1976生まれくらいの奴がゲームについて語るスレ [転載禁止]©2ch.net
ニコニコでGGTVって動画がおまえらにオススメだ
仕事してる人は睡眠不足になるかもしれんから注意な 渡辺浩弐age
レンタルビデオ店で貸出やってたよな 20年ぶりくらいにスパ2X触ってみたが
指が覚えていてちょっと感動したわ ゲームウォッチからPS4まで楽しんできております
恵まれたな〜 小学相手にカツアゲとかないだろ
タバコくわえた学生服は当たり前にいたけど この年代の人間って84年ごろからコロコロでファミコンの記事がどんどん増えてくのを
ワクワクしながら見てなかった?
最初は二色かモノクロの2ページぐらいの小さい記事だったのに、どんどん拡大してきて、
巻頭カラーで十何ページも使うようになって、ファミコンロッキーも始まって、
ついに高橋名人と高橋名人の漫画も登場して…って感じで
前に82年と85年のコロコロを読み比べてみたら、82年はファミコンはおろか
他のホビーの情報ページもほとんど無い普通の漫画雑誌だったのに、85年になると
ファミコン、ラジコン、チョロQといった情報満載のホビーマガジンと化していて、
3年でここまで変わったんだって驚いた
(それから1、2年でミニ四駆、ゾイド、ビックリマンも加わってもっとカオスに) >>245
ヤクザが多い地域はある
ヤクザ→暴走族→不良高校生→不良中学生→小学生
の順にたかられるから そらまあ82年にファミコンはなかったしな
真面目に考察するとライバル誌のボンボンがガンプラで一気に伸びたことを参考にしたんだろうな >>246
ワイルドウィリスの車轟ラジコンボーイとか
プラモの世界に入れるプラ魂とか
コイン投げでチョロQにはめてスピード増す?マンガとかあったな。
多分それより前のコロコロは仮面ライダーとかウルトラマンにドラえもんあたりが中心だった気がする。
多分ゲームでは滅茶苦茶充実した世代だけどいろいろ理想見させられて仕事他は地獄の世代だと思ってる。
団塊は規制も未発達だったし老害も居ないで伸び伸びと仕事できたからあれだけヒット作出せたのかもな >>248
病気してたとき親にコロコロ買ってきてって頼んだらボンボンが来た…
同じような経験者おらん?
とじ込みページがあって「心臓の弱い人は見ないでね」っていう警告。開いたらバスの事故シーンで焼け死ぬ怖い絵で未だに記憶にあるっていう
そんな漫画があったボンボンですね?
ゲームも全盛期だけど漫画も全盛期かもね。でも単純に購買数の違いかな。 週間ジャンプを親に頼んだら月間ジャンプだったみたいな感じ 薄暗いゲーセンに入った瞬間、
ツッパリどもが全員こっちを見たので速攻立ち去った >>249
コロコロの編集者がインタビューで言ってたけど、あの時代(83〜87年ぐらい)、
現代にまで繋がる子供文化とそのメディアミックス展開の礎が築かれた時代だったって
言うんだよね
ゲームがあって、それがアニメ・漫画になって、
もしくは逆にアニメ・漫画からゲームが作られて……っていう
さらにゲームだけじゃなく、ビックリマンシールのような後のカード系の前身みたいなものや、
ミニ四駆やゾイドなんかのホビーからもアニメ、漫画、ゲームが展開するっていう
しまいにはゲームやホビーの全国大会が開かれて、TV中継もされたりして
今じゃ…というか90年代以降、当たり前のように行われているメディアミックス展開が
ここで始まったと 76年生まれって当時10歳前後だったから、適正な年齢でその恩恵に預かった
一番最初の世代なのかも
今でもおっさんながらその時の経験があるから、今の子供向けコンテンツが
各メディアに展開してゆく流れって、なんとなく外から見ていても分かり易いというか、
デジャヴを感じるもんな アナログの良さを知りつつも
日進月歩で進化していくデジタル遊戯の成長過程をリアルタイムで感じ取れて
遊ぶ分には恵まれた世代だけど
社会的にはかなり最悪の世代か
大学受験前にバブルが弾け、大学出る頃には氷河期・・・ツイてねぇ 確か出生率ピークって74,75,76年あたりよね。 この世代を棄てておきながら、人口減少を嘆いてるんだよなあ もっと金(給料)と時間(休暇)よこせ
じゃねぇと子供作るどころか、嫁さんも貰えないんだからさぁ >>252
あれはたまり場になってるから知り合いが来たかと思って見るだけだぞ
一瞥くれただけだっただろ? >>260
教師が見回りに来たか確かめる意味もあるね。 >>246
コロコロに
真面目な高橋名人が登場する漫画と、ギャグの高橋名人が登場する漫画が
同時に連載してたような 高橋名人物語とファミコン少年団やね
読者コーナーで両作品の名人の性格を比べて、
「高橋名人は完全に二重人格だ!」って投稿があったわw 高橋名人は野人、毛利名人はクール、ってイメージでスタソル映画見てた。
今見たらどっちも普通のオタク系だた。 このまえ「橋本名人」を都内某所で見たけど
いかにもエグゼクティブって感じで
名人業やってた頃のメガネお兄さんのイメージとまるで違ってた 最近のコロコロをちょっと読んでみたらスーパーマリオくんの
沢田ユキオ先生(65)が、(もちろん顔出しで)芸人に弟子入り、
ギャグ漫画の腕をさらに磨く!みたいな企画ページがあって、
相変わらず漫画家いじりをやってんだなって嬉しくなった 昔のコロコロにハドソンの全国キャラバンの会場写真が毎月載っていて、
そこに高橋名人や弟子の川田名人なんかと子供たちが一緒に写ってる写真が何枚か
掲載されてたんだが、
「このページに載っている写真に写ってる人は、本人証明のための自分の写真を編集部に送れば
豪華プレゼントが!」
みたいな事が書いてあったんだよな。今考えると大らかな時代というか…
ちなみにページの下の方に「※高橋名人は応募できません」「※川田名人は応募できません」
みたいな注意書きがあったが、当時は子供だったからどこまで本気か分からなかったが、
今思うと完全に編集部が笑いを取りにいってたなw コロコロもハドソンも毛利名人が実はハドソンの契約社員だというのを
伏せていたのは正解だったな
バレていたら高橋名人とのライバル関係も内輪の馴れ合い感、ヤラセ感が見えて
子供は萎えてたと思う そのへんは企画屋のセンス次第でなんとかなるんじゃないかな
同時期のプロレス団体を思い出してみよ ゲームの黎明期にどっぷり浸かっておっさんになって思うのは
どうやらゲームは子供だけの遊びでなく囲碁や将棋のように普通に
大人や老人も嗜む趣味の一ジャンルとして定着しそうだなということ
こればっかりはゲームを楽しんだ子供が大人世代になってみない
限り確証はなかったからなあ
まあ何となくだけど嬉しいよ 定着はしそうだが
しょーもないソシャゲレベルのモノしか残らなくなる気がしなくもない 20年後の老人ホームは一日中ゲームやってるジジババだらけになるのが
目に見えてるよな
今、55〜60歳ぐらいの年代が若い頃に編集やライターとして
ファミコン誌を創設して盛り上げたんだし、その人たちが80になっても
ゲームをやめるとは思えない
今の老人ホームよりよっぼと雰囲気いいかもよ。今だって麻雀にハマってる
80代のジジババってあまりボケないらしいし。しかも金賭けない健康麻雀で ゲームセンターでゲームをやるのが不思議に思えるのが今の子供
据え置き機でゲームやるのが不思議に思えるのが今の子供
子供たちも大人になれば演歌を聴くようになると言い続けて来た人もいたが
演歌をゲームに置き換えてみれば分かる 40過ぎても音楽の嗜好はそんなには変わらないな
ゲーム音楽 → テクノ → トランス
最近はクラシックや和楽器のロックなんかもいいな、と感じるようになったが
ボーカル入ってる曲には興味なく演歌などは論外
俺らの親の世代で演歌は滅びると思う >子供たちも大人になれば演歌を聴くようになる
昔はその法則が通じないこともなかった
うちの親父は10代にプレスリー、20代でビートルズに熱狂した世代で
若い頃は演歌なんか見向きもしなかったが40過ぎてから演歌も
結構好きになってきたって言ってた
息子の俺(76年生)はまだ演歌は好きになれんけど、昔よりは拒否反応なくなってるかも
童謡とかも子供の時は音楽の時間に歌わされるものって感じでうざかったが、今は好き 囲碁新人が居なくてピンチらしい。
滅び行くゲームの一つかもな。 ヒカルの碁で囲碁人気復活したかと思ったら、また廃れたか
藤井7段のように
話題性ある新人が定期的に出ないと辛いわな
俺らゲーマー世代の40代は
目と指が元気な内はアナログゲームよりデジタルゲームやるしなぁ それね。70代の親父は囲碁やるけど俺らはゲーム機。俺らがやらないなら次の世代はないわな。
囲碁も将棋もルールは分かるけどお見合い間合いの切込みからのやり取りとかさっぱりだ。格ゲーで言えば基本技は出せるけど必殺もコンボもできないみたいなものか。 子供たちのハートを一番掴んでたメーカーって点でハドソンが
エニックスにトップの座を渡しちゃったのって、やっぱりPCエンジンに
力を入れちゃったからかな?
87〜88年に一斉に同級生がハドソンゲーからDQに流れた気がする
(同時に子供人気のトップがシューティングやアクションからRPGに移った)
もしハドソンがPCエンジンなんぞに色気を出さずにファミコンだけに
全力投入してたらどうなっていたかな
少なくとも高橋名人の人気はもう2年ぐらい持続したような気がする PCエンジンは関係なく
子供達の人気ジャンルの変異でしょうな
小学校の休憩時間、それまでACTやSTGの話なんてしていなかったけど
ドラクエが出てからはそれの話ばかりしてたしね スターソルジャーとかヘクター87とかの
なんとかキャラバンとかあったけど
俺は田舎住まいだったから
盛り上がってたかどうか分からない スターソルジャーやボンバーマンはみんな持っていたけど
ヘクター87とかボンバーキングは誰も持っていなかったなあ それは本当にそうだね
メディアもコロコロの記事が特に露骨だったがヘクター87がコケた途端に
サッと手を引いた感じがあった
スターソルジャーまでの盛り上がりはなんだったんだっていう
自分らのゲームの興味も完全にRPGに移ってたし、ハドソンの全国キャラバンも
コロコロで扱わなくなったのでヘクター87で終わってたとずっと思ってたら、
ネット時代になって一応1997年まで継続してやってた事を知って驚いたな
ついでにコロコロもゲーム企画に関してはRPGとは食い合わせが悪いらしくて、
ハドソンと高橋名人を取り込んだ時のような盛り上がりが全くなくて低迷してたな
特にDQネタは完全にジャンプとガンガンに獲られちゃった >>284
アクションやシューティングは上手い下手がはっきり別れたけど、ドラクエは誰でも簡単に遊べたからなぁ STGってめちゃくちゃ体育会系だったなあ
点数やクリア時間などの数値で順位を競ってた
その頂点にいたのが高橋名人?
こういうノリって90年代の格ゲーに受け継がれてその後どうなったんだろう STGで一番最初にスコア関連の話で胸を躍らせたのは高橋名人じゃなくて
毛利名人だった想い出
FC版ゼビウスで一ヶ月かかって1000万点突破を達成
AC版だとここでスコアが0に戻るんだが、FCだと7ケタ目以降も
カウントされる事が分かって流石にここでストップ
最後は綺麗に11111110点にして終わらせたっていう
あの話が載っていた本をもう一度読みたいんだがタイトルが分からない
でもってスターフォースはわずか三日で1000万を達成したって記事がコロコロにあった 昔からスコアには興味無かったなぁ
クリアできればいいや、という感覚だった
スコアが経験値になっていたりすると序盤は稼ぐ、とかはするけどね
クリアしたらエンディングを迎えて終了、というのが増えてきた転換期でもある
1周したらまた最初からの、ループゲームは減っていったような。 スコアに意味があったのは
ゲームセンターあらしの頃だな
ゴーデス100万点だ〜!とか 同感。スコアよりクリアしたかった。
クリアできない難易度高いゲーム多かった気がするし。
スターソルジャーなんてそれ。
グラディウスは難易度丁度良かった。 オンゲは憎しみとザマァの連鎖でずっと続けられるけど
オフゲがつらい、何のモチベもない ファミコンは平成ではなく昭和の象徴だったとすっかり忘れておったわ スターソルジャー(1986年ファミコン)
スーパースターソルジャー(1990年PCエンジン)
ファイナルソルジャー(1991年PCエンジン)
スターパロジャー(1992年PCエンジンSCD-ROM2)
ソルジャーブレイド(1992年PCエンジン)
スターソルジャーバニシングアース(1998年NINTENDO64)
スターソルジャーR(2008年Wii)
スーパースターソルジャー以降知らないなあ >>297
そんなに出てたんだ…!?
同じくスーパースターソルジャーまでしか知らなんだ スーパー以降はもはや沈みゆくPCエンジンと一緒に
心中しましたって感じだったもんな。そりゃ知名度無いわ STGのトレンドが読めてなかったのだろうな
R-TYPEとかを移植した結果、自らシリーズにとどめ刺しちゃった感じ ファイナルソルジャーは名前がアホみたいなので覚えてる
スターパロジャーはハドソンがプライドを捨ててパロディウスの
モロパクリをじやりやがった!って事で覚えてる
あと三つは>>297の書き込みで今、存在を初めて知ったw ゼルダの丸パクリなユートピアを出した時から
そういうことするメーカーだと疑っていたよ 昔はどこのメーカーもパクリパクられ当たり前だったしなぁ ムダ毛のお手入れは女のみだしなみ
でも、つい面倒くさくてという人が多いですよね
そんなあなたにおススメなのが
このファイナルソルジャーなんです
以前あったスターソルジャーより
当社比30%も性能がアップしたんですよ ガキへのRPGの普及率の速度が速すぎて怖いと今でも思う
86年頃からファミコンへのRPGの波が押し寄せてくるんだが
86年2月ドラゴンクエスト制作発表
86年5月ドラクエ1発売
86年11月頃にドラクエ2制作発表
87年1月リンクの冒険、ドラクエ2発売
87年8月ドラクエ3制作発表
87年10月ウルティマ3発売
87年12月ウィザードリィ1、ファイナルファンタジー1発売
88年2月ドラクエ3発売
俺はドラクエ1を86年秋(小5)に買って翌年(小6)の年末にはウィザードリィを買っていた
少し上の兄貴の影響もあるが無茶苦茶な速度だなと改めて思う >>306
RPGはゲームが下手なガキでもたっぷり遊べたのが斬新だったね
基本的にゲームオーバーがなく、コンティニューが簡単に無限にできるという >>306
小6でウィズってできたんか
自分はたしか中二ぐらいの時に必本の影響でウィズUを買ったけど
最初は難しすぎて寝かせた
クリアしたのは一年後くらいだったな >>307
基本的に昨日の自分より今日の自分が確実に強くなるからな
パスワードを間違わなければ
>>308
ウィザードリィを買う少し前にD&Dの赤箱に手を出してたからシステムの理解は速かったよ
あとは兄貴の存在がでかい
リセット技も教わったし まさにRPG革命だったよね
当時10歳前後の子供のハートをわしづかみにしていた、ハドソンとコロコロがガッチリ組んだ
鋼鉄の牙城がエニックスの一撃で崩された
(思いあがってPCエンジンで任天堂から半独立して自爆したって気もするが)
>>306の前史としてFC版ポートピアの発売(85年11月)があると思う
「ドラゴンクエストへの道」って漫画で、いずれファミコンでRPGを出すためにポートピア連続殺人事件の
FC版出した、子供をテキストゲーに馴れさせたかったって事情が書かれていたけど
俺はまんまとそれに引っかかったなw
確かにポートピアで文字慣れしてたからドラクエにも入り易かった
もっともポートピアのおかげでRPGよりも推理アドベンチャーの面白さに先に目覚めて、
DQよりも先にオホーツクやさんまの名探偵に燃えてたけど >>310
前史としてFC版ポートピアの発売(85年11月)から2年でファミコン版ウィザードリィ発売でしょ?
この速度が怖いのよ >>当時10歳前後の子供のハートをわしづかみにしていた、ハドソンとコロコロがガッチリ組んだ
鋼鉄の牙城がエニックスの一撃で崩された
マシリトがコロコロ潰しに行くぞ!と言ってたらしいけどまさにそれだもんな
マシリトって凄いんだな
俺個人としては85年秋にドルアーガを体験していたのもドラクエに入りやすいポイントだった
武器屋の看板なんてドルアーガのシールドデザインそのものだったしな 俺もドルアーガはやっていたよ
あれがRPG初体験以前に、剣と鎧と魔法の世界観の入門になったよね
魔法使いだのスライムだのドラゴンだの囚われのお姫様ってのも、
考えてみればドラクエよりも先にドルアーガだった
RPGの時代がやってくる前はハドソンと同じぐらいナムコゲーにも
お世話になりました >>313
ドルアーガもウィザードリィが下敷きとしてあるらしい
小学校高学年にこのような入口が用意された我々は幸せだったのかもな >>308
ゲームショップで「ドラクエに飽きた人におすすめ!13歳以上推奨」
というラベルを見て、12歳だけ挑戦心を煽られて買ってしまった
ウィズのせいで気に入らなかったリセットする癖が付いてしまい、未だに治らないが
クリア自体は難しくはなかった ナムコに関してはもう少し上の世代がナムコ全盛の直撃世代だろうな
わかる人にはわかる例えだが
月刊NGには間に合っても季刊NGには間に合わなかった 76年生まれだとナムコ全盛期を飾ったアーケードの傑作群はリアルタイムでは
あまりプレイしていなくて、あくまでファミコンのソフトメーカーのイメージなんだよな
小学校低学年〜中学年のしょぼい知識とACゲーのプレイ経験で
ACからの移植だって知ってたのはパックマン、ゼビウス、ギャラクシアン
ドルアーガぐらいかなあ。それらだってほとんどがファミコンでプレイしたしね
初期ナムコのFCソフトのほとんどがACからの移植だって知ったのは随分後だった でも唯一ACで先にプレイして(主にデパートの屋上や駄菓子屋)、
これファミコンにならないかなって思ったのはドラゴンバスター
でも後に念願かなってFC版をプレイしたらAC版の面白さは半減してたな
後年、発売日を調べたら小2の冬から小4の冬まで二年も待った事が
分かったのにw
でも少し上のお兄さんたちはこういう移植による不満をそれこそ何度も
味わったんだと思う
ちなみに攻略本と隠しコマンドに甘やかされたFC世代の俺には、
宝箱のヒントも敵のデータも知りようにないAC版ドルアーガのクリアなんて
既知外沙汰としか思えないんだがw パックマン、ゼビウス、ギャラクシアンと言われても
当時はゲーセンにオーダイン、ベラボーマン、スプラッターハウスなどがあったから
その時が俺にとってのナムコ全盛期 生ゼビウス、生ギャラクシアン、生パックマンは見たことない 古いゲームが何年もずーっと置いてある喫茶店とか旅館とか遊園地があるじゃん
ゼビウスやパックマンはそういう所でよく見たな。それこそ2000年ぐらいまで
結構あったんじゃない?
ギャラクシアンも見かけたが、もしかしてギャラガだったかもしれないし
どっちだったか今となっては判然としないけどw
そういう場所じゃなく、ちゃんと?町のゲーセンに行ってACゲーに本格的に
ハマって行ったのは高1だったストUなど格ゲーブーム以降になるのかなあ
それ以前の中学時代もバブルボブルや天地を喰らうとかを時々やりに
行ってたけどね
怖いお兄さんのカツアゲやゲーセンまわりの教師の目を気にしながら ゲーセンが不良の巣窟だったのほんまクソ。経営視点でかなり損害あったんじゃ。 パチンコ屋の2Fとかにあった昔のゲーセンは
税金対策の存在で、プレイ料金の儲けは考えていないとか聞いた気がする パチンコ屋の二階のゲーセンってのは俺の地元にはなかったが、
二階オール50円ってゲーセンは結構あったな
安いぶん既に二線級の古いゲームばかりが置いてあったが
既に家庭用でも出てるゲームも多くてあまりやる気がしなかったので
二階では脱衣麻雀ばかりやってたw ホットギミックでボタン連打するのが恥ずかしかった頃が懐かしい ファミコンを手に入れて意気揚々となっていたが
半年ぐらいしてゲーセンでパックランドと魔界村を見てファミコンの限界を痛感した 家庭用ゲームが逆立ちしてもゲーセンに敵わなかった時代
いいねえ いかに1コインで長く遊ぶか vs 早く終わらせつつ再プレイさせるか
というガチでクリエイターとゲーマーが真剣勝負していた良き時代。
所詮はゲーム大会でしかないeスポなんぞとは違う熱い戦いだったなw >>324
神保町のミッキーにはお世話になりました 1971年生まれの兄はドンキーコングを半日以上粘れてたな ちょっと質問したいんだけど、ダメージを受けるとパワーダウンする設定ってアーケード由来?
80年代のゲームはコンシューマーでもこの設定があるものが多くてかなり辛い
アーケードならわかるがコンシューマーには必要ないだろう 俺がわかる範囲ではアーケードのアテナかダーウィン?
もっと古いのがありそうだ
被弾でパワーダウン方式は
1ミスで即死ゲーよりはマシだろ、的な発想だろうから
アーケードもコンシューマーも関係ない気がする ドルアーガはダメージ受けると攻撃力は下がらないが防御力は下がってゆくな ハイパーアーマーで呪文1回だけ受ける
もパワーダウンになるか? ドルアーガはただのHP制だろう
死ぬまでわからないだけで。 >>327
ファミスタが好きで、ファミコンで遊びまくったけど
ゲーセンのワールドスタジアムのグラというか雰囲気がファミコン以上で
やっぱりゲーセンだなと思っていたら
PCエンジンでゲーセンの雰囲気が再現されていて驚いたの思い出した 大人になってから知識を得ると、初期FCソフトの中で他機種からの
移植ではないFCオリジナルのソフトの少なさに驚いてしまう
(セガやカセットビジョンも同様だろうが)
あれもこれもアーケードの移植、アーケードじゃなくてもPCゲーやPC洋ゲー、
もしくはゲームウォッチで先に出ていた、みたいな事をずっと後で知る事が多かった
少し上のお兄ちゃんたちだと、当時の家庭用ゲーム機ソフトはそんなもんだというのは
子供の時からの常識だったんだろうけど