「おまんこすっぺ」
節子はそうはにかみながらつぶやき、おもむろに服を脱ぎ始めた。
幸助は当時18歳、まだ性経験のなかった彼にはあまりに衝撃的な言葉だった。戦後間もない1948年幸助は地元の中学を卒業後職を求めて上京し製紙工場に就職した。4人部屋の独身寮 自慰行為が何よりも趣味であった彼には過酷な環境であった。週一回土曜日の夜に同室の3人が街に飲みに出かけるのでその時に思い切り済ませていた。
今日はその土曜日時刻は19時さていつも通り始めようかなとイチモツに手をかけたその時扉を叩く音が、「節子です。幸助さんいっがい?」
節子は2個年上の20歳 彼女も職を求めて中学卒業と同時に田舎から上京してきた。抜け切らない福島弁が特徴的な女性だ。
どうやら職場に忘れていた手袋を届けに来てくれたようだ。