ボブ・バックランドとは何だったのか [無断転載禁止]©2ch.net
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ボブバの時代にはいい子ちゃんキャラは通用しなくなってしまった バックランドとフレアーて試合したことあったかな?90年代WWFでいっしょになったよな
あとバックランドとサベージも見たことないなあ? >>202
チキンウィングフェイスロック1981年の暮れ辺りから使い始めたんだっけ?
この手のスタンディングスリーパー系の技は相手が苦しむ様が分かり易いからむしろ日本よりウケるらしいね
逆にジャンピングドライバーはアメリカではパイルドライバー自体がヒールの技というイメージが強いのと怪我のリスクの大きさを指摘されて80年後半ぐらいから使用頻度が減っていたような
>>202-203
その辺りの長所と短所はファンク道場同門の鶴田と被るんだよ
一つ一つの技はキレイだけど試合全体の組み立てや流れの構築は下手
客へのアピールやパフォーマンスも中途半端に大袈裟で何処かセンスがズれているのも一緒
>>205
有名なのは82年7月4日のNWAーWWFダブルタイトルマッチかな バックランドは90年代にWWFに復帰して、最初ベビーだったがヒールのミスターバックランドに
なった そのころWWFはオールアメリカン・レックスルガーの売り出しに躍起になってたが、バック
ランドがルガーと戦って、ルガーの二―リフトに大きくぶっ飛ばされてる姿を見て泣きそうになった
まぁ星条旗コスチュームに筋肉モリモリ金髪のルガーは見るからに派手で強そうで、なんとなく
貧弱になってしまったこのころのバックランドと比べても仕方ないかもしれんが、バックランドだって
ニューヨークの若き帝王とか言われてたころからまだ10年くらいしかたってなかったんだよこのころ
たった10年ほどでハツラツさが全然なくなってルガーふぜいの噛ませ犬やるなんて!試合は誰だったか
が乱入してきてそれに気をとられたルガーの隙を突いたバックランドがチキンウィング決めて勝ったんだけど
天下のバックランドがそんなセコイ勝ち方するようになったんか、と唖然としたわ ビンスシニアとジュニア、両方の時代でWWF世界王者なったのてバックランドだけじゃない? ボブバが王者時代に先代が亡くなったかあらね。
息子の政権になってすぐに王者から引き摺り下ろされた。
そして長い長いハルホの時代へと突入。 >>211
バックランドが王座陥落時にはシニアはまだ生きてたわ。
シニアは翌年のIWGPに来日後の次の訪問先で亡くなった。 あ、そうだったか。
呪われたIWGP
第一回はフラタ死去
第二回に先代ビンマ死去
第三回はヨシワ死去
毎年開催前にシンニプロレ関係者が亡くなってたという
しかもリングでも第一回はアノキがハルホにまさかの失神敗北
第二回はアノキとハルホの決着戦にチョリキが乱入でクラマ大暴動。 ちなみに第三回にはボブバも参加してんだよね。
ワカマと仲間割れしたスパマと好試合をしたり。
アンジャ、ディクマ、アドア、キンバ粒揃いだった。
ボブバはリーグ戦には入らず特別参加だったが。
ディクマとボブバの対決なんて見たかったが。
あとアノキ、ボブバ×ブルブ、ジミスも見たかった。
ブルブとボブバも対戦は記憶にないな。 ボブバとか言ってるニワカに語ってほしくないなぁ
絶対にその言い方は流行らないし聞いたことも無い
バックランドといえば一人しか居ないがボブバとか言われても
ピンとこないどころか解ってないやつに思われるだけ ジミー・バックランドはかつてのFMWの常連外人で
WWAじゃなくてAWA世界ライトヘビーな。 後のジミーデルレイだね。大仁田の女に手を出して逆鱗に触れ、来日が途切れたという。 かなりの変人で、空港で猪木とばったり会った時も
あいさつもせずに奇声を発しながら逃げて行ったって
デラプロに書いてたな ボブバもアマレでそれなりの実績あったからプロレを舐めていた節があったらしい。
先代ビンマに気に入られて長年ベルトは巻かせて貰えたが。
でも現代ビンマになってから負かせて貰ってからベルトとは無縁に。
現代ビンマはボブバよりハルホと。
結果的にハルホを全面的に売り出したのは功を制したが。
ステロ問題等も浮き彫りにはなったけども。 バックランドをグリーンの髪にしてパンク系ヒールにする計画があったな。
息子ビンズの発案で。
しかしバックランドが拒否してWWF離脱に。 >>222
変わり者とか通り越してね?
ドラッグでもやってたんじゃないの
当時のニューヨークだし 別冊ゴング80年6月号にバックランドはコーキー婦人同伴で来日。
かなりの美女で。
記事には美男美女と書かれていた。
このコーキー婦人はバックランドとローデスの試合を観戦。
ローデスの意外なラフ攻撃でバックランド大流血。
それを見てコーキー婦人は泣いていた、と雑誌に書いてあった。
またアンドレの試合では試合後に暴れるアンドレに驚いて控え室まで逃げてしまったとも。 アマレス王者って上手いっちゃ上手いけど(プロレス的にじゃなくレスリング的に)
人気は出ない感じ
カートアングルとかブロックレスナーもそうだし
実力派よりも演技派なのかな?特にアメリカだと。 アマレスの強豪出身のプロレスラーって、最後キワモノになっちゃう気がする
ラシクやバション ミッシングリングてのもいたなあ
日本だと本田多聞か アマレスの法皇とかいわれたほどの強豪が
髪ザンバラで「フギャ〜」だもんな プロレス的な魅せる戦い方が出来ないから、
一っ跳びにキワモノになってしまうんだろうな >>228
現役末期のボブ・ループはマハ・シンって怪奇レスラーになってたね 練習熱心で真面目でいい人が日米問わず対戦した人からの選手評
建設会社経営したり実社会でも生きていける、フツーにいい人なんだろうね キワモノではないが長州にしても知らん人が見ると
アマレス出身だと思わんみたいだしね
長髪で得意技がラリアットとストンピングとサソリ固めだもの この前テレ朝チャンネルでバックランドvsシンやっていたけど
あんまり面白くなかった。 >>228
矢野や平澤(キャプテン・ニュージャパン)もだな。 バックランドの凄い所は、自らが持つWWFのタイトルも賭けたダブルタイトル戦を率先して行った事だね。
ニック(ボックウィンクル)の持つAWAと、ハリー・レイスの持つNWAと、更には猪木の持つ
NWFやザ・シークの持つUS選手権にも挑戦した。結局奪えたのはUSだけだったけど
これらのカードを見ると、当時如何にボブが本気で世界に散らばるタイトルを統一しようとしたか良く分かる。
後夢の対決と言う点では、ミズーリ州王者だった時代に実現した、テリー(ファンク)とのNWA戦も見逃せないね。 >>236
プロレをガチンの見方したらそうなるな。
まあプロレはガチン勝負じゃないから。
ボブバもプロレをもっと理解しとれば幅が広がったと。
ハルホはプロレを理解しとった。 この頃のチャンピオンは60分闘える体力の持ち主
3本勝負だったりするけど 74年に全日に来たときは身体も華奢で試合はど塩だったけど、78年にマジソンのチャンプになって猪木とやった時はステで身体もデカくなって、それなりのレスラーにはなってたな >>222
俺もその記事読んだ記憶があるけど、奇声を発したってよりケラケラ笑っただけで挨拶もしなかったんじゃなかったっけ? ボブバはやっぱアノキしかいないだろう。
ボブバにもっとプロレ脳があっちゃればブレイクしたと思う。
シンニプロレのテリファにもなれたはず。
ダスロがそういう立場だったっちゅうか目指した。
しかしダスロもボブバもテリファと比べると落ちる。
ボブバは頭が固かった。
変なプライドがプロレ選手としての幅を狭めた。
ボブバの名勝負っちゅうかまあまあの試合はアノキ以外はないかんな。
エムエタグリでもアノキと組んだから目立てた。 >>228
最後まで正統派だったのはジャック・ブリスコとミスター・レスリングくらいかな >>222
>>240
俺もその記事の記憶のせいで今でも
彼のことを奇人・変わり者という印象がにぐえなくなった。 確か81年頃の月プロかデラプにあったな。
写真付きで。
どっかの空港でアノキとボブバがバッタリ。
アノキが笑顔で挨拶しようとした。
それは普通の行為。
するとボブバは奇声を上げて笑いながら逃げていったと。
ボブバ頭はぶっ壊れてる、と書いてあったな。
あと別ゴンにボブバの奥さんが。
夫婦同伴で来日。
80年エムエシリーズ。
奥さん綺麗な人だったな。 バックランドはやはり猪木との試合が名勝負だね。
あとは藤波との試合か。
王者だったから基本的にキレイな試合が中心だったみたい。
ハンセンやホーガンとは名勝負とまではいかない。 アトミックドロップは出してたけど
バックドロップは出してなかった印象
やれば良かったのに
鶴田とかぶりそうだけどWWFや新日なら
主戦場違うから気にしなくていいでしょ 船木に後ろからめちゃめちゃエルボーされてたよな(笑) ボブバは蹴りには対応できなかったな。
ユダブ上がった時のフナマサやタカノブとの試合でそう思った。
ボブバとマエアの試合は見たかったが、同じ展開だろう。
マエアの蹴りにボブバが対応できずサンドバ状態に。
ボブバもフジナみたいにサンドバ状態。
マエアのニルキで流血とシンニプロレと同様になるかも。
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JL2IM ボブバが84年にゼンニプロレ上がったらどうだったか? ランカシャー・レスリングとも違うが、レスリング巧者。
ああいう選手、もう出てこないかな? ボブバはもっとプロレが好きなら違ったかも。
テリファやダスロみたいに。
やっぱり過去のレスリ実績があったからプロレにのめり込めなく。
アノキと組んでた時にゃアノキに気を遣いすぎ。
試合中にもどうすればいいか常にアノキの顔を見たり。 アノキと組んだ外人、ハルホやダスロは好きにやっていた。
でもボブバは違った。
ディクマはアノキと組んでアイダブタグタイト挑戦してんだな。
熱戦スレで気付いた。
30年前の今頃だ。
すっかり忘れてか。 なんで新生なんて出たんだろうな。
打撃は出来なくても、グランドで封じ込めるとか少しでも強さの片鱗を見せれれば良かったのに。
めちゃめちゃ弱いのがわかっちゃったよな(笑) ボブバは蹴りの対処やディヘェンスできなかったな。
タカノブやフナマサのサンドバック状態。
そもそも何でボブバがユダブ上がったのかわからん。
後々にはバンベイやバドアもユーイン上がったが。
彼等は蹴りに対処できない、とのイメージはなかった。
フジナもマエアからサンドバック状態だったし。
アノキも真正面から受けたらサンドバック状態だっただろう。
だからアノキはマエアを避けた部分もあったのでは? ボブ・バックランドはガチなら当時最強の一人だが
ショーとしては、でくの坊のハルクホーガンをメインにしたほうが見栄えがすると考えたのは致し方ない。
要はアメリカのほとんどの一般市民は、格闘の競技大会を金出して見たいわけじゃなく、
イベントとしてのショーを楽しみたいからね。 ボブバがタンソっちゅうのは有名だったな。
ダブエ王者だから重宝されたが。
しかしボブバが無冠になったら確かに物足りない。
ユダブでタカノブやフナマサからサンドバ状態にされたのが現状。
日本ではアノキといい試合やったくらいだろ。
ボブバ自身に相手を引き出して持ち味発揮させる術がなかった。
見映え等でハルホが重宝されたのも当然。
ハルホはアメリでダブエを全土に広めた。
また自身もアメリ全土で名前が浸透して。
強さっちゅうかレスリ技術ではボブバが上。
しかし人気等ではハルホが遥かに上。
日本でもアメリでも。 チームフルスイングいい加減にしろ!
利権にも程があるぞ! 50歳から17年も来日しなかったのか
50代なら動けてたのに
もったいないな 「私はこの世界で初めて『サイエンティック・レスラー(科学的なレスラー)』と呼ばれたんです。
その意味するところはアマチュア・レスリングのバックグラウンドがあり、それを全面的に売り出したからです。
私はミネソタ大学時代に全米学生チャンピオンになり、そのアマレスの技術をそのままプロレスの世界に持ち込んだのです。
今日ではカート・アングルやブロック・レスナーなど輝かしいアマレスの経歴をひっさげたレスラーがプロの世界でメインを張っていますが、
私がデビューした1970年代当時はまだそれほどアマレス出身は多くありませんでした。」 バックランドだけはガチという伝説の一つ。
21世紀に入ってからだけど、TNAというアメリカの団体で
合間に挟む映像として、練習してるバックランドをスタッフが撮ることになったのだが…。
台座の登り降りを繰り返し汗を流すバックランドを撮ろうとなって
ふつうこんな時は時間もないし、霧吹きで汗に見せかけて、いかにも練習を長くやってたという風に誤魔化して撮るんだけど、
バックランドは「ちょっと待っててくれ」と、じっさいに30分台座の登り降りをやって汗をびっしょりかいたところで、
「さあ撮ってくれ」
バックランドだけはガチなのであるw
だから変人だといわれる。 バックランドが来日して長州と藤波と組んで試合したな。
サンマルチノ追悼の意味合いもあっての来日か?
でもさすがにバックランドは体も落ちて歳を取ったな。 昭和ファンのバックランドの思い出。
グラハムを高角度アトミックで降して王座奪取(その前にマスカラスとグラハムのWWWF戦で遺恨があった)。
童顔なのに野太い声。猪木と腕や足の取り合いで「ア゛〜ア゛〜〜」
ぴょこんと飛び出たでん部(お尻)。
何故かロングガウンが似合ってた(WWF王者っつう先入観があったからかな)。
プロレスアルバム(恒文社)NO9。
奇行癖があってインタビュー中にいきなり「キャッキャ!」って奇声あげてどっか行ってしまうんだって。。
発達障害持ち? 新生に出たとき間を置いた純プロレス的な動きをして船木にボコボコにされてたよな。
前田が相手してとどめさしときゃよかったのに。 真夜中のハーリーアンドレイスに出てたな
話はあんまり面白くないな
終始真面目な人なんだなぁ
ケンドーナガサキの時と大違い バックランドの、WWE殿堂入りの際の発言
「私はMMAの選手とも道場でやるが、一度もバックをとられたことがないのが自慢」 先日の後楽園大会でバックランドからサインを書いて頂きました。
子供の頃のヒーローだったので嬉しい!!
ドリーの『引退試合』よりはかなり動けてた印象でした。
それにしても、バックランドにはUWFスタイルは水と油だったと思います。
あのスタイルに付き合わされて潰されてしまったのは残念でした。 >>271
サイエンティックじゃなくてサイエンティフィックだね。
サイエンティフィックレスラーといえばバックランドよりも前に世界チャンピオンのブリスコががそう呼ばれてたと思うけど。
実際にバックランドよりも上手く綺麗にレスリングをプロレスに活かしてたしね。 昔、猪木とタッグ組んでいた時はカッコいいな〜と思っていた。 外人選手=技少ない、ラフプレー主体 といった概念を取っ払ってくれた 先月の後楽園
バックランドもさすがに年を取ったなあ。
昔は童顔で年を取らなかったのに。 チャンピオンとしては長期政権であるが
人気なくはないけど、もっと人気ある奴がいる。
あれ?こういうの今の新日にも・・・ 全日本の常連になってたらどういう感じだったんだろう? >>291
ブッチャー(シン)にオーバーアクションで一方的にやられまくってテリーが救出。
バックランド? そういえばいたな・・・って存在じゃね 鶴田やハンセンと同期だっけ?
リアルタイムじゃ知らんけど尻が突き出た印象 バックランドとブッチャーの対決は見たかった。
ブラボーとブッチャーの試合みたいになるかも。
いい意味で。
ただバックランドはチャンプだったからか、テリーやローデスみたいにはなれなかった。
華はあったんだが。 そりゃニューヨークの帝王だからな
テリトリーは狭くても
セントルイスの帝王やミネアポリスの帝王じゃ締まらないから
誰もそう呼ばないけど、NY&MSGは別格の地位 オードリー若林を見るとバックランドを思い出す奴らも多い。 高田の2回目の対戦で完敗したときの週プロの見出しが
これでハッキリした!
もはやバックランドは高田の敵ではない!
だった覚えがある 確かそんな見出しあったね。
Uの蹴りのスタイルに対応できなかったからなあ。
サンドバック状態に。 新生U参戦にあたって、前田vs藤波のVを見たバックランドが前田との対戦を拒否ったので
高田とやることになったんだよね。
かつてニューヨークの帝王と呼ばれた男が、猪木の付き人をやってたヤングボーイにボコボコにされたのはショックだったな。 ttps://www.excite.co.jp/News/sports_g/20140603/Weeklyjn_5828.html?_p=2
「でもU系に出場するようになってからは、もっと悲惨でしたよ。
船木優治(現・誠勝)にミサイルキックを食らってなぜか反則勝ちの裁定を受けたり、
Uインターでの高田延彦戦では金的への蹴りで秒殺されたり…」(プロレス誌記者)
いずれもバックランドのかつての名声を利用して日本人選手の格上げを図り、
なおかつ不透明決着とすることでバックランド自身の商品価値は落とさずに使い続けようという、
フロント側の意図が透けて見えるようではないか。
U系に参戦していたころは時代状況も悪かった。
「UWFではゴッチ直伝の関節技こそが最上の価値とされ、また見栄えの良さから打撃が重視されていました。
そんなふうだからバックランドの本来持ち合わせたレスリングテクニックは評価の対象外。
地味な中堅選手にすぎなかったころの安生洋二にすら、打撃で圧倒されるような試合をさせられていましたからね。
だけど、後に総合格闘技でタックルなどが最重要視されるようになったことから考えれば、
本来“何でもあり”ならバックランドは相当に強かったハズです。
少なくともUWF勢に不覚を取るレベルではなかったでしょう」(同・記者) 親父が80年頃ニューヨークで板前やってて、マジソン前で黒人のダフ屋から30ドルでチケット買ったら、
マジソン地下でやってたクローズドサーキットのものでがっかりしたらしい。
んで終わって帰ろうとしたら、マジソン前でバックランドが人だかりの中でサインしてて、手帳に貰ってきた。
猪木と互角の強豪だったからうれしかったなぁ。今でも押し入れのどっかにあるはず。 バックランドはキックに対応できなかったからなあ。
でも当時のレスラーでキックに対応できるのってまずいないだろう。
何とか対応できるのは空手やキックボクシング出身のレスラーくらいか。
でもそういう連中だとU系のキックが偽物とバレてしまう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています