ザ・ファンクスを語ろう [無断転載禁止]©2ch.net
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>>419
なんでスレによってバンビガキャラだったり普通だったりするの?
キチガイのフリするなら徹底しろよw ブルブはドリファ
スタハはテリファ
ジャンツはブルブ
ジャイバはスタハ
やっぱ相性が合う合わないっちゅうのはあるな。
リュウゲンもスタハと相性が合ったな。 知り合いから教えてもらった簡単確実稼げる秘密の方法
知りたい方だけみるといいかもしれません
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AD828 ファンクスとして、最後の最強タッグ参加となった1990年のテレビ中継でランドオブジャイアンツとの公式戦見たけど、館内盛り上がってたね ザファンがシンニプロレに登場したときゃ驚いたなあ。
フジナ、ボブバと対戦も凄い。
まあ更に後々にはシンニプロレでアブチャとテリファがタグチで対決だもんな。
更にチョリキと組んで。
チョマサやナカニもいたが。 2001年10月のドームだったか
ドリーとしてはそれが唯一の新日本出場だったか ファンクスは本当に偉大だった。
メガパワーズやスタイナー兄弟との試合も見たかったな。 初めて、ファンクス見たとき
親戚の叔父さんに、ドリーは何でハゲてるのって聞いたら
若ハゲって教えてくれたよ メガパワーズって谷津ハクだっけ?
スタイナー兄弟とはリズムが合わないのでは? メガパワーズってホーガン・サベージ組の名称じゃなかったっけ >>405
ファンクスvsキッド&スミスは91年でも
岡山とか高松の地方都市で行われてたね。 ファンクスとマレンコ兄弟の対戦をテレビ中継で見た記憶があったけど、1990年頃久々に来たときだったかな ザファンはダイキ、デビスとは84年と90年の二回対戦か。
サイキョタグリ公式戦で。
他のシリーズでも対戦してそうだが。 復帰後のテリファはチャプリみたいだったな。
スパヒ路線から破天荒なお笑い路線に。
テリファも復帰直後のファンの反応で色々悟ったんだろう。
前みたいな人気バクハは無理だと。
そんなら路線変更と。
ドリファの場合は年取ってもそのまんまのスタイルだった。
ミルマもスタイルは変わらず。
ドリファもミルマも同じスタイルで昔みたいに動けなくなっただけ。
テリファはスタイルが変わり。
またインディぺ時代にはデスマもやり。
テリファは幅広いスタイルだったな。 今日は大阪でカクタス・ホスと対戦した日
まさかカクタスがその後あそこまでなるとは誰も予想できなかったか ブッチャーのフォーク攻撃では
一刺し100万
テリーファンクは金に困ってたから
刺されるたびに喜んでた! ブッチャーがWWEの殿堂入りに選ばれた時、プレゼンテーターをテリーが務めた
その時ブッチャーは茶目っ気たっぷりにフォークを持参していた
テリーは満面の笑顔で、
「俺たちはこれ(フォーク)で、ジャパンでたっぷり稼がせてもらったんだ」と一言
一振り100万とか金に困っていたかは不明だが、カッポリ儲けたのは事実 >>430
ホーガン&サベージ
谷津&ハクはナチュラルパワーズ ブッチャーもテリーもあの試合で日本では大ブレイクしたからね。
思い入れは半端じゃないだろう。
あの試合がなければ二人ともただの人気外人で終わった可能性も。 デンって何だよ?
テリーもブッチャーも同じ試合で互いに大ブレイクしたのも面白い。
普通はどちらか片方が大ブレイクなんだが双方が大ブレイク。
猪木とシンはシンが大ブレイクだし。
猪木は元々確固たる地位があった。
その猪木相手にシンが大ブレイク。
藤波と長州も同じく。
既にステータスを築いていた藤波相手に長州が大ブレイクした。
長州の場合は結果的に大ブレイクしすぎて藤波を抜いてしまった。
しかしテリーとブッチャーは二人が同じ試合で。
その前から二人ともそれなりの地位はあったみたいで。
ただあの試合で爆発的な人気を得て。 デン…殿堂入りね。
いま思うとブッチャーは
何であそこまでテリーに
凶器攻撃をしたんだろう。
明らかに馬場や鶴田に
対してとは違う。
テリーからの依頼なんかな。 https://youtu.be/zqGT0MPFwbE?t=64
ブッチャーがタネ明かししてたけど、例えば実際のフォーク攻撃は01:29-のように寝かせて刺していた
いくらテリーと合意してやったこととはいえ、対戦相手をケガで欠場に追い込んだらメシの種がなくなるからな
ただ世界最強タッグリーグ決勝戦みたいにシリーズ最終日は、
明日のことを考えなくていいのでちょっとエスカレートすることはあっただろうけど
おまけ
https://www.youtube.com/watch?v=-Rll-_qpYYw
ブッチャーがレストランを開業して間もない頃の取材 最強タッグネタになるが、
この77年にラシク&クラップが参加してたら面白かった。
ブッチャー&シークとの試合は見もの。 1987年頃までのファンクスはまだ見れたが、数年後に久しぶりに来た時の姿見たときはさすがに厳しいと思ったな wikiによるとテリーは87-88年頃、WWEでも引退宣言してしばらくは俳優業に専念していたとのこと
ドリーはわからん https://www.youtube.com/watch?v=5UAwJlF4Qtk
テリーのオフィスでインタビュー
01:30 サブゥーの仲介で故ザ・シークに捧げたとされるブッチャーとのスリーショットが見られる テリーとブッチャーが昔から強い信頼関係にあったのはいい話だ。
当時なら夢が壊れた心境だろうけど。 >>454
開幕戦でいきなりハンセン・スパイビーに負けたし テリーってブッチャーやハンセンにボコボコにされるだけで、フォール勝ちって一回も無いんじゃね
特にブッチャー、シークのフォークや五寸釘でザクザクに切り刻まれて血だるまになった耳などをアピールしてるSMショーは好きになれなかったな 一部放送カットとなった割れたビール瓶を胸に刺したあたりがピークだったな
そこまで行ったらそれ以上の演出は無いだろうと
後出しになるがマンネリと揶揄される前にちょうど良いタイミングでブッチャーは移籍したとも言える ファンクスとブッチャー・シークではファンクスは特別劣勢に見えなかった。
見た目のサイズではファンクスの方が大きかったし。
ブッチャーは厚みがあったが、シークは明らかにファンクスより小さかった。
また年齢も二人ともファンクスより上。
特にシークはかなり高齢に見えたから。
だから凶器や反則を駆使しなければ戦えないと。
そんな印象があった。
しかしファンクスとハンセン・ブロディは状況が違った。
ハンセン・ブロディはファンクスより大きくて動けた。
年もファンクスより若かったし。
特にハンセンの馬力見てるとファンクスとは桁違いに見えた。
ブッチャー・シークとは違ってハンセン・ブロディではファンクスは全く勝ち目がない。
そんな印象だった。 ハンセンとテリーって志村といかりやみたいに、
「お前それ絶対に私情絡んでるだろ」としか思えないほどハンパない攻防が見ものだったよな 外人選手が追っかけ女を食い散らかしてるのは表に出ない不思議 >>462
長州とやる前から終わってただろ
復帰直後の最強タッグだけであとは嘘みたいに人気なくなってたからね
引退前みたくガキが群がったりなんかしなくなった テリーは一度引退したからねえ。
しかも引退3年前の80年から引退宣言までして。
マスコミもファンを煽りまくり。
82年最強タッグは『最後のファンクス』とか。
そりゃあボロボロでもファンクスの優勝だわな。
まあ最後の最後にはさよならシリーズも敢行。
引退試合もそれまでにない前代未聞の大盛り上がりで。
それで僅か1年で復帰しても顰蹙買うだけだろ。
事実テリーは復帰後は以前程の人気は戻らなかった。
戻らないどころか人気は下がる一方で。
テリーも馬場もまたテリー人気が復活と読んでいたみたいだけど。
見事に当てが外れた。 >>469
当初はこの3年でブッチャーとの抗争に必ず決着を付けると宣言していた。
引退宣言から残り3年でブッチャーとの抗争にピリオド。
しかし3年も待たずに翌年にはブッチャーは新日に移籍してテリーの前から消えた。
そして新たな敵のハンセン。
テリーの前に菅を表したハンセンがブッチャーの後釜でテリーの怨敵に。
途中ブロディやシンがテリーの新ライバルになると思われた。
また残りの遺恨相手のシーク。
しかし何れもブッチャーと比べるとインパクトに欠けた。
※あくまでテリーの怨敵という面に於いては。
そういう意味ではハンセンは最適だった。
ブッチャーとは全くタイプは違うもののテリーの怨敵にピッタリ。
またハンセンもそれらを理解していい仕事したと思う。
テリーの時代も最初の引退までだな。
復帰後は全く別のテリーと見てる。 残酷ショーでただ大量に血を流すだけのブッチャーと違って、ハンセン、シン、ブロディとはまた違った新鮮な抗争を見せてくれたな
ところで81年って移籍する直前までブッチャーと激しくやりあっていたけど、シークとは当たったんだろうか?
同じツアーに来日しているから少なくともタッグで対戦してるはずなんだが、ちょっと記憶にないんだよな テリーとハンセンの遺恨は意味不明だったけどなあ。
ハンセンはファンク道場出身だし。意味がわからなかった。 >>471
テリーとシークは81年最強タッグ公式戦で対戦。
雑誌だとテリーはお約束の流血だったが。
まあブッチャーとハンセンがいない半年はブロディ、シン、シークと抗争。
ブロディ、シンとは新たに抗争が開始。
全日もテリー(ファンクス)とブロディやシンの抗争を新たな看板にしようと。
またシークとは抗争継続。
だが、シークは81年で来日しなくなった。
ハンセン移籍でテリーの抗争相手はハンセンに。 >>436
これは良い試合だった
フイニッシュはドリーの空中胴締め ブッチャー
ファンクス
マスカラス
彼らが主役の頃の全日はこれまた味があった。
70年代後半から80年代初頭までだな。 ジュニア対ミスターレスリングのシングル戦を宮城で見たが
高度なテクニックの攻防は見応えがあった
最後は逆さ押さえ込みでジュニアが勝った 78年、日本で血の抗争してたドリーとシークが地球の裏側のデトロイトてタッグ組んでるだな。
https://www.youtube.com/watch?v=nM6w3hyxSEw
こんなの当時日本で表沙汰になったら全日の存亡にかかわる騒動になってたかも。 ザファンはやっぱりアブチャやザシクとの抗争が一番良かったのでは?
スタハやブルブだと明らかに劣勢で力の差を感じた。
またスタハやブルブはアブチャ、ザシクみたいな典型的な極悪ヒールではない。
ベビー対ヒールとの図式は変わらなかったが。
でもスタハやブルブはジャイバ、ジャンツ、リュウゲンとの対戦ではヒールにならず。
ザファンとの対戦の時には大ヒールへと変貌していった。 >>480
タジェシとドリファの体の差が凄い。
ドリファはこの頃は減量(病気?)で痩せ細っていた。
これはタジェシとザファンの初対決の時。
当時もリアル放送で見たが、タジェシ移籍二シリーズ目。
スタハがゼンニプロレに来なければタジェシももっと活躍できたかも。
タジェシとテリファは相性も良かったと思った。
アブチャとは違うが、テリファとタジェシもいい試合やってたと思うが。 物理的に短くなってるのに元の何倍も読みづらいんだからどうしようもない いつ頃か忘れたけど、くじ引きかなんかで兄弟対決になった事があったね。 大味ながら、ザファンとキラカの対決も異色だった。
柔よく剛を制した。
86年のサイキョタグリ公式戦でも対決している。 YOUTUBEで見た
テリーとハンセンがアメリカの河川敷で殴り合う試合が忘れられない 一、二年前に略語じじいが馴れ馴れしく話しかけてきたんで罵倒してやったら大発狂して粘着された
あれからあいつ、誰にも話しかけない独り言スタイルになったんだよなぁ
チキン野郎が(笑) WCWでフレアーvsテリー戦があったけど、この時テリーがスピニングトーホールドで
入場してなかったけど、これはビデオの差し替えだったのか本当に別の曲で入場されたのか。
あの曲以外で入場することなんてあったのかな? ファンクスのテーマ曲スピニングトーホールドは、日本のロックバンド・クリエーションが作った曲で日本限定。
テリーがアマリロでの自主興行でブレット・ハートと戦った際は、マカロニウエスタン調の曲が流れた。
恐らくテリー自身の選曲。 >>495
> あれからあいつ、誰にも話しかけない独り言スタイルになったんだよなぁ
あの野郎たしかに誰にもレスしてないよな
誰かにではなく「何かに」レスすることはたまにあるようだが >>496
テリーのWCWでのテーマ曲は『Once Upon a Time in the West』だな。
あの物悲しいハーモニカのテーマは、『スピニングトーホールド』とは真逆だw
日本ではあり得ない。 テリーの回転エビ固めが嫌いだったよ。
「なにが、テキサスブロンコだ?」と思ってた。 >>501
86年IWGP決勝戦は猪木>マードックで、セミの前あたりで前田&木戸vs外人で
前田が逆さ押さえ込みでピンして野次の嵐だった。
そえいえば、テリーのフィニッシュって何?
ブッチャー、シークらにスピニングトウホールドは決まってないよな? タイガージェットシンがカナダで「♪サーベルタイガー」を流して入場するはずもないだろ テリファとアブチャとの試合はホンマにおもしろかった! >>512
テリファとディクスレがアブブ軍と絡むのは熱かったなあ >>515
アブチャがテリファの胸にビール瓶の破片を突き刺した、80年のチャカニですな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています