世界最強タッグ決定リーグ戦2 [無断転載禁止]©2ch.net
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90年代だといつものメンバー+ハヤブサ・人生やWWFから
ブラックジャックスが参加した97年が好き 最強タッグでもポイント的存在だったカンナムエキスプレス 80年代で一番つまらなかったのは時間切れ引き分け連発の85年
でも
木村、原 vs キッド、スミス
木村、原 vs レイス、バー
のフルタイム試合は見たいな 85年となればレイスとニックの公式戦対決
バーとカートの対戦もテレビで見たかった 完全決着を基本線にした1989年はつまらんかった
リーグ戦には両リン無得点が。得点争いを面白くしてたのが分かった >>12
新日本では全ての引き分けが同点なのに全日本では時間切れ以外では点にならないのが最大相違 後楽園で観戦したファンクスvsキッドスミス、非常に盛り上がったいい試合だった。 >>14
全日の得点勘定の方が分かりやすかったな。 新日はTV2週目で勝点10とか15だから全日の感覚だと驚いた 新日本はリーグ戦ごとに微妙に得点配分が違う
勝ちにおいてフォールかギブアップが五点は基本だが反則かリングアウトの場合は四点だったり三点だったり 俺も87年が一番好きだな。
この年は思い切って馬場&鶴田の師弟コンビで参加してほしかったよ。
谷津のパートナーは不在になるけど 谷津でなければ鶴田のパートナーは三沢タイガーだったかな
谷津のパートナーは仲野かあるいは俊二を戻したか ・最強タッグ・MSGタッグ&IWGPタッグ
双方に参加したコンビ
シン 上田
ブロディ スヌーカ
長州 谷津
双方に参加したレスラー
ハンセン カーン アンドレ ドス マシーン (戸口も?)
※昭和限定 ブッチャーとマードックは双方には参加せず、
マードックは意外にも最強タッグには参加しなかった。
ブッチャーとの問題から?
逆に最強タッグ常連のブッチャーはご存じMSGタッグには不参加。
双方に参加したのは他にいたっけ? >>21
戸口はキム・ドクとして最強タッグに参加。 >>21
シン&上田は二年連続で双方に参加
ブロディ&スヌーカは全日本復帰後にもUターン参加 81最強タッグ出場した父ラリーと85に出場した息子カートのへニング親子 AWA王者まで細身だったカートがまさかあそこまでガッシリした身体になるとは 木村が馬場にラリアット食らわした時の意味不明感がすごかった。 ラッシャー木村はバッドニュースアレンにも意味不明な不意打ちラリアットを。
展開が読めないアングルはわかりづらいわ。 あの頃はプロレス雑誌とか全く見てなかったんで、訳分からなかった
んだが、木村は何かコメントとか出してたの? >>28
その前からセコンドに剛が姿を見せるなど不穏な空気が出始めたのも あの愛知県体育館での仲間割れは見ていても『?』だったな。
剛竜馬と鶴見五郎も出てきたな。
ラッシャー木村の使い道は全日本プロレスリングに敵対しかなかっただろう。
この時期には。
まさかこの時期からジャイアント馬場を『アニキ』ってわけにゃいなんだろ。
取り敢えずヒール枠っちゅう事でタイガージェットシンやジプシージョーと組んだり。
かつては国際プロレスリングで死闘を繰り広げたジプシージョーと組むラッシャー木村。
当時を見てきた者からしたら複雑な心境だったろう。 あの愛知県体育館での仲間割れは見ていても『?』だったな。
剛竜馬と鶴見五郎も出てきたな。
ラッシャー木村の使い道は全日本プロレスリングに敵対しかなかっただろう。
この時期には。
まさかこの時期からジャイアント馬場を『アニキ』ってわけにゃいなんだろ。
取り敢えずヒール枠っちゅう事でタイガージェットシンやジプシージョーと組んだり。
かつては国際プロレスリングで死闘を繰り広げたジプシージョーと組むラッシャー木村。
当時を見てきた者からしたら複雑な心境だったろう。 あの愛知県体育館での仲間割れは見ていても『?』だったな。
剛竜馬と鶴見五郎も出てきたな。
ラッシャー木村の使い道は全日本プロレスリングに敵対しかなかっただろう。
この時期には。
まさかこの時期からジャイアント馬場を『アニキ』ってわけにゃいなんだろ。
取り敢えずヒール枠っちゅう事でタイガージェットシンやジプシージョーと組んだり。
かつては国際プロレスリングで死闘を繰り広げたジプシージョーと組むラッシャー木村。
当時を見てきた者からしたら複雑な心境だったろう。 馬場をジャパンの主力陣に絡ませにくいので対馬場要員という印象
しかしこの時の木村は鶴田や天龍をも圧倒するだけの凄みがあった まあジャイアント馬場がジャパンプロレスリング勢を全面的に相手はできないわな。
ジャイアント馬場は長州力を明らかに格下と見ていたし。
世代的にも弟子のジャンボ鶴田や天龍源一郎と同年代の長州力。
そんな長州力と自分が対等になれるわけがない、との思いで。
そういう面ではラッシャー木村の方がジャイアント馬場と合っているのは明らか。
この頃から全日本プロレスリングでも外人ではなく日本人の軍団勢力図が激しくなった。 翌年では武道館での最後のPWF防衛の相手にも起用していたし ラッシャー木村の人生を通じて。
大人しいおっちゃんでも『あの人は若い頃は本当に無茶苦茶ばかりの暴れん坊で強かった』
っちゅうのを思い浮かべる。
そういうおっちゃんいんだろ。
今はすっかり丸くなって、体も痩せ細って。
でも昔はゴツくて強くて凄かったっちゅうのが。
悪役商会でマイク時代のラッシャー木村しか知らない人が国際プロレス時代を知って驚いた。
そんな話を聞いた事ある。
特に国際プロレス時代に金網デスマッチで名だたるヒールを叩きのめして。
自分も相手も大流血の凄惨な試合。
逆に全日本プロレスリング初来日のスタンハンセンを知って驚いたっちゅうのもいた。 >>37
そもそも武道館での馬場のPWF防衛戦はこの1回だけだし。 豪華外人コンビと、ロード・ブレアース会長が来るあの頃がなつかしい ハンセン・ブロディとゴディ・ウィリアムスなら
どんな勝負になっただろうな。 やはり81年最強タッグの蔵前かな
バケツ一杯の土砂をブッ掛けたのが強烈 84年が一番豪華と思う。
ハンセン ブロディ
鶴田 天龍
ファンクス
レイス ニック
キッド スミス
馬場 木村
シン ショー 1981年
ブロディ&スヌーカ、馬場&鶴田、ファンクス、レイス&Lヘニング、シン&上田、シーク&ルーイン、ラシク&クラップ、
天龍&原、大熊&小鹿
1984年
ハンセン&ブロディ、鶴田&天龍、ファンクス、レイス&ニック、キッド&スミス、馬場&木村、シン&ショー
1985年
ハンセン&デビアス、鶴田&天龍、長州&谷津、馬場&ドリー、レイス&バー、キッド&スミス、ニック&Kヘニング、木村&原
1987年
ハンセン&ゴディ、ブロディ&スヌーカ、鶴田&谷津、ファンクス、天龍&原、ブッチャー&TNT、馬場&輪島、タイガー&仲野、
カブキ&テンタ、ジンク&ターミネーター、ヤングブラッド兄弟、木村&鶴見
1990年
ゴディ&ウィリアムス、ハンセン&スパイビー、鶴田&田上、三沢&川田、ファンクス、馬場&アンドレ、ブッチャー&キマラ2、
エース&小橋、キッド&Jスミス、ランドオブジャイアンツ、木村&井上、スレーター&ディートン、ファーナス&サンタナ
豪華なのは87年か90年だな >>46
砂ぶちまけも強烈な印象だが
終盤に急所打ちを食らった馬場が物凄い倒れ方をするのも必見w あの試合後にザシークが乱入。
試合前にもザシークが登場してタイガージェットシンを挑発。
これに怒ったタイガージェットシン。
ザシークをサーベルで滅多打ち。
まあ滅多打ちっちゅうほどでもなかったが。
そのリベンジで試合後にザシークが乱入してタイガージェットシンを急襲。
YouTube見てるとタイガージェットシンも流血してんだよな。
リアルの放送時にはこのシーンはカット。
当時の雑誌にもそこまでは写されてなかった。
しかしザシークのナイフ攻撃でタイガージェットシンも流血していた。
このYouTube見て初めて知った。
蔵前国技館全体が大ザシークコール。
新日本プロレスリングから移籍してきたタイガージェットシンはまだ余所者というイメージ。
ザシークは既に全日本プロレスリング常連。
観客も『ここは全日本プロレスリングだ』と言わんばかりの大ザシークコール。
結果的にザシークの乱入はジャイアント馬場とジャンボ鶴田を助ける形に。
試合後も二人はタイガージェットシンと上田馬之助にやられていた状況だった。
そこにザシークが登場。
長い棒でタイガージェットシンと上田馬之助を蹴散らす。
1982年にも二人の抗争は見たかったが。
結果的にザシークはこのシリーズを最後に来日しなくなったのだが。 良い場面だったのにこの後のハンセン登場に持って行かれた印象 鶴田が苗字だけになってるぞ、ちゃんとフルネーム書けよ Cカーニバルにはバラクーダやアサシンのような思わぬ伏兵が星取りを面白くしてたけど
最強タッグってあまりそんな役割は存在しないな。はっきりと優勝戦線チームと白星配給が
分かれてるのが多かった。 シン、上田がクリーンファイトする素振りを見せて
馬場、ドリーを困惑させる場面が大好きだった 成長著しい弟のドスカラスというフレーズが
何故か記憶に残っている・・・ 昔はあまりプロレスリングに詳しくない奴はミルドスカラスと勘違いしていた。 84年のキッド&スミス戦はTV放送がなかったらしいけど、最近のCSでも放送されないの? テレビマッチでの試合なら残ってるのもあるはず。
ただダイナマイトキッド デイビーボーイスミスの試合が放送されなかったのは勿体ない。
契約上の問題で仕方ないが。
まあ彼等は全日本プロレスリングに移籍して正解だったろうな。
もしも新日本プロレスリングに残っていたらどうだったか?
デイビーボーイスミスはどちらにせよ体重増やしてヘビー級になっただろう。
後々のデイビーボーイスミスは体重130の大型パワーファイターになったし。
でもゆくゆくは埋もれていたかも。
全日本プロレスリングでは埋もれる事はなかったが。
まあデイビーボーイスミスはスティーブウイリアムスにも遜色ない体になってたからなあ。
1990年頃には。 一度でいいから「全米を震撼させた」と言われるヤマハ・ブラザースに出場して欲しかった。 >>70
なんの興味もないわ
極道コンビと対して変らんだろ >>72
88年のように4週間もやった訳じゃないのに何でそんなに早かったんだ? あと同時に分裂後最初の最強タッグの開幕日
とにかくここまでこれたという感慨もさりながらハンセンの引退発表そしてなかなかリングに入れないセレモニーでのブレアースの老いぶりが衝撃だった 今日は歴代最高の大会場ラッシュな83年大会の開幕日 あの時は相当に悩んでいたのを後押ししたのがターザン 今日はハンセン初参加の82年大会開幕戦
あのリッキー・ジェイとの名勝負も >>79
当初の予定通りシン(Pは上田)とゴディ(初来日、Pはスコット・アーウィン)が参加していればもっと見所の多いシリーズになっただろう。 あとレイスのパートナーがスヌーカだったらか
ゴディが後にビルと組むのを考えても興味深い 今日は小橋初優勝の日まさか三連覇まで行くとは想像も出来なかったが >>79-81
リッキーとスコット・アーウィンはガニアキャンプの同期生 馬場が骨折しなかったらあの年はどういう結末になったの?
まさか馬場の骨折自体が芝居ってことはないよね? 龍艦砲が五輪コンビを破って全勝優勝を飾った後のインタビューの途中で,
控え室に引き上げる鶴田に向かって「鶴田,鶴田,コノヤロー!」と叫んだのが印象的。
本当は「鶴田ありがとう」といいたかったけれど,涼しい顔で引き上げる様子を
見ていたらムカッときてついバカヤローって言っちゃったんだとか。 馬場・輪島組に敗れたあと,ハル薗田の遺影に向かって深々と頭を下げ,合掌したブッチャーに
涙が出た。 90年の開幕前にやった「最強タッグ激闘の歴史」が好きだわ
その年に見始めたばっかりで勉強になったし
最後にオリンピアに乗せて若林による史上最多のチーム紹介、いまだにソラで言えるw >>87
このシーンは俺も好き
その後ハンセンのウィーが印象強い
残念なのが天龍とハンセンが組んでた事を
知らないファンが多いのが・・・・ 85年は引き分けだらけの酷い大会だったが
優勝したハンセンの笑顔だけはすごくよかった
高熱だったという設定は忘れてください 85年大会は個人的には好きだった。
引き分け続出は実力拮抗だったからだし、何より新日(ジャパン)選手の初参戦は新鮮だった。
開幕のvs血盟軍も好勝負。馬場vs長州の初対決がノーTVなのは返す返すも残念だけど。 82年〜85年頃に新日、全日が年末のタッグリーグ戦に
優勝戦に絡まないクラスの選手の貸し出しをやっていれば夢があった。
最強タッグに坂口&健吾、星野&荒川、MSGタッグに極道、石川&渕とか。 85年大会か86年は
ロード・ウォリアーズに参戦して欲しかった
スケジュール的に難しいが、
10日限定参戦で
特に86年は地味だっただけに・・・・ 1984年の優勝決定の直前。
鶴田がブロディを卍固めで締めあげているとき、寸前で鶴田の頭を下げて自分が
ハンセンのラリアットを食らう天龍の献身ぶりがステキ。 >>96
同意
名誉の反則勝ち
この大会の面子も過去最高! 今日はあの12/13。何やらウエスタンハットをかぶった大男が… 1983年かな。
ハンセン・ブロディ組VSマスカラス兄弟の一戦は楽しみにしてたけど,
思いのほか実力差がはっきりしちゃってて悲しかった。 インポでも、ダッチョでも、エブリバディロケンロール! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています