアーウィン
は典型的なジョバー 予告に使われた写真は元祖のものか ミステリアスアサシンも早々に見限られたな、馬場に一気に
覆面はがされ控室に逃げ帰ったシーンが印象的 >>527
アステロイドと同じ中の人なら兄貴のスコット・アーウィン、ビルがアンドレに勇猛果敢に立ち向かっている映像が以前つべに上がっていた、それにビルはジョバーではない。 >>523
サマーファイトシリーズで賞金&覆面剥ぎマッチやって破れたから、一応素顔で来日したのかな? >>526
簡単に息が上がってスタミナ切れが激しかったようですね。
パワーはあったし、今後どう転ぶか分からないから、とりあえずボロを出さぬよう上の方の試合では使わなかったのではないでしょうか? >>528
え?見限られたつか、 馬場にシングルで勝ち越してるボビージャガースだぞw? >>524
そういうケースもあるだろうけど、ザ・スピリットは正体がコックスだけあって流石と
思わせる強さを見せてくれたね。馬場とのシングルでは覆面はがされちまったけど。 >>526
ブロディが「俺がストリートファイトで勝てる自信がないのはスタッドぐらい」と
言ったらしいけどね。デカイし、ナチュラルパワーが強いタイプだったんかな。
下のほうで「アンドレに勇猛果敢に立ち向かう」云々の書き込みがあるけど、
俺なんかはそう言われると当時雑誌にもグラビアが掲載されてたタンク・パットンを
思い出すけど、もしかしたら似たようなタイプだったかも。全く俺の個人的な思い込みだけど。 千葉公園の馬場コックスPWF戦、3本勝負の末期だったか
凶器はないのに持ってるふりをして握りこぶし振り下ろしたりしてた。
この人は悪じゃないなと >>533
スピリットやスーパーデストロイヤーなどの覆面レスラーの
正体を暴きまくったある意味最強の男
田鶴浜弘 >>535
コックスといえば、栓抜き攻撃。
この時も栓抜き持ってたように見えたが、気のせいだったのかな。 >>534
パットンといえばブラック・テラー。
パットンといいランディ・タイラーといい、馬場好みでもっと召し抱えられてもよかった素材だったと思うんだが今一に終わってしまったな。
マリガンやダンカンと同じで塩判定を受けたのかな? >>537
俺はコックスの試合って飽きないんだよ、大して派手なことしてるわけじゃないんだけどね。 1982年の最強タッグで、
上田とスーパーデストロイヤーの即席コンビの参戦あったけど、
もともとスーパーデストロイヤーのパートナーは誰が予定されていたんだろう コックスはKKKギミックだったが、本当は全然関係なかったんだよな。
本当にバリバリKKKだったのは、もちろんマードックだったんだが。
ブッチャーはマードックにイジメられたことをあまり言わなかったが、
アレンコージはマードックのイジメを生涯許せなかったらしいね。 マードックも利口だからアレンを怒らせたらマジでヤバいと察知するはずなんだけどねぇ
アンドレを屋上から落とそうとする男だぞ コックス、PWF戦で覆面取られたよね。試合後には馬場がイタズラでトロフィーの上に乗っけていた >>533
コックスも扱いがよかったな。
スピリットでも結構引っ張ったし、晩年になっても素顔でPWFに挑戦してた。 千葉の原軍治はコックスをキラー抜きでカールからコールしてたな >>544
ロングライダースとしてウォリアーズとの一連の抗争はスコットがリードしてる。
ウォリアーズのロングマッチとしては珍しく飽きさせない展開。
ガニアキャンプでリッキーと同期。 同じ日の千葉で極道コンビのアジアタッグに挑戦したデビルスはなぜ新日本に呼ばれなかったのか >>548
全日本のリングアナは長いリングネームのコールが苦手な印象だ。
キラー・カールコックスのコールは「キラー・カールコックス〜」とコールすればよかったのに。
新日のケロだったら「キラーカールコックス〜!」とコールしそう。 馬場の耳そぎチョップってコックスとの試合中に偶然生まれた産物のようだけど、
コックスやブッチャー以外にはあまりやらなかったね。相手を選んでやってたんかな。 >>553
大木やブラジルにもやってたね。
まあ、頭の硬い選手や、
耳が目立つ選手にやらないと、
あんまり意味はないわな。 確かにコックス以外はみんな頭突きを得意にしてたね。
S50年頃の馬場が髪を伸ばしてたのは大木の頭突き対策の
為って話があったけど、少しは効果あったんかな。 髪は大木が来る前から伸ばし始めてるから
その通説は怪しいと思う タイガー戸口、三沢タイガーのテーマで入場してたのかwww
いくらリングネームがタイガーになったからって安直過ぎる
https://youtu.be/Xl3KXedCa8c 頭突き対策じゃなかったとしたら何を考えて伸ばしてたんだろう?w
日プロ時代の話だけど、短髪のGIカットだったブルーザーが髪を伸ばしたのは
馬場の脳天チョップに備えてだとインタビューで答えてたけどね。 >>550
デビルスって新日には来てないけど、海外での藤波&チャボ組との試合がテレ朝で
放送されたことあったよね?試合中に上田馬之助が乱入したりとか、覚えてないかな? >>558
ちょっとお洒落をしてみたかったんじゃないか?
って菊池さんか誰か言ってたね。 馬場は後年はずっと坊主ってイメージあるけど、大木戦のときほどは伸ばさないまでも、ソフトリーゼントみたいな時もあった
髪型に関しては気分次第ってのもあったんじゃないかな? 昭和の時代は、プエルト・リコは観客が興奮し過ぎるからリングサイドに客席置かないって書いてたけど嘘だな
https://youtu.be/OeEQWhQmcfc >>561
あれは頭突き対策でわざと髪を伸ばしたんだよ 頭突きの衝撃を和らげるために伸ばしたが、髪を掴まれて余計に頭突きを喰らう羽目になりましたw >>552
一応どころか結構な安定感だったぞ。
最後の来日(50歳)でもしっかり投げ切っていた。 >>526
ツームストンで決めたのは、いまだに忘れてない 新日では、覆面がぶってた >>566
コックスの最後=マードックの全日本最後か
81エキサイトシリーズ '81エキサイトシリーズは今でも大好きなシリーズだな。
コックス、マードック、レイスのブレーンバスターの使い手揃い踏みに、ドス・カラス、ザ・ツウィンデビルス、そしてNWAの名選手ボブ・ブラウン。
華やかだか地味だかわからないメンバーと東北地方サーキットが得も言われぬ旅情感を掻き立てる。
これこそ昭和のプロレスの薫りに溢れている! テリーが、最後の来日帰りのコックスから「オールジャパンが潰れそうだ」と聞かされたんだっけ? ブロデイ&日系アメリカ人対韓国人&在日韓国人のカオスマッチ
https://youtu.be/ulnazUTATbs 巨人の柴田が昭和43年頃、目黒の一等地120坪を2400万で買ったという話がある。
(後年そこに柴田の家が建つのだが)
同時期に世田谷の用賀と砧に土地を持ってたという馬場はやっぱ当時としては超リッチだった
んだなと思う。
で契約金代わりとして砧の土地を譲渡された鶴田もスーパー新人だったということだな。 >>558
馬場だって人の子ですよ
馬の子じゃないんです >>557
タイガーマスクのテーマ糞ワロスw
それにしても戸口のデカパンはだっさいな
小さいタイツでもダサいんだろうけどデカパンで白は最悪だな その三沢は、馬之助の使い古しスパルタンXを流用してるけどなw >>572
猪木も今の新日道場の土地に自分の家を建てたのは昭和42年だった
まだエース格になる前だから
当時のプロレスラーは今とは桁違いに稼いでる >>577
これは絶対間違いないよな、長谷川淳三や遠藤幸吉が銀座で豪遊していたんだからw おそらく三沢は上田がスパルタンを使っていたの知らない >>575
戸口対ブッチャー見ると、戸口のがブッチャーよりヒールに見えてしまう
やっぱり戸口はルックス的にエース候補としてセルするのは難しいように思う 鶴田が砧に道場と合宿所を建てなかったら間借りのままで済ますつもりだったのか。 >>572
ハワイに魅せられた石原裕次郎と高倉健、そしてジャイアント馬場。
1ドル=360円の時代にハワイに高級別荘や高級コンドミニアムを購入したから
今のスターとは比べの物にならない本当のスーパースターだった。
>>577
上野毛の家は当時の人気歌手だった畠山みどり邸を買い取った。
広い庭と多摩川が近いのに魅力だった。その庭に道場を建てて家を合宿所に
した。建て替えた時に「大改造!ビフォーアフター」で紹介された時に二階に
倉庫化した風呂があったのは豪邸のなごりだったんだね。
猪木はそこを出て代官山にある高級マンションに住んだ。松田優作や黒澤明も
住民だった時代があったらしい。
馬場は現役時代から全日中期まで赤坂にあったリキアパートに住みそこも映画俳優が
住む高級マンションでそこが取り壊されるのを期に恵比寿にある外人専用の
高級マンションに引っ越しそこが終の棲家になった。 >>413
だからと言って立ってるだけという訳にはいかんだろwww
90年代新日の横アリ大会でOBエキシビションマッチとしてシン上田vs坂口 S小林の
試合が行われたけど、小林は動けなくて皆んなに迷惑掛けるからという理由で
オファーを断ったが、坂口に「コーナーに立ってるだけでいいから」と説得されて
出場したけど、結局はそれなりに試合介入したもんなw 今の長州を見てると立ってるだけレベルも出来そうだけど >>529
スコットが不治の病(悪性脳腫瘍)にかかり、まだ元気なうちに
親しい友人知人を訪ねる行脚をしてた。
その中の1人がアンドレ。スコットから病名を知らされた時
アンドレは号泣したらしい。 アンドレが人前で泣いたのは、スコット・アーウィンから病状聞いた時
ビンス・マクマホンが亡くなった時
吉原功が亡くなった時 アンドレは晩年フレンチ氏夫妻(フレンチ氏は新日本に悪役レフリーとして参戦)と
同居してたんだよね。 昔デラプロに載ってた読み物で、アンドレが新日のとあるシリーズに参加したとき
サービスエリアで他の外人レスラーと食事してた時、日本人のおっさんがアンドレに
カメラのシャッターを切ってて、それを見たアンドレが大きな手をビラビラして「とっとと失せろ」
のジェスチャーしたものの通じず、キレたアンドレがそのおっさんを平手打ちで張り倒して
しまったって記事が載ってたけど、いくらヒールギミックを通す為とは言え、一般人
に手を出すのはやりすぎだし、こう言う記事を読むとアンドレってガチで日本人嫌い?と思ってしまう。 上田馬之助も素人に、そこまでやるかっていうほど
凄かったよ、案の定、罰もらったわ >>590
中学生の時に、竹刀で背中叩かれた。国際プロレスの後楽園ホールだったな。 >>589
俺もその記事は読んだ記憶があるけど、その場にはハンセンやマードックも
いたんだけど、アンドレが恐ろしくて何も言えなかったらしいけどね。
ただアンドレも最初から日本人嫌いだったわけじゃなくて、やっぱり色んな事の
積み重ねがあったらしいけど。国際プロレスにモンスター・ロシモフで出てた頃、
客席から「バケモノ!」なんて野次が飛んでたのを覚えてるけど、本人に通じたか
どうかは分からんけど、後からその言葉の意味を知った可能性はあるだろうし。 欧米人の寄ってきた人達は、スゲーとか憧れの目で見てくれるけど、日本人は遠巻きに、化け物を見るような蔑む目で見てるのがわかるって言ってたみたいだね 80年にファンクスがロスに入った時に新日本への移籍が噂されたとか
まあ実際はその際にデビルスやチャボに誘いを掛けたという事か 自分語りになっちまって申し訳ないけど、全盛期のアンドレは一度間近で
見てみたかったなぁ。どれだけデカかったのか。(この発想がアンドレの日本人嫌いに
拍車をかけた要因でもあるんだろうけど。) ど田舎住みなんで生観戦の機会もそう多くは
なかったけど、それでも時間と都合が許す限りできるだけ見るようにはしてたけど、
アンドレはついに見る事なく終わってしまった。今も心残りだ。 二階席の一番前から手を伸ばしたら触れそうな気がするくらいww 馬場の記念試合でジャイアントプレスが掛かった時のアンドレコールが凄い >>595
私は東京にいたから何度もアンドレを観られたんだね、田コロも観たし感謝しないと。
でも私も心残りはあるな、大巨人コンビは一度も観る機会がなかったから残念だ。 田舎の試合では、変則タッグマッチもよくやってた印象。
アンドレ本人は嫌がってたかもだが
言葉悪いけど、やっぱ見世物要員としての役目はあったと思う。
レスラーなんか皆、そうだとは思うが、特にアンドレなんかはあのデカさがある以上、
特に地方なんかでは自然とそういう役割になると思う。 新日時代はピリピリしてたけど、晩年の全日はあまり嫌なエピソードは聞かないけどな
平成に入るとプロレスブームも下地になって一般人も
あまりアンドレを奇異な目で見なくなったのか
あるいはアンドレ本人が丸くなって他人の目を気にしなくなったのか… >>600
大巨人コンビがベビーフェイスだったこともあって、ファンの反応が段違いでしょう。
仲良しのマイティと一緒だったことも、アンドレ本人はかなり助かっただろうし。 >>601
それに加えてオーナーの馬場がデカかったので
デカい人向けのケアが行き届いていたらしい
ビール箱を使ってベッドの長さを継ぎ足すとかね 浜口・井上×アンドレ・カルホーンは、
井上組の勝ち。 74年頃は花束嬢とリング上でキスしたりしてご機嫌だったアンドレ >>601
ハンセンとも久々に再会してワインを毎晩一緒に飲んでた。
映画好きな2人に、これまた映画が好きな渕も加わって3人で映画談議をしていたみたいだね。
馬場が一緒、マイティやラッシャーのような懐かしい仲間もいて、この上なくリラックスしてたんじゃないかな。
最後の来日(92年11月)では体調も最悪。馬場が「春先になって暖かくなったらまた呼ぶから」と言っても、無理して来日して。
年が明けて亡くなった時、元子がいつも通り後楽園ホールにワインケースを持って行くと、ハンセンはそれを見て号泣した。 >>599
だから世界最高のギャラを手にしてた。
同じ悩みは、長身者でないと分からないだろね。 >>608
アンドレが最高ギャラは納得できるんだが、こと日本ではそうじゃなくて
ギャラの最高峰は新日ではローデス、全日ではマスカラスなんて言われてるよね。
アンドレは気にしてなかったのかな?
国際に来たときはギャラはいくらでもいい、なんて話もあったらしいけど。 >>608
小さい奴は小さい奴でコンプレックスあるけどデカイ奴はデカイ奴で悩みがあるんだよな
あと体型でも太らない奴って傍目から見ると羨ましいけど、あまりそれを言われると嫌な思いする奴もいるしね
太れないってのもコンプレックス持つ奴もいるんだよな >>562
マサ「プエルトリコの控室ないたら壁にプスンプスン穴があいてきてみんな出て行っちゃった。
窓から外を見たら、向こうからピストルで撃ってた。
リングサイドもナイフで切りつけたりする奴がいるからアリーナに客を入れなかった」 S60年頃だったか、週プロの読者が撮影したレスラーの写真を掲載するコーナーに
アンドレがカメラに向かって親指を立てるポーズの写真が載ってた。
思い切って「アンドレ!」と声をかけたらそのポーズをしてくれたんでビックラこいたと
少年ファンのコメントがあったけど、余程機嫌でもよかったんかな。 アンドレが猪木の「ダー」を真似たことがあったな
本来はお茶目な人だったんだと思う 大塚が言ってたが「アンドレのギャラはみなが思っているほど高くなかった
高かったらあんなに頻繁に呼べない」そうだ
確かにローデスは特参みたいな短期参加が多かったな
ギャラが高すぎるからだろうが もうほとんど動けてなかったけど、馬場と組んで悪役商会との試合とか気楽だったんじゅあないかなと思う。
仮にも一時世界最強と言われた男として、そのイメージを保ち続けるのは大変だったろう。 スレチだけど、アンドレって猪木より坂口を評価してたね。全盛期だったS54年に
デラプロのインタビューでグラハムやラッドら他のレスラーの寸評を聞かれて
「目じゃない」「スケールが違う」「ひとひねりだった」とにべもない返答、
猪木に対しても「ライバルなどと思わん」と言ってたのに、坂口に対しては
「俺には叶わんがマシなほうだ」と言ってたし、数年後に出た「俺こそザ・ワールド」て
本でも猪木よりも坂口が数段上みたいな事を書いてた。書いたのはゴーストライター
かもしれんけど、本人の思いとそう変わらないんじゃないかって気もする。
「手が合う」相手だったんかな。 殺人魚雷に勝った試合は良かったな、間違いなく大巨人コンビのベストバウトだろうね。 アンドレって 親しい団体関係者にはノーギャラでもいいよとか言ってたんだっけ?
以外と面倒見いいし 国際プロレスの末期に来日した時は
「あの貧乏団体がなんでアンドレなんか呼べるんだ」
みたいな風聞がたったんだっけ 54年に国際に来日した時、事務所で貰ったギャラを吉原社長のポケットに突っ込んで、「これで、家族でディナーに行ってくれ」と言って受け取らなかったってのを菊池孝か門馬が書いてたな 不遇の時代に面倒見てくれたって感覚があったんだろうね
経営してるレストランのお代払わないレスラーにぶちギレしたって話があった記憶があるけど、アンドレの店で踏み倒せるレスラーってだれだろと 新日で一緒になった時にアンドレがその事で文句言ったら
アントニオが「あれは俺の弟だ」と言ったらしいけどねw グレート・アントニオ、臭くて有名だったらしいな。
ワキガとか先天性ならまだ分かるが、その臭さは
風呂に入らない臭いだったらしい。そりゃ
嫌われるわな 新日より全日のほうが合ってたんじゃないかな。ブッチャーやハンセンみたいに
何度も来日するような人気が出たとは思えないし、やっぱり一回きりで終わったかも
しれんけど。馬場や鶴田と対戦してれば最後にあんな悲惨な結末を迎える事も
なかったろうと思う。 馬場も日プロ時代にアントニオに悩まされた一人らしいので手を出す事は無い
猪木だって他にネタがあれば手を出さなかったはず >>625
対戦後全日入団、合宿所入りの流れだな。
でも若手はアントニオと暮らすのは嫌だろうな。 >>612
試合後の地元のプロモーターやスポンサーとの食事会で猪木&坂口&藤波&タイガー等
は事前に参加先が決まっていて急いで他レスラーに依頼すると
「アンドレはひたすら飲んで食べるだけ・・・サインや写真撮影はとんでもない!
かたやブッチャーは突然の要請にも快く応じてスーツと帽子でビシッと決めて
サインや写真撮影どころか"シャチョウさん〜!"と接待トークも全開でこういう
のが次回の興行の成功に繋がっていくんです・・・」とブッチャーに感謝していた。
>>607
全日の外人レスラーの宿泊先は高輪・東武ホテルや銀座・東急ホテルだったがアンドレ
のみ新日時代より使い慣れた京王プラザホテルの使用が許された。 >>628
そんなわけあるか。
新日来たときもかなりのじいさんだろ。
合宿所なんかに入れるわけ無い。 >>631
628の言うのはラジャライオンの一件を踏んでいるんだろう。
時代が違うが強烈なコンビだろうな。ある意味、世界最強スメハラタッグ。 >>624
シャワー付いてない会場や貸さない施設も多いし、風呂入るの面倒臭くてそのままホテルでバタンキューって奴もいると思う
まず風呂より先に酒って奴もいるだろうし、深酒して気付いてら朝で、そのまま移動もありそうだし >>632
そんなもんわかってるが、ラジャライオンと状況が違いすぎるだろ。 確かアンドレは京王プラザホテルの入口で、立ちションして、ホテル側か新日お断りと言い出して大モメしたことがあったな >>629
日常生活でも動けなくなっていたアンドレの世話をしたのは新日スタッフだったと週プロだかに出てた。 マードックも相当臭かったようだが、さらに極度の面倒臭がりだったようだ。
靴下も何日も同じの履いてたらしく、足の垢?や汚れが固まって靴下が立ったとか。
まぁ、大袈裟に語られた話だろうけど、よっぽどだったんだな。 >>630
これ本当にグレート・アントニオなの?プロレスやるようになって
髪も髭も伸ばし放題のああいう風貌にしたんかな。
元々体臭が強いのはまぁしょうがないとして、無精で臭いのは
こういう商売じゃある意味マナー違反つーか、エチケット違反だろうね。 >>637
すっかり忘れてたけど、動画を見て確かに当時のTV中継を見た記憶が
おぼろげながら蘇った。にしてもこの時の大木、黄色のタイツだったんだなぁ。
当時は自分の部屋にあった白黒TVで見たからそこまで分からなかったw >>627
アントニオが初来日で羽田空港でいきなり暴れだして
ファンもマスコミも出迎えたレスラーも皆が逃げ回ったらしい
猪木がターザン山本とのインタビューで
「馬場さんが真っ先に怖がって私の方にしがみついてきてねw
でも、そのくらい当時のアントニオは怖かったんですよ」と語ってた >>640
馬場は大木にフォール負けしてるんだ。
まぁ、韓国系も日本人としてカウントする場合が多いから
馬場が取らせた日本人は大木、天龍、三沢だけか?
https://www.youtube.com/watch?v=tZ52YXcuWgA >>642
全日以降だと多分その三人だけじゃないかと思う。若手時代、日プロ時代まで
遡ったら分からんけど。にしてもこの当時の大木は急所打ちをよくやってたけど、
これは今思い返してもいただけんねぇ。ヒール志向としても、マイナスにこそなれ
プラスには全然なってないよ。 若手時代の馬場に勝ってる日本人は
遠藤、芳の里、吉村、大木
フォールだけなら猪木、マンモス鈴木も取ってる記録がある
不思議なことに豊登とは一度も対戦がない >>629
そう言えば、NHK「私のこだわり人物伝」 愛しの悪役レスラーたち・昭和裏街道ブルース 第三回「“人間山脈” アンドレ・ザ・ジャイアント」で
京王プラザホテルのスタッフ3人がアンドレについてインタビューを受けていたね。
あの中の小柄の女性がアンドレのお気に入りだったと聞いてるけど。 デイビーボーイ・スミスが不精すぎて
キッドに、お前は不潔だと言われてたな。週ゴンだったかな。 昔はタイツ等の生地の質が良くなくて、毎試合後に洗濯すると傷むのが早いので、何試合か履いてから洗濯していた選手が多かったって
匂いを抑える為に、コロンをかけたりする選手が多かったけど、元の匂いとコロンの匂いが混ざって余計に臭かったらしい
後、巨漢レスラーはホテル等のバスルームに入れなかったりで、毎日シャワーを浴びる習慣がなく、その為たまに浴びても元の体臭がキツくなってる選手が多かった >>648
にしても、替えのタイツ数枚用意しとけば問題なさそうだが・・。
まぁでも、昔は試合数も多かったから大変だったと思う。
タイツだけでなく、リングシューズなんかもほったらかしにしといたら、臭かったろうな。 むかしズームイン朝で、谷津の特集があって、試合前に香水つける様子が取り上げられてた。 オールスターウォーズに来日したヘイスタックは大変だったみたいね。
早く帰国したかったみたいだし。 でもそんなに臭かったら花道でわかるんじゃない?
俺はゴディがコスチュームなしで走って入場してきた背中を触って臭いをかいたら凄く臭かった経験があるけど、ゴディはすでに汗まみれだったし他に臭い思いではないわ ハンセンは一緒に写真撮ったことあるけど、うちのおじいちゃんと
同じ匂いしたな。いわゆる老人臭。そんなに嫌な臭いではなかった。
やばかったのは全日じゃないけど、昔ゼロワンにきてたガファリ。
体タッチして、その手を鼻に近づけたら気絶しそうなくらいやばかった。
よくこんなのと橋本や小川は戦えるなと感心した http://www.japan-wrestling.jp/cms/wp-content/uploads/2015/09/1975_2.jpg
デストロイヤーはマスクの縁取りとタイツの色を統一する事で
白覆面のシンプルさにバリエーションをプラスしていた
赤の他に青、緑、黒の四種類だったかな マスカラスは香水のいい匂いがした。
まあ、ナルシストやから普段から神経質なくらい清潔にしてるんやろな。 >>645
豊登はガチで馬場を嫌ってたようだから力道山や彼亡き後の幹部連も
この二人を対戦させたら不穏な事が起きると思ったんじゃない?
馬場の師匠のアトキンスが来日した時、馬場が豊登に苛められてるのを知って、
豊登と対戦した時にシュートを仕掛けて肩を外してしまったなんて話があったね。 連投スマンけど、ブッチャーが87年に全日の最強タッグに復帰した時の
地方会場で、スプレー式(と言うのか何と言うのか)の香水をふりかけながら
控室に入っていったけど、柑橘系のかなり強い香りだった。
昔何かのインタビューでオーデコロンをつけるか聞かれて「もちろんだ。汗をかく
商売だからいつも大瓶のを持ち歩いてる」と言ってたのを思い出した。 >>657
それもあったのかもしれんし、馬場のファイトスタイルが気に入らなかったのも
あったのかもしれん。 昔のブッチャーって、今見ると
可愛らしいよね
子供の時はホント、怖かったけど >>659
単純に自分が力道の次のエースだと思ってたら、馬場がごぼう抜きしたからでしょ。 当時の日プロはいろんな派閥に分かれていて、
馬場は豊登の派閥じゃなかったという説もある
自分がエースになれなくても、馬場の元で美味い汁が吸えれば
妬み嫉みもまだ抑えられたんだろうけど、
芳の里とか他の派閥に取られてしまったのでは 馬場、猪木は抜きん出ていたから
普通他の選手と仲良いわけないでしょ。
一般社会と同じじゃねえの。 >>658
猪木は体にクリームだかを塗っていくそう。
少し滑るから相手はひっかからずに技がかけやすいとか。
出番直前にはコロンをふっていく。
汗をかく仕事だから相手への礼儀というのもある。 >>662
後に東京プロレスを設立したが
自分がエースじゃなくて猪木をエースにしたのは
自分がエースは無理ってのは自覚してて
猪木をネタに甘い汁を吸おうとしたのかもしれんね>豊登
ギャンブル狂なのは有名で売上金をわしづかみにして
競輪場へ直行するという有様だったとか >>646
京王プラザのバーに閉店寸前に来た時にマスターの「アンドレじゃしょうがないなあ〜」
と営業時間を延長してくれた。上得だったから?無理も効いたんだろうね。
さすがのアンドレも飛行機のあの狭いトイレ使用は無理なので事前に水分と食事は
控えていたらしい。
>>648
相撲の回しも洗濯しないでひたすら天日干しするのと洗髪の頻繁にできないので
瓶付油を使用するとの同じかな? 豊登は既にナンバーツーで若手と対戦するポジションではなかった 豊登は猪木、大木とはシングルで対戦してるし
馬場も遠藤、吉村、芳の里とは
2度目の海外遠征直前まで頻繁にシングルマッチを組まれている >>664
昔は相撲の影響からか椿油を体に塗るレスラーが多かった
大木金太郎が椿油愛用者で有名だったけど馬場も日プロ時代に使っていたし坂口も70年代の一時期使用していた
ただ椿油って会場の照明の熱を吸収して体が必要以上に火照ってしまうらしくて今あまり選手が使っている話を聞かないのはそれが理由なのかも 伝説的な駄目外人、ビッグ・バッド・オー
記憶よりも更に酷い
https://youtu.be/S2FoTRN2uvM >>671
これは天龍の凱旋帰国試合でもあるのに
未知数のオーを当ててしまう馬場にも
問題がある。
首固めでフォールなんて説得力無さすぎ。試合巧者のムラコを当てればよかったのに。 大相撲が愛知県体育館や大阪府立で場所開催するときは客席に雛壇を組むが、新日本も雛壇を組むことがあったよね。
馬場VSハンセンの東京体育館では雛壇を組んだと思うが、15日間開催する大相撲と1日だけのプロレスでは経費として掛かる負担がとても大きいから、満員になるという目算がなければできることではない。
新日本はやはり営業力が強かったのだなと今更思う。 >>670
若い頃は後年とは似ても似つかぬ体型だったんだねぇ。
初来日の頃はすでに相撲取りみたいになってたけど。
で、亀レスだけど・・・
>>624
アントニオが臭かったのはもう色んなところで言われてるぐらい有名だけど、
マネージャーはいつも側にいて平気だったんかな。余程匂いに鈍感だったのか、
慣れてしまって何も感じなくなっちまってたんかな。 全日、Uインター、全女が
大阪府立で連日興行をやることになった時に
会場設営費を割り勘したと聞いたことがある 馬場嫌いの筈の豊登がアジアタッグのパートナーを吉村から馬場に替えた事が
あったね。門茂男の本にそこら辺りの事が書いてたと思うけど。日プロ内で自分の
立場が危うくなってきた豊登が八方美人的な方策をとるようになった、みたいな
話だったかな。 >>675
ちなみに三日間行ったけど断トツで全日が客少なかった
特に二階席なんか酷いもんだったわ >>677
その日は
川田ー田上
ゴディーウィリアムス
三沢ー小橋だったと思うけど
それでも客が少なかったのか ただUインターは招待券バラマキが凄かった
おれ自身招待券で何度も武道館に行ったからな
後に経営悪化で新日との対抗戦をやったのはそれを知ってたので
全然不思議に思わなかった >>671
アメリカじゃトラック運転手や港湾労働者とかが仕事が暇な時期だけレスラーやるみたいなの多かったらしいけど、
たぶんその典型だろうな。
見よう見まねでやってるって感じ。 >>653
またまた臭いの話で恐縮だが、例えば
チャンピオンのなんてのも気を使って
管理しなそうなので、凄い臭いしてそう。
水や汗、血、金メダルの錆など、 「豊さんはコメしか食えない(日本でしか稼げない)が、自分はコメもパンも食える」だっけ?
「豊登をエースに立てたきゃ勝手にやればいい、自分はアメリカで稼がせてもらうから」ってニュアンスだろうけど
対豊登に関して馬場は歯牙にもかけてなかった感じだな。
豊登のような寸詰まりの小兵のパワーファイターって馬場が一番嫌うタイプだったような気がする。
デビット・サンマルチノが「お前さんの体じゃ親父の真似は無理だ」って辛辣に書かれてたな。 >>682
水や汗、血、金属の錆等で、凄い臭いが
しそう。 >>681
レスリング全日本選手権で優勝したころだったと思う。谷津を密着取材した特集がスポーツコーナーでやってた。 いまジータスでやってる
ブロディメモリアルのハンセン対ブッチャーって
こんなに塩試合だっけ? >>686
まあブッチャーも手術明けで、万全とは程遠い状態だったからな。
でもそんな塩試合だったか? 谷津もしょっぱかった
ジャーマンが全然ブリッジ出来てない >>687
俺もそれほど塩でもなかったように記憶してるけど、映像見返してみないと
分からんけどね。後から映像見返してみたら最初の印象とは違ったて事は
確かにあるね。ブロディ・ブルックスvs長州・谷津なんかもそうだった。
でも出てくる筈のシーンが映像見返したら出てこなかったりすると
人間の記憶なんてアテにならんもんだなと改めて思うわw >>686
当時天龍同盟の激しい試合で新日本ファンが沢山流れてきてて、その連中がこのハンセン対ブッチャーの試合後「暴動を起こしてやろうぜ」と騒いでた。昔の全日本ファンじゃ暴動なんて考えられないが天龍がファン層を変えた
と週プロに書いてありターザンがその事を天龍にインタビューで質問してた。くらい凡戦なのは有名 とにかくハンセンの流血がひどかった印象的しかない。
これもよく言われる“5年早ければ”なマッチメイク。 >>673
武道館で頻繁に開催をするようになってからだけど
ポスターには「見やすいセットバック席」との文句があったね。
>>683
>「豊さんはコメしか食えない(日本でしか稼げない)が、
>自分はコメもパンも食える」だっけ?
豊登はパンが嫌いでコメを食べないと体力が保てない、との意味にとっていたよ。
応用がきかない、みたいな意味を込めてたようにも感じた。 馬場の人気は絶大で、力道山の死後はいずれエースにするつもりだったけど
豊登が拒絶して社長の座共々居座り続けようとしたから
ギャンブルによる使い込み事件をでっちあげて追放したのが真相? >>654
売店で1枚2000円だったかな 即頭部に直筆サインが入ってた
デストの覆面は後ろで靴ひも風に結ぶんじゃなくて巾着かぶるみたいのだよね >>686
当時のゴング誌には「これが今の全日本の外国人No.1決定戦かと思うと寂しい」と書かれていた。
名勝負とは言い難いよね。ブッチャーのコンディションの悪さもあるけど、ハンセンとブッチャーはどうしても噛み合わない。
いつもそう思ってたんだけど、ハンセンはブッチャーに対して苦手意識のようなものがあるね。これはシンに対しても言えるけど。
スタイルの違いか。ブッチャーvsブロディ、ブッチャーvsホーガンは見応えがあってすごく面白いんだけど。
ハンセンはブッチャー、シンとは全日と新日の初来日でそれぞれ一緒だったんだけど、どこかにその時のものが残ってたのかな。 >>693
豊登は社長の座は分からないが
エースにはあんまり執着してない人だったらしい
実際に在籍中には既に馬場エース路線は轢かれてる
ただし、もし豊登体制下では馬場単独エースではなく
後続の猪木、大木との競争は激しくなったかもしれない >>696
当時の日本プロレス界で、複数エースという発想はなかっただろう。 >>695
ゴングにそんなこと書いてたか?
三者三様?
もし本当だとしたらアホだな。
あの試合に限ってはブロディと縁の深い二人が戦うということ自体に意味があるのに。
しかもブッチャーが満足に戦えないにも関わらず、無理を押して出てきたのに、本当にそんなこと言うかね。 >>694
あれもう少しサイズ大きめに作ってくれたら良かったのに。
巾着どころか、ストッキングかぶった時のように顔がとんでもない形になった。 >>698
そう。三者三様だった。
ブッチャーは「私が死んでいたらハンセンとブロディが、ハンセンが死んでいたら私とブロディが戦っていただろう」と言っていたね。
この3人はそういう関係だったんだろう。 豊登がギャンブル狂だったのは否定する話が全くないから本当だろう
YAHOO!知恵袋には川口オートレース場で豊登と思われる人を
何度も見かけたって話を書いている人もいる
貴闘力や安田もそうだったがあれは一種の精神病のようなもの 馬場も確か競馬やってたような
まぁ馬場の場合嗜む程度だったらしいけど
豊登みたいなギャンブル狂だったら全日あっという間に潰れてたろうね 坂口も競馬は好きだがあくまで予想を楽しむ感じで大金は賭けない
豪快にはるのは天龍
やっぱり相撲あがりなんだよ 夏と言えばマスカラスだが、77年オープンタッグでのファンクスと凶悪との遺恨以来、
78、79年のサマーアクションシリーズは暮れの遺恨ブックを夏にも分散させて
収益を揚げていたなw 79年のブラックパワーシリーズはブッチャーとマスカラスの遺恨ブックらしいが
プエルトリコのカルロス・コロンも黒人扱いでいいのかな?
肌の色はかなり黒かったが >>707
もちろんその扱いだったぞ、開幕メインは鶴田&マスカラス対ブッチャー&コロン。
そしてシリーズ中には、ブラジル&コロンで極道コンビのアジアタッグにも挑戦。
ブラジルに衰えが目立ち、シリーズ通してブッチャーのパートナーって感じだった。 それにしても、このブラックパワーシリーズの 動画が
youtubで見れるけど、ブラジルの衰えというか
酷すぎる、案の定これか、最後の来日になってしまった ブラジルは毎年来てるからある程度衰えは予想できそうな筈だけど馬場は
見る目ないのか。 >>709
>>710
前年78年の来日はそうでもなかったんだよ、翌年急に衰えてしまった感じで。 ブラジルはこの時点で50前くらいだから
あんなもんだよ
シリーズフル参戦してるだけまだいい ブロディメモリアルをGジータスで見たが1988
田植より確実に3センチほど高野が背が高かった
鶴田と田植は同じくらいだと思う。
で北尾は坂口よりも高かった(料理バンザイ)滝田栄も185
Sのなんかの記念写真でも高野より北尾のが高かった。
北尾は厚底履いてたのか?
高野はガチで195はあるのでは? ブラジル、エリック、キニスキーと揃って79年が
最後の来日でしたね ブラジルって米国でも花束食ってたのか?とぐぐってみたらTed DiBiase の本に日本でのブラジルとのやりとりが載ってた。英語だけど。 >>707
もしかしたら白人との混血だったかもね。浅黒い感じだったし。
向こうには多そうだけど。
こんな話になると中曽根元総理の「アメリカには黒人とかメキシカンとか
プエルトリコとか色んなのがいるから日本より知的水準が低い」てな発言を
思い出すな。プロレスとは無関係だけど。でも週プロのほとんどジョークで
これをネタにした作品が見事当選してたっけか。 スレ違いだけど 新間曰く 豊さんは布団の下に札束広げてたとか
なんで超がつくほど社長向いてないのに慣れたのやら
しかも 妻子もちとか驚いたわ >>714
みんな10年ほど前に日プロで馬場と激闘を繰り広げた連中だね。
ブルーザーは翌年の国際プロレスが最後の来日だったっけか。
ぞして今はみんなもうこの世の人じゃないんだなぁ・・・
あの強くて恐ろしかった人たちが。時の流れは何とやら、てやつか(しみじみ) ヒトがブラジルは木偶の坊だけど馬場さんは良くこんなブラジル相手に試合を
作ったとか言うけどヒトは随分と失礼な奴だな。 http://昭和プロレス.blog.so-net.ne.jp/2016-06-19
こんなんあった。既視だったらスマンけど。にしてもこの頃のブラジルは
強そうだねぇ。つーか、実際強かったんだけど。最後の来日の10年前か・・・
正にこの頃が全盛期だろうね。木偶の坊てのは晩年のブラジルを指して
そう言ったんかな。 >>704
アメリカ修行中に覚えたものとして牛肉の味、葉巻、コーヒーに並んで競馬を上げてたね。
力道山に、東郷に、そしてアトキンスにピンハネされファイトマネーは
ほとんど馬場のものにはならなかったようだけど
修業時代の思い手話は優雅で楽しい。 >>721
馬場からインターを奪った時のブラジルはまさに色艶も絶品という感じ
蔵前でのベルト姿も貫禄満点で 最後の来日時、ブラジルは55歳か
動きの衰えは仕方なかったけど、肉体的見た目は年齢の割に良かった >>701
ブッチャーはそういうけど、日本でブロディとブッチャーの関係ってあんまり知られてないからね。
ブロディメモリアルでもハンセンとハンセンがブロディの本物チェーンを巡って争ってたっけ度
なんだかピンと来なかった。 黒人って見た目、あんまり老けないよね。元から黒いからたるんだ皮膚の陰影が
見えにくいのか? (今どき、公共放送で言ったらやばいなw) >>686
ブロディメモリアルではブッチャーがヒールに徹してハンセンに花を持たそうとしたのにハンセンが意を汲み取りきれずブチ切れて試合を壊した マードックは3本勝負のタッグマッチで馬場から取ってるんだ。
猪木はマードックに取らせてない。
https://www.youtube.com/watch?v=hNCsBH0Ej14 >>725
ブロディとブッチャーの関係は、プエルトリコとテキサス地区だろうね。
プエルトリコではリラックスして2人で話をしていたとか。
そう言えば今日はブロディがバイヤモンスタジアムで刺された日なんだな。明日が命日。
今、思い出したよ。 全日に初来日したハンセンが当時全日外人のエースだったブッチャーに
かなり悪い感情を抱いていたみたいな証言を
流智美が本人の了解もなく書いたものだから
二人はずっと不仲だと思い込まされていた >>704
巡業中に地方競馬で『1-6』を買うのがお約束、なんて与太話を聞いたことあるわ >>723
S57年頃のデラプロに「当時のブラジルの強さは今の大巨人以上だったかも」
なんて出てたね。確か文藝春秋から出た悪役列伝とかいうビデオにアンドレと
ブラジルがバトルロイヤルで対峙する場面が出てくるけど、あのアンドレに
体格的にそう遜色なく見えたのは凄かった。
>>733
悪い感情て具体的にはどういう内容だったんだろ。流智美さんのその文章、
読んでないから知らないんだよね。 今日はカマタ&マーシャルボーグのインタータッグ挑戦日 猪木が格闘技戦で闘ったミスターXの正体がマーシャルボーグという説が
あるようだけど、実際はどうだったんだろ。 >>738
ビデオではダイジェストだったけど、多分これだと思う。
テイラーらしき人も映ってるけど、ここまで覚えてなかったw 確かにミスターXは覆面に空手衣の上下だったから肌はちょこっとしか
露出してなかったけど、マーシャルボーグよりかなり黒かったね。
ショボさは共通してたと言ってもいいと思うけどw 覆面世界一決定戦は急造マスクマンでも中身は一流レスラーだったが
猪木の異種格闘技戦の相手はかなり適当
ただのデカい男(X)、カナダの警官(クロケイド)、びっくり人間大賞出場者(デイトン) >>741
X=マーシャルボーグというのは、当時はそんな話は無かったけど、週プロが企画として過去の期待はずれ外人みたいな事をやりだした時に出て来た話だと思う。
記者か関係者が書いたネタが始まりなんじゃないかと思うけど、一時はガチみたいに思われてたね。
マーシャルボーグはハワイのスーパーの店員だったという噂もあるけど、多少なりともリングに上がった経験はあったんじゃないないかな?
パンチとかロープワークとかは見るに耐えないという訳でも無かったと思う。 ジョニー・エースとダイナミックデューズを結成していたシェーン・ダグラスって一度だけ全日に来日したらしいけど、ほとんど覚えていないな。
ビッグマッチの出場チャンスもなく帰国した感じかな マーシャルボーグは帰国数年後にテネシー地区ジェリーローラーの所で
チャンピオンになっていたような気がするが >>742
アリ戦へ負債返済のために乱発した異種格闘技戦。
TV局への借財を少しづつ引いた分の放映権料を毎回、新日へ払う言う考えを
テレ朝・永里氏は考え出して。「返済するまで帰るな!」と新日行きの
片道出向を命じられた。それを続けてウィリー戦の前にやっと返済の目途が
ついたらしい。
また金八以外のGタイム特番枠で放映する事で放映権料も上乗せされていた。
しかし今度は放送枠が空くたびにテレ朝から逆に試合を要請されるほど
キラーコンテンツになってしまい「対戦相手の選ぶのは最後はかなり
苦しかった・・・」と大塚氏も述べていた。 シェーン・ダグラスはエースよりレスラーとしては実績があるな
あくまでアメリカ本国ではだけど ミスターX は、猪木戦後、カルガリーで試合してたよ >>746
末期の格闘技戦は
メンバーは苦しすぎるが
ミスターX戦は動画見てる限りはその日の会場は盛り上がってるし
デイトン戦は今も隠れた名勝負で評価が高い
同じ年の全日本は年間通していい外人を呼んでる割には
ローカル興行ばかりで盛り上がりがイマイチ 89年に政治家に転身した猪木が暴漢に切りつけらた時に、週ゴンの一コマ漫画で
いくつかの対策が描かれてたけど、その中の一つに「過去の格闘技戦の相手で
今わりかしヒマだと思われる人にボディガードを頼む」てのがあったね。
ミスターXやクロケイドなんかの顔ぶれが並んでた。アティサノエもいたかな。 >>743
いやXの正体=マーシャルボーグ説は俺が本格的にプロレスを観始めた82年頃には既に既成事実化していた筈
当時書店に並んでいた月プロ月ゴンの別冊や幾つかの出版社が単発で出してたムック本の中でもXはマーシャルボーグの変身というのが定説になってたし
>>746
>「返済するまで帰るな!」と新日行きの 片道出向を命じられた。
ウィリー戦前の79年には既にテレ朝に戻っていたけどね永里高平
で永里と入れ代わる形で新日に出向した望月和治が後のクーデター騒動の首謀者になってしまう皮肉
>>750
デイトンは筋肉系タレントの経歴や舞台裏での変人ぶりばかり語られる事が多いけど
一応キックボクサーとしての実績もあったんだよな 早すぎたミルコ?カナダの暴力警官キム・クロケイド
でもあの人実はプロレスラーで76年頃国際に来たか来日予定があって
パンフに写真載ったことあるはず >>714
イヤウケアも79年が最後、デストも帰国し第一線を退くとまさに節目の年
一方でブロディが初来日というのがなんか時代の変わり目の象徴的である オールスター戦もこの年だったね。馬場vs猪木実現か?の機運が
一瞬盛り上がりかけたけど、結局実現はしなかったね。 ミスターXは後にカルガリーで、素顔でレスラー兼マネージャーをやってたよ
その辺りは日本にミスターXを作って、連れていった故ミスターヒトが知ってるよ >>757
イヤウケアの最後の来日シリーズが、ブロディ初来日シリーズだったんだよな。
ブロディの吠えるスタイルは、イヤウケアに大きな影響を受けたからだった。 小錦に相撲入りを勧めたのもイヤウケアだったっけ。「歩き方が北の湖に似てたから」て
事らしいけど。全日の正月シリーズに毎年のように来てたけど、相撲の初場所と時期が
重なってるから見てたんだろうね。 ブロディーは初来日時の体格のほうが
より、怪物ぽくて良かったのにね 私の、知的反逆児に書いてたのは、ブロデイが体重落ちた原因はステロイドの影響で入院した後、ステロイドを止めたので初来日時みたいな体型には戻らなかった だがシャープになってより頑丈になったよな。ブロディは。
単にセールしないといっても、相手の技を受けた時に
どうしてもダメージをかわすとか、少し間を置いてから休んで回復とか
そういうところが体の挙動や表情を見ても皆無なので驚愕した。 >>766
長州のこと嫌ってた割にはやってること同じだよな でもブロディってアメリカではけっこうセールするよね
特にベビー設定の時 ブロディがようやく上がってきたのはやはりドリーとのインター抗争からか ブロディがセールしないと言うが、馬場相手のオーバーなセールに嫌気がさしてた所にハンセンが来てリアリティーの高さに好きになった経緯があるけどな >>770
大体、ブロディやブッチャー、アンドレみたいな怪物系はそう簡単にセールしちゃいかんのだよな。
ハンセンが全日で痛そうな顔しだしたとき、ゴングの三者三様で批判されてたしな。 ブロディは鶴田にバックドロップ喰らって腰押さえながら場外転落
場外でものたうち回ってたな
猪木にバックドロップ喰らった時は左右にユラユラユラリンコ♪ >>771
マードックは健吾の稲妻が胸に当たったのに顔面抑えて悶絶する。 >>753
規模はだいぶ縮小されるもモスクワで念願のオリンピック中継に関わる事が
できた。その後、クーデター&UWF設立と大揺れの中で新日立て直しのために
再出向。早大レスリング部の後輩である元国プロ・吉原氏を顧問として
迎え入れるように進言したり南青山から賃料の安い旧テレ朝本社に事務所を
移転させた。また日プロ時代からのNETプロレスリングの放映立ち上げに
深く関与していて「あれだけレスラーがいるのだからウチでも少し放映
できるのでは?」と言う短絡的発想が引き金になり辻井編成部長(のちの新日会長)
と激論になりダメ元で日プロに出向いたら「日テレの許可があれば・・・」と言う
のが発端だった・・・ イヤウケアはタイツでごまかしているが、
脚が普通のおっさん並みに細いんだよな。
スクワットぐらいせえと 吉原が馬場をこき下ろしてもより酷い扱いを受けた猪木を悪く言わなかったのはむしろ先輩の永里への遠慮か ブロディは認めた相手にはきちんとセールしているよ
気に入らない相手には露骨に嫌がらせをする
その例が長州やマスカラス
海外だとレックス・ルガー
バッドニュース・アレンが「あれはルガーが低能なのが悪い」と
全面的にブロディを支持していたけどね イヤウケアの最後の来日と、ブロディの初来日が同じシリーズだったと
昨日書いたばかりなのに、イヤウケアとブルックスを間違えるとは。
ブルックスってその後ブロディと組んで、長州とかと試合していたよね? 上の人が言ってる「その例が長州」てのがそうでしょ。
ブロディ・ブルックスvs長州・谷津の試合があったよ。
ブロディ新日移籍直前の時期だったね。 >>785
そんなに怒らないでよ、間違えたのはあなたでしょう? 感情の起伏の激しい人なんかな。ごめんと謝った後うるせーとキレるとかw >>785
いや、君がわざわざ言わなくていいこと言ってもめ事起こしてる。
よく一言多いって言われるだろ? >>780
日本ではドリー、鶴田、マードックとかにはセールしてたな ブロディがブルックスとタッグ組み始めたのってS58年頃だと思うけど、
当時出たブロディのプロレスアルバムに、少年ファンにサインした時の話が
出てたね。その様子を記者がカメラに収めてたんだけど、雑誌には載せないように
言われたと。「少年ファンにサインなんかしてる写真を載せられたら俺のイメージが
壊れる。今サインしたのも周りに誰もいなかったからだ」と言われたらしい。
知られざる、つーか知られてるかもしれんけどブロディのある一面ではある。 だからといってホテル前で待ってた少年達を蹴らなくても >>772
それだと鶴田がヘタだって事になるんだけど テリーとハンセンの話だと、ブロディはウエスト・テキサス時代に大学寮の前庭に植えてあった桜の木を切り倒したとか。
https://www.youtube.com/watch?v=XdsyplKurxY
コーチ「誰だ、桜の木を切り倒したのは!?」
ブロディ「コーチ、私がやりました」
コーチ「もうお前は大学に来なくていい」
テリー「ブロディは自分をジョージ・ワシントンと思ったか正直に話したが、そのまま大学を退学させられたんだよ」 ファンクスもウエストテキサス大学を中退したんだよね?
昔ハンセンがインタビューで「俺は正式にウエストテキサス大学を卒業したが
ファンクスは違うぞ。こんな事はあまり言いたくないが事実は事実だからな」。
後日テリーもそれを認めていて「理由はフットボールに熱中し過ぎたからだ」と。 日本と違い、アメリカの大学は入るのは容易いが卒業するのは難しい。
ちゃんと卒業して教師免許取得したハンセンは優秀なのだ。 じゃあポートランド大の教授職である鶴田などエリート中のエリート! 1987年のサマーアクションシリーズに、ホセ・ゴンザレスがマスクマンとして来日していたのか スタッドとオットー・ワンツは、ついに日本
では良いところ見せられずに終わったな 新日本にくると猪木のかませ犬にさせられるからね。
戸口もブッチャーも、ヒギンズも、ビリーヘインズも、
勿体無かったなあ。 >>805
ビリーヘインズは猪木とやってないだろ。 >>806
1985年4月12日 泉佐野市総合体育館 猪木 (6分30秒 体固め) ビリー・ジャック
ブロディとの初対決の直前にシングルでやってる。 >>779
国プロ崩壊後にプロレスビジネスに携わる事ができずに不遇だった吉原氏
を先輩の永里氏が「あんないい奴が不遇だなんて・・・俺はアイツを救うために
新日に来たんだ!」と顧問契約を進言すると「さすが猪木、坂口!二つ返事で
受け入れてくれた!」と評価していた。酒量が増えて荒れていた吉原氏は
「猪木の所を盛り上げてやろう思うんだ!」と俄然に元気を取り戻した矢先
に病魔に襲われたしまった・・・ただ顧問就任に関してはUWFが海外ルートを
吉原氏に依頼する動きを見せたために先手を打つ必要もあったらしい・・・ >>811
猪木の延髄とブロディのニー、ソイヤーのパワースラムはどうやっても再現できなかった。 WWWFっぽいベルト、当時の流行り?でかっこいいと思った
日本だと国際のIWAか猪木のNWFが近いイメージ >>799
ファンクスは卒業してないけど教師の免状は取ってる
要するに卒業単位が足りなくても教職課程の単位を取ればそれでOK
欧米では卒業と単位の取得は別で、一度とった単位は退学して他の大学に
入りなおしても取得済みと見なされるらしいしな >>811
あれだけは不器用な天龍はともかく
身体能力の高い鶴田や武藤がやっても様にならないんだよな
>>813
ソイヤーのパワースラムはレイスやフレアーのデッドリー受けと並んで
万有引力を無視しているように見える超絶技だよね
他にも自分から走っていく「リバースパワースラム」もあるしな 相撲のぶちかまし風タックルって石川が一番うまかったように思う。 >>822
この人は当時全日のリング輸送等に関わっていた運送会社の息子さんじゃなかったっけ?
最も今ではおじいちゃんになってるだろうけど。 >>821
終盤両者セコンド陣の乱入合戦になった試合だっけ? そういや例の全日熱戦譜サイトで面白い結果見つけた
81年ジャイアントシリーズで
10月26日函館市民体育館
6人タッグマッチ30分1本勝負
グレート小鹿 ブルーザー・ブロディ
大熊元司 (1-0)ジミー・スヌーカ
プリンス・トンガ バック・ロブレイ
@トンガ(13分3秒体固め)ロブレイ
おいw
極道もトンガもロブレイに勝てるか勝てないかってところなのに
いくら小鹿の地元でもこれはねーだろw
その割には花はトンガに持たせたりと意味不明な試合結果 >>825
スゴいね!
ハプニングかなんかではないのかねえ。 >>823
そういうルートが想像できるけどまあ写真のまんま >>824
セコンドらしいセコンドはいなかった
両リンになりそうでならない、ノーTVで32文使ったのは異例
最後観衆に手をふる馬場を下から見上げる大仁田の顔が頼もしそう >>822-823
S32年生まれって事は今年60歳でしょ?
おじいちゃんて年でもないんじゃないの?w
まぁ孫がいるだろうって意味ならおじいちゃんだろうけどw 80年といえば
タイガー服部もこの年に全日でレフリングしてるけど
新日より先だったとは意外だな
どういう経緯だったんだろう >>821
S53年だよね。ブッチャーも人気絶頂だった頃なのに、
何でノーTVだったんだろ。 >>828
じゃあ別の年だな
>>831
釣り?
マジレスなら後段よく読んでね
>>832
ブラック・テラー戦とかジョナサン戦が優先されて
毎年当たる馬場は後回しになったんじゃね
確かイヤウケア戦もノーテレビでラジオ中継だったような
(76年のほうかもしれんが) >>830
当時マネージャーしてた桜田の帰国に帯同
帰国最初のシリーズには桜田と組んでたミスターフジも参加 >>832
80年まで得点上位2人によってあらためて優勝決定戦ルールだった
81、82は全公式戦終了時最高得点者が優勝に変更
78年は決定戦が両者だったから通常公式戦は割愛したと思う
中継の中で倉持が真っ先に横浜の一報を伝えていた >>833
76年のイヤウケア戦はTVで見た記憶あるから、ノーTVとしたら78年のほうかも。
こっちは俺も見たという記憶があまりない。もしかしたら中継あったかもだけど。
>>835
76年の決定戦もこのカードだったけど、公式戦は中継されたっけ?
何かあまり記憶に残ってないんよ。ブッチャー初優勝のインパクトで
公式戦の記憶が消し飛んでしまったのかもしれんけど。 76年も最高得点者方式
同点だったので馬場とブッチャーで優勝決定戦 まぁ76年のチャンカー初優勝は日本マットにおけるブッチャーの一つの大きな
ピークだろうね。リング上で「このトロフィーは誰にも渡さんぞ!」て感じで、
目をひん向いて辺りをギョロギョロと見回してたブッチャーの表情は未だに
鮮烈に記憶に残ってる。てなわけでここいらで失礼。 >>825
みんなブロディのキングコングニーが見たかっただろうに… >>808
週ゴンかなにかで
ビリーが「ア・イノキをフルネルソンで2、3日眠らす」
と答えてたから期待したんだが、あっけなく延髄葬だったなあ。 >>825
トンガのドロップキックは一級品だった。 >>825
馬場、鶴田、トンガならまだ判るが
極道コンビでどうやってブロディ&スヌーカを止めるんだよ
スヌーカ、ロブレイはともかく、エゴイストのブロディがよく飲んだな ビリー・ジャックは筋肉だけで動けないから
新日が一番嫌いなタイプなんだよなあ
外人がより好みできる時期なら
呼ばなかっただろう >>843
親日はホーガンがNYへ行ったあと、そんなのばっか呼んでなかったか? >>843
ビリージャック良い選手だと思うけどなあ。 >>844
それでも使えそうと思ったのか
ウィリアムス、ビガロ、ベイダーとかは
最初から両国のメインに起用してるから
それなりに差をつけながらそれぞれ試してたのかなとも思う
同時期の全日は?というと
相変わらず古い名前の外人ばかりで
新顔にいきなりチャンスを与えるというのはなかった気がする ビリー・ジャックも世界のプロレスでよく取り上げられてたよね。
スーパースター・ビリー・グラハム並みにフルネルソンをフィニッシュにして。 ビリー・ジャックはアメリカでもたいして売れずに消えたから
やっぱり何か足りなかったんだろう
ワンマン・ギャングは全日に来てかなり好評で
WWFでも長く仕事ができた >>846
新日はエース外人を作るのが急務だったからな
全日は外人にも格があるから、そう簡単にはいかんよ。
ハンセンという絶対的エースもいたし。新参者がいきなり同じ扱いしても説得力もない。 >>848
ワンマンギャングが全日で好評?
大した扱い受けてないだろ。 >>849
それはわかるけど
80年代後半に
ハンセン、ブロディ以外の外人のシングルベルトの挑戦者に
ニック、レイス、ブッチャーというのはいくらなんでも先を見てなさすぎなような・・
ニキタ・コロフやウィンダムとかはもう少し使いようがなかったのかねえw >>851
ニキタは無理だろ。
負けないし、次いつ来るかわからん。
ウインダムは挑戦してなかったか?
って、今気付いたけど、ニック、レイス、ブッチャーっていつの話だよwベイダービガロの頃は挑戦してないだろ。時系列無茶苦茶。
さすがにゴディやらスヌーカやらリッキーやらリッチが挑戦してたろ。
雑魚枠ではヘイズ、ガービン、ランカスター、オルソノスキーとか。 バリー・ウインダムは80年代前半から2000年代まで来日してた数少ない外国人選手だね。 >>845
86年3月の東京体育館での新日vsUWFの5vs5イリミネーションのセミで
坂口&コブラvsビリー・ジャック&確かザ・ジャッカルで
ジャックが2段目ロープに乗って飛ぼうとしたら滑って2段目ロープに股間を打ち付けて
確かそのままフォール負けして失笑されてたのを思い出す。 >>852
ニキタは長州のPWFに挑戦してるけどな。 >>853
馬場が妙に褒めてたよな。
アメリカじゃ今や三本の指に入るとかって。 >>852
オルソノスキーで思い出したんだが、全日の会場にオルソノスキーが来ていたことなかったかな?
倉持アナが「この人は国際プロレスに来日中の、オルソノスキー選手ではないですか?」
って山田さんだか、竹内さんだかに聞いていたことがあった記憶があるんだけど。 ワンマンギャングは初来日の時に馬場と天龍からフォールだったかリングアウトだったか星をもらってなかったか。それだけでも結構いい扱いだ。最終戦ではフォール負けはしたもののインタータッグにも挑戦。それだけに86年に再来日した時のモヒカンでダメダメになってたのがな。 あの時の武道館での外人タッグ戦はなかなか良かった
特にブラックウェルとの新旧巨漢対決とか ビッグ・ブーバーってのもいたな。
看守ギミック前ってどんな感じだったんだろ 全日は馬場鶴田が大型だから、ちょっとやそっとの巨漢連れてきても話題にならないんだよね。
むしろリッキーやマスカラスのほうが新鮮 >>859
新旧って、キャリア大して変わんないだろ。 >>863
ブラックウェルがUNに挑戦したシリーズ、開幕前には誰がUNに挑戦するのか発表は
されていなかった。結果的にはシリーズ中の活躍が顕著だったブラックウェルが、
キャンディとかムラコとかを退けて、UNに挑戦ってシナリオだった記憶がある。
でもあの年のブラックウェルをUNに挑戦させたのは、全日からブラックウェルへの
恩返しだったと思う。ブラックウェルは同時期の国際プロレスのポスターにも
名前があり、それでも裏切らずに全日に来てくれたからこそブラックウェルの
価値が上がったんだろう。 ブラックウェルはAWAで妙に格が高かった印象がある
ヒールのブロディを向かう打つベビーフェースの筆頭格で
プロレス雑誌の海外コーナーでも大活躍と掲載されてた
それにひきかえワンマン・ギャングはイマイチパッとせず
小兵のバック・ロブレイにシングルでピンフォール負け
もちろんアメリカでだけど ブロディは、自分でなくパートナーがやられるのは
小鹿の地元なら呑んだだろうなあ。そこまで頑固じゃないよ。 ブラックウェルは重心が低くて投げにくい
しかもドロップキックまで出来るのが凄い >>857
インター争奪戦シリーズの後楽園大会。馬場vs.テリー戦の試合後に
登場。動画も上がっている。試合後のブッチャー、ブロディ、ファンクス、
馬場、鶴田と贅沢な乱入&場外乱闘。しかしこれだけいると新日ブームを
向こうに回して客が入っている。
>>830
フロリダ地区でマネージャー&レフェリー&アマレスコーチをしていて全日勢が
入れ替わり来る中で日本行きを誘われたらしい。
>>849
ベイダーも自分でそれがわかっていて新日行きを決めたと述べていた。
全日と新日を天秤にかけてエース外人育成が急務だった新日にギャラを吹っ掛けて
きたタフネゴシェーターぶりをタイガー服部も話していた。
モノになりそうとわかると異例の5年契約を新日は結んだ。 「ネットアンケートで選ぶプロレス黄金期名勝負」って本読んだけど
なーんかつまんないラインナップだなと言う印象。
かつてのゴングから発行されてた名勝負集で常連だった、力道山、木村vsシャープ兄弟も
猪木vsバレンタインも、馬場vsテーズも、力道山vsデストロイヤーも馬場vsブリスコの
NWA戦もみーんなランクから外れたり下の方だったりしたから。
そりゃ「今のファンをアンケートの対象にして統計を集めた」から、大昔の或いは
映像無き名勝負が外されるのは仕方ないけどさ。 >>865
このシリーズてブラックウェルはブッチャーに山嵐風バックドロップを教えたらしいね。
エルボードロップしかフィニッシュホールドが無かったブッチャーは手数が増えた。
チャレンジャー抜擢はそのあたりが関係あるのかも。
ムラコは馬場から「ギャラの分しか仕事をしないマードック・ハリケーンタイプのレスラー」とコメントされてたね。
天龍とサンフランシスコ地区で縁があったから平成になっても全日に招聘されたけど。 >>870
>しかしこれだけいると新日ブームを向こうに回して客が入っている。
だが、後楽園ホールでの話。
甲子園なら「一番面白い」準々決勝なんだけど。 >>866
ウォリアーズとも互角だったな。
どこぞのテリトリーではハーリーレイスとライバルだったし。 >>871
その本読んでないけど、俺が今でも「三本の指に入る名勝負」と思ってる
オープンタッグのファンクスvsブッチャー・シークは入ってるんかな。 >>869
解説の田鶴浜さんが「不思議な風船玉だな、こりゃ」なんて言ってたね。 >>870
豪華メンバーの上に
エース対人気ナンバー1外人を組んで
後楽園が満員になりました!って
情けないにも程があるだろw カンケー無いが、Cカーニバルの参加メンツは優勝候補と対抗馬(伏兵)以外は二流三流の白星配給係。
むしろ普段のジャイアントシリーズや、現・元・前NWA王者が一堂に特参する定番シリーズ、夏のマスカラスシリーズのほうが
豪華だったり人気だったりする。。 >>879
そら豪華メンバー揃え過ぎたら星取り計算をするのが大変だからだろ
白星配給係が居ないと組む方が困る G1クライマックスみたいにみんな仲良く最終日まで、って無理な星取りになってしまうな 白星配給係の二流外人ならまだいいが
かつて一流レスラーだった大物ロートルレスラーを
チャンカンに出場させるとややこしくなる
全日は過去の名レスラーに寛大だから
ピン負けもギブアップ負けもさせない
つまり反則とかリングアウト負けを絡ませる事になる
ジョナサンとかイヤウケアとかデストとか厄介 >>882
あとチャンカーってエース外国人とか気を使って、同じ勝ち点にしたりとかあった。
ブロディ、ブッチャー、ブリスコを同じ勝ち点で終わらせるため、ブリスコはなぜか
ウェインファリスとの試合で、時間切れ引き分けに終わったことがある。 チャンピオンカーニバルは
ワールドリーグやMSGシリーズと比べても
優勝戦のインパクトが弱すぎるんだよな 中堅のマリオミラノが謎の覆面バラクーダに変身して、リーグ戦の星取りを意外な形でリードした手法?は
そのまま親日の第4回ワールドで、ボロモンゴルを変身させてマスクトスーパースターとして
優勝戦線に絡ませる形で受け継がれたな。。(と思うw) >>885
チャンカーといえばマリオミラノの弟ドンミラノも出ていたな、白星配給係に
なってしまっていたが。ドンミラノの来日ってあのシリーズだけだったかな? >>885
古くはミスターアトミックもそうだったが
スーパースターがその後10年近く活躍したことを考えたら
バラクーダはもっと継続しても良かった >>883
スレーターが欠場になったから、星合わせの苦労が見えるね。 >>888
地方でのタッグマッチでも影響出てた。
正統派外人がブリスコ一人だから、ブリスコはアベンジャーやブルックスともタッグを組む羽目に。 ブロディよりブリスコが上だとやっぱりブロディはすねるんかね? ブリスコはNWAを落としてからは
あんまりパッとしないなあ
アメリカでは活躍してたの? >>891
米国じゃむしろファンクスよりも人気は保ってたんじゃないかな?
南部地区じゃベビーのトップだったし。 >>89182年にブリスコ兄弟でジョージア地区のタッグトーナメントに出て準優勝
優勝はオレイアンダーソン、スタンハンセン 鶴田天龍やドリーテリーらがいての決勝進出だから
優遇されてたと思う ナックルは左を使ってたからサウスポーかな >>894
ブリスコ兄弟がどっちもハゲっぽくて冴えない風貌だったのが残念だった。
プロレス入門に載ってたブリスコ兄弟はもっとカッコよかったのに。 ブリスコは受身がきれいじゃなかったからなあ。
うまい下手とかではなく。 ブリスコは81年にカーニバルに来たけどその2年前ぐらいに突然新日に上がったよな
猪木と賞金マッチをやって勝った猪木が杉山会長のように札をぶちまけるという
よくわからないオチだった ブリスコはUN決定戦で鶴田に2フォールとられたのが本当にもったいない。
UNの箔付けするには最高レベルの人選だがもったいなさすぎた。
ミスターレスリングとかホーストホフマン程度でよかったんじゃないかな。 >>879
マンネリ化したチャンカーよりファンクスを加えたインター争奪戦トーナメント短期シリーズは
人気を博してこちらにプロモーターの買いが殺到した。
>>895
海外でWWEのハウスショー後に出待ちをしていたら疲れてレンタカーに乗って帰るケイン等
のスーパースターズを横目にわざわざ出てきてサインをしてくれた。人の良さ全開だったw
ちなみに現役選手はトリッシュのみ笑顔でサインをしていた。
>>897
ワープロの松岡Pは猪木の印象に残る名勝負とは言えないが好試合にこのブリスコ戦を
上げていた。「猪木ってレスリングできるんだ・・・」と思ったらしい。
杉山会長を有楽町のガード下で擦れ違った時に「どこかで見た顔・・・」と見つめてしまったら
目が合ってワイドショーと違い微笑まれたw 関西弁の明るいオッチャンの雰囲気だったw ファリス(不戦勝)ブリスコにしても良かったと思う。 >>898
前年末までNWA王者だったんだからな、新日並みの無駄遣い。 >>900
それじゃあ点数が合わない。
何の理由でブリスコ
欠場させるんだ?
インター争奪戦にも出なきゃいかんのに。 UN決定戦へのブリスコ起用には猪木との名勝負もあったかも >>878
とはいえ後楽園のほぼ倍のキャパの横浜文化体育館や川崎市体育館で
馬場vsテリーを組んだとしても絶対に埋まるか?…といえば微妙だと思う
この時期の全日は、後楽園クラスはともかく、3000人規模の会場を埋めるのも青息吐息って印象
そういえばフレアーにテリーが挑戦した横浜文化ってお客さんは入ったんだろうか? 77年全日のつべ観てるが日本テレビスポーツテーマは日本組の汎用入場曲だったんだな
天龍のシングル戦や鶴田・戸口・天龍組の入場でも使われている
鶴田・戸口・天龍組の場合はチャイニーズカンフーだろ?曲間違いか? >>905
知らなかったわ。
後の維新軍(ジャパン)が参戦した時の「ホットポイント」みたいな使われ方だったのか? というか80年くらいまではタッグマッチでのテーマ曲ってあんまり深い事は考えず、極端に言えばその場の感覚で曲を選択してた気がする。
馬場鶴田組がチャイニーズカンフーで入場する映像は沢山残ってるし、カマタやマードックのテーマはある事にはなってるんだけど、流れたり流されなかったりしてるね。 >>907
大阪城ホールでのvs天龍戦で天龍入場でつる太のテーマ曲が流れて
天龍が苦笑いしながら入場したこともあった。
書き込みに「長州「ゲッ!オイオイ!全日ガチしかけやがったのか?
ホントに鶴田がでてきたらオレ帰るかんな!」w...
https://www.youtube.com/watch?v=4VM3JmZyEzI >>908
この試合は実はセミで、メインは鶴田対ハンセンなんだよね。
この時代だと音源はギリギリカセットだと思うけど、鶴田用に用意してたテープを間違えて使用したのかな? 天龍とハンセンがタッグ組んでた頃、二人のテーマ曲を合わせた入場曲が
作られたけど、前半の天龍のところだけで曲が終わってしまってハンセンが
怒ってた事があったね。 横浜文体でブッチャーvsテリーのUN戦が行われた時は確かBI分裂以来の大入りとか言われていたような >>910
ねえよ。
何でそんなことわかるんだよ。 週プロではハンセンが合体テーマ自体にイラついてたと書いてあった気が >>901
それ以来、ふて腐れたのかw しばらく来日しなくなったな。 >ブリスコ
考えてみれば次代エースのあて馬にしちゃビッグネーム過ぎる。よく了解したもんだ。
藤波なんかホセエストラダみたいな中堅悪党を降しての新王者だし。 >>913
サンライズとサンダーストームじゃ、合体してもテンポが違い過ぎて合わないよな。
Jとサンダーストーム、サンライズと移民の歌なら合体してもテンポ合うけど。 新日で猪木が大木と名勝負繰り広げた後、
馬場は大木を呼んで猪木より短い時間で大木を下した
新日で猪木がロビンソンと名勝負繰り広げた後、
馬場はロビンソンを呼んで三本勝負の内、
二本ピン負けをロビンソンに強いた
新日で猪木がブリスコと賞金マッチやった後
UN王座決定戦で鶴田の踏み台にさせた 76年(鶴田UN)と79年(猪木NWF)の時系列間違うとか。。。 鶴田ブリスコよりも、猪木ブリスコが先だと勘違いしてる人なんかいるんだな。 >>913
おれも、ツギハギみたいで好きじゃなかったなあ。 最初は前後でつないだんだよな
途中から交互になったが >>918
表向きには馬場が大木を呼んだんじゃなくて大木の対戦要求を
馬場がプロレス視察に行ったソウルで受諾した、と倉持が紹介している
同じ蔵前で大木戦は超満員、ロビンソン戦はガラガラ、馬場の四の字かけられたまま
リングアウト食らった木村戦もガラガラだったと記憶 >>928
大木戦が超満員で、ロビンソン戦や木村戦が不入りだったのは何でなの?
リアルタイム世代でないので、三戦とも甲乙つけがたいほど魅力的に感じるカードなんだけど…
大木戦があっさり終わりすぎて、ファンの信頼というか期待感を失っちゃったとか?
ガチ感覚が根強い時代だと「馬場じゃ強すぎて試合が面白くない」みたいな感覚とか?
1970年代の半ばあたりの、馬場の強さに対しての認知度は知らない上での疑問だけど… プロレス黄金時代名勝負ランキング買った。
各名勝負のテレビ視聴率が載ってたが、馬場ーハンセンの13.3はすごいな。
土曜夕方5時半で13.3は快挙だよな。 やはり記憶に残る試合だったんだよな
あれが無ければ馬場も生涯現役なんて出来なかったろうし
あれこそまさに起死回生の大一番 馬場はスローだけど巨大で骨太で強いのはわかるけど、ハンセンあたりのころには
老人みたいで、全日が馬鹿にされる原因になったと思う。
馬場鶴田天龍なんて本当はでかくてそれなりに強かったんだろうけどさ。 あの時の馬場コールには鳥肌がたったな。
普段馬場を揶揄するやつらも、なにも会場全体が唸りを上げてた。
栃内ってのが書いて本に
「俺たちは日本人なんだ」とファンは思い出して一体となったと書いてあった。
単純明快。強くてでかい外人をやっつけろ!
これぞプロレスの醍醐味だった。 まさにインター王者時代の全盛期の馬場を見た瞬間だったんだよな
もちろんそれはハンセンがそういった馬場を引き出すのに格好の相手だったのも大きいが 試合開始早々の16文決まったときのあの盛り上がりたるや。 馬場ハンセン初対決、2度目の対決は見に行った。チケ写真はあす貼り
天龍入場で初めてサンダーストームが採用された日、一般の応募と倉持
東京体育館興行では新日本の猪木ブッチャーに完勝だった あの時の新日の東京体育館って不入りではないだろ
動画を見ても空席なんてなさそうだし 82年だと40歳か。考えてみれば創立して10年とかまだまだ現役でなにがおかしい?って感じ出しなw
たとえばカーニバルで鶴田のほうが戦績上回っても、そりゃ鶴田もそろそろ頑張り見せないと駄目だが
興行の集客とか馬場だもんな。 >>929
ロビンソン戦も木村戦も満員とはいえないがまあまあ入っているよ。
全日の蔵前で不入りなのはテリー×鶴田のNWA戦だな。
数字を見るとヘーシンクのデビュー戦が一番ひどいんだが。
馬場の強さ認知度となると、
強さを見せられるわけではないんだが強引に勝ってしまう、感じだな。
見て、すかっとしたり面白い試合を見せることは出来なくなっていたよ。
それが動員に影響したんだろうね。 >>940
馬場の試合は組み立てより一発一発の破壊力に訴えるからな。体もでかいから動き一つとっても
インパクトがある。これに相手の合わせる力量も加味すると見ごたえのある試合になる。。 序盤でいきなりの十六文となると名古屋でレイスからNWAを取った試合もなんだよな
まさに名勝負への掴みといった感じで あと最初のハンセン戦が伝説になった一因は旧東京体育館の独特の構造にもありそう
天井の高さをはじめとするあの空間が馬場のスケール感を強調したとも見える >>940
そうかねえ。
スカッとした勝ちかたが出来ないってのはあくまで個人の感じ方だろ。当時のファンの総意みたいな書き方されると違和感。
別に猪木を貶める訳じゃないけど、
自分以外は全員悪とでも言いたげな猪木のスタイルより、
豪快な馬場のスタイルの方がよほどスカッとしたけどな。
子供の頃の俺の意見。 >>943
テレビで見たら、そんな構造はよくわからない。
あんまり関係ないのでは? 会場に直接行った人間なら分かるがあそこの天井は怖いくらいに高く古い構造もどことなく不気味な迫力
その前の新日本での初代タイガーとキッドの試合もそのせいか蔵前より迫力とスケールがあった 旧都体って客席を設営したとき、逆「すい台」みたいなリングを中心に四方になだらかに観客席が伸び上がっていくよな形状で
平面のいわゆるアリーナ席みたいなのが無くて、客の表情がテレビからも立体的に迫ってくる。
あと、写真でしか見たこと無いが、昭和41年の馬場対テーズのインター戦も整然と並びあがった観客の画が
結構印象的。 あの伝説の力道山とデストロイヤーの一戦も蔵前だったら印象は違ったろうし
その辺りの舞台効果を考えてか力道山も途中から蔵前より旧東体を多用するようになった感じだし >>931
ハンセンを引き抜かれて悔しがる新日原理主義者は試合前は
「1.28は猪木が築き上げたハンセンが死ぬ日」とか「ハンセンは猪木あっての男」、
また「馬場が殺される!」、「馬場、最期の日」w等の戦前の批評が多数あったので
全日ファンには溜飲が下がった記念日だった。
>>930
「馬場!復活!」と絶賛するファンとマスコミに対して「猪木の方がよほどいい試合をしている。
こういう時は次の週の視聴率は上がるけど上がらなかったでないか!」と新間は相変わらず
"新間口害"をまき散らしていたw 確かに視聴率は10%を割っていたはず・・・ 翌週放送は確か前日に行われたインタータッグ戦だったか >>950
あ、間違えてるわw 馬場のつもりなんだが昭和12(13か)年生まれだしな。。 82年当時の猪木も、かなり衰えてて
新間が言う程の面白い試合してなかったと思うんだが
前年のラッシャーとの2連戦なんか
木村のほうが強く見えたし、ブッチャー戦も凡戦だし
猪木も限界が見えてた時期 馬場の16文を揶揄してたけど自分の延髄は何だよって感じだったな ラフファイトとアジテーターに活路を見出だしていた感じかな 俺がプロレスを見始めたときには馬場はすでに置物と化していたから
ハンセンやブロディと張り合う馬場を見たかったなあ ロープ掴まないと立ち上がれない馬場のノーロープデスマッチが見たかったな ブルロープデスマッチみたいになったブルーザーとのPWF戦をフルで見たい >>912
確か週プロか何かに書いてたと思う。ハンセンがリング上で「ノーミュージック!」と
天龍に食ってかかり、試合後天龍が「手前の音楽がかからなかったぐらいで・・・」と
憤ってた、てな内容だったと思う。それまでも何となくギクシャク感はあったんだけど、
天龍が心機一転のつもりか「スタンと共にこれまで以上にやる」と英語で縫い取られた
新調のコスチュームを初めて着用したその日だったような事も確か書いてたように思う。
週プロじゃなくてファイトだったかもしれん。その辺は記憶が曖昧。 >>934
十六文が決まる前、ゴングが鳴るか鳴らないかぐらいで二人が同時に
ロープに飛んだ後、体当たり合戦がガチン!と決まったけど、もしあれが
ちょっとでもタイミングずれてしまってたらその後の展開もグダグダになってた
可能性もあったかも。あの出だしで決まったと思う。
S57年の馬場はハンセン戦、マイバンドCM出演、結婚発表が復活を印象付ける
三大出来事と自分の中で勝手に位置付けてるんだけどね。 >>961
昭和57年つうとまず超獣コンビ実現、社長が馬場から日テレ役員の松根氏へ
鶴田の黒タイツ化およびテーズバックドロップの伝承、大仁田の台頭等、
全日にとっても割とエポックな話題が多かったな。 馬場が社長でなかったこの時期が
全日にとって一番良かった時代 >>942
いつもと違う明らかにただならぬ雰囲気を演出してていい感じ。
2.4ハンセン戦は前年最強タッグ最終戦試合後の乱闘の馬場の怒りっぷりから
いつもなら鶴田や天龍やらとの抗争で引張るであろう慎重居士の馬場が早々
直々に対決ということで負ければいきなり後がない、
また猪木との比較で馬場はハンセン相手にどこまで出来んだやれんのか?
みたいな危機感と緊張感を試合前から敷いていった展開が最高すぎる 交流戦という言葉が死語となった現在。
馬場 vs ハンセン は超夢のカード。
今では想像できないほどの待ち遠しさとワクワクがあった。 ゆく年くる年の司会を82年にやっていたから馬場個人の商品価値が見直された年だね。 当時の馬場vsハンセンとはまさに対抗戦と格闘技戦を合わせたくらいのインパクト
後で匹敵できるのは川田vsオブライトくらいか >>968
その年のゆく年くる年の制作はフジだったな。 >>964
揚げ足をとって悪いが、鶴田がテーズからバックドロップの奥義を伝授されたのは翌年の春で、昭和57年はまだ見よう見真似の段階かと。
一応この年も春と暮れにテーズが来日しているから少しくらいコーチがあったのかもしれないが・・・
倉持アナの表現が「ルー・テーズばりのバックドロップ!」から「ルー・テーズ直伝のバックドロップ!」と変化したのが象徴的。 >>974
ナイスです
あの時代俺も同じ事してた
俺はタイガーの写真が何度かデラプロに掲載され自慢してました 日本人レスラー宿泊ホテルで馬場の写真撮ったら
目の前でフラッシュ焚くなって怒られた想い出 観戦してても一斉にフラッシュが光る時があったなぁ それこそ2階席とかからも
当時厨房だったけど 一眼に望遠でいい写真撮るヤツがいてそいつはヒーローだった 馬場って基本的に組織の長とかには
向いてなかったよね
人を引っ張っていったり、ファンに受ける事を
考えだす能力が欠落していたと思う おれもカメラ持って追いかけてたなあ。
馬場が葉巻くわえてるアップ写真は宝だな。 まあ時代的にも昭和50年代の頃はお手軽なバカ何とかカメラも随分、浸透してたからな。。w
>>978 絵やゴルフ、読書が好きで調和を重んじる馬場さんだもんな。。 デラプロに記念撮影載ったりほとんどジョークやスーパー写真塾で賞金貰ったりしたなぁ 俺は金銭にルーズでチャランポランな性格だが、猪木より馬場が好きだ。
友人はクソ真面目でしっかり者だが馬場より猪木が好きだった。
人間は自分とは反対の人に憧れるのかな。 だから調和を乱す猪木が許せない
猪木がいなければ計画通りにハワイで悠々自適だったろうに >>953
猪木vs.ハンセンの一連の試合との対比
流れるような試合展開では猪木戦の方が上、馬場戦は馬場にとってまさに死闘と感じだった
デラプロのファン投票で始めたベストバストでは猪木、アンドレ、馬場とハンセンは相手を
変えて3年連続で選ばれていた
時代はまさに不沈艦・スタンハンセンだった
ハンセンは「イノキは強いと思った事はないが・・・猫のように素早しこい!」と批評していた。 >>984
調和といっても
馬場本人に都合がいいだけの調和だから >>978
馬場は典型的な中小企業のオーナー社長だろ。
会社の成長より、自分の居場所と居心地を重視する。
世のオーナー社長なんて、自分の息子にも嫉妬して、疑心暗鬼になる奴は大勢いる。 馬場が自分の立場に自信を持てたのはようやく平成に入ってからだろうな
存在その物が絶対化してビクともしなくなっただけに 馬場ハンセンは、この先、全日で食べていくことを決心したハンセンが、馬場を引き立てた上手さの産物だな >>989
そんなひねくれた見方はもうええわ。
素直にいい試合だったと言えんのかねえ。 「最初のビッグマッチだからいい試合をしようとした」
でいいじゃんねえ 転職したら良い評価してもらおうと頑張るのは人として当然。 このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
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