>>395
確かにハドソンはそこら辺のメーカーよりかはキャラ立ってる人多そう

ゲームの色彩 - 岩崎啓眞の個人blog
http://www.highriskrevolution.com/gamelife/index.php?e=5
1989年2月 - イースの許諾を取りに行く

イースの移植の話が始まったのは、僕がハドソンでPC-8801(Mk2 SR)版イース2にハマっていたから。
1989年1月、デビュー作の「凄ノ王伝説」がデバッグに入っていてヒマになったのもあり、
北海道のハドソン本社4Fの開発ルームの隅にあった企画のエリアに入り浸ってイースII(88年末発売)で遊び倒していた。
そこに当時ハドソンの常務だった(と記憶している)中本さんが「そんなに面白いんだったら移植をしないか?」ともちかけてきた。

当時、ファルコムとハドソンの仲はあまりよくなかった。
というのもファルコムの代表作である「ザナドゥ」をハドソンが「ファザナドゥ」というタイトルでファミコンに移植したのだが、
これがファルコムの機嫌を損ねるようなオリジナルからはかけ離れた移植だったからだ。
開発者は「だって俺、ザナドゥ嫌いなのに作れって言われたんだもん」って言っていた。

そして、いくらなら移植を…という話になったとき、加藤社長は、かなりふっかけた値段を言ったと思う。
正直、移植して欲しくなかったのだろう。といって(今までの)ハドソンとの付き合いもあるわけで、
断るわけにもいかないから「この値段なら移植されてもしょうがないが、まず諦めるだろう」ぐらいの金額をふっかけたのだ、と今は思っている。
ところが中本さんはその価格を即決。
しかも営業のZが「それじゃあ元が取れない」と文句を言ったのを
「これでCD-ROM2の台数を増やして元を取ればいいべ!」と言い放ってしまったのだ。
正直、痺れた。