寺山修司を語れ [無断転載禁止]©2ch.net
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ふりむくな
ふりむくな
うしろには夢がない
寺山が今も生きてたらどんな風に競馬を語っただろうか… 今日の報知のクラブ馬主応援コラムに
寺山さんの一文
「人類が最後にかかる、一番重い病気は「希望」という病気である。」
そのわりに報知は馬券ファーストって政治的なタイトルつけていて最悪w 映画「あゝ荒野」に出てくる競馬場はどこなのか
教えて頂けますか。
右回りで3〜4コーナー外にビルが見えるって
地方競馬では思いつきません。
CG合成だとしてもコースはどこなのか気になります。。 >>27
報知など、まともに相手にするやつが悪い
寺山さんは、中西太の西鉄ファンで、大の巨人嫌いだったのに
寺山さんが亡くなったときの報知コラムは
「寺山さんは、生前、大の巨人ファン」だと
反歌的に、「頑張れ、長嶋ジャイアンツ」を作詞したのを
何もわからないアホ記者が、真に受けたんだろう モンタサンかメジロボサツについて書いた寺山のエッセイにモンタヴアルの血の呪いみたいな一節があったと思う
モーリスはモンタヴァルの遠い子孫なんだよなあ
今日勝ったワグネリアンより、負けたルーカスの方を寺山なら贔屓にしそうだ 7の吉永について語ったエッセイで「賑やかな骨牌の裏面のさみしい絵」という句が引用され高屋窓秋の句と書いてあるが、
実際は富澤赤黄男の句だった(寺山の引用では骨牌がカタカナでカルタになっていた気がする)
あれは「マッチ擦る〜」の時の盗作騒動が堪えたので、意図的に間違って引用したのかね キーストンをとても贔屓にしていたけど
キーストンの出る春の天皇賞では、関東馬を応援していた
遠征する馬が好きだったみたいだね
東北から上京した自分を重ね合わせていたようだ
ロングファストも、えらく気に入っていたが
寺山さんが好きなのは、何と言っても葦毛馬
自ら、「白い馬が好き」と公言していた
タマモクロスやオグリキャップの競馬を見ていたら
どれだけ熱を入れて、どんな書き方をしたのだろうと、いつも思う どこぞのアーカイブで、寺山氏が福永洋一にインタビューしている映像があった。
しばらくは録画を残していたが、今は見つからん。
あんな貴重映像、惜しいことしたなぁ。 寺山修司が競馬に関わった最後の案件はカブトシローの屠殺阻止の抗議だったな。
カブトシローが種牡馬廃用になることを知って(当時は廃用=屠殺だった)山野浩一とJRAのコネを最大限
活用して余生を過ごせるように運動したのが死の前年。実際に農林省や生産者団体と対応した山野氏の回想
によると、当時の関係者は「人間の役に立たなくなった家畜が屠殺されるのは当たり前」という考え方だったらしい。 中央競馬PRCから出てた「名馬名勝負物語」の
TTGの有馬記念を呼んでゲンナリした覚えがある。
いろいろと奇を衒いすぎだろ。
まあ、競馬をすることに後ろめたさを感じるような
コンプレックスを抱えた世代の人にはウケタだろうけど。 最近は、寺山修司の競馬系文庫は再版されてないんだよな。カブトシローとかモンタヴァル一家の呪いとか、本当に名文だと思うんだけどな。 でも、シービーの3冠までは生きていて欲しかったよなぁ。 >>39
「馬敗れて山河あり」「競馬への望郷」とかか?
>>40
俺もそう思う。
さつき賞後、「強いねえ、三冠取るんじゃない?」で亡くなったのが惜しまれる。 >>2
>いい時に亡くなったのかもしれない
国際的に通用する馬が多く出る一方、馬も騎手もレース展開も、個性がなくなったからな。
騎手の乗り替わりが多すぎるのも要因じゃないか?俺はセットで応援したい。 >>41
そうですね。昔は角川系で文庫が出てましたが、今では全く見かけなくなりました。
もう二周りほど昔の文章なんで今では受けないかと思いますが、競馬会として残すべき遺産だと思いますがね。 平成になったころ、JICC出版局?あたりから
装丁はお洒落だけど、中身は手抜きみたいなのが出てなかったか?
ま、あの頃はミディアム出版?あたりが
石川喬司氏の本も出してたように思ったが…。
当時でもどうかと思ったが、現在ではまずムリな企画だな。
主観性の強い名馬、名勝負ものは、同時代の一部の人以外には
通用し辛いだろうし。 >>27
そのフレーズ、デブの競馬ファンが重い馬ばかり買って、その馬が勝ったことで希望を持った話の、最後にあったなあ。 「デブのかなしみ」かな?
あれは、デカイ馬に期待した力士崩れのデブが
いろいろあって、身体も痩せて
馬券的にもデカイ馬に見切りをつけたけど、
デブ馬の大駆けを目の当たりにして
また、デブにもどりつつある、という話。
で、締めが
>アンドレ・マルローは、うまいことを言ったものだ。
>「人間のかかる最後の病気は、希望という名の病気である」と。 デブの馬、何頭か名前が出てたような気もするがヤマアオバが出てきたのは憶えてる
ちっこい馬はオウゴンラブだったか
ロンググッドバイの話が好きだった 「デブのかなしみ」だけど、文中では、
> 4レースのオープンで、私は現役一のデブの大馬ヤマアオバ
> (560kg以上ある)の単勝で勝負してみるつもりだというと、
> 大ちゃんは笑って言った。
> 「だめだよ。俺にはわかっているんだ」
> どうやら大ちゃんは本命のクリシバから買っているらしかった。
(中略)
> 2コーナーでは、どんじりだったヤマアオバが、
> 直線でドンジリから一気にのびて穴で勝ったのであった。
これって
昭和47(1972)年6月18日の9R(4歳上オープン)芝1800m
1着=ヤマアオバ、2着=クリシバのことかな?
手元の四季報で見ると、確かに2角では最後方だけど
4角では中段後ろめ、直線では好位につけているし、
そもそも、ヤマアオバが4番人気(単・670、複・220)で
クリシバが8番人気(複・500)なんだが…。
創作的にはアリなんだろうけど、
なんか、筋立てのために実馬の成績を尊重してないみたいで
ちょっとがっかりだな。他のもこんな感じなのかな。 寺山氏の死後、実母は、「わたしは何度も(エッセーの中で)殺されました」とか書いていたような・・ >>51
気になってもう一度調べたけど、
この2頭が直接対戦してるのは、やはり、
昭和47(1972)6月18日−東京9R(サラ4歳上オープン)芝1800m
(ちなみに10RはNHK杯(勝馬=ランドジャガー))
だけみたいです。
野暮なことをしてるとは思いますが、
実在の競走馬を登場させるなら、
事実は尊重して欲しかったなあ、と思ったもので。 当時はオーロラビジョンなかったから、現場にいても道中の順位なんて掲示板で
点滅される3番手までしかよくわからなかったし、
競馬ダイジェストで直線だけ放映されるのもせいぜい特別のみ
場外ではテレビなんて設置されていなかったから音声のみだし
オープンなんてもし見れたとしてリアルタイムの1回だけでしょ
オレもいくつか印象的なレースをもう1度見たいと思ってるけど、
見たら(当時の印象と違って)ガッカリするような代物だと思っていますよ あとランドジャガーのNHKの日は確かすごくモヤっていたと思います
(ゴール前300mくらいに来ないとよくわからないような) …。だったら、道中シンガリ云々なども
わからないはずなのでは?
ま、人気のこととか、こういうのは
ドラマチックに盛るものだろ。
それが書き手、読み手に
通用しやすい時代だったのだろうし。 ランドジャガーが鮮やかに差し切ったNHK杯
現場で見てたけどモヤなんてなかったよ まぁ、あくまで事実を基にしたフィクションってスタンスで読むのが正しいんだろうな
ただ、馬の戦績を偽装するのは如何かとおもうが ま、実在の人が脇役だった
巨人の星やタイガーマスクが流行った時代?だろうしな。
でも、当時の競馬ファンてのは、実在の馬が
作家様のストーリーのために
微妙に盛られるのをそんなに支持してたものなのかねえ。
現在でいう、意識高い系競馬ファンが
実際の競馬ではなく、寺山氏の描く競馬をかざして、
他の競馬ファンと差別化したがってたのと違うか? >巨人の星やタイガーマスクが流行った時代?だろうしな。
「あしたのジョー」を忘れてもらっては困る。
寺山氏は力石徹の葬儀のスタッフだから。
割合としては、寺山氏の世界の人は、微々たるもんだろ。
ただのギャンブルで、当たるか外れるかしか興味なし、
もしくは、単純に強い馬を応援する、普通のスポーツファンの心境。 「競馬必敗法というのを研究している暇な人がいる。山野浩一という。
独自のストーリーを作り上げる。彼の拠り所とするのは血統である。」みたいなのがあったなあ。
寺山も大差ないじゃねえか、と思ったね。
これを読んだ数か月後、競馬中継番組で初めて山野氏を見た。
どんな人か、よくわからんかった。 >>61
山野浩一によると「自分は血統を研究しているのであって、それで
馬券を当てようとは思ってないし、好きな血統構成の馬の馬券を勝って
当たればもうけもの」と言ってたのを、寺山にあのように書かれた、という
事らしい。
ちなみに種牡馬引退即屠殺になりそうだったカブトシローを余生を送れる
ようになったのはカブトシローのファンだった寺山の発案し病気になった寺山に
変わって山野氏が中心になって生産者や農水省の役人に陳情した。
当時の関係者概ね「人間の役に立たない家畜を殺すのは当たり前」という感覚
だったそうだ。 > 山野浩一は、「良血の馬こそ勝つべきだ」という理想を持ち、
> 「競馬必敗法」という文章まで書いている。
> 理想に従えば、必ず敗れるものなのだ……。
(〜イシノヒカル、おまえは走った![沢木耕太郎])
現物は読んだことないなあ。 >>62
他人から見れば仲良し、当人は認めたがらない、って間柄だったのかな?
>当時の関係者概ね「人間の役に立たない家畜を殺すのは当たり前」という感覚だったそうだ。
今でもその感覚はあるだろうね。
好きで選んだ仕事ではあろうが、それだけではやっていけない。
助手とか厩務員とかは、世話していた馬が他所に移った後、会いに行くかというと、行かないそうだ。
「いなくなっていたら悲しいから」と。
ペットショップは売れ残りを殺処分するし、獣医は安楽死を依頼されたりする。
好きなだけでやっていけるのは、美容院くらいのもの。 吉永正人は、最初の妻が死んで酒におぼれた、みたいなこと書いていたが、
「優駿」インタビューに「ぼくは酒に酔ったことがないんで・・」とあった。
そのころは、作家とは都合よく書くもんだ(石原良純が言うから、間違いない)とは、知らなかった。 寺山氏が「あらためてベーシック国語」で紹介されていたけど、なかなか面白い視点と思ったね。
俺は、競馬関連以外の活躍を、全然知らない。 >>66
実は大島渚の「愛のコリーダ」についで本番映画(上海異人娼館)を
撮影し公開した映画監督でもあった(武智鉄二の「白日夢」より一年前)。 寺山修司記念館から七戸種馬場や八戸家畜市場を回る観光コース(電車バス利用)って可能だろうか? 今はネット情報ありきのリアリズム時代ですから(それでもフェイクニュースに騙される人も多いですが)、寺山的手法は受け入れられないでしょうね。だからこそ、もう一度触れたいと思う事が多くなります。 失われたボールをもとめて
寺山修司トリビュートは名盤だった! >>41
「馬敗れて山河あり」ではなく「馬敗れて草原あり」 寺山自身は酒を飲まなかったと知ったときは意外だった
スシ屋の政とよく飲みながら競馬談義してたからな 競馬放浪記あとがきより
強かった馬のことも忘れがたいが、
ドラマチックな思い出を残してくれた馬のことは、
もっと忘れがたい。
そこで、ここでは「私の忘れがたかった馬ベスト・テン」を選んでみることにした。
@ミオソチス(忘れな草の意味)
Aカブトシロー(呪われた穴馬)
Bモンタサン(不運の名馬)
Cホワイトフォンテン(逃げ馬一代)
Dテンポイント(死んで生まれた馬)
Eハイセイコー(公営上がりの名馬)
Fメジロボサツ(孤児の名牝)
Gユリシーズ(私の持ち馬)
Hタカツバキ(ダービーで落馬)
Iテキサスシチー(負けつづけの馬)
(番外ダンサーズイメージ)
こうして並べてみると、私が好きなのは必ずしも逃げ馬ばかりではなかったように思われる。
しかも、どの馬も弱点をもっていて「英雄」になれなかった馬という点で、共通している。 総務省の、改憲の国民投票制度のURLです。
http://www.soumu.go.jp/senkyo/kokumin_touhyou/
国会の発議はすでに可能です。平和は勝ち取るものです。お願い致します。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています