ボブ・バックランドとは何だったのか [無断転載禁止]©2ch.net
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>>4 松村がバウバウ言ってたのってバックランドの事だったの? バックランドのあの声、バウバウなの?
ワォワォかと思っていた。 >>15
その後の船木戦の反則勝ち以来日本に来てないような >>16
91年のUインターに2回来た(札幌と大阪)
2回とも高田戦
あと94年頃にWARにも来てた気がする >>5
本来ならパイパーやスヌーカやサンタナあたりと同格なんだよな。 >>16-17
94年WWFのマニアツアーにも来ている
なんと青柳館長にフォール負け(首固めだけど)
あと99年にはバトラーツの両国、石川雄規の卍固めでギブアップ…さすがに怒りさえ覚えたわ
最後の来日は2001年10月新日本ドーム
藤波&バックランド対ファンクス戦じゃないかな この人結構負けるよ。お笑いキャラのギルバーグに負けてる動画を見た >>22
素人がリングに上がったらバックランドは必ずヘッドロックでタップさせたって話? 昭和53年に来日して猪木と2連戦した、あのバックランドが凄く魅力的に見えたのは何故だったのだろう。
上背あって筋肉美
寝技強者
善人顔
こんなとこか 1・2の三四郎で、三四郎が紹介した床屋に志乃が行き
店の親父が猪木vsバックランドに夢中で変な髪形にされるエピソードがあった バックランドは本国では身長185cmだったみたいだな。
新日ではそこそこの体格だけど全日だったら小柄だな、
実際に来てたけど。
https://pbs.twimg.com/media/Bk8NreLCAAAQ5Xf.jpg >>23
レストランでずっとチャンピオンベルトを付けていたエピソード(笑) 猪木プロレスのファンだった俺はホーガンなんかよりずっと好きだったけどな。
藤波の高く厚い壁にも最適だったし。
ハンセンがいなくなったので仕方がなかったんだろうけど、バックランドとかを差し置いて(WWF王者だったから制約があったんだろうが)ホーガンなんかを新日トップ外人に置いたあたりから猪木離れしたわ。
俺らでも勝てそうな高田に寝た時なんかはプロレス自体にも嫌気が差したな。 >>34
猪木が現役時代は移動はなかったことになってたな。
WWE殿堂入りした今は入ってるのか? 90年代末にバトラーツに来て早々に鼻血出して棄権した試合あったよな ttp://wjn.jp/article/detail/2027812/
「UWFではゴッチ直伝の関節技こそが最上の価値とされ、また見栄えの良さから打撃が重視されていました。
そんなふうだからバックランドの本来持ち合わせたレスリングテクニックは評価の対象外。
地味な中堅選手にすぎなかったころの安生洋二にすら、打撃で圧倒されるような試合を
させられていましたからね。だけど、後に総合格闘技でタックルなどが
最重要視されるようになったことから考えれば、本来“何でもあり”なら
バックランドは相当に強かったハズです。
少なくともUWF勢に不覚を取るレベルではなかったでしょう」(同・記者) ゴッチさんいわく
バックランドはグッドスポーツマン ボブで黒人じゃないのはボブバックランドだけ!って友達が豪語してた ゴッチって長州にも勝てないんじゃ
バックランドにはまるっきり歯が立たないんじゃねえの
服部「・・・長州って凄い強かったじゃん。
アマレスじゃ、ゴッチなんか全くかなわなかったよ。
ひっくり返したりするのは長州の方が強かった。
でも、バーンと踏んづけたり、ケツの穴にパーっと
指を突っ込んだり、そういうのは、やっぱりゴッチは強かったと思うよ。
でも、まあ、ゴッチは古いレスリングだからなあ」 >>28 鶴田、カウカウの派手なジャケットの奴に似てるww 当時の大統領に風貌が似ていたレスラーをトップに立てたんじゃない >>42
長州の稼ぎをあてにして
金魚のフンみたいについてきた
服部のいう事なんか信じられるか >>37
この記事ビンスとビンス父の区別ついてねーじゃん
いい加減だなあ
まあでも長年WWFを支えたチャンピオンの割には扱いが悪いと思う >>42
その時点でゴッチは50過ぎ
対する長州はプロ転向したてのアマレスなら全盛期
そりゃねぇ… 正統派ベビーフェイスで売りだしたが
世間は糞面白くもねえ存在と受け止めた Uインターに上がって弱いのがバレてしまったレスラー グーニーズ出てなかったっけ?アイアンシークやアンドレは覚えてるが。 >>58
シンディローパーのやつならバックランド出てないと思う グッドコンディションを保てていた最後の来日が
Uインターで高田に敗れた試合と言われている 2:10-2:20 にバックランドが
In the Land of Merry Misfits (2007)
https://m.youtube.com/watch?v=rrO521nAzdk グラハムを高々と持ち上げてアトミックドロップをぶちかまして王座に就いた試合?、
ありゃ完全にロープが脚にかかってるw
まあでも、超新星の名の如くいきなり米国三大王座の一角を戴冠したにも関わらず、
直後の来日でも猪木と互角以上に渡り合ってたのはやっぱ凄いよ。その後数年の
親日豪華外人時代に華を添えてた頃がピークか。それ以降はなんか「若年寄」みたいな感じに
なっちゃったな・・ ボブバックランドは中途半端だったな。
ダスティローデス同様で会場人気は凄かった。
でも興行を支える存在ではなかった。
ボブバックランドで客を呼んでたわけでもなく。
ワールドレスリングフェデレーション世界ヘビー級王者の肩書きで重宝されていたが。
しかし無冠になるとただのいち外国人プロレスラーに。
IWGPヘビー級タイトルに挑戦もなく。
あとは全日本プロレスリングから移籍したアブドラーザブッチャーとの試合は見たかった。
アブドラーザブッチャーとディノブラボーみたいな試合になりそう。
大流血したボブバックランドがアブドラーザブッチャーをアトミックドロップで抱え上げるのが見せ場。
ボブバックランドもIWGPにはワールドレスリングフェデレーション世界ヘビー級王者として参加候補に。
最初のIWGP開催の企画段階では。
でもボブバックランドもダスティローデスと同じ様な時期にあまり来日しなくなった。
やはりハルクホーガン人気が起こったから必要なくなったか。
ワールドレスリングフェデレーション世界ヘビー級王者だから頻繁に呼べないのもわかる。
無冠になってからも数えるほどしか来日せず。
いち外国人プロレスラーとして魅力はなかったのだろう。 >>66
釣りかもしれんがロビン・マスクのモデルはビル・ロビンソンだぞ
ロビンソンの実像は英国紳士なんて程遠い
どっちかと言うと悪魔超人系の人物だったらしいが >>65
インターナショナルレスリンググランドプリックスとは言わないのか? >>64
身体固かったんかな?
コブラツイストみたいだったw レスリング出身だけどスープレックスは下手だよな
あの放り投げるダブルアームも、若い時に鶴田を投げた動画があるけど、ブリッジで鶴田の巨体支えきれなくて首から落としちゃったんだよな
だから勢いとパワーで放り投げるあんな投げ方になったんだろ ボブバックランドは見た目の童顔とは裏腹にダミ声だった。
容姿と声のギャップが凄かった。
テリーファンクも意外にダミ声。
見た目がゴツくて風貌やガタイからダミ声っぽいタイガージェットシンとアブドラーザブッチャー。
しかしこの二人はこれまた意外にも甲高い声。
まあボブバックランドとアンドレザジャイアントの日本での対決はNGだったらしいな。
1980年MSGタッグリーグ戦の公式戦もノーテレビ。
これは先代ビンズマクマホンの依頼だったと記事で読んだ。
新日本プロレスリングとしてはこの公式戦は放送予定にしていたと。
しかしビンズマクマホンからの依頼でこのカード自体をノーテレビの地方で敢えて組んだ、
ボブバックランドとアンドレザジャイアントの対決シーンがアメリカに伝わるとまずかったみたいで。
ボブバックランドもワールドレスリングフェデレーション世界ヘビー級王者っちゅう事でゲストだった。
シリーズ全戦参加はまず無理。
特別参加ばかり。
全日本プロレスリングもナショナルレスリングアシエーション世界ヘビー級王者は常に特別参加ばかり。
ハーリーレイスやリックフレアー。
ハーリーレイスは無冠になってから世界最強タッグ決定リーグ戦にも頻繁に参加する様になったが。 50年に全日に来日した時とWWWFチャンプになって来日した53年とは明らかに体型が変わってたな
ニューヨークじゃマッチョじゃなきゃ受けないから(ボブはマッチョじゃないけど)ステは必須か >>66
>>67
テリーマンの義足を作成したバックランド爺という人(超人か人間かは不明)が出てる ボブバックランドは小柄王者と言われていたが、日本人プロレスラーに混じると大きい。
アントニオ猪木とも殆ど身長が変わらず。
スタンハンセン、ハルクホーガン、ダスティローデスと比べたらさすがに細くは見えたが。
でも言われるほどレスリングは上手くない。
雑誌等だと過大評価。
それとあのスタイルでよくワールドレスリングフェデレーション世界ヘビー級王者を何年も続け(させて貰え)た。
ボブバックランドとアブドラーザブッチャーのシングルマッチは見たかったなあ。
しかしボブバックランドはベビーフェイスでもリングを降りたらルーズの極み。
取材時間にも普通に遅れてきたらしい。
自分は世界王者という驕りと本来のルーズな性格から。
ミルマスカラスもリングを降りたら傲慢で驕り高ぶりの極みだったみたいだし。
やっぱりリング上のベビーフェイスはリングを降りたら問題があるんだな。
素行、人間性、考え方等。
むしろタイガージェットシンやアブドラーザブッチャーの方が普通に常識人。
フレッドブラッシーも常識人だった。
ハルクホーガンは世界王者になってから天狗に変貌。
人間は金や地位を得ると変わるんだな。 プロレス記者が書いてたけど、バックランドへのインタビューで
(シンだったかな?)「相手が反則攻撃を仕掛けて来たらどうしますか?」
と問うと、「怒る!」と答えたというのがあったな。
記者としては「フッ、こちらもラフ攻撃は厭わないぜ!」くらいは
言ってくれると思って振ったのに(/_・)
あまりに真面目なんだな。 ボブバックランドとタイガージェットシンは1979年12月に大阪府立体育会館でシングルマッチやった。
最後はニコリボルコフがチェーンを持って乱入。
その直後に坂口征二も乱入してチェーンを奪ってタイガージェットシンを攻撃。
ボブバックランドがタイガージェットシンを羽交い締めにして坂口征二がチェーンで一撃。
タイガージェットシンにチェーン?
これは最終戦の蔵前国技館で坂口征二とタイガージェットシンのチェーンデスマッチが決まっていた。
それでタイガージェットシンはサーベル意外でもチェーンも持っていた。
そしてその翌年は同じく大阪府立体育会館でタイガージェットシンとダスティローデスのシングルマッチ。
この試合前にデラックスプロレスにてボブバックランドとダスティローデスのインタビューがあった。
そこでボブバックランドは『去年の12月にこの会場でタイガージェットシンと戦った』
『あんな狂った男はアメリカでも見た事がない』
『タイガージェットシンは本当に危険な男だから君も今日は気を付けてくれ』
というコメントを。
ダスティローデスは『タイガージェットシン?そんな奴は知らねえよ』
『誰であろうとこの俺様に下手な真似したら10倍で返してやる』
でもダスティローデスはタイガージェットシンに血だるまにされたが。 >>76
スボーツの小柄というのは身長は指さず体重のことだろね。
WWWF王者でもサンマルチノやモラレスはバックラウドよりため低いけどバックランドが小さいと言われたのだから。
大相撲でも北の湖より背の高い貴ノ花や千代の富士が小兵と言われたのと同じだね。
バックランドと同じくらいの長身でも体重がより軽い猪木が外人から小さいと言われるのも同じ。 >>77
あれシンだったっけ?
UWFに上がるときに「キックの対策は?」みたいな質問されて
「怒る!」て答えたんじゃなかったかな。
あとアトミックドロップが完璧に決まると相手をKO出来る、とも。 79年頃からの日本のプロレスマスコミのバックランド推しは凄かった。
他の2大王者レイスとニックがダーティ王者に徹して綱渡り防衛を繰り返してたのが幸いしてバックランドはアマレス出身のテクニシャンでパワーファイトにも長けた最強のレスラーのように毎度賛美されていた。 ボブバックランドはパワーファイター枠だった。
でもスタンハンセンやハルクホーガンとの試合では明かにパワーで劣っていた。
スタンハンセンとは突進力で劣り、ハルクホーガンとは腕力で劣って。
特に1980年代初等はスタンハンセンタイプのパワーファイターが主流になり始めた。
特に日本では。
その為にボブバックランドやザファンクス、ニックボックウインクル等のテクニシャンタイプも時代遅れに。
またタイガージェットシンやアブドラーザブッチャーみたいな極悪ヒールも減っていった。
時代はスタンハンセン ハルクホーガン ブルーザーブロディ等パワーファイター主流になって。
ボブバックランドは先代ビンズマクマホンから気に入られていた。
それで長年ワールドレスリングフェデレーション世界ヘビー級王者に君臨できた。
しかし時代はボブバックランドではなくハルクホーガンを求めていた。
息子ビンズマクマホン政権になるとボブバックランドは王者から下ろされた。
そして時代に沿ってハルクホーガン時代が到来。
でもボブバックランドはワールドレスリングフェデレーション世界ヘビー級タイトルを5年も保持。
先代ビンズマクマホンから相当認められていたのだろう。 新間寿はボブバックランドを新日本プロレスリングのテリーファンクにしたかったらしい。
でもボブバックランドはワールドレスリングフェデレーション世界王者だから頻繁には来日できない。
そこでダスティローデスを新日本プロレスリングのテリーファンクにしようと。
容姿や体型は異なるが、大流血ファイトはテリーファンクと被る。
実際にタイガージェットシンやスタンハンセンとの試合ではダスティローデスもテリーファンク並みにやられた。
でもダスティローデスもアメリカでは多忙で頻繁には来日できない。
新間寿は全日本プロレスリングのテリーファンクの姿を見て、新日本プロレスリングにも必要だと感じた。
アントニオ猪木はあくまで新日本プロレスリングの顔。
テリーファンク的な役割はやはりベビーフェイスの外国人レスラーじゃないと。
結果的にハルクホーガンが新日本プロレスリングのテリーファンク的な存在に。
ハルクホーガンの日本陣営=ベビーフェイスは新間寿の案らしい。
アントニオ猪木欠場中シリーズを狙って。
それでその敵役としてアブドラーザブッチャーを呼んで。
アンドレザジャイアントでも良かったと思うが。
まあアブドラーザブッチャーもそういうハルクホーガンの敵役は適役だったな。 1982年にハルクホーガンが大ブレイクしてからはボブバックランドやダスティローデスは来日が減った。
それまでは新日本プロレスリングの常連外国人だったのに。
1983年は二人とも一度も来日せず。
ハルクホーガンや長州力大ブレイクでボブバックランドやダスティローデスは必要なくなった。
お払い箱に。
高いギャラ払って呼ぶ価値がなくなったのだろう。
高ギャラナンバー1のダスティローデス、ボブバックランドだって安くなかったはず。
この頃のハルクホーガンはまだ二人よりは安かったと思う。
※後々には高ギャラになったわけだが。
またこの頃の長州力はそこまで高ギャラではなく。
長州力は日本人だし。
※ここでは韓国人はなし。
でもボブバックランドはまだ色々と使えたと思う。
ダスティローデスも。
プロレスリングは華やかな外国人レスラーがいて盛り上がる。
新間寿もミスター高橋も言うていたが。
ボブバックランドとアブドラーザブッチャーやボブバックランドとディックマードック。
他にもアンドレザジャイアントとダスティローデスの本格タッグチームとかも。
ここにハルクホーガンを加えて。 >>67
みたいだね。実際のロビンソンはブラックな人物だったと聞いて軽くショックを受けたよ。 ボブバックランドは見映えは良かったが、強いとは思わなかったなあ。
ボブバックランドは強いと過大評価された記事が多かったが。
レスリング出身っちゅうても特別レスリングの動きが長けていた様にも見えず。
あとは華はあった。
同時期の新日本プロレスリングの常連だったダスティローデスも華はあった。
でもボブバックランドは華があっても物足りなく、ダスティローデスは華があってもふざけてた。
ハルクホーガンは華もあって魅力を感じた。
スタンハンセンやブルーザーブロディやアンドレザジャイアントみたいな圧倒的強さは感じなかったが。
ボブバックランドはアントニオ猪木と組んだからまだ使い勝手があった。
リング上ではベビーフェイスでもリングを降りたらルーズ。
取材時間は守らないわで。
そう言えばザファンクスも時間にはルーズだったらしい。
悪気はなくそれが彼等の日常的な事で。
ザファンクスには時間は関係ない、っちゅう記者間の言葉まであって。
テリーファンクはわかるが、ドリーファンクジュニアもそうだったのは意外。
ドリーファンクジュニアはそういう面はしっかりしてそうだし。 ボブバックランドはスター性はあったと思うが。
外見的には。
ただ試合自体が塩だったなあ。
ボブバックランドがWWF世界ヘビー級王者だったという事もあり過大評価で。
またボブバックランドもプライドが高くてプロレスラーに徹せられなかった部分もあったのかも。
レスリングレベルはオリンピック級とも言われて。
実際にどうかはわからない。
ボブバックランドがテリーファンクを吸収すれば大ブレイクしたかも。
まあテリーファンクは日本受けしたわけだが。
むしろダスティローデスがテリーファンクを吸収していた。
吸収していたっちゅうより日本受けを理解したのだろう。
しかしダスティローデスもスタイルというかスタンスが変わってからは人気が落ちた。
ハルクホーガンがそれを覚えて大ブレイク。
やっぱり日本なら日本受けを熟知すれば人気が得られる。
もちろん本人次第でもあるが。
またその時代や運も左右する。
アブドラーザブッチャー タイガージェットシン スタンハンセンはそれを熟知していた。
テリーファンクやミルマスカラスも。
それを意識しなくても受けたのはアンドレザジャイアントくらいだろう。
アンドレザジャイアントはその存在だけで十分。
日本だけでなく世界各国で。 ドリーファンクが科学的レスリングの達人と言われても
見た目 弱く見えたのに
バックランドは、筋肉ムキムキで、説得力あった。 >>71
あれはMSGのような大会場の最後部まで「人並み外れた怪力で大技をやってるんですよ」と
客にわかりやすく見せつけるのと相手に無用なダメージを負わせないためのプロレス流ムーブ
アマレスAAU王者がブリッジ出来ない・スープレックス下手なはずないだろ
純競技であるアマレスのTOPクラスを何だと思ってるんだ?
もしかして未だにロビンソンの初期やボックの低く速いスープレックスが“本物”で
ドリーに端を発するアメプロスタイルの大きくゆっくり持ち上げて途中でクラッチ外して放り投げるのは
“偽物”“下手くそ”とか本気で思ってる人? >>92
いやいやバクランドはスープレックス下手くそだぞ
その証拠にツベに1975年に全日本に来日して
ボブループと組んでタッグで馬場鶴田組と対戦した動画探してみ
鶴田をダブルアームで投げようとしたけど、巨体を支えきれなくて途中で首から落としちゃった
下手したら鶴田は大ケガしてたよ
あれ以来かバックランドのダブルアームスープレックスは力任せに勢いで相手をポーンと放り投げる独特なやつに変わったんだよ
元々アメリカカレッジレスリングのフリースタイルは得意でもグレコのスープレックスは得意じゃないんたろ >>91
初来日の時はアマレスの猛者とは思えない、ひ弱な体型してたよ
ニューヨークじゃマッチョじゃなきゃ受けないからステで鳩胸出っ尻体型にしたんだろ そもそもグレコはまだしも、フリーってスープレックスを使う競技か? >>94
ネックブリーカーの受身(笑)
馬場がキレ気味だな >>94
こんな塩でよくニューヨークの帝王になれたな ビンスシニアの夢
自分の生きている内にこういう正統派の王者を持ちたいという >>94
ほんとにアマレスやってたんか?ってなダブルアームだな。
アントニオドライバーみたいになってんぞ。 84年のブラディファイトシリーズで藤波とシングルやった時のドロップキックは結構凄かった覚えがある。 >>105
長すぎたショートアームシザーズ(キーロック)か 新生U初参戦で高田に負けは俺的に予想外の結末だったわ。
前田はともかく高田になら勝ちは固いだろうと。
猪木とシングルで61分フルタイムドローの頃の幻想は粉々に打ち砕かれたのであった。 みぞおちに当たった写真なのに
何故か急所抑えて悶絶とは。。。 1979年12月にボブバックランドとタイガージェットシンの異色の夢の対決が実現。
別冊ゴング誌にはこの試合の宣伝記事があった。
ボブバックランドとタイガージェットシン、二人はこれまで接点がなかった。
タイプは異なるが、共にアントニオ猪木の強力なライバル。
ただ両者は全ての面で水と油。
そして試合展開予想も書かれていた。
タイガージェットシンが奇襲のターバン攻撃でボブバックランドを締め上げる。
場外に落ちたボブバックランドを鉄柱に叩き付けてイス、ビール瓶で乱打。
ボブバックランドは大流血。
リングに上がって大流血のボブバックランドにチョークで締め上げる。
そしてコブラクロー。
しかしボブバックランドは渾身の力でツーカウントで跳ね返す。
ボブバックランドの反撃が開始。
タイガージェットシンの巨体をアトミックドロップ。
更にはバックドロップ。
ボブバックランドの猛攻でタイガージェットシンも流血。
最後は両者ダウンでダブルノックアウト。
こんな予想展開が書かれていた。
実際にはニコリボルコフがチェーンを持って乱入してボブバックランドの反則勝ち。
また直後に坂口征二が乱入してボブバックランドを救出。
何とも昭和プロレスリングらしい内容と結末だな。 >>103
技巧派とは名ばかりの単調なパワーファイター。 王者時代、あの童顔とそのギャップのある肉体に
ババアやオカマちゃんの絶大な支持があったんだっけ? バックランドにもっとプロレス脳があれば新日のテリーになれたかもしれん。 1985年に全日本参加が発表されながらキャンセルとなったけど
参加してほしかったな。
鶴田との絡みは見たかった。 バックランドは全日に行っても埋没してしまったような気がする。 >>118
1984新日本ブラディファイトシリーズに参加した際に次回は全日本と
宣言したよ。
で、1985エキサイトウォーズに参加発表
週プロとか専門誌でも報道されたよ。
でもなぜかキャンセル。
6月の武道館で対ジャンボ戦内定していたのに
なぜか同時期IWGPに特別参加 >>120
そんな話あったっけ?
バックランドが全日に行ってたら、馬場の得意な、馬場、鶴田、天龍に三連敗で闘わずして勝つ。
馬場、鶴田、天龍>バッランド=猪木>藤波=長州 >>123
バックランドは>Billed height 6 ft 1 in (1.85 m)
以外の数字を見たことないな、新日に来てた頃の公称なら
6 ft 4 inになりそうなもんだが。
http://alchetron.com/Bob-Backlund-150084-W 第1回目のアルティメット大会に無理矢理出してみたいな
意外と強かったりしないのかね? 初期アルティメットは技術より喧嘩度胸みたいなとこ有ったしどうかなあ >>127
多分タップしてからプリケツでウォウォウごねるだけだったと思うぞ。 初代タイガーの大百科本で
強いと思うレスラー5人に名前をあげていた。
当時でも意外に思ったからいわゆる道場レスリングの実力あった人じゃないのかな 鶴田 ハンセンと同期だっけ? 他の二人に比べ
特徴らしい特徴ないんだよね スペックいいのになーんで新生u uインターに行ったのが疑問
試合見てたら絶対に合わんと思うのに >>114
ストロング姐さんが戦ったとき
姐さん試合中ビンビンだったらしい >>131
ようつべで海外?のシングルみたけどちゃんと受けやってるんだよね WWFと業務提携し、藤波と一緒にMSGブランドを日本のファンにアピールするには適任だったのでは?ビリー・グラハムよりはマシでしょw >>133
新倉がその話をしてたな
敗北後にリング上で恍惚の表情だったんで必死に笑いを堪えたとか バックランドは世界王者枠の扱いだった。
でもベルトを失ってからはただのいち外人に。
元から集客力があったわけでもないし。 ボブバやダスロは会場人気あっても集客力はなかった。
だから82年頃には事実上のリストラ。
日本人対決路線がヒットしたからなあ。
高い銭出してまで集客力ない外人は切るのは当然。
残ったのはホーガンやアンドレという集客力ある外人達。 >>140
お前、俺が日本人抗争を「収益力向上」と書いた他スレ見てさも自分の考えかの
ように得意げに語っているよなw
何が「ボブバ」「ダスロ」だよw
お前ごときに時代や企業戦略を検証する能力などあるわけない。
日本人抗争?お前みたいな阿呆が支持してくれるお陰で、今のプロレスの素敵な
姿があるんだろう。
別に俺は今のプロレスに愛着は全くないから、プロレス自体がなくなっても
構わんがね。可哀相だな、今のレスラーは、とお前とともに哀れみだけは言って
おこう。 日本じゃ同じカテゴリだけど
アメリカではどうだろうな
あっちでもバックランドは
いい子ちゃん過ぎて人気がなかったらしいが >>140
そこは『ハルホ』とか『アザジ』とか呼べよ、もっとこだわれよ! 同意。
ボブバ ダスロ
アンドレ ホーガン
どっちかに共通しろよ。
中途半端だろが。 ジャックブリスコを破りミズーリ州ベビー級王者になった注目のホープって記事とグラビアを月刊プロレスでみてスターになると思った。 >>145
1982年8月5日の蔵前での試合(飛龍十番勝負第6戦=WWFヘビー級選手権)
1984年8月31日の南足柄でのシングルの方を指す人もいるけど
こちらの試合は実況の古舘が盛んに「長過ぎたショートアームシザース」の話をしていた割に藤波がキーロックを仕掛けていた時間は意外に長くない
>>147
試合スタイルや選手としての特徴はむしろファンク道場の同門でもある鶴田の方に似ているような
一つ一つの技は綺麗に決めるけど試合全体の組み立ては下手な所とか
所謂マットレスリングの攻防が好きで寝技に自信を持つ半面サブミッションのスキルはそれ程でもない辺りが特にね 第2次Uで、高田に負けた後の「え、これで終わりなんで」って、表情が凄く印象に
残ってる。演技のできる人とは思えないし、あれは何だったんだろ。
道場でのスパーで高田がバックランドに勝ったから、高田の勝ちブックにしたとかいう
話しがあったけど、実際どうだったんだろ。 あのムチムチした身体と
プリケツはたまらんかったな
よくおかずにしたわ 高田vsバックランド戦は嫌いじゃないがそんなに面白い試合じゃないな シンニプロレはボブバをテリファみたいにしたかったらしい。
でもボブバではテリファほどのセンスがなかった。
むしろダスロの方がテリファに近かった。
特にタジェシやスタハにボロボロにされたりと。 当時のWWFってエスニックやマイノリティ相手の商売だったから
ゲイをターゲットにするためにバックランドをチャンピオンにしたんだっけ 何となくだけど
ボブ・バックランド以前とハルク・ホーガン以後が歴史の変わり目って感じ >>154
そのあたりにボスがビンスシニアからジュニアに代わったからな。 全米侵攻を始める上で「バックランドじゃダメだ」って事で
ホーガンにタイトルをまわしたからね
ホーガンへのつなぎ王者は当初はM・スーパースターの予定だったが
バックランドが「レスリングの下地が無い男にタイトルを渡したくない」と
主張してつなぎ王者はアイアン・シークに変更になったんだそうだ ボブバのこだわりでマスパーはWWF巻けなかったのは気の毒だな。 >ボブ・バックランド以前とハルク・ホーガン以後が歴史の変わり目って感じ
それはないな。
そもそもWWWFはサンマルチノやビリーグラハムといったボディビルダー系力自慢がメインでやってきた団体で
ハルク・ホーガンはその流れ。
きっちりレスリングができる童顔のバックランドがむしろ一人だけ異端だった。
プロレスなのに、毎日数時間もガチなトレーニングして
移動時もカバンに重りを入れて鍛えていたバックランドは、レスラー仲間から変人扱い。 ちなみにプロレスには、ちょくちょく道場破りというか
あちこちの腕自慢が「プロレスラーなんてホントは弱いんだろ?俺と勝負しろや」と殴り込みに来てたそうだが
その時に迎え撃ってガチ勝負して倒す役目(シューターという)だったのがバックランド。 マスクドスーパースターが繋ぎ王者予定だったとは知らなかった ボブ・バックランドは、アマレス出身のストロングスタイルのレスラーと
いうイメージがあったので、パワーレスリングが主流のWWWFでチャンプに
なった時は、その意外性に驚いたし、MSGの客に受けるのかなと思った。
ただ、これで新日に来てくれれば、猪木とのシングルマッチが実現するし、
そうすると、異種格闘技戦やシン・上田とのラフファイトが主流で、ロビ
ンソン戦以降、技の攻防を見せる試合がなかった猪木の、ハイレベルなス
トロングスタイルの試合が久々に見られるなと、結構期待したな。
な ボブバはプロレ脳が足らなかった感じがする。
テリファやダスロの 方がプロレ脳があった。 バックランドもプライドが邪魔していた部分もありそう。 猪木もロビンソン戦までのような技巧派ファイトは出来なくなっていた バックランドはトレーニングの虫の変人って紹介されてたけどプロレスラーがトレーニング好きで何が悪い ボブバは世界王者だから参加は無理だろ。
優勝はできないんだし。
WWF王者が優勝できなければ立場ない。
ゼンニプロレのチャンカーでハリレやニクボが参加しなかったのもそれだろ。 世界王者はそういうリーグ戦は参加しても優勝できないと厳しいな。
ウォリアーズが最強タッグ参加できなかったのもそれが理由だったらしい。
タッグ専門のウォリアーズが優勝できなければ株が落ちる。
かと言ってウォリアーズを優勝させるわけにもいかなかっただろうし。
昔は反則や両リンありきだったから幾らでも何とかなったとは思うけど。 ボブバもハリレも優勝できないだけで評価が下がってもうちゃるかんな。
特にチャンカやエムエシリーズみたいなシングルの大会は。
サイキョタグリやエムエタグリならまだしも。
ボブバはアノキと組んでエムエタグリ優勝したが。
まあこの頃はボブバやりアノキが優勝しなければならん時代。
ハリレはサイキョタグリ4回?参加して優勝はなし。 ホーガン編に登場したバックランドは傲慢な人物像で描かれていたな。 バックランドは傲慢ってよりかなりルーズだった。
プロレスを舐めてたという記事もあった。
プロレスが本当の強さを求める世界ではなかったのが理由らしい。 かと言って本当の強さを求める世界だと通用しそうもないよね
前田みたいなもんか ダイナマイトキッドやブロディからもアホみたいに練習する人って言われてたからどのぐらいしてたんだろうな バックランドとブロディ
バックランドとマードック
これらの試合は見た記憶ないな。
タッグ シングル含めて。 週プロの表紙に
ハッキリした、バッグランドはもはや高田の敵ではない
みたいなこと書かれていたような気がする 仕方ないよ、業界あげてUWFの価値観を作り上げてったんだからさ >>161
NWAがブリスコ、AWAがガニア、ニックとアマレス出身の本格派王者がいたので
パワーファイター王者主体だったWWWFがバックランドに目をつけた。
ただ人気がないので興行メインはアンドレ、世界王者はバックランドという形式にした。
歌で言えば、人気の藤波の「マッチョドラゴン」、実力の健吾の「らしくもないぜ」みたいな感じ。 WARで北原とシングルを見た
バックをとってグランドへ
次の瞬間、関節をとられた >>179
ニックはアメフト出身じゃなかった?
舐められないようにレスリングを猛特訓したって何かで読んだ記憶が 師匠はニックの父のウォーレンはルー・テーズの最初の師匠。
ニックは父とルー・テーズからレスリングを教わり、15歳でのデビュー戦の相手がルー・テーズだった。 訂正
ニックの父のウォーレンはルー・テーズの最初の師匠。
ニックは父とルー・テーズからレスリングを教わり、15歳でのデビュー戦の相手がルー・テーズだった。 ルー・テーズの師匠ってエド・ストラングラー・ルイスじゃないの? >>185
最初はウォーレンでその後エド・ルイスと出会う。 >>183-186
ジョージ・トラゴスとアド・サンテルはウォーレンの後にテーズを指導した事になるの? アド・サンテルはデビュー前の10代の頃に教わってる。
16歳でのプロデビュー時のコーチがウォーレン・ボックウインクル。
20歳頃に教わったジョージ・トラゴスは相手の肩を極めて腕を切断に追い込んだ過去があり、
レスリングをそういう残忍なことをする手段として使いたくないと思ったらしい。
1937年に21歳で世界王者になる前にエド・ルイスがコーチ兼マネージャーとなった。 新生UWFに来日した時、高田の全然当たってないソバットに派手なバンプとったの見て
「うわー、困ったな」と思った >>26
昭和53年に物心があって記憶してるのが凄いわw 美人でスタイルもいいがヌケないAV女優みたいな存在だった。 あの弱い船木にもやられまくってたから弱いんだろうなあ。歳はいってたけどさ。 >>192
アマレスのトップクラスも関節ありでやると極められちゃう。
アマレスだと馳>健介だが、関節ありだと健介>馳。
アマレス出身の長州、中西、みのる、川田、三沢、高橋、ライガー、中邑・・・みんな極められてる。 >>194
実際に見たんかおまえ?
ネットとか雑誌で読んだとか言うなよおまえ(笑) >>194
実際に見たんかおまえ?
ネットとか雑誌で読んだとか言うなよおまえ(笑) でも冷静に考えると、年下の先輩である健介を立ててわざと取らせたんじゃないかって気もする 馳と健介が大学のレスリング部に練習に行って健介を転がしてたが、
馳が関節ありでやろうと言い出して、やったら悲鳴を上げまくって赤っ恥かいた。 ボブバはシンニプロレ時代に試合前の練習でボブバ教室を開いていたんだよな。
シンニプロレの当時の若手達に色々と教えて。 バックランドはパフォーマンスがちょっと・・・あの腰を振りながらピョンピョン飛び跳ねたり両ヒザついて
リング内を動き回るのが世界王者の品格を下げてたと思う 上は注意しなかったのかな?
猪木が過去のインタビューでバックランドの四つんばいになるパフォーマンスが嫌いだったといってたが
やっぱり周囲も気にしてたんだろうな バックランドは試合そのものは良かった ジャパニーズレッグロール
やアトミックドロップ、投げっぱなしダブルアームやジャンプして決めるパイルドライバー、90年代に必殺技
にしたチキンウィングフェースロックとか アメリカでは受けがイマイチだったみたいだがキラーカン戦とか
で見せたジャーマンスープレックスは見事だった アメプロ最高の使い手だったと思う ボブバはベビフェでも中途半端だったな。
テリファみたいなスーパーベビフェにはなれず。
むしろダスロがスーパーベビフェだった。
ダスロはシンニプロレのテリファ的な存在で。
でもダスロもテリファ程にはなれず。
タジェシ、スタハ、アブチャ相手にはダスロもスーパーベビフェになれた。
でも相手がヒールでないとダスロの魅力も発揮されず。 ボブバの時代にはいい子ちゃんキャラは通用しなくなってしまった バックランドとフレアーて試合したことあったかな?90年代WWFでいっしょになったよな
あとバックランドとサベージも見たことないなあ? >>202
チキンウィングフェイスロック1981年の暮れ辺りから使い始めたんだっけ?
この手のスタンディングスリーパー系の技は相手が苦しむ様が分かり易いからむしろ日本よりウケるらしいね
逆にジャンピングドライバーはアメリカではパイルドライバー自体がヒールの技というイメージが強いのと怪我のリスクの大きさを指摘されて80年後半ぐらいから使用頻度が減っていたような
>>202-203
その辺りの長所と短所はファンク道場同門の鶴田と被るんだよ
一つ一つの技はキレイだけど試合全体の組み立てや流れの構築は下手
客へのアピールやパフォーマンスも中途半端に大袈裟で何処かセンスがズれているのも一緒
>>205
有名なのは82年7月4日のNWAーWWFダブルタイトルマッチかな バックランドは90年代にWWFに復帰して、最初ベビーだったがヒールのミスターバックランドに
なった そのころWWFはオールアメリカン・レックスルガーの売り出しに躍起になってたが、バック
ランドがルガーと戦って、ルガーの二―リフトに大きくぶっ飛ばされてる姿を見て泣きそうになった
まぁ星条旗コスチュームに筋肉モリモリ金髪のルガーは見るからに派手で強そうで、なんとなく
貧弱になってしまったこのころのバックランドと比べても仕方ないかもしれんが、バックランドだって
ニューヨークの若き帝王とか言われてたころからまだ10年くらいしかたってなかったんだよこのころ
たった10年ほどでハツラツさが全然なくなってルガーふぜいの噛ませ犬やるなんて!試合は誰だったか
が乱入してきてそれに気をとられたルガーの隙を突いたバックランドがチキンウィング決めて勝ったんだけど
天下のバックランドがそんなセコイ勝ち方するようになったんか、と唖然としたわ ビンスシニアとジュニア、両方の時代でWWF世界王者なったのてバックランドだけじゃない? ボブバが王者時代に先代が亡くなったかあらね。
息子の政権になってすぐに王者から引き摺り下ろされた。
そして長い長いハルホの時代へと突入。 >>211
バックランドが王座陥落時にはシニアはまだ生きてたわ。
シニアは翌年のIWGPに来日後の次の訪問先で亡くなった。 あ、そうだったか。
呪われたIWGP
第一回はフラタ死去
第二回に先代ビンマ死去
第三回はヨシワ死去
毎年開催前にシンニプロレ関係者が亡くなってたという
しかもリングでも第一回はアノキがハルホにまさかの失神敗北
第二回はアノキとハルホの決着戦にチョリキが乱入でクラマ大暴動。 ちなみに第三回にはボブバも参加してんだよね。
ワカマと仲間割れしたスパマと好試合をしたり。
アンジャ、ディクマ、アドア、キンバ粒揃いだった。
ボブバはリーグ戦には入らず特別参加だったが。
ディクマとボブバの対決なんて見たかったが。
あとアノキ、ボブバ×ブルブ、ジミスも見たかった。
ブルブとボブバも対戦は記憶にないな。 ボブバとか言ってるニワカに語ってほしくないなぁ
絶対にその言い方は流行らないし聞いたことも無い
バックランドといえば一人しか居ないがボブバとか言われても
ピンとこないどころか解ってないやつに思われるだけ ジミー・バックランドはかつてのFMWの常連外人で
WWAじゃなくてAWA世界ライトヘビーな。 後のジミーデルレイだね。大仁田の女に手を出して逆鱗に触れ、来日が途切れたという。 かなりの変人で、空港で猪木とばったり会った時も
あいさつもせずに奇声を発しながら逃げて行ったって
デラプロに書いてたな ボブバもアマレでそれなりの実績あったからプロレを舐めていた節があったらしい。
先代ビンマに気に入られて長年ベルトは巻かせて貰えたが。
でも現代ビンマになってから負かせて貰ってからベルトとは無縁に。
現代ビンマはボブバよりハルホと。
結果的にハルホを全面的に売り出したのは功を制したが。
ステロ問題等も浮き彫りにはなったけども。 バックランドをグリーンの髪にしてパンク系ヒールにする計画があったな。
息子ビンズの発案で。
しかしバックランドが拒否してWWF離脱に。 >>222
変わり者とか通り越してね?
ドラッグでもやってたんじゃないの
当時のニューヨークだし 別冊ゴング80年6月号にバックランドはコーキー婦人同伴で来日。
かなりの美女で。
記事には美男美女と書かれていた。
このコーキー婦人はバックランドとローデスの試合を観戦。
ローデスの意外なラフ攻撃でバックランド大流血。
それを見てコーキー婦人は泣いていた、と雑誌に書いてあった。
またアンドレの試合では試合後に暴れるアンドレに驚いて控え室まで逃げてしまったとも。 アマレス王者って上手いっちゃ上手いけど(プロレス的にじゃなくレスリング的に)
人気は出ない感じ
カートアングルとかブロックレスナーもそうだし
実力派よりも演技派なのかな?特にアメリカだと。 アマレスの強豪出身のプロレスラーって、最後キワモノになっちゃう気がする
ラシクやバション ミッシングリングてのもいたなあ
日本だと本田多聞か アマレスの法皇とかいわれたほどの強豪が
髪ザンバラで「フギャ〜」だもんな プロレス的な魅せる戦い方が出来ないから、
一っ跳びにキワモノになってしまうんだろうな >>228
現役末期のボブ・ループはマハ・シンって怪奇レスラーになってたね 練習熱心で真面目でいい人が日米問わず対戦した人からの選手評
建設会社経営したり実社会でも生きていける、フツーにいい人なんだろうね キワモノではないが長州にしても知らん人が見ると
アマレス出身だと思わんみたいだしね
長髪で得意技がラリアットとストンピングとサソリ固めだもの この前テレ朝チャンネルでバックランドvsシンやっていたけど
あんまり面白くなかった。 >>228
矢野や平澤(キャプテン・ニュージャパン)もだな。 バックランドの凄い所は、自らが持つWWFのタイトルも賭けたダブルタイトル戦を率先して行った事だね。
ニック(ボックウィンクル)の持つAWAと、ハリー・レイスの持つNWAと、更には猪木の持つ
NWFやザ・シークの持つUS選手権にも挑戦した。結局奪えたのはUSだけだったけど
これらのカードを見ると、当時如何にボブが本気で世界に散らばるタイトルを統一しようとしたか良く分かる。
後夢の対決と言う点では、ミズーリ州王者だった時代に実現した、テリー(ファンク)とのNWA戦も見逃せないね。 >>236
プロレをガチンの見方したらそうなるな。
まあプロレはガチン勝負じゃないから。
ボブバもプロレをもっと理解しとれば幅が広がったと。
ハルホはプロレを理解しとった。 この頃のチャンピオンは60分闘える体力の持ち主
3本勝負だったりするけど 74年に全日に来たときは身体も華奢で試合はど塩だったけど、78年にマジソンのチャンプになって猪木とやった時はステで身体もデカくなって、それなりのレスラーにはなってたな >>222
俺もその記事読んだ記憶があるけど、奇声を発したってよりケラケラ笑っただけで挨拶もしなかったんじゃなかったっけ? ボブバはやっぱアノキしかいないだろう。
ボブバにもっとプロレ脳があっちゃればブレイクしたと思う。
シンニプロレのテリファにもなれたはず。
ダスロがそういう立場だったっちゅうか目指した。
しかしダスロもボブバもテリファと比べると落ちる。
ボブバは頭が固かった。
変なプライドがプロレ選手としての幅を狭めた。
ボブバの名勝負っちゅうかまあまあの試合はアノキ以外はないかんな。
エムエタグリでもアノキと組んだから目立てた。 >>228
最後まで正統派だったのはジャック・ブリスコとミスター・レスリングくらいかな >>222
>>240
俺もその記事の記憶のせいで今でも
彼のことを奇人・変わり者という印象がにぐえなくなった。 確か81年頃の月プロかデラプにあったな。
写真付きで。
どっかの空港でアノキとボブバがバッタリ。
アノキが笑顔で挨拶しようとした。
それは普通の行為。
するとボブバは奇声を上げて笑いながら逃げていったと。
ボブバ頭はぶっ壊れてる、と書いてあったな。
あと別ゴンにボブバの奥さんが。
夫婦同伴で来日。
80年エムエシリーズ。
奥さん綺麗な人だったな。 バックランドはやはり猪木との試合が名勝負だね。
あとは藤波との試合か。
王者だったから基本的にキレイな試合が中心だったみたい。
ハンセンやホーガンとは名勝負とまではいかない。 アトミックドロップは出してたけど
バックドロップは出してなかった印象
やれば良かったのに
鶴田とかぶりそうだけどWWFや新日なら
主戦場違うから気にしなくていいでしょ 船木に後ろからめちゃめちゃエルボーされてたよな(笑) ボブバは蹴りには対応できなかったな。
ユダブ上がった時のフナマサやタカノブとの試合でそう思った。
ボブバとマエアの試合は見たかったが、同じ展開だろう。
マエアの蹴りにボブバが対応できずサンドバ状態に。
ボブバもフジナみたいにサンドバ状態。
マエアのニルキで流血とシンニプロレと同様になるかも。
しかしそんなユダブ勢の蹴りも偽物だったというオチ。 知り合いから教えてもらった簡単確実稼げる秘密の方法
知りたい方だけみるといいかもしれません
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JL2IM ボブバが84年にゼンニプロレ上がったらどうだったか? ランカシャー・レスリングとも違うが、レスリング巧者。
ああいう選手、もう出てこないかな? ボブバはもっとプロレが好きなら違ったかも。
テリファやダスロみたいに。
やっぱり過去のレスリ実績があったからプロレにのめり込めなく。
アノキと組んでた時にゃアノキに気を遣いすぎ。
試合中にもどうすればいいか常にアノキの顔を見たり。 アノキと組んだ外人、ハルホやダスロは好きにやっていた。
でもボブバは違った。
ディクマはアノキと組んでアイダブタグタイト挑戦してんだな。
熱戦スレで気付いた。
30年前の今頃だ。
すっかり忘れてか。 なんで新生なんて出たんだろうな。
打撃は出来なくても、グランドで封じ込めるとか少しでも強さの片鱗を見せれれば良かったのに。
めちゃめちゃ弱いのがわかっちゃったよな(笑) ボブバは蹴りの対処やディヘェンスできなかったな。
タカノブやフナマサのサンドバック状態。
そもそも何でボブバがユダブ上がったのかわからん。
後々にはバンベイやバドアもユーイン上がったが。
彼等は蹴りに対処できない、とのイメージはなかった。
フジナもマエアからサンドバック状態だったし。
アノキも真正面から受けたらサンドバック状態だっただろう。
だからアノキはマエアを避けた部分もあったのでは? ボブ・バックランドはガチなら当時最強の一人だが
ショーとしては、でくの坊のハルクホーガンをメインにしたほうが見栄えがすると考えたのは致し方ない。
要はアメリカのほとんどの一般市民は、格闘の競技大会を金出して見たいわけじゃなく、
イベントとしてのショーを楽しみたいからね。 ボブバがタンソっちゅうのは有名だったな。
ダブエ王者だから重宝されたが。
しかしボブバが無冠になったら確かに物足りない。
ユダブでタカノブやフナマサからサンドバ状態にされたのが現状。
日本ではアノキといい試合やったくらいだろ。
ボブバ自身に相手を引き出して持ち味発揮させる術がなかった。
見映え等でハルホが重宝されたのも当然。
ハルホはアメリでダブエを全土に広めた。
また自身もアメリ全土で名前が浸透して。
強さっちゅうかレスリ技術ではボブバが上。
しかし人気等ではハルホが遥かに上。
日本でもアメリでも。 チームフルスイングいい加減にしろ!
利権にも程があるぞ! 50歳から17年も来日しなかったのか
50代なら動けてたのに
もったいないな 「私はこの世界で初めて『サイエンティック・レスラー(科学的なレスラー)』と呼ばれたんです。
その意味するところはアマチュア・レスリングのバックグラウンドがあり、それを全面的に売り出したからです。
私はミネソタ大学時代に全米学生チャンピオンになり、そのアマレスの技術をそのままプロレスの世界に持ち込んだのです。
今日ではカート・アングルやブロック・レスナーなど輝かしいアマレスの経歴をひっさげたレスラーがプロの世界でメインを張っていますが、
私がデビューした1970年代当時はまだそれほどアマレス出身は多くありませんでした。」 バックランドだけはガチという伝説の一つ。
21世紀に入ってからだけど、TNAというアメリカの団体で
合間に挟む映像として、練習してるバックランドをスタッフが撮ることになったのだが…。
台座の登り降りを繰り返し汗を流すバックランドを撮ろうとなって
ふつうこんな時は時間もないし、霧吹きで汗に見せかけて、いかにも練習を長くやってたという風に誤魔化して撮るんだけど、
バックランドは「ちょっと待っててくれ」と、じっさいに30分台座の登り降りをやって汗をびっしょりかいたところで、
「さあ撮ってくれ」
バックランドだけはガチなのであるw
だから変人だといわれる。 バックランドが来日して長州と藤波と組んで試合したな。
サンマルチノ追悼の意味合いもあっての来日か?
でもさすがにバックランドは体も落ちて歳を取ったな。 昭和ファンのバックランドの思い出。
グラハムを高角度アトミックで降して王座奪取(その前にマスカラスとグラハムのWWWF戦で遺恨があった)。
童顔なのに野太い声。猪木と腕や足の取り合いで「ア゛〜ア゛〜〜」
ぴょこんと飛び出たでん部(お尻)。
何故かロングガウンが似合ってた(WWF王者っつう先入観があったからかな)。
プロレスアルバム(恒文社)NO9。
奇行癖があってインタビュー中にいきなり「キャッキャ!」って奇声あげてどっか行ってしまうんだって。。
発達障害持ち? 新生に出たとき間を置いた純プロレス的な動きをして船木にボコボコにされてたよな。
前田が相手してとどめさしときゃよかったのに。 真夜中のハーリーアンドレイスに出てたな
話はあんまり面白くないな
終始真面目な人なんだなぁ
ケンドーナガサキの時と大違い バックランドの、WWE殿堂入りの際の発言
「私はMMAの選手とも道場でやるが、一度もバックをとられたことがないのが自慢」 先日の後楽園大会でバックランドからサインを書いて頂きました。
子供の頃のヒーローだったので嬉しい!!
ドリーの『引退試合』よりはかなり動けてた印象でした。
それにしても、バックランドにはUWFスタイルは水と油だったと思います。
あのスタイルに付き合わされて潰されてしまったのは残念でした。 >>271
サイエンティックじゃなくてサイエンティフィックだね。
サイエンティフィックレスラーといえばバックランドよりも前に世界チャンピオンのブリスコががそう呼ばれてたと思うけど。
実際にバックランドよりも上手く綺麗にレスリングをプロレスに活かしてたしね。 昔、猪木とタッグ組んでいた時はカッコいいな〜と思っていた。 外人選手=技少ない、ラフプレー主体 といった概念を取っ払ってくれた 先月の後楽園
バックランドもさすがに年を取ったなあ。
昔は童顔で年を取らなかったのに。 チャンピオンとしては長期政権であるが
人気なくはないけど、もっと人気ある奴がいる。
あれ?こういうの今の新日にも・・・ 全日本の常連になってたらどういう感じだったんだろう? >>291
ブッチャー(シン)にオーバーアクションで一方的にやられまくってテリーが救出。
バックランド? そういえばいたな・・・って存在じゃね 鶴田やハンセンと同期だっけ?
リアルタイムじゃ知らんけど尻が突き出た印象 バックランドとブッチャーの対決は見たかった。
ブラボーとブッチャーの試合みたいになるかも。
いい意味で。
ただバックランドはチャンプだったからか、テリーやローデスみたいにはなれなかった。
華はあったんだが。 そりゃニューヨークの帝王だからな
テリトリーは狭くても
セントルイスの帝王やミネアポリスの帝王じゃ締まらないから
誰もそう呼ばないけど、NY&MSGは別格の地位 オードリー若林を見るとバックランドを思い出す奴らも多い。 高田の2回目の対戦で完敗したときの週プロの見出しが
これでハッキリした!
もはやバックランドは高田の敵ではない!
だった覚えがある 確かそんな見出しあったね。
Uの蹴りのスタイルに対応できなかったからなあ。
サンドバック状態に。 新生U参戦にあたって、前田vs藤波のVを見たバックランドが前田との対戦を拒否ったので
高田とやることになったんだよね。
かつてニューヨークの帝王と呼ばれた男が、猪木の付き人をやってたヤングボーイにボコボコにされたのはショックだったな。 ttps://www.excite.co.jp/News/sports_g/20140603/Weeklyjn_5828.html?_p=2
「でもU系に出場するようになってからは、もっと悲惨でしたよ。
船木優治(現・誠勝)にミサイルキックを食らってなぜか反則勝ちの裁定を受けたり、
Uインターでの高田延彦戦では金的への蹴りで秒殺されたり…」(プロレス誌記者)
いずれもバックランドのかつての名声を利用して日本人選手の格上げを図り、
なおかつ不透明決着とすることでバックランド自身の商品価値は落とさずに使い続けようという、
フロント側の意図が透けて見えるようではないか。
U系に参戦していたころは時代状況も悪かった。
「UWFではゴッチ直伝の関節技こそが最上の価値とされ、また見栄えの良さから打撃が重視されていました。
そんなふうだからバックランドの本来持ち合わせたレスリングテクニックは評価の対象外。
地味な中堅選手にすぎなかったころの安生洋二にすら、打撃で圧倒されるような試合をさせられていましたからね。
だけど、後に総合格闘技でタックルなどが最重要視されるようになったことから考えれば、
本来“何でもあり”ならバックランドは相当に強かったハズです。
少なくともUWF勢に不覚を取るレベルではなかったでしょう」(同・記者) 親父が80年頃ニューヨークで板前やってて、マジソン前で黒人のダフ屋から30ドルでチケット買ったら、
マジソン地下でやってたクローズドサーキットのものでがっかりしたらしい。
んで終わって帰ろうとしたら、マジソン前でバックランドが人だかりの中でサインしてて、手帳に貰ってきた。
猪木と互角の強豪だったからうれしかったなぁ。今でも押し入れのどっかにあるはず。 バックランドはキックに対応できなかったからなあ。
でも当時のレスラーでキックに対応できるのってまずいないだろう。
何とか対応できるのは空手やキックボクシング出身のレスラーくらいか。
でもそういう連中だとU系のキックが偽物とバレてしまう。 >>301
何でもありなら初期UFCでタンク・アボットやパトスミみたいのに一方的にボコられて1分前後で失神させられそうなイメージしかないのは俺だけか ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪ >>308
ゴッチ道場はおろか、アマリロのファンク道場出身ですらなかった事が明らかになった
梶原センセもケイブンシャの大百科もウソばっか書いてたんだな >>312
単純に誤認識していただけだろ。
その時点では普通にそれらを信じていた。
でも後になって事実ではないと判明。
ウォリアーズのスラム街でのネズミ食いと同じやな。 ミネソタ生まれで大学はノースダコタだから
南部には縁なさそうだし、やっぱりきっかけは北部だと思うのが自然。 Uに出てた頃グランドから起き上がり時にサッとウルトラマン見たいなかまえがダサイw 84年の藤波戦でのドロップキックが凄かった覚えがある バックランド年を取らなかったが、最近の紙プロ見たら年を取った。 猪木以外の日本人選手とプロレスをやるときは余裕綽綽だった 高田というより蹴りにビビりまくりだったな。
高田の蹴りは早いから尚更。
やっぱり純粋なレスラーやアマレス経験者は蹴りには適応力がない。
猪木も蹴りに対応できなかったし。 ボブバも所詮はショマスだったんだよな。
あとプロレ脳が足らずアマレ脳を捨てられず。 何でもねえよこんなゴミカス、キーロック持ち上げるだけ
ゴッチ、ロビンソン程の技もねえし >>325
そういうのであればノートンならもっと簡単に上げただろうな。 数年前の来日でまだキーロックリフトが出来たのは驚いたな。ゴッチを見ると分かりやすいが、重心の移動やバランスの取り方など、パワー以外のコツもあると思う。 長州のサソリを腕立て伏せして、効いてないアピールしてたことも プロレススターウォーズに出てたら確実に日本側についてたキャラだな >>331
一応、ビンスからの刺客としてアメリカマットでカブキと対戦してた。
対戦中いつのまにかカブキと入れ替わった長州からリキラリアットを食らって
「お前のそんな姿を日本のファンが見たら悲しむ」とか説教されて涙流してた。 333だが、バックランドがもう少し頭が柔軟なら良かった。 バックランドは総合でも
打撃ができないから不利
。
恐らく活躍できなかった。
仮に最初から総合で打撃覚えたてたらわからんが。 アブダビコンバットでヘッドロックだけで勝ち上がる姿を思い浮かべた >>335
9 :お前名無しだろ (ガラプー KK4f-dXVR)[sage]:2018/09/16(日) 21:13:53.51 ID:XaVAqh7yK
訂正
>>1-7 >>10-999
お前らはチンポ派?それともチンコ派?
チン●を形容する時の話だ。
俺はチンポだな。 バックランドの童顔とダミ声はミスマッチ。
シンやブッチャーがあの風体にも関わらず声が甲高いのもミスマッチだな。 ボブバックランドは好きだった。パワフルでレスリングが上手くて強かった。 バックランドの肩書は、アマレスの元全米王者だろ。そして元WWFの世界王者だろ。 バックランドは強さより巧さのイメージがあった。
でも今から考えたら大して巧くもないな。 >>320
そりゃ当時の新日が最も丁重にもてなしたお客様だったからね 347刺しな だが、
バックランドはプロレスが下手くそだったな。 ttps://ameblo.jp/torii-yuichi/entry-10885066257.html
プロレス界ではタブーである質問をしてみた。『ガチでやったら誰が最強ですか?』との問にも
『オレだと思う』 と謙虚な健悟さんにしては意外な答えだった。
『レスラーの中では、パンチに一番自信があったからね』とのこと。その実力を証明する試合が こちら 。
これはプロレスを超えた壮絶な試合で、相手の ケリー・ウイルソンは、当時無敵のかなり強い相手でした。
ちなみに今まで戦った相手で最強だったのは、ローランド・ボック という。
来日初戦に指名され、1分ちょっとでKOされたのこと。猪木さんも言っていたが、
ボックは本当に強かったようですね。
その次は ボブ・バックランド だったそう。こういう内輪話が出来るだけで幸せです。
健悟さん、また飲みましょうね! >>349
髪の毛短いのわ見たら84年ブラディファイトっぽい。
公開練習?
でも観客が沢山すぎる。 王者時代は、ちゃんと王者級のギャラ貰えてたのかな?
不人気だからベルトは持っていても高給取りは別の奴とか? ホーガンがスーパースターで凄すぎたから
後から比較されてみて不人気扱いになった
スーパーは付かないけど立派なスターだったよ バックランドは日本では会場人気は凄かった。
でも興行を支える人気ではなかった。
ローデスも同様で。
シンやハンセンは興行を支える人気だった。 客席ガラガラのWWF日本遠征の時にバックランドがやたらと会場人気があった事が
その後のバックランドのヒール転向→王座奪取につながったんだっけ >>331
改心後に(長州にはパイルドライバーはノーダメージ?)
ファンク一家として、ドラゴン長州マサカーンを助けたろ!
しかし、あの状況でテリーはどうやって助かった? 359巫女苦だが、
バックランドがテリーやローデスみたいにプロレス脳が高ければなあ。
バックランドとブロディ マードック ブッチャーの試合は見た事ないな。 361寒い、だが、
バックランドはタイツが赤 青 黒 茶と様々だった。
日本では赤と青が多かったか。 キチガイは青とか赤とかド派手な色の薬を毎日飲んでいるんだろうな バックランドは、1978年から1984年まで約7年間、
WWEヘビー級王者としてマディソン・スクウェア・ガーデンの帝王の座に君臨した大レスラーだ。
ハルク・ホーガンよりもひと世代まえのスーパースターで、日本ではアントニオ猪木、藤波辰爾らと名勝負を演じた。
チャンピオンベルトを明け渡した翌年、1985年にいちど引退宣言をしたが、
1992年に44歳で現役にカムバックした。 踏み台昇降10分やって脈拍がほとんど変化しないとかバケモノではある
ドリーやレイスが口をそろえて「アンドレを除けばボブが最強」
でもプロレスは下手だった 365=1年だが、
>>363
バックランドは88年にUに上がったが、あれは日本限定だったんだ? 336さ、去ろう、だが、
バックランドはプロレス脳が足りなかったな。 アトミックドロップ、パイルドライバー、ダブルアームスープレックス、ドロップキック
技自体は見応えあるレスラーだった。
王者当時の動画見ると人気もそこそこあったように思える。 368サムは?だが、
バックランドの奥さんはかなりぃ美形だったぞ。
80年ゴングにでていたが。 376見慣れ、だが、
バックランドはかなりぃの色白だったな。 371見ないことにしてくれ
MSGタッグの帝王コンビは華があった
全米サーキット中で途中参戦は仕方ないが
決勝戦もうるさいぐらいエプロンサイドを
プリケツでウォウォウうごいてたし
最後の二人でトロフィー掲げたとこなんて
最高に絵になった
あのトロフィーどこにあるんだろ?
最近の安っぽいベルト見るより
チャンカンやMSGリーグのトロフィー眺めたいわ〜 90年代にWWFで現役復帰してしばらくはベビーだったが、ヒールのミスターバックランドに転向して
ディーゼルの噛ませやったのはがまんできたが、星条旗コスのレックスルガーあたりに二―リフト
くらって吹っ飛ばされる場面は涙が出た
ニューヨークの若き帝王とかいわれてたころから10年くらいしかたってなかったけど、なんか妙に
老けて見えた 同じくらいのころにWWFでヒールやってたリックマーテルもまだ30代なのに年齢が
よくわからん感じになってたな 若くして高い地位に就いた人って老けるの早まるんだろうか? 373南だが、
バックランドがテリーみたいにプロレス脳があればなあ。 374美奈代だが、
ローデスはテリー並にプロレス脳があった。
バックランドとローデスも新日時代は絡みがあった。
対決やタッグ。
でもバックランドはプロレス脳がローデスには劣っていた。 375美那子だが、
バックランドの娘はもう40だかんな。 >>371
ワールド大リーグを意識したのかチャンカーの黄金に対抗したのか見事な白銀のトロフィーだったな
タッグでも一つのトロフィーなのが新日本系の特徴 個人的にはアメリカ三大ベルトもWWFが一番見栄えがした バックランド絡みでは実現してほしかった夢の外人対決がいっぱいあったのにな
vsアンドレ WWFマクマホンの意向で米で大人気のベビー同士の対決はNG
vsブッチャー これはやってほしかったわ 両リンか反則決着がわかっていてもね
vsアドニス 日本で見たかった
vsマードック これも日本で見たかった
実現したのは夢の対決とは言えないハンセン、ホーガン以外ではシン、ローデスぐらい
か ワフーとかルスカとかワンツとかカネックとか夢や異色の対決見たかったな 主要団体の現役チャンピオンだったから
来日回数、滞在日数は十分取れなかったね 爆蘭度 対 安怒令
爆蘭度 対 佛茶
爆蘭度 対 真毒
爆蘭度 対 金久
爆蘭度 対 風呂出
上記対決希望 日本。 バックランドvsバンディとかNYの目玉カード、スヌーカ戦も新日本の
リングで見たかったわ
あ、ガラケー語呂合わせ改め漢字殺人予告のバカはレスしないでね 爆蘭度 新日常連時期、未対決試合多数有。
対 佛茶
対 真毒
対 安怒令(一 対 一)
対 金久 爆蘭度 出尻、試合下手糞。
記者、関係者相対時、我儘 悪態。
爆蘭度 天狗状態。
後々、砲丸同。 NYの帝王とか持ち上げられたら
ほとんど誰でもそうなる >>382
バックランドとバンディってNYでやってるっけ?
バックランドが王座陥落した後にWWFに来たんじゃなかったっけ。 爆蘭度 対 番出
爆蘭度 対 飢魔羅
超異色対決也。
爆蘭度 対 風呂出
爆蘭度 対 真毒 >>386
バックランドvsバンディの夢のカードを日本で見たかったという意味
NYの目玉カードだったスヌーカ戦を日本でも見たかったと書いたわけ >>388
爆蘭度 対 番出
爆蘭度 対 酢糠
日本輪具、実現希望。
爆蘭度 対 真独
爆蘭度 対 風呂出 バックランドの嫁も綺麗だったけどケリーフォンエリックの嫁も日本人好みの優しそうな綺麗な顔だったなあ 新日輪具、爆欄度 対 武呂出、実現希望。
猪木 爆欄度 対 武呂出 酢糠。
爆欄度 安怒令 対 武呂出 番出。 UWF高田戦後、ステージ上の紙吹雪をどけて「もう一度やるぞ!」みたいな雰囲気でしたが
あれはアングルだったのね?
学生の時初めて買った週ゴンだったからとても印象残ってるな 爆爆欄度 正統派選手、否悪役。
猪木 爆欄度 対 不安久須、対決希望。
八十年、双方、年末二人組総当戦 優勝。 爆欄度 意外高身長、猪木 同身長。
只、真面目過欠点。 >>396
バックランドモキンニクシツダガ、タカハシハスゴイ。
ソンナタカハシモ『シントスーパースターノパワーハスゴカッタ』ト。 >>399
オマエハクサクテキタナイホウケイチンポシゴイトレ。 ばっくらんどはきゃらがうすかった。
べるとなければかちなし。
じっさいにしゅうきゃくりょくもなかったし。
まじめすぎたんだな。 アイアンシークの自伝映画が上映されるみたい
バックランドも出演というか取り上げられるだろうけど
いい扱いにはなるはずもなく ばっくらんどのつまはこーきーというびじょ
だった。
いまはもうななじゅうちかいだろ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています